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White Feathers

著作 早坂由紀夫


前編


*1*

 凍える様な吐息。
 とりあえず一息ついて落ち着こうとしていた。
 この世界の軋みは俺の意志を飲み込もうとする。
 負けちゃいけない。
 そう思った。
 路地裏から見たそれは極々普遍の街並みに見えていた。
 けれど明らかな意志を持って俺を排除しようとしている。
 走り回る治安部。
 さっき俺の事を殺そうとした奴らだ。
 走って逃げようにも俺の身体はまだ動かすのはまずい。
 治安部の連中が使った神経毒入りの銃弾が、
 腹部に深々と突き刺さっていたからだ。
 大した痛みは無いが、恐らくそう長くは持たない。
 期限付きの命というワケだ。
 即効性の毒という可能性はないと見ていい。
 奴らは俺を苦しめるのが大好きだからな。
 一日そこらで毒が回って死ぬって所だ。
 俺が闘ったからといって何かが変わるワケでもない。
 残念ながら死ぬ為の闘いって事だ。
 護るべき物はもう何もない。
 家族……恋人……親友……全て、
 尤も残酷で、卑劣で、屈辱的な方法で殺された。
 その時の事を忘れた事はない。
 全てを憎しみに変えて俺は生き続けていた。
 動かない体を引きずって歩き出す。
 背中ごしに壁が赤くなっていくのが解った。
 汚い路地裏だ、気にする必要もない。
 すると目の前に一人の人間が現れた。
 すかさず俺は電動ナイフを握る。
 だがそれがまだ年端もいかない少年だった所為で、
 俺はどうするべきか戸惑ってしまった。
「……とりあえず聞くぜ。お前は……敵か?」
「どっちでもいい。僕は僕を殺してくれる人を探してる。
 地獄の業火で焼かれる前に……
 僕は僕の喉笛を噛み千切るんです」
「何を言ってるのか知らんが、敵じゃないのか」
「そうだね……あなたの名前は?」
「名前、ね。クロスだ」
「僕はフィル。よろしく」
 そう言って手を差し出してくる少年。
 さすがにその手を迂闊に取るわけにはいかなかった。
 目的も素性も知れないガキだからな。

  カサッ

「……っ!」
 背後に気配……見つかったらしい。
 振り向いた方向から一人の男が現れた。
 その意外な姿に俺は一瞬言葉を失ってしまう。
 人間単位での衛星追尾機能を備えたサングラスをかけ、
 強化手術の施された両手が見えていた。
 それは……親友の姿。
 ズタズタに身体を引きちぎられて殺された親友だ。
「ウィナー……どうしてお前が……」
「久しぶりだな、クロス」
「馬鹿なッ! お前はあの時に死んだはずだ!」
 自分の中に久しく感情が沸き上がってくるのを感じる。
 不安や悲しみという負の感情だった。
 ゆっくりと手を近くの壁につくウィナー。
「どうして、だと? お前を殺すという条件付きで、
 俺は死の淵から一転、この身体を手に入れたんだ」
「そんな……人間を止めたって、事かよ……!」
「全てはお前の所為だろう」
 射抜く様に突き刺さる言葉。
 俺への非難。
 目の前のウィナーに親友だった頃の面影は無かった。
「他の奴は全部、死んじまったがな」
「……俺と殺し合うなんて……
 そんな事に意味があるって言うのか?」
「ふん。俺の地位を確立するという点で、意味がある」
 違う……。
 ウィナーはそんな奴じゃなかった。
 誰よりも良い奴で、困ってる奴を見たら
 助けずには居られない奴で……。
 そんな事を考えているとウィナーが向かってきた。
 足には改造の後は無い。
「フィル、逃げられるか?」
 小声で少年に囁いた。
 彼は少し戸惑った様な表情で肯く。
 同時にウィナーが俺へと走ってきた。
 俺から見て右から左へ流れる超高速の拳。
 あまりの速さにかわすだけで精一杯だった。
 俺と少年は転がる様にして後退する。
 ウィナーの拳は勢い余って壁を突き破っていた。
「チッ……まだコントロールが完全じゃねえな」
 その隙に俺とフィルは走って逃げる。
 壁から拳を引き抜くと、ウィナーが追いかけてきた。
 すかさず俺はウィナーに電動ナイフを投げつける。
 回転を始めた刃は鋼鉄さえも切り裂く事が出来るはずだ。

  キィィイイィィン!

