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黒の陽炎
−4thSeason−

著作 早坂由紀夫

Arcadia Inside

Chapter149
「聖域の外殻」
 


04月10日(金)  AM06:46
アルカデイア・エウロパ宮殿・大天使長室

 ミカエルの居ない大天使長室には、沈黙する三人の姿があった。
 重苦しい雰囲気を漂わせ、彼らはソファーに座してミカエルを待っている。
 カマエル、ラグエル、ウリエルの三人だ。
 ややあってミカエルが飄々とした態度で扉を開ける。
 軽い挨拶を交わすと、彼は奥にある大天使長用の椅子に腰かけた。
「さてと。早速だが用件を聞こうか」
「ラファエル追撃の結果報告と、老賢者の一件について話を聞きに来た」
「ああ、なるほど。とりあえずヘマしたことは解ってる。
 細かいことは報告書にまとめて記載しておいてくれ」
 興味なさそうな表情でミカエルは顎に手を当てる。
 その態度に不安なものを感じながら、ラグエルは彼に言った。
「ミカエル様、老賢者の件についてですが、本当にラファエルが
 ジョフ、シウダードの両名を殺害したのですか?」
「本当じゃなければよかったがな。俺とカマエルが現場を目撃してる」
 そう言われて、思わずカマエルは心の中で苦笑いをした。
 ラグエルが振り向いて睨んできたので、彼は慌てて余所を向いてみる。
「あのラファがそんなことを――」
 両の手で頭を抱えながらウリエルはそう呟いた。
 出来れば信じたくはない。だが、有力な目撃者がいる。
 動機も、考えようと思えば幾らかそれらしいものは浮かんだ。
 ジョフとシウダードにイヴの無罪を訴え、それを無下に断られ殺害。
 時間的な問題を考えれば細かな矛盾があるのだが、
 逐一時計を見ていたわけでもないウリエルにはそれが解らない。
 うろたえるウリエルに、ミカエルは冷静な口調で続けた。
「更に、先ほど俺がラファエルを捕捉して交戦したが、
 老賢者ラツィエルに妨害を受けて失敗した」
「馬鹿な! ラツィエル様が、ラファの手助けをしたというのか?」
 声を荒げてウリエルは目の前の机を叩く。
 隣に座っているラグエルも、それには驚きを隠せなかった。
「ああ。確かにあの爺は、ラファエルを連れて逃亡しやがった」
「なんと、いう――今日は、なんという日なのだ――」
 肩をすくめてウリエルは額に手を当てる。
 信じられない出来事の連続で、彼は心身ともに疲弊していた。
 そんな彼の様子を見ながら、ミカエルは煙草を取り出す。
 冷めた目で彼はウリエルとラグエルを見ながら言った。
「一日で色々あって大変なのは確かだがな。悲観してる暇はねえぜ。
 ラファエルとラツィエルを追跡して、捕縛しなきゃならない。
 そして老賢者の体制が崩壊した今、ジョフの代理を立てる必要がある」
 ジョフの代理、つまりは天使の実質最高責任者。
 それこそがミカエルの狙っていた地位だ。
 熾天使の多くが気まぐれで権力を行使せず、熾天使長の座も不在の今、
 その地位に立つことができれば全ての最終決定権が与えられ、
 現在の天使の中では最も意見を重視される立場となる。
「彼らが死んだ今、我々は次なる指導者が必要だ」
 事務的な口調でそう口にするミカエルに、
 思わずウリエルは文句の一つも言いたくなる。
 死を悼む前からそんな話をするのか、と。
 だが、すぐに思い直してウリエルは口を開いた。
「混乱を避けるためには、確かに代理を立てる必要があるな」
「そこで、俺が一時的にその役割をやらせてもらおうと思っている」
「な――」
 他の老賢者に任せるものと考えていたウリエルは、
 その言葉を聞いて二の句が継げないほど驚かされる。
 今より高い地位を狙うことなど、老賢者が認めるはずがない。
 彼らは四大熾天使の地位すら疎んじているのだ。
「残りの老賢者はケルビエル、ゾフィエル、アドゥス、ガルガリエル、
 オファニエルだが、奴らは代表に立つ器じゃない。そうだろ?」
「それは、私の口からは何とも言えんが」
「まあ文句は出るだろうが、上手くやってやるさ」
 妙な自信を覗かせるミカエルに、ウリエルは何か不安なものを感じる。
 彼にこのまま全てを任せてしまっていいのだろうか。
 本当に、彼がジョフの代理として座することで天使は良くなるのだろうか。
 今の時点でそれは理由のない不安にすぎない。
 漠然とした不安を抱いたまま、ウリエルは部屋を後にする。

