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紫苑の夜

著作 早坂由紀夫

Chapter27
「アスモデウス(T)」

7月29日(火) PM19:15 快晴
旅館・『十六夜』一階フロア・ロビー

一階にも人の気配はない。
ガラスが割れて散乱している以外は閑散としていた。
「甍ちゃんは・・・一体何処に?」
「解らないけど、トイレかな・・・」
ゆりきさんが見当を付けたのはトイレ。
当然女子トイレだろうな。
まあ、こんな時だから文句も言ってられない。
俺達はすぐさまトイレを探す事にした。
三人バラバラに探すのが効率的だが、
一人になるのは危険すぎる。
・・・と、待てよ?
旅館入り口のドアを見てみた。
外は暗く、鈴虫が夏の風情を高めるように鳴いている。
この場所が食人鬼達の巣窟になっているとは思えない程、
静かに外の景色は夏の夜を作り上げていた。
ドアの向こうには食人鬼の姿はない。
・・・今なら逃げられるんじゃないだろうか。
そこまで考えてそれをすぐさま撤回した。
俺は確認の為に入り口目掛けて宿帳を投げつける。

  バチィィイイイッ!

一瞬なにかが弾けた様な音がして宿帳は粉々に粉砕された。
宿全体をこのバリアみたいな奴が覆ってるってワケか。
下手に外に出たりしたら死ぬ所だったな。

7月29日(火) PM19:20 快晴
旅館・『十六夜』一階・女子トイレ

女子トイレにやってきたのだが特にやる事もない。
ゆりきさんと紫齊がてきぱきと探してしまってるからだ。
ここに甍ちゃんは居ないらしい。
なら、一体何処に行ったのだろうか。
そして何気なく俺が一番奥のトイレのドアを開けた時だった。
「がぁああああっ!」
倒れ込むように一人の食人鬼が襲いかかってくる。
畜生・・・トイレで待ち伏せしてたのか?
考える事は出来るみたいだな。
まあ、頭がいいかどうかは別にしても。
俺は咄嗟に腹に蹴りを捻ってそいつに食らわせた。
すると意外な事に食人鬼は叫び声をあげながら便座に倒れ込む。
こいつら・・・そんなに強いわけじゃないのか?
すぐさま俺はドアに細工して、
そいつを出られないようにした。
「だ、大丈夫? 凪・・・」
「うん。こいつら敵わない強さってワケじゃないみたい」
速さにしろ力にしろ驚異に値するだろう。
だが悪魔ほど強力な力を持ってるワケじゃないみたいだ。
「二人とも、他の場所を探しましょう」

7月29日(火) PM19:14 快晴
旅館・『十六夜』四階・十四夜の間

その部屋で息をしているのは二人だけだった。
イヴと生き残った女性一人。
彼女らしくもなく直接的な方法で食人鬼を殺した。
相手が人だとしても構わない。
頭を潰したり腹を拳で突き破ったりして、
イヴは我を忘れたように殺し続ける。
そんな力を使ったのは彼女にとって初めてだった。
直接的な力を使える事自体イヴにとっては意外でもある。
だが考えるよりも先に身体が動いていた。
そして全ての食人鬼を殺した後、
イヴは呆然としている女性に声をかける。
「・・・はぁ、はぁ・・・お前、大丈夫か」
「あ、貴方・・・に、にんげんなの?」
助けて貰ったにもかかわらず、
その女性はイヴに脅えていた。
無理もない。
べっとりとした血で真っ赤に染まったイヴの姿。
イヴは息を荒げながら、物凄い目つきをしていた。
そんな目の前で圧倒的な殺戮を繰り返すイヴの姿は、
まるでその女性には悪魔のように映ったのだろう。
イヴが女性に近寄ろうとすると女性は後ずさる。
「・・・・・・」
それを見たイヴは仕方なく部屋を出る事にした。
イヴの取った行動は予定外ではある。
本当ならこんな事をして無駄な体力を使う余裕はなかった。
全力ですら勝ち目があるかどうか危ういのだから。
なのになぜか勝手に身体が動いていた。
(人間に同情したのか? ・・・いや、そんなのじゃない)
もっと人間らしい感情だ。
だがイヴはその考えをそこまでで打ち切る。
今はそんな事よりもアスモデウスだ。
イヴは感情を振り払うとその部屋から出ていった。

