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黒の陽炎
−2ndSeason−

著作 早坂由紀夫

Pre Story
「Vice of Stream」


 開かれた扉の向こう。
 そこには過去に二つの命が存在していた。
 沢山の闇に囲まれて、幾重の運命が悪戯して。
 女性はその抜け殻となった祭壇に立っていた。
「いつか・・・きっと。いえ、私はもう・・・後悔してる。
 直に皆が気付くわ。世の中に救いがないって事に。
 その時、私は・・・提示できる希望が、無い」
 悲しげな声で静かに女性は嗚咽を漏らす。
 まるで世の全てを儚む様な表情で。

       −パターンA.大沢武人−

「あんな〜、ウチって同性愛とは違うと思わへん?」
 そう切り出したのは夏芽だった。
 女の子と音楽室で二人きり。まあ今の所は。
 俺としてはもう少しまともな会話をしたいと思う。
 だがとりあえずその話題に乗る事にした。
「同性愛だろ、お前は」
「なんて事言うてん。ウチは性同一性障害や。
 せやから女の子好きでも問題ないねん」
 何かそれは矛盾してる気がする。
 だって夏芽自身が女らしくないワケじゃないからだ。
 むしろ普通にしてれば全然女らしい。
 幼なじみの俺が言うんだから間違いないだろう。
「お前はただのレズだ」
「たっつーはいつもそれやな〜。
 レズビアンって奴にドキドキしたい年頃なのは解る。
 良く解るで。でもな、ウチを巻き込まんといて」
「それは俺の台詞だっ!」
 いつも自分の騒動に俺を巻き込むのは夏芽だ。
 ちなみに『たっつー』というのは俺のあだ名。
 大沢武人(おおさわたけひと)だから、たっつー。
 その妙なあだ名を決めたのは俺でも夏芽でもない。
「殺す〜殺す〜グリグリ殺す〜」
 物騒な歌と共に近づいてくる足音。
 音楽室の重苦しい扉を開けてそいつは入ってきた。
 すると全速力で俺めがけて疾走してくる。
「な、なな・・・!?」
「たっつー、会いたかったぞ〜」
 容赦なく俺の腹にそいつの蹴りが突き刺さった。
 のたうち回る俺を余所に夏芽が手を挙げる。
 そんな風に日常茶飯事の様に俺の事を蹴る女。
 身長150以下のチビ女、諏訪禊(すわみそぎ)だ。
「授業お疲れやな〜、禊」
「おうっ。あたし的に結構ヘヴィだった。
 けど音楽室に来るのが一日のサイクルやからな〜」
 そいつは夏芽の真似をして関西弁を喋ってみる。
 あまりしっくりこないので首を傾げていた。
「所でお前達は随分早かったなぁ。なんでだ?」
「俺らは授業が早く終わってさ、
 冬子先生に鍵貰って先来てたんだよ」
「そうそう。心配せんでも禊のたっつーは取らへんで」
 夏芽が当たり前の様にそんな事を言う。
 けど、幾ら禊とはいえ普通に結構可愛いわけだ。
 だから俺もそう茶化されるとリアクションに困る。
 俺が迷っていると代わりに禊が言った。
「おうっ。たっつーはあたしのモンだからなっ」
 当たり前だ、という顔で禊は無い胸を反らす。
 これが俺への気持ちが恥ずかしくて、とかなら良いさ。
 実際の所、これが素だからな。
「ヘドロ〜ミドロ〜武人血ミドロ〜」
「なんだよその物騒な歌は」
「さっき考えた。語呂が良いのよさ〜」
 こいつの喋り方にしろ歌にしろ独特すぎる。
 でも禊はそれが普通だと考えてるそうだ。
 俺からすればかなりタチが悪い。
 と、そんな風に俺達が話していると、
 音楽室に冬子先生と淳弘がやってきた。
「冬子、お勤めご苦労様〜」
 そんなとんでもない事を禊が言い出す。
 生徒と教師の間に置いて本来ならアウトだ。
 だが冬子先生と禊の間では違う。
「おうっ。禊もお疲れ」
 そう言って冬子先生はピアノの椅子に座った。
 彼女は教師の中ではフランクすぎるタイプだと思う。
 今だって生徒の前で平気で煙草を吸いながら、
 ピアノの鍵盤に触れていた。
 そのグランド・ピアノには冬子先生専用に灰皿まである。
 髪型も少し金に近い綺麗なセミロングの茶髪。
 まあ、そんな先生だが授業は至って普通だ。
 解りやすくて、ちゃんと聴いてれば復習の必要がない。
 そんな先生は放課後になると、
 いつも音楽室でピアノを弾いていた。
 そこを俺の友達でクラシック好きの淳弘が目撃したのだ。
 先生の名前は雪羽冬子(ゆきわとうこ)。
 これからの季節にピッタリな名前ではある。
 けどあんまり先生のイメージにはそぐわない気もした。
 なんか大人しそうな名前に聞こえるせいだろう。
 そんな先生がピアノを弾く隣でのほほんと笑っているのが、
 放課後に俺達が音楽室にたまる習慣を作った男だ。
 尭月淳弘(たかつきあつひろ)。
 髪を分けずに全部前にやっちゃってて、
 風になびくとふあさっとなる。
 それが自然の髪型だから奴は美形と呼ばれるのだ。
 女っぽい性格も功を奏して女の子に人気がある。
 その点だけが俺としては頂けない。
「タケ、僕この間さぁ・・・」
「どうした?」
「・・・言う事忘れた」
「あっそ・・・」
 こいつのぼけぼけした頭なら、
 蜘蛛の巣が張っててもおかしくないだろう。
 淳弘はとりあえず先生の方をむき直した。
