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黒の陽炎
−2ndSeason−

著作 早坂由紀夫

断章.持たざる者、その終幕
−Schwanengesang−


第二十六話・後半
Someday My Prince Will Come
〜対になる者、誕生〜」


11月17日(火) AM11:35 曇り
ザールブルグ邸

 全てが夢だと思いたい。
 そう考えても、朝はやってきた。
 レイノスは酷く憂鬱な朝を迎えていた。
 涙などもう零してはいられない。
 そんな事ではこれからを生きれはしないのだから。
 彼が神を裏切った事はもう知れているはずだった。
 いつ、奴らがやって来るとも限らない。
 怯える暇があるのなら、一刻も速く逃げるべきだ。
 使用人達を全て解雇する必要もある。
 ふと彼の部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。
「レイノス様、届け物が来ておりますが・・・」
「うん。入って良いよ」
「かしこまりました」
 一礼をしてシュリアが部屋へと入ってくる。
 彼女は一通の手紙を持っていた。
「差出人は、オフェリーさん・・・?」
 日付は少し前のモノになっている。
 そこには千李とのやりとりから、
 千日紅をレイノスに送る事になったと書かれていた。
「・・・シュリアさん、何か他にありましたか?」
「はい。同じ方から花も贈られてきました」
「そうですか・・・でも、どうして千日紅を千李さんが?」
 レイノスがそう言うとシュリアはクスッと笑う。
「なるほど。千李さんが送られた花なんですか」
「どうしたんです?」
「千日紅の花言葉って、終わりない友情・・・ですから」
 シュリアとは違いレイノスは笑えなかった。
 これは皮肉と言うべきなのか。
 耐えるようにレイノスは歯を食いしばる。
「貴方は最期まで・・・どうして、こうキザなんですか」
「え?」
 その言葉にシュリアが反応する。
「それ・・・どういう、意味ですか?」

11月20日(金) PM17:30 曇り
自宅・二階・大沢武人の部屋

 辺りは雲が出てきている。
 嫌な天気だった。
 この感じだと、雨がいつ降ってもおかしくない。
 下手をすると雪に変わる可能性もあるとかだ。
 ひとまず学園の爆破事件は、
 過激派のテロという事になっている。
 俺と夏芽はあの日の出来事をお互いの胸の内にしまった。
 夢姫が人を殺してしまったという事。
 正直な話、俺なんかはまだ頭の中で整理もついていない。
 警察に自首させるというのも何か違う気がした。
「はぁ・・・」
 俺は部屋の灯りを消すと、一階へと下りていく。

11月20日(金) PM17:35 曇り
嵯峨邸宅・二階・嵯峨夏芽の部屋

 寒い中俺は数百mほど離れた夏芽の家に来ていた。
 小綺麗にしてあって女の子らしい。
 夏芽って、部屋は本当に可愛かった。
 ぬいぐるみとかが窓辺に置いてあり、
 色々と小物が並べられている。
 部屋だけ見てれば普通の女子高生の部屋だと思えた。
 まあ、今更そんな事を考えても始まらない。
 今日は夏芽の部屋にいつもの三人が集まっていた。
 ロフォケイル老と夢姫も来ている。
 あれからすぐに夢姫は病院に運ばれ、手術した。
 んで、三日したらもう退院してる。
 腕にギプスをはめているが、あまり痛そうじゃなかった。
「夢姫さんの持ってきたディスクですがね、
 中にはダウンロード・リストがひたすら入ってましたよ」
「なるほど。分割ファイルなワケやな」
「ですね。それが数百万って数ありました」
「・・・作った奴はアホやな。有り得へん量や」
 夏芽はパソコン関係に意外と詳しい。
 それでロフォケイル老と話が会うようだった。
 専門的な話で盛り上がったりしている。
 淳弘はというと、夢姫に謝っていた。
「この間はごめん。夢姫ちゃん」
「わかった」
「許してくれるの?」
「うん」
 なんか微妙なやりとり・・・。
 いつもと違い一番静かなのは禊だった。
 黙ったままで俺の方を睨んでいる。
「・・・あの時、たっつーが死んだかと思ったんだぞ」
 俺と夏芽が避難した際、禊達とは会えなかった。
 丞相学園の生徒で溢れかえっていたから仕方ない。
 淳弘の話ではその時に禊は、
 俺達の事を必至で探したらしかった。
 そんで死んだと勘違いして大泣き。
 電話して合流した時は凄い顔で、
 俺と夏芽に抱きついてきたわけだ。
「生きてるから良いじゃねえかよ、気にするな」
「ふざけんなー!!」
 禊は両手で俺の事を殴ってくる。
 最初の内は真剣に禊が可愛いとも思ったさ。
 ちょっとグラッと来たのも確かだ。
 けどこれで言われたのは10回目くらい。
 さすがになぁ・・・。
「あたしの心配と涙を返せーっ!」