7月29日(火) PM19:25 快晴
旅館・『十六夜』一階フロア・ロビー

時間があるのかどうか解らない。
もしかしたら急がなければいけないのかもしれない。
それともあまり動いてはいけないのかもしれない。
俺達はトイレからロビーへ来るまでの部屋も探していた。
だがどこにもその姿はない。
そこで近くに転がっている骨を見つける。
「うわぁ! な・・・凪、骨だよ、骨・・・!」
紫齊もゆりきさんも目を逸らして俺にしがみつく。
肉片が少しこびりついているのが凄く不気味だった。
明らかに食べ尽くされた後。
人を喰うという事の実体。
背中に悪寒を感じながら俺はそれをもう一度見る。
・・・男だ。
「違う場所に・・・食神の間に行こう」
「うん・・・」
「・・・そうだね」
二人とも段々覇気が無くなってきていた。
こんな死体を目の当たりにすれば当然か。
俺だって足が震えてしまってる。
けど・・・けど甍ちゃんがもしこんな風になってたとしたら、
そしたらそれは・・・俺のせいだよな。
考えたくはない。
そうじゃないと信じてはいる。
だから、今は彼女を探そう。
俺達は周りに気を配りながら、
食神の間へ続く廊下を歩いていった。

7月29日(火) PM19:28 快晴
旅館・『十六夜』一階・食神の間

その部屋は静かだった。
あまりにも。
畳の上、誰一人として声を立てずに男を見上げている。
・・・アスモデウス。
奴だった。
甍ちゃんは、その隣で倒れている。
外傷はない様だ。
俺達がそこへ駆け寄ろうとすると、
アスモデウスが手で俺達をけん制する。
「・・・イヴより先にお前が来たのか。
 まあ予定外だが結果は一緒だ、高天原」
「え・・・わた、し?」
なぜ俺の名前を知ってるんだ?
それにどうして甍ちゃんを捕まえてる?
なんの為に・・・。
「甍ちゃんを返してくださいっ」
ゆりきさんはアスモデウス相手にも怯まない。
それどころか奴を睨みつけていた。
どういう奴かは解ってるらしい。
だがアスモデウスは静かに笑うと一歩前へでた。
「ふん、この女は勝手に来ただけだ。勝手にしろ。
 それに貴様に用はない。高天原、お前だ。
 お前に一つ、試練を与えないといけないそうだ」
「な・・・?」
「なあに、俺と少し遊んでくれるだけで良いんだよ。
 本当の姿の俺とな」
その瞬間、甍ちゃんの所へ駆け寄ろうとした
ゆりきさんの身体が硬直する。
俺の身体にも嫌なものが駆け抜けた。
紫齊も目を見開いて奴を見ている。
誰も声一つ出せなかった。
アスモデウスの身体から煙の様な物が出ている。
そして首筋から頭を中心に何かが現れた。
牡牛と羊の頭だ。
頭が3つになったかと思うと、
身体が凄いスピードで大きくなっていく。
天井を突き抜ける程の大きさだ。
肌も人間のものではなく、動物の様な体毛に覆われていった。

  ・・・その姿は、魔物。

人じゃない。
人智を超えた・・・つまりは、悪魔。
俺の身体は自然にがくがくと震えだしていた。
怖くて恐ろしくて、俺は逃げ出しそうになる。
殺されると確信したときのような恐怖。
どうしようと無駄。敵うはずがない。
そう・・・思った。
「どうしたよ高天原。ガタガタ震えてるぜ?」
その声は人間の姿よりずっと低く太い。
恐怖を植え付ける為の声。
そんな風にさえ感じる。
「な、凪・・・ちゃん」
ゆりきさんはへなへなと座り込んでしまう。
俺だって座り込んでしまいたかった。
紫齊も呆然と立ちつくしてる。
「・・・かかってこいよ高天原!
 じゃなきゃ・・・殺しちまうぜ?」
そう言って俺の方にゆっくりと歩いてくるアスモデウス。
一歩一歩が地鳴りの様に頭に響いてきた。
逃げなきゃ、逃げなきゃ・・・殺される。
でも・・・紫齊やゆりきさんを置いて逃げるのか?
そんな事、出来るわけないだろ・・・!
俺は勇気を振り絞って足を動かそうとする。
動け、動け、動け・・・。
「動けぇっ!」
足を叩きつける様に畳を踏みつけると、
アスモデウスへ向かって走り出す。
さらに近くにあった机を力任せに持ち上げた。
それをアスモデウスの身体目掛けて思い切り投げつける。

  バキィィイイッ!

