Back

黒の陽炎
−4thSeason−

著作 早坂由紀夫

パラダイム・シフト

Chapter165
「定められた運命連鎖の中へ」
 


04月15日(水) AM0:40
白鳳学園

 イヴの行方を教える。そう話すルシファーに凪の心は揺れ動く。
 彼の言葉が事実だとすれば、悪魔に加担してでも得たい情報だ。
 明らかに凪が動揺したことに気づき、リヴィーアサンはそれをたしなめる。
「凪、落ち着きなさい。相手のペースで物を考えては駄目よ」
「あ――うん」
 そんな様子を見て、ルシファーは少し驚いた様子で彼女の方を見た。
 彼が知るリヴィーアサンという悪魔は、理知的ではあるが激情家。
 だからこそ、一度は彼に牙をむき紅音の身体に封印されている。
「君はもう少し直情的な悪魔だったと思うけど、変わったのかな。
 封印された恨み、イヴを助けたい焦り――君は表面に出さない」
「おかげさまで理解したからね。まだ貴様には到底届かない、と」
 今は敵わない相手だと、リヴィーアサンは素直に認める。
 逆に、それはいつか同等の実力を得てみせるという自信でもあった。
 ふっと笑うとルシファーは凪の方を向き直す。
「さて――それで、今の話どうする。高天原凪君」
「本当に、イヴが今どこにいるか知ってるんですか?」
「知っているよ。そして、君が望むなら僕は彼女を助けるため尽力しよう」
 僕は君の味方だとでも言いたげな、優しい表情で彼はそう言った。
 頷きそうになるのをこらえて、凪は一呼吸置いてよく考えてみる。
 うますぎる話だ。胡散臭さを覚えるほどに。
 凪の疑惑を代弁するように、リヴィーアサンがルシファーに話しかけた。
「ただしルージュの居場所を教えるのは、争いの決着が見えてから。
 どうせそんな条件が付くんでしょう?」
「仕方ないことだよ。シンボルたる彼に、途中で居なくなられては困る」
 彼女の指摘に、ルシファーは平然とした顔でそう返答する。
 何もおかしくはない、と言わんばかりの態度だ。
 現在イヴがどのような状況にあるか、凪達には全く解らない。
 夢姫に連れ去られたか、或いは置き去りにされたかと推測できる程度だ。
 前者ならば彼女がいつ殺されたとしても不思議はない、と考えられる。
「天使と悪魔の争いがどれだけ続くかも解らないのに。
 あんたは、ルージュを助けに行かせるつもりなんてないんでしょう」
 リヴィーアサンはそう言って腕を組み、ルシファーを睨みつけた。
 戦争はいつまで続くのか。それは決して誰にも解らない。
 天使の敗北が決定的になるまで、ルシファーは何も教えないだろう。
 そのときまで、果たしてイヴは生きているだろうか。
 想像することしか凪には出来ないが、それは絶望的な可能性に思えた。
「居場所を教えてくれたら、私が悪魔に加担する――っていうわけには?」
「ふふ、そうしたら君が悪魔に加担する理由がなくなる。
 きっとモチベーションも下がるだろうね。
 加えて言うなら、そのとき君がまだ悪魔に協力するという確証がない。
 いつ逃げ出すかもしれないし、天使に寝返るかもしれない」
「そんなことはっ」
「絶対はないし、口約束で人の心は縛れないよ」
 優しい口ぶりでルシファーは冷静な言葉を突きつける。
 誰も信じないという意味を含めているわけではない。
 形や行動の伴わない約束に、信頼する価値はないと考えているだけだ。
 悪魔の契約、その原点といえる。
「残酷と思うかい? けれど、僕にもやらねばならないことがある。
 現状だと、君たちに出来るのは途方に暮れることくらいだし、
 僕の申し出を受ける方が可能性はあると思うけどね」
 ルシファーがイヴの場所を話さなければ、
 当然ながら凪達は手がかりなしでゼロからイヴを探すしかない。
 それならば、ルシファーの話に乗るほうが確実だ。
 可能性だけを考えるなら、彼の言うとおりかもしれない。
 話が途切れそれぞれが思考を巡らそうとした時、
 ミカエルが吐き捨てるようにルシファーに言った。
「はッ、よく言うぜ。その可能性って奴を解ってんだろ、てめえは」
「どういう、こと?」
 意味ありげなミカエルの言葉に、凪は疑問を浮かべる。
 何か妙な含みを持たせた言い回しだ。
 先のことを予測できる、という意味合いなのだろうか。
 質問には答えず、彼は煙草を地面に捨てるとそれを踏みつぶした。
「いいか、猶予をやる。俺につくか、悪魔につくか。二日で決めろ」
 はっきりとした時間を提示してくるミカエル。
 どこか彼は凪と敵対する前提で話しているようにも見える。
 少なくとも、それは積極的に味方へ引き入れようという態度ではなかった。
「これでもかなり譲歩してやってるんだぜ。
 恐らく二日後、とっくに闘いは始まってるだろうからな」
 そんな彼の強引な提案を、横からルシファーが賛成する。
「ちょうどいいな。僕も二日後、君に返事を聞くとしよう。
 君が開戦から参加しないとしても、闘いに大きな影響はないからね」
「じゃ、じゃあどうして私を仲間に引き入れようとするの」
「簡単なことさ。そういう積み重ねで闘いは決するからだよ。
 ルシードというシンボルは、両陣営の士気に影響を及ぼす。
 例えそれが僅かでもプラスになるのならば、引き入れる価値はある」
 だからといっても、ただのシンボル、一人の戦力に対して
 大将自ら勧誘に赴くのは、やはり特異なことだろう。
 話した以上の意味合いがあると、リヴィーアサンは直感していた。
「今日は夜遅くにすまなかったね。力を貸してくれることになったなら、
 お詫びに何か甘いものでも御馳走しよう」
「甘いもの――」
 思わず凪はぴくっと反応してしまう。
 お汁粉に一家言ある彼としては仕方ないことだ。
 知ってか知らずか、その様子に笑みを浮かべると
 一同を残してルシファーは夜の闇へと姿を消す。
 比喩ではなく、彼の姿は凪の前から煙のように消えうせた。

