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閑話休題(W)

著作 早坂由紀夫

Chapter51
「てをのばせばいつもそこにあったもの」


12月23日(火) AM07:34 晴れ
寮内自室

その日。
紅音はいつもよりも自然に早く目覚めていた。
多分、大した理由はない。
がばっと布団をはねのけると着替えに手を伸ばした。
「ん〜・・・ねむいぃ〜」
「おはよう、紅音」
「あ・・・うん」
思わず着替えをぎゅっと抱きしめ、
紅音は条件反射で俯いてしまう。
その仕草を見ると表情を曇らせる凪。
困った顔をして紅音はどうにか笑って見せた。
「ど、どうしたの?」
「いや・・・その、なんでもないよ」
そう言うと凪はそそくさと何かに手を付ける。
おかげで紅音は声をかけるタイミングを失ってしまった。
正直な所、紅音は自分の気持ちが解っていない。
ただ凪の事を男だと認めた時、
好きだという言葉を口に出来なくなった。
今まで凪には幾らでも告げていた言葉だったというのに。
そして自分の気持ちを知る事が怖くなっていた。
妙な雰囲気の二人の静寂はその後しばらく続く。

12月23日(火) PM16:57 晴れ
寮内自室

それから凪達の部屋は夕方になった頃に、
紫齊がいつもの様にやってきた。
冬という季節の特徴か三人してコタツに入る。
「ふぃ〜、やっぱコタツだね〜」
「コタツは良いよねぇ・・・コタツは心を潤してくれる。
 人類の造りだした文化の極みだよ。そう思わないかい?」
「凪・・・なんか芝居がかった喋り方だけど、
 もしかして美玖に影響されてるの?」
「ちがっ、これは違うよ!」
「まあでも確かにコタツは良いよね」
「そ、そうだよね〜」
紫齊と凪は普通に会話していた。
自然な感じ、今まで通りに。
それはまるで紅音と凪の距離を確かめる様でもある。
少し紅音は胸が締め付けられる様な痛みを感じた。
「さて、そこでコレ!」
「・・・おぉっ」
紫齊がコタツの上に並べたのは酒だった。
久しぶりに見る紫齊の満面の笑みに、
紅音と凪は少し戸惑ってしまう。
「でも紫齊って禁酒してたんじゃ・・・」
「やっぱり休みはコレがなきゃ!」
どこからか酒を用意し始める紫齊。
それを見て思わず紅音は酒を一本ひったくる。
「紅音っ、あんたは飲めないでしょーが」
「そうだよ・・・紅音」
どうしようか困ってしまう凪を余所に、
紅音は酒をあおり始めた。
するとやはりすぐに紅音は酔っぱらってしまう。
「ああっ・・・どうして止めなかったんだよぉ」
いつも止める役だった凪に紫齊は不満を口にした。
だが凪は困った様に頭に手をやるしかない。
「ふにゅ〜、凪ちゃんって・・・可愛いよね〜」
「な、何を言い出すのよ」
そんないきなりの発言に凪は肝を冷やす。
「ほんと解らなくなっちゃうよ・・・」
ふぅ、とため息をついてぐったりする紅音。
紅音が寝息を立て始めると紫齊は凪に言った。
「凪達も色々大変だよなぁ」
「え、え?」
「詳しくは聞かないけどさ、紅音と凪のコト。
 何か出来る事があったら・・・力になるよ」
「紫齊・・・」
「・・・って私はいつもでしゃばってるね、ごめん」
「ううん・・・ありがと」
「さ〜て、本格的に飲みますか〜」
頭をコタツに乗せて横向きに凪を見つめる紅音。
薄くぼやける視界の中、なんとなく紅音は思う。
(手を伸ばせば届く距離に凪ちゃんは居るのに・・・
 どうしてこんなに寂しいんだろう)
確かにそれは自分から手を伸ばせば届く距離だった。
けれど紅音の方から手を離してしまった。
ただ紅音はそれが劇的に変化する事を期待する。

