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黒の陽炎
−3rdSeason−

著作 早坂由紀夫



Chapter97
「Repeat・End」


−−月−−日(−) −−:−−
エリュシオン

「ふ〜ん・・・ソフィアより出でしローカ・マターの半身。
 彼女が認識されたみたいだねぇ・・・ふふ」
 ベッドに寝そべりながらアダムは言葉を紡ぐ。
 それを知る神の心情を聞きたいとでも言うように。
 神は視線を目の前の巨大な繭に向けたままだ。
 大して反応もせず、淡々とそれに答える。
「この日、それが起こる事は知っていたよ。
 全てを見通すアーカーシャの記録書のおかげでな」
「さっすが神様〜」
 ケラケラと笑いながらアダムは神に拍手を送った。
 彼の態度にも神は微動だにしない。
 ただ目の前の繭を見つめるだけだ。
「記録書にはこう書かれている。
 ルシードとディアボロスの共鳴は、
 運命連鎖を断ち切るディスコードとなり・・・
 歴史は解き放たれる」
「へぇ〜。それじゃ遂に来るんだね。
 ソフィアの束縛もアーカーシャの叡智さえも届かない、
 自由なる運命の紡がれていく時代が」
 ぱあっと顔を輝かせてアダムは笑顔を浮かべる。
 神はアダムの方を向くと言った。
「パラダイム・シフト前に片付けなければならない事は、
 まだ幾つも残っている」
「ツィムツムの外へ向かう者を始末したり?
 ははっ、面倒な事は全部イヴ任せだなぁ〜」
「あれはそういう利用価値しかないからね」
 冷静な神の言葉にアダムは笑いを堪えきれない。
 くしゃくしゃの笑顔でアダムは神に告げた。
「酷いな神様はぁ〜、ならボクに頂戴。
 何処までイヴの精神は崩壊するのか・・・見てみたいんだ。
 完全な狂い方はしないように優しく壊してあげるからさ〜。
 モノって壊れれば壊れるほど美しくなるもの、
 今よりもっとイヴを綺麗にしてあげたいなあ。
 ふふッ・・・ははははははははははっ!」