04月10日(金)  AM06:58
アルカデイア・エウロパ宮殿・大天使長室

 ラファエル追撃のためにウリエルが居なくなった後、
 室内にはミカエル、ラグエル、カマエルの三人が残っていた。
 ラグエルからはわずかに怯えの表情が覗く。
 当然、このあとラファエルを逃した責任を追及されると考えたからだ。
「ミカエル様、私は――」
「俺はお前を買い被りすぎてたようだ」
「え?」
 彼女の話を遮って放たれたミカエルの冷たい言葉。
 動揺して、ラグエルの身体が硬直する。
「がっかりだよ、ラグエル。お前がラファエルを捕縛していれば、
 ジョフとシウダードは死なずに済んだ」
 なんて酷いことを言うのだと、カマエルはソファーに腰掛けながら思う。
 もしラファエルを捕縛出来ていたら、困っていたのはミカエルだ。
 殺害の濡れ衣を着せることができなかったのだから。
「今回は特に処罰はないが、次はないと思えよ」
「――はい」
 沈痛な表情のまま、ラグエルは挨拶をして部屋から出ていく。
 その後すぐにカマエルは、ミカエルに対して文句を言った。
「あんた、今回ちょっとあの人に厳しすぎないッスか?」
「当然だろ。ミスをした部下に優しくするかよ」
「あの人がミスしなかったら、あんただってまずいことになってたんスよ」
「別に問題はない。ラファエルが駄目なら、誰か――最悪お前を切ればいい」
「なっ」
 当然のようにミカエルはそう言ってみせる。
 自分が今ごろ濡れ衣を着せられていたかもしれないと知って、
 カマエルは怒りと驚きで声がでなかった。
 そんな彼の態度を笑うように、ミカエルは平静な口調で言う。
「最悪の話だ。なるべくお前は失いたくない」
「なるべく、ね」
「だが覚悟はしておけ。言っただろ、清濁併せのんでもらうと。
 俺と共に歩く道は、どれも人間が言うところの地獄に通じている。
 全てが上手く行ったとしても、俺とお前が行きつくのはそこだけだ」
「あんた――」
 生半可な覚悟ではない。
 今更ながら、カマエルはミカエルの考えを見誤っていたことに気づいた。
 彼は最初から何かを決めた上で、そこへ向かって進んでいる。
 目先の地位や権力などは過程でしかないのだ。
 この男が進む先には破滅しか待っていないと、カマエルは強く感じた。
 それほど、ミカエルからはマイナスの意志を感じる。
(俺は、このままこの人についていっていいのか?)
 疑問を抱きはするが、後戻りできないことは解っていた。
 既に陰謀の片棒を担いでしまっているし、
 ミカエルという男を敵に回したくはない。
 それに、彼が成そうとしていることを知りたい気持ちもあった。
「出来るだけ、俺は地獄に行かない方向に覚悟しておきますよ」
「ふん――好きにしろ」

04月10日(金)  AM09:13
エウロパ宮殿・天空の迷宮

 鬱蒼とした緑に隠された道を見つけた凪たちは、
 奥にある扉を進み歩き続けていた。
 扉の先にあったのは、終わりの見えない一本の大きな通路だ。
 天井は先ほどよりも高く、左右の幅も広がっている。
 床の中心にはラインか何かを引いた跡が残っていた。
 期待と焦燥に後押しされながら、三人は出口を目指して歩き続ける。
 休みたい気持ちよりも、早くこの迷宮を抜け出したい気持ちが強かった。
 一時間近く歩き続けた辺りで、イヴは凪を心配して声をかける。
「そろそろ休もう、凪」
「――うん、そうだね」
 彼はイヴを背負って歩いているせいで、大粒の汗をかいていた。
 ひんやりした地面に腰を下ろすと、凪は壁によりかかって休む。
 近くの壁にイヴが、反対側の壁にカシスが座った。
 相変わらず辺りの壁は樹の枝葉や幹などで覆われている。
 疲れた様子で、カシスは傍にある枝を引っ張ってみた。
「それにしても長い廊下なの。作った奴はばかとしか思えないの」
「いや、地面をよく見てみろカシス。轍に似た痕跡がある。
 ここは本来歩いて通る場所ではないようだ」
 イヴはそう言って、地面の微かなへこみを指さす。
 車か何かを使い通行していた痕跡だと彼女は推測した。
 それが事実かは解らないが、徒歩で一時間以上かかる通路を作るならば、
 時間を短縮できるような通行手段を用意していたとしても不思議ではない。
 疑問は、この通路――引いてはこの迷宮を何者が建造したかだ。
 誰が利用するために建造されたのか。この迷宮は何のための施設なのか。
 本来ならば、迷路とは何かを守るために作られるものだ。
 この先には何か守るべきものが隠されているのだろうか。
 或いは、全く別の目的で建造された迷宮なのか。
 考えれば考えるほど、イヴは出口のない迷路を彷徨う気分にさせられる。
 しばらくしてから休憩を終えると、
 凪たちは更に通路を三十分ほど歩き続けた。
 すると視線の先に、長いこの廊下の終わりが見えてくる。
 入ってきた扉と造形は違うが、似たロゴを配した扉がそこにはあった。
 近づいていくと、凪はその扉の形状に見覚えがあるような気がしてくる。
(あれ? あの形って、まるで――)
 中心から左右に開くように造られている巨大な扉だ。
 現象世界にあるエレベータの扉と少し形状が似ている。
 彼らが近くへと歩いていくと、その扉は音もなく左右に開いた。
 内部は広いが行き止まりとなっている。
 インフィニティに行った際に階層移動エレベータを目にしていた凪は、
 それがエレベータのような機能を持ったものだとすぐ理解した。
 三人が中に入ると、がたんと音を立てて地面がゆっくり回転を始める。
 少し慌てる凪とカシスだが、百八十度ほど回転すると動きが止まった。
「部屋自体が向きを変えたようだな」
 現在の状況をイヴは険しい顔でそう推測する。
 じきにふわっと浮かぶような違和感。続いて部屋自体が動き出した。
 何処へ向かっているのかは解らないが、
 明らかに今までの迷宮の構造とは異なっている。
「迷宮は終わり――なのかな?」
「そうだといいが」
 ぼそっと凪が呟いた言葉に、背中のイヴがそう答えた。

