インフィニティと呼ばれる場所。
其処は、人が地獄だったり魔界と呼ぶような位置づけの場所だ。
大きく分けて四層からなるのがインフィニティであり、
第一層が焦熱窮琥(しょうねつきゅうし)の地獄(プロミネンティ)、
第二層が凍結穿土(とうけつはくど)の地獄(コキュートス)、
第三層が永久回帰の地獄(インフィンティヴィティ)、
最下層が暗痕の地獄(ブラックマトリクス)と呼ばれている。
主に悪魔が傷を癒すのに適していると言われる場所が第三層。
最も広く、居住区とされているのが第二層。
あくまで第一層は入り口、玄関であり、居住区とは認識されていない。
そして――――最下層に至っては、立ち入る者さえ零と等しかった。
最下層へ向かう方法は二つ。
階層移動エレベータで外壁から降りていく方法と、
万魔殿にあるギンヌンガガフの扉から内部へと入る方法の二つだ。
ロフォケイルを含め、すべての悪魔は前者の方法を使う。
後者の方法は、未だかつて誰も為した事の無い方法だからだ。
加えて、ギンヌンガガフの扉を開けるということは、
ルシファーの完全なる肉体を解放するということでもある。
暗痕の地獄とは、ルシファーの肉体を安置するための場所だからだ。
東京ドーム幾つ分、というレベルの彼の巨体は、
ギンヌンガガフの扉によって物理的、多次元的に封印されている。
天使との闘いで精神体を損傷した彼が、再び力を取り戻すまで。
一言で言えば、インフィニティ最深部とは酷く危険な場所だ。
ルシファーの完全体が眠る場所として長年使われている所為もあり、
そこには光がなく、地面は腐り、命が留まることを許さない。
悪魔でさえ、暗痕の地獄で暮らしていくことは難しいのだ。
黒澤は久しぶりに最下層へ足を踏み入れ、そのことを思い出す。
時刻は日本時間で18時を回ったところだ。
エレベータの周囲は、生気の感じられない湿地帯が広がっている。
辺りは不気味なほどの静けさで、
聞こえるのは沼からボコボコと噴出す何かの音だけだ。
歩いて進むのは困難と判断した黒澤は、自らの身体を宙に浮かせる。
(ルキフグ=ロフォケイルも、何故ここに冥典を持ち込んだのやら・・・)
エレベータからまっすぐ東に進んでいくと、
湿地が途切れひび割れた大地が現れた。
すると、数百m先に研究所らしき緑色の建物が見えてくる。
ようやく冥典と対面できるからか、黒澤の鼓動は少しだけ高鳴った。
04月05日(日) PM18:14
インフィニティ最下層・ロフォケイルの研究施設
入り口はセキュリティもなく、実に無用心なものと言える。
中へ入りたければどうぞ、とでも言われているようなものだ。
最初はそれに不審な点を感じた黒澤だったが、
すぐにその理由を思い至り納得する。
要は、此処が演算による解析のみを目的とした施設だということだ。
利用時は毎回ロフォケイルがデータを持ち込んでおり、
彼の不在時に機密が残されていることは決してない。
当然セキュリティを施す方が楽だが、彼はそれを良しとしないのだろう。
黒澤は彼と同じく、完全なセキュリティなど存在しないと考えていた。
防御しているという安心感が危険だ、とも。
足を内部へと進めると、廊下の先にロフォケイルの姿が見える。
彼は黒澤の到着に気付いて、そこで待っていたのだろう。
「ようこそ、アシュタロス。待っていましたよ」
「こちらこそ待っていましたよ。貴方からの連絡をね」
「それは失礼しました。何しろ、色々と立て込んでまして」
挨拶を済ませると、二人は奥にある円状の部屋へと入っていった。
室内は無駄を廃し、冥典解析のために大規模な装置が並んでいる。
中心に巨大なコンピュータと、四面のディスプレイ。
それを囲む形で、解析用の補助コンピュータが何台も配置されていた。
「これが・・・冥典、ですか」
ディスプレイを見つめ、黒澤はそう口にした。
同じくロフォケイルも画面を見ながら、近くの椅子に腰掛ける。
