さらさら
著作 早坂由紀夫
前編
「張りつめた弓弦」
生きるのは耐える事。
楽しいのは敗者を見下ろす時。
余裕なんてどこにもないけどそれを隠し通さなくちゃいけない。
どんなに苦しくったって私は耐えられた。
でも人に弱みを見せたら私は耐えられなくなってしまう。
だから恋人だって作った事がなかったけど、
私は来る男来る男を全て振ってやった。
人を好きになったりしたら私は弱くなってしまう。
優しくなったりしたら、私は私でなくなってしまう。
*1*
曇り空の下を私はにこやかに歩いていた。
勿論作り笑顔。だって何も面白い事なんて無いから。
冬の朝日は昨日までの雨で出来た水たまりに反射して、
私の方を眩しく照らし付ける。
サイクリングロードに使われる道を通って学校までの距離を縮めていく。
それはまるで何十年も繰り返している様な惰性の行動だった。
他にも道は沢山あるけど、この道で学校へ行けるので問題ない。
問題があるとすれば同級生がよくこの道を使う事だった。
「おはよう、草薙さん」
「ええ、おはよう」
薄く笑いかえしながら、私は足を速める。
彼女は月詠永緒(つくよみながお)。
世間から言えば友達という部類にはいるのかもしれない。
だけど私から言わせれば偽善者の塊。
本当に良い人間というのがどれだけ嫌味なのか教えてくれる人。
「昨日のテスト、大変だったよね」
「そうね・・・」
そういう月詠の態度が気にくわなかった。
彼女はいつも人より劣らず優れずの点数を取る事で、
さりげなく自分は普通だとアピールしている。
大体彼女は私がいつも満点を取っていると知っていた。
だからテストが大変なんて聞く時点で嫌味以外の何者でもない。
「そういえば今日は、転校生が来るんだって。知ってた?」
「昨日、そんな事を先生が言ってたわね」
「うん。男の子らしいよ。格好いいのかな〜?
草薙さんはどんな人だと思う?」
私に何を言わせたいのかが解らない。
彼女は私の男性のタイプでも知りたいのだろうか?
「解らないわ。実際あってみないと」
「う〜ん、難しいよね〜」
そんな会話を交わす内にいつの間にか、
私達は自分たちの通っている栄進高校についていた。
重苦しく見える校舎と、そこへ向かう矮小な人の群れ。
私の価値観のせいでそう見えるのは解ってる。
でも、いつでも校舎は私を寄せ付けない様にそびえ立っていた。
だからといって入るのをためらった事なんて無い。
私は歩くスピードを変えずに昇降口へと入っていく。
きちっと並べられた下駄箱の一つへ向かい、
いつもの様に手紙を掻き出すと上履きを取り出した。
下駄箱に鍵がついているのは別に構わない。
でも郵便受けみたいな手紙入れは全く必要ないと思う。
私の下駄箱に入っていた手紙達はすぐにゴミへと姿を消すのだから。
そうやっている間も月詠永緒は私に何かを話してくる。
「は〜、モテるなぁ草薙さんは・・・でも大変だね〜」
「ええ」
当たり障り無く返答を返すけど、私の頭には何も残っていなかった。
自分のクラスである一年の教室に入る。
まだ数人の生徒が話しているだけで先生の姿は見えなかった。
「・・・・・・」
私は荷物を自分の席に置いて外を散歩する事にした。
それだけ時間が余っていたのだ。
学校の校舎の裏側にある、寂れた公園と池。
たまにここに来ると雑になっていた気分が紛れたりした。
11月の冷たさに誘われて池の水も相当冷たくなっている。
そして舞い散る枯れ葉達。掃除するのが大変そう・・・。
樹には少しばかりの葉が残っているけど、
冬にかけてまた散っていく。
私は樹に手を当ててみた・・・ガサガサしてる。
この樹も必死で生きる事に耐えているのだろうか?
終わりのない様な冷たさの中で・・・。
手の平から樹の命みたいな物を感じる事が出来た。
・・・こんな事、死んでも口には出したくないけど。
「何してるんですか? こんな所で」
・・・・・・・・・・・・
樹の上を見上げると、そこには一人の男が寝転がっていた。
笑いながら私に向かって頭をぺこっと下げる。
今のを見られてた・・・!