「冬子先生、僕あれが聴きたいな」
「あれか。私も十八番だし、弾いてあげよう」
 そう言うと先生はぽろんぽろん、と旋律を奏で始める。
 先生の十八番。
 それはバッハの『主よ、人の望みの喜びよ』という曲だ。
 煙草の煙を吐きながら先生は気怠そうにピアノを弾く。
 優しげな旋律が午後の日差しに溶け込みそうな気がした。
 俺達は皆、一様にその曲で押し黙る。
 悪くない雰囲気の静寂が辺りを包み、
 ゆっくりとした時間が流れ始めた。
 と、そこで先生が煙草の灰を落とす為に曲を中断する。
 いつも通りだった。
 冬子先生が一つの曲を弾ききる事はあまりない。
 煙草の灰を落とす為に曲を止めてしまうからだ。
「所で、お前達には何か浮いた話はないのか?」
「そういえばウチ、前にごっつう可愛い子に会ったで」
 急な先生の質問に夏芽がこれまた素早く返事を返す。
 でも可愛い子か。
 夏芽は自称『美女レンズ』を持っている。
 それが俺とは趣味が合うので結構活用できるのだが・・・。
「どこの誰だよ」
「たっつー、慌てへんでも言うわ。
 夏祭りの時に紫齊と会ったって言ったやろ」
 言われてみればそんな事を居た様な気もする。
 紫齊って言うと古雪の事だよな。
 一時期、俺達と一緒になって馬鹿やってた。
 そういやぁ夏芽とは、漫才のコンビでも
 組めそうなくらい息が合ってたっけ・・・。
「で?」
「その紫齊の知り合いに凪って子がおったんやけど、
 あれは半端じゃない美人やったで〜」
 美少女より美人がタイプの俺としては見逃せない情報だ。
 さらに夏芽に詳しく話を聞く事にする。
「凪・・・か。古雪と同じ高校の子か?」
「せや。今まで見た美人とは格が違ったわ」
 夏芽は見てきた物事を大げさに言うタイプじゃない。
 そんなこいつがここまで言うって事は、
 よっぽど可愛いって事だ。
 ちょっと心にメモして置いた方が良さそうだな。
 とそこで淳弘が思いだした様に言う。
「古雪さんと同じ高校か・・・冬子先生、
 前にそこの教師の人と恋人だったって聴いた気がする」
「っ・・・ど、どこからそんな情報を仕入れた?」
 少し困惑気味で冬子先生が淳弘を見る。
「う〜ん、確か女の子が教えてくれたと思うんだけど」
「まあいいよ。とにかくその子の名字は?」
 俺が夏芽を急かすと禊が暴れ出した。
 なんだか俺の行動が気にくわないらしい。
 人の頭をバコバコ叩きながら禊は言った。
「お前はあたしのモンだって言っただろ。
 他の女には目もくれるなっ」
「阿保か! 別に付き合ってねえだろ!」
「付き合ってないけど、所有物」
 お、俺を物扱いしやがって・・・。
 男だったらパンチの二発も入れたい所だ。
 だがそこをぐっと我慢して夏芽の言葉を待つ。
「確か高天原凪、っていう名前やと思う」
「高天原さんね・・・髪型は?」
「ウチが会った時は長い黒髪で一つに結わいとったで」
 おお、なんか美人ぽい。
 今度マジで古雪にでも紹介して貰おうか。
 そんな事を考えてると夏芽が急に席を立ちあがった。
「しもたっ! 凪の尻は触ったけど、胸を揉んでへんっ」
「・・・尻には触ったのか」
「当たり前や〜ん。『ひゃっ!?』
 なんて言うて、可愛かったなぁ〜」
 顔が解らないのでどうとも言えない。
 だが反応から可愛い女の子が想像できた。
 すると淳弘が笑いながら俺に言う。
「タケ、そんないやらしい笑顔してたら鬼に笑われちゃうよ」
「大丈夫だ。それは来年の話をした時だから」
 先生はそんな俺達の会話に参加せずに黙っていた。
 どうやら何かを考えているらしい。
 煙草の灰が限界まで伸びていた。
「冬子センセ、灰が落ちるよ」
 淳弘の忠告にふっと我に返って煙草の灰を落とす。
「すまんな。この歳になると過去の思い出に浸れるらしい」
「まあ三十近いわけだしね」
 俺がそう言うと先生はちょっとむすっとした。
「私はまだピチピチの二十代、しかも五回の表だ」
 五回の表というのは良く解らないけど、
 まだ全然行けるという意味らしい。
 確かに若く見えない事もないけどな。
「でも過去の思い出に浸るって、何の?」
 ふと俺はそんな直球を冬子先生にぶつけていた。
 先生は苦笑いをして煙草を吸う。
「まあ、恋人との甘い記憶ってトコかな」
「確か黒澤先生っていう人だよね」
「・・・だから尭月よ。なんでお前はそんな事を知ってる?」
「女の子の誰かが言ってたよ」
 淳弘の周りにはいつも女が一人はいる。
 こいつ自身が紛れてて女みたいだが、
 そこから淳弘が得る情報は結構凄かった。
 隣のクラスの浮ついた噂から教師の恋愛遍歴まで。
 どこで女達が情報を仕入れてくるのかは不明だが、
 なかなかのコネクションを持っているらしい。
 まあ、恋愛系の話限定のコネだけど。
「まったく・・・人の過去を探るなんて良くないな。
 いわばセクハラだぞ? 尭月」
「え、ええ?」
「セクハラ〜ハラジュク〜淳弘セクハラ〜。
 ついでに武人もセクハラ〜」
 喜んでるのかはしゃいでるのか歌い出す禊。
 だが何故か俺までセクハラ野郎扱いされていた。
 頭に来た俺は背後から禊の首根っこを掴まえて締める。
「ぐぇ〜、あたしに何をするかぁ〜」
「うるせぇ! この天然爆弾がっ」

