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セピア色のクレイドル

著作 早坂由紀夫

Chapter14
「二人の凪」

俺は・・・高天原凪、だと思う。
ある学園に女のふりをして入学して、
今まで色んな事を体験してきた。
胸パットしたり女の服来たりして頑張ってたはずだ。
それが俺の俺である為の記憶のはずだった。
だけど朝の目覚めと共に目を覚ますと、
そこは見知らぬベッドの上だった。
「・・・ここは、一体・・・」
辺りを見回してみるが人の気配はない。
どうやら一人部屋の様だ。
とりあえず顔を洗う為に洗面台に行く。
と、そこで俺は自分の顔が無い事に気が付いた。
正確に言えば俺の顔がないのではない。
髪が短くてYシャツを着ている男が立っていたのだ。
「・・・これは、俺?」
自分の顔に触れてみると鏡の俺も同じ事をする。
この男は、俺だ!
髪を切られたのか? 一体誰に?
でも顔も俺の顔じゃない。
男前ではあったが俺の顔じゃなかった。
残念ながら俺の顔は男よりも女向けの顔だ。
しかも見た事無い顔をしていた。
「・・・嘘だろ?」
だが時刻は8:00を差している。
俺は考えた。
現状で格好が男だ。
良く解らないがここは男子寮だと思う。
だとしたら俺はどうするべきか?
勿論答えは簡単だ。
俺は速攻で着替えるとすぐに男子寮を後にする。

***

外に出てみるとやはりそこは男子寮だった。
しかもその部屋は元は夜殺啓人の部屋だったらしい。
・・・なんか嫌な偶然だ。
偶然かどうかは解らないが・・・。
とりあえず校舎へ向かう。
異常事態の発生している俺とは裏腹に、
学園は至って普通の装いを見せていた。
当たり前の疑問だが、
俺はどこのクラスに行くべきなんだ?
自分のクラスは1−3だが・・・。
俺が高天原凪である以上、俺はいないだろう。
だとすれば自分の席に座るのが当たり前だ。
俺は1−3へと歩いていく。
と、その途中の渡り廊下で信じられない光景を目にする。
目の前に紅音と俺が歩いてきたのだ。
馬鹿な!
俺がもう一人・・・!?
でも、実際には姿形が違う。
その点で言えば俺の方が偽物だ。
・・・ややこしいな。
嫌な予感がしたのでごく自然に話しかけてみる事にした。
「ちょっと良いか? あんた、高天原凪・・・か?」
「え・・・そう、ですけど」
嘘、だろ?
じゃあ俺は一体誰だ?
・・・そうじゃあない! 俺が高天原凪だ!
こいつは確かに俺の顔をしてるけど、何かが違う。
そこで紅音が口を挟んできた。
「あのぉ、私は如月紅音です〜」
「そんな事は解ってるよっ」
いつもの調子でそう言ってみる。
だが男言葉だったせいか紅音はびくっとしてしまった。
「あ、私の事は知ってたんだ〜」
の割には随分普通に言葉を返してくる。
よくよくこいつは解らない奴だな。
だがその態度に表情を強張らせた凪が俺に聞く。
「で、私にいったい何の用?」
「いや・・・あんたは女・・・だよ、な」
思わずそんな事を聞いてしまっていた。
さっきの違和感の正体はそれだった。
まるで自分のことのような気がしているんだ。
「・・・当たり前でしょ」
待てよ? 俺だったらこう答えるよな。
なぜかこの凪が偽物の様な気がしなかった。
自分の分身である様な気がしてる。
だったら、俺は何なんだ?
凪の記憶を持っている俺は・・・。
「悪い。なんでもない」
それだけ言うと足早に俺は歩き出した。

***

結局俺はどのクラスにも入れずに公園跡で時間を潰していた。
今頃はもう昼飯時だよな。
・・・いつもだったらここには・・・。
「あの・・・」
声がした方を振り向いてみるとそこには真白ちゃんがいた。
「・・・真白ちゃんか」
「え?」
あ・・・!
さっきの紅音の態度からして真白ちゃんも俺を知らないはずだ。
迂闊に彼女の名前を呼ぶべきじゃなかった。
「私、どこかでお会いしましたか?」
「い・・・いや、神無蔵さんだよな。名前だけは知ってる」
「はあ・・・」
やばい。なんか疑いの眼差しで見られている。
そりゃあ知らない奴にいきなり名前で呼ばれたら、
下手したらストーカーだと思われかねない。
「ええと・・・お名前は?」
「・・・俺?」
言われてみれば俺の名前は何だろう。
高天原凪の記憶しかない俺は、
それ以外の名前を持っていないぞ。
「どうしたんですか?」
「あ、その・・・伊部」
「いぶ・・・さん?」
「そうそう」
くっ、なんてひねりのない名前なんだ。
だけどそれのおかげで一つ良い事を思い出した。
あいつならこの状況を打破できるかもしれない。
そう、もしかしたらこの異常な状況・・・。
悪魔に何かされてるのかもしれないんだ。
俺は自己紹介もそこそこに公園跡を後にした。

