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インフィニティ・インサイド

著作 早坂由紀夫

Chapter49
「DEAD OR KILL」


10月12日(日) PM12:21 晴れ
万魔殿・三階大広間

イヴは具現強化した腕で自分の真下の床を破壊する。
物凄い爆音と共に床の破片が飛び散り辺りを包み込んだ。
瞬間、お互いはお互いを見失う。
するとそのままイヴは階下へと落ちていった。
それをみるとリリスは興を殺がれた様な顔をする。
「まったく下らないコトして・・・
 何処に行っても逃がさないわよ」
リリスはイヴが開けた床の穴へと歩いていった。
勿論その穴から飛び出して来るという危険性も考慮はしている。
だがリリスの周りには障壁にも似た圧縮の膜が覆っていた。
つまりイヴが何を画策していようと、
リリスにとってそれは恐れる必要もない。
そうやって穴から階下を見下ろした時だった。
彼女の立っている真下の床が物凄い破壊音と共に貫かれる。
「なにっ!?」
反応するよりも早くリリスの足下からイヴが現れた。
さらにリリスめがけて拳を叩きつける。
完璧に裏をかかれた彼女はイヴの拳を腹に受け、
そのまま天井へと吹き飛んでいった。
「・・・浅いか」
そう呟くイヴだったが効果は完璧に近い。
その一撃をほぼまともに受けたリリスは、
天井に身体を打ち付けた。
身体を貫けなかったという意味でイヴは浅いと言ったのだ。
リリスは腹に一撃を受けたせいで頭が一瞬真っ白になる。
その瞬間、彼女を覆っていた膜は消えていった。
地面に受け身も取れずに落下するリリス。
「遮蔽物がある場合、特に床だ。
 具現された物の力は届かない。気付くべきだったな」
イヴはリリスを見下ろすとそう言った。
先の時点でイヴはリリスの足下が
破壊されていないのに気付いていたのだ。
そう。
立体の円状に膜を具現したのなら、
床から階下にリリスは落ちているはずなのだ。
彼女は無意識下でそうしない様に考えていたのだろう。
想像力の盲点をついた見事な一撃。
それによってイヴは辛くも勝利を得る事が出来た。
床を破壊して階下に降りたと見せかけ、
階下の天井に張り付きリリスの位置を予測する。
そこから全力で三階の床ごとリリスに攻撃。
重力の法則を完全に無視した動きだ。
おかげでイヴは殆どの力を使い果たしている。
そこへ歩いてくる人影。
「・・・マルコ、シアスか」
イヴとリリス達の元へゆっくりと歩いてくると、
二人の間に立ちはだかる。
その表情に殺気はなかった。
「異端者よ・・・リヴィーアサンの元へ行くが良い」
「なんだと? どういう・・・つもりだ」
「貴様は私と闘える状態にはない。
 この場は貴様とやっても仕方ないだろう」
そんなマルコをリリスはジト目で睨みつける。
しかし何かを言う事はなかった。
イヴは戸惑いながらも階段へと走り出す。
その後でマルコにリリスが言った。
「借りが出来たわね・・・礼は言わないけど」
「ふむ。お前にも借りという概念があるとはな」
「・・・あんた、一言多いわよ」

