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嬰児はこれへねむり

著作 早坂由紀夫

Chapter18
「EVER GREEN」

夢。何かを伝える夢。伝えられない夢。
伝わらない・・・夢――――――――。

お願いです、見つけて下さい・・・失くしたままの心

樹は私に告げる。
自分が無くしてしまった想いを見つけて欲しいと。
そしてまたすぐに辺りを霧が覆い始めた。
悲しい顔をした女性が樹の近くに立っている。
「あな・・・たは・・・」
そう、私は彼女が何者なのかを知っていた。
大人の女性の姿をしているけど・・・あの人は悪魔。
丁寧な口調だけど、きっと恐ろしい人なんだ。

さあ、早く夢から覚めなさい。全てを忘れてしまいなさい

その声が引き金になって、また意識が遠のいていく。
でもその直前に樹はしゃべり出した。

森に・・・あなたから西にある森林に来てください・・・

7月18日(金) AM7:45 雨
寮内・葉月の部屋

がばっと飛び起きた。
辺りを確認してみる。
私・・・あれ?
昨日は確か凪さん達の部屋に行って・・・。
「そうだっ!」
と、私の目の前に美玖ちゃんの顔が映る。
なんだか凄く怒っていた。
「やっとお目覚めみたいね。まったく葉月、たるんでるわよ。
 いつもは7時には起きてる貴方が」
「あ・・・え?」
「昨日よりはましだけど、7時30分過ぎよ」
「うん、ごめん・・・」
それ以前に昨日の夜の記憶がなくなっていた。
凪さんが変な化け物に襲われてから・・・私どうしたの?
会わなくちゃ。
私・・・どうしても凪さんに会わなくちゃいけない。
彼女の無事を確かめないと・・・凄く不安。
「私・・・凪さんの部屋に行って来る」
「え? ちょっと葉月?」
外は雨。強い風が吹いていた。
空は灰色に染まっていて太陽はみえない。

7月18日(金) AM7:58 雨
寮内・凪と紅音の部屋

私はノックするとすぐに部屋の中へと入っていった。
紅音ちゃんが寝ぼけ顔で支度を済ませている。
「あの、凪さん起きてますか?」
「ん〜・・・それが久しぶりにお寝坊さんなんだよぉ」
嫌な予感がしていた。
私は凪さんの下へと駆け寄る。
毛布を被っているだけの静かな寝姿。
別に何の異常も見あたらない。
念のために脈拍を計ってみたけど普通だった。
「・・・良かった」
凪さんはただ寝ているだけだ。
「さてと〜凪ちゃん起こさなくちゃっ」
そう言って歩いてくる紅音ちゃん。
何する気なんだろう。
彼女はおもむろに凪さんの名前を呼び始めた。
「凪ちゃ〜ん、起きないとキスしちゃうよ〜」
「えっ!?」
「・・・葉月ちゃんもする?」
「いえっ、あの・・・」
それはまずいよ紅音ちゃん。
でも彼女としてはフレンチなコミュニケーションのつもりだった。
よく考えてみれば、それもそうなんだよね。
変に気にする方がおかしいんだよね。
・・・そう自分を納得させた。
気付けば紅音ちゃんは凪さんの頬に口づけをしていた。
「あれ〜? 起きない。変だなぁ〜・・・」
紅音ちゃんは困った顔をして凪さんの身体を揺さぶる。
彼女が起きる気配は全くなかった。
起きないにも程があると思う。
普通の人ならこれくらいの衝撃で起きるはずだ。
私も一緒になって凪さんの身体を揺さぶる。
「起きてください、凪さんっ」
「・・・なんか変だよ凪ちゃん、いつもこの時間には起きてるのに」
不安そうな顔で私の方を見る紅音ちゃん。
不思議だけどそれだけじゃどうしようもない。
とりあえず時間がなかったので私と紅音ちゃんは、
ひとまず凪さんを病欠にする事にして学校へ向かった。

7月18日(金) PM16:45 雨
1−3教室内

「えっ! 凪さんがっ?」
放課後の教室で私達は凪さんの事を話していた。
凪さんはあの後から授業に出ていない。
つまり起きていないって言う事だ。
凄く異常な事態だと思う。
だっていきなり目を覚まさなくなるなんてどう考えても・・・。
それを皆に説明したら今さっき真白ちゃんが叫んだのだ。
「ご、ごめんなさい・・・あの、葉月ちゃん」
「はい?」
「ちょっといいかな」
「・・・うん」
なんだろう。
神無蔵さんが私を呼ぶなんて。
私達は廊下に二人で出ていった。

