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インフィニティ・インサイド

著作 早坂由紀夫

Chapter46
「離傷−ワカレノキズアト−」


10月12日(日) AM10:30 晴れ
インフィニティ第一階層・コーサディア・灼熱の丘

しばらく歩いていくと途中でカシスが目を覚ました。
ぽけ〜っとしながらも徐々に状況を確認している。
「・・・あれ、どうしてルージュがいるの?」
「色々事情があるのだ」
「私は凪とせっくすしてたはずなの」
「な、な・・・なんだと!?」
とんでもない事を言い出すカシス。
カシスと俺を交互に見るとイヴは固まってしまった。
「・・・まったくタチの悪い冗談は止せ!
 こんなに女らしい顔立ちをした男がどこにいる!」
「ここにいるの」
そう言ってカシスは俺を指差した。
俺はとりあえず微笑んでおく事しか出来ない。
「凪も何か言ってやれ。言われのない中傷だぞ。
 幾らカシスが男女を見分ける事が出来るとは言え、
 見た目でこれだけ女性らしいお前が男のはずは無い。
 つまりカシスが嘘をついてるんだ。そうだろう?」
「・・・私、別に嘘ついてないの」
まるでイヴは自分に言い聞かせる様にそうまくしたてた。
カシスは寝起きにしてはそれに冷静に答えている。
するとイヴは混乱した様に俺とカシスを交互に見た。
「凪、説明するの。ルージュが私の事を信用してくれないの」
むすっとした顔で俺を睨みつけるカシス。
さて、どうしたものか・・・。
けど・・・丁度良い頃合いかも知れないな。
やっぱりイヴには俺が男だという事を言った方が良い。
一度は言おうと決心したわけだし。
イヴが俺を見てきたのでとりあえず肯いて言った。
「今まで黙ってて・・・ごめん。俺、男なんだ・・・てへ」
なるべく可愛く振る舞ってみる。
するとイヴは凄く驚いた顔でカシスの後ろへと後ずさった。
それこそ脱兎の如く。
「ちょっ・・・いきなりその反応は無いだろ」
思わずそんな事を言ってしまう。
紅音への態度とはえらい違いだな・・・俺。
「おま、お前が男だとしたら、
 あの時私は男にあんな姿をさらしたという事か・・・?」
「ぁ・・・」
そういえばイヴが一人でしてたのを見たんだった。
イヴは顔を真っ赤にして俺の事を睨んでいる。
恥ずかしさと怒りが半々って所だろうか・・・。
・・・まさかとは思うけど、燃やされたりしないよな。
そんな風にギクシャクする俺達をよそに、
カシスは不思議そうな顔をする。
「所で、クランベリーとクリアはどこなの?」
「・・・・・・」
無言で黙り込んでしまうイヴ。
あいつらはすぐに合流するって言ってた。
クリアの事は知らないがクランベリーは結構強い。
そう簡単にやられたりはしないと思うが・・・。
しばらくしてイヴは仕方ないといった感じで口を開いた。
「お前達が連れてきた喫茶店の辺りで、
 天使達を・・・足止めしてくれている。
 その間にカシスは私達をリヴィーアサンの所へ・・・」
「ちょ、ちょっと待つの!
 なんかおかしいよ、ルージュの顔・・・おかしい」
そう言われてイヴの顔を見てみる。
その時、俺は嫌な悪寒に襲われていた。
イヴの表情はいつになく張りつめている。
涙を堪えている様にすら感じた。
「まさか・・・そ、そんなはずないの!」
すぐさまカシスは凄いスピードで走り始める。
「ま、待て、行くな・・・!」
イヴもそれに付いて慌てて走りだした。
どこかイヴの表情は後ろめたい様にも感じられる。
俺は嫌な汗をかき始めている自分を落ち着かせながら、
そんな二人の事を追って走っていった。