***

葉月ちゃんは校舎内のエントランスにいた。
少し時間はかかったがようやく見つけたぜ。
俺はすぐに彼女の隣のベンチに座る。
「こんにちは」
「・・・あ、その・・・はい」
「イヴに変わってくれないか?」
「は?」
彼女は良く解らない、と言った声を出す。
イヴの事は葉月ちゃんは知らないんだよな。
だけど今はそんな事言ってる場合じゃないんだ。
「だから、黒い炎を使うイヴと話したいんだ」
「あの・・・よく、言っている事が解らないです」
ちょっと待て。
イヴは警戒して出てこないつもりなのか?
だとしたら俺はただのサイコ野郎に早変わりだぞ。
葉月ちゃんも困った顔で俺から視線を逸らす。
な〜んか凄く失敗した気分だ。
「解ったよ仕方ない。イヴに一言伝えたかったんだ。
 神の尖兵であるあんたと話がしたいってね」
「は? は、はあ・・・」
ダメだ。もう葉月ちゃんまで俺を警戒し始めてる。
これ以上話してると逃げられかねないな。
俺はイヴと話すのは諦めてまた外に出た。

***

くそ・・・一体何がどうなってるんだ?
俺が俺じゃなくて、俺は別にいて・・・。
紅音や真白ちゃんに葉月ちゃんも俺が解らない。
それどころか俺自身も俺が誰だか解らない。
・・・そうだ。
あの部屋に戻れば何か手がかりがあるかもしれない。
俺は一縷の望みをかけて部屋に戻ってみた。
部屋の中に戻ってみるとそこにはやはり誰もいない。
夜殺啓人というプレートがかかったままだが、
それ以外は何もおかしい所はなかった。
俺の身分を証明する様なものも何もない。
まさか夜殺の奴の呪いじゃないだろうな・・・。
どっちにしろ今の俺は高天原凪じゃない。
・・・じゃあ、今の高天原凪は一体誰だ?
やっぱり二人俺がいるなんておかしい。
俺はそのままの足で1−3の教室へと向かった。

***

放課後のクラスにはいつもの様に俺達が居る。
そう、凪達5人が話し込んでいた。
そこに俺は割って入っていく。
「高天原凪。あんたに用がある」
「・・・あなたはさっきの」
「え? 凪さんの知り合いなんですか?」
真白ちゃんがそんな事を聞く。
ここじゃ確かめられそうにないな。
俺はもう半分ヤケクソで凪を廊下に連れ出した。
廊下に人影はなくちょうど良いと言えばいい。
「あの、一体何の用ですか?」
「・・・あんたは一体何者だ? 凪じゃないだろ?」
「私は高天原凪ですけど」
ちょっとイラついてる様だ。
だが、俺も頭に血が昇り始めている。
俺が高天原凪だ。
「本物の高天原凪は男だ。それに悪魔と闘った事がある」
「・・・何を、言ってるの?」
凪の顔が「ふざけてるの?」っていう顔になった。
自分に馬鹿にされると凄く頭に来る。
怒りのあまり俺は強硬手段に出た。
「その胸はパットのはずだ」
俺は半分無理矢理にその凪の胸を掴んでみる。
偽物だったらさすがに区別が付くはずだ。
だがその感触・・・それに境目が無い。
「・・・バカな。もしかして、女なのか?」
「だから・・・そう言ってるでしょ! 何するのよ、この変態!」
「へ・・・変態だとっ? このヤロォ・・・」
自分の顔に攻められるのは凄く不思議な気分だ。
しかも顔を赤らめながら身を竦めている。
止めてくれ、そんな気味の悪いポーズは・・・。
「これ以上何かしたら人を呼ぶからね!」
「解ったから、その気味の悪いポーズを止めろ・・・」
「・・・っ!」

パシィィィィイイィイッ!!

