夢姫がいなくなってから数週間が過ぎた。
あの子が居なくなっても何事も無く時間は過ぎる。
それが堪らなかった。
ホント、あの子は短い時間だったけど、
大切な友達になってたと思う。
夏芽だってそう言うハズだ。
あたし達はあれから普通に学校に通っていた。
色々と問題もあるらしいけど、よく解んないので気にしない。
今、あたし達は音楽室で話をしていた。
冬子が学校に来るようになったからだ。
でも少し冬子は暗い。いや、不自然に明るい。
見てて痛々しい、っていうのは夏芽の言葉だ。
多分、皆が思ってる。勿論あたしも思ってる。
なんだかそういうのは気持ち悪いって言うか、嫌だ。
上手く説明できないけど冬子にはもっと……うぐ。
なんていうんだろう。難しいから考えるのはよそう。
いつも通りあたしはたっつーに蹴りをくれると、
特等席の机の上にどかっと座った。
ちゃんとパンツが見えないように手でスカートを押さえる。
そこらへんは冬子や夏芽に言われて直す事にした。
見られて減るもんじゃないけど、見せても仕方ないしな。
「あ、先生。久しぶりに先生のピアノが聴きたいな」
淳弘がにこにこしながら冬子にそう言う。
冬子の方もふっと笑って頷いた。
すると冬子は珍しく皆が知ってる曲を弾き始める。
タイトルは知らないけど、曲は聴き覚えがあった。
普段はよく解んないクラシックなのに珍しいな。
「この曲……『いつか、王子様が』?」
「ああ。この曲、好きなんだ」
優しい微笑みで冬子はあたし達にそう言う。
隣を見てみると、たっつーが不思議そうな顔をしてた。
「どうした、たっつー」
「いや……いい曲だな、って思ってさ。上手く言えないけど、
こういうの、もっと夢姫に知って欲しかったかったなって思ったんだ。
あいつ、多分音楽とかあんまり聴かない奴だろうけどな」
たっつーは寂しそうにあたしの方を見て笑う。
うぐ。息が詰まりそうな顔だ。
周りの皆もしんみりした顔をし始める。
堪らずあたしはたっつーの鼻に頭突きを食らわした。
「ふげっ! お、お前……なにすんだよっ!
さりげなく鼻骨が折れるかと思ったぞっ」
「下僕の分際でしんみりするなっ。
大体、夢姫ともう二度と会えないワケじゃない。
聴かせたかったらまた会った時に聴かせればいいだろっ」
まくしたてる。それも言いたい放題。
なのに、たっつーは驚いた顔であたしの事を見た。
例えるなら意外なトリビア発見したって顔だ。
「お前に言われると、なんかそんな気がする。
うん。そうだよな……ありがとよ、禊」
「そ、そか」
改まって言われるとちょっと照れる。
あたしを照れさせても何も出ないぞ、たっつー。
嬉しいけど。
「じゃあ礼に、たっつーの話を聞かせろ。たっつーの妹の話」
「うっ」
そう来たのかって顔でたっつーはあたしの顔を見る。
してやったりだ。こういうチャンスでもないと、
このまま聴きそびれてしまいそうだからな。
やっぱり知っておきたかった。
たっつーは大事な友達、いや下僕。
夏芽たちが知ってる事は知ってないと、仲間はずれみたいで悔しい。
「解ったよ、でも……」
ちらっとたっつーは冬子の方を見た。
それを察した冬子は息を吐くと立ち上がる。
「なるほど。私は邪魔か」
「あ……いや、その」
「だが居座る」
立ち上がったかと思うと冬子はすぐにまた座った。
悪いなー、って顔をしてた隣のたっつーは唖然。
まだまだ甘いな。冬子は結構こういう話好きだぞ。
何か言おうとして、たっつーは額に手をやる。
「あんまり人に話すような事じゃないんですよ」
「それだからこそ、聞きたいんじゃないか」
