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嬰児はこれへねむり

著作 早坂由紀夫

Chapter16
「ゆりかごの中へ」

夢。私と、樹と、誰かの夢。
樹を中心に廻る夢。
そこにいつから自分がいるのか解らない。
もう一人の誰かがが誰なのか解らない。
あなたは誰・・・そう言おうとしても言葉にならなかった。
私の五感は全く靄が掛かっていて自由にならない。

私はあなたの側にいる・・・

辺りを見回してみるとそこには樹があった。
森の中でぽつん、と立っている一つの樹。
周りは湖・・・というより水たまりに囲まれている。
その手前には美しい大人の女性がいた。

これ以上関わらないで・・・死なせたくない

死なせたくない・・・。
その言葉は樹に向かって放たれていた。
そしていつもの様にそれはゆっくりと霧に溶けていく。
目の前にいる悲しい顔をした女性が霞んでいった。
その女性とは違う、もう一人の誰かが見あたらない。
彼女はその誰かではなかった。
それは解っている。
なぜなら彼女は・・・。

7月17日(木) AM8:15 雨
寮内・葉月の部屋

目を覚ますと目の前には慌ただしく動き回る美玖ちゃんがいた。
私を見るなり物凄い剣幕で歩いてくる。
「葉月っ! もう8時30分になるわよ!」
「・・・え?」
枕元にある時計を確かめると、確かに8時を回っている。
私達は急いで着替えると部屋を出た。

7月17日(木) AM8:22 雨
学校野外・寮から校舎へかけての道

外は昨日から降り続けたらしい雨が降っていた。
おかげで走りにくい。体力が無駄に消耗される。
けど美玖ちゃんはもっと辛そうだった。
なんでかというと私は中学校の頃に運動部に所属してたからだ。
彼女は茶道部だと言っていた。
そう言えば・・・どうして寝坊しちゃったんだろう。
昨日は10時には寝てたはずなのに。
ずっと寝てたなら10時間は寝てたという事になる。
確かに身体は寝過ぎなのか気怠い感じがしていた。
でも・・・なんで今日に限って?
まあ睡眠時間に理由なんて無いかもしれない。
そんな不毛な事を気にするのは止めよう。
代わりに違う事が頭をよぎった。
昨日のBeriasさんのメールだ。
・・・私と同じ夢を見てる人って近くにいるのかな。
悪魔がいるわけないのだから、
そんな夢を見てる人もいるわけない。
でも探すなら悪魔より人の方が楽しそうだった。
とりあえず隣を走る美玖ちゃんに聞いてみる。
「美玖ちゃん、樹の夢って見た事ある?」
「・・・そんな貧相な夢はっ・・・見なくてよ。
 わた・・・ぜぇぜぇ、私は優雅に、はぁはぁ・・・」
話してるのが凄く辛そうだ。
とてもじゃないけれど優雅な顔はしていない。
でも、どうやら美玖ちゃんとは同じ夢を見ていない事が解った。