画面に映っているのは冥典のデータが格納されているフォルダと、
そのプロテクトを解析しているプログラムだけだ。
「私はね、ディアボロスの一件以来、疑っているんです。
冥典の正体は、『完全なる書』なのではないかと、ね」
「パーフェクト・ノート――――冥典に、全知が詰まっていると?」
完全なる書、とはその名が指し示す通り、
あらゆる知識が詰まった書のことだ。
理論的に考えれば、そんなものが存在するはずはない。
総数が確かでなく規則性も見つからない場合、
完全、完璧と言うものは証明できないからだ。
あとから新たなものが出る可能性があれば、それは完璧とは言えない。
ゆえに、パーフェクト・ノートの存在などは絵空事と考えられていた。
事実、黒澤もにわかには信じられない。
ロフォケイルもそれと信じているわけではなかった。
ただそうであってもおかしくないほど、冥典は規格外の存在なのだ。
「恐らくは、ですがね。確証はありませんよ。
ただ・・・この異常なプロテクトを見ていると、信じたくなるでしょう?」
「・・・そうですね。物理的、心理的、霊的・・・あらゆるプロテクトが、
この膨大なデータを保護するために働いている」
「ディアボロスの個人データを含め、
一部は理解不能なレベルの個人認証プロテクトがかかってました。
ファイルを開くことは出来るが、本人以外には内容が見えないらしい。
こいつは、何で認証してるかすら解らないですよ」
画面を見つめながら、ロフォケイルはそう口にする。
同じく黒澤も画面を見つめていたが、一つのファイルに目が留まった。
「ふむ・・・この分割された圧縮ファイル、気になりますね」
「それは、残りの分割ファイルが冥典内に存在しないんですよ」
何か含みを持たせた表情で、彼はそう黒澤に答える。
即座に黒澤は、その意味に気が付いた。
「冥典内に存在しないデータ・・・なるほど。そういうことですか」
「察しがいいことで。まあ憶測ですがね、完全なる書とは、
正典、偽典、冥典、この三つに分割されたデータだと考えてるんです」
「三位一体・・・全てを揃えて初めて、冥典に真の価値が生まれるわけですか」
「そのとおり。問題はプロテクト解除もさることながら、
正典と偽典の二つがあちらさんの手にあることなんですよ」
逆に考えれば、相手は冥典の存在を欲している。
悩むふりをしながら、黒澤は内心興奮を覚えていた。
相手が欲すれば欲するほど、黒澤がイニシアチブを取ることが出来る。
冥典に興味をそそられないわけではなかった。
ただ、それはガブリエルのついで、という程度だ。
目の前に浮かぶデータの羅列に、思わず黒澤は笑みを浮かべる。
04月05日(日) PM23:48 曇り
寮内・自室
維月は目を開けたとき、そこが現世であることに少し驚いた。
気を失ったときの細かな状況は覚えていなかったが、
確かにそれは死の淵だったと記憶している。
ゆっくりと身体を起こして維月は周囲を見回した。
部屋の構造は似ているが、自分の部屋で無いことは理解できる。
すぐ近くで、凪と紅音が維月のことを心配そうに見ていた。
まだぼやけた意識の中、そうか、と維月は納得する。
この二人が自分を助けてくれたのだ、と。
その後、二人の部屋に運ばれて現在に至ったのだと維月は察した。
「起きて大丈夫?」
「はい。少し傷が痛いですけど、なんとか」
先ほどの出来事を思い出し、維月は手で肩を押さえる。
イヴの姿を思い描くと、少しだけその手が震えた。
それは明確な死のビジョン。
死は誰の下にも等しく肩を叩き訪れを告げるが、
その姿は今際の際まで目にしたくないものと言える。
イヴの姿にイメージされた死が、彼女の腹部に溜まっていた。
「維月ちゃん・・・」
「本当に、大丈夫です。ただ・・・少し、まだ震えが・・・止まらなくて」
「安心して。私が手を握ってるから」
紅音はそっと維月の手を取り、にこっと笑みを浮かべる。
