***
私は妹が好きでした。
好き、つまりLOVE。誰にも言えない思いです。
いわゆる同性愛という奴なのですから。
自分がそうだって気付くのには少し時間がかかりました。
妹と一緒にお風呂にはいる時、
ドキドキしてるのは暖かいせいだと思っていました。
同じ布団で眠る時もそうです。
彼女の温もりに興奮してるなんて欠片も思ってませんでした。
留まる事のない川の流れ。それに逆らっている様な感情。
けどそれは確かに恋でした。
妹、それも女の子に恋してしまったんです。
私はこれが病気みたいなものだなんて思いたくない。
一時の気の迷いだとも思いたくない。
だって誰でも良かったわけじゃないから。
……でもそれは私の心の中に、ずっとしまっておきます。
忘れない様に一番大事な場所に取っておきます。
*1*
「お姉ちゃんっ! おはよ〜!」
そんな声に導かれて私は目を覚ます。
目の前の少女は最高の笑みで私を抱きしめた。
少し、辛い。
この子のそれは姉妹愛による抱擁なのだから。
私と違う。
だから軽くそれを振り払うと、手早く着替えを済ませてしまう。
外からの光が陰鬱な感情を消してくれる様に期待しながら。
「な〜んか最近お姉ちゃん冷たいな〜」
「そんな事無いって。敦美がくっつき過ぎなんだよ。
普通、高校生にもなって一緒にお風呂なんて入らないよ?」
そういう風に私は敦美を馬鹿にした。
でも立場的に弱いのは私の方だった。
敦美と一緒じゃなければ、辛いのは私だから。
「酷いなぁ、もう。じゃあ先に行っちゃうからね」
「あ、ちょっと……」
ドアを開けて歩いていく妹の、
二つに縛った髪のすぐ下に見えるうなじ。
愛らしい歩き方。ほにゃほにゃした顔。
いつまでも私より小さい背。
どうして後ろから抱きしめたいと思ってしまうのか。
私達は特に不幸な姉妹でもなければ、
絆が深まる様なエピソードもない。
なのに妹は私を慕ってくれていた。
そして私は妹を……愛していた。
妹の名前は沢渡敦美。高校生になったばかりだ。
私は夏海。高校三年生。
制服を着てネクタイ代わりのリボンを付けると、
リビングへと歩いていった。
学校では殆ど妹とは出会わない。
会うとすれば帰りに妹と帰る時だけだ。
けれどその日の放課後。
私が心を躍らせて校門へと走っていくと、
そこには妹と男の誰かが一緒にいた。
確か二年の男子だった気がする。
「あ、お姉ちゃんっ」
「敦美、その人は……?」
心が悲鳴を上げそうになってしまう。
もしも敦美の彼氏だなんて言われたら、
そんな事を言われたら私……。
「この人はねぇ、一緒に帰ろうって誘われたのっ」
「どうも、北原と言います」
「そう……よろしく」
気にくわない奴だ。
さらさらしてる髪に可愛い系の顔。
敦美が好きになってもおかしくない。
私は姉としての権限を使って妹の手を引くと、
いつもより早足で歩いた。
「ほら敦美、急いで帰るよ。こんな時間だし」
「う、うん……でも北原君がついてきてないよ」
そんな事を妹が言うモノだから私は思わず言ってしまう。
「良いのよそれでっ」
少しばかりその言葉に後悔の念を隠せなかった。
でもまだ妹の身を案じる姉に見えるだろう。
「もしかしてお姉ちゃん、北原君の事好きとか?」
「は?」
「私が北原君と話してたのが気に入らないの?」
違うよ敦美。
確かにそれはそうなんだけど、
気に入らないのは敦美じゃない。
北原が敦美と仲良くしてるのが気に入らないんだよ。
言ってしまいたい。
全て妹に言ってしまいたい。
夕焼けが敦美の頬に少し朱いラインを滲ませる。
伸びていく影。二人の距離。
この子なら、私の気持ちを受け止めてくれるのかも……。
そんな都合の良い確証のない思いが頭にもたげる。
「お姉ちゃん……手、痛いよ」
「え? あ、ごめんっ」
思わず妹の手を強く握りしめていた。
少し怒った敦美の顔も可愛らしい。
どうしてこんな運命を背負ってしまったんだろう。
普通に敦美の事を妹として愛せたら良かったのに。
そうすればその唇に触れたいと思う事も、
壊れるくらい抱きしめたいと思う事も無かった。
でも今は妹だなんて思えない。
女の子として想ってるかも解らない。
……大切な、愛おしい人なんだと思ってる。
*3*
ある日、私はどうしても耐えきれずに妹の部屋へ向かった。
そしてノックして部屋の中へ入っていく。
時間は夜の11時過ぎ。妹は少し眠そうだった。
「どうしたの? こんな時間に」
「うん、その……実はね、好きな人が出来たの」
「えっ!?」
妹は驚きと微笑みの混じった表情で私を見てる。
きっと私は照れくさそうな顔をしてるんだと思う。
けどすぐに妹の顔は悲しいものに変わってしまうだろう。
それはなんとなく解っていた。
「誰? こないだの北原君?」
「違うよ」
どうしても顔が俯いてしまう。
涙が自然とこぼれてしまっていた。
「お、姉ちゃん……?」
「私……敦美が好きなの。大好きなの」
遂に言ってしまった。
絶対に言うまいと思っていた言葉。
これで私達はもう姉妹としては終わりだろう。
人間関係も終わるのかもしれない。
きっとぎこちなくなってしまう。
私は両手で顔を隠す様にさめざめと泣き続けた。
「えと、私もお姉ちゃんが好きだよ」
戸惑う様に敦美は言う。
でもこの子の好きは私と同じじゃない。