冬子の言う通りだ。凄く気になる。
たっつーは、ため息をついて項垂れた。
どうやら諦めたらしい。
「仕方ねえなあ」
「ウチは大賛成やで、たっつー。
話せるって事はあの頃より大分マシになったんやからな。
秘密にしとくのもええけど、皆が知っていてくれたら、
それはそれであの子も嬉しいやろ」
「……そういうもんかな」
「まあ、たっつーがええと思ったらええんや。
話すような事じゃないって思うならそれもアリや。
つまるトコどっちでも構へんいうことやな」
夏芽はやっぱり幼馴染だけはある。
物凄く説得力のある言葉だ。
伊達にレズやってないな、夏芽。
「おっけ、わかった。話すよ。何時の話からが良いかな。
高校に入る2ヶ月前くらいから話すか」
それは今までにない冬。
俺と桜の関係は目に見えて崩れ始めていた。
崩れた方がいいっていうのは解っている。
ずっと前から仄かに期待してた事ではあった。
ただ、臆病な俺は変わってしまう事を怖れてしまう。
兄妹の関係は凄く楽なものだ。
変化する事なんて殆ど無いんだから。
学校から帰ろうとすると下駄箱の所で桜は待っていた。
「お疲れ様、お兄ちゃん」
「あのな。お前に言われるのは妙すぎるぞ」
「こういう時は妹を抱きしめておけばええんや」
後ろから夏芽が俺の頭をかこーんと叩く。
それを見た桜はくすくすと笑っていた。
「わ、笑うなよ」
「お兄ちゃんってさー、絶対奥さんに頭が上がらないタイプだよね」
「言えとるわ〜。小突かれやすい形の頭と性格やしな」
酷い言われようだ。
亭主関白するためには、頭の形から変えろってか。
余計なお世話だといいたいが、この二人には言えない。
何かしらと丸め込まれるのは明らかだ。
まあ、闘わずして逃げてる辺りが、
こう言われる所以なのかもしれないが……。
俺たちは下駄箱を出て、灰色の空の下をゆっくりと歩いていく。
しばらく三人で話していると、
後ろのほうから淳弘が走って追いかけてきた。
「酷いなぁ……僕を置いていくなんて」
「あ、あー、タケが言うたんや」
「……おい」
夏芽は淳弘を忘れてきた責任を俺になすりつけようとする。
確かに俺も忘れてたが、そもそも三人とも忘れてたじゃねえか。
「まあいいや、とりあえずタケにクレープ奢って貰お」
「はい?」
察するに淳弘の発言は夏芽を信じたらしいものだ。
何故か俺だけが悪いことになっている。
男にクレープ奢るなんて、当然断るところだ。
だが、流れは更に俺の小遣いを蹂躙しようとしやがる。
「それはええ考えや。タケ、うちのクレープもよろしゅうな」
「あ、私はイチゴクレープがいい」
夏芽と桜が奢ってもらう方向に流れを持っていきだした。
幾らなんでも三人分のクレープなんて奢ったら、
中学生風情の小遣いでは金が持たない。
「下校中の買い食いは校則違反、だよな」
「それもそうかなあ」
おっ。淳弘がまんまと乗ってきた。
後は勢いで押し切るしかない。
「それじゃ真面目な俺たちは慎ましく帰るとしますか」
「んなこと言うて、こっそり桜ちゃんにだけ奢るつもりやろー」
「ば、そんなことするかああああっ」
そもそも誰かにクレープを奢る気はない。
おまけに変なこと言うもんだから、
思い切り恥ずかしさが顔に出てしまう俺。
中学生とはいえ、ガキすぎる反応する自分が情けない。
「あ……そういうことなら」
急にしおらしくなる桜も桜だ。
女らしい素振りを見せられると、こっちだって見とれてしまう。
硬直している俺に、すかさず夏芽が肩を叩いてぐっと掴んできた。
「昼間っからええもん見せてくれるやん。おっちゃんお腹一杯やで〜」
「な、なんだよこの手は」