 石畳の街路を走り、路地裏へと歩いていく。
 いつしか馴染んだ人間の身体は汗だくになっていた。
 彼女にとってそれは決して心地のいいものではない。
 路地に座っている内、汗は自然と冷えていった。
 夜と言う時間や土地の気候の所為だろう。
(・・・夜は、どうしてこんなに長いんだ)
 早く朝になってほしい、と彼女は思う。
 静かな夜の闇が彼女はあまり好きではなかった。
 子供の頃、夜は孤独を浮き彫りにするものだったから。
 何年経った今でもそれは変わらなかった。
 凍えるような寒さにさらされ身体を抱きすくめた夜。
 覚束ない記憶の中の両親の温かさが恋しくなる。
 かといって両親を求める気持ちはもう無くなっていた。
 或いは諦めているのだろうか。
 仮に再会できたとしても、それが幸福だとは限らない。
 例えば天使である両親が彼女の帰還を喜ぶだろうか。
 いや、決して彼女を受け入れないだろう。
 過去に彼女がアルカデイアに戻った時、
 結局一度も両親は現れなかった。
 彼女は天使だった頃の自らの名前を覚えている。
 元気であるように、そういう意味が込められた名前。
 生まれてからその名を呼ぶ者はいなかった。
「イヴ」
 路地に座っている彼女の名前を一人の男が呼ぶ。
 立ち上がって彼女はあからさまに不快な顔をした。
 その名前はもう捨てた名前。
 懐かしさが込み上げるそれを彼女は嫌っていた。
「何の用だ、インサニティ」
「伝令を伝えに来ただけだ。次は日本へ行け、とな」
「日本・・・か。エリュシオンへはいつ戻れる」
 俯いてそう聞くイヴにインサニティは辟易とする。
 この仕事を彼女がするようになってから、
 会う度にされる質問だからだ。
「さあな。俺は知らん」
 正直なところ、彼は薄々と神の考えは解っている。
 ただそれを告げたとしても、
 彼女は信じようとしないだろう。
 だからインサニティはそう答える事にしていた。
「・・・誰かに抱かれなければ満足できないというのに、
 一体私はどうやって・・・この欲求を押さえればいい」
 苦悶の表情を浮かべながらイヴはぶつぶつ呟く。
 その姿は哀れでならないものだった。
 かといってインサニティにはかける言葉が見当たらない。
 何を言っても彼女には通じないと解っているからだ。
 それ以上話も無いので彼はそっとイヴの前から姿を消す。
(一人は駄目だ・・・一人でしても満足できない。
 誰か、誰でもいい、誰でもいいから・・・この疼きを止めて)
 駄目だと思っていても手は自然と股間へと伸びていた。
 優しく触れる必要も無く、秘所は濡れている。
 指で焦らすようになぞるだけで我慢できず声が漏れた。
「はっ、くうぅっ・・・」
 人通りが少ないとはいえ外。
 多少の恥ずかしさが彼女の頬をほんのり朱色に染める。
 それでも今更止める事など出来なかった。
 下着を太腿まで下ろし、直接割れ目に指を這わせる。
 陰核を親指で愛撫しながら三本の指を中へ挿入した。
「ふぅんっ・・・」
 びくっとイヴの身体が震える。
 しばらくの行為に耽っていた彼女は、
 不意に人影が目の前にある事に気がついた。
 そこにはニヤニヤと笑う男達の姿がある。
「こんな所でおっぱじめちまうくらい発情してんのかい?」
 笑顔を浮かべながらも男達はゴクリと喉を鳴らす。
 普段のイヴならば全員殺していた。
 だが今の彼女にとって彼らは丁度良い。
「ああ、私を・・・犯して、くれ」
 イヴは自分の言葉に吐き気を催しそうになった。
 男に媚びたり、女の尊厳を損なう行動はしたくない。
 そう思っていたイヴなのに口をついてそんな言葉が出た。
 酷く自虐的で逆に心地よささえ感じてしまう。
 両手を掴まれても抵抗しようとさえ思わなかった。
 すぐに一人の男が彼女の足を抱えて男根を突き入れる。
「くふうぅぅっ・・・は、ああぁっ!」
 男が動くよりも早くイヴは腰を振り始めた。
 捻るように円を描くように。
 他の男たちはその間に彼女の衣服を脱がせていく。
 ブラジャーをずらし胸を露出させ、
 固くしこった乳首にむしゃぶりついた。
「ん、うあっ・・・くっ」
 彼らは歯形が残るほど強く胸を愛撫する。
 それが今のイヴには程良い快感だった。
 反射的に彼女はぎゅうぎゅうと男根を締め付ける。
 耐え切れずに男はイヴの膣内に全てを吐き出した。
「ひうぅっ・・・んはあぁぁあぁぁっ」
 軽くイキはしたものの、まだ彼女は満足できない。
 その後も、しばらくの間イヴは男達と戯れつづけた。



 エウロパ宮殿。
 そこはかつて神が天使に与えた聖遺物だと言われている。
 黄昏の八神剣が発掘されたのも宮殿の地下だ。
 地下は複雑な造りになっていて、
 天使ですら滅多に立ち入る者はいない。
 立ち入るものが居ない理由は他にもあった。
 罪を犯した天使は地下にある天空の牢獄へ幽閉される。
 その為に地下は陰惨な雰囲気が漂っているのだ。
 とはいえ宮殿自体は豪華絢爛な造りといえる。
 質素な場所と言えば唯一、大天使長室だろう。
 ミカエルがインテリアを嫌うからだ。
「失礼します」
「おう」
 大天使長室の扉を開けて現れたのは特務隊の副長、
 ミカエルが統括する大天使の一人ディムエルだ。
 若い風貌ではあるが彼は何処か老けている。
 何かに対して醒めたような瞳をしていた。
 所謂、堕落した天使の瞳に近い。
 そうミカエルは感じ取っていた。
「先のインフィニティ侵攻、ご苦労だったな」
「いえ。恐縮です」
「で、その件なんだがお前・・・確か数人の天使を連れて、
 少しの間隊列から離れていた事があっただろ」
 回りくどい言葉が嫌いなミカエルは単刀直入に質問する。
 突然すぎる質問にディムエルは少し硬直した。
 或いは、やはり来たかと思っただろう。
「はい。確かに」
「その際に敵である悪魔に対して非道な行為をしたのか?」
「・・・いえ」
 逡巡してディムエルはそう答えた。
 さすがにYESとは言えない。
 悪魔と言えど非道な行為をしたとあれば、
 天使裁判で重罪は確実だからだ。
 特に智天使は下衆で野蛮な行為を激しく嫌う者が多い。
 どうせ証拠は無い。そうディムエルは考えた。
 しかし、それはミカエルの一言で覆される。
「なるほど。だがお前の部下はしたらしいぜ。
 ちょいと聞いただけでビビッて吐いてくれたよ。
 他に誰がやったか・・・もうすぐ言うだろうな」
 ディムエルは全身が逆立つような感覚に襲われた。
 幸いと言うべきなのか、それほど態度には出ていない。
 努めて平常を装うと彼は言った。
「そう・・・ですか。気付きませんでした。
 言われてみれば個人行動を取った者がいたかもしれません。
 申し訳ありません、私の監督不行き届きです」
「おう。まあ処分は追って連絡する。話は以上だ」
「それでは失礼します」
 一礼してディムエルは大天使長室から出て行った。
 彼が居なくなった後でミカエルはため息をつく。
 それからこめかみを押さえて、ぎゅっと目を閉じた。
(ちっ・・・あの動揺から見て間違いねえ。
 仕方ねえな、ラグエルに証拠を集めてもらうか)



