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黒の陽炎
−4thSeason−

著作 早坂由紀夫

パラダイム・シフト

Chapter179
「破壊と再生の宴-01-」

   

 数的優位に立っていた天使は、幾つもの要因により
 じわじわと劣勢へと追いやられつつあった。
 ルシファーが率いた精鋭部隊による一点突破作戦は、戦果もさることながら
 副次的に天使たちの士気を著しく下げていた。
 樹への侵入をルシファーが果たしたことで、悪魔は高揚し士気を高めている。
 その差が、如実に前線で現れ始めていた。
「烏合の衆ごとき天使が、我々の進撃を止められると思うか!」
 声を張りあげ、ベリアルが魔槍アルター・アルマを振るう。
 一呼吸のうちに、周囲の天使たちが無数の肉片に変えられていく。
 並みの天使にその暴虐を止める術はない。
 彼以外にもリリスとベルフェゴール、フォラスなど、
 名高い悪魔たちがその圧倒的な力を見せつけていた。

 一方。ウリエルはベルゼーブブと対峙し、フィルフォークを構えて硬直する。
 以前と同じく、全くその動きを捉えることができなかった。
 左と思えば右、その速度は認識すら追い越して残像さえ残すほどに疾い。
 認識の外から来る一撃を、ウリエルは守りに徹することで受けようとした。
 肩口、脇腹へ浅く太刀筋は伸びるが、辛うじて致命傷は避けている。
 アースバウンドを周囲にイメージし続けることで、
 ベルゼーブブが目前に迫ったときに幾らか動きが遅くなるからだ。
 だが、それは焼け石に水であり、反撃はおろか満足に回避もできない。
 死を先延ばしにするだけの行為でしかなかった。
 何か策はないか。考えるウリエルをあざ笑うように、
 その眼前でベルゼーブブが静止する。
「ここで貴様は終わる。過去の因縁と共に散れ、ウリエル」
 彼の言葉に応えることはせず、神剣フィルフォークを構え振り上げた。

 切っ先が触れる前に、ベルゼーブブの身体は後方に離れている。
(このままでは確かにまずい。だが、単に速いという利点。
 それはシンプルゆえに突き崩すことが難しい)

 

 ウリエルが苦戦を強いられている頃、
 後方で指揮をとるラグエルのもとに一つの知らせが舞い込んでいた。
「馬鹿な――数的には圧倒的有利だったはずでしょう」
「はい、しかしオファニエル様の隊から来た連絡では、
 双方被害甚大のため、撤退中であるとのことです」
「天使二万、悪魔一万でその体たらく――オファニエル様はなんと?」
「それが、交戦開始からほどなくして所在が不明とのことです」
 ラグエルはその話を聞いて、天使側の敗因を理解する。
 何らかの理由でオファニエルが失踪し、それにより指揮系統が混乱。
 結果として統率をなくした天使は、数的に劣る悪魔に実質的敗北を喫した。
(それにしても、あまりに鮮やかな手際。いや、こちらが甘かったのか) 
 自身が先ほど取った行動を思い出し、ラグエルは唇を噛む。
 五十年前の前哨戦争で優位に立ったことで、
 天使はこの戦いの勝利を疑わずぬるま湯に浸かっていた。
「いつまでへこんでるんスか」
 隣にいたカマエルが、ラグエルの頭にぽんと手刀を入れる。
「アドゥス様もミカエルも前線に行っちまってる今、
 指揮系統を動かせるのはあんたしかいないでしょ」
「……解ってるわよ。解ってるわよっ、あんたに言われなくても」
 拳を握りカマエルの肩を叩こうとして、ラグエルは逡巡して手を降ろした。
 カマエルの言葉に怒りよりも、安堵を覚える自分がいたからかもしれない。
「それはともかく、あんたはさっさと最前線行って
 ベリアルの一人でも倒してきなさい」
「俺、できればまだ死にたくないッス」
「いいから急ぎなさい。戦況は良くないのよ」
 苦笑しながら、カマエルは翻って指令室の扉を開ける。
 そんな彼の背中に、小さい声でラグエルはつぶやいた。
「ま、そうね――死ぬんじゃないわよ」

 