7月18日(金) PM17:02 雨
1−3教室前、廊下

真白は廊下へ出るなりイヴと交代するよう葉月に告げた。
言われたとほぼ同時に葉月の様子は代わり始める。
「まったく・・・私を情報屋か何かと勘違いしてないか?」
「凪さんが倒れた事って、あなたに関係があるんですよね」
イヴは少し考え込むような様子を見せた。
あまり進んで話したい話題ではないのだろう。
それもそのはず、自分の失態で取り逃してしまったからだ。
「・・・凪は覚める事の無い眠りについたのだ」
「ど、どういう事ですか?」
「インキュバスの奴を滅さねば、凪は寝たまま・・・衰弱して死ぬ」
真白は愕然とした顔でイヴを見つめる。
「そ・・・そんな」
「用はそれだけか? ならば葉月と代わらせて貰うが・・・」
「ま、待って! 貴方は・・・凪さんの事っ・・・。
 ううん、なんでもないです」
「・・・そうか」
真白は自分でも何を言おうとしたのか解らなかった。
ただ、なぜか真白は紅音よりもイヴに嫉妬している。
それがどうしてなのかは彼女自身にも解らない様だった。
そしてイヴの意識が葉月へと意識が交代していく。

7月18日(金) PM17:22 雨
1−3教室前、廊下

私は確か神無蔵さんに呼ばれて廊下に出てきたはずだ。
でも目の前の彼女は困った顔をしてる。
まだ何も話してないと思うんだけど・・・。
「あの・・・」
「あ、葉月ちゃん?」
「え?」
なんで疑問形なんだろう。
それに神無蔵さんはどこかすねたような顔をしていた。
「私・・・凪さんの所行って来ます」
「え、あ・・・でも」
もう走り去っていってしまった。
神無蔵さん、凪さんの部屋の鍵持ってるのかなあ・・・。

7月18日(金) PM18:32 雨
寮内・凪と紅音の部屋

結局、紅音さんと一緒に私達は部屋に来ていた。
部屋の中は朝に慌ててきた時のままだった。
紅音ちゃんのパジャマなんかがベッドの所に引っかかっている。
床には雑誌やら音楽CDなんかが散らばっていた。
生ゴミが見あたらないのが唯一の救いだろうか。
紅音ちゃんはどうやら綺麗好きとは対極に位置しているようだ。
凪さんが几帳面な人じゃなかったら、
この部屋は腐海になってるんだろうな・・・。
だって紅音ちゃんはこの惨状を見ても平気な顔をしてる。
「この部屋って、いつも凪さんが片付けてるんですか?」
「まあ、あははは〜っ・・・でもいつもよりキレーだよ」
私と神無蔵さんはお互いの顔を見合わせた。
これでも綺麗な方なんだ。
足下のCDを踏んでしまわないように腰を下ろす。
「あっ・・・そのCDっ!」
「えっ!?」
「探してた奴だったんだぁ〜っ。
 良かったぁ・・・久しぶりだねスレイヤー」
そんな事を言いながらそのCDを抱きしめる紅音ちゃん。
だけどそのCDのタイトルは悪魔の鎮魂歌と書いてある。
パッケージには男の人が不気味に佇んでいた。
「これねぇ、悪魔を呼ぶメロディを使ってるんだって」
「・・・そ、そうなんだ」
私はそう言う事しかできなかった。
この子は悪魔絡みの物にしか興味を示さないのだろうか。
紅音ちゃんはおもむろにそれをプレイヤーに入れた。
するとゆったりとしたギターが流れ始める。
気にするのは止めておこう。
「あのぉ紅音さん、凪さんは私が看病して良いですか?」
「・・・え〜? 私もしたい〜っ」