不思議と、維月は頭に浮かんでいた死が少し薄れたように思えた。
その様子を見て、凪は今朝のことを思い出す。
(やっぱり紅音って、人を安心させる才能みたいなのがあるよなあ。
こいつの笑顔にはリラックス効果でもあんのかな)
なんとなく、凪は後ろから紅音のほっぺたを引っ張ってみた。
ふにーっと伸びて非常にやわらかい。
「えっとぉ・・・もしかして意地悪?」
「いや、そうじゃなくて、紅音の笑顔って不思議だなぁってさ」
「え? へ、変かなあ」
凪の言葉を違う意味に受け取り、紅音は自分で両手で頬を押さえる。
それを見て、凪は少し笑って言葉を加えた。
「変じゃないよ。すごく安心する」
「そうかなぁ? 維月ちゃん、どうだった?」
「はい・・・高天原先輩の言葉に従うのは癪ですが、同意見です」
苦虫を噛み潰しながら無理に笑ってるという顔で、維月はそう答える。
相変わらずの態度に、凪は苦笑するしかなかった。
そんな二人の顔が真剣なものに変わるのはすぐ後のこと。
維月が先に、核心となる話を口にしたのだ。
「・・・気になってますよね。私が何故、あの女性に襲われていたのか」
「それは、まあ・・・ね」
イヴの言葉を信じるならば一つの答えはある。
彼女が口にしていたツィムツムの外側へ至った者、
つまり異能の者であるからという理由だ。
ただ、それが襲われる理由になるのかが理解できない。
天使や悪魔に対しその力が脅威になるならまだしも、
そんな様子はどこにも見受けられなかった。
「正直を言うと、私も本当のところは解らないんです。
ただ・・・もしかしたら、という可能性は一つだけ」
「何か特別な力を・・・持って、いる?」
はっとした顔で維月は凪のほうを見つめる。
「どうして、それを?」
「うん、君を襲った・・・女性が言ってたんだ」
あえて凪は、イヴのことを維月に話そうとはしない。
話がややこしくなるし、下手すれば妙な疑いを持たれると考えたからだ。
何故凪にそんなことを話したのか、そこには触れず、維月は続ける。
「そうですか。あまりこのことは人に話したくなかったんですが、
お二人を巻き込んでしまった以上・・・話しておかなきゃいけませんね」
決意したのか、ため息を一つつくと、
維月はベッドから降りてすぐ近くに座る。
何故か彼女は紅音のパジャマを着ているが、凪はそれに触れなかった。
「私の家は、神社や寺の家系と言うわけではないのですが、
代々子々孫々に口伝で残す言い伝えのようなものがありました。
決して一族以外の者に話してはならない、なんて文句と共に。
勿論、今では重要視する人なんていなくて、まあ童話みたいなものです。
内容は酷く拙いもので、夢見という力が一族に隔世遺伝するということ、
その力を持つ者は誰にもそれを悟られてはならないということの二つ。
教えてくれた母も、私が力を持つまではお伽話だと思ってたみたいです。
何しろ、一族で私より前の能力者が居たという正式な記録はなくて、
あるとすれば書物の残されてない数百年以上は過去に遡るそうですから」
「・・・それで、その夢見ってどういう力なの?」
「名前の通り夢を見る力、そう・・・恐らく確定した未来を夢に見る能力です」
「予知能力・・・みたいなもの?」
「近いかもしれませんね。相違点を挙げれば、
私が見る未来に変化は無いということです。
つまり、確実に同じ未来が訪れる。決して未来は変わりません。
少なくとも、私の努力で変わった未来は、一つもありませんでした。
変えようとすれば、違う経過を経て同じ結果になるんです。
それに、私はこの力を操作できるわけじゃありません。
時々勝手に見えるだけで、見えるものだってぼんやりとしていたり、
色と雰囲気くらいしか解らないときも、見えないときだってある」
「なんか思ったより不便な能力だね」
紅音は素直に思ったままそう口にする。
