Back

インフィニティ・インサイド

著作 早坂由紀夫

Chapter48
「因縁。二つの闘い」


10月12日(日) PM12:09 晴れ
万魔殿・屋上

紅音の唇がそっと動いた。
「あの三人は失敗したみたいね」
その言葉から彼女が二人の事を知らないと気付く。
凪は視線を落として言った。
「クランベリーとクリアは・・・死んだよ」
「・・・そう。あなたが殺したの?」
「ううん・・・天使」
ありのままを凪はリヴィーアサンに告げる。
それが凪にとって礼儀の様な気がした。
リヴィーアサンは少し視線を虚ろがせる。
それ以上は悲しもうとはしなかった。
何も彼女にもたらさないし、
彼女には悲しむ事が許されていないからだ。
少なくとも今、彼女には目的がある。
だから悲しんでいる様な暇はないのだ。
自分を出来る限り冷たく張りつめていく。
そうする事で死んだ者に報いようとするのだ。
「あの子達の為にも私と一緒に闘う気はない?」
「出来ない。私は・・・紅音を助けに来たんだ」
目を閉じて凪はそう言い放った。
その決意は表情に表れている。
だが、勿論リヴィーアサンも諦める気はなかった。
「・・・出来れば手荒な真似はしたくなかったけど、
 全ては運命なのかしら。仕方ないわね」
紅音の身体を持っている彼女は、
凪が本気で闘えないのを知っている。
ゆえに彼女が圧倒的な優勢だった。
そして、こと闘いに関しては凪に分が悪い。
ポテンシャルでは上回っているが、
現在の力では差が大きいからだ。
加えてリヴィーアサンには闘いの勘や慣れがある。
それも差を広げる要因となっていた。
彼女は緩やかなカーブになっている屋上を端へと歩いていく。
ある程度の距離を取ると再び凪の方を向き直した。
「凪ちゃん、あなたが今している事は・・・
 本当にあなたがすべき事なの?」
そんな声と同時にリヴィーアサンの手が輝き始める。
凪がその手の先に圧倒的な力を感じた時には、
すでに凪の身体は彼女の方へと吹き飛ばされていた。
さらにリヴィーアサンの位置を越えて屋上の端を越える。
凪が見下ろした場所には、
広大なコキュートスの大地が広がっていた。
高さにすれば目測で約50m程はある地上との距離。
そのまま落下すれば凪が死ぬのは目に見えている。
その時、凪はアルカデイアで
空を飛んだときの事を思い出していた。
(あの感覚をもう一度・・・頼むっ)
凪の周りに風が集まっていく。
それは前に空を飛んだ時とは違う感覚。
だが凪の身体にかかる重力を軽減して、風で浮かせる。
「やはりルシードの力は本物ね・・・。
 覚醒の度合い、成長性共に申し分ない。
 でもどうやって私を傷つけるのかしら?」
「それは・・・」
どうする事も出来ない。
凪にとって紅音の身体を傷つけるという選択は、
出来るだけ選びたくない物だった。
「まあ、あまりつまらないのもあれだわ・・・。
 例えば私がこの身体で何したか知ったら、
 私に対する殺意も湧いてくるかも知れないわね?」
「なっ・・・それ、どういう事だよ!」
思わず女言葉も忘れてリヴィーアサンの言葉を待つ。
彼女は唇をつり上げて、抱きすくめる様に両腕を重ねた。
「さて・・・私が現象世界でやってた暇つぶし。
 どこから聞きたい? 最初の男から・・・」
リヴィーアサンの言葉は途中で止まってしまった。
紅音の身体に強烈な一撃が加わったからだ。
凪の姿が一瞬でリヴィーアサンの眼前に移動し、
腹にボディブローを決めている。
インパクトの瞬間になんとか衝撃吸収膜を具現していた。
だがそれでも凪の攻撃を殺しきれずに、
リヴィーアサンの身体はくの字に折れ曲がる。
凪は彼女の言葉に憤りを感じるより早く身体が動いていた。
「あぐっ・・・やるなぁ、凪ちゃん」
そんな紅音の声色で凪は我に返る。
そうやって一時的に隙が出来た凪を、
リヴィーアサンは具現強化した右手で思い切り叩いた。
「こんな冗談を本気にする辺りは、
 まだまだ可愛いものだけどね」
凪は屋上のカーブを転がりながら落ちていく。
そのまま凪の身体は宙へと投げ出されていった。
なんとか落下速度が上がっていく途中で身体を起こすと、
風を掴んで凪は屋上へと上がっていく。
「紅音っ・・・」
未だ紅音の意識が戻る様子は無かった。
それどころか少しずつリヴィーアサンが
紅音の身体に馴染んでいる感覚さえ凪は感じていた。