木製の机が音を立てて散壊した。
まるで砂を投げつけたかの様に粉々に。
「ふむ。俺はお前の機転を試してるわけでも、
 勇気を試してるわけでもねぇんだよ。
 ・・・お前の底力を見せてみろ、高天原っ!!」
瞬間、俺の視界の右に掠める何かが現れる。
それが何かを映し出す前に、
俺の身体は左へとはじき飛ばされた。
身体がバラバラにされる様な感覚。
今まで味わった事のない痛覚だった。
そのまま俺は机を二つ三つ飛ばしながら倒れ込む。
「ぐ、はぁっ・・・」
死なない程度に手加減されているのは解った。
それでも俺の身体は軋む様に異常を知らせる。
骨は・・・折れてない。
でも、身体が動く事を止めたがっていた。
「この程度で死ぬなよ? ちょっと触っただけだからな」
そんなアスモデウスの言葉にも応えられない。
痛みのせいもあったが、恐怖で舌が上手く回らなかった。
足に上手く力が入らない。
奴はゆっくりと俺の方に歩いてきた。
それから人間の頭がにやっと笑って言う。
「まあお前がもしただの人間なら・・・死んでも構わんぜ」
そして手の甲ではたく様に右へとなぎ払う。
身体が浮き上がったかと思うと奥の壁へ叩きつけられた。
「がはっ!」
体中が痛みで熱くなっている。
このままだと俺ってなぶり殺しか・・・?
嫌だ・・・そんなの、嫌だ!
「うぁああああぁっ!」
俺は気力を振り絞ってアスモデウスへと走った。
大して意味のない行動だって事は解ってる。
けどそれしか俺が出来る事はなかった。
恐ろしいから傷つける。
見ていたくないから叩き伏せる。
それが出来なければ・・・。

  ゴガッ!

頭に強い衝撃を受けてその場に倒れ込んでしまった。
このままじゃ死ぬ・・・。
倒す事が出来なければ・・・俺が、死ぬんだ・・・!
「ふぅ。どうやらアシュタロスの思い過ごしだった様だな。
 こんな野郎がルシードのはずがねぇ」
足蹴にされるが俺はどうする事も出来ない。
その時初めて俺は自分が死ぬかもしれないと思った。
自分の人生が終わってしまうかもしれないと思った。
・・・これで、終わりなのか?
俺は本当にこれで死んじまうのか?
そんな時に俺は身体を暖かい物が包んでいる事に気が付く。
なんだ?
解らないけど・・・凄く、暖かい。
これは、人の温もり・・・。
「凪っ! しっかりして、しっかり・・・してよぉ」
「・・・し、さい?」
紫齊が俺を抱きしめていた。
「どうして・・・」
一緒に殺されてしまうかもしれないのに。
どうして?
駄目だ、逃げてくれよ。
俺にはお前を助ける事は・・・できないんだから。
「凪は友達だろ? 見捨てるわけないじゃんっ!」
頬に水滴が・・・涙が落ちてきた。
紫齊の涙だ。
ごめん、心配かけて・・・。
でも俺もう動けないんだ。
「後は任せてよ凪」
紫齊は震える手を俺から離すと、
アスモデウスと向かい合う。
「おいおい・・・お前が何するんだ?
 俺に処女でも捧げてくれるのか?」
「ふっ、ふざけるなっ!
 私があんたをぶっ倒してやるよっ」
「・・・愚かと言いたいが、邪魔だ」
目の前にいたはずの紫齊の姿が左へと流れていく。
受け身も取れずに壁へと激突した様だった。
俺は思わず手を伸ばしたが、何の意味もない。
紫齊は身体を丸めて倒れていた。
「紫齊・・・紫齊っ!」
今の俺はそう叫んだだけで身体が軋む様に痛む。
だからそうやって叫ぶ事しかできなかった。
「人の心配より自分の心配の方が先だろ?
 ルシードではない奴に用はない。死ね」
物凄い風圧と共にアスモデウスの腕が俺へと伸びる。
多分、殴られたら骨ごと潰れる程の強打だ。