       −パターンB.インサニティ−


―――――俺は一度だけ、神とまともに対話した事がある。
 
「神よ、あなたの望む物とはいったい何なんだ?」

 自分や何人もの人間を選別し、得る物。
 それが彼には解らなかった。
 恐らくは大いなる何かがあるのだと推測する。
 
「人というのは時に、神さえもその定規で測ろうとする」

「・・・どういう、事だ?」

「希望、理由。何かしらの要因が無ければ行動できない。
 人は素晴らしき愚か者だとは思わないかい?」

「よく・・・解らないが」

「ならば敢えて答えよう。
 私という存在に、理由も運命も全ては存在しない」

「それじゃ神というのは空虚な存在なのか?」

「空虚。ふっ・・・それも人間の定規だ。
 インサニティよ、君が理解するのは難しいだろうね。
 至高である存在。全てが縋る拠り所。
 そんな存在が揺らぐ様な因子は要らないし、
 あってはならないのだよ」

「つまり変化する事のない存在、だという事か?」

「そうとも言えるだろう。
 故に、先に進もうとも思わない。
 希望するべきものなど無いのだ」

「・・・とすると神よ、あなたはこれから何をする気なんだ?」

「人間の理解できる事ではない。
 そう、神の業とは無慈悲に行われる物だからな」

――――――神の業は無慈悲に行われる。それは確かだ。