瞬間――――――――――――――――――。

物凄い爆音と共にプレイヤーからワケの解らない音が流れてくる。
さっきの静かな感じとは一転して・・・これは、
スラッシュメタルという奴だろうか。
「いにしえぃっ」
紅音ちゃんが可愛い声で歌ってる。
でも凄くアンバランスだった。
さりげなく日本語詩を見てみると・・・『死の一掃バーゲン』。
そんな事が書き連ねられていた。
なんていうか、凄いジャンルの音楽だと思う。
私は紅音ちゃんに言って音楽を止めて貰う事にした。
あまり聞き過ぎるとホントに悪魔が出てきそうな気がする。
「ああっ、とにかく私は凪さんの容態を見ますからっ」
そう言って神無蔵さんは凪さんの顔を見ていた。
私はどうしよう・・・。
特にする事がない気がする。
紅音ちゃんも同じ事を考えてるようだった。
「真白ちゃんって、凪ちゃんの事好きだよねぇ・・・」
神無蔵さんの姿を見てそんな事を呟く紅音ちゃん。
確かに彼女は凄く凪さんの事を気に入っているみたいだ。
たまに同性に抱く感情なのだろうか、と勘ぐってしまうくらいに。
いまいち凪さんの容態が解っていない私達よりも、
ずっと凪さんを心配している気がする。
・・・もしかして神無蔵さんは凪さんが
今どういう状況なのか解っているのだろうか。
「あの・・・」
「・・・凪さんはこのままだと目覚めないらしいです。
 インキュバスっていう悪魔をやっつけないと・・・」
え?
凪さんが眼を覚まさない?
それも悪魔って・・・。
なんだか彼女の言う事がよく理解できなかった。
悪魔なんて言うものが現実にいるわけが・・・。
その時、はっと思い当たったのが昨日の夜の出来事だった。
あのおぞましい姿をした化け物。
あれが悪魔だとしたら、そのインキュバスだとしたら。
紅音さんがそこで口を開いた。
「インキュバスがそんな事をするなんておかしいよ。
 だってその悪魔って元々夢魔って呼ばれてるんだよ?
 夢に入り込んで悪戯するだけのインキュバスが、
 凪ちゃんを起きないようにしちゃうなんておかしいよぉ」
「解りません。でもそれは確からしいんです」
彼女の根拠がどこから来ているのかは解らない。
けれどそれは私にも信じられる情報に思えた。
何故か・・・神無蔵さんの言ってる事は正しいと感じる。
でもそうだとしても私達に何が出来るのだろう。
ただの人間でしかない私達。
悪魔を探す事も、倒す事も出来ない。
・・・そうだ。
Beriasさんなら解るかもしれない。
あの人に悪魔を払う方法を聞いてみよう。
「私、ちょっと自分の部屋に帰ります」
「うん。葉月ちゃん、またね〜」

7月18日(金) PM19:05 雨
寮内・葉月の部屋

雨が・・・止まない。
私はBeriasさんへメールを送るとベッドに寝転がる。
と、その前にスカートが皺になってしまうので部屋着に着替えた。
美玖ちゃんの姿はない。
今朝の事、謝らないといけないなあ・・・。
それに最近そっけない態度ばかり取っていたし。
眼を閉じるとそこには暗闇が広がっていた。
そう言えば昨日のゆめ。
酷く薄れきってしまったその靄の中である事を思い出した。

森に・・・あなたから西にある森林に来てください・・・

西にある森林。
私から西にある・・・森林。
確かこの学園の西に森があった。
学園の正門前から少し外れていった所にある不気味な森。
一人では絶対に行きたくない。
それなのに心臓の鼓動は少しずつ速くなっていた。
私は・・・あの森へ行こうとしてる。
今からだと8時近くになっちゃうけど・・・。
女子寮は監視の目が甘いから簡単にいけると思う。
そう、すでに私は決心していた。