11月20日(金) PM17:44 曇り
嵯峨邸宅・二階・嵯峨夏芽の部屋

「つまり、冥典というデータを入手するには、
 分割ファイルをダウンロードする必要があるわけです」
 そうロフォケイル老は俺に説明してくれた。
 圧縮されたファイルを沢山に分ける。
 それが分割ファイル。
 で、それがネットに散らばってるって事らしかった。
 その場所を記したのが手に入れたディスクのテキスト。
 ダウンロード・リストって事らしい。
 要は夢姫の探し物ってネットの中にあったわけだ。
 そりゃ、見つかるハズねえよな・・・。
「今は私の自作パソコンで分割ファイルを落としてます。
 DS4回線やらT3回線なんかを拝借しましてね」
「な、なんやて?」
 俺にはさっぱり解らない用語だった。
 夏芽に言わせるとそんな回線は一流企業か、
 大手の通信事業者くらいしか使っていないと言う。
 ISDNやADSLとは桁が違うそうだ。
 でもそれをどうやって拝借したというのだろうか。
 ロフォケイル老は笑うだけで答えてくれない。
「とにかくダウンロードしたデータから、
 夢姫さんに関わるような物だけを抜き出しておきます。
 そうすればCD1枚で済むと思いますよ」
「うん。早く見たい」
 これでようやく夢姫はなぁ君という奴と会えるんだな。
 全てが良い事ずくめというワケじゃなかった。
 人を殺したという事実は俺の中で整理がついてないし、
 どう夢姫に言えばいいかも解らない。
 多分それは夏芽も同じだ。
 なぁ君と会うという事だって、
 逆を言えば俺達と別れるという事になる。
 それでも俺は夢姫に言う事にした。
「あのさ、夢姫・・・良かった、な」
 上手く笑えてるだろうか。
 なんとなく自分の笑顔が引きつってる気もした。
 事情が複雑で素直に笑えない。
 そんな俺に夢姫は顔を綻ばせた。
「うん。ありがとう」
「あ・・・」
 今初めて、彼女のありがとうが自然に感じた。
 ごく自然に夢姫が笑って、お礼を言った気がした。
 夢姫にとってこれで良かったんだろうか。
 それで彼女はこんな自然に笑ってるのか?
 ふと夏芽の方をちらっと見てみる。
 あいつらしくもなく、俺の視線に優しい笑みを浮かべた。
「たっつーがウチの事を熱い視線で見とるで、禊」
「なにぃ〜〜っ!?」
 ギラついた視線で俺の方を禊が睨んでくる。
「そ、そういや冬子先生ってどうしてるかな」
 俺は話題を変えようと先生の事を聞いてみた。
 すると禊は急に表情を暗くする。
「・・・冬子は、何か知らないけど寝込んでるらしい」
「寝込んでる?」
「あたしもよく解らない。
 電話越しに話したけど、様子が変だった」
 16日以来会ってないから解らなかったけど、
 先生・・・何かあったんだろうか。
 外から風の低い音が聞こえてきた。
 ふいに部屋の空気が重苦しい物になる。
「まあ、ウチらが変に勘ぐってもしゃあないわ。な?」
「・・・そうだよな」

11月29日(日) AM09:04 晴れ
嵯峨邸宅・二階・嵯峨夏芽の部屋の前

 一週間と二日後。
 ロフォケイル老は夢姫達にある知らせを入れた。
 それは冥典のダウンロードが終わったという事だ。
 夏芽だけがその異常な速さに驚いていたが、
 とにかくそれで俺は夢姫と夏芽の家へと向かう。
 もしかするとこれがお別れになるかも知れなかった。
 なぁ君の居場所がわかれば、お別れだからな。
「・・・で?」
「なんや?」
 理由も告げられず俺は部屋の前で立っていた。
「なんで部屋に入れないんだ?」
「たっつーが男やからや」
「そんな理由でか?」
「アホか。女の子の事を詮索してええのは、女の子だけや」
 納得行くような行かないような・・・。