7月17日(木) PM13:00 雨
1−3教室内

いつも通り授業を終えた後で凪さんの教室へ向かった。
今日は雨が降っていたので外で御飯は食べられそうにない。
なので私達は1−3の教室で弁当の包みを広げていた。
「凪ちゃ〜ん、聞きたい事があるんだけど〜」
卵焼きを口に頬張りながら紅音ちゃんが喋り始める。
「ちゃんと口の中の物を食べてから喋りなよ、紅音」
そう言う凪さんはまるでお母さんみたいだ。
紅音ちゃんは咀嚼して卵焼きを呑み込むと、また話し始めた。
「もしかして凪ちゃんって・・・実は悪魔とか好きっ?」
「ふ〜・・・それは誤解だと思うけど」
「そうかな〜? なんか・・・」
口元に人差し指を当てて首を傾げる紅音ちゃん。
悪魔とかの話題が嫌だったのか、凪さんは違う話題を振る。
「そ、それより紅音、自立するっていう話はどうなったの?」
「え? そ、そんな事言ったっけ〜?」
「・・・忘れてた?」
「違うよぉ、凪ちゃんと二人の秘密だったのに〜〜っ」
どうやら紅音ちゃんとしては凄い秘密だったらしい。
彼女は凪さんにふくれ面で怒り始めた。
「酷いよぉっ。凪ちゃんの馬鹿ぁ〜〜」
凪さんは慣れた手つきで紅音ちゃんの頭をなで始める。
・・・やっぱり親子みたいだ。
「ごめんごめん。応援してるから頑張って、
 って言おうとしたんだよ」
「・・・うん。ありがと、凪ちゃん」
泣いた子供を慰めている様な光景だった。
勿論、紅音ちゃんは泣いていないけど。
「良いですねぇ・・・友情愛という奴ですか」
「げっ、黒澤先生!」
凪さんが明らかに嫌そうな顔をする。
紅音ちゃんはいつものスマイルを向けていた。
私はその中間辺りにしておこう。
「高天原君。女の子がげっ、
 なんて言うもんじゃありませんよ」
「いや、今のは聞き流して欲しいです」
その様子に紫齊ちゃんも神無蔵さんも笑っている。
皆そんな二人を見慣れているみたいだった。
「凪はたま〜におてんばだからなぁ」
そんな事を言って紫齊ちゃんが凪さんをからかう。
凪さんは狼狽しながらため息をついていた。
やっぱり黒澤先生が苦手なんだろう・・・。
「なんなんですか? 黒澤先生」
「おやおや・・・いつもながら厳しいですね。
 今日は君に聞いておきたい事がありまして」
「聞きたい事?」
「凪ちゃんは彼氏募集はしてませんっ」
二人の間に紅音ちゃんが立ちはだかった。
黒澤先生は少し話の腰を折られた様で苦笑いをしている。
助け船、というより話がややこしくなりそうだった。
「違いますよ如月君。私が聞きたいのは」
「あ、そうなんですか〜?」
まるで凪さんのお目付役か、彼女みたいだ。
よっぽど自分から離れていくのが嫌なんだろう。
・・・少しだけ気持ちは解る気がする。
「高天原君。君にとっての幸せとはなんでしょうか」
「・・・幸せ?」
凪さんは思いも寄らない質問に頭を傾げた。
周りの皆も私も、どういう意味なのかが良く解らない。
そんな私達に黒澤先生は言った。
「簡単な事ですよ。例えば自分がこう生きられたら幸せ。
 これをやれたら幸せって言う事を教えてほしいんですよ」
「私は・・・そうだなぁ」
「はいは〜い、私は凪ちゃんと話してると幸せっ」
「ちょっ、紅音!」
凪さんが紅音ちゃんの口を塞ぐ。
確かに誤解を招く発言だと思う。
相手が凪さんならなおさらだ。
「高天原君は女の子にもモテるんですねぇ・・・」
「いや、まあ・・・私にとっての幸せですよね」
誤魔化すように凪さんはその話題を引き戻した。
でも実際の所、その疑問は抽象的に過ぎる。
そう、雲を掴むような質問だと思った。
「私はこのまま皆と楽しくやれたら幸せかな」
「・・・君らしい、模範的な答えだね」
黒澤先生は残念そうにそう言った。
何か違う答えを求めていたんだろうか。
「まあ今はちゃんとした答えが貰えるとは思ってません。
 これは高天原君への宿題です」
「はぁ?」
「近い内にまた聞きますから、覚悟しておいてください」
やはり黒澤先生は凪さんを気に入っているみたいだ。
でも全然それはおかしいとは思わない。
例えそれが女性として気に入ってるのだとしても、
凪さんなら全然おかしくないと思った。
モデルとか俳優の人とかと比べても見劣りしないし。
・・・たまに凪さんに出会えた事は凄い奇跡だと思う時がある。
それは決まって彼女の髪が揺れる時だった。
彼女が笑いかける時だった。
そして・・・彼女がどこかを虚ろに見つめている時だった。
そんな時、いつも私は思う。
凪さんは将来凄い人になる。
どう凄いのかなんて関係ない。
皆が認める凄い人になるだろう。
そんな風に思うのだ。