 嫌な金属音がしてナイフがどこかへと弾かれていく。
「普通の人間じゃ俺を傷つける事すら出来ねえよ!」
 表通りに出てくると辺りには治安部の連中が構えていた。
 だが人混みに紛れてしまえば逃れるのは容易い。
 人を壁にして俺とフィルは通りを走っていった。
 後ろを振り向くと、ウィナーが俺を見て笑っている。
 それも追いかけてくる様子がなかった。
 どういう……事だ?
 いや、今はそれを考えても仕方ない。
 俺とフィルは目の前をひた走った。
 それこそ死に物狂いで、人とぶつかりながら。
 やがて俺は自分の身体に神経毒が回ってきたのを感じた。
「ぐ……うっ……」
 走り回った所為で余計に早く毒が回っている。
 血流の中に不純物があるのが解った。

*2*

 気付くとフィルが俺を先導している。
 とりあえず彼の住む場所へと逃げる為だった。
 アパートなんて期待はしてない。
 路地にある段ボールの一角だ。
 この世界には貧困が蔓延している。
 金を持つ者、持たざる者。
 その二種類がはっきりと区別されているのだ。
 こうやってホームレスをやってる人間は、
 人権も何も存在しない。
 まともな飯も食えず、綺麗な服も着れず。
 それで一生を過ごすんだ。
 金を持つ側の人間に殺されても、文句も言えない。
 人権がない為だ。
 逆に相手を傷つけでもしたならこっちは死刑だ。
 こんなクソな世の中を一体誰が作ったのだろう。
 昔読んだ文書に面白い記述があった。

  責任を負わぬ生命は居ない。
  例えば、道端に捨てたゴミが悪意となる。
  その悪意が他人に伝染し、人を殺させる。
  その場合にゴミを捨てた人間は殺人の責任を追うのだ。

 当時は根拠もなにもない馬鹿の言う事だとは思ってたが、
 比喩的な表現で言えばそれは正しいのかも知れない。
 小さな物も積み重ねれば大きくなると言う。
 良い方向に考えがちな言葉だが、大きな間違いだ。
 小さな悪意は、伝染して巨大なうねりへと姿を変える。
 もう個人では止められないほどの巨大な物へと。
 そうやって作られたのがこの世界だ。
 人間が良い事をする分、世界は良くなるかも知れない。
 だがそれ以上に悪い事をする可能性の方が大きいのだ。
 俺達は歩き続けてスラム街の一角に辿り着く。
 予想したよりはマシな場所だった。
 凍える様な寒さも、何枚かの毛布でしのげそうだ。
「僕には……大好きな家族が居ました」
「……そうか」
 ふいにフィルがそんな事を言い出す。
 俺は言葉少なにその続きを待った。
「でも、皆……死にました。
 父は八つ裂きにされ、母と姉は辱められ殺されました」
「だから自分も後を追う……そういう事か?」
「僕の身体は悪性の腫瘍が這い回っています。
 そんな奴に殺されるなら、僕は自分で最期を決めたい」
 とてつもなく強い意志だった。
「あなたに僕を殺して欲しいんです。
 その為だったら、何でもします……だから」
「別に良いぜ。ただ……俺は追われてる。
 俺を追ってる奴に殺られたら楽かも知れないぜ?」
「嫌だっ……!」
 フィルは張りつめた顔でそう叫ぶ。
「治安部の奴らに殺されるのは嫌だよっ……。
 僕はあいつらだけには殺されたくないっ!」
「そうか」
 恐らく彼の両親と姉は治安部に殺されたのだろう。
 彼は痛みを伴って生きていく事に疲れたんだ。
 だから自ら殺される道を選ぶ。
 それは疲弊した病んだ考え方だが、
 しっかりと彼が出した結論に思えた。
「僕を殺してくれる人は……貴方の様な人が良い」
「そりゃあ、どうしてだ?」
「貴方は優しい目をしています。
 きっとこの世界で誰よりも」
「おれ……が?」
 フィルの瞳は真っ直ぐに俺の事を見上げていた。
 その純粋すぎる眼差しは少し痛い。
 多分、俺がもう純粋ではなくなってしまったから。
 とりあえず俺は座り込んで準備を始めた。
 まずジャマーによる衛星通信妨害を行う。
 気休め程度だが、今はそれで充分だ。
 次に近くの物品転送機をハッキングする。
 重火器リストから、これだと言うものをピックアップした。
 マーケットにコネクトして仕様を確認する。