――――――――その瞬間、光が舞い降りた。

俺の身体とアスモデウスの拳。
その隙間に僅かばかりの光が発生している。
それが俺とその一撃を直撃させずに相殺していた。
「・・・なに?」
「な、なんだ・・・これ」
不思議な淡い光。
すぐに消えてしまったが、それは確かに俺を守ってくれた。
「まさかお前がルシードだというのか?
 だとすれば、貴様を殺すわけにはいかねぇんだが・・・」
こいつ・・・一体どういう事だ?
さっきから頻りに口にしている言葉。
俺が、ルシード?
それって一体何の事なんだ?
「仕方ねぇ、もう一度ちゃんと確かめないと駄目だな。
 ・・・食人鬼ども、周りの人間を片付けろっ。邪魔だ」
その一言と共に食人鬼達がゆりきさんや紫齊に襲いかかる。
「や、やめろっ!」
食人鬼達が3人に触れるか触れないかの瞬間。
真っ赤な炎が辺りを包み込んだ。
さすがに食人鬼達もそれに怯んで後退する。
「・・・この炎、イヴか!」
食神の間の入り口に立っている人影。
それは、間違いなくイヴだった。

7月29日(火) PM19:10 快晴
旅館・『十六夜』三階・十夜の間

古雪さんが凪さん達を追ってから少し経っていた。
私と紅音さんはとりあえず部屋で待つ様に言われてる。
けど・・・どうしようもなく不安だった。
いつもこういう時になると凪さんは巻き込まれちゃうんだから。
外にはあの怖い人達が沢山いるんだろうなぁ・・・。
そう考えるとこの部屋から出るのが凄く怖い。
「真白ちゃん・・・」
紅音さんが下を向いたままで私に話しかけてきた。
「凪ちゃんはあの時みたいに・・・傷ついたりしないよね。
 どうしても私、凪ちゃんが心配だよ」
「紅音さん・・・」
あの時って言うのは多分夜の校舎で
凪さんと芽依ちゃんが闘った時だと思う。
今度だって悪魔が関わってる。
だったら同じように危険だ。
けど・・・私達に何が出来るのだろうか。
ただここで待ってるしかないんだよね・・・。
ふいに紅音さんはすくっと立ち上がってドアへ向かった。
私は慌てて彼女を止めようとする。
「紅音さん、危ないよっ」
「だって・・・凪ちゃんが!」
幾らなんでも危険すぎる。
それに勝手だよ。
私だって凪さんの身を案じてるけど、
凪さんは私達にここで待っててって言ったんだから。
「・・・私達に何が出来るんですか?
 すぐにあいつらに食べられちゃいますよっ」
紅音さんの手を取って引き戻そうとするけど、
彼女は微動だにしなかった。
そして片手で頭を押さえながら言う。
「それでも・・・じっとしてられないよ。
 もし、凪ちゃんの身に何かあったら私・・・。
 わたし・・・は、一生このまま・・・」
「え? あの・・・大丈夫?」
頭痛でもするのだろうか。
紅音さんは少し苦しそうだった。
けど私が触れようとした手を軽く手でけん制する。
「・・・ううん、なんでもない」
「あ、なら・・・良いんですけど・・・」
その時だった。
4階の方で何かが叩きつけられる様な音がする。
それも何回も何回も。
何の音だろう・・・。
「あれは凪ちゃんには関係ないよ。
 凪ちゃんは一階にいるから」
「そっか・・・甍さんは一階に取り残されてるんだよね」
彼女を見つけられたのかな。
私達そんなに長い時間にたわけじゃなかったけど、
結構仲良く遊んでたと思う。
だから・・・甍さんは助かってるって、そう思いたかった。
ふと紅音さんがドアの方を凝視している。
「外に出ちゃ駄目ですよ、紅音さんっ」
「違うよ・・・あれ」
紅音さんが手を伸ばした先はドア。
そこに掛けられた天使の小さいぬいぐるみ。
少しずつそれに裂け目が入っているのが見て取れた。
そして向こう側からは静かに音がしている。
ゴリゴリという、ドアを破ろうとする音。
私は思わず喉の奥の方から恐怖の叫びをあげそうになった。
「真白ちゃん・・・もしかしてあの天使さんが破れたら・・・」
「く、紅音さん」
お爺さん達はそんな私達とは裏腹に、
念仏を唱えている様だった。
でもそれとは別に確実にぬいぐるみは裂けていってる。
破壊されてしまいそうな勢いだった。
どうしよう・・・。
あのぬいぐるみが無くなったら私達は・・・。