 

 ルシファーが去った後、溜息をついてミカエルが口を開く。
「何が悲しくて、甘味に釣られるようなガキを勧誘しなきゃならねえんだ。
 全く、てめえみたいのがルシードだとか正に世も末だな」
「うっ――そ、そんなこと言ったって、仕方ないじゃない」
「ともあれだ。悪魔につこうって腹なら覚悟は決めておくんだな。
 容姿や性格がどうだろうと、顔見知りだろうと俺は容赦しねえ」
 ふざけた様子で話しながらも、彼の目つきは鋭く凪を射抜いている。
 元より情けを掛け合う間柄でもないが、本気で容赦しないという目だ。
「よかったなあ。どっちについてもお前に待ってるのは地獄だ」
「こ、このやろお」
 そんな状況が羨ましいと言いたいかのような口ぶり。
 かちんと頭に来て殴ってやりたい衝動に襲われるが、
 大人げないと思い凪は拳を握ったままそれを抑える。
 その様子を嘲るような顔で見ながら、ミカエルは続けて言った。
「ただな、意外と地獄を潜った先に望むものがあるかもしれねえぜ」
「え?」
 最後に意図の掴めない一言を残すと、ミカエルは翻って歩きはじめる。
「――さて、俺も樹に向かわなきゃならないんでな。
 二日後に使いを寄こすから、それまでよく考えておけ」
 どうやら彼の方は歩いてこの場を去るようだった。
 ミカエルの姿が見えなくなった後には、しんとした静寂が残る。
 なんとなく口を開くことが憚られて、しばらく無言のまま時間が流れた。
 ため息とともにそれを破ったのはリヴィーアサンだ。
「ったく、人が紅音の寝てる間に暴れてやろうと思ったらこれだ。
 折角のお楽しみが、これで台無しになっちゃったわ」
 そういえば、と凪は自分が彼女と闘っていたことを思い出す。
「り、リヴィーアサン――」
「そんな心配そうな顔しなくても、もうこっちは興ざめよ。
 ルシファーが目覚めた今、私が動く理由もない。
 凪を虐め足りなくて欲求不満だから、ちょっと残念だけどね」
「いや、それはずっと不満でいてくれないかな」
 苦笑いを浮かべながら、改めて凪は彼女が本気だったと理解した。
 外見のせいでいつも忘れそうになっているが相手は悪魔。
 どんなときでも味方であるはずがない。
 それでも、彼女の存在は凪にとって心強いものだった。
 先ほどあったルシファー達との話し合いも、
 彼女がいなければどうなっていたか解らない。
 今は味方でいる。それで充分なのだと凪は自分を納得させた。
 敵に回ることを考えたりするのは、性に合わないのだろう。
「くしゅんっ」
 不意に真白がくしゃみをして、凪はそっちへ意識を向ける。
 まだ寒いこの季節に、寝間着姿の彼女はさぞかし寒かったことだろう。
 リヴィーアサンが現れルシファーが現れミカエルが現れたので、
 どうにもできずただ立っていた彼女の身体はすっかり冷え切っていた。
「ご、ごめん真白ちゃん」
「いえ。なんか大変みたいですし。あ、できれば温めてほしかったり」
 照れた顔をして彼女は凪にそう言う。
 一瞬だけどきっとさせられるが、すぐに彼女の頭をカシスが軽く叩いた。
「いたっ――何するんですか」
「調子乗るな、ばか」
 そこから予定調和のように口喧嘩が始まり、凪はくすっと笑みを零す。
 先ほどまでの非現実的なやりとりから、
 一気に現実へ引き戻されたような気分だった。
「とりあえず今日は休みましょう。色々と頭を整理する必要があるしね」
「うん。賛成」
 頷くと凪達は、揃って寮へと歩き出す。