それを見ている内に、最後の選択が頭にちらつく。
(・・・紅音を、殺す・・・のか?)
これ以上凪が迷っている時間はなかった。
リヴィーアサンと闘うなら闘うべきだし、
紅音を救うつもりならそうしなければいけない。
「くおんっ、目を覚ましてよ!」
「無駄よ。紅音には聞こえていない。
 あの子は今、思い出の中の凪ちゃんと一緒。
 これからも・・・それは変わらない」
リヴィーアサンは小型の隕石の様な物を具現すると、
それを凪めがけて投げつけた。
凪はたたき落とそうかと思ったがとりあえず右にかわす。
小隕石はそのまま屋上を突き抜けて、
万魔殿内部へと消えていった。
リヴィーアサンは微笑みながら小隕石を無数に具現する。
凪にとって見ればそれは厄介な物だった。
速度はかなりの物で、勢いに乗ったそれをかわすのは困難だ。
故に凪は小隕石が具現された瞬間、
落下方向と速度をギリギリながらも予測して避ける。
だが数が増えていく内それは至難の業になっていく。
「くっ・・・」
かわしきれずに一つの小隕石に衝突しかけた。
凪はそれを渾身の力で払いのける。
両手は無意識のうちに具現による強化が施されていた。
それでも払った凪の手には重い圧力がかかる。
全力でもってなんとかそれを払う事に成功した。
しかしその瞬間、リヴィーアサンはすでに隣で笑っている。
「凪ちゃん、隙がありすぎて馬鹿馬鹿しくなりそうよ」
振り向き様に掌底が凪の腹に直撃した。
そこから流れる様な顎への一撃。
軽く凪の身体が浮き上がる。
顎を叩かれた事で軽く脳を揺らされ、
身体が反り返ってしまっていた。
そこへさらに掌底の形を作ったままで衝撃波を発生させる。
為す術もなく凪は一回転して屋上を転がっていった。
屋上の端で止まったので落ちてはいない。
だが凪の身体は徐々に限界が近づいていた。
それでも凪は立ちあがろうとするが足腰がふらついてしまう。
「あ〜あ〜。もう止めようか、凪ちゃん死んじゃうよ?」
あざけり笑う様にリヴィーアサンはそう言った。
実際の所、彼女と凪の差は歴然としている。
なお油断する素振りも見せないリヴィーアサン。
それが凪にとっては明らかな絶望に思えていた。
リヴィーアサンは凪に近づいていく。
思わず凪は風に乗って上空へと下がってしまった。
「・・・折れかけてるわね。
 今、あなたは下がってはいけなかったのに」
「え・・・?」
「あなたは何があっても下がってはいけなかった。
 なぜなら・・・それこそが強い意志だからよ」
それは確かな事だった。
凪は心が折れかけていたのだ。
勝ち目が薄いと、紅音を救えないと思い始めていた。
だから凪は後ろへと下がってしまった。
少しずつ凪の顔は焦りへと変わっていく。
どう行動すればいいのか解らない。
(こんなんで、紅音を救えるのかよ・・・。
 ここまで圧倒的だとは思わなかった。
 俺・・・少しは互角に戦えるなんて、勘違いしてたんだ)
両拳を握ってみるが手には嫌な汗をかいていた。
本能的に凪は彼女を畏れ始めてしまう。
「そろそろ私と一緒に闘う気になってきたかな?」
悠然と凪の前に佇むリヴィーアサン。
凪が本気で攻撃できないのを知っているが故の事だ。
それでも油断するわけでもない。
仕掛ければあっさりかわされるのは目に見えていた。
そうしてお互いが立ちつくしたままかと思うと、
さらにリヴィーアサンは凪に近づいていく。
いつしか二人とも空中に浮かんでいた。
「っ・・・!?」
驚くよりも早く、リヴィーアサンは凪にキスする。
腕を背中に回して目を閉じながら、
舌も入れて凪の口腔を舐り回した。
凪はいきなりの出来事に戸惑いを隠せない。
だがしばらくその状況が続く内に凪は気付いた。
(リヴィーアサンは・・・俺を懐柔しようとしてる、のか・・・?)
その瞬間、彼女の表情が困った様な笑顔に変わる。
「凪ちゃん・・・そんなに怖い顔しないで、ね?」
「っ・・・!?」
声色、表情、仕草、全てが懐かしい紅音の物に変わった。
身体が浮き立つ様な感じに包まれる。
そんな感覚を覚えながら凪は身を任せそうになっていた。
コキュートスに吹く風が二人を通り過ぎていく。
空に広がる灰色が世界を悲しみで彩っていく。
すでに恐怖は微塵になって消えていた。
変わって凪を支配するのは愛おしさ。
さすがに凪は目の前の紅音が幻である事は解っている。
しかし凪はそんな幻を抱きしめようとしていた。