私は羞恥心で顔が真っ赤になりそうだった。
「あの・・・」
私はその男の呼びかけに答えず、
すぐさま校舎へ逃げるように走っていった。
振り返っても男の姿はない・・・良かった。
校舎内はそろそろ生徒が集まってきている。
そろそろ授業時間になろうとしている様だ。
私も自分の教室へと戻ると席に座って先生を待つ。
窓際の私の席からは遠くの空が見えるけど、
少しも感慨なんて湧いてこなかった。
同じ空を見ている奴らの事なんてどうでもいいから。
「草薙さん、どこに行ってたの?」
月詠が歩いてきて私の席の前でそう訊ねてきた。
「・・・別に、ちょっとね」
「転校生が気になったの?」
「違うよ」
「なんだ〜」
じゃあ後でね、と言って彼女は自分の席へ戻っていった。
別に私は後で話す事なんて無いんだけど・・・。
しばらくして先生と一人の男がやってくる。
「うぃっす。今日は転校生が来る日だ。
こいつの事ね、皆仲良くしてやれよ〜」
「どうも、天照禦人(てんしょうかずと)です」
へらへらした笑みを浮かべながら入ってきたそいつは、
さっきあった男となぜか同じ顔だった。
しかもずかずか私の方に歩いてきてにっこりと微笑む。
「あれ? あなた、このクラスだったんですね」
「・・・・・・」
私の事を言っているみたいだ。
クラスの視線が私に集まる・・・最悪。
*2*
「華音さ〜ん」
「うるさいわよっ! 静かにしてくれる?」
私はわざわざ校舎裏で弁当を広げていた。
それなのになぜか天照禦人は隣で座っている。
というのもこいつがしつこく付き纏うせいで、
クラスの人間に勘違いされるのが嫌だったからだ。
これじゃあまり意味がない気もするけど。
「それにしても草薙華音(くさなぎかのん)て、
すっごく良い名前ですよねぇ」
「それは、皮肉で言ってるの?」
「え・・・そんな事ないですよ〜。僕は大好きな名前です」
「・・・あんた、私を口説いてるの?」
「そんな訳じゃないですけど、僕は華音さんが好きですよ。
樹をいたわってあげてる姿なんて優しそうだったし」
「う゛っ・・・」
嫌な事を思い出させてくれた。
もしかしてその事で私を脅そうとでもしてるのだろうか?
だとしたら・・・こいつをはっ倒す。
「優しい人なんですよね、華音さんは」
「はぁ・・・?」
どこをどう結論づければそういう答えが出てくるの?
この男は多分、頭の中にフルーチェでも入ってるんだわ。
「私は優しくなんか無いし、それにあんたが大っ嫌い」
「・・・・・・」
私の方を全て見透かしたように笑う天照。
こいつに私の何が解るって言うんだろう?
