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朱の翼

著作 早坂由紀夫

Chapter9
「空虚な悪魔」

6月19日(木) AM08:12 晴天
寮内自室

・・・・・・。
「凪ちゃ〜ん」
「うん・・・」
「なぁぎちゃ〜ん」
「・・・るさい」
「もう、凪ちゃん! 遅刻だよ〜!」
がばっ! ぶんぶんぶん!
勢いよく布団を跳ね上げて、頭を振る。
時計を見ると、8時を回っていた。
「・・・もしかして、私寝坊した?」
「うん。起こしたんだけど、駄目だった」
溜息混じりに紅音がそう言う。
久しぶりに寝坊なんてしてしまった。
でもそんな事を考えていても仕方ない、
急いで学校へ行けばまだ間に合う。
大体、俺の場合化粧とかの類はしないんだから、
女の寝坊よりはまだ救いようがある。
ただ、肌の手入れはしないと母親に殺されるが。
「凪ちゃん、着替え」
「あ、ありがと」
「それと、朝に久保山先輩が来たよ」
「えっ!?」
久保山・・・深織が? 何の為に?
とりあえず紅音に何かを言った様子はないので、
俺が殺される心配は無いようだが・・・。
「なんかね、誰かが失踪したんだって」
「・・・・・・!」
失踪。
俺が見てきた失踪は大体悪魔が関わっていただけに、
どうしてもその可能性を考えてしまう。
そうだとしたら、あいつが・・・またやってくるのか?
俺は紅音に急かされながら、どうしても
その可能性を捨てきる事が出来なかった。

6月19日(木) PM13:02 晴天
学校野外・開放エントランス

今日は、俺から誘って真白ちゃんと飯を食べていた。
悪魔の事について相談できるのは、
真白ちゃんしかいないからだ。
人目はあるが、他人の話なんて大して
聞いている奴はいないだろうと言う理由からここにした。
隣には真白ちゃんがゆっくり飯を食べていて、
時折俺の方を見ては不思議そうに首を傾げる。
「あの・・・どうしたんですか?」
意を決したように、真白ちゃんは俺に質問を投げかけてきた。
「うん、特に何ってわけじゃないんだけど・・・」
「えっ? じゃあ私に話があるわけじゃないんですか?」
「そう言うワケじゃないの。実は今日、
 一人の男子生徒がどこかに消えちゃったんだよ」
「・・・それって、また何か悪魔とかなんですか?」
少し興味深そうに、でも何かがっかりした様に
真白ちゃんはこちらを向いて話す。
「いや、その・・・他に相談できる相手がいなくって」
「葉月さんに相談すればいいじゃないですか〜。
 なんだぁ、なんか私勘違いしてました」
「は?」
「あ、いえ・・・」
そっぽを向いて、伸びをする真白ちゃん。
なんか誤魔化してる気もするが、
多分今回の件とは関係ないだろう。
「葉月は、もう一人のあいつは・・・居ないんだ」
「え?」
俺はとりあえず、その事をちゃんと話しておく事にした。
「葉月の体が限界だったらしくて、
 それ以上葉月の中に居る事が出来なかったみたい」
「・・・そうなんですか」
真白ちゃんは、その事についてそれ以上訊ねたりはしなかった。
その表情からは、何を考えてるかもよく解らない。
「で、失踪した男子生徒の事をさっきここに来る前に、
 少し先生に聞いてきたんだけど、
 どうやらこの学校にはいないみたいなんだ」
「え・・・じゃあ、外に逃げちゃったんですか?」
「いや、それは多分無理だと思う。
 男子寮は女子寮の100倍は厳しくできてるんだ。
 男子が夜中に消えてしまったら、スグに解る」
そう、人の力で逃げたのだったら場所なんて解る。
それがもし、もう存在しないものになっているなら
誰もが彼を見ている可能性だってある。
「私が今考えてるのは、真白ちゃんみたいな力。
 前の真白ちゃんみたいな力があれば、
 あんな男子寮は容易く抜け出せるよ」
「あ・・・じゃあ、ホントに悪魔の可能性があるんですか?」
「違うと良いんだけどね」
「・・・・・・」
「どうしたの?」
「凪さん、本当にそう思ってますか?」
「・・・え?」
「あ、いえ・・・ごめんなさい」
真白ちゃんは少し遠慮がちに俯くと、
そう言って笑っていた。
・・・・・・。
確かに、真白ちゃんが言う事は当たっているかもしれない。
俺はこころのどこかで、悪魔が出てくれば
もう一人の葉月に会えると思っている・・・。
でもそれは、ただ無事かどうかを確かめたいだけだなんだ。
別に馴れ合いたい訳じゃない。