7月17日(木) PM17:40 雨
寮内・凪と紅音の部屋

私は放課後、凪さん達の部屋に来ていた。
何故だろう・・・そうしなくちゃいけないと思ったんだ。
でも理由はまったく解らない。
なんとなく、なのだ。
「葉月ちゃん、そこら辺に座って」
「あ、はい」
凪さんは今から制服を脱ぎ始める所だった。
なぜだかその姿にドキドキしてしまう。
・・・私、ちょっとおかしいのだろうか?
違うと思う。
凪さんが色っぽすぎるんだ。
それもどちらかというと女性的って言う色気ではない。
中性的な色気だと思った。
そうじゃなかったらこんなにドキドキしたりはしない。
そこで凪さんは私が見ている事に気付いて、
脱ぎかけていたシャツの手を止めた。
「・・・み、見られると恥ずかしいなぁ」
そそくさと洗面所に消えていく凪さん。
結構恥ずかしがり屋なのだろうか。
紅音ちゃんは全然気にもとめてないみたいだった。
多分、日常茶飯事なのだろう。
「凪ちゃんってね〜、一緒にお風呂入ってくれないんだよぉ〜」
「・・・ああ、うん。それは・・・普通だと思う」
私も美玖ちゃんと一緒にお風呂に入った事はない。
だってこの寮のお風呂は二人で入ると凄く狭いし、
それに銭湯とか温泉じゃなきゃ恥ずかしいからだ。
この女子寮にも確か大浴場があった気はする。
でも・・・個室にお風呂が付いているのに行く人はいなかった。
・・・それだ。
「じゃあ、大浴場に・・・行って見るのは、どうかな」
「・・・あぁ〜そっかぁ〜! 皆で行こうね〜」
「えっ!? そ、それは・・・うん」
はぁ・・・。
紅音ちゃんの勢いに押されてOKしてしまった。
なんで私ってこうなんだろう。
美玖ちゃんにバレてしまったら絶対面倒な事になる。

ぴんぽ〜ん

「あれ、誰だろ〜? ちょっとごめんね、葉月ちゃん」
「うん」
そう言うと紅音ちゃんは玄関へ歩いていった。
そしてそれと入れ替わりで凪さんが戻ってくる。
「・・・さっきの会話、少し聞こえたよ」
ベッドの所に腰を下ろして凪さんがそう言った。
少し焦っている様な顔をしている。
大浴場に行くという話の事だろうか?
「はぁ〜・・・ある意味行っても良いんだけど、
 いやいやいや・・・人としてそれは正しいのかな・・・?
 でも行かないのは不自然かもだし・・・ばかっ!
 バレるに決まってる・・・ああ、でも・・・」
なんだか凪さんはぼそぼそ何かを喋っている。
でも私に話してる訳じゃ無さそうだ。
「わぁあ〜〜〜っ」
いきなり紅音さんが悲鳴を上げた。
凪さんも私もがばっと立ち上がってしまう。
玄関の方を覗いてみると、紅音さんと誰かが立っていた。
「早く中に入れてよ〜、重いんだよ」
「はぁわぁ〜っ私こんなに持てないよぉっ」
なんだろう。
凪さんが頭に手を当てて狼狽した顔をする。
そしてすぐに玄関に走っていった。