頭に来る・・・勘に触る奴。
「もういいわ。私はこっちで食べるから」
そう言って私は池の側に移動する。
その拍子に足をひねって池に落ちてしまった。
ざば〜ん
「・・・・・・」
お弁当も濡れてしまったし、勿論私の制服も濡れた。
なんて失態をあいつに見られてしまったんだろう。
悔しくて涙がでそうになるのを必死でこらえた。
「華音さんは、おっちょこちょいなんですね」
そう言うと天照は私に向かって手を差し延べる。
「あんたの手なんか借りないわよ」
その瞬間、天照は思いっきり私に抱きついてきた。
つまり池へと飛び込んできたのだ。
激しい水しぶきが目の前を塞ぐ。
次の瞬間には目の前に天照がいた。
「ああ、まだ池って冷たいですね。こうしてれば暖かいですよ」
そう言ってさらに強く抱きしめてくる。
あまりの驚きと怒りで声も出なかった。
「なっ・・・何、あんた・・・」
「え、なんですか?」
間近に迫る天照の顔。
「何抱きついてんのよっ」
「痛っ、すいません」
私が頬にビンタを入れると、慌てて天照は手を離した。
全く・・・びっくりした。
「とにかく、私にあんまり関わらないでっ」
「制服、濡れちゃいましたね〜」
「人の話を聞きなさい・・・」
「そうだ、時間もないですし職員室で乾かしましょう」
「は・・・?」
「あそこって、暖房とかもありますから」
「こんなびしょびしょで行く気なの?」
「だって風邪引いたら大変じゃないですか」
そう言うと、天照は私を抱き上げて池から上がる。
「ちょっ・・・いい加減にしてよ!」
私は無理矢理天照から離れるとそのまま歩き出した。
「あっ、何処行くんですか?」
「職員室行くんでしょ。私はさっさと行くわ」
「はいっ。そ〜ですね」
職員室に行って服を乾かすという事は、
さし当たっては間違いではないと思った。
天照の意見に従う形なのがとてもしゃくだけど。
そして濡れたお弁当を見て私はとてもがっかりした。
折角早起きして自分で作ってるのに・・・勿体ないな。
「華音さん、お弁当食べないなら貰って良いですか?」
「はぁ? これ、濡れてるのよ」
「構いませんよ。頂きま〜す」
「・・・ふぅ・・・ってそれ、私のお箸!」
「あ、僕気にしませんから」
「あんたじゃないわ、私が気にするの!」
そう言って箸を取り上げる。
天照は自分の箸で私の弁当を美味しそうに食べていた。
私が食べるはずだったのに・・・鮭が、卵焼きが。
「あ、僕のお弁当食べて良いですよ」
「は?」
「僕だけ貰ったんじゃ悪いし、お返しと言う事で」
「・・・・・・」
昼飯抜きよりはマシだろうか・・・仕方ない。
私は諦めると天照の弁当を食べる事にした。
「・・・美味しい」
「本当ですか? それ、僕が作ったんです」
「嘘っ!?」
負けた・・・男に、しかもこんな奴に。
しかし美味しい分には文句を言う事も出来ず、
ただ黙って食べる事にした。
食事を終えると私は職員室へ行こうとした。
なぜか天照も付いてきたが。
まあお互い濡れてるんだからおかしくはないか。
職員室に向かう途中で他の生徒に会ったりすると、
私はその度に恥ずかしくて死にそうだった。
そんな時も天照はただ笑ってるだけだ。
こいつには羞恥心ってものが無いのだろうか・・・?
「・・・・・・」
「失礼しま〜す」
と言って天照は周りの視線も気にせず職員室へ入っていく。
「おぃ! 二人ともどうした? びしょびしょじゃないか」
担任の仁村が私達を見てそう告げる。
私達の足下は水でびしょびしょになっていた。
「いや〜、ちょっと僕がふざけすぎちゃって」
「ったく天照、転校そうそう無茶するなお前は」
「すいません」
「て、天照・・・これは私が」
そう言う私に天照は小声で囁いた。
「僕が原因を作っちゃったのに変わりないですから」
「・・・・・・」
なんて頭に来る事を言うんだこいつは・・・
私はこいつに借りを作りたくなんてなかったのに。
私は・・・誰の手も借りたくないのに。
*3*
私は放課後、一人で屋上に上がってぼ〜っとしていた。
少し乾ききっていない制服が寒さを感じさせるけど、
こんなのはどうって事はない。
天照・・・憎たらしい奴。
常にへらへらしていて何にも悩みの無さそうな顔してる。
あいつに私の何が解るって言うんだろう。
何もかも解ったような顔して私に微笑んでくる。
・・・・・・・・・・・・
何考えてるんだろう私・・・そんなのどうだっていいじゃない。
他人の事なんて深く考えても私の利益にはならないわ。
「こんな所にいたんですね。華音さ〜ん」
「てっ・・・天照。何の用?」
額に手を当てて私はそう答える。
うんざりと言う表現が今の私にはぴったりそうだ。
「用ですか? ・・・華音さんと話をしに来たんです」
「・・・私は話す気はないわ。何処かへ行ってよ」
「そうですね〜、華音さんの趣味って何ですか?」
やっぱり話を聞いてない。と言うより故意に聞いてない気もする。
こういう相手は無視して放っておくとその内居なくなるから、
好き勝手にしゃべらせておく事にした。
「あっ、僕は盆栽なんか好きですね。
後、よくお節介って言われるな〜」
「・・・それは趣味じゃないわよっ」
「あれ、そういえばそうですね」
「くっ・・・」
思わずツッコミを入れてしまった。
あまりにもこいつがボケボケしてるから・・・。
大体盆栽が趣味って、どんな高校生だっつ〜の。
「華音さんはどんな趣味なんですか?」
・・・趣味の聞き方として大きく間違っている気がする。
でも仕方ないから答えてやる事にしよう。
「私はあれよ・・・その、それよ」
「え? はい?」
「だから・・・」
よく考えてみたら私に趣味なんてあったっけ?