2009年
03月18日(水) PM20:34 晴れ
寮内自室

紅音の思いとは別に矢を射る様に年は終わった。
そして皆が2年になる日が来る。
相変わらず凪と紅音が過ごす最後の日も、
二人は変わらぬ空気の中にいた。
ただ荷物をまとめたその部屋は空き部屋に近い状態だ。
言いようのない感慨と寂しさを感じる紅音。
紅音は何かにせき立てられる様に凪に話しかけた。
「・・・凪ちゃん、私・・・わたしねっ」
「ん? どうしたの?」
なるべく平静を装っているのか。
それとも今まで通りであろうとしているのか。
凪の態度は前からさほど変わらなくなっていた。
そのせいで紅音は余計に混乱してしまう。
本当に凪が男なのか。それとも女なのか。
確かにあの時に紅音が見た凪の裸体は男の物だった。
それも今では記憶の間違いにすら感じられてしまう。
悩んでしまう紅音に凪が言った。
「何か・・・困ってる事でもあるの?」
「どうして凪ちゃんってそんな・・・そんな・・・」
「え?」
「ううん、なんでもない。お風呂入ってくるね〜」
紅音はそのままバスルームへ行き湯に浸かる。
立ちこめる湯煙とぼやけた鏡。
シャンプーで髪を洗いながら紅音はふと呟いた。
「どうして凪ちゃんは、あんなに普通でいられるんだろ。
 私は毎日こんなに緊張とかしてるのに・・・」
それは紅音の思い込みに近い事ではある。
凪は普通であろうとしているだけなのだ。
決して紅音の前で男の部分を出さない様に、
そして友達としての凪である為に。
だがそれは自身が望んだ事だと解っていた。
新しい男の凪ではなく、今までの女の凪。
そっちと今まで通りに暮らすコトを望んだのだ。
違う場所へと進んでしまう気がして怖かったから。
ただ、今まで通りの生活をしていても何かが違う。
少しずつ紅音は凪を異性として意識する様になっていた。

04月10日(金) AM12:54 晴れ
学校野外・開放エントランス

そして二年生としての生活が始まる。
紅音が新しくルームメイトになったのは、
汐原ゆみなと言う子だった。
彼女は眼鏡のとても似合う冷静な女性。
どちらかというと紅音とは対照的に見える。
二人はすぐに仲良くなっていて、
その日も弁当をエントランスで食べていた。
「ゆみなちゃんのお弁当美味しそ〜」
「・・・それは購買のものだからね」
無口ながらも淡々と飯を平らげるゆみな。
紅音はそんな彼女と話しながらゆっくりと御飯を食べていた。
すると少し向かいから一人の女性が歩いてくる。
それは凪の姿だった。
反射的に固まってしまう紅音だが、
勇気を振り絞って声をかけようとする。
そう。
クラスメイトでもなく、ルームメイトですらない。
そんな二人が話す機会は無いに等しかった。
あっという間に広がっていく距離に紅音は焦る。
「凪ちゃ・・・」
そうやって紅音が立ちあがって凪を呼ぼうとした時だった。
「凪、遅いの」
凪が歩いていく方向には見知らぬ女性が座っている。
むすっとした顔で可愛らしく怒る女の子。
「ごめん、悪かったよ」
「そういう人にはお仕置きが待ってるの」
「何を言ってるんだか・・・はいコレ、お昼御飯」
その隣に凪は苦笑いしながら座った。
するとその女性はそんな凪の腕に絡みつく。
「あ・・・」
紅音はその時にはっきりと解ってしまった。
その女性の役は本当なら紅音だった。
今まで凪の隣でそうしてきたのはずっと紅音だった。
けれど今はそうじゃない。
凪の隣に紅音の場所はなくなっていた。
そのおかげでやっと紅音は気付く。
今更に気付いてしまう。
紅音は力無く座り込む。
すると目尻に熱い物がこみあがってきた。
「そっか・・・私、好き・・・だったんだ」
「紅音、さっきから何してるの?」
ゆみながそんな紅音の様子を気にしてそう言う。
紅音は出来る限りの笑みを浮かべた。
「ご、ごめんねっ。なんでもないから」
慌てて涙を拭うのだが次から次へと涙は溢れてくる。
「・・・おかしいな〜、変だよね・・・わたし・・・」
「そうかもね」
含みを持たせた無表情でゆみなはそう言う。
それ以上その事を紅音に聞こうとはしなかった。
ただ当たり障りのない会話をしながら、
爪を研いだりするだけだった。
だが止まる事なく紅音の瞳からは涙が零れ続ける。
その瞳には隣の女性に微笑みを浮かべる凪の姿が映っていた。
そう、その微笑みはもう紅音には向けられない。
紅音は胸に風穴が空いた様な感覚を抱えながら、
滲んでいく視界の向こうにいる凪を見つめていた。

「ほんと・・・こんなに好きだったのに・・・
 なんで、気付かなかったんだろう」

Chapter52へ続く