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黒の陽炎
−4thSeason−

著作 早坂由紀夫

Arcadia Inside

Chapter147
「ラビリンス」
 


04月10日(金)  AM06:24
アルカデイア・フロスティア・路地

 薄暗く人目に付きづらい場所にある路地。
 そこに、三人の天使が導かれるようにして集まっていた。
 立つことさえ難しいラファエルは、不安げに二人の様子を窺う。
 ラファエルの側に降りてきたことを考えると、
 恐らくラツィエルはラファエルの味方をしにきたのだろう。
 実際に、彼は先程からミカエルをじっと睨んでいた。
「爺・・・なんのつもりだ? そこに突っ立ってると巻き添え食うぞ」
「まったく。爺は止せと言っとるじゃろうが」
 そう言うと、ラツィエルはラファエルとミカエルの間に立つ。
 明らかな意味を持った行動だ。
 舌打ちをすると、ミカエルはラツィエルに剣を向ける。
「ラファエルにつく、つまり堕天使になるつもりか」
「さて、それはお主の本心を聞かねば解らんのお」
 探るような瞳でラツィエルはミカエルの顔を見ていた。
 ポーカーフェイスを装っても、小さな表情の変化は必ず現れる。
 それを見つけようと彼はその眼を鋭く光らせた。
 ミカエルはそんな様子を知ってか、あえて顔を明後日の方へ向ける。
 顔を背けたのは意識しての行動、つまりフェイクだとラツィエルは考えた。
「本心ね。そんなものはどうだっていい。
 天使には新しい指導者が必要なんだよ。そう思うだろ、あんたも」
「それが・・・お主だと?」
 言葉の後で、ミカエルはラツィエルへと顔を向きなおす。
 芝居がかった動きと合わせることで、更に本心が隠れたように感じられた。
「他にいるかい? 俺以外に、天使を導ける存在が」
「まるでルシファーを追いかけている、そんな風に聞こえるぞ」
 ルシファーという言葉を口にするラツィエル。
 一瞬、ミカエルは無意識に唇が震えたようにピクリと動く。
 すぐに意識して口元は自然な動きに戻った。
 饒舌すぎず、寡黙すぎず、彼は用意したような台詞を口にする。
「奴とは違う。俺は、神を目指すような真似はしない。
 天使を正しい方向へと導いてやるだけだ」
「ラファエルはそのための犠牲だと?」
「そう取って貰っても構わねえよ。そいつは重犯罪者だ。
 大人しく捕まる気はないだろうから、今ここで殺すしかねえ」
 無感情に軽口のようにミカエルはそう言った。
 ウリエルと同じ行動ではあるが、彼の口調は残酷さを際立たせている。
 より殺す行為に積極的と感じられるようなものだった。
 だが、それを聞いたラツィエルは僅かな揺らぎを感じ取る。
 積極的であろうと、わざと振る舞っている可能性のある揺らぎを。
「・・・ふむ。その割に、先程より安心しておるな。
 止める者が来ることを予測しておったのじゃろ?」
 ラツィエルは思い切って、口から出まかせを話してみる。
 もし引っ掛かる部分があれば、ミカエルの反応で解るはずだと考えた。
「好きに勘繰れよ。退かねえならケシズミにするだけだ」
 それを聞いたミカエルの顔は全く変化を見せない。
 恐らく、その手の内容が来ることを予測していたのだろう。
 表情を変えずに、彼はもう一度神剣を後ろ手に低く構えた。
 居合いに少し似た構えで、剣先は地面に触れるほどの位置。
 そこから放たれるのは彼が得意とする具現、サンクトゥス・イグニスだ。
 周りへの影響を考えてか、ミカエルは全力のイメージを込めない。
 小規模、だが確実にラファエルを焼き殺す程度の威力はある。
 生半可なイメージでないことは、対峙するだけでも理解できた。
 聖なる裁きの炎が、レーヴァンテインを蒼く染め上げていく。
 奇妙だが、それは背筋が凍るような光景だった。
 もはや具現する力も残っていないラファエルは、
 その光景をぼんやりとした顔で見つめる。
 彼らと笑って話をしていたのが遠い昔のように感じられた。
「みっき〜・・・」
「ラファエルを死なせるわけにはいかん。この命に代えてもな」
「いいぜ、試してみろよ。爺の老い先短い命一つで、
 サンクトゥス・イグニスの炎を消しとめられるかどうか」
 躊躇も遠慮もせず、ミカエルは剣を横に一閃する。
 その動きに合わせて、剣に宿る青い炎が勢いよく燃え上がった。
 まるでそれは炎の壁が迫ってくるような光景。
 数メートルの高さまで瞬時に燃え上がり、ミカエル以外の全てを焼き払う。
 津波のような形を取って、炎は眼前のものを飲み込んでいった。
 炎自体はかわせない速度ではないが、
 周囲を包む凄まじい熱だけでも脅威と言える。
 目の前の全てが炎に包まれ、ミカエルの周囲は焼け野原と化した。
 それを見つめながら、ミカエルは指をパチンと鳴らす。
 イメージゆえか、炎はその音を切っ掛けに一瞬で跡形もなく消えた。
 炎の消えた路地にはラファエルとラツィエルの姿がない。
 燃えカスになったとしては不自然な状況だ。
 そもそも、ミカエルは燃え尽きないように温度を調節していた。
 何らかの方法を使い、二人は逃げたのだとミカエルは考える。
「・・・何が命に代えてもだ。爺め、最初から逃げる気でいやがったな」
「流石はラツィエル。老賢者の名に相応しい」
 突然の声に、ミカエルは少し驚いて声の方向に顔を向けた。
 瞳を閉じていても、声で誰なのかはすぐに解る。
 面識がない者の声ではなく、見知った相手のそれだった。
 彼は路地の入口近く、ミカエルの背後に身を潜めている。
 サンクトゥス・イグニスのとばっちりを受けないように、
 少し離れた場所からミカエルとラファエルの様子を見ていたようだ。