勉強の合間に音楽聴いたりする以外は、
私って普段何してるんだろう?
考えてみれば見るほど、自分が何も無い事に気付いていく。
「ぁ・・・」
「解った。自然と交流しながら、詩を書いてるんですね」
「あんた、私を馬鹿にしてるでしょ」
「え、え? 何でですか」
「・・・・・・」
趣味なんて考えれば幾らだってある。
華道だってやってるし、剣道もやってるし、
ピアノだって結構弾ける。
でも・・・私はこれが大好きだって言う趣味なんて、
一つでも持ってただろうか?
全部、特技を身につける為の勉強・修練。
何一つ楽しい事なんて無かった気がする。
「どうしたんですか? 華音さん」
「・・・ぐっ、悪かったわね。趣味なんて幾らだってあるわよ!」
「えっ? えっ?」
何をムキになっているんだろう・・・私。
こんな奴に何故私が追いつめられなくちゃいけないの?
まるで自分が弱い人間みたいに思えてきて、
とても悔しい気持ちにさせられた。
「もう、本当に私に話してこないで。
あんたみたいな奴、大っ嫌いだって言ったでしょ!」
「・・・・・・」
それでも天照は笑顔のままで私を見つめている。
なんでそんな顔が出来るの?
私はあんたをずっと突き放してるって言うのに。
「僕は、華音さんが必要としてくれる時に
いつでも駆けつけますからね」
「はっ?」
「華音さんが嫌いでも、僕は華音さんが大好きですから」
「・・・っ」
それだけ言うとまた私に微笑んで、
ゆっくりと屋上のドアを開けて去っていった。
私の事をおちょくってるとは思えない真面目な笑顔が、
余計に私の心をいらつかせる。
あいつがいた場所からは私に強い日差しが差し込んできた。
それが眠気を誘って思考をストップさせようとしている。
私は必死で何かを考えるけど、太陽の日差しを前にすると
ただただ目の前を見つめているのが精一杯だった。
静かになった校庭がそこからは見える。
いつの間にか部活は切り上げたんだろうか?
テスト明けだからかな・・・まあいいか。
ゆっくりと立ち上がると静かに屋上から階下に降りていく。
そしてそのまま家路へとつく事にした。
*4*
私は暫く自分の部屋でじっとベッドに寝転がって、
何を考えるわけでもなく黙っていた。
周りに無駄な物が何もないからだろう。
こうやっているとすごく落ち着く。
でもそれと一緒にとんでもない数の自己嫌悪に襲われた。
自分が生きている事の不自然、素直に生きられない事の愚かさ。
そう言った自分の中で渦巻く感情達が私を虐める。
嫌・・・全て、嫌になる。
こんな所に・・・自分の部屋に閉じこもっているからだ。
「・・・外に出よ」
私は逃げるようにして家を後にした。
風を切るように先へ先へと、まるで押されるようにして進む。
何度も男に声をかけられるが全員無視する。
駄目だ・・・歩いててもあまり気分は変わらない。
さわさわと揺れる木々さえも私を馬鹿にしてる気がした。
どうしようもなく自分が一人だと言う事を思い知らされる。
私が望んだ事のはずなのに何が私を苦しめるの・・・?