10月12日(日) PM12:13 晴れ
万魔殿・三階大広間

一方、万魔殿内部三階の大広間。
中央に階段があり左右に二つずつドアがある。
支柱にはヒビが入っていて、辺りは所々破壊の跡があった。
そんな大広間を飛び回る二つの影。
イヴを追う形で攻撃しているリリス。
それを避けながら黒い炎を具現するイヴだ。
「いい加減に潰れて死になさいっ!」
「・・・くっ、相変わらず悪趣味な能力だ」
リリスの手の先にある柱や床や階段の手すり。
それらは過負荷によって圧縮されていく。
辺りにはゴリゴリという異常な音が響いていた。
左右へ機敏に動きながらイヴは黒い炎を具現する。
だがあっさりとそれはリリスに消火されていた。
「ふっふ〜ん。現象世界ならいざ知らず、
 ここでそんなものが私に通用するとでも思ってるの?」
にやにやと笑いながら走る事を止めるリリス。
それを見て思わずイヴの動きも止まっていた。
劣勢を感じ取ったのもある。
イヴにとって主砲とも言える黒い炎。
それが効かないとなれば手は殆ど残されていない。
唯一の勝機と言えばイヴの成長を
リリスが知らないという事だ。
両手を具現強化して直接的に攻撃する方法。
上手い形で決まればリリスとはいえ無事では済まない。
だが逆にそのリリスだからこそ近づく事自体が困難だった。
近づけば間違いなく雑巾を絞る様にあっさりと殺される。
しかしイヴにとって可能性のある選択ではあった。
リリスの攻撃をかいくぐる事は不可能ではない。
かなり危険ではあるが可能性はあくまで五分だった。
ただ、それはイヴが防御に徹した場合だ。
まともに闘えば勝ち目は五分よりも下回る。
つまり彼女にとって選択肢は一つ。
(奴の攻撃をかいくぐり・・・身体に風穴を開けてやる)
そう意気込んだ瞬間。
不敵にリリスが微笑んでいる事に気付いた。
「もう、ここでのイヴの力はよ〜く解ったわ。
 その黒い炎が恐れる程ではないという事もね」
「だったら・・・どうだと言うのだ」
「つまり、手っ取り早く殺す方法があるって事よ」
右手を高らかに掲げリリスは祈る様な体勢を取る。
左手はその右の肘をカバーする様に押さえていた。
すると彼女の中心に薄い膜の様な物が出来始める。
立体の円状になっているそれは、
まるでバリアの様にリリスの周りを取り囲んだ。
「・・・なんのつもりだ? 身でも守る気か?」
「くくっ・・・馬鹿言わないで。
 これがなんなのか目を凝らしてよく見てみなさい」
その円は徐々に大きく膨らみ始めていた。
イヴはその時恐ろしい事に気付く。
円状のそれが広がった時、
床の接地部分が抉れていったのだ。
見せつける様にリリスは目の前の支柱に触れる。
すると彼女の手が触れる前に円の膜が支柱を破壊していた。