04月10日(金)  AM06:55
アルカデイア・エウロパ宮殿・地下二階

 既に時間は朝の七時を回ろうとしている。
 現象世界ならば、とうに朝日が外を照らしているような時間だ。
 凪たちの当初描いた予定は、大きく狂いはじめていた。
 大雑把なものではあったが合流予定は十一時。
 どれだけ急いだとしても一時間弱は遅れてしまうだろう。
 遅れるならまだましと言える、それが今の状況だ。
 目の前にはケルビエルとゾフィエルが行く手を塞いでいる。
 背後は天空の迷宮へと繋がる階段があるだけだ。
 天空の迷宮へ進めば、合流はほぼ不可能になるだろう。
 それどころか、無事に帰ることも難しいと考えるのが普通だ。
 ケルビエルを倒すという選択も、ゾフィエルの登場で困難となる。
 消耗した凪とカシスに、具現する力を失ったイヴ。
 時間がたてば、状況が更に不利なものへ変わるのは明白だ。
 ここで死を選ぶより、天空の迷宮へ逃げるべきと凪は考える。
(けど・・・今はイヴを担いで階段を下りるような余裕はない。
 どうにかして、ケルビエル達を怯ませて隙を作らなきゃ)
 最初から天空の迷宮へ進んでおけば、とも考えるが、
 過ぎたことを悔やんでいるような時間はなかった。
 凪の光による具現を警戒してか、ケルビエルはゾフィエルに言う。
「おい、ルシードの光をまともに食らうのは避けたい。
 ゾフィエル、お前は念のため防御のイメージを固めてくれ」
「オーケー。こと闘いにおいては、恐ろしく頼りになる奴だよ、お前は」
「なるべく長いことエキサイトしたいだけさ。
 ミスして終わりじゃクールとは言えないからな」
 二人はそんな会話の後、揃って凪たちへと飛びかかってきた。
 後方からカシスはゾフィエルの額目掛けて水の刃を放つ。
 円状に構築された刃は、ゾフィエルの額の前で彼の手に受け止められた。
「随分と貧相なイメージだな。脇役は弁えろや」
 お返しとばかりに、彼はカシスへ何かを投げようとする。
 そこへ凪が遠心力を利用して、ゾフィエルの顔をかかとで蹴りつけた。
 回し蹴りはこめかみに直撃したが、同時にゾフィエルが拳を振り下ろす。
 軽く吹き飛ばされながらも、凪はそれを両手で受け止めた。
 床に着地して、すぐに後方へと下がる凪。
 彼を追いかけるように、ケルビエルが拳を構えていた。
(させないのっ)
 カシスは水の矢を、ケルビエルの左から脇を狙って射る。
 右拳を振り抜く途中の彼にとって、それは死角からの攻撃だ。
「ぐうっ・・・!」
 凪へ拳を当てる前に、水の矢が刺さって彼の体勢を崩す。
 ケルビエルたちの誤算は、カシスの存在を大きく侮っていたことだった。
 彼女を無視したところで、大した影響などないとタカをくくっていた。
 確かに、恐れるほどの戦力を持っているわけではない。
 だが彼女は凪を最大限サポートすることに徹した。
 結果として、ケルビエルの体勢を崩し隙を作ることに成功する。
 光をイメージするほどの時間はないが、全力で殴ることは可能だ。
「こ・・・のおっ!」
 持てうる全力を込めて、凪はケルビエルの腹に掌底を叩きこむ。
 彼の巨体は衝撃で宙に浮きあがり、背後へと吹き飛んでいく。
 凪がこの隙にちらりとイヴを見ると、
 そこには彼女を背負うカシスの姿があった。
「ほんと、頼りになるやつ」
「当り前なの」
 短くそう話すと、二人は急いで階段へと走っていく。
 即座に体勢を立て直し、ケルビエルとゾフィエルはそれを追う。
 追うのだが、階下には天空の迷宮が広がっている。
 おいそれと凪たちを追い続けることはできなかった。
 下手に迷いでもすれば面倒な事態、引いては失態となる。
 だというのに、ゾフィエルは怒りでそんなことは考えもしなかった。
「よくもやってくれたな・・・このクソガキどもがああああ!」
 大きく身体をひねって振りかぶり、彼は手に球状の何かを具現する。
 バレーボールほどの大きさを持つそれを、全力で凪たちへと投てきした。
「馬鹿野郎、こんなところでそいつを使うんじゃねえ!」
 ケルビエルが声を荒げてそう言うが、すでに球は手元から離れている。
 舌打ちすると、彼は球とは逆方向へ頭からダイブして飛びのいた。
 凪たちもそれの危険性を感じ取り、慌てて階段を降りようとする。
 球体は階段手前の壁へとぶつかって爆発した。
 衝撃波に煽られて、凪たちは階段を転げるように落ちていく。