「まあミスドでええわ。何に見とれてたんか聞かせてもらおか」
流石は夏芽と言うべきか、俺の頭の中は完璧に見透かされている。
この状況から逃げ出すことも叶わず、
気づけば俺は三人にミスドを奢る羽目になっていた。
そう。多分、その頃が俺と桜にとって一番幸せな季節。
恋愛の恋という甘い疼きの部分に浮かされ、
ただひたすらに色恋が全てを占めていた。
まるで、恋愛こそがこの世で最も素晴らしいものかのように。
中身も知らず俺たちはそう思い込んでいたんだ。
しばらくして、俺と桜はある決定的な分岐点に立つ。
「タケは本当にずっとこのままでいいって思ってるの?」
それが切欠だった。
ソファーに腰掛けている桜と、床に座ってテレビを見ている俺。
リビングでいつも通りテレビを見ているとき、
思いつめた表情で桜がそう告げたのだ。
今までも、似たようなことを言われたことはあった。
けれど今回は今までとは違い、
明らかに攻めるようなニュアンスが含まれている。
俺はそれについて、何を言うことも出来なかった。
黙ってテレビを見ていることしか出来ない。
「私、タケの気持ちが全然わからない。
だって、私の気持ち解ってて駄目だって言うけど、
タケは……気がある風に見えるもん。
どうして、少しも私の気持ちに応えてくれないの?」
目に見えて桜は苛立っていた。
それは当然の成り行きではあると思う。
気持ちを宙ぶらりんのままにさせて、口でだけ桜を拒否していた。
汚いやりかただということは解る。
近づくなと言っておいて、離れないように想ってるんだから。
何故そうするのかなんて理由は簡単だ。
恋愛することは確かに素晴らしいことだと思うし、理解できる。
俺の場合、怖がってるだけだ。
付き合うことが未知の部分であるという恐怖。
今の心地よさが失われてしまうかもしれないという恐怖。
漠然と付き合いたいと思うように、漠然とそれに恐怖している。
「……なんで何も言わないのよ。嫌なら拒否してよ。
本気で嫌だってタケが言うなら、諦めだってつくのに……。
タケがそんなんじゃ、私……私の気持ち、どこへもいけないじゃない」
桜が俺を好いてくれていることが奇跡みたいなものなのに、
それに甘えて駄々をこねているのかもしれない。
吃驚するほど危ない橋だ。
桜の気持ちが離れるかどうかのところで、俺は現状維持に努めている。
そして――――仄かな期待。
ひょっとすると、テレビの中で見る恋人たちみたいに、
上手くやれるんじゃないかっていう期待。
何も知らないから、漠然とした期待と不安が頭を駆け巡る。
桜の気持ちに応えたらどうなるのだろうか。
最低なことに、俺は桜の気持ちなんてこれっぽっちも考えちゃいなかった。
無知な中学三年の男子に、相手を思いやる余裕なんてあるはずもない。
頭を埋め尽くしてるのは自分のことだけだ。
「正直言うとね、時々凄く嫌になる……なんで、
私こんな優柔不断な奴好きになったんだろうって」
「……俺も嫌になるよ、こういう性格」
「そうだよ。その割に特別いい所があるってわけでもないし、
格好いいわけでもないしね。ほんと、なんで好きになっちゃったんだろ」
「はっきり言うなよ……解っててもへこむだろ」
「ほんと、理屈じゃないんだよねぇ」
がっかりしたような顔で、ため息交じりに桜はそう呟く。
なんだか酷く落ち込む態度で好意を語る奴だ。
馬鹿にされてる気になってくる。
でも、桜の言うとおり俺は何もない普通の中学生だ。
優しいかって言われても、人並みってところだろう。
いつの間にか桜はソファーから身を乗り出して、
俺に顔を近づけていた。