10月12日(日) AM10:42 晴れ
インフィニティ第一階層・コーサディア・灼熱の丘

あっという間に俺達は喫茶店があった辺りにやってくる。
そこには何も残っていなかった。
喫茶店の面影も残ってはいない。
もしかすると俺が放った火のせいで燃えたのかもな。
辺りにはどこか戦争の跡の様な雰囲気があった。
そこで俺は少し遠目に倒れている人影があるのに気が付く。
なぜ気付いたか。
それは・・・そこに棒の様な物が立てられていたからだ。
すぐさまカシスはそこへと走り込んでいく。
「行くなっ!」
止める様にイヴも走っていった。
俺もつられて走っていく。
近づくにつれて俺は愕然とした思いを
抱かずにはいられなかった。
カシスも、イヴも、俺も、何も言葉を発する事が出来ない。
倒れていたのはクリアとクランベリーだった。
それもトレードマークであるローブは、
下着と共にびりびりに破かれている。
体中には精液がびっしりと付着していた。
髪、顔、曝されたままの胸、腹、そして傷口に至るまで。
二人は涙でぐしゃぐしゃになった顔のままで・・・息絶えている。
でも表情は良く解らなかった。
悔しいのか・・・悲しいのか。
局部からも精液が漏れているかの様に溢れ出していた。
そして悪意の象徴とでもいう様に胸が十字架で貫かれている。
歪な形をしたその十字架は鮮血で真っ赤に染まっていた。
俺はそれ以上見ている事が出来なくて目を逸らしてしまう。
イヴは耐えられないといった様に、
俯いたままでへなへなと座り込んでいた。
彼女にしてみればこの二人は知り合い・・・なんだよな。
その光景は正に墓標とでも呼ぶべきものだった。
だがその標はあまりに悪意に満ちている。
「クリ・・・ア、クランベリー!」
カシスは二人の手を取って叫ぶ。
だが・・・返答はなかった。
そして少しすると二人の身体が崩れて灰になっていく。
光がさして、灰はさらさらと綺麗に流れていった。
「やだ、やだっ! クランベリーッ!! クリアッ!
 こんなのって・・・こんなのって・・・!」
溢れる涙を拭おうともせずに、
カシスはその灰を掴もうとした。
しかしそれは頬を掠めるだけで消え去ってしまう。
空を切る様に灰を救おうとしてカシスは地面に倒れた。
「こんなのってないよ・・・ずっと一緒だって、言ったの。
 またリヴィ様と、私と、クリアとクランベリーと・・・
 それからルージュと5人で暮らそうって・・・約束、したのに」
その姿は痛々しくて・・・見ていられなかった。
へたり込む様にカシスは力無く座り込んでいる。
あまりにも当然と言った風で目の前の光景は存在していた。
しばらくの間カシスとイヴはその灰の流れる先を見つめる。
息をするのも辛そうに泣き続けるカシス。
ただ目の前を呆然と見つめるイヴ。
だが少ししてイヴはふと呟いた。
「これが、天使の・・・する事なのか?」
「イヴ・・・」
「二人が出ていった時、死を覚悟しているのは
 うすうす解っていた・・・だが、こんな・・・
 こんな事になるなどとはっ・・・思っていなかった・・・!」
流れ消えていく灰に視線を合わせながら、
イヴはそう歯を食いしばって言う。
「これでは悪魔も天使も変わらないではないかっ・・・!
 私は、こんな事の為に・・・闘っていたのか・・・?」
地面を両拳で力の限りに叩きつけるイヴ。
それとは別にカシスは急にすくっと立ち上がる。
そして辺りを物凄い怒りの表情で見回していた。
「うぁあああああっ! 殺してやる!
 天使共・・・絶対に許すもんか!!」
「やめろカシス!」
どこかへと走り出そうとするカシスを、
俺はただ強く抱きしめた。
カシスは俺を放そうと叩いてくる。
だが今こいつを放すわけにはいかなかった。
「放せ、放せっ! 放してよぉっ!!」
その言葉は虚しく荒野に響き渡る。
どうしようもない悲しみが沸き上がっていた。
たった少しの間だった。
敵のはずだった。
でも・・・決して悪い奴らじゃなかった。
こんな事をされるはずなんて・・・なかった。
カシスは倒れかかる様に抱きついてくると、
そのまま俺の胸に顔を埋めて泣きじゃくる。
「・・・どうして、どうし・・・っ・・・」
どうする事も出来ず、俺はそんなカシスを抱きしめていた。

 「カシスの事・・・よろしくね」

そんな最期に聞いたクリアの言葉がやけに耳に残っている。
そう、妙に懐かしく・・・しばらくの間、頭に響いていた。

10月12日(日) AM10:49 晴れ
インフィニティ第一階層・コーサディア・灼熱の丘、東

俺達三人は静かに平原を歩き続ける。
カシスが無言で先導する先を歩き続ける。
天使って・・・いったい何なんだよ。
こんな非道な事が出来ちまう奴らなのか?
悪魔相手だからって、こんな残忍になれるのかよ。
それとも、これが裁きだとでもいうのか・・・?
さっきは思わずカシスを止めていたけど、
俺だって沸々と怒りが沸き上がっていた。
だって・・・こんな事が許されるはずがない。
理不尽すぎる死。それが正しいとでもいうのか?
両手を強く、固く握りしめた。
そうしていると前方に大きな螺旋の建物が見え始める。
外はガラスらしき物が貼られていて、
中は薄く透けて階段らしき物が見えていた。
「階段・・・いや、今はエレベーターか」
「・・・うん、階層移動・・・エレベーター」
ぼそっとカシスはそう呟く。
その言葉の通り、中に入るとそこは機械の建物だった。
少し斜めに立っているエレベーターの入り口。
今更こういう形状に驚いても仕方ないので、
俺達は無言でそれに乗る。