11月29日(日) AM09:04 晴れ
嵯峨邸宅・二階・嵯峨夏芽の部屋の前

 夏芽が持っているのは、冥典と書かれたCDだ。
 ロフォケイルが中身を検索し、
 ピックアップしたモノが収録されていると夏芽は話す。
 そのCDをドライブに入れると、
 中にあるテキスト文を開いた。

「――――――なんや、これ」

 思わず夏芽はそんな感想を漏らしていた。
 夢姫が生まれた日。9月5日。
 高幡総合病院にて生誕。体重3787g。
 そこで夢姫は夏芽の肩を押し始める。
「ど、どしたんや?」
「・・・人に見られたくない、気がする」
「け、けど・・・いや、せやな」
 納得すると夏芽は部屋から出ていった。
 その後で夢姫はひたすらに文字を追っていく。
 それは改めて認識するという奇妙な儀式だった。
「私・・・望まれずに、生まれてきたんだ」
 目の前のテキストには彼女の人生が書かれている。
 浮気によって誕生した子供。それが夢姫だ。
 彼女は母親が産んですぐ高天原家へと引き取られる。
 そうする事によって示談が成立したからだ。
 多額の金で夢姫の母親は全てを放棄した。
 シングルマザーが受け入れられる時代では無かったし、
 なにより彼女は産む気などは殆ど無かった。
 敢えて産む事で父親に責任を取らせようとしたのだ。
 夢姫が高天原の名を名乗る事は許されず、
 それどころか別館へと軟禁されてしまう。
 義理の母が徹底的に夢姫を嫌っていたからだ。
 親から与えられる全てのモノを、
 彼女は与えられずに育っていく。
 それはただ、苦痛だけの人生だった。
 始まりからずっと彼女は孤独と苦渋を強いられる。
 そんな苦痛から始まった生で、初めて出会った友人。
 それが凪とゆりきだった。
 彼女の心は二人によって満たされていく。
 人に触れる温かさを知っていく。
 凪の母親はいい顔をしなかったが、
 夢姫はそんな事を気にはしなかった。
 だが、それもすぐに終わりを告げる。
「・・・でぃあぼろす? 強姦?」
 理解できない単語が彼女の頭を駆けめぐった。
 しかしそれらの事象を彼女自身は忘れてはいない。
 心の深奥へと仕舞い込んだだけだ。
 二度と舞い戻る事のない様に。
「あ、ぁ・・・」
 気付けば夢姫は身体が震え始めていた。
 解り始めている。
 何処からか、それを知ろうと記憶が蘇ろうとしている。
 頭に場面場面が凄い速度で切り替わっていく。
 襲われたときのこと。
 孤独だったときのこと。
 大好きな、なぁ君のこと。
 走馬燈のように今までの記憶が頭を駆け抜けていった。
「・・・そう、だったんだ。わたし、なぁ君に会えないんだ。
 もう会う資格が無くなっちゃってたんだ・・・」
 夢姫の瞳から涙が零れる。
 再会の時まで取っておくはずだった、涙が。
「うぁあああぁぁあぁああぁあぁあぁあああっ・・・!!」
 叫ばずにはいられなかった。
 生きる意味が無くなってしまったのだ。
 世界を揺るがすように夏芽の部屋が揺れ始める。
 彼女を中心に光が形作られていた。
 螺旋を描くようにそれは部屋の天井を突き抜ける。
 そして灰色の巨大な光の柱が、
 空高くへと舞い上がっていった。
「なぁ君と一緒にいられない世界なんか、
 もう要らないっ・・・! 大嫌いっ!!」
 叫び声に驚いて夏芽と武人が中に入ってくる。
 二人は夢姫を見て面食らっていた。
 その身体からは、黒い靄の様な物が出ている。
 以前の時よりもそれはさらにはっきりと見えていた。
「どうした夢姫っ!」
「この世界を構成する全てのモノが、憎い・・・。
 だから私は全て壊すよ。私の為のモノは何も無いから」
「・・・ゆめ?」
 涙を流しながら夢姫はそう言う。
「でも、二人は・・・壊したくない。
 まだ今はそう思えるから、だから・・・さよならだね」
 夢姫は何処かでまだ自分を抑えていた。
 激しく全てのモノを憎む自分の感情を。
 何もかもを破壊したいという欲求を。
 押さえ込むように夢姫はパソコンを殴りつけた。
 勢いよくパソコンはぐしゃぐしゃに粉々になっていく。
「ゆっ・・・夢姫っ!!」
 二人が止める間もなく、夢姫は窓から飛び降りていた。
 武人が慌てて窓を覗いた時には、すでに夢姫の姿はない。
「どうしてや・・・一体、何が・・・」
 パソコンの前で夏芽は唖然とする。
 すでにパソコンは夢姫によって残骸になっていた。
 何が書かれていたのか、確認する術はない。
 いや、そんな問題ではなかった。
 夏芽は先ほどからテキストの内容を少しも見れていない。
 なぜなら、彼女にはそれが
 何も書かれていないテキストに見えたからだ。