「ねー……もしかして、私が信じられなかったりするの?」
「は?」
「だからさあ、私の気持ちがどれくらいか解らないのかなって」
「……まあ、見えないんだから解らないといえば解らないな」
「んじゃ、見せてあげればいいんだ」
そう言うと桜は腰を上げて俺のほうに倒れ掛かってくる。
何言ってるのか解らない内に、俺の唇に桜の唇が触れた。
あ、そうか。こういうことか。
理解したときには、既に二人の唇は離れていた。
僅かに頬を染めながら、桜は床に座って俯いている。
「わかった?」
「え……うん」
それくらいの単語しか俺の頭からは出てこなかった。
軽く頭が混乱していて、何も考えられない。
これはなんだ? シュール系ラブコメみたいなノリは。
どうすればいいのか全くわからない。
ふわふわと身体が浮いているような感覚だ。
桜も同じなのか、俺のほうを見ないで下を向いたままだ。
「あ、あのさ」
思わず俺は桜にそう声をかける。
気恥ずかしそうな顔で桜はちらっと俺のほうを見た。
「……なに?」
「えっと、俺の気持ちも見せなくちゃいけないよな」
そう言って俺は桜の肩に手をかける。
触れた肩がびくっと震えるのがわかった。
まあ俺の手だって、情けないことにぶるぶると震えていた。
やり方はよく解らないが、とりあえず本能のままに顔を近づける。
互いの息遣いが聞こえてくるような距離で、
何度か唇の短い逢瀬を重ねた。
「これが、タケの気持ち……で、いいの?」
「……ああ」
言葉少なに俺はそう答える。
ここまで来て逃げるような台詞が出てくるはずもない。
乗り越えてしまえば、壁は何てことない高さのものだ。
それなのに、俺はずっと……何を恐れていたんだろう。
先ほどまで踏み出すことを恐れていた自分が、酷く滑稽に見えた。
確かに身体はガタガタと震えてはいるけれど、
多分この震えは喜びによるものだ。
臆病者の俺が、やっと桜に近づくことが出来たのだから。
桜は瞳を潤ませて俺の肩に顔を埋める。
どれだけ桜を待たせていたのかは解らないけど、
それがこいつにとって長い間だったのは確かだった。
震える桜の肩が、それを寡黙に語っている。
「俺、出来る限り……今までの埋め合わせは、するから」
「ばか」
嬉しそうな声でそんなことをいう桜。
「埋め合わせなんて要らないよ。
だって私、今凄く満たされてるんだから」
「……そっか」
桜がそう言うなら、そうなのかもしれない。
そう思えるくらい素敵な笑顔で桜は俺を見ていた。
そして――――そのときは、あっけなくやってきた。
あまりにも早く、あまりにも唐突に。
それらしき兆候や、予感なんてものは少しもなく、
たまたま別々に学校から帰った日、桜は交通事故に遭った。
俺がそれを知ったのは、家についてからしばらくしてだ。
現場に居合わせることも無く、
桜に会ったのはあいつが瞳を閉じたままの状態だった。
こういうとき、現実感って奴を維持するのが本当に難しい。
だって、ついさっきまで笑ってた奴が、眠ったまま目を開けないんだ。
だから待っていれば眠りから覚めそうな気がする。
何時間も静かな桜の遺体を眺めていることで、
少しずつ違和感を帯びていた現実が馴染み始めていった。
それからじわりと後悔が俺の頭を駆け巡る。
何故、もっと早く、桜の思いを受け止めてやらなかったのか。
一つだって桜のために何かしてやったことがあっただろうか。
自分のことに精一杯で、余裕があったわけじゃない。
今までの行動全てが、愚かなものに思えてならなかった。
ここから俺は、そんな自問自答を繰り返し、塞ぎがちになっていく。
「あんときは、ホント大変やったなあ。