10月12日(日) AM10:53 晴れ
インフィニティ第一階層・階層移動エレベーター

内装は現象世界で見るエレベーターと、
さほど変わっていなかった。
ただ文字が読めなくて使い方は全然解らない。
それに足下に妙な記号みたいなのが書いてあった。
カシスは入って左にあるボタンを押す。
すると床に書かれている記号が輝き始めた。
ブーンという音と共に辺りの景色が急速に変化していく。
まるで壁をすり抜けて外を見ている様な感覚。
しばらく真っ赤な炎が目の前を通り過ぎていったが、
次第に辺りは急速に白を含んだ乾いた景色に変わっていた。
第一階層とは違う凍える様な景色。
そして下へと降りていたはずなのに俺達は遥か上空にいた。
灰色と青と白が支配する景色。
下方には雪の積もった山や谷が沢山見える。
「・・・イヴ、ここが第二階層?」
「ああ。第二階層、コキュートス。
 凍結穿土の地獄と呼ばれる場所だ」
イヴはじっと眼下に映る光景を見つめ続けていた。
何かを思い出す様な、遠い目をしたままで。

10月12日(日) AM11:03 晴れ
インフィニティ第二階層・セイリア・霧の谷

階層移動エレベーターが地上に止まると、
イヴとカシスはまるで示し合わせた様に歩き出した。
南部のセイリアという地域へ進んでいるとイヴは言う。
相変わらずカシスは黙ったままだった。
辺りは真っ白な雪景色。
悪魔が立ち入らない地域なのか辺りは処女雪だ。
そんな雪原を進んでいくとしばらくして森が見えてくる。
木々は雪で埋もれ、右側には川が見え始めていた。
イヴ達の姿が少しずつ薄く霞み始める。
「・・・霧?」
「そう。ここは霧の谷と呼ばれる場所だ」
川の先には上流から落ちた水が滝になっていた。
そこから発生する霧なのだろうか。
だが辺りを包む霧は滝壺を離れてもなお辺りを包み込む。
さらに先へと進むとそこには小屋がぽつんと建っていた。
今は使われていない様な廃れた場所。
そこへと二人は歩いて入っていく。

10月12日(日) AM11:18 晴れ
セイリア・霧の谷・小屋

中は最近使われた形跡が無く、蜘蛛の巣などがはっていた。
生活臭の全くない小屋。
キッチンなどに置かれた鍋もほったらかしにされている。
「随分と汚くはなったが、変わっていないな・・・ここは」
そう言ってイヴは5つある椅子の一つに腰をかけた。
カシスはその椅子に座って初めて声を出す。
「お帰りなさい、なの・・・ルージュ。
 でも・・・二人だけに、なっちゃったね」
視線を落としたままで二人は黙り続けていた。
俺もどうしていいか解らず、とりあえず椅子に座る。
そうしているとふいにカシスが口を開いた。
「私もここに帰ってくるのは久しぶりなの。
 クリアと・・・クランベリーが、
 5人揃うまで来るのは止めようって決めてたから」
「カシス・・・」
はたと、俺は自分の目的を思い返す。
俺達は紅音を元に戻す為に来たんだ。
それはつまり、リヴィーアサンを再び封じるっていう事。
カシスにこれ以上の悲劇を味あわせるっていう事だ。
でも・・・俺はその為に来たんだ。
その事をカシスには言っておかなきゃいけない。
だが先に話し始めたのはイヴだった。
「カシス。私達はこれからリヴィーアサンを封じる為、
 万魔殿に向かう事にする」
その言葉を聞くとカシスは不思議そうな顔をする。
どこかやるせなさそうな顔でもあった。
「言ってる意味が・・・解らないの」
「私と凪は、リヴィーアサンと闘いに来たのだ」
黙り込んでまうカシス。
理解できないといった顔で俺達を見つめている。
「どうして私達が争う必要があるの?
 悪いのは天使なのっ!」
「リヴィーアサンが奪った身体は、
 俺の大切な人のものなんだ」
そうカシスに告げた。
また沈黙が辺りを包み込んでいく。
俺達は何をする事も出来ずにただ時間を浪費していく。
そんな中でイヴは静かに立ち上がると、ドアへと歩き出した。
「行くぞ、凪」
「イヴ・・・」
俺が立ちあがるより早くにカシスはイヴを止める。
「させないの・・・力ずくでも、私が二人を止めるの!」
カシスは立ちあがって構えた。
その表情は酷く悲しげなものに見える。
口から出た脅しの様な言葉も、どこか虚しく響いていた。
するとイヴはため息をついてカシスに近づいていく。
だがその時、イヴはカシスに強く抱きしめられた。
「・・・カシス」
「ルージュ、私達は・・・ずっと家族なの。
 これからも・・・例え死んでしまっても」
「すまない」
短くそう言うとイヴはカシスの首筋に手刀を入れた。
軽いうめきと共にカシスはイヴに倒れかかる。
そしてカシスを椅子に腰掛けさせると、
イヴは外へと出ていった。