 

 それから十分ほどの時間が過ぎ、部屋は次第に移動速度が落ちていく。
 完全に動きが停止すると、部屋の扉が左右に開き光が差し込んできた。
 迷宮と比べて強い光が外には充満している。
 天井は白い靄みたいなものでよく形が解らないが、
 よく観察してみるとガラス張りのようにも見える。
 凪たちが扉から出て見たのは、円状の巨大な空間だった。
 全長は優に四キロメートル四方ほどはあるだろうか。
 今の凪には一周して回る気も起きないほど広い空間だ。
 中心部には、何か途方もなく太い幹のようなものが見えている。
 それを囲むように、ドーナツ状の細い空間が広がっていた。
 床は金属製に見えるが、凪には何の金属か想像もつかない。
 とりあえず三人は中心部に向かって歩いていく。
 すると、太い幹の奥に空間が広がっていることに気がついた。
 目を凝らして見ると、その中には何かの装置と何者かの姿が見える。
 彼、或いは彼女はその装置の一部として組み込まれているようだ。
「なに、あれ――」
「よく解らないけど、なんだか気味が悪いの」
 幹を隔てて遠くに見える装置は、不気味な雰囲気を醸し出している。
 感じるのは生理的なおぞましさだ。
 凪たちがその装置をじっと見ていると、誰かの声が辺りに木霊する。
「聖域を踏み荒らす者どもよ。その命で詫びたとて、足りぬぞ」
 声に反応して凪が振り向くと、そこには一人の天使が立っていた。
 数枚の羽根を背に、彼は三人をぎろりと睨んでいる。
 角ばった顔に揃った前髪、おかっぱ頭が特徴的な男だ。
 現れた天使の姿を見た瞬間、イヴはぞっとして凪たちに告げる。
「あの羽根の枚数、恐らく熾天使と見てまず間違いない――」
 熾天使。天使の中で最も高位に位置する存在だ。
 ルシファーやアザゼル、サンダルフォンといった顔ぶれは、
 その中でもとりわけ有名と言えるだろう。
 彼らと同位なだけあって、熾天使は誰もが底知れぬ実力の持ち主だ。
 目の前の天使も例外ではないだろう。
 相対するだけで伝わってくる、強者特有の張り詰めるような空気感。
(ルシエと比べたらどっちが強いかな。凄すぎて全然解らない――)
 相手の実力すら測りきれないことに、凪は思わず苦笑いが零れる。
 イヴを降ろして構えようとする凪だが、その前に天使がそっと手を挙げた。
 同時に、彼の左右に同じ姿をした天使が一人ずつ現れる。
「――え?」
 あまりの光景に、カシスは素っ頓狂な声を上げてしまった。
 何をしたのか解らず、凪とカシスは警戒しながら彼を見つめる。
 ややあって、計三人に増えた天使たちは同じタイミングで口を開いた。
「土産代りに名乗っておこうか。我が名はミクソール。
 ミクソール=ヨエルエノク=メタトロンなり」

Chapter150へ続く