自分に頬を張られた。
凄く奇妙ではあるが事実ではある。
痛いには痛いがどうしても不思議な気分だった。
俺からしてみれば自分と喧嘩しているのだから。
「人の胸を触っておいて・・・」
「豊胸手術という手もあるが、考えたくないな」
「あのねえ、どうして私が男だなんて言うのよ」
だって高天原凪は男だぞ。
そこだけは間違えるはずがない。
慣れ親しんだ身体だったはずなんだから。
それとも・・・俺が男だと思いこんでいただけで女だった?
いや待て! そんな事はあり得ねぇ!
こいつが偽物だって事だろ。
「そうだ、深織がいた!」
「み、おり?」
「久保山深織だよ! 高天原凪だったら知ってるだろ?」
「・・・そんな人知らない」
「じゃあ悪魔の事は?」
「悪魔・・・? あなた、そっちの人なの?」
「違う!」
ダメだ。こいつは俺を危ない人だと思い始めてる。
今までと同じパターンだ。
こうなったら家族構成でも聞いてみるか。
母親が同じならやはり男だという可能性が出てくる。
「あんたの母親はどんな奴だ?」
「え? ん〜・・・ちょっと変な人かも」
自分の家族の事を人に話した記憶はない。
だとしたらこいつは俺と同じ記憶を持ってるのだろうか。
・・・でも、あの母親をちょっと変な人で済ませるか?
やっぱりこいつは怪しい。
「なんで知ってるんだよ」
「自分の母親だもん、知ってて当然でしょ!」
「違う、俺の親だ!」
「・・・はぁ?」
さっきよりもさらに変態を見る目で俺を見ていた。
自分に馬鹿にされるのは本当にむかつく。
男だったら蹴りの一つでも入れてやりたいが・・・
今までの態度からしてその要素は一つもなかった。
むしろ本物の女だって言う方が自然な気がする。
さすがに自分の顔を可愛いとか美人だとか思えはしないが、
表情は俺の時のそれよりずっと女らしいものだった。
「あなた・・・ちょっと病院に行った方がいいんじゃない?」
「うるせえ。後一つ・・・お前、格闘技は出来るか?」
「・・・え?」
一応俺は格闘技・スポーツはほぼこなせる。
だからこいつも同じ事が出来ないはずはない。
出来ないのなら偽物だ。
俺は寸止めで凪の顔目掛けて裏拳を繰り出した。
相手の鼻の手前で止める。

・・・・・・

「な、何するのよっ」
ワンテンポ遅れて後ずさる凪。
全然格闘技経験は無い様だった。
「一体お前は何者なんだ? 俺を・・・どうする気だ?」
「わけ解らない事言わないでよ! いい加減にして!
 私は女だし、高天原凪なんだからっ!」
冗談じゃないぞ。
こんな状態をずっと続けるなんて俺は・・・。
俺は・・・?
・・・俺は何が不満だって言うんだ?
悪魔と闘う必要もない。
女として学園生活を送る必要もない。
今の俺は、普通の生活を送れるんじゃないか。
何の不満もあるはず無い。
もとあった形に収まるだけだ。
本当だったら手に入れるはずだった、もう一つの学園生活。
目の前のもう一人の俺。
こいつさえ気にしなければいい。
「・・・何よ」
憎たらしい顔をしてるんだな。
しばらくの間その顔とは決別って事か。
少し感傷的にもなるが・・・あまりこの凪と関わる気はない。
自分の顔が別にあるのを見てると気が狂いそうだった。
それに・・・なんかこいつは気に障る。
多分性格が似てるからだと思う。
自分がもし女だったらこんな奴だろう。
「別に。いいぜ、あんたにしばらく演じさせてやるよ」
「だから私は・・・あ」
振り向くと俺より少し小さいくらいの男が立っていた。
一見すると女に見えなくもない。
整った顔に長いまつげ。それに低い身長。
だが顔つきが凄く男だったのでそりゃあ一目でわかる。
女と区別が付かない顔なんて俺だけで充分だ。
・・・と、それはさておきその男は俺を睨みつけている。
なんでか知らないがとりあえず俺も睨み返した。
「・・・お前、凪に手ェ出そうとしてただろっ!」
「はぁ?」
「俺様の女に手を出すなんて良い度胸してるじゃねぇか!」