それは凪に向けられた言葉だったが、凪と一緒に維月も頷いた。
「だから解らないんです。この力が果たして狙われるほどのものなのか。
私からすれば、人より先にテストの答えが解る程度のものなんです。
計算式に違いがある程度で、テストの答えが変えられるわけでもない」
彼女の話を聞けば聞くほどに、凪は彼女と同様に解らなくなる。
イヴは神を脅かしかねない力だと言っていた。
だが維月は未来を視ることしか出来ない。
未来を変えられるならまだしも、
そうでないのなら何の脅威があるだろうか。
維月が話を終えた後、一呼吸置いてから凪が口を開いた。
「・・・あとはあっちから聞きだすしかないみたいだね」
「えっ? まさか、あの女性から聞くつもりですか?」
「うん。勿論、君のことを守った上でね」
「そ、そんなっ・・・無茶です!」
「まあ・・・なんとかなるよ。一応、私も特別な力持ってるから」
「でっ、でも・・・」
ふと凪は維月の態度に疑問を覚えた。
凪が特別な能力を持っていると言ったことに、
少しも驚いたり疑ったりする様子が無い。
まるでルシードの存在を知っているかのような態度だ。
その上で、何かを懸念しているという様子。
「疑わないんだね、私が力持ってるって言っても」
「っ・・・それは、私だって持ってる側の人間ですから」
顔を俯かせた維月からは、歯切れの悪い答えが返ってくる。
何か隠しているようにも感じるが、それを話したくはないようだ。
問答しても仕方ないと思い、凪はひとまず納得することにする。
今は、それよりもイヴのことを考えねばならなかった。
(あの様子からして、恐らくまたすぐに維月ちゃんを狙ってくるはず。
維月ちゃんを襲う理由も気になるけど、まずは維月ちゃんを護らなきゃ)
このとき、維月は凪の疑問どおり別の不安を抱いていた。
彼女は、以前見た終末の夢が現実になるのを危惧している。
恐らく夢に出てきた黒翼の女性は、イヴではないだろう。
それはどこかで理解していた。
しかし理解を超え、本能が夢に似た状況を恐れている。
凪が行動を起こせば起こすほど、全ての事象は終末へと向かっていく。
維月はそんな気がしてならなかった。
04月06日(月) AM02:15 晴れ
エウロパ宮殿・大天使長室
同日、深夜。或いは、翌日、午前二時。
一日の多くを大天使長室で過ごすミカエルは、
随分前に仕事を終えて寛いでいた。
テーブルの前には渋いコーヒーと煙草のカートンが一つ。
ゆっくりと煙草の煙を堪能しながら、コーヒーを口に含む。
ハードなスケジュールのミカエルには、必要不可欠な休憩方法だ。
下位天使の手前、部屋に煙が篭らないよう窓を開けたりはしてある。
現在は修練のために目隠しをしているので、
煙が篭っているかなどは解らないのだが一応窓を開けてはいた。
「失礼します」
ミカエルに聞こえる程度の小さな声で、ラグエルが室内へと入ってくる。
既に就業時間は終了していたが、彼女をミカエルが呼び出したのだ。
「こんな時間に呼び出したのは・・・まあ、天使がこの時間は休息するからだ」
「察しています。周囲に活動している天使はいないはずです」
「そうだな・・・で、解ったのか?」
明らかに声のトーンを落とし、ミカエルはそう訊ねる。
ラグエルは口を開くのをためらったが、目を閉じてすぐに話し始めた。
「確実な証拠は出ませんでした。それに個人の特定も」
「ふむ・・・のわりに、何も無いって口調じゃねえな」
「はい。しかし・・・これは、予想外の事態かもしれません」
「予想外? いいや、想定通りだぜ・・・多分な。
だからこそ、俺が表立って動きづらい」
煙草を口にくわえながら、ミカエルはそう言ってため息をつく。
ラグエルは、はっと顔を上げてミカエルを見つめた。
半開きの窓からひゅう、と冷たい風が室内へ入ってくる。
「ご存知、だったのですか?」
「薄々、まあ・・・何となく、な。そりゃあ、限られるだろう?
