Inferiority
And
Superiority
著作 早坂由紀夫
*1*
完璧な人が居た。
それも私の隣の席にいた。
常に学校で一番の成績をとっていて、
さらには全国模試でも一位を保持している。
その上、スポーツをやらせたら誰にも負けない。
テニス・サッカー・バドミントンに卓球、
バレー・バスケ・陸上競技・野球。
全てのスポーツにおいて一番の実力を持っていた。
さらに親は途方もない財力を持つ、世界一の会社の社長だった。
そこまでのパーフェクトを持っていたら、
普通なら傲慢だとか、嫌味だとか言う感じを受けるはずだ。
だけど彼は怖いくらいに良い奴だった。
そうそう、言い忘れていたけど、
顔も芸能人になったら人気ナンバー1くらいの美形だ。
それで・・・そうだった、彼の人の良さもやはり一番だったんだ。
ストーブの灯油が切れていたら、何も言わずに灯油を取りに行く。
誰かがイジメに遭いそうになったら、すぐに助ける。
不良と呼ばれる奴らにも、命懸けで刃向かっていく。
それも、彼は自身の事が傷つけられても決して攻撃しない。
自分以外の誰かが傷つけられると、
その力を初めて暴力に変えるのだそうだ。
そうしたら、彼にはK−1の選手でさえも子供扱いらしい。
そして、決まってその後は自分を責めてしまう。
「どんな形にしろ、人を傷つけてしまった」
そう言って。
彼の心は悲しいまでにこの世の裏を知らなさすぎた。
そう、完璧に純粋な人間だったのだ。
そんな彼に学校の人間は、男女を問わず好感を抱いた。
簡単だった。
嫌いになる理由がないのだ。
何処までも真っ直ぐで、完璧な男。
最初彼に偏見を抱いていた者も、
その完璧な笑顔を見れば自分の偏見をすぐに改める。
そんな、何から何までが完璧である男だった。
唯一の問題があるとしたら、
決して彼女を作らない事だろうか。
しかし彼に告白して振られた子だって、
彼を嫌いになる事は決してなかった。
だから私は、彼を好きになる事はなかった。
きっとひねくれていただけなのかもしれない。
だけど、完璧であると言う事が欠点であると、
私はそう思う事にしたのだ。
それが私が思うよりも、もっと切実で深い事だとは知らずに。
あ、一つ言い残しがあった。
今から話す話において実名を出す事ははばかられるので、
あえて便宜上の名前を名乗る事にする。
私の名前は、霧嵜穂純(きりさきほずみ)。
それで彼の名は、織部直人(おりべなおと)だ。
*2*
「穂純さん、席は決まった?」
私達は今、HRの時間を利用して席替えをしていた。
大した意味はない。気分の問題だからな。
それぞれがくじを引き、当てた席へと移動する。
「決まったよ。あそこの席らしい」
「あ、じゃあ織部君の隣だね」
織部と呼ばれた男は、私に気が付いて近寄ってくる。
どうやら席を移動している途中で、
私達の会話に気が付いたみたいだ。
「霧嵜さんが隣なんだ。よろしくね」
と、笑顔で私にそう言った。
私はとりあえず、
「こちらこそ、よろしくな」
と返しておいた。
そうして織部が席を移動した後に、
隣にいた女子が気が付いた様に話し始める。
「あ、そうだ。織部君に惚れない方が良いよ。
彼って、誰とも付き合わないらしいから」
「ほう。硬派なのか」
「ふふっ・・・硬派なのは穂純さんだと思うけど」
そう言ってその女子は去っていった。
確かに私が硬派だと言われれば、
私は否定するべき意見を持たない。
それも仕方ない事だと思う。
だって私の家は霧嵜流と言う剣術を受け継いでいる家系なので、
自然と硬派たる様に教えられたからだ。
それに両親はおらず、爺さんに育てられてきた。
