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朱の翼

著作 早坂由紀夫

Chapter8
「泡沫よりいづる朱」

6月18日(水) AM7:48 晴天
寮内自室

あれから、幾つかの時が過ぎていった。
いつの間にか俺はこの生活に慣れていったし、
紅音達とも相変わらず上手くやってる。
逆に、この生活が無くなる事に畏れすら抱き始めている。

―――――ついこの間までとは、打って変わって静かな日々。

だから俺は思う。
少しだけ遠のいた記憶の、あいつの事を・・・。
何度も命を失いかけた、あの日々の事を。
いつしかは薄れて無くなっていくんだろうか?
・・・そして、いつもの様にまた紅音を起こす。
「紅音、朝だよ」
「う〜ん・・・」
「紅音」
「う〜〜〜ん」
「・・・ったく」
俺は少しだけ悪戯心を出し、紅音の頬にキスをした。
「うん・・・? なんか今、ぷにゅってした」
目を擦りながら、ほっぺたに手を当てる紅音。
俺はそしらぬフリをして、自分の支度を済ませる。
「ねぇ、凪ちゃん今、何かした?」
「ん〜? さあ?」
「え? ね〜何したの?」
「秘密」
と言うより、分かっているような気もするが・・・。
なぜなら、少し紅音は慌てているからだ。
このまま行くと、禁断の世界が待っているかもしれない。
・・・それはあまりにも危険すぎる。
それはもう、途轍もなく色々な意味で。
紅音にその気が無い事を祈ろう。
「凪ちゃん、私の着替え取って〜」
「・・・まだ惚けてるみたいね」
本当に仕方のない奴だ。
俺は紅音に着替えを取ってやると、
さり気なくそっぽを向いて見ないようにする。
「そういえば凪ちゃん、生徒会長就任おめでと〜」
「え? ああ、ありがとう」
それが、俺の大問題だった。
生徒会長なんて、絶対なるはずがないと思っていたのに、
生徒の過半数が俺を推薦しやがった。
この学校へ来てから、俺の意見が通った事がない気がする。
まあ、副会長に紅音を選んでやったのが、
俺としての唯一の意見かもしれないが。
しかしこの学校は、生徒会に何をやらせる気なんだろう。
大体、生徒会バッヂがある時点で何かおかしい。
普通そんなもの無いんじゃないか?
そもそも、生徒会長を決めるのに、
投票を経て一ヶ月近くも選考するなんておかしい。
俺の生徒会長就任が決まったのは、結局一週間前だ。
そして昨日、生徒会長就任の挨拶を終えた。
それくらいしか、仕事をしていない。
「凪ちゃん、そろそろ8時10分になるよ」
「あ、うん。じゃあ行こうか」
良い事と言えば、少しは紅音が
早く起きてくれるようになった事だ。
逆に言えばそれだけしかないのだが。

6月18日(水) AM8:28 晴天
1−3教室内

「おはよ〜」
「あっ、生徒会長」
「・・・いきなりご挨拶だね、薊」
薊は、俺の隣の席で足を組んで座っている。
「そう言うワケじゃね〜よ。誉めてるんだって」
「凪はあんまり嬉しそうじゃないね」
後ろから亜樹が口を挟む。
「薊君って、いつも凪ちゃんに絡むよね〜」
「そ、そんな事は無いって」
「ははは・・・紅音、深読みしすぎだよ」
俺自身があまりその可能性を考えたくないのもあるが。
「でもさぁ、生徒会長が何するか知ってる?」
「ううん? 亜樹はしってるの?」
「大変だよ〜? 学校行事をサポートしたり、
 規律を考えたり色々」
うわ・・・うんざりしてきた。
そもそも、校長は俺の事知ってるのによく許可したな・・・。
まさか、金の力か・・・?
「そういえば、紅音は副会長でしょ?」
「え〜!? そうなの?」
・・・そういえば、その話が通った時紅音は半分寝てたな。
だが、それにしても聞いてなかったとは・・・。
じゃあ、なんで早起きしてたんだ?
「私が推薦したんだよ、紅音」
「な、凪ちゃん・・・イジメ?」
「どこをどうやったらそうなるの・・・?」
それに元々俺が生徒会長になったら、
紅音を副会長にするって言ったはずだけどな・・・。

6月18日(水) PM13:03 晴天
学校野外・公園跡

昼飯を食べる為に、いつもの公園跡に5人集まる。
もうこれは日課になっていた。
でも俺は、葉月を見るたびにやりきれない気持ちで一杯になる。
あいつは・・・憎まれ口を叩くあいつは居ない。
「凪、最近運動してないだろ?」
紫齊はまたいつもの様に、俺に運動を促す。
こいつもなぁ、普通にしてれば可愛いのに。
「そうだ、凪って頭いいよね」
と、紫齊が俺の方をじっと見つめる。
「私に勉強教えてくれない?」
「え・・・別に良いけど・・・」
「ほんと? やった!」
「でも、どうして?」
「いや・・・実は、テストの点が・・・その、悪くて」
「まさか、追試?」
「・・・うん」
紫齊。そんなに頭が悪かったのか?
「でも、私が教えるより同じクラスの葉月に
 頼んだ方がいいんじゃない?」
「あ・・・そうか」
「え、私ですかっ!? 私その・・・あの」
「お願い葉月! 私にはあんたしかいないんだよ!」
「は、はいっ」
半分押し切られてたな・・・。
葉月も可哀相に。
しかし端から聞くとヤバイ関係だと疑われかねんな・・・。

