大きな窓、床と一体化したテーブル。
それはラグエルとカマエルが見慣れている光景と言える。
二人は結局アルカデイアに帰還していた。
何の成果も得られず、冥典の行方も解らない。
項垂れたままでカマエルはミカエルを盗み見た。
彼が怒っている様子はない。
とはいえポーカーフェイスで誰かを殺せる男だ。
油断は出来ない。
(大体、俺は中位天使の一兵卒みたいなもんだぜ?
もし責任取らされたら羽切なんてハメに・・・?)
カマエルの恐れる羽切とはその字の通り、
羽根を切り落とすという断罪方法だ。
主に極刑の次がコレに当たる。
そんなカマエルの不安を知ってか知らずか、
ミカエルは立ちあがって話し始めた。
「今回の任務、ご苦労だったな」
「・・・は?」
素っ頓狂な声を上げたのはラグエルだ。
自分達の予想したのとあまりに違う言葉に、
さすがの彼女も戸惑いを隠せない。
「以上だ。下がって良いぜ」
「は、はい・・・」
二人とも狐に摘まれたような顔で部屋を後にした。
ミカエルは一人になると、ふいに窓から下を見下ろす。
そこには雄大なアルカデイアの世界が広がっていた。
彼はその中でとりわけ強い存在感を放つ巨大な樹を、
何処か忌々しげに見つめる。
ミカエルはテーブルに置いたコーヒーを手に取った。
「結局、抗うだけ無駄なのかもしれねぇな」
コーヒーを一口すする。
それからミカエルはコーヒーをテーブルに置いて、
隣に置いてある書類に目を移した。
そんな時に、誰かが部屋をノックする。
「ワシじゃ。入るぞ」
「ラツィエルか・・・」
特に興味を持つ様子もなくミカエルは書類に判を押す。
そんな彼にラツィエルはいつもの調子で話しかけた。
「相変わらずクールな奴じゃの」
彼はさり気なく部屋の中へと入ってくる。
「あんたこそ、食わせ者って顔に書いてあるぜ」
「そりゃいかん」
慌てて顔を隠そうとするラツィエル。
ミカエルは思わずため息をついた。
ラツィエルは咳を一つすると、低い声で話し始める。
「時にミカエルよ。イヴの消息、お前は知っているな?」
その言葉を聞くとミカエルの手が止まった。
彼は書類からラツィエルの方へと視線を向ける。
それは普段よりも少し張りつめた眼差しだった。
「さあな。奴は天使に疎まれていた異端者。
周りの目が辛くて逃げ出したんじゃねえのか?」
「老賢者の連中は二度と彼女を天使と認める気は無いぞ」
「・・・そう、か」
少しだけミカエルは表情を曇らせる。
それを見るとラツィエルは満足げに微笑んだ。
「何がおかしいんだよ、爺」
「じ、爺・・・そっちこそ老成しとるじゃろっ」
「あ〜はいはい、解ったよ。仕事させてくれ」
その頃、イヴは現象世界にいた。
すでにエクスキューターではない。
というよりも、それ自体の仕事はすでに無くなっていた。
エクスキューターとは冥典が夢姫へと渡る為、
その為に存在していたものだからだ。
故に彼女は新しい任を受けて動いている。
イヴは異国の地で小高い丘の上にある街にいた。
言葉の壁、というものは存在しない。
相手が勝手に言葉を理解するからだ。
彼女はじっと自分の手を見つめる。
それは綺麗で色白い人間の手だった。
だが彼女の瞳には真っ赤な血で染まって見える。
街の大通りを抜けて、彼女は路地裏へと入っていった。
それからイヴはもう一度自分の手を見つめる。
勿論、彼女の手には血など付いてはいなかった。
苛立たしげに彼女は近くの壁を思い切り叩く。
壁は軋むような静かな音を立てた。
彼女は壁を背にしてそっと目を閉じてみる。
その脳裏には一年前の事が過ぎっていた。
つまり現象世界で悪魔を屠っていた頃の記憶。
(下らない・・・私は何を考えている)
闘いや死と無縁の生活だったわけではない。
ただ、そこには何かがあった。
「過去など、私には要らない」
敢えてイヴはそう口にする。
(私はこの身体を手に入れる為に、何をしたんだ?
そうだ、私は何人もの人間を殺し、
その肉からこの身体を作ったんだろう・・・)
彼女は自分自身を納得させようと、そう思っていた。
それはいわば、禁忌とも言える受肉方法。
悪魔と変わらぬ非道の行為だ。
かつて悪魔を滅する立場にあった彼女にとって、
それは本来ならば納得できる事ではない。
神の命令だからだ。
それだから、躊躇い無く実行できる。
そんな事を考えていた時、
不意に彼女は後ろに気配を感じた。
人相の悪い男が二、三人でこちらに歩いてくる。
「夜中にこの街を出歩くなんて、旅行者かぁ?
まあ、ヤられたって文句は言えねえぜ」
そんな言葉を聞いてイヴは笑みを零した。
イヴは手から黒い刀をマテリアライズする。
すぐさま目の前にいた男の脇へと刀を斬り降ろした。
男の脇から大量の血が吹き出る。
「え・・・?」
呆気にとられている男達を余所に、
彼女は右足の踵を逆時計回りに動かして左足を踏み出す。
刀を水平にして左側へと男の首を斬り飛ばした。
一呼吸の間に二人の男が致命傷で崩れ落ちる。
残りの男はすでに怯えて逃げ出そうとしていた。
無論、イヴはそれを逃さない。
直線を描くように男の心臓を刀で貫いた。
素早く刀を抜くと、男の背から血が飛び散る。
(さて、私の任は外側へと向かう者の始末だったな)
血まみれの身体のままで彼女は街の影へと消えていった。
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