04月10日(金)  AM07:03
エウロパ宮殿・地下三階・天空の迷宮

 震動と轟音で凪が後ろを振り返ると、
 階段は天井が落ちてきたのか完全に埋まってしまっていた。
 更なる崩壊を招くことを考えると、これを粉砕して取り除くのは難しい。
 凪は辺りを見渡して、カシスとイヴが無事なことを確認する。
「ったく、あのヒゲ野郎・・・短気すぎなの」
 忌々しげにカシスはそう言った。
 それを横目に見ていたイヴは、彼女の闘いぶりに感心した様子だった。
「強くなったな、カシス」
「・・・ルージュに褒められると照れるの」
 素直に嬉しそうな顔をするカシス。
 それを凪が見ていると、むっとした顔をする。
「なにみてるの」
「や、べつに」
 納得いかなそうな顔でカシスは凪をじっと見ていた。
 イヴの前だと素直なんだな、などと思うが凪は口に出さないでおく。
 落ち着いたところで、三人は地下三階を先に進むことを考え始めた。
 階段周辺は少し大きい部屋になっている。
 前方には扉が一つ、左右にも扉が一つずつあった。
 さしあたっての危険は感じられないが、
 生物の存在を感じられない、しんとした静けさは不気味でもある。
 移動を開始する前に、凪はイヴに声をかけた。
「身体は大丈夫?」
「ああ・・・足は相変わらずだが、今のところ他に問題はない」
「そっか」
 ロストフェザー症候群のことや様々なことを考えはじめると、
 イヴは胸を掴まれたような気分にさせられる。
 弱音を吐くことはしなかったが、この気持ちがいつまで続くだろうか。
 自分の弱さがイヴは不安で仕方がなかった。
(怖い・・・寄る辺ないということは、こんなに頼りないものなのか)
 もう二度と、何も考えず神に従っていた自分には戻りたくない。
 神への信仰は変わらないが、凪たちを裏切るようなことはしたくない。
 けれど、そこへ戻れば楽になれるということも解っていた。
 ただひたすらに信じていれば、心は不安でなく信仰で満たされる。
 そんな葛藤を表面にはおくびにも出さず、イヴは凪の背に掴まった。
 

Chapter148へ続く