「私はあなたを愛してる。愛してるんだよ……」
敦美は私の方を見て愕然としていた。
そして取り繕う様に聞いてくる。
「……そ、それってあの……姉妹として、だよね」
「ごめんね敦美。でも、自分にもう嘘はつけないの」
精一杯の勇気を出して敦美を抱きしめる。
きっと今、敦美は私を軽蔑してるのだと思う。
でもこの感情は嘘じゃないの。
自分をこれ以上誤魔化せないんだよ……。
「正直……言うとね、すっごく驚いたよ。
でも、嫌じゃないからね。私……嫌じゃないから」
「……え?」
涙で濡れた私のほっぺたにそっとキスする敦美。
それは頬をなぞるだけのフレンチなものだったけど、
凄く切なくて嬉しかった。
敦美が私と同じ気持ちだったなんて知らなかった。
私の事を姉ではない恋愛対象として見てくれていたなんて。
だったら、だったら一線を越えてしまいたい。
そう思った。
「ねえ敦美……その、してもいい?」
「してもいいって……もしかして、その……」
微笑んでいた敦美の顔が戸惑いに変わる。
当たり前なのかもしれない。
でも私はすぐにでも敦美の全てを知りたかった。
だからその返答を聞かずに敦美を抱きしめる。
「大丈夫よ、全て私に任せて……」
「でっ、でもこんなの……」
「やっぱり嫌?」
精神的な絆が欲しかった。
でもその為には既成事実がいる気がしていた。
二人が愛し合っているという確かな事実が。
嫌だと思うなら強制する気はない。
けれど敦美の顔を見てると自分が恥ずかしくなってきた。
想いが通じたらすぐにこんな事を言うなんて、
どこか短絡的な気がする。
そうして軽い自己嫌悪に囚われた時だった。
「……わたし……ううん、お姉ちゃんがしたいなら……」
迷ったあげく、と言う感じで妹は言う。
私はそう言う敦美の真意が解っていなかった。
だからその少し諦めた様な表情も、
私には可愛らしく見えたんだと思う。
*4*
寝る前だったから妹はパジャマを着ていた。
それをゆっくりと脱がせようとする。
昔、敦美の服を着せてあげた事がよくあったけど、
もうあの頃とは違うんだ。
涙はもう出なかったけど少し胸が苦しくなる。
けれどぷちぷちとボタンを外そうとすると、
急に敦美は身をすくませて逃げてしまった。
「ど、どうしたのよ敦美」
「やっぱり、後少しだけ待って欲しいの。
私の決心が付くまで、待って欲しいの……」
「……それは」
確かに敦美にとってあまりに性急すぎるのかもしれない。
私だってどうしてもしたいワケじゃなかった。
ただ不安だっただけ。
敦美が私の事を好きかどうか信じ切れないだけ。
でもせめてもう少し妹を信じるべきだと思った。
「わかったよ。敦美が良いって言うまで、待ってるから」
「うん……」
私達はその日、そのまま敦美のベッドで一緒に寝た。
幼い頃の事を思い出して、少しだけ悲しくなった。
そして数日して私達は結ばれた。
過ぎ去ってしまえばそれは脆く儚く、
千切れるくらいに心をかき乱していった。
その後、敦美はずっと泣いていた。
理由も言わずに、ただ声を押し殺して泣いていた。
だから私は敦美を抱きしめて寄り添っていた。
それがどういう事なのかも気付かずに。
***
『想い』というのはいつしか『重い』に変わるそうです。
私の思いは最初から敦美にとって重圧だったのでしょう。
あの子はそれから数日して自殺しました。
手首を切って病院に運ばれたのです。
数日間、私は敦美に会いに行けませんでした。
最初はどうしてそんな事をしたのかを考えたのです。
その内にふと私は思いました。
あの子は私の事なんて好きじゃなかったんだろうか、と。
でも妹が私の机の隅にそっと遺した遺書を見つけたのです。
見つけた時はそれと気付かないくらい、
ラブレターの様な手紙に書かれていました。
そこに書いてある事は私にとって衝撃でした。
そして妹の愛の深さを知って、泣くしかなかったのです。
前略、お姉ちゃん。
本当の事を言うと、私は今でも貴方の事を妹として慕っています。
恋人として見れる様に頑張ってはみたのですが、
やっぱりお姉ちゃんはお姉ちゃんでした。
お姉ちゃんとして世界で一番好きなんです。
実は最近お姉ちゃんが冷たくなった気がしていました。
だから貴方が私を好きだと言ってくれた事は
純粋に嬉しかったのです。
けれど、あんな事をしてしまったのは間違いでした。
やっぱり私がはっきりと断るべきだったんです。
お姉ちゃんに嫌われたくないからといっても、
それでも一線を越えるべきではなかったんです。
今更こんな事を言っても駄目だよね。
私なりによく考えた結果ですけど、ごめんなさい。
きっと貴方を苦しませるだけかもしれません。
お姉ちゃんがこの手紙を読む頃には、
私は空から貴方を見守れたらいいなと思います。
そうすればずっと側にいられるから。
嘘をついたりして本当にごめんなさい。
私の分まで、絶対に幸せになってね。
最愛のお姉ちゃんへ
その手紙には所々シミの様なものがついていました。
それが妹が浮かべた涙の後だと気付く頃、
私は病院へと走っていました。
姉として……一生、姉として敦美に接しよう。
そんな風に誓いながら。
きっとこの痛みが、私の心を強くしてくれる
なにより大切なひとの為にその想いをしまっておけるから