その時遠くから見知った顔が歩いてくる気がした。
「あれ、華音さん。どうしたんですか?」
「・・・なんで、あんたがここにいるの?」
天照。
全く・・・とんでもない確率で嫌な奴に会ってしまった。
とりあえず私はコンビニへと歩いていく。
用なんて無かったけどそこに止まっているのも嫌だった。
気を紛らわせていないと何もかもが私を追い立てる。
「待ってくださいよ〜」
「ついてこないでよ」
「・・・何か、寂しそうだったので」
「え?」
私の事を言っているのだろうか?
天照は冗談を言ってるのかよく解らないが、
とりあえず私に向かって笑っている。
「華音さん、寂しそうな顔してましたから」
「・・・そんなわけないでしょ。勝手にお話作らないでくれる?」
「あ、それなら安心しました」
そう言ってコンビニへ一緒について来た。
天照は特に話しかけてくる気配もなくる。
隣でにこにこと笑いながらじっと私を見てきた。
なんだかその笑顔が暖かい物に感じたから、
私はいらだっている自分が恥ずかしくなってくる。
コンビニの前まで来て私は天照に言ってやった。
「安心したなら帰ってよ」
「華音さんの隣に居たいんです」
「・・・・・・」
これは、腹を抱えて笑う所なの・・・それとも、呆れる所?
普通の男だったら間違いないなく、
こんな台詞を真顔で言ったりはしない。
と言う事は私を馬鹿にしてるかただキザなのかどちらかだ。
私はとりあえず天照をはたいてみる。
「私を馬鹿にしてるんなら、話しかけないで」
「・・・違います。違うなら話しかけてもいいですよね」
「は・・・」
なんだか私は少しずつ天照のペースにはまってる気がしてきた。
それがとても自然で安らげるから嫌な気がしないのがむかつく。
こいつとコンビニへ入るのも嫌だったので、
私は川沿いの道へと歩いていく事にした。
枯葉の舞い散る様な風が川の方から流れ込んでくる。
それは清々しさを与えてくれる様に私の頬に触れていった。
思わず頬が綻んでいた事に気付いて、
私は天照の方を見ない様にそっぽを向いた。
「今、華音さん笑いましたよね」
「・・・笑ってない」
「いつもより良い笑顔でした」
人の事を観察して感想を述べるのは止めてほしかった。
でも、いつも作ってる笑顔はそんなに不自然なのだろうか?
「いつもは・・・どんな顔、してるの? 私って」
「・・・そうですね、なんか難しい顔してます。
笑ってる時も、なんだか嬉しくなさそうですよ」
「よ、余計なお世話よっ」
なんで頭に来るのが解っててそんな事を聞いたのだろう。
それに天照とまともに話そうとするなんて・・・。
私は何を馬鹿な事をやってるんだろう。
こんな奴とは話すだけ無駄のはずだ。
「・・・華音さん?」
「いい、もうついてこないで!」
そう言うと私は川沿いを走り出した。
緩やかな勾配を抜けて浄水場の前で走るのを止めた。
そして辺りの景色を眺めながらふと思う。
私は何時の間にそんな顔をするようになったの?
・・・私はいつから自分をこんなにも追いつめてしまったんだろう。
病弱だったお母さんの為に頑張るのは別に辛い事ではなかった。
お母さんが居なくなった後のお父さんの顔も、
いつしか見慣れてしまったはずだった。
なのにどうして、誰かの為に頑張る事が辛いのだろう。
だってそんなのは当たり前だ。
私は私の為に頑張りたかったんだもの・・・。
「華音さんっ」
声がする方を振り返ると、やっぱりそこには天照がいた。
「あんた・・・ついてくるなって・・・いったでしょ」
だがその言葉を聞き入れようとはせず、
天照は私の方に向かって歩いてくる。
「・・・華音さん、張りつめた顔してますよ」
そう言って私に優しく触れてきた。
思わず私は翻ってその手をはたいてしまう。
「私は張りつめた弓弦なの。
どこまでも鋭く・・・張りつめてやるわよ」
自分で矛盾には気付いていた。
愚かな弓弦。
張りつめて張りつめて・・・其の先には、
ほんの少しの綻びからくる破綻が待つだけ。