10月12日(日) AM11:32 晴れ
インフィニティ第二階層・セイリア・霧の谷

霧の中を北へと歩き出す。
「私は・・・正義などは存在しないと・・・そう思い始めている。
 それに自分が必ずしも正しくないという事も知った」
イヴはそう言って拳を握り込んだ。
言いたい事は解っている。
だから俺はその続きを代わりに言った。
「それでも、俺達は正しいと思った方に進む。
 自分が信じてる事の為に闘う・・・そうだろ?」
「ふっ・・・その通りだ」
踏みしめる雪は静かに足音を作り出していた。
俺達はその上を黙って突き進む。
そう、俺が来た目的はただ一つ。
それだけは譲れないんだ。
イヴは目指す場所が万魔殿だという。
彼女が北の方角だと指差す方向に見える巨大な城。
そこに・・・紅音が居る。

10月12日(日) AM11:25 晴れ
インフィニティ第二階層・中央部・万魔殿屋上

リヴィーアサンは屋上に上がって空を眺めていた。
凪とイヴが来た事には気付いている。
もうすぐ万魔殿に来る事にも気付いていた。
そう、彼女は少しずつ苛立ちを感じているのだ。
第二階層へと下級悪魔を蹴散らしながら進む天使達。
天使達に遅れを取った事が何よりも悔しい。
そこに屋上にフォラスが上がってきた。
リヴィーアサンに命令を仰ぐ為だ。
「フォラスか。天使達は?」
「今、万魔殿に向かってきております」
(忌々しいわね・・・)
だが悪魔側にも闘いの準備は整っている。
天使の手勢を数で押し切るだけの圧倒的な軍勢は揃っていた。
「ルシードの方にはそれほど数を割かなくても良いわ。
 それよりも、天使の方よ。絶対に生かして返すな」
「・・・了解しました」
そういうと去っていくフォラス。
代わってやってきた悪魔がいた。
肩に掛からない程の髪を風になびかせ、
リヴィーアサンを見るなり彼女は微笑みを浮かべる。
親友に出会えた、とでも言う様な表情で。
彼女はリヴィーアサンに近づいていくと言った。
「久しぶりね。リヴィーアサン」
「お前は・・・そうか。
 永久回帰の地獄から舞い戻ってきたか」
「ええ。私と奴の因縁を断ちにね」
そう言うとその悪魔は笑った。
リヴィーアサンはその悪魔があまり好きではない。
イヴの天敵の様な悪魔だからだ。
「・・・手を出すな。あの二人は私の物だ」
「ふん、関係ないわ」
それだけ言うとその悪魔は翻って屋上から去っていく。
去り際にその悪魔は言った。
「そうそう。マルコも連れて行くわ。
 彼はルシードの方に興味があるらしいのよ」
悪魔が去った後でリヴィーアサンは舌打ちした。
色々な条件下の中で凪を闘わせたくない。
そう考えているからだ。
凪自身が危険だというのもある。
もう一つ、自分と会う前に覚醒されるのはまずいのだ。
ふいにリヴィーアサンは万魔殿の
中央に空いた穴から遥か下方を眺める。
そこには暗闇と巨大な扉が眠っていた。
その扉には色々な記号での封呪が施されている。
さらに巨大な錠前もかかっていた。
(まあ良いわ。紅音の身体がある限り、こちらに分はある。
 ルシファー・・・その点ではあなたに感謝したいくらいよ)

Chapter47へ続く