 サジタリウス。
  射手座の名前を冠する特殊な銃。
  使用者の手に無痛の小型抽出機を埋め込んで使用する。
  銃弾の代わりに血液を圧縮してスクリュー状に打ち出す。
  その仕様から使用者は少ないが、
  破壊力は通常の銃弾を凌駕する。
  血液抽出量は75ml〜500ml程まで。
  人間は血液量の15%以上を失うと危険なので、
  男性は720ml、女性は525ml以上の
  血液を抽出しない様に気を付けること。
              (マーケット、公式説明文)

 今ではとっくに発売禁止になっている銃だ。
 だが対ウィナーには必要になる。
 すぐさま偽の身分証と金銭プログラムを送信した。
 程なくして転送機からは、
 蒼い水彩を放つサジタリウスが転送されてくる。
 大きさは60cmと言う所か。
 背中に入れるのが丁度良さそうな大きさだ。
 やっぱり圧縮して打ち出す動作を起こすには、
 ある程度の強度と形状が必要になる。
 重量も相当なものだった。
 血液のパックも入手できればいいが、
 残念ながら今の世でそれは不可能だ。
「さてと、これで闘う準備は出来たぜ」
「それにしても凄いハッキングの技術ですね」
「……まあな。これでも昔は技術者だった」
「え? スラムの人間じゃ、無いんですか?」
「まあ、今は同じようなもんさ」
「そう……ですか」
 不審に思っているわけでは無さそうだ。
 純粋な疑問なのだろう。