7月18日(金) PM19:17 雨
学校野外・西の森林

傘を差しながら私は細い道を歩き続ける。
終わりのない様な長い道だった。
だけど不思議と迷うという気がしない。
夢で見たのと殆ど同じ道だったからだ。
辺りはぱらぱらと降り続ける雨で濡れている。
雲が覆い尽くす様に空を包んでいて月は見えなかった。
おかげで視界は悪い。
遠くに見える寮の明かりだけが辺りを照らしていた。
なぜか闇に対する恐怖は感じない。
それよりも使命感に似た何かが私を前へと押し進めていた。
そしてしばらくして、少し開けた場所に出る。
そこには夢で見たのとまったく同じ樹が佇んでいた。
「これは・・・」
さすがに疑う余地もない。
この樹が私をずっと夢で呼んでいたんだ。
でもここへ来て私はどうすればいいの?
樹は何も語りかけてくる事なんて無い。
そんなのは当たり前だ。
ただ、その予想に反して樹の辺りから声がした。
「・・・いらっしゃい、嬰児の夢に引き寄せられた人」
それは不思議な色の髪をした大人の女性だった。
ぞっとするような美しさを放つ彼女は私に向かって微笑む。
だけどそれは明らかな拒絶の笑みだった。
「あなたの友達が私の仲間に攻撃されたらしいわね」
「凪さんの・・・事ですか?」
「さあ。その人を救いたいのならここに居るべきではないわ。
 ここに奴が戻ってくる事は無いでしょうから」
確かに私は凪さんを助ける手がかりを探しに来ていた。
でもそれだけじゃない。
この樹に呼ばれてきたのだ。
そんな事をしてる場合じゃないと解ってる。
ただこの樹が私を呼んだ理由も重要である気がしていた。
「・・・あの、あなたは?」
「私も同類。夢魔のエリルと呼ばれてるわ。
 今は夢魔として何もしていないけれどね」
「どういう・・・事ですか?」
夢魔として何もしていない。
それは人の夢に入り込んでいないと言う事だろうか。
「ちょっと理由があってね。力は使わない事にしてるの。
 あなた達が見た夢は、この子の力よ」
そう言って樹を指差すエリルさん。
「樹の・・・ゆめ」
「そう。あなたや、その凪って言う子が迷い込んだゆめ。
 この樹は失くした気持ちを探そうとしてる。
 潮時なのかもしれない・・・何もかも」
彼女の行っている事はよく解らなかった。
樹が探している気持ちってなんなんだろう。
それに潮時って・・・。
彼女は樹の方を向くとさらに言う。
「早く奴・・・カリエスを倒す事ね。
 どんなにその子が夢で闘ったとしても、
 現実の奴が生きている限り眼を覚ます事はないのだから」
「はい・・・」
そう答えながらも私にはどうしても樹の事が気にかかっていた。
その樹が私に頼もうとしていた事。
どうしてもそれが凪さんと無関係とは思えなかったのだ。
でも今はそれを聞いても答えてはくれないだろう。
私はとりあえず今日は諦めて帰る事にした。

7月18日(金) PM19:56 雨
寮内・廊下

帰りがけ、私は念のため凪さんの様子を見る事にした。
「あの〜・・・」
返事がない。
もう一度呼んでみよう。
「あのぉ〜」
全く反応はない。
ノックしてみたが反応が無い。
どうしよう、紅音さんには悪いけど勝手に入っちゃおうか。
うん、入ってみよう。

7月18日(金) PM19:58 雨
寮内・凪と紅音の部屋

部屋に入るなり例のスレイヤーの音楽がかかっていた。
これのせいで聞こえなかったのだろうか。
と、ベッドの所で誰かが凪さんに何かしてるのに気付いた。
「だっ・・・誰ですかっ?」
「え、あ〜〜〜〜っ」
神無蔵さんだ。
何しようとしてたんだろう。
なんか、凪さんにキスしようとしてた様にも見える。
「あ・・・」
「は、葉月ちゃんっ!
 ・・・い、今のは違うの! あの・・・熱を、ね?」
「そ・・・そうですよね」
違うみたいだ。
なんて、こんなあたふたされて言われると信憑性が無い。
どう考えるべきなんだろうか。
人工呼吸? 違うだろうなぁ・・・。
そこにバスタオルにくるまった紅音ちゃんが出てきた。
お風呂に入っていたみたいだ。
「どうしたの〜? あ、葉月ちゃ〜ん」
彼女は髪も濡れたままでこっちに歩いてくる。
床が濡れちゃうと思うんだけど・・・。
「紅音ちゃん、ちゃんと身体拭かないと」
「あ、そうだねっ。凪ちゃんに怒られちゃう」
その時少しだけ紅音ちゃんの顔が翳った気がした。
やっぱり彼女も辛いんだろう。
いつも平気な顔してるけど・・・
一番凪さんに近いのは彼女なんだから。
「ところで真白ちゃんって、凪ちゃんにキスしようとしたの?」
「はぃっ!? ちが、違いますよぉっ」
「駄目だよぉ〜。目覚めのキスは私がするんだからぁ〜」
「え、でも・・・それは、そのぉ・・・」
そういえば今朝紅音ちゃんは堂々とキスしてた。
もしかしてキスって今時挨拶代わりなのだろうか。
アメリカナイズされてきてるのかなぁ。