6月18日(水) PM15:33 晴天
1−3教室内

気付くと授業は終わっていて、
周りはざわつき始めていた。
いつの間に終わったのか、さっぱり見当が付かない。
もしかして、俺は寝ていたのか?
「君が・・・高天原?」
「え? あなたは?」
見た感じ、男なのか女なのか区別が付きにくい。
どちらかと言えば、水連に似て無くもない。
だが、それよりはどこか精悍な感じがする。
「俺は久保山衛二(くぼやまえいじ)。
 生徒会の役員で三年だ」
とてもかったるそうに自己紹介をする。
なんか、精悍な感じが吹っ飛んでいったな。
「そうですか。三年生なのに大変ですね」
「・・・まあな。それよりこれから役員会議だから、
 生徒会室まで来てくれ。如月って奴も連れて」
「分かりました」
用件だけ告げると、こっちを振り向かずに
さっさとその先輩は言ってしまった。
「・・・紅音、行くよ」
「え? どこに?」
「生徒会室」

6月18日(水) PM15:33 晴天
学校内三階・生徒会室

生徒会室には、沢山の役員達が参列していた。
と言うより、座って待っていた。
「では、会長が来た所で会議を始めましょう」
そう、書記らしい一人が喋った。
「まず自己紹介から始めたいと思います。
 会長、お願いします」
「・・・」
俺か、仕方ない。
とりあえず席を立ち、周りを見渡す。
「私は高天原凪。一年ですが、僭越ながら
 生徒会長を務めさせて頂きます」
という風に綺麗に締めくくった。
その後、書記みたいな男が立ち上がった。
「私は桜沢縁(さくらざわえにし)。
 二年生で、今年も書記になりました」
そしてさっきの久保山という男が立つ。
「俺は、久保山衛二。三年だ。
 会長・副会長補佐。よろしく」
なんとも簡潔な自己紹介だ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

1時間ほどして、会議は終わりになった。
今回は自己紹介と、役割の確認やこれからの日程。
それだけで終わったようだった。
「凪ちゃん、疲れたね〜」
「紅音にはキツイかもね」
「キツイよ〜」
今日はただ座ってただけなんだが・・・。
落ち着いていられないなんてガキと大差ないな。
そうやって紅音と話していると、
久保山先輩が近づいて来る。
「・・・高天原。ちょっといいか?」
「え? はあ・・・」
「凪ちゃん、私先行ってるね」
そう言って紅音は先に帰っていった。
そして、俺と久保山先輩は生徒会室で、
二人きりになってしまった。
まあ、万が一襲われても危険はないだろう。
俺は男だし。
「高天原・・・凪。俺を覚えてるか?」
「・・・え?」
「お前、凪だろ?」
「はあ、そうですけど」
「・・・俺の事、覚えてないのか?」
「ええ・・・残念ながら」
「そうか」
そういうなり、久保山先輩は俺に近づいてくる。
一体何なんだ?
俺はこんな男にあった記憶は全くないぞ。
「一人称が俺だから分からないのね。私よ、凪」
「え?」
俺を見上げるように久保山先輩がさらに近づく。
「こんなに近づいても気付かないなんて・・・。
 本当に鈍感ね。凪」
そう言って、いきなり俺にキスをしてくる。
「っ・・・ちょ、ちょっと先輩!」
マジかよ・・・!
「凪。私だよ。あなたの許嫁」
「・・・はぁ?」
「10年くらい前に一度あったじゃない」
・・・と言う事は。
「まさかお前・・・」
「そう。凪の事は全部知ってるよ」
驚き所がありすぎる。
「お前は、女なのか?」
「そうだよ。気付かなかったの?」
さっきのイメージと違いすぎるぞ。
なんでここまで女らしくなるんだ?
「で、許嫁って・・・俺、そんなの知らないぞ」
「あなたの御母様に連れられて、
 一度だけ会ったじゃない」
10年前だろ・・・そんなの覚えてるワケねえ。
「で、なんでこの学校に男として暮らしてるんだ?」
「多分、凪と一緒」
・・・校長。アンタは金の亡者か・・・?
「で?」
「でっ・・・て? だから、私と結婚を前提に付き合うんだよ」
「はぁ!? なんでだよ!」
「残念なのは、この学校にいる間は凪を女として
 好きでいるフリしなくちゃいけない事だよね」
いや、人の話を聞いてくれ。
「俺はお前と付き合う気はね〜よ」
「そんな事言ってもダメよ。凪が男だってばらすから」
「・・・!」
このアマ・・・人の弱みにつけ込みやがって。
なんて極悪非道なんだ。
「紅音ちゃんなんか、驚くかもね」
「・・・待て! お前だって、
 自分が女だってバラされたら困るだろ!」
「甘いね凪。男が女として暮らしてる方がヤバイよ」
「・・・それは、否めないけど・・・でも、俺は・・・」
「仕方ないなあ、じゃあまだ返事はいいよ。
 でも、選択権は無いって事、覚えててね」
「・・・・・・」
「後、私の本当の名前は、久保山深織(みおり)だから」
「あ・・・そう」
「紅音ちゃんによろしく〜」
「さっさと帰れ!」
・・・・・・。
久保山、か。
そう言えば、そんな奴が居たような気もする。
でも、一度あっただけで許嫁ってのはおかしいだろ。
母さん・・・あんたは俺をどうする気なんだ?