リリスが得意とする圧縮の力が凝縮された膜。
形ある物全てを破壊するその膜にイヴはぞっとする。
最終手段として考えていた直接攻撃も不可能だからだ。
イヴがリリスに触れようとすれば、
たちどころにイヴはその膜の餌食になるだろう。
もしも触れれば身体が捻れ、圧縮され、ひしゃげて潰れる。
彼女の立てていた作戦は崩れ去ったのだ。
それはつまり、イヴが勝つ手段が消えた事を意味する。
「ふふふ・・・顔が青ざめてるわよイヴ。
 あなた、もしかして死ぬのが怖い?」
「ふざけるな。私に畏れなどはない。
 それに私は・・・死にはしないっ」
だがリリスの言う事は半分当たっていた。
イヴはここで死ぬ事は出来ないと思っている。
凪と約束したからだ。
(そう・・・死ぬわけにはいかないんだ)
必死で活路を見いだそうとするが何も浮かばない。
それどころかイヴは自分が潰れて死ぬ感じさえしていた。
想像力の闘いにおいてそれは死に近い。
負のイメージは想像力を鈍らせるからだ。
「イヴ、これで最期ね。ミンチにしてあげるわ」
円状の膜はなおも肥大していく。
それは部屋全体を包む勢いで大きくなっていた。
(このまま何もしなくても、いずれ逃げ場はなくなる。
 ふっ・・・コレはいよいよ勝ち目が薄いな)
イヴはじりじりと後退させられていく。
それを見ながら悠然とリリスはイヴへと歩き始めた。
そんな時、生と死の瀬戸際にイヴはふと考える。
(凪は上手くやったのだろうか・・・あいつは・・・。
 かあ様が相手だ、そう上手くはいかないだろう。
 だが・・・凪なら紅音を救える。そんな気がする)
駄目元で衝撃吸収膜を張ってその膜に触れようとした。
しかしあっさりと衝撃吸収膜は破壊され、
イヴの手は弾かれてしまう。
「ぐっ・・・」
(・・・これを防いだり破壊するのは不可能か。
 せめてと思ったんだが・・・厄介なものだ)
そうして下がろうと後ろを見ると、背後はもうすぐ壁だった。
迂回しようとするがリリスの張った膜に阻まれ、
どうする事も出来ずにただ下がっていく。
遂にそれ以上下がる事が出来なくなっていた。
膜との距離は約2mほど。
背後の壁を破壊するという選択肢もある。
だが破壊できる壁なのかは疑問だった。
ふとイヴは足下を見やると軽く片足で床を踏み鳴らす。
(床は・・・薄い。下の階に逃げるという手もあるか。
 しかしそれでどうする?)
その膜の対策を講じない限り、
結局イヴが殺されるのは目に見えていた。
その時、イヴの脳裏にある光景が思い起こされる。
インフィニティに来た時の事だ。
そう、それもソネイロンと闘った時の事。
(・・・そうか。それならば・・・手は無くもない。
 ただ私の推測が間違っていれば・・・
 待っているのはあっけない死、だ)

Chapter49へ続く