7月18日(金) PM20:37 雨
寮内・葉月の部屋

私はしばらくして自分の部屋に帰ってきた。
パソコンを付けると着信が来ていたので確かめる。
Beriasさんだ。
「どうやらその人はインキュバスに
 攻撃されてしまったみたいですね(^^;)
 彼が夢の中に半身を送信している最中に妨害があると、
 そんな風に夢から覚めなくなってしまうのです。
 ええと、夢魔の基礎的な退魔法をご教授させて頂きます。
 基本的に夢魔にはウィークカラーというものがありまして、
 要は色に弱いんですね。
 掲示板の過去ログにもカキコされてたんですが、
 こないだログが吹っ飛んでしまったんです〜(T_T)
 そうすれば弱ったりはするんで、後は頑張ってください(^^;)
 それでは〜(>_<)」
後は頑張ってください。
弱らせた後にどうするかが重要だと思うんだけど・・・。
とりあえず私はパソコンを切るとベッドに寝ころんだ。
お風呂に入っていた美玖ちゃんが上がってくる。
「葉月・・・お帰り」
「あ、うん。ただいま」
「また凪の奴の所に行ってたのね?」
「・・・く、紅音ちゃんに会ってたの」
「ああ。あの凪にかしずく馬鹿女ね」
す、凄い言われ様だ。
美玖ちゃんも言い過ぎたと思ったのか、
わざとらしくせきをする。
「ま、まあ・・・あの子に罪はないわね。敵は凪のみよっ」
憎めない子というか、可愛らしい一面があるというか・・・。
美玖ちゃんと同室でよかったと思う。
なんか今更思うのもあれだけど。
「さてと、今日こそ早く寝て早く起きるのよ葉月。
 あなたが早く起きないと私も調子狂うでしょ」
「う、うん・・・」
そんなこんなで私達は就寝する事にした。

−−月−−日(金) −−:−− −−
−−−−−−

ユメ・・・
静かな世界
通り過ぎる時間の群れ
遡る・・・

私はその二人を見つめていた・・・

誰も見ていないその二人。
お互いだけを見つめたままのその二人。
「・・・あなただけのモノになるわ」
「愛してる。例え君が悪魔だって構わない」
二人は抱きしめあい、身体を重ねる。
静かな世界。
樹だけが見つめている森林で二人は愛を確かめ合った。
どこだろうと構わないのだ。
そして・・・二人の時間は永遠になる。
幾つものユメがあった。
幾つものヒトと身体を重ね合った。
でも、そのユメだけがエリルを狂わせていた。
その男だけが彼女の悪魔としての部分を切り取った。
男は花や木が好きな花屋の店員だった。
どんなに馬鹿にされたとしても、
自分の趣味を貫き通す男だった。
彼は夢魔に憑かれてユメを見た。
その時にエリルの姿に心を奪われたのだ。
そんな純粋な彼の心に触れる内にエリルは気付く。
どれだけ自分が醜い事をしていたのか。
そして人を愛すると言う事を知った。
それは至福の時間。
誰にも邪魔される事のない世界のはずだった。
だが時は・・・もっとも残酷に千切られていく。
「どうして、あなたは年老いてしまうの・・・」
「それが普通なんだ。気にする事なんて無い。
 僕ら人間は限りある生を生きてるんだから」
「・・・あなたを失いたくないわっ!」
エリルは人と悪魔の壁を感じていた。
男は少しずつ老いていく。
彼が死の淵に立った時、エリルの身体には命が生まれていた。
それは彼との子供に他ならなかった。
しかしエリルは困惑する。
自分にそんな力はないはずだ、と。
もし生まれたとしてもそれは悪魔の子。
彼が悲しむ事は想像に難くなかった。
「僕たちは・・・禁忌を越えて愛し合ったと思う?」
「そんな事ない。そんな事ないわ」
「だったら産んでほしいんだ。
 この樹の種に生命を宿して・・・」
それはどれほど身を刻む行為だったのだろう。
自分たちの子供は許されない子供。
だからその命を樹に与える。
「その樹を子供だと思ってほしい・・・。
 君は、その子を見守り続けてほしいんだ」
「嫌よっ! あなたが死ぬ時、私も死ぬ」
「駄目だ。そんなコトしたら子供はどうなる。
 せめて樹が大きくなるまでは見守ってほしいんだ」
その時エリルは生まれて初めて涙を流した。
二人は離れまいと抱き合う。
静かな世界の上で――――――――――――