 ラグエルの言葉通り、戦況は良くない。
 最前線において天使側はじりじりと後退を強いられていた。
 悪魔を押し返すほどの勢いがあるのは、
 ケルビエルとゾフィエルが率いる隊だけだ。
 二人の周囲だけは、悪魔が千切れ飛び宙を舞う。
「思ったより手ごたえがねえが、この辺りは外れか?」
「まだ大悪魔クラスとお目にかかってねえからな。
 だが、あちらさんも俺らがこうして雑魚を片づけてれば
 放っときゃあしねえだろう」
 会話の最中も、さまざまな武器を構え悪魔たちが二人に襲いかかる。
 それを素手で受け止め、そのまま押し返す。
 流石に悪魔もルシファーの率いる部隊にいるだけあって、
 瞬殺されるほど容易い相手ではなかった。
 とはいえ、明らかにケルビエルたちの実力が上回っている。
 その前進を阻むように、巨大な剣を持つ悪魔が二人の前に現れた。
「やりたい放題やってくれたな、ケルビエルにゾフィエル」
「てめぇは――確かベルフェゴールだったか」
 ケルビエルは彼女を見て、少し気難しそうな表情をのぞかせる。
 手加減をするつもりはないが、女の悪魔はやりづらいからだ。
 対してゾフィエルにそのような考えはない。
 彼にとって、女性であることより悪魔であることのほうが重要なためだ。
 ベルフェゴールの存在を意識したその一瞬、
 二人の僅かな隙にリリスが圧縮するイメージを放つ。
 発露とほぼ同時、ケルビエルたちはその領域から離脱した。
 空間が圧縮されゾフィエルの腕が弾き飛ばされる。
 それを目の当たりにしたリリスは、逆に驚かされることになった。
「圧縮して消滅させるイメージだったのに、
 まさか大した手傷も追わせられないなんてね」
「リリス……てめぇもいたのか」
 弾き飛ばされ痺れた腕を上下に振り、ゾフィエルはリリスを睨みつける。
 ほぼ不意打ちに近い形で、理想的な一撃だった。
 それがこの結果に終わったというのに、リリスは不敵な笑みを浮かべる。
「勝ち誇った顔しないでくれる?
 私が今圧縮したのは、あんたたちの周囲だけじゃないのよ」
 彼女の言葉と連動するように、
 ケルビエルたちの足元にある砂が大きく崩れた。
 虚をつかれ、二人はそのまま沈む砂に足を取られる。
 そこへ、ベルフェゴールがクレイドル・オブ・フィルスを構えた。
「クトゥルフ・ダウン――」 
 まだ腕のしびれが残っているゾフィエルに狙いを定め、
 重力のイメージと共に剣を振り下ろす。
 ゾフィエルは足が埋まりつつあり、それを受け止めざるを得なかった。
「うおおおおおっ!」
 切り裂くことは難しいが、重力で更に彼の身体を砂に沈めることはできる。
 半身が砂に埋まり、ゾフィエルは出し抜かれたことを理解した。
「だがよ、たかが砂程度ッ! 俺が抜け出せねえとでも思うか!」
「思わんな。しかし――その分、隙は大きくなる」
 ベルフェゴールがそう話すとき、既にリリスは全力でイメージを固めていた。
 先ほどの一撃は油断させるために、あえて手を抜いたもの。
 今度は確実に、かつ有効な一打となる。
 そう考えてイメージを放とうとした刹那。
 リリスの身体が後方へと吹き飛ばされた。
「うあッ――!」
 転がっていく彼女の姿を横目に、ケルビエルが足の砂を払う。
「残念だが、俺の拳は少しばかり射程が長くてな」
 拳の圧力と衝撃をイメージにより極限化した一撃。
 足腰が砂に取られているため普段より威力は弱いが、 
 油断していたリリスを吹き飛ばすには充分だった。
 危険と判断し、ベルフェゴールは攻撃を中止してすぐに距離を取る。
「やはりそう上手くは行かないか――」

 