10月12日(日) PM12:28 晴れ
万魔殿・屋上

リヴィーアサンは凪の首筋に手を回したまま、
にこやかに笑っていた。
キスした後そんな風に黙って見つめ合う二人。
凪は戸惑いと軽い不安を感じていた。
(このまま紅音の顔を見ていたら、俺は・・・俺は)
紅音の顔をした偽者、リヴィーアサン。
だが凪の目の前にあるのは紅音の笑顔だった。
それは記憶と全く遜色なく凪の心を打つ。
「やめろ・・・そんな顔をするな!」
必死に凪はリヴィーアサンを振り払う。
それでも彼女の顔は懐かしい紅音の笑顔のままだった。
「凪ちゃん」
紅音は少し悲しそうな顔をする。
少しずつ凪には紅音とリヴィーアサンの
境の様な物が曖昧になっていた。
「く、おん・・・」
思わず凪の口からはそんな言葉が出てしまう。
偽者だと解っているはずだった。
だがすでに凪の瞳にそれを判別する余裕はない。
「私の為に闘って、凪ちゃん。天使と・・・闘って」
俯きがちにそういう仕草も全てが紅音と変わりなかった。
ただ彼女から出た言葉は紅音のものではない。
それでも凪の中に溢れているのは愛しい気持ち。
紅音の為に、という感情だった。
「俺・・・お前の為だったら・・・」
凪がそう言いかけた時。
彼女の身体が真っ黒に燃え上がった。
すぐさまそれはかき消えたが、それで凪は我に返る。
リヴィーアサンの背後、凪の視点の先にはイヴがいた。
気配を感じ取るとリヴィーアサンはイヴの方を向く。
「・・・もう少しだったのに」
「凪、無事か・・・」
そう言って二人の元へと少しずつ歩いていくイヴ。
するとリヴィーアサンは遥か上空へと跳躍した。
「もう良いわ。力ずくだろうと何だろうと。
 凪ちゃん、後悔しても遅いわよ」
凪とイヴはそんなリヴィーアサンの言葉に、
不気味な力の躍動を感じ始める。
「予想通り私が入れる闘いでは無さそうだな。
 まったく・・・見ているだけの方が辛い」
「ああ。なるべく早く・・・終わらせるから」
「・・・なに?」
イヴを巻き込まない様に凪は風を集めて飛び上がった。
もう凪にとって空を飛ぶ事は歩く事に近い。
そうしてリヴィーアサンの高さまで上がると、
凪は最後の選択を頭の中に持ち上げた。
(紅音を・・・殺すしかない)
その選択を選んだ時に凪の鼓動は一際早く動き始める。
大切な物を自分で壊す。
そう思った時、皮肉にも凪の中には力が沸き上がっていた。
心臓の鼓動と共に自分の力が増していく感覚。
それは凪にとって最悪の感覚だった。
リヴィーアサンの攻撃を受け止める為に、
凪も身体から放出される力を二カ所に集め始める。
程なくして両の腕が淡く鮮烈な緑色に輝きだした。
それで何をするのか凪は知っている。
あの吸血鬼、フィメール同様に紅音を塵にするのだ。
だがどうしてもその最後の一線を越える決心は付かない。
その一瞬の隙をついてリヴィーアサンは、
凪に向かって凄いスピードで突進してきた。
完全に不意をつかれた凪だがその拳撃を紙一重でかわす。
しかしリヴィーアサンの腕が下がった瞬間、
彼女のハイキックが刺さる様に凪の頭に直撃した。
その右足はそのままかかと落としの体勢になる。
頭を揺らされた凪はそれをかわす事も出来なかった。
それでもなんとか両手でそのかかと落としを防御する。
リヴィーアサンはそれを見て足先を斜めに移動し、
突き刺す様に凪の後頭部を蹴り落とした。
そんな二つの攻撃が凪に決まるまで一秒もない。
為す術もなく凪は万魔殿の屋上へと落ちていった。
勢いは叩きつけられる様な物ではなく、
屋上の壁を突き抜けて内部へ落ちていく。
イヴはそんな光景を唖然と見ている事しかできなかった。
一呼吸する間の攻防。
それもまるでK−1の様な肉弾戦。
リヴィーアサンは間髪入れずに凪の落下地点へと
小隕石を数十ほど落とした。
それは先ほどとは違う強力な力を込めた小隕石群だった。
位置的に少し遠いイヴはそれに巻き込まれていない。
だがその圧倒的な破壊力に思わず叫んでいた。
「凪っ――――――――!」
声に反応したのか凪が屋上へと飛び上がる。
凪は頭から血を流しながら上空を見据えていた。
薄煙の向こう側で見えている凪の姿は、
なぜかイヴにとって幻想的な光景にすら見える。
凪は目を閉じていた。
するとリヴィーアサンは容赦なく小隕石を落下させる。
しかし凪は目を閉じたまま片手でそれを弾いた。
「私との闘いのなかでもさらに成長してるわね・・・。
 やはり懸念した通り、厄介な存在だわ」
すぐに凪はリヴィーアサンの居る上空へと戻っていった。
そのスピードは徐々に上がっている。
「紅音・・・俺、お前を殺すかもしれない」
「・・・そんな事出来ると思ってるの?」
「お前を殺して・・・俺も・・・死ぬよ」
そう言う凪の表情に少しリヴィーアサンは恐怖を感じた。
さっきとは違う決意が凪にはある。
それを感じ取ったのだ。
特に凪は殺し合いにおいて一番恐ろしい考えを持っている。
相手を殺す為に自身が死ぬ事を厭わない、という考えだ。
やられる相手にとってそれほど恐ろしい事はない。
「貴方がそういう気なら私も殺す気でやるわ。
 自分が死んだら元も子もないからね・・・」
リヴィーアサンの表情から余裕めいた笑みが消える。
その瞬間、二人の間の空気が緊張で張りつめていった。
殺し合い独特の静かな間と緊張感。
(そう、殺し合いに感情はない・・・)
凪を睨みつけるリヴィーアサンは、
ただそれだけを考えていた。
その時には感情も執着も何もかもが邪魔になる。
だから考える事が許されるのはただ一つ。
どう殺すか。それだけだ。
先に仕掛けたのは凪だった。
胸めがけて左の正拳突き。
直撃をすれば胸骨が砕けてもおかしくない攻撃だった。
それをリヴィーアサンは左手で受け流す。
彼女は左に流れ体勢を崩す凪の身体に、
右足の膝蹴りを入れようとした。
しかし凪は流された左腕をそのまま方向転換する。
丁度一回転する形で再びリヴィーアサンの身体を捉えた。
それも彼女は右腕でもう一度受け流し、
左足でミドルキックを決めた。
凪はそれをかわしきれず右腕で受け止める。
その衝撃で凪は2、3m空を流されていった。
すぐさまその勢いを完全に殺し再びリヴィーアサンを向く。
そして想像力を働かせると巨大な槍を具現した。
刃先しか存在しないそれが、
リヴィーアサンめがけて飛んでいく。
彼女はそれをあっさりとかわした。
だがその動きを予測して凪は空を飛び出している。
「・・・くっ!」
右のストレート。
リヴィーアサンはかわしきれずにそれを受け止めた。
凪の攻撃は一撃一撃が少しずつ重くなっている。
その一撃はすでにリヴィーアサンでも
片手では受け止められない程だった。
それでも攻撃後を狙って凪の腹に蹴りを入れる。
「かはっ・・・!」
約2m後方へと吹き飛んでいく凪。
(まだ私の方が強い・・・いけるわ)
凪の成長はまだリヴィーアサンには届いていなかった。
恐ろしいスピードでの成長に冷や汗をかきながらも、
リヴィーアサンはトドメを刺そうと構える。
「最後に一つだけ良い?」
そんな彼女の言葉に凪はそっと肯いた。
「どうしても・・・私と天使を滅ぼす気はないのね。
 そして、紅音ごと私を・・・殺す気なのね」
「ああ・・・俺は紅音にそんな事をさせる気はない」
「やれやれ、固いのねぇ」
リヴィーアサンは諦めた様にため息をつくと、
再び闘う顔つきに戻って凪を睨みつける。
凪は少しでも早くこの闘いを終わらせたかった。
(どうせ紅音を殺してしまうのなら・・・
 そうだと解らないくらい早く時が過ぎてくれればいいのに)
疲労の事も忘れて凪はそんな事を考える。
何よりも辛いのは自分の声が紅音に届かなかった事。
紅音をそれほどに傷つけてしまった事。
そしてあんなに凪を慕っていた紅音に軽蔑され、
見捨てられてしまったという事実。
不意に凪の脳裏を紅音と出会った頃の記憶が掠めていった。