・・・・・・・・・

私は何を見たんだろう。
夢の中のユメ。
果てしない時間を遡っていた。
今、いつもの森林に立っている。
悲しそうな顔をしたエリルさんもいた。
その奥にいる樹が私に語りかける。

私はもうじき枯れ果てるでしょう
忘れていた想いを見つけてしまえば・・・
それを見つければ私は樹である事が出来ないから
けれどあなたに探してほしい
ずっと失くしてしまったままの、愛を・・・

そう言うとエリルさんは私の方を見つめる。
それは嬉しそうな悲しそうな・・・複雑な表情で。

お願い。私達を放っておいて・・・

感情はバラバラになっていく。
また意識は引き戻されていく。
エリルさんは樹を枯らせたくはないんだ。
当たり前だと思う。
自分の子供を・・・殺したくないだけ。
でもあの樹は知りたがっていた。
自分が生まれてきたわけ、その時のエリルさん達の感情を。

7月19日(土) PM13:45 雨
学校野外・西の森林

静かな森の奥で佇む樹。
私はなぜここに来たのだろう。
傘を差して、わざわざ雨の中を歩いてきてまで・・・。
それに夢魔はここにいないと言われたのに。
でも念のため、緑色のノートを持ってきた。
「やっぱり来てしまったのね」
エリルさんだった。
一日しか経っていないのにこの人は凄く身近に感じられた。
彼女の思う事、護るモノを知ったからだろうか。
どれだけ素晴らしい人・・・悪魔だと解ったんだ。
「この子には知るべきじゃない感情がある。
 あなたにも解るでしょう。あの夢を見たのなら」
「知るべきだと・・・私は思います。
 それが、この樹の望みなのだと、したら・・・」
「貴方に見せたのは・・・失敗かもしれないわね。
 ・・・どっちにしてもこの子は私が見守ると決めた。
 この子を護る為なら、私はなんだって厭わないわ」
それは本気の表情。
母が子を想う慈愛の顔だった。
確かにそれは正しいと思う。
でもそれは本当に・・・ううん、解らない。
この樹の願いを叶える事が正しいのか、私には解らない。
その時、意外な所から声がした。
「エリル。お前がそんな人間に毒されてたとは知らなかったぜ。
 いつも人間の姿して・・・道理でこの樹を大切にしてると思ったよ。
 それに夢魔として何もしてない事、知らないと思ったか?」
樹の陰から現れたのはあの化け物だった。
醜い口元の様な部分をゆがめている。
多分笑っているのだと思う。
そしてゆっくりと樹に寄生する様に張り付いていった。
「お前らが枯らさねえなら、俺が枯らしてやろうか?」
「カリエス・・・貴様っ!」
「おおっと、動くなよ。お前の行動はそうじゃねえ。
 夢魔として男から精液を集めてこいよ。
 そして女に悪魔の子を産ませてくるんだよ!」
カリエスという化け物はそう言って樹の枝をへし折った。
痛みが、心に流れてくる。
苦しい・・・傷つけてほしくない。
それ以上、樹を傷つけてほしくない・・・!
「くくっ・・・俺も優しいよな。
 この樹を枯らしちまう事なんか造作もないのに、
 エリル、お前にチャンスをやろうって言うんだからよぉ」
この距離じゃノートなんて投げても当たらないだろう。
せめて緑のボールを持ってくるべきだった。
いや、あの触手・・・あれに阻まれて当たりはしないか。
エリルさんは唇を噛みしめていた。
血が出る程・・・噛みしめていた。
「その子を離してっ!」
「ふん。だから違うって言ってるだろ?
 すぐさま精子を集めて来いって言ってるんだよっ!」
愛した人に操を立てたエリルさん。
化け物の言う事を聞くって言う事は、
その人を思えば思う程に辛い事だと思う。
けど、私のそんな想像はあっさりと破られた。
「・・・解った。解ったから」
彼女の愛は私のちっぽけな概念をうち砕く。
違うんだ。
全てを捨ててでも護りたいと・・・そう思ってるんだ。
あの樹だけが彼女の全てだから?
愛する人の残した子供だから?
その為なら何をも厭わない。
エリルさんが言った事は本当だった。
私はこの化け物が許せない・・・!
彼女の人間らしさを利用して、母親としての部分を利用して・・・。
意識が薄れていく。
でも私はそれを受け入れた。
心の何処かにいるもう一人の私が言っている。

奴に、絶対なる粛正を与えると・・・!