だから自然と言葉遣いも可笑しくなってしまったし、
今更直そうとしても治らなくなってしまったのだ。
私は、窓際の織部の隣の席に机と椅子を移動すると、
窓の向こうを見下ろしながら腰を下ろした。
そしてその内休み時間が来て終わり、すぐに授業が始まった。
何気なく隣の織部を見ると、真面目に授業を聞きながら
ルーズリーフに黒板の内容を映している。
「真面目な奴だな・・・」
思わずそんな言葉がこぼれた。
私にとって、授業の内容などは大した興味がなかったからだ。
最低限、赤点を取らなければそれでいい。
すると織部はふと、シャープ・ペンシルを置いて私の方を見た。
「霧嵜さんは、正直な人だね」
「・・・ああ、そうかもしれない」
私は、なんとなく織部という男に好感を持っていた。
自分を馬鹿にされて、相手を思いやる発言をするのは易くはない。
それほど私が織部を馬鹿にしたわけじゃないが、
この年頃の男女は決まって真面目と言う事に反発するからだ。
だから真面目である事を受け入れるというのは、
なかなか凄い事ではあった。
授業中というせいか、それ以上
織部は私に対して話しかけはしなかった。
そうして授業が終わって昼休みになる。
辺りは喧噪に包まれ、雑然とした空間に変わっていった。
こういった変化が学校の不思議な所なのかもしれない。
昼休みに入ると織部は、すぐに教室を出ていった。
今まで彼の行動を逐一観察しているわけではないから解らないが、
もしかすると彼は食事を一人で取るのが日課なのかもしれない。
私はいつも通り教室で昼食を取り始めた。
薄い青の弁当箱を開けると、白と小さい赤で彩られた
悲しげなディテールが私の前に現れる。
はあ・・・これさえなければ昼休みも嫌いじゃない。
*3*
夕方に私はいつも屋上から空を見上げるのが日課になっている。
特に意味はないのだがやはりそんな夕闇が好きなのだろう。
ただ、私はのんびりとそうしていられるわけでもなく、
しっかりと木刀を振り回して鍛錬しなければならないのだ。
しゅっしゅっと木刀の風切り音がこだまする。
何も考えずに切っ先を見つめて流線状に振り下ろす。
「霧嵜さん」
「・・・!?」
私は思わず背後に聞こえたその声の主に剣先を向けてしまった。
それも本能故だったのだと思う。
なぜなら、気配一つ感じさせなかったからだ。
「ちょ、ちょっと・・・危ないよ」
「あ、ああ・・・ごめん」
そこにいたのは織部だった。
彼はその整った顔を僅かに歪ませ、引きつらせていた。
少し驚かせてしまったようだ。
「・・・気配を消すなんて、やるな」
「え? いや、ただ邪魔しちゃ悪いかなと思って」
「・・・・・・」
どうやら自然体で行った事らしい。
それならそれでなおさら凄い事だ。
私は一瞬、彼を自分の所属する剣道部に引き入れようと思った。
しかしなんとなく気がひけたので、止めておく事にした。
「それにしても良い空だね。
悩みなんて全部消えてしまいそうだ」
「・・・そうだな」
織部が何かを言いたいのは解ったが、
その言葉からは何も解らなかった。
「君に、悩みをうち明けても良い?」
「悩み? ・・・構わないが」
完璧である彼にも悩みがあるのか。
私は少しその事に嬉しさを覚え、そして興味が沸いた。
「・・・好きな女の子がいるんだ」
「ほう。それは初耳だ」
少し心がざわついた気がしたが、そんな事は気のせいだ。
それよりも、彼が好きだという女性が気になった。
少し織部は困ったように笑うと、
すぐにとても真摯な顔でこう言った。
「でも・・・諦めなくちゃいけない」
「・・・? 言っている意味が解らんが」
なぜ諦めるのだろう?
