彼女を追い詰めたものは何なのか、と凪はイヴに訊ねた。
想像や憶測は出来るが、情報が足りず答えは欠片も見えてはこない。
話してくれれば、彼女の悩みを共有することができるはずだ。
考えを巡らせる凪に、想定もしていなかった言葉が飛び込んでくる。
「私が、罪深い女だから。罰を受けなければならないから」
「えっ?」
外から打ちつけるような風が小屋を揺らした。
倒壊するほどやわな作りではないだろうが、軋むように木製の壁が震える。
耳元で告げられた言葉は、そんな中ではっきりと凪へ届いていた。
「罪人だったんだ、私は」
ペニスに触れる手を止めて、イヴは静かな声でそう呟く。
諦めを含んだ冷静なトーンが、その言葉の重さを推し量らせる。
「そう、お前とインフィニティから帰ってきたあの後で、
私は神の導きによって罪の記憶――そして、全ての記憶を取り戻した」
「記憶――って、一体何の?」
嫌な感じを覚えながらも、凪はそんなことを訊ねていた。
取り戻すほどの記憶がイヴにあるというのか。
凪が知っている彼女は、過去の記憶を喪失してなどいなかった。
インフィニティで暮らした過去を、砂漠で聞いたことが脳裏に浮かぶ。
「私は転生して天使に生まれてきたんだ。何度も転生し続けて」
「輪廻、転生――」
神無蔵真白と同じく、転生して生まれてきたのだとイヴは言う。
それは即ち、前世で罪を犯し罰を受けるために転生したということだ。
「――私は今まで繰り返した生と死の全てを思い出した。
転生とは、痛みで前世の記憶を消去して次の人生に向かうこと。
死と転生の痛みという記憶は、あってはならない記憶なんだ」
彼女が死を望みながら死を恐れるのは、死の記憶があるために他ならない。
過去に起きた死の苦痛全てを、イヴは鮮明に思い出すことができた。
「あれから私は私についた名前を捨てた。
前世の記憶が全て混ざった今――私は誰でもなくなってしまったから」
「誰でもないって、イヴはイヴじゃないか」
「凪、人を人たらしめるものは何だと思う――?」
悲しそうな笑顔を浮かべて、イヴは凪にそう訊ねる。
ややあって、凪の答えを待たずに彼女は言った。
「答えは記憶だ。少なくとも私にとっては、な。
重ねた記憶こそが、自分が自分であるという証となる」
赤子から現在まで生き続けて経験した全てが記憶となり、
思い出となり人格を形成する基盤となっていく。
しかし、赤子以前の人格が自身の記憶と混ざってしまったとしたら。
想像さえも及ばない話に、凪はただ話を聞くことしかできなかった。
「私というパーソナリティはもうどこにもないよ。
イヴだった頃の記憶を元に、イヴに似せて形作っているだけだ。
それはもう、本来の形とは違っている」
「そんな――」
今の彼女はイヴであることを選択している。
凪やカシスにそう呼ばれて否定しないことからも、それは明らかだ。
ただしそれは、記憶の中からイヴのものを選び取って、
その通りイヴらしく見えるよう振る舞っているだけにすぎない。
故に彼女は自らを既にイヴではない、と告げた。
勿論、見方によってはそれでもイヴはイヴであると考えられるだろう。
本人が自身のパーソナリティに違和感を感じているだけだ。
そして本人にとっては、それが全てだ。
「だから、私は神に縋った」
身体を起こして、凪はイヴのほうを向く。
彼女は身体を動かす素振りもなく、ただどこかを向いて言う。
「神への信仰と快楽で頭の中を一杯にして、
何も考えないようにしなければ耐えられなかった。
生きるのも――死ぬのも――耐えがたい苦痛だったから」
最も、死は彼女にとって救いの欠片でもあった。
死を迎えさえすれば、全ての記憶は白紙、無へと帰す。
罪が来世へ続くとしても、今の記憶は受け継がれずにすむのだ。
天使裁判で彼女が死刑を望んだのはそのためだろう。
本当に耐えがたいのは、全てを知ってしまったということだから。
「おかしいよ、そんなの――!」
か細い声で振り絞るように凪はそう言った。
なぜ、イヴがこんな目に合わなければならないのか。
どうして彼女はそうまでして死を選び、今を否定するのか。
理解はできるが、そうですかと納得することはできない。
「おかしいさ。過去の私たちは、何も知らずに死ねた。幸福の内に。
私は違う。私には――皆から残された絶望だけが沈んで溜まっている」
そう告げるイヴの心情は、凪が今まで感じたことのないほど暗いものだ。
理解の範疇を超えているから、彼はそれに答えることが出来ない。