 遡ること少し、その戦いは既に決着を迎えていた。
 オファニエルの率いていた天使大隊は、すでに撤退を開始している。
 対する悪魔側も追撃はせず、その場に留まり損害を確認していた。
 その中には、息も絶え絶えで砂漠に横たわるオファニエルの姿がある。
「なぜ――こんな、ことに――」
 身じろぎすることすらできないのか、かすれた声でそう呟くだけでも
 精一杯のようだった。 
「オファニエル。君の失敗は、そうだな――我が軍の戦力を見誤ったこと、
 加えて戦況把握の遅れが大部分と言えるだろう」
 彼の言葉に応えたのは、忙しなく戦果を確認するクー=シー=ウォンだ。
 その隣には急ごしらえの椅子に座り、寛ぐアガリア=レプトの姿がある。
 少し離れた場所では、満足そうに浮かぶアサグの姿もあった。
「私から言わせれば、オファニエルはよくやったと褒めるべきだな。
 アサグの毒を受けるまでは、負けようのない手堅い布陣であった」
「しかし、そこからが愚策。自らが毒を受けたからといって、
 錯乱で指揮棒を完全に手放してしまったのですから。
 お嬢様でしたら、死の淵に至るまで隊を捨てるような真似はなさらぬはず」
「勿論だ。我が命一つ失うとて、悪魔の戦いは終わらぬのだからな」
「こ、んな――ところ、で」
 あと少しで安定した地位が手に入るはずだった。
 こんな前線に出たのが間違いだったのだと、オファニエルは唇を噛む。
 なぜ、このような不釣り合いな場所に来てしまったのか。
(そうだ、やはり間違いだったのだ。あの男に加担したのは。
 あそこから歯車が狂ったに違いない)
 アサグの毒は全身の痺れ、思考力のはく奪を経て、
 最終的には呼吸不全による死へ至らしめる。
「さて――我々の役目は終了した。ルシファーに加勢するとしようか」
「御意に」

 

 セフィロトの樹、頂上。
 眼下というにはあまりに下方で起きている天使と悪魔の戦いは、
 その場所からイメージの広がりを知覚することすら難しい。
 ラツィエルと別れ、ラファエルたち三人は頂上へと辿りついていた。
 まだ動くことのできないガブリエルは、ラファエルが背負っている。
 本当なら、黒澤はその役目を自分が買ってでたいところだった。
 干からびた姿の彼女を見たとき抱いた感情が、
 その資格がないと黒澤を抑え込んでいた。
 彼らの前には、レーヴァテインを床に刺して立つミカエルの姿がある。
「なかなか良い舞台が用意されたもんだと思わねえか?
 決着を付けるのが、セフィロトの樹の頂上だなんて」
「ミカエル、僕は真実を知りたい。君は――」
「隠すつもりはねえよ。どっちにしろ、もう行きつく決着は一つだ」
 返答はせずに、ラファエルはじっとミカエルを見据えていた。
 あくまで憎しみを込めず、フラットであろうとする瞳。
 視線を合わせることはせずに、ミカエルはどこでもない宙を見る。

 

 エウロパ宮殿の大天使長室――そこは昔から、彼の居場所だった。
 家具や雑貨も自分用に揃え、まるで自宅のように扱っている。
 だからなのか、気に入らない天使を入れるのには少し抵抗があった。
 前哨戦争の大勢が決してすぐ、彼のもとにその気に入らない相手が現れる。
「相変わらず、露骨に嫌そうな顔するなあ」
「できればテメェとは顔を合わせたくないんだよ、俺はな」
「まったく……あたしがラファと仲良いから嫉妬ですか」
「何度言わせる気だ。なんで俺がテメェに嫉妬しなきゃいけねえんだよ」
 馬鹿馬鹿しい、という顔でミカエルはため息をつく。
 それ以上はガブリエルも突っ込まずに、あははと笑って済ませる。
 いつもそんな問答が二人の間ではかわされていた。
 どこかで理解していたのだろう。
 ラファエルとの関わり合いが自らの存在意義に近しいという点において、
 二人が非常に似ているということを。
 それでいて、彼との関わり方において決定的な違いがあるということも。
 ミカエルがガブリエルを気に入らないのも、
 本質的にはそれが原因なのかもしれない。
「あ、そうそう本題なんだけど、あたしちょっと現象世界行こうと思うんだ」
「……何言ってる。まさか、事後処理でもしにいく気か?」 
「その通り! 微力ながら人間の力になってこようかなって」
「自分の役職考えろ。四大熾天使が軽々しく
 人間に関与して良いと思ってるのか?」
「もう少し悩んでみるつもりだけど、あたし結構やる気だよ」
 猪突猛進なところがガブリエルの長所であり、短所でもある。
 頭を抱えながらも、ミカエルは彼女がその気なら止めるつもりはなかった。
 正確には、止めても無駄なことを承知していたというべきかもしれない。
 面倒なやりとりがなくなると考えると、悪いことでもないのだと、
 半ば無理矢理ミカエルは自分を納得させようとした。
 だが、そんな彼の思考を全てぶち壊すような一言が聞こえてくる。
「それでね――あたし、ラファを連れてこうと思ってるんだ」
 彼女の言葉を理解したとき、ミカエルは自らの内に芽生えたどす黒い気持ちを隠すため、無意識のうちに拳を握っていた。



 

Chapter180へ続く