たっつーが落ち込んでるのを、見てるしかなかったしな」
「でも、夏芽や淳弘がいなかったら、俺は今だってこうしてなかったよ。
塞ぎこんだまま、ずっと桜のこと引きずったままだったと思う。
背負うのと引きずるのは全然違うって、お前が俺に言ったんだったよな」
「……まあ、そんなこと言うたかもしれへん」
「お前さ、『背負うならまだしも引きずってくんじゃ桜ちゃんが可哀相や』
なんて上手いこと言いやがってな。反論する気も起きなかったっけ」
「や、偉そうなこと言うたな、昔のウチは。照れくさいわ」
恥ずかしそうな顔で夏芽はぱたぱたと手を横に振る。
たっつーのことは解ったけど、あまり知ったような気がしない。
そのときに、自分がいなかったからかもしんないな。
今のたっつーは、桜ちゃんのことを引きずってるようには見えない。
全部過去にあったことだから当たり前だ。
でも、何だか凄く申し訳ない気になってくる。
桜ちゃんに嫉妬心を持ってた自分が恥ずかしくなってきた。
「たっつー……無理やり聞いて、その、悪かったな」
「なんだよ、お前が謝るなんて珍しいな……まあ気にすんなよ。
お前や冬子先生なら、話したっていいと思ってたし」
「そ、そか」
「私の名前はおまけにしか聞こえんなぁ」
両手を両耳に当てる面白い仕草で、冬子がそんなことを言う。
おまけってどういうことだ。
「別にそんなわけじゃないですよっ。二人には世話になったし……」
「ふむ、主に禊の世話になってるわけだな」
「下の世話させとるとちゃうんかー」
「ばっ……んなことするかっ」
なんかわけ解らない話題で盛り上がり始めてる。
ん〜、なんかもやもやした気分になってきた。
こういうときはとりあえずたっつーに蹴りを入れておこう。
「あたしを置いて盛り上がるなああぁっ」
「ぐはあっ!」
背中から綺麗にケンカキックを御見舞いした。
情けない声と共に、たっつーは吹っ飛んでよろめく。
おかげでこっちは気分すっきりだ。
「この野郎……潮らしい態度は一瞬かよ。相変わらずの爆弾女だな」
「でも、ホンマはそんな両極端な部分に惹かれつつあるわけや」
夏芽がまた妙なことをたっつーに言う。
どういうことかよくわかんないけど、たっつーはうろたえてた。
「おま……なんでそこまで引っ付けようとすんだよ」
「まあ禊かて、たっつーのこと嫌いやないし、ええやん」
「おう。たっつーは好きだぞ」
嫌いな奴にあだ名を付けてやるほど、あたしはお人よしじゃない。
それが意外そうな顔でたっつーはこっちを見ていた。
そんなにたっつーを嫌ってるように見えたのかな?
「い、いやいや……あれだ、禊。友達感覚で男に好きだって言うな。
危なく愛の告白かと誤解するところだったじゃねえか」
なんだか勝手に誤解してるみたいだ。
それに夏芽がニヤニヤとした顔で乗っかってくる。
「愛の告白は男からやん。なー、禊」
「あたしはたっつーと恋人とかになる気は無い」
そうたっつー達にはっきりと言うと、今度は落ち込んでいた。
色々と忙しいな、たっつー。
「でも、たっつーが誰かと付き合うのは許さない」
これもあたしはたっつーにはっきりと言った。
恋人ってのは面倒臭そうだし、むず痒そうだから嫌なんだ。
けどたっつーが他の女とそうなるのも、なんか嫌だ。
っていうより、凄く嫌なので絶対阻止したい。
「よく解らん支配欲やなー。禊って、たっつーをどうしたいんや?」
「ずっと一緒にいたい」
「……ま、まさか恋人吹っ飛ばして……け、結婚する気なんか?」
「んにゃ。下僕。結婚は一生する気ない」
結婚も恋人と同じで、面倒だからあんまり興味ない。