安易な返答を彼女は求めていないし、受け入れもしないだろう。
彼女にかける言葉が、凪には一つも見当たらなかった。
当然といえば、それは当然のことだ。
たかだか十代半ばの青年に、彼女の味わっている苦悩が解るはずもない。
一緒に悩んだところで、凪が気持ちを共有したところで、
イヴの心に光が射すことなどありはしなかった。
腕を支えに起き上がると、イヴは凪の顔をまじまじと見つめる。
「誰でもよかったんだ。束の間、この苦しみを忘れることができるなら」
身体を重ねている間だけは、苦しみから抜け出すことができる。
最初からイヴが凪に期待していたのはそれだけだった。
すまない。そう言って彼女はにこりと微笑む。
その瞳には、大粒の涙が浮かんでいた。
(解ってるよ――イヴが、望んだことじゃないってことくらい)
身体を重ねる以外、凪には何もしてやれることがない。
笑ってしまいそうなほど、それは凪にとって絶望的なことだった。
無力のあまり手を握り締める彼に、イヴはそっと唇を重ねる。
「ん――」
彼女は結局、自身が背負っている罪について語ろうとはしなかった。
それはイヴにとって小さな矜持なのかもしれない。
これ以上、凪に自分の愚かさを知られたくなかったのだ。
自分の弱さを全てさらけ出してしまったら、
もう凪を対等な相手として見れなくなる。
(本当に――ちっぽけなプライドだ。
充分情けないところばかり見られているというのに)
紅音に対する二度目の裏切り。
これから凪がイヴを抱くということは、即ちそういうことだ。
逆の立場だったらと想像して、凪はすぐ考えるのを止める。
(もし紅音が他の誰かと――そんなの、絶対耐えられないな)
同じように紅音も、凪の不貞を耐えられないし許せないだろう。
解っているのに、彼は過ちをまた繰り返そうとしていた。
他の選択肢がないとはいえ、事実は事実としてただ存在する。
「昔――過去の私は、いつも性行為を嫌っていた」
服を脱いで肌を曝け出しながら、イヴはふとそんな風に話し始めた。
外の月から零れる僅かな光に、彼女の肢体が照らしだされる。
ごく自然に、凪はそれを綺麗だと感じた。
「ある夫はセックスを男尊女卑のシンボルのように掲げた。
私は彼を愛していたが、性行為は苦痛以外の何物でもなかったよ。
快楽を与えるためのことを何一つしようとせず、
子供を産むために、まるで義務のように私は夫に抱かれた。
従順であることが過去の私にとって重要な存在理由だったからな。
それが転生後も残っていたのかは解らないが、
イヴとしての私は性行為や男性にどこか馴染めなかった」
「――そういえば、私が男だって知って最初は引いてたよね」
「あれはお前も悪い」
「いや、まあ――うん」
ぴしゃりと言われて凪はどもりながら頷く。
それを見るとイヴはかすれた声で笑って言った。
「ふふ――だが、今や性行為がなければ私は生きていけない。
皮肉だと思わないか? 私は侮辱だと思っていた行為を望んでいるんだ」
「本当は、嫌なの?」
「慣れたさ。それに、お前とするのは――そんなに嫌じゃない」
そんなに、というところを強調してイヴは凪に顔を近づけた。
こうやって話していると、やはり彼女がイヴでないとは考えられない。
素直でない性格などは、凪からすれば相変わらずのようにも思えた。
凪は口付けを交しながら露わになっている乳房に手でふれる。
固くしこった乳首へ、指先で触れるか触れないかの微妙な愛撫を行う。
もどかしさにイヴは切なそうな声で小さく悶えた。
「ん、む――」
激しく互いの舌を絡めあって、溶けあうほど深くキスを続ける。
そのままイヴは身体を傾け床へ横になった。
キスをしただけで、彼女は切なそうに下半身をもじもじと動かしている。
その熱を帯びた表情を見ていると、凪はどうにかなりそうだった。
主に彼の股間が痛いほどにそう主張している。
着ている服を半ば乱暴に脱ぎすてて、凪はイヴの外陰部に手を伸ばした。
「ひっ――あ、んんっ」
手で大陰唇を押さえつつ、舌を中へと潜り込ませていく。
舌の動きに合わせて、イヴの身体がぴくぴくと小刻みに震えた。
膣からは分泌液が溢れ出し、凪の顔をべとべとにする。
「や、もぉ、イク、い、く――うぅっ――!」
イヴは凪の頭を両手で押さえながら、びくっと身体を揺らして達した。
少し間を置いてから、彼女は思いついたような様子でうつ伏せになる。
それから尻を高く上げて、扇情的なポーズをとった。
ぬらぬらとした愛液が、陰唇をいやらしく飾っているのがよく解る。