7月17日(木) PM18:02 雨
寮内・凪と紅音の部屋

目の前には物凄い数のお酒が並んでいる。
持って来たのは紫齊ちゃんだった。
この人は・・・これだけの量をどうやって隠し持って、
そしてどうやってそれをここまで持ってきたんだろう。
謎は多かったけれど二人ともあまり気にしてないようだった。
「この量をさ、また今日中に飲みきろうとか言うんだよね。
 ・・・この紫齊って言う飲んだくれさんはさ」
「ま、まあいいじゃんっ、私だって飲みたい時があるんだよっ」
「紫齊ちゃんは飲みたい時が沢山あるんだよね〜」
「・・・紅音が皮肉ってる」
そんな事を驚き顔で言いながらお酒をつぎ始める凪さん。
この人はお酒飲む事に抵抗はないのだろうか・・・。
かと思うと紫齊ちゃんは瓶ビールをそのまま飲み始めた。
瓶ビール一本を一人で飲み干す・・・気なんでしょうか。
一番まともだと思っていた紅音ちゃんまでもが、
さり気なく日本酒に手を伸ばした。
「く〜お〜ん〜っ!」
「あわぁ〜〜、だって凪ちゃん達も飲んでるんだしぃ〜」
「だぁめ! 紅音はこっち!」
「そうそう、紅音はこのカクテルね」
そう言って紫齊ちゃんも凪さんも、紅音ちゃんが手に取った
日本酒を物凄い勢いで奪うとカクテルを渡した。
紅音ちゃんは不満そうにカクテルを置く。
「これジュースだよぉ〜、絶対絶対そうだよ〜」
「そんな事無いよね〜紫〜齊〜」
「おぁ・・・うんうんっ。バッチリお酒だってば」
二人とも必死に紅音ちゃんを丸め込んでいる。
どうやら紅音ちゃんは酒癖が悪いみたいだ。
試しに彼女はカクテルを口にする。
「んぐっ・・・んぐっ・・・あ、ホントだ」
「えっ!?」
二人とも紅音ちゃんの反応に驚きの声を上げた。
けれどそれは彼女の罠だったみたいだ。
「ふふ〜やっぱりお酒じゃないんだぁ〜」
そんな事を行って勝ち誇る紅音ちゃん。
でも飲めばお酒かどうかはすぐ解ると思うんだけど・・・。
仕方なく凪さんがお酒を渡すと、
紅音ちゃんはコップを両手で持って飲み始めた。
「・・・うぅ〜やっぱりお酒だね〜」
「そ、そうだね紅音」
急に凪さんと紫齊ちゃんは少しずつ紅音ちゃんから離れる。
私もそれに習って紅音ちゃんから離れようとした。
するとブルース・ウィリスばりの飛び込みで私に抱きついてくる。
「はぅっ」
「葉月ちゃんを捕まえたぁ〜」
私は近くのお酒がこぼれないか心配だったけど、
なぎさんと紫齊ちゃんが上手くどかしていたみたいだ。
それよりも紅音ちゃんが私に抱きついてる方が問題かも。
脇の下の辺りをくすぐってくる紅音ちゃん。
でもそれより紅音ちゃんの吹きかけてくる息が辛い。
なんだかむずがゆい感じになってくるのだ。
「ちょ・・・紅音、ちゃん」
その一瞬――――――――――――――。
紅音ちゃんの目が凄く怪しく輝いてる気がした。
その不思議な瞳に睨まれた私は身動きすら取れない。
「ふふっ・・・」
その微笑みはまるで紅音ちゃんじゃないみたいだ。
彼女が掠れたような小さい声で笑うと、
首筋の辺りがくすぐったくなってくる。
なんだろ・・・なんか、気持ち・・・良いの、かな。
脇をくすぐっていたかと思うと、首筋に顔を埋めてくる。
首筋を頬で触れているだけなのに凄くいやらしい動きだった。
なのに・・・どうしてなんだろう。
紅音ちゃんの手が私をくすぐるたびに、
身体が、火照っている気が・・・する。
私・・・わたしっ・・・もっと、わたしはっ・・・。
「紅音っ! いい加減にしなさいっ」
「そうだよ紅音、葉月ちゃん困ってるじゃない」
二人が困った顔で紅音ちゃんを私から引き離す。
・・・なん、だったんだろう、今のは・・・。
私、何考えてたの?
なんか私、紅音ちゃんに・・・。
「大丈夫? 葉月ちゃんっ」
「ぁは・・・はい、大丈夫・・・です」
私は頭を少し振ってみた。
何、変な事考えてたんだろう私は・・・。
少し顔が赤くなってきてしまった。
誤魔化す為に私も少しお酒を貰って飲んでしまう。
「むぅ〜皆で私をいじめるんだからぁ〜」
そんな事を言いながらお酒をまた口にする紅音ちゃん。
その目は据わってはいたけど、さっきのような感じはなかった。
「もういいよぉっ・・・なんて言いつつやっぱり凪ぃ〜〜っ」
「おわっ! 止めてよぉ〜っ」
「・・・凪ならいいや」
あ、紫齊ちゃんが凪さんを見捨てちゃった。
・・・どうにもならないので私も諦めよう。
ごめんなさい、凪さん。