11月29日(日) PM11:34 晴れ
市街

 ロフォケイルは街中で夢姫を見つける。
 何故か人混みの多い場所の中心にある噴水に座っていた。
「さてと、これからどうするんです?」
「・・・ロフォケイル」
「なぁ君って人の所へ行くんですかい?」
 彼は夢姫に渡したCDの中身を確認していない。
 夏芽と同様に中身が見えていないからだ。
 検索で指定されたテキストファイルをCDにしただけ。
「貴方は悪魔なんだよね」
「は? そうですけ・・・っ!?」
 彼の言葉は途中で遮られる。
 顔めがけて夢姫の手が伸びてきたからだ。
 片手で彼の身体は持ち上げられてしまう。
「ま、まさか・・・」
「今までありがとう。で、バイバイ」
 ぶしゅっと言う音がした。
 トマトが落ちて潰れるような音。
 彼の頭はすでにこの世から無くなっていた。
 首から飛び出している骨だけが、
 そこに頭があったと証明している。
 痙攣したロフォケイルの身体がぴくぴくと動いていた。
「どうせ悪魔だから死なない。忌々しいなぁ」
 瞬間的に辺りは酷いパニック状態に陥る。
 それが彼女には言いようもなく楽しかった。
 周りの視線は夢姫を恐怖に怯えながら見つめている。
 夢姫にはそれが何処か楽しげな遊びに思えていた。
「皆、笑いながら死んだら・・・きっと苦しくないよ」
 少しずつ夢姫は力を解放していく。
 近くにいるカップルが身体ごと弾けて死んだ。
 手前を歩いていた老人が臓器を全て潰されて死んだ。
 隣で座っていた女子高校生が、
 跡形も残らずに塵となり消えていった。
 酷い惨劇の中心で、彼女はふと思う。
(やっぱり夏芽は間違ってる。
 どんな理由だって、人は死ぬもん)
 最も怖ろしいのは彼女の人格が大きく変わってない事だ。
 夢姫に自由意志は無い。
 あるのは、残酷で無慈悲な運命。
 冥典に記述されていた夢姫の取るべき未来の行動。
「・・・神様。それが、私をなぁ君と会わせてくれる」
 だがそれはもはや希望と呼べるモノではなかった。
 絶望で繋ぐ一つの輪。
 それが彼女がエリュシオンに呼ばれる理由だった。

――月――日(―) ――:――
エリュシオン

「世界を繋ぐ調律の鎖の一つを抜き出す。
 それがまがりなりにも人であった彼らの運命ならば、
 神様は実に残酷だとは思わない?」
 アダムはイヴへとそう言った。
 イヴは至って無表情に、淡々と告げる。
「神への猜疑心はそれだけで罪に等しい」
 そこへ夢姫がゆっくりと歩いてくる。
 表情に以前の様な意志は感じられなかった。
 暗い感情を含む瞳がそれを物語る。
 少し驚きはあったが、イヴは何も言わなかった。
 夢姫の前へと神の姿が現れる。
 カーテンの様な物を通して彼女に語りかけた。
「ようこそエリュシオンへ。対を為す者よ」
「運命を知ったよ。全てを、ね」
「いずれ時は満ちる。その時まで眠りにつくがいい」
「眠るの?」
「お前が目覚めた時、お前の望む者はすぐ側にいる。
 その時、お前には絶対的な力が必要になるだろう」
「・・・わかった」
 神はその場に巨大な繭のような物を作り出す。
 そこへ夢姫は包まれていった。
 繭は3m程の巨大な円状に形取られていく。
 アダムはそれをにこにこと眺めていた。
「僕みたいな出来損ないには解らないなあ。
 希望を胸に抱いて生きるなんて・・・ね、イヴ」
「・・・・・・」

3rdSeasonへ続く