俺はその時、気付いてはいなかった

自分がどれだけあいつに会いたいかを、

そして俺のすぐ側まで危険が迫っていた事を・・・

 

6月19日(木) PM15:42 晴天
学校内三階・生徒会室

なぜ俺が生徒会室にいるかというと、
深織に呼び出されたからに他ならなかった。
ご丁寧に、授業が終わると俺を呼びに来て
周りの目も気にせずに俺をひっぱってきた。
生徒会室なら人の出入りも少なく、
中でどんな会話が行われてるかは解らない。
だから生徒会室に呼ばれたのだろう。
「一体何の用? 生徒会の会議って毎週水曜日じゃないの?」
「・・・会いたかったの。フィアンセに」
「深織、悪いけど・・・私は今、高天原凪なんだよ」
「どういう事? そんなの当たり前じゃない」
「違うよ。女としてここにいるの。
 この生活を壊すわけにはいかないんだ」
そう・・・今のこの生活、俺は結構気に入っている。
「まやかしとか、倒錯だとかって言うのは解ってるんだ。
 ただ・・・紅音と一緒にいたいと、思ってるのかもしれない」
「紅音、ちゃんと?」
「・・・・・・」
何を口走ってるんだろう俺は・・・。
これじゃあまるで、俺が紅音の事
好きだって言ってるみたいだぞ?
「そんな事、させないよ」
「え?」
「ふ・・・ふふ、あはははははっ」
何がおかしいのか、深織は耐えきれない様に笑っている。
その瞳にはいつしか涙が混じっていた。
「私、あなただけの為にここまで生きてきたのに。
 それじゃあ私の存在意義って何? 私は何なの?」
「・・・・・・」
「凪が、私以外を好きだなんて考えたくないっ!」
耳をふさいで叫ぶ深織。
その声にリンクする様に、外の風が物凄い音を立てて舞い上がる。