「はぁー!?」×2

俺と凪(奇妙な言い方だが)はそんな素っ頓狂な声を上げる。
凪はいつから彼氏持ちになってたんだ?
いや、そんな事はありえない!
俺のプライドが・・・人間としての誇りが・・・。
「いつ、あんたの彼女になったのよ!」
頭を抱え込みながら答える凪。
良かった・・・人として下落したわけではなかった様だ。
「近い未来にそうなる予定だっ」
偉そうに俺に対して勝ち誇るその男。
大体こんな奴知らないぞ。
背が小さくて自分を俺様と呼ぶ様な男の事など知りたくもない。
それは凪の方も同感の様だった。
「フッ・・・凪、俺の女になりなっ!」
「嫌です」
「照れるなんて可愛らしい奴め」
この男は凄い勘違いさんなのだろうか。
どう見ても凪が少しも照れている様子はない。
俺だったら絶対苦手なタイプだ。
自分に降りかかるわけじゃない事に少し安心するな。
「照れてないわよ。それ以前にあんたの名前さえ知らないし」
「知り合いじゃないのか?」
俺はそんな素朴な質問をしてみた。
「何回もこうやって迫ってくるだけで良く知らない」
「そうか、それは迂闊だったぜ。
 ついでにそこの醜男も刻んでおけ。
 俺の名は比良坂黄泉(ひらさかよみ)様だ」
「・・・ぶ、醜男だって・・・」
隣で自分に笑われている。
物凄く悔しいので頭を叩いてみた。
「痛っ! なにすんのよぉっ」
「笑いすぎだ、馬鹿」
頭を押さえて俺を睨む凪。
やはりこんな光景は慣れないな・・・。
見たまんま自分の頭を殴ってるんだよな、俺。
そんな時、目の前に殺気を感じて振り向いた。
予測通り黄泉君がブチ切れてしまってる。
「俺の凪を馬鹿呼ばわりしやがったな!
 しかもさり気なく髪に触りやがって!」
「・・・アホか。これは俺のモンだ」
「はぁ〜!?」
・・・言い方が少し誤解を招く表現だった。
凪の身体は俺の身体だという意味だ。
決して恋愛感情が自己完結しているわけではない。
危なくナルな人だと思われる所だった。
しかし、そう思う人がここに居ないのが問題だ。
「凪は俺のモノだ!」
「私は誰の物でもありませんっ」
「えぇ〜っ! 凪ちゃんは私の〜」
いきなり参戦してきたのは、
しびれを切らして教室から出てきた紅音だった。
しかし俺と凪は即答する。

「紅音のじゃないっ!」×2

紅音の私物化されてたまるか。
そこが凪と同意見だったのが少し有り難くはある。
っていうか便宜上あっちの凪を
「凪」と呼んでるのが馴染めなかった。
自分の名前を他人に呼ぶなんて多分初体験だ。
どこか・・・むずがゆい。
「とりあえず紅音は黙ってて」
「ああ。お前は黙ってろ」
「よよよ〜、この人にも黙ってろって言われた〜」
泣き真似をしてるのだがちょっと古風すぎる。
俺も凪も脱力してしまった。
それに・・・この人か。なんか嬉しくはない呼ばれ方だよな。
俺的にやっぱり紅音に凪って呼ばれないと違和感がある。
結果、元気なのは黄泉だけだ。
「お前ら・・・俺抜きで話そうとするんじゃあねぇ!」
全くいけすかない奴ではある。
だが黄泉はどこか憎めない系でもあった。
なんか空回り具合が切なささえ醸し出してるからな。
「全く、この俺様を出し抜こうなんてなぁ・・・」
「別に黄泉はどうでもいいんだけど、
 もう話は終わったの? え〜と・・・」
「ああ・・・俺の名前は一応、伊部。あんまり覚えなくて良いぞ」
「言われなくてもすぐ忘れるわよ。もう忘れたっ」
なんか典型的な跳ねっ返り女に見えるのは気のせいか?
俺の面影が少しもない。
頼むからもっと優雅に話して欲しかった。
パブリックイメージを作ってるわけじゃないが、
違和感が俺の背中をぞくっとさせる。
まるで他人と話してる様な気がしてきた。
さっきまでの自分と話してる感覚が今は無い。
それはそれで何か繋がりを失った様にも思えた。
そのせいで・・・俺はある可能性について考えてしまう。

考えたくはなかった・・・そう、考えない様にしていた。
自己が崩れ去らない様に・・・。
もしかしたら、今までの事こそが幻想だったんじゃないかって・・・
あれだけ色んな事があったのに、
全て・・・幻だったのかもしれないって・・・
つまり俺はやっぱり高天原凪じゃなくて。
イヴはいなくて、悪魔なんてものも当然いなくて、
それどころか女のフリして過ごした日々なんかも全部嘘で。

まだ解らない・・・まだ、そうじゃないとは思える。

でもその内、この自分に慣れてしまうのだろうか?

俺は高天原凪だった事を忘れてしまうのだろうか――――――――

Chapter15へ続く