7月17日(木) PM21:30 雨
寮内・凪と紅音の部屋

気が付いたら寝てしまっていたみたいだ。
辺りは真っ暗だった。
紫齊ちゃんが無理矢理飲ませるから・・・。
頭がぐらぐらしてる。
辺りの様子が全然わからなかった。
「んっ・・・にゅう〜・・・」
隣で紫齊ちゃんが大の字で寝ていた。
まったくもう、女の子なのに・・・。
私は取り払われていた毛布を掛けてあげた。
凪さんはその隣で丸まって寝ている。
・・・可愛い。
でも、布団で寝た方が良いと思った。
「凪さん、凪さん・・・あの、起きてください」
「ああ・・・う、うん・・・」
ゆっくりと凪さんが目を覚ました。
「あれ、葉月ちゃんか・・・紫齊と紅音、は?」
「あ、紫齊ちゃんはそこにいます」
そして私と凪さんは紅音ちゃんの姿を探す。
近くにいなかった・・・。
「ン・・・もしかしてベッドに上がって寝たのかな?」
そう言ってベッドを見る私と凪さん。
ベッドの一階に紅音さんは横になっていた。
「あ〜もぉ、そこは私のベッドなのに」
そう言って困った顔で近づいていく凪さん。
だけど途中でその顔が凍り付いた。
不思議に思って私も紅音さんの寝姿を確認してみる。
「・・・んん〜」
紅音さんの服の表面を何かおぞましいモノが這い回っていた。
なん・・・だろう、凄く不気味だ。
黒くてベトベトしていて・・・一つだけある目が
ギョロってこっちを見ている。
その何かはゆっくりと紅音ちゃんの身体を下に這っていく。
そして・・・下着の中に入ろうとしていた。
「まさか、これがインキュバスか・・・?
 このエロ悪魔、そんな事はさせないぞっ」
そんな事を言って凪さんがそれを紅音さんから引きはがす。
なんか男の人みたいな口調だ。
でも凪さんが言うとあまり違和感はなかった。
凪さんは引きはがしたそれを壁に投げつける。
すると触手みたいなモノが伸びて上手く着地した。
「なっ・・・紅音、早く起きてっ!」
「んにゅう〜・・・凪ちゃんのえっちぃ〜」
「え!? ま、まさか私の夢を見てたんじゃ・・・」
そんな事を凪さんが言いかけた瞬間、その生物が暴れ出した。
凪さんは紅音をベッドからなんとかこっちへと運ぶ。
するとその生物は触手をびゅっとこっちへ伸ばしてきた。
「うわっ・・・もしかして、紅音をターゲットに?」
「そ、そうなんですか?」
私はそんな間抜けな事を言ってしまう。
明らかにその触手は紅音ちゃんの身体に向けて伸びている。
それを凪さんは思いきりはねのけた。
「イ、イヴ! 早く助けてよ!」
「は・・・はい?」
なんだろう。
何か、意識が掠れて・・・あれ?

瞬間――――――――――。

凪さんにその生物が突進してくる。
触手を壁に思い切りぶつけて圧力をかけたんだ。
「うわあっ!!」
凪さんの頭に絡みつく生物の触手。
私は動く事さえも出来なかった。
触手が淡い光を放ったかと思うと・・・
凪さんが、糸の切れた人形のように倒れた。
「・・・なっ・・・なぎさん!?」
あれ・・・頭が、あれ?

7月17日(木) PM21:52 雨
寮内・凪と紅音の部屋

凪が倒れた瞬間、葉月の意識はイヴと交代する。
すると速攻でイヴはインキュバスに炎を放った。
具現する余裕がなかったせいで黒い炎にはならない。
そのせいでインキュバスは負傷したモノの、
窓ガラスを破って逃げ出してしまった。
「くっ・・・しまった・・・!」
今の騒ぎで紫齊が目を覚ましかける。
だがそんな事を気にしている余裕はイヴにはなかった。
インキュバスを取り逃がしてしまったのだ。
慌てて外へ飛び出てみたが、どこにもその影はみあたらない。
「・・・私とした事が、迂闊だった・・・!」
もう少し様子を見て黒い炎で焼き尽くすべきだった。
急いでイヴは凪の元に駆け寄る。
だが、凪はとても安らかな顔で寝ていた。
「・・・これは」
イヴは落胆と後悔の色を隠せない。
凪の身体はただ寝ているだけだ。
REM睡眠。
REMとはラピッドアイムーヴメントと呼ばれる眼球運動の事で、
この状態だと人は夢を見ているそうだ。
そしてそれは一定の周期でノンREM睡眠と入れ替わる。
しかし・・・凪の睡眠状態は異常なモノだった。
それからしばらく待ってもREM状態のまま、変わらないのだ。
つまり凪はずっと夢を見ている状態という事だ。
イヴはそれがどんな事なのかが解っていた。
中途半端な形でのインキュバスの攻撃。
それによって凪は・・・長い夢の中へと落ちていったのだ。
術をかけたインキュバスを殺す事が出来なければ、
そのまま凪は一般で言う所の植物人間となってしまう。

凪は浅い夢を見ていた・・・浅く、覚めない夢を――――――――――

 

Chapter14に続く