――――――その瞬間だった。

とくんっ・・・

ゆっくりと外の窓から入ってきた者がいた。
それがあまりに不自然だったので、
俺と深織はすぐに気付かなかった。
「・・・どうしたんですか? 凪さん、それに久保山先輩」
「め・・・い、ちゃん・・・?」
俺はその姿に目を疑った。
窓際に立っている芽依ちゃんは、
赤黒い羽根を背中にはやしていた。
それはまるで、赤い天使・・・いや、悪魔の様だった。
あの時見た何かは芽依ちゃんだった・・・のか?
「君・・・は?」
深織はすぐに涙をふき取り芽依ちゃんを見る。
そして凝視してしまった・・・無理もないか。
「久保山先輩。あなたに力をあげますよ。
 凪さんを捕まえて離さない力を」
「・・・・・・」
「芽依ちゃん、いや・・・君は、一体?」
「二人の恋の天使。なんちゃってね」
芽依ちゃんの面影は何処かに消えて、
その微笑みは不気味さすら持ち得ていた。
「ふふっ・・・凪さん。リリスやベリアルと闘ったそうですね。
 本当に多方面で活躍して、すごいです」
「芽依ちゃん、まさか悪魔に取り憑かれたの・・・?」
「え?」
深織がぎょっとして俺の方をみる。
何か信じられない事を聞いたといった感じだ。
まあ、そんな簡単に信じれるものではないが、
目の前に羽根を生やした女がいれば話は別になる。
「別に凪さん自身に害を成す気はありません。
 ただ・・・凪さんに絶望を味わって欲しいんです。
 私達が受けたのと同じような・・・絶対的な苦しみを」
それは悪夢に近い出来事だった。
芽依ちゃんが悪魔に取り憑かれてしまうなんて・・・。
「あ、勘違いしないでくださいね。
 私は自分から進んで悪魔に堕ちたんですから」
「・・・芽依ちゃん」
「とりあえず、今日は顔見せです。
 今度は久保山先輩にも仲間になる権利を与えてあげますから、
 期待して待っててくださいね〜」
「貴方は一体・・・?」
そう深織が訊ねる。
「そうだな〜。あなたにとっては天使かも」
「ふざけないで!」
「ふざけてないわ、ほらっ」
そう言って、芽依ちゃんが手を横に振る。
瞬間、空気が裂けていくのが解った。
深織の着ていた制服が、音もなく切り裂かれる。
「え・・・?」
「それなら、凪さんを誘惑しやすいですよ〜」
深織には状況が理解できていないらしい。
少し戸惑って、自分が下着姿になった事に気付く。
「きゃあっ!」
そして、そのまま座り込んでしまった。
「可愛らしいな〜、それが本当の久保山先輩なんですね。
 あなたがぐちゃぐちゃに犯されたら、
 凪さんは同情してくれますかね?」
「芽依ちゃん・・・何を言ってるの?」
「凪さん、女言葉使わなくても良いですよ。
 私は誰にも喋らないから。
 そんなのじゃあなたを絶望させられないもの」
「・・・・・・」
うっとりしながら恐ろしい言葉を吐く芽依ちゃんは、
さながら悪魔の様だった。
「まずは久保山先輩、あなたからです。
 凪さんの為に私が面白い事を考えてますから、
 あなたも期待して待っててくださいね」
一方的に俺達に言葉を投げかけると、
芽依ちゃんは窓から見える世界へと羽ばたいてしまった。
「・・・・・・」
深織は、力無くうなだれてしまった。
「私、よく解らないよ・・・一体どういう事なの?
 これから・・・どうなるの?」
この場合、助けなかったらかなり非・人道的だと思う。
それもあって、俺は深織に自分の制服を上から被せる。
「大丈夫。俺が守ってみせるよ」
「・・・凪。あの、不謹慎なんだけど・・・嬉しいな」
「ああ・・・この場合、俺に意見を求めるな」
「うん、凪・・・お願い。私を助けてね・・・」
こうして、きっぱりと断ったはずが、
余計深みにはまっていってしまった。
しかし、この状況で断れるはずがない・・・。
実際、芽依ちゃんが何かしてくるのは間違いないのだから。
「このチャンスに、凪と良い関係に・・・」
「は?」
「え、何?」
「いや・・・」
なんだか、今幻聴が聞こえた気がする。
くっ、悪魔の仕業だ。それに決定。
間違っても本当の声なんて事はありえない。

6月19日(木) PM18:15 晴天
寮内自室

寮の中は雑然としていて、嫌な雰囲気が流れていた。
また一人、今度は芽依ちゃんが消えたのだ。
さすがにこれはただ事じゃないと、
警察が介入してくる話まで持ち上がる。
そして、愛依那と芽依ちゃんの部屋には誰もいなくなった。
芽依ちゃんは、きっと自分からこの寮を出たのだろう。
俺はその事よりも、最初の男の行方が気になっていた。
可能性としては芽依ちゃんに殺された可能性がある。
まだ、断定は出来ないが・・・今回の事件には、
何か関わってはいけない様な気がしていた。
それは理性ではなく、本能が訴える物だ。
とりあえず紅音といる間は、それを考えるのは止めよう・・・。
というより、そんな暇はない。
「凪ちゃん凪ちゃん! あれ一番星かな〜?」
「え・・・と、あれは、多分そうだね」
「わぁ〜、ラッキーだね」
「紅音・・・それ、何?」
紅音の手には、妙なパックの飲み物が握られていた。
「え、これ?」
「そう、それ」
「これは『ゆきゅ印のいちごみるく』だよ〜。
 たまにお腹壊すけど美味しいの」
・・・・・・。
それって、体に悪いって事なんだろうか?
「凪ちゃんは、お茶ばっかり飲んでると老けちゃうよ」
「老けないよっ。なんでお茶飲むと老けるの」
「え〜? だって、お爺さんとかよく飲んでるから」
「・・・あれはどうみても年取ったからでしょ」
「そ、それは解ってるよ〜!」
「いや、紅音は変に非常識だったりするからねぇ」
「あ〜それって結構酷い」