7月19日(土) PM14:13 雨
学校野外・西の森林

葉月は静かにその変革、イヴを受け入れた。
彼女とイヴの意志が一つになっていく。
主導権はイヴだ。
葉月は身を任せて意識の底へと沈んでいった。
未だかつて無い程にイヴに力が沸いてくる。
彼女にとって不思議な感覚だった。
目の前の光景を見て、イヴも怒りを感じていたのだ。
それが彼女の女性の部分だとは気付いていないが。
瞬時にその場から移動する。
その動きはカリエスに目測できない程に速かった。
疾風の様に樹の下へと回り込んでいく。
「な、この女・・・なんだっ!?」
「貴様の声を聞くのも苦痛だ。祖の元へ滅せよっ・・・!」
手の平をカリエスへと向けた。
カリエスはぎりぎりの動きでそれをかわす。
だがそれを黒い炎が追っていく。
それは手動で追尾する炎。
常に黒い炎を象在、つまり出し続けている。
今までのイヴでは不可能だった具現化の高等技術だった。
「馬鹿なっ! こんなっ・・・道連れにしてやる!
 この樹も道連れにしてやるぜ、ヒャハハハハッ!!」
黒い炎がカリエスを焼き尽くすより僅かに速く、
樹を枯らす術が完遂する。
「ぐっ、があああああっ!!」
断末魔の叫びを上げながらカリエスが消滅する。
悪魔としては下等に属する夢魔。
そんなカリエスが黒い炎を浴びるという事、
それは魂の消滅に他ならない。
夢魔、カリエスは確かに消滅した。
だが樹は急速に枯れ始めている。
普通の場合なら術者の死によって術は解けるはずだ。
しかしその術はあまりにも簡単すぎた。
故に、死してなお解けない様に出来ているのだ。
「ああっ・・・私の子供が、枯れていく・・・」
「・・・すまない」
イヴは長い悪魔との闘いの中で、初めて悪魔に謝った。
なぜだかは解らない。
だがイヴは思ったのだ。
彼女は悪魔である前に、尊敬に値すると。
その強い母の姿にそう思ったのかも知れない。
「これも何かの因果ね。私がこの子を抱くのもこれが最期・・・」
エリルは静かにその樹を抱きしめた。
彼女の腕では到底抱きしめる事の叶わない大きな樹。
だがその愛は樹を暖かく包み込んでいた。

お、母・・・さん?

イヴにはそう聞こえた気がした。
静かな抱擁。
世界が止まった様にさえ思える時間。
ゆっくりとエリルは力を放出し始める。
淡い光を放ちながら。
「・・・ねえ、あなたには解るかしら。
 私が死んだとしたら・・・あの人とまた会えるの?」
「・・・・・・」
悪魔が死んだ後、どうなるか正確にはイヴも知らない。
彼女の役目はただ悪魔を滅する事だからだ。
だがイヴは答える。
「・・・ああ」
「そう。じゃあ私、悔いなんてないわ。
 ・・・あの人に会ったら、この子の事を自慢するかな」
エリルの表情は本当に優しいものだった。
死ぬ事に対する畏れなど微塵もない。
本当に、幸せな笑顔だった。
少しずつ光は樹を包み込んでいく。
そしてエリルの身体は光の粒になっていった。
彼女は命を賭して樹の生命を蘇らせる。
イヴはまるでそれが母と子の抱擁の様に見えた。
上限のない温かさ。無償の愛。
彼女は自分の全ての力を使い、樹の生命力を後押しする。
見る見るうちに樹は緑を取り戻していった。
樹は愛を知る。
だが枯れる事はなかった。
全てを越えた、母の愛に護られているのだから――――――――