四大天使の動向を即座にリーク出来る奴なんてのは」
「私は俄かには信じられません。まさか、あの・・・」
「そこまでだ。今は疑わしくとも口にはするな」
ラグエルの言葉を遮る形で、ミカエルが口を開いた。
それから彼は灰皿を手探りで探し、煙草の灰を落とす。
口にするなと言うミカエルの言葉は、
穏やかながらも厳然としたものだった。
「不穏分子は悪魔との決戦までに必ず潰す。
だが、急いて仕損じれば・・・悪魔どころか内部分裂に発展しかねない」
「我々天使は、完全なる一枚岩であるべきだというのに、残念です」
「甘いな・・・感情がある以上、一つに重なるはずがねぇんだよ。
そうじゃなきゃ、悪魔なんて居るはずが無いだろうが」
「それは、そうですけど・・・」
ラグエルはミカエルの真意が解らず、そんな返事を返した。
瞳を閉じている所為か、普段より更にミカエルの表情は読めない。
「ともかく、個人を特定することが最優先事項だ。
絞り込んだ奴ら全員の周囲を、内密かつ徹底的に洗い直せ。
必ず何処かで歪みが生まれているはずだ。そこに奴はつけこんでいる」
04月06日(月) PM20:45 曇り
白鳳学園内
更に時間は立ち、四月六日の夜が訪れる。
凪が維月を守るため気を張っている頃、
ヘプドマスのメンバーはすでに揃っていた。
第一のヘプドマスであるヤオートから順に、エルゥ=アイオス、
アスタファイオス、ヤオ、サバオト、アドーニ、サバタイオス。
七人は、人間と天使の中間に位置するアルコーンと呼ばれる存在。
存在の法則自体は、天使や悪魔とそれほど差異が無い。
人間の肉体を何らかの方法で拝借するか、
或いはその肉塊を媒介に受肉することで
彼らは現象世界に関与することが出来る存在となる。
本来の姿、所謂完全体が無いところが天使や悪魔と異なる点だ。
現段階で彼らの任務は監視のみ。
故に、受肉していた者も、精神体となり此処へ来ている。
全員が集まったのを確認すると、サバタイオスが時計を見て口を開いた。
「よし、まずはルシードが現在何を行っているかを確認する」
「サバタイオスが仕切るのかよぉ、つまんねーの」
白けた顔でヤオートがそれに文句を呈する。
「黙りたまえ、ヤオート・・・いや、今はプロノイアか。
何にせよルシードを行動監視することは、最重要だと言えるだろう」
「だったらサバオトにやらせてくれ、お前の声は嫌いなんだ」
その言葉にむっとしてサバタイオスはヤオートを睨み付けた。
何より、団体行動の邪魔となるその発言が気に食わないのだろう。
そこでサバオトが欠伸をかみ殺しながら、ヤオートの頭を叩いた。
「ったく何でプロノイアがこういうときに出てくんのよ。
眠いの我慢してきてる私に喧嘩売ってるの?」
「ちが、違うよっ・・・ごめん、もう黙ってるからさぁ」
「悪いわね、サバタイオス。すぐヤオートに変わらせるわ」
子供の容姿ながら、サバオトはサバタイオスに気遣いを見せる。
そう言われてしまえば、彼も大人気なく怒るわけにはいかなかった。
「・・・まあ良いだろう。で、アスタファイオス。
現在のルシードは何をしている?」
「自分で見てきなさいよ」
「っ・・・お前ら、私を馬鹿にしているのか?」
遊ばれているような気分になってきたのか、
サバタイオスが怒りを露にする。
正直なところ、彼はそういうポジションのようだった。
その怒った顔を見ながら、アスタファイオスは満足げに笑う。
「冗談よ、冗談。さっき見てきたときは、女二人と一緒に居たわ。
恐らくあのツィムツムの外に至った者を守ってるんでしょ」
「解った。現状維持というところか」
「にしても、あのルシードって不思議なことするわね。
なんで恋人でも無い女を助けようとするのかしら」
人間の気持ちが解らないというわけではない。
アスタファイオスは、必要以上の優しさや正義感を信じていないだけだ。
そんな彼女の疑問にエルゥ=アイオスが考えを送信する。
「確かにな。アザゼル様のためと言うなら解るが、
何故あんな小娘などを助けようと思えるのか。
きっと下心を持っているに違いない」
全員がその思念を送信し、思わずうめき声を上げた。
何しろ、彼がアザゼルのことを語るとき、
非常に強い思念を送信するからだ。
「あんたねぇ、思念を送るときは気をつけろってあれほどッ・・・」
アスタファイオスはエルゥに向かってそう叫ぶ。
傍ではヤオが頭を押さえていた。
「っ・・・絶対にこの男とはコンビを組めんな」
「しかも、し、下心のイメージまで送信するんじゃないわよっ」
少し赤い顔でサバオトもエルゥに文句をつけた。
これらの顰蹙が予想外だったらしく、
エルゥは不思議そうな面持ちでいる。
そんな中、一人アドーニだけは黙って白鳳学園の寮を見つめていた。
微動だにしない彼女の、そのポニーテールだけが冷たい夜風で揺れる。
「・・・来る。穢れた天使が」
誰にも聞こえないような小さな声で、アドーニはそう呟いた。