 「あっ、あの・・・私、如月紅音って言います」
 「・・・高天原凪。よろしく」
 そう、初対面は部屋に荷物を運んできた時だった。
 俺はまだ女言葉が使えなくて、
 ぶっきらぼうに見えただろうな。
 「うんっ! 高天原さん・・・凪ちゃんでも良い?」
 「な、凪ちゃん〜?」
 「だってその方が親しみやすいもん。
  私の事も紅音で良いよ」
 出会ってすぐにあいつは俺の呼び方を決めた。
 微笑ましくなる様な笑顔を讃えながら。
 そうやって紅音はあっという間に俺の心に入ってきたんだ。
 「く・・・紅音」
 「凪ちゃ〜ん、もっと笑おうよ〜」
 「いや、いい・・・」
 「なんで〜? 写真写り悪くなっちゃうよ〜?」
 「別に写真とってね〜だろ・・・」
 「なに?」
 「や、何でもない」
 「ほら笑おうよ〜。にこって、ね〜?」
 あの時から俺の生活の比重をあっという間に
 紅音との時間が占めていった。
 ただ今は懐かしくて・・・凄く遠くの記憶。
 本当は俺達、出会うべきじゃなかったのかな。
 こんな風に殺し合うくらいなら・・・。

10月12日(日) PM12:42 晴れ
紅音の深層意識

意識の奥底。
見る夢はいつも凪との記憶だった。
どうしても紅音にはそれ以上に楽しかった記憶がない。
もっと長い時間を家族や他の友人とも過ごしてきたはずなのに、
まるで凪との時間しか記憶には存在しなかった。
紅音の隣には記憶の中の凪が微笑んでいる。
「わたし・・・間違ってるのかな」
「紅音がそう思うならそうじゃない?」
「真剣に答えてよぉ〜」
それはどこか人形遊びの様でもあった。
意識の中に存在する凪は、まさに人形。
その凪は紅音以上に凪の事を知らない。
ぬいぐるみにする様に紅音は凪を強く抱きしめる。
すると凪は紅音の髪を手で触れながら微笑んだ。
「ふぅ。私は紅音と同じ答えしか持ってないんだよ?
 紅音が決めた時、私はそれを受け入れるしかないの」
「うぐ〜・・・よく解んない」
「いいんだよ。ほら、もう一人の精神状態が変わった。
 外との接続が繋がる様になったよ」
「え・・・?」
そんな風にして紅音の目の前に現れたのは、
本物の凪の表情だった。
だが紅音の事を悲しそうに睨め付けている。