7月19日(土) PM14:54 曇り
学校野外・西の森林

いつの間にか雨が止んでいた。
エリルさんがいない。
あの化け物もいない。
・・・なんとなく何が起こったかは解っていた。
あの化け物は死んだんだ。
そして、エリルさんもいなくなってしまった。
心の何処かがズキッと痛む。
「よかったんだよ、ね・・・」
ふと、私は目の前の樹にそう呟いていた。
あの人は愛しい人の元へ行ったんだ。
笑顔で彼女の事を思えるはずなのに・・・何故か涙が止まらない。
エリルさんは幸せだったんだ。
泣いたりしたら失礼だと思う。
だけど涙は止まってくれなかった。
気付けば空は泣く事を止めている。
なのに・・・幾つもの雫が地面を濡らしていた。
樹は何も言わない。
でも全てを知った樹はエリルさんを愛するのだろう。
たった一人の母親を。
自分に愛を注いでくれた大切なヒトを。

7月19日(土) PM15:09 曇り
寮内・凪と紅音の部屋

急いで凪さんの部屋に走ってきた。
凪さんはまだ目を覚ましていない。
神無蔵さんと紅音ちゃんは凪さんのベッドにいて、
何か騒いでいるみたいだった。
「ど、どうしたんですか?」
「今ね、凪ちゃんが目を覚ましそうになったのっ!」
「そうなんですっ! 今、目が動いたんですっ」
私も凪さんの顔をじっと見てみる。
・・・綺麗な寝顔だ。
二日間ずっと寝ているとは思えないくらいに綺麗な顔。
もしかして紅音ちゃんが綺麗にしてたのだろうか。
と、ゆっくり凪さんの頭が動き始める。
「ん・・・う〜ん・・・」
「凪さんっ!」
「・・・え?」
凪さんは目を覚まそうとして、また目を閉じた。
私達三人の顔が目の前にあったからかもしれない。
「な、なに? どうしたの、三人とも・・・」
「凪ちゃ〜んっ!!」
「凪さぁんっ!」
紅音ちゃんと神無蔵さんが凪さんに抱きつく。
それも思い切りの良いダイビングだった。
凪さんは戸惑いながらも嬉しそうな顔をする。
「・・・そっか、おれ・・・私、夢を見てたんだ」
「起きないかと思ったよぉ〜」
紅音ちゃんが凪さんにすりすりしてる。
神無蔵さんはそこまでは出来ないみたいだった。
まあ、普通は出来ないと思う。
「どんな夢を見てたんですか?」
そんな事を神無蔵さんが聞いた。
凪さんは困った様に笑う。
「覚えてないの。でも、悲しい・・・夢」
夢、か。
私が見た夢を誰と見てたのかは解らずじまいだった。
でも・・・多分、凪さんなんじゃないかって私は思う。
「そういえば凪ちゃんねぇ、劇の主役になったみたいだよ」
「はい?」
「なんか学年全体でそれがいいって話になったんだって」
凪さんは愕然としていた。
言われてみればそんな話もあった気がする。
でも紅音ちゃんも唐突な子だなあ・・・。
紅音ちゃんの応援とは別に、凪さんは頭を抱えていた。
私はふと凪さんに聞いてみる。
「あの、本当にどんな夢か、思い出せませんか?」
「・・・うん。それが、彼女の願いだから・・・」
そう言って凪さんは一筋の涙を流した。
「どうしたの? 凪ちゃんっ」
「凪さん、どこか痛むんですか?」
「ううん・・・なんでもない。何でもないから」
紅音ちゃんや神無蔵さんの心配をよそに、
凪さんは涙の理由を決して語ろうとしない。
ただ静かに微笑むだけだった。

7月19日(土) PM16:29 曇り
寮内・葉月の部屋

私は部屋に戻ってくるとパソコンをつける。
そしてBeriasさんへのお礼のメールを打ちながら考えていた。
母親としての生を全うした事。
愛する人の所へと逝けた事。
あの人はやっぱり幸せに生きれたんだろうか。
今の私には解らない。
きっといつか答えが出るんだと思う。
子供が出来て・・・私が母親になった時に。

いつしか、人は自分の人生を振り返る
そこに正しいか間違っているかなんて関係はない
ただ懐かしさと感慨をもって振り返る
そうやってまた、答えのない道を歩き続けるのだ

仄かな恋と別れを胸に、凪の受難の日々は続いていく――――――

 

 Chapter19に続く