7月29日(火) PM19:32 快晴
旅館・『十六夜』一階・食神の間

イヴはアスモデウスと一定の距離を置いて対峙してる。
両手両足はすでに臨戦態勢だった。
相手の一挙一動に反応できる構え。
それは少し格闘家のモノとは違っている。
なぜならそれは肉弾戦ではないからだ。
体格でいえばアスモデウスが圧倒的に勝っている。
「貴様が真の姿になる時を待っていた。
 その姿ならば力を隠しようがないからな」
「・・・ふん、俺としても好都合だぜ。
 凪で遊ぶのにも少し飽きてきた所だ。
 次はお前が俺の相手をしてくれよ」
イヴは倒れている凪の方を見る。
前のめりで倒れながらイヴに向かって笑っていた。
それは多分、安堵の笑み。
「よくも凪を傷つけてくれたな・・・。
 神に牙むく悪魔よ、私が断罪してくれるっ!」
さっきから準備していたであろう黒い炎。
それをアスモデウス目掛けて放つ。
黒く燃えさかる炎をあっという間にかき消すと、
アスモデウスはイヴへと向かっていった。
「くっ・・・」
黒い炎はイヴが出来うる最高の手動具現力。
それが効かないという事は、
イヴにはアスモデウスを倒す手段が無いという事だった。
「無駄だっ、貴様も少しは成長して見ろ!」
その巨体から繰り出されるラリアット。
クレーンのような腕がイヴの身体を
反対側の壁へと吹き飛ばした。
「あぐっ・・・馬鹿力め・・・」
接触面を衝撃吸収幕と重力緩和帯で覆っていた為に、
イヴの怪我は致命傷には至っていなかった。
だがそういった防御系の自動具現力は消耗が激しい。
常に自分の周りにバリアでも張る様な感覚。
それを闘いの最中でもイメージし続ける必要があるのだ。
その為に黒の炎を出すのも精一杯ではある。
「ほう、自動の具現力で自分を守ってるのか。
 良いだろう、俺の力からすれば丁度良いハンデだ!」
一直線にアスモデウスはイヴへと走ってくる。
だがその途中に凪がいた。
そこでアスモデウスの足が止まる。
「いけねぇ、殺すわけにはいかないんだったな。
 ん・・・? よく見ればこいつ、
 随分と綺麗な顔してるじゃねえか」
イヴはその言葉に疑問を感じた。
(凪の事を狙ったのはコレクション目的ではない・・・?)
しかしだとすれば何が目的なのか。
その事が頭を掠めていた。
「さっきから気付かないとはうっかりしてたぜ。
 凪、お前は俺のコレクションに入れてやる。
 ありがたく思えよ」
「誰が・・・コレクションよ」
凪はアスモデウスを必死に睨みつける。
その瞬間、イヴにチャンスが生まれた。
(だが黒炎は奴には効かない。
 ・・・だとすれば、直接叩くしかないな)
イヴは自動具現力を解くと両腕に具現を始める。
アスモデウスはまだ凪の事を見つめていた。
両腕にさっきの様な力が生まれていた。
そしてイヴはありったけの力でアスモデウスに飛びかかる。
「アスモデウス、貴様は終わりだっ!」
「なんだと? 死ぬのはてめえだよ!」
アスモデウスが咄嗟に出した右腕。
それをイヴは力任せに殴りつけた。
お互いの身体には触れていない。
寸前で膜の様なものがあって接触を許さなかった。
だがその拮抗はすぐに破れる。
イヴがもう片腕を使ってその右腕を斬り落としたのだ。
「ぐぁあああっ! ば・・・馬鹿なっ!」
「馬鹿は、貴様だっ!」
心臓目掛けてイヴの右手が直線を描く。
そしてアスモデウスの厚い胸板を突き破った。
「あがあああああっ!」
とんでもなく大音量の叫びをあげると、
アスモデウスは左手でイヴの身体を掴む。
イヴは逃げようとしたが右手を抜くのが一瞬遅れた。
鬼の形相でアスモデウスはイヴを睨みつける。
「随分と強い超必殺技を持ってるじゃねえか・・・!
 一瞬ひやっとしたぜ、イヴ。
 お前の腕がもう少し長かったら危なかったかもな。
 まあ、後1m長ければの話だが」
「くっ・・・放せ!」
ギリギリとアスモデウスは左手に力を込めた。
イヴの身体は締め付けられ、圧迫されていく。
「あくっ・・・かはっ・・・」
「ただ握りつぶすのも面白くねえな。
 この状態で俺のイチモツを突っ込んでやるか」
「げ、下衆が・・・」
「そう言ってられるのも今の内だけだぜ。
 まあすぐに雌犬になりさがるさ、てめぇはな。
 だからこそ異端者なんだよなぁ?」
イヴはその左手を振りほどく事が出来なかった。
力を殆ど使い切ってしまったからだ。
(黒炎が残り一回。それが限度だ。
 奴を・・・それで確実にしとめるんだ)
両腕に具現力を込めるのはもう無理だった。
食人鬼を倒した時に加えて二度目の力。
それは葉月の身体に相当な負担をかけていた。
つまり身体はすでに満身創痍に近い。
その上での黒炎。
使えば身動きすらできなくなるかもしれない。
だから今は耐えるしかなかった。
どんな事があっても、耐えるしか。
そうイヴが思っていた時だった。
ふいにイヴの頭の中に声が聞こえてくる。