「私ばかりでは悪いから――な。お前にも、気持ち良くなってほしい」
「――イヴ」
湧きあがる劣情のまま、凪はペニスを彼女の膣内へと押しこんだ。
すぐさま悦びの嬌声がイヴの口から漏れる。
「あああぁっ――」
抑えきれないといった風に、彼女は手慣れた素振りで腰を動かす。
円を描くように、立体的な動きで腰が生き物のようにうごめいていた。
負けじと凪はペニスを引いて、抜ける手前で再び奥へと打ちつける。
身体と身体のぶつかる音が辺りに響き、それが興奮をより高めていく。
乳房を床へ押し付けるようにして、イヴは快感に身体を震わせた。
「ひっ――あ、あぁっ――凄い――奥、すご、いぃ――」
横目に凪を顔を見ながら、彼女は切なそうな顔でキスをねだる。
凪はペニスを奥へと差し込むと、身体を密着させて顔を近づけた。
舌先を絡めて探るように口づけを交わす。
「ん、ふっ――く、イク、また――んんっ」
キスの最中、イヴは身体をがくがくと震わせて絶頂を迎えた。
きゅうっと膣壁が締まって、すぐに凪も堪え切れず射精しそうになる。
直前でペニスを引き抜き、彼は彼女の背中に迸りを放った。
息を荒げながら、イヴはしばしの間昇り続ける快感の余韻に酔いしれる。
虚脱感に襲われて凪は彼女の隣で横になった。
「少しだけ休んでもいいぞ。まだ夜は長いからな」
ふふっと笑ってそんなことを言うイヴ。
先ほどよりは元気が出てきたのだろうか。
そう思いながら、凪は苦笑いを浮かべて彼女の髪を撫でた。
照れくさいのかイヴは顔を赤らめて、そっと凪の身体に寄り添ってくる。
(何故だろう――こうしてると、凄く満たされていくようだ。
セックスとは違って、安らぐような――たまらない気持ちになる)
寄り添って横になっているだけで、イヴはえもいわれぬ充足を感じた。
同時に酷くもどかしく、空虚な感覚が身体を支配する。
自分がここでこうしていること、そこに彼女は空虚さを覚えていた。
だが、髪に触れる手が耳をくすぐると、また性欲が鎌首をもたげる。
イヴは身体を起こして、凪の上で馬乗りになった。
「短い休憩だったなあ」
「朝は待ってくれないからな」
さっきと違うことを言いつつ、彼女は凪のペニスに陰唇を押し当てる。
萎えた陰茎を陰唇の表面で前後に摩擦して刺激を与えた。
べとべとの愛液が潤滑油の役目を果たし、
思わず凪は声を上げてしまう。
「あっ、ちょ――イヴ、待って――」
「んふ――あ、は――もぉ、止まらないよ」
彼女は艶やかな表情で微笑み、勃起したペニスを飲み込んでいく。
根元まで凪のものを咥えこむと、イヴはゆっくり身体を動かし始めた。
その動きで形のいい乳房が上下に揺れる。
「くぅ、ふ、はぁ、あっあっ――」
段々と上下運動は激しくなり、その表情も呆けたようなものに変わった。
両手で身体を起こして、凪はそんな彼女を思いきり突きあげる。
「はんっ――や、もっと――もっと突いてぇっ」
違和感。言いようのない違和感が、凪の胸に去来した。
リクエストに応えて、力の限り何度もイヴの身体を押し上げる。
口元から涎が零れながらも、イヴは凪の首に手を回して腰を振り続けた。
凪は空いた両手で乳房を強く掴んでは揉みしだく。
「ああ――いいっ、気持ちいい――! 駄目、もう駄目ええっ!
死ぬ、死んじゃう――良すぎて、おかしくなっちゃう――!」
ぶるぶると肢体を快感に震わせて、彼女は何度目かの絶頂を迎えた。
「――お願いっ、このままもっと、もっと――」
この違和感は一体何なのだろうか。この晴れない気分は何なのだろうか。
解っている。そんなことは明らかだ。気付くことを拒否したいだけだ。
ただ凪は、何も考えないように身体を動かし続ける。
身体を重ねたから、或いは口調、性格の違いから。
何にせよイヴが言った言葉の意味を、ようやく理解してしまった。
そう――彼女はもうイヴではない。イヴであろうとしているだけなのだと。
泣きそうな心の内とは裏腹に、そして問答無用に陰茎は限界を迎える。
膣内から自身を引き抜くと、凪はイヴの下腹部に射精した。
「あっ、はっ――ああっ――ああ、熱い――」
うっとりした眼で彼女は放たれた白濁を見つめる。
彼女はイヴではあるが、決定的に凪が知るイヴとは違う存在だ。
抱き合いながら横になり、凪は彼女と軽いキスを何度もする。
虚しいほどに、それは何処へも向かわない口付けだった。
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