その時、ふと見上げた空は――――とても朱かった

いや、眩いばかりの羽根を広げて飛び去っていった

あれは・・・悪魔? それとも、天使?

俺は不安と少しの期待を交えながら、
ただ誰も居ない生徒会室に佇んでいた。
驚きのあまり、声もない。

そう、またやって来たんだ。

静けさとともに・・・人とは相容れない者達が。

6月18日(水) PM17:18 晴天
寮内自室

部屋に帰ってくると、紅音達から質問攻めにあった。
「久保山先輩と凪が生徒会室で二人きりでしょ?
 何もないはずがないって!」
一番そんな事を言いそうにない紫齊が突っ込んできた。
「え〜〜〜!? 凪ちゃんホント〜?」
信じられないと言った顔をして、紅音が俺に聞く。
確かにキスされたが、それを言うわけにはいかない。
「何も無かったって。ただこれからの事を聞かれただけ」
「今日の予定を?」
「生徒会のことだよ!」
そこで、真白ちゃんがどうにかフォローしてくれる。
「まさか凪さんに限って・・・無いですよね」
駄目だ。
こいつらの思考は、完璧に恋愛モードになっている。
大体真白ちゃん、君は俺が男だって知ってるのに、
なんで疑い出すんだ?
まあいい、どうにか誤魔化してしまおう。
・・・最終手段をイキナリ使うのも気が引けるが仕方ない。
「紅音、これでも飲んで落ち着きなって」
「えっ? うん・・・」
俺はウィスキーをコップにつぐと、紅音に渡す。
それを紅音が飲んだ所で紫齊が気付いた。
しかしもう遅い。
「・・・な、凪?」
「・・・・・・」
俺は知らないフリをして誤魔化す。
そして真白ちゃんが、最初の餌食になった。
と、思ったが今回は何か酔い方が違う。
「く、紅音さん?」
「真白ちゃん〜、おかしいよね〜」
「え? は、はぁ・・・」
「凪はぁ、男の人に興味無いと思ってたのにね〜」
「そ、そうなんですか?」
・・・それは意外だった。
俺がそんな風に思われてたとは・・・
っていうか、その通りなんだけど。
「凪にも、恋人が出来ちゃうのかぁ〜」
アクションたっぷりに、肩をガックリと落とす。
紅音、俺は男と恋人になる気はないぞ。
と、心の中で言う事にした。
とりあえず誤魔化せたが、後始末の方が
大変だったのは言うまでもない。

6月18日(水) PM20:38 晴天
寮内自室

紅音を無理矢理酔わせてしまった為、
俺は紅音が寝ているのをずっと見守っていた。
「ごめん・・・紅音」
何となく零れた言葉。
それが何に対する物だったかは解らない。
「凪ちゃん・・・」
「紅音、起こしちゃった?」
「ん〜ん。少し薄目開けて、凪ちゃんの顔見てたの」
「・・・何それ」
「ふふ〜、私だけの特権」
本当に紅音という奴は、人に依存する癖がある。
俺がそれを心地良いと感じてしまうのは、
きっと・・・紅音のせいなんだろう。
「でも私、凪ちゃん離れしなくちゃダメだね」
「え?」
「うん。凪ちゃんにいつまでも迷惑掛けるわけにはいかないよ」
「あ、ああ。別に・・・構わないのに」
「ダメだよ。私、頑張って凪ちゃんの隣に並びたいもん」
「・・・・・・」
この寂しさは、なんなのだろう。
本当は喜ぶべき事のハズだ。
何も悲しい事なんか無い、何も・・・。
それなのに、胸が張り裂けそうに痛む。
なんだってんだ。
やっと紅音が自立したいって言い出したのに、
なんで俺は素直に喜べないんだ?
「どうしたの・・・?」
「え、いや・・・頑張って。応援するよ」
「うん・・・」
不条理な気持ちを抱いたまま、俺はベッドに横たわる。
今日干された布団が暖かい香りを放っていた。

Chapter9「空虚な悪魔」に続く