こんこん

「は〜い」
ドアを開けると、そこにはやはり紫齊がいた。
もうこの時間になると毎日の様にやってくる。
「紅音、凪。追試、なんとか通りました」
「へぇ・・・良かったね」
「おめでと〜紫齊ちゃん」
「さんきゅ。それで、今日は記念に・・・」
あ、もうこの展開の予測が俺にはついてしまった。
むしろ紫齊はその為に毎日ここに来てるとしか思えない。
「ほっ、越の寒梅!」
「わ〜〜」
どこか反応が微妙な紅音。
「紅音、このお酒の価値知らないでしょ」
「・・・あ、お酒たくさんあるね〜」
「誤魔化し方が巧妙になってきたね」
俺が思った事を代弁してくれる紫齊。
だが、実際なんでこいつは酒をこんなに隠し持ってるんだ?
「もしかして、紫齊の家って酒屋?」
「まさか! ・・・それだったら良いのにね」
ふと、紫齊が窓際を見る。
そこで俺は初めて、紫齊が滅茶苦茶可愛い事に気がついた。
しかし何か自分の家柄に関して、嫌な事でもあるのだろうか?
まあ、人の事なんて全く言えないが。
「紫齊ちゃん、これ貰って良い?」
「・・・あっ、それテキーラ」
「は?」
なぜテキーラをここに持ってきたのか、
それを疑問に思う前に紅音を止めていた。
「紅音、お願いだから飲まないで」
「なんで? これって美味しくないの?」
「そ、そうそう! だからこっち、ね?」
そういって俺は、必死でカクテル風のジュースにすり替える。
紫齊が、ちゃんと紅音用を持ってきてくれたおかげで助かった。
「かんぱ〜い」
俺と紫齊は越の寒梅を、紅音はジュースを飲み始めた。
「ぷはぁ〜! やっぱり越の寒梅はいいね〜」
「紫齊、なんかおじさんぽい」
「何〜? 凪だって、可愛い顔してなんでそんな酒強いのさ」
「や・・・そ、それはまた別の話」
「う〜ん、テキーラテキーラ」
紅音がさりげなくテキーラに手を伸ばす。
勿論、俺と紫齊が必死で妨害したのは言うまでもない。
「紅音はお酒飲んじゃ駄目」
「なんでよ凪ちゃ〜ん、二人だけズルイよぉ」
「ずるくない。紅音はあたし達と違ってお酒弱いでしょ?」
「・・・その点では紫齊も大差ないけど」
「何か言った? 凪」
「いえ、なんにも?」
紫齊の場合、顔に出ないのにどんどん酔ってくから後が恐い。
せめて紅音みたいに、真っ赤になってくれると助かるのに・・・。
「凪! 一気」
「え・・・?」
「凪ちゃんの一気が見てみたい〜」
「く、紅音」
駄目だ・・・こいつらはどちらにせよ、テンション変わらねぇ。

6月20日(金) AM02:35 晴天
寮内自室

静まりかえった寮の中。そして俺達の部屋。
俺はなぜか、一人眼を覚ましてしまっていた。
紫齊が俺の布団で一緒に寝ているが、気にしない。
そして逆を向くと、そこには紅音もいる。
かなり凄い状況だが、もう慣れてきていた。
俺は紅音を抱き上げると、二段ベッドの上に登って寝かせてやる。
「おやすみ」
「〜〜〜」
何を言ってるのかは解らないが、
とりあえず紅音の方はちゃんと片づいた。
後は紫齊だけだ。
「紫齊、私の布団で寝ないでよ」
「・・・な、ぎ?」
「ほら、さっさと起きて」
「うん・・・」
そう言って寝惚けながら起き上がる紫齊。
だがその開いてない瞳で何かが見えるはずもなく、
あえなく俺と紫齊は、ベッドの下に落ちてしまった。
「いたっ!」
「・・・ぐっ」
紫齊が上に乗る様な格好で俺達は倒れている。
胸が当たっているが、胸パットのせいで感覚はなかった。
「凪ってさあ・・・前はもっと、女らしくなかったよね」
「はぇ・・・?」
やっぱり端から見ると、そう言う物なんだろうか。
俺的には結構女らしく振る舞ってるつもりだったんだが・・・。
「最初は、男だったら良いのにって思ったんだけどなぁ」
「・・・えっ?」
「・・・あっ! ううん、なんでもないっ」
ばっと起きあがって、らしくもなく俺に愛想笑いをする。
何だろう・・・俺が男だったら、何が良かったんだろう。
まあ、そんな事は少し頭痛のする今に考えたくはない。
「ええと・・・私帰るよ、凪」
「うん。解った」
なんだか気になる発言を残しながら、
紫齊は自分の部屋へと帰っていった。

Chapter10
「理由。そして夜殺啓人という男」
に続く