彼の家柄による弾圧などだろうか。
しかし続けて織部は話す。
「なぜならその子は完璧じゃない。僕にふさわしくないんだ」
「・・・何を言っている?」
私は彼に対して抱いていた、
微かな好感をうち砕かれた気がした。
この男は、自他を計りにかけていたのか・・・と。
だが彼は空から視線をはずすと、
涙を流しながら私に向き直った。
「完璧な人じゃなければ僕に必ず劣等感を抱く。
解っているんだ・・・それだけは、耐えられない」
*4*
「・・・・・・」
それは確かな事実なのかもしれない、そう思った。
どれか一つに突出しているならまだ良い。
だが、どんな楽器も弾きこなす。
どんな歌も完璧に歌える。それも歌手よりも上手く。
医学だって知っていると聞いた。
それも囓っているのではなく、
病院で医者として働いて欲しい
と言う申し出もあるくらいのレベルだ。
知識だって豊富だ。
TVゲームからPCの知識、さらには民俗学や量子力学。
どんな質問にも的確に答える事が出来る。
地理にも詳しく、彼と一緒なら
何処へ行っても絶対に迷わないと聞いた。
酒や煙草も、知識だけならあるのだろう。
それにバイクや車なども、すでに外国で免許を取っているらしい。
メンテナンスの技術なども超一流だと言う。
人間は自分が何一つ勝てないと知った人間とは、
絶対に対等に接する事は出来ない。
彼の言う事は確かに正しいのだ。
憎む事すら出来ないのだ。欠点がないのだから。
繕ってそうするのは可能だろう。
そう・・・完璧だから嫌だ。そう言う風に。
しかし必ず憎む事は出来ない。
なぜならそれより前に畏れ、憧れてしまうからだ。
だから憎むと言うより、ひがむと言う表現が正しい。
「どうすればいいのか・・・なんて、
きっと僕はおかしな事を聞いているんだろうな」
「・・・確かにそうかもしれない。
きっと、私が言える事など無い」
そう。
考えたくなかった。
けれど、認めざるを得ない。
私は彼に惹かれ、そして畏れ、憧れているのだ。
まだ見た事はないにしろ、私以上のその剣の実力に。
私の望む物を全て所有している織部という人間に。
風が少し囁くように通っていった。
その先の織部が、何かを決心したように私に向き直る。
「君が好きなんだ」
「なっ・・・」
それはとても現実の沙汰とは思えなかった。
何か、違う国の言葉を聞いたような違和感。
織部が・・・私を? そんな馬鹿な!
「初めてあった時から、ずっと・・・好きだったんだ」
「わ、私は・・・」
情けないくらいに声が出てくれなかった。
目の前の織部に対して、
どう反応すればいいのか全く解らなかった。
そして聞こえてきた言葉は、
お互いを傷つける一言だったんだ。
「でも、忘れるよ。この気持ちは」
「・・・・・・」
何も言えはしなかった。
卑怯だ。
私には何も言う事が出来ない。
悔しいくらいに、彼の言うとおりだから。
彼の心は悲しみに満ちていく、
それも私がただ黙り続けるだけで。
私はただ、数年ぶりに涙を流す事しかできなかった。
「ごめん・・・僕が、こんな事をいうべきじゃなかったんだ」
「そう、だな・・・」
愛や恋に気持ち以外は関係ない?
そんな事を考えたのは誰だろう。
劣等感と優越感。
それだけが、人間の持ちうる感情の深淵なのだ。
それ以外には何もない。
本当にどうしようもなかった。
彼にかける言葉も、彼がかける言葉も存在しない。
「きっと・・・僕が完璧じゃなければ、
君の事を好きでいられたんだ」
「・・・そうかも、しれない。でも・・・」
「でも?」
織部、君は悩む姿さえも完璧なんだ。
「いや・・・織部ならすぐに忘れてしまうんだろうな」
「ああ。完璧に、何もなかったように」
彼は悲しそうに・・・本当に悲しそうに言った。
自分に対する皮肉を過分に含めながら。
*5*
全てが在ると言う事。それは全てを失う事でもある。
過程を失い、展望を失う事に他ならない。
私が彼を救う事は易かった。
ただ、君に対して劣等感など抱きはしない。
そう・・・嘘を付けば良かったのだから。
それは茜刺す帰り道で、私を悩ませた。
でも私にそんな勇気はなかった。
例えば彼を愛していたとしても、狂ってしまいそうな
劣等感を抱いて生きていくのは耐えられなかった。
喪失。
何を失ったのかも解らないような孤独。
それなのに、その内にこれで良かったのだと思い始めた。
きっと、お互いこうするのが一番良かった。
だけど彼はこれからもずっと、
愛だけは手に入れる事が出来ない。
完璧な人間なんて、二人はいないんだ。
それを考えると、どうしようもなく彼が可哀相になった。
しかし彼は、それを悲しいと考える事さえないのだろう。
完璧なのだから。
私は暮れゆく陽の中で、彼の悲しみを想った。
それはきっと・・・ほんの少しの優越感だったのかもしれない。
END