  「どうしても・・・私と天使を滅ぼす気はないのね。
   そして、紅音ごと私を・・・殺す気なのね」
  「ああ・・・俺は紅音にそんな事をさせる気はない」

その声が聞こえてきた瞬間、
紅音の頭は真っ暗になっていた。
「これ、どういう・・・事?」
「紅音・・・解ってるんでしょ?
 凪は紅音を殺すつもりなんだよ」
いきなり現れた凪のそんな言葉。
何も理解できなかった。
どうして自分が殺されなければならないのか。
しかし紅音の身体の主導権を握る者が、
凪の事を殺そうとしているのも感じていた。
「もしかして、私じゃない誰かが
 凪ちゃんを殺そうとしてるから・・・だから?」
泣きそうな表情を覗かせながら紅音はその光景を見つめる。
久しぶりに見る凪の顔は何も変わっていなかった。
だがその表情は悲しみに染まっている。
その瞬間、紅音の頭には全ての現象が消え去っていた。
騙されていた事。汚された事。
どこにもそれらは残っていない。
そんな凪の表情を見ている内、紅音はある決意をした。
「紅音、ホントお人好しだね。
 私は今・・・紅音がなにを考えてるか解るよ」
「・・・うん。でも・・・私、見たくないから」
「そうだね・・・紅音が見たくないものは、私も見たくない」

10月12日(日) PM12:46 晴れ
万魔殿・上空

凪とリヴィーアサンはお互いに、
相手を殺せるだけの力を自らに込めていく。
先に力を溜めきったのはリヴィーアサン。
「血は赤くなく、身体は人ではなく。
 去りゆくモノよ、別れの祝詞に耳を澄ませよ・・・!」
彼女の身体から巨大な光の束の様な物が現れた。
それは物凄い勢いで収束して凪へと飛び交っていく。
輝きが押し寄せる様に凪を襲った。
だが凪はそれを両手からの緑色の光で防ぐ。
「くっ・・・おおぉっ!」
眩い光とどこか温かい緑色の光。
激しく光の色がめまぐるしく変わっていく。
それらは互いに大きくぶつかり合いながら薄れていった。
(馬鹿な、拮抗しているというの・・・!?)
リヴィーアサンはいち早くそれが相殺される事に気付く。
そして素早く凪へともう一度攻撃を仕掛けようとした。
「ぁぐっ・・・!!」
その時、リヴィーアサンは急に頭を押さえ始める。
すぐに彼女は紅音の意識が外界と接続されている事に気付いた。
「まさか紅音・・・むざむざ殺される気か!?」
それは主導権を取ろうとして発生する痛みではない。
紅音はただ、リヴィーアサンの邪魔をしているだけだ。
それが何を意味しているかはすぐに解る。
「お前は騙されて・・・犯されたというのに、
 殺される事も甘んじて受ける気なのか・・・!?」

 「だって・・・私、見たくないから。
  凪ちゃんが死ぬ所なんて、見たくないから」

「馬鹿な、紅音・・・お前まさか・・・」
リヴィーアサンはその時、目の前に凪がいる事に気付いた。
凪は感情のない瞳でリヴィーアサンを見つめている。
その瞳からはいつの間にか涙が流れ始めていた。
そして至近距離で先ほどの緑色の光を具現していく。
直撃を受ければリヴィーアサンは確実に死ぬ。
彼女は動かない体を必死で動かそうとしながら、
意識下で紅音を説得しようとした。
だが紅音の意志はあまりに屈強。
凪が死ぬ所なんて見たくはない、という意志。
辛うじて動く口を使って凪に語りかけた。
「・・・凪ちゃん、今紅音が主導権を奪おうとしてるわ。
 今なら紅音を救えるかもよ、
 本当に私ごと紅音を殺していいの・・・?」
しかし凪の表情は変わらない。
「今更・・・そんな嘘に騙されると思ってるのか?」
凪はリヴィーアサンの言う事を信じようとはしなかった。
今までの事もあったが、
彼女が頭を押さえていないせいもある。
もう、そういった行動すら取れないのだ。
どれだけ焦ってもリヴィーアサンの身体は少しも動かない。
静かに凪は瞳を閉じた。
別れを惜しむ様に涙が頬を滑り落ちていく。
「さよなら・・・紅音。こんな方法でごめん・・・」
悲劇で彩られた闘いの幕が降りようとしていた。
一分の隙もない絶望に塗りたくられた勝利という形で。
そしてゆっくりと、二人の姿を灰色の雲が覆っていった。

Chapter50へ続く