 宮殿の図書室で一人の男が調べ物をしている。
「セフィロトの樹に関する記述が少なすぎるな・・・」
 独り言を呟きながら男は席で本を読んでいた。
 男は図書室で一際視線を集めている。
 何故なら彼こそが四大熾天使の一人だからだ。
「ウリエル、何を調べているの?」
 一人の女性がウリエルに声をかける。
 それによって辺りはざわめき始めた。
 何時の間にか現れたその女性に視線が注がれる。
「・・・シウダード様」
「正式な場でもないのに様付けは困るなあ。
 人間で言うならば私達は姉弟みたいなものでしょ?」
「うっ・・・そんな事を言われても困ります。
 表立って智天使の貴方を姉さん、などとは言えません」
 シウダードという女性が注目を浴びるのは当然だった。
 彼女は智天使でも位の高いとされる老賢者の一人。
 その姿を公式な場以外で見る事は実に珍しい。
「う〜ん、無理矢理呼ばせるのも変だし・・・仕方ないわね。
 所で図書室に来るなんて、何か調べものでもあるの?」
「セフィロトの樹について調べているのです。
 そう、あの樹が何の為に存在するのかを」
「なるほど。確かにセフィロトの樹には謎が多いわ。
 遥か昔、私達が生まれるより昔からある樹だしね」
 推論は幾つか智天使が提示している。
 現在の時点で最もで可能性が高いのは、
 樹が世界のバランスを保っているという説。
 現象世界とアルカデイア、それにエリュシオンだ。
 ただそれはエリュシオンの存在を肯定した上での事。
 今の天使は誰もその世界を見た事が無いために、
 その説は推論に過ぎないのだ。
 本を閉じてウリエルはシウダードの方を見る。
「私達の世界から姿を消して久しい神と言う存在。
 或いはそれに到達する謎なのかもしれません」
「神・・・ね。かつて神は私達を造り、人間を造った。
 セフィロトの樹については色んな説があるわ。
 何者かが太古に造ったのだとか、神が生み出したのだとか。
 どれも根拠の無い仮説に過ぎないのよ。
 ・・・答えは、あの樹の頂上にあるのかもしれないわね」



 虚ろなもの。移ろうもの。過ぎていったもの。
 夢姫は繭の中で夢を見ていた。
 高天原の家にある庭で遊ぶ夢姫。
 そこにはなぁ君が居て、ゆりお姉ちゃんがいた。
 何をしても面白くて笑いが止まらない。
「ねぇっ、なぁ君・・・ずっとず〜っと、一緒に居ようね」
「うん! 僕達ずっと一緒だよ!」
 笑顔で頷くなぁ君。
 それを聞いて夢姫は先程より明るい笑顔を浮かべる。
「ゆりお姉ちゃんも一緒に居ようね!」
「いいよっ。私達、仲良しだもんっ」
 幸せな夢は続いてゆく。
 いつか来る過酷な現実が彼女を飲み込んでしまうまで。
 三人は終わりの無い遊戯を延々と繰り返していた。
 笑いすぎて夢姫の瞳からは涙が零れる。
 でもそれは悲しいものではなくて、
 決して寂しいものでもなくて、幸せの欠片だった。

Chapter98へ続く