憧れたことも無かった。
だって、一緒に居るのに何で誰かに認めてもらわなきゃいけないんだ。
「なんやそれ……凄い価値観やな」
「あたしは今のままずっと皆でこうやってられたら幸せなんだ。
だから、たっつーが養ってくれると凄く助かる」
「それって……なんか、凄く酷くねぇ?」
「たっつーはあたしの下僕だから、ずっと一緒にいてあたしを養うんだっ」
「結婚と何も違わへんやん」
「それじゃなんかノリが違う。恋人とかよく解んないしな。
友達っぽい感じでずっと一緒にいたい」
不埒なことをしてきたら、確実にはっ倒す。
他の女にそういうことをするのも絶対阻止する。
なんとなく、変な考えかもしれないとは思っていた。
ただ、たっつーを独占したいのだ。
たっつーで遊ぶのは楽しいからな。
夏芽は吃驚したって顔でこめかみに手を当ててる。
「……そら難儀やな、たっつーも」
「いや、俺は普通に暮らしたいよ」
「駄目なのか? あたしの理想なんだぞ。たっつー、了承しろ」
「アホかっ。俺が誰かと結婚しても、お前と一緒じゃ変だろ」
「結婚するなっ! あたし以外の女に眼もくれるなって言ってるだろっ」
「お前なぁ……」
「それなら、たっつーと結婚だけ済ませたらええやん」
「おお、形式結婚か」
そうしたらあたしのとこにたっつーを縛っておけそうだ。
「よくねぇよっ。そもそも結婚しないって言っただろ」
「友達ノリのままならオッケーだ」
「それ、どんだけ複雑な結婚だよ」
「めでたいやんかー。結婚決めてまうなんてなー」
「決まってねぇよ!」
「チッ、私より先に生徒が婚約紛いの真似をするとは……神も仏も無いな」
「だから決まってないって……」
「おめでと、タケ」
「お前ら人の話を聞けっ!」
どうやら皆祝福してるみたいだ。
多分あたしの両親は烈火の如く怒るけど、そんなことは言わない。
「……俺の意思を尊重してくれ」
「嫌なのか?」
あたしとしては、凄く理想的なことだから、
たっつーも大喜びで付いて来てほしい。
一応、あたしだって家事とか出来るように頑張るから。
というのは流石のあたしでも、皆の前では言えない。
それが何故かすっごく照れくさいからだ。
「ま……禊やったら、桜ちゃんも文句は言わへんやろ。
ようやく、ウチの荷物も一つなくなりそうや」
夏芽は何か変な顔をしている。
嬉しいような、嬉しくないような微妙な感じの顔だ。
「何ぶつぶつ言ってんだよ、夏芽」
「なあーんもあらへん。たっつーはこれから大変やってな」
たっつーの言葉で、夏芽はすぐに飄々としたいつもの顔になる。
多分、そのことを聞いても教えてくれないので聞かなかった。
「ぜってー俺は良い子を見つけて、ちゃんとした幸せを手に入れるぞ」
「却下」
「だから何で禊が却下するんだよ……」
「あたし以外に目もくれるなぁっ」
いつも蹴りとかじゃ面白くないので、耳を引っ張ってみる。
「あだ、あだだっ!」
指で引っ張ると、その方向にたっつーの顔がついてくるので面白い。
「何だかんだ言っても楽しそうだよね、あの二人」
「……この二人は十年後も同じようなことしてそうだな」
「言えてるわ、冬子先生」
夏芽たちがそんなことを言って笑ってる。
十年後もこんな感じだったら、きっと楽しいだろうな。
夢姫は今、こんな風に楽しいって思えているだろうか。
ううん、夢姫はあれだけ頑張ってたんだ。
悲しい顔をしてるはずがない。そう思いたい。
空はまだ抜けるような青、夕方までは少し間がある。
窓から入るそよ風がたまに髪を揺らす。
まるで、のんびりとしたこの時間がずっと続いていくようだった。
|