あなたはまだ動けるわ。私が力を与えたのだから・・・

(今の声・・・聞き覚えがある。
 だが、私が動けるとはどういう事だ?)
頭の中に響いてきた声。
それがイヴの中にある何かを目覚めさせたわけではない。
認識させたのだ。
葉月の中にある魔導力を。
(馬鹿な、あり得ない!
 こんな余力は残っていないはずだ!)
思っていた以上にイヴの、つまり葉月の力は残っていた。
それはついこの間まではあり得なかった力だ。
だが確かにそれはイヴを助ける魔導力になっている。
基本的に天使や悪魔が力を得るには、
方法はそんなに多くはない。
だからそれはあまりにも意外な事だった。
(まさか葉月が・・・いや、そんなはずは・・・)
しかしそんな思いとは別に確かに力はあった。
そしてイヴはすぐさまアスモデウスの左手から抜け出す。
両腕に軽く強化を促したのだ。
「なにっ? 貴様、まだ闘えるのか」
「貴様如きに遅れは取らん」
「・・・抜かせ」
アスモデウスは右手を拾うと切断面に接着する。
どうやら具現力を使って一時的に直したみたいだった。
圧倒的にお互いの力に差はある。
だがイヴには少しだけ勝機が見えていた。
チャンスは一度。
奴も同じように炎を扱う事を得意とする。
イヴとは違い滅多に使わないのだが、
それは確かに一撃必殺の炎ではあった。
その炎を黒の炎で押し返す事が出来れば勝てる。
しかしアスモデウスに炎を使わせる必要があった。
それ以外に方法は無いのだ。
イヴの両腕ではアスモデウスの身体を粉砕する事は出来ない。
現状で物理的に倒す事は不可能なのだ。
つまり魂ごと身を焼く炎、黒炎が必要になる。
常時アスモデウスの魂は黒の炎から守られている。
だから絶対の自信を持つアスモデウスの炎を跳ね返し、
その魂に一瞬の敗北感を味あわせる必要があるのだ。
最後の勝機。
それを逃さぬ様にイヴは敵を見据える。

Chapter28へ続く