 

 それから半日後。
 セフィロトの樹が位置する砂漠から遠く、
 市街地が築かれている山脈がある。
 一番高いところで標高が三千メートル弱ほどあるごつごつとした山だ。
 その中でも人が立ち入らない険しい場所を選び、
 悪魔たちは中腹にある深いほら穴に陣営を張っていた。
 内部は多くの機械が設置されていて、現代的な住居が構築されている。
 全ての悪魔を収容するほどのスペースはないが、
 陣営にいるのは一部の者だけなので問題はなかった。
 多くの悪魔は既に散開して開戦の合図を待っている。
「天使も既に、樹周囲に拠点を築いている様ですな」
 大きなテーブルがある部屋で、老悪魔がそう言って地図を開いた。
 話している相手はルシファーをはじめとする数人の悪魔だ。
 ルシファーはいつの間にか、日本から此処に戻ってきている。
 通常の交通手段を使えば二日から三日はかかる場所だが、
 どうやら彼に既成の概念は通用しないようだ。
 老悪魔の言葉を聞いて、考える様子を見せながらルシファーは言う。
「想定通りだね。天使は恐らく全方位を警戒してるだろう」
「単純な数では我々が不利なのは自明。さて、どうしたものか」
 悩む素振りを見せつつ、ベリアルは足を組んでそう言った。
 悪魔の手勢は大まかに見て天使の三分の一程度。
 真っ向勝負を挑めば勝ち目がないのは明らかだ。
「それだね、アサグとベルゼーに先陣を切ってもらおうか」
 切り込み役としてルシファーが選んだのは二人の悪魔だった。
 それを聞くと老悪魔はなるほどと頷く。
「病魔と蝿の王とは――ルシファー様の意図が読めましたぞ。
 上手くすれば、奴ら天使の勢力を幾らか削れるやもしれませんな」



 樹の周囲一帯を取り囲むように広がる砂漠。
 熱い日差しを受けながらそこを歩く、二人の天使の姿があった。
 彼らは円状に配置された前線部隊を回り、激励と索敵を行っている。
「俺たちを前線に出すとは、ミカエルの野郎面白いことを考えやがる」
「あわよくば死んでほしいってことだろ。イラつく野郎だ」
 ケルビエルとゾフィエルの二人は、険しい顔で会話する。
 暑さのせいもあるが、ミカエルへの苛立ちも一因と言える。
 何しろ、二人を防衛ラインの前線に配置した張本人だからだ。
「ま、生き残ればいいさ。俺は何があろうと生き残る自信はある。
 それに後方支援なんてのは性に合わねえ」
「老賢者に就任して以来、ストレス発散もなかなか出来ねえしな」
 会話しながら歩いていると、二人は遠目に見える部隊の異常に気づく。
 何やらもがき苦しむような様子の者、倒れている者の姿が見えた。
 即座にそれを異常事態だと認識、二人は辺りの様子をうかがう。
「おいブラザー、なんだかヤバいことが起きてるみたいだぜ」
 ゾフィエルはポキポキと指の骨を鳴らしてそう言った。
 彼らが警戒する様子を、遥か頭上から影が一つ見下ろしている。
 それの体躯は球状で、体中には無数の目と計六本の手足があった。
 ぴくぴくと瞬きをしながら、直径三メートルほどある球体は移動を始める。
「我がイメージの有効範囲内にわざわざ入ってくるとは好都合――」
 どうやらそれは、ケルビエルたちと交戦するつもりはないようだ。
 代わりに赤黒い皮膚から緑色の液体を散布する。
 液体はすぐに蒸発して霧状になり、空気中に溶け込んでいった。

Chapter166へ続く