*3*

 スラム街の何処かから聞こえる悲鳴。
 時々聞こえる銃弾の様な音の連なり。
 それで俺とフィルは目を覚ました。
 凍える様な寒さで手が震えている。
 毛布を取るとそれは余計に恐ろしい寒さに感じられた。
「うぅ……寒い。あれ、いったい何の騒ぎだ?」
「どうやら何かが起こってるみたいですね……。
 でも、あれ……寒い? 寒いんですか?」
「あ? ああ」
 手がガタガタと震えている。
 唇や歯もガチガチと勝手に鳴っていた。
 フィルの方は全然そんな様子はない。
 そりゃあ防寒着を着込みながら寝てるからだな。
 ん? それなら俺だって同じコトだ。
 まさか……今日腹に喰らった銃弾?
 応急処置もしたしそんなに酷い傷じゃなかったはず。
「意外とアレ、即効性だったのか」
 寒いのにどうしてか汗だけは出てきやがった。
 いよいよもってやばいらしい。
 それでも立ちあがると辺りを見回してみた。
 一方だけ妙に明るい。
「これ、もしかして……燃えてるのか?」
「…………」
 俺の方を見てぞっとした顔をするフィル。
 考えを巡らせなくとも、こんなコトをするのは治安部だ。
 ウィナーの奴が追いかけてこなかったのは、
 こういうコトだったのか……。
 邪魔な俺が逃げ込んだという名目でスラムを焼き払う。
 あっちからすれば一挙両得だ。
 どうする……ここで出ていけば、思うつぼだ。
 奴らは俺を殺した後だろうと喜んでスラムを潰すだろう。
 証拠なんて言うものはなんとでも出来る。
「クロスさん、奴らを止めに行きましょう。
 僕は……あいつらのやり方に屈するのは嫌です」
「だからってこのまま行って何が出来る?
 他の奴らと一緒に死ぬ事くらいしか出来ないぜ」
「それは……でも」
「考えるんだ。奴らよりも。
 奴らが俺達の一手先を読むのなら、
 俺らは二手先を行けばいい」
 強い相手に立ち向かう時、役に立つのは考える事だ。
 現実を正確に把握した上で考える。
 そうする事で最適な答えを導いていく。
 一番重要なのはそういうコトだ。
「それなら今僕らがすべき事は……」
「簡単だ。ここから逃げる」
 俺は立ちあがると震える体に鞭を打って歩き出す。
「そんなっ……じゃ、スラムの人達を見捨てるんですかっ?」
「いや、俺達が逃げていると言う事を奴らに気付かせる。
 そうすればスラムへの攻撃を中断する可能性が高い」
「完全に防ぐコトは……出来ないんですか?」
「残念だけどな。被害を最小に食い止めるにはそれが最良だ。
 少なくとも今の俺達ならな」
 本当はバレない様に逃げ出すのが一番賢い。
 だがそんなコトが出来るほど鬼にはなりきれなかった。
 元々、俺はこんな理不尽を許せなくて
 治安部の方針に意を唱えたんだ。
 それを曲げてまで安全に逃げるわけにはいかない。
 不気味なほどに明かりの反対側は静まりかえっていた。
 俺は衛星追尾の妨害電波を切ると、
 暗い方へと歩いていく。
 隣には押し黙ったままのフィルが居た。
 このまま逃げ切れるとは思えない。
 あっという間に治安部の連中が来るだろう。
 背中に入っているサジタリウスを確かめた。
 この厚さなら通常の銃弾くらいは弾くかも知れない。
 あまり期待はしていないが、
 いざとなればコレ一つで闘うしかないな。
 本当はもっと武器があればよかった。
 ただ、俺の体力を考えると持ち運ぶ事が出来ない。
 かといってフィルに武器を持たせる気はない。
 辺りの街並みが廃ビル群に変わっていった。
 前方から見知らぬ男の影が数人こちらへと走ってくる。
 俺達は姿を見とがめられる前にビルの一つへと入った。
 そのまま4階辺りで窓から下を眺める。
 奴らはどうやら場所の探知に手間取っている様だ。
「現状ならこっちの方が有利だ。
 こっちの影を見失ってるウチに……」
 背中からサジタリウスを取り出す。
 抽出量を最小にして、血液弾を打ち込んだ。
 大きく翻る様な反動と共に弾が空を走る。
「がっ……!」
 連中の一人に命中したみたいだ。
 少量の血液圧縮弾だが足止め程度の傷にはなる。
 奴らは即座に方向を割り出し、
 残りの奴らが俺達めがけて銃を撃ってきた。
 ビルの壁が崩れるほどに集中砲火を浴びせられるが、
 俺達はすでにその窓のある部屋から出ている。
 違う部屋に移動するとそこからまた窓を覗き見た。
「っ……やっぱそうなるか」
 奴らは全員このビルの中に入っている。
 おかげで迂闊に動くわけにはいかなくなった。
 階下の方から足音の様なものが聞こえる。
 意外と早いな……。
 このビル内において階段は三つ。
 左右と中央に一つずつだ。
 だが緊急用の階段というものもある。
 それを利用すれば逃げる事は充分に可能だった。
 俺とフィルは足音を立てない様に、
 かつ急いで非常出口を探す。
 奴らは一階下を探している様だった。
 少しばかりだが、ツキはこっちに来ている。

後編に続く