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セピア色のクレイドル

著作 早坂由紀夫

Chapter15
「遠のいていく光景」

***

結局俺はどうすることも出来ずに一日を終えていた。
どうする事も出来ずに、いつの間にか睡眠を取っていたらしい。
何がなんだか・・・少しずつ全てが失われてる気がする。
身体の内側から腐っていく感じだ。
自分が気付かないだけで、俺はもうすでに死んでたりして。
「はは・・・」
笑うに笑えない。
そうだとしてもおかしくない異常性なんだから。
俺は俺じゃなくて、俺じゃない奴が俺で。
しかも凪って奴は女で、俺は男。
でも俺には凪の記憶がある。
「俺は・・・一体誰なんだよっ!」
目覚めたばかりでベッドを思い切り叩いた。
悲しい位に衝撃は吸収されていく。
妙にリアルな夢を見ていた。
だからだろうか・・・疲れがあまり取れていない。
そのせいで俺はナーバスになっていた。
俺は高天原凪じゃ・・・無い?
だとしたら記憶喪失って事になるな。
でも一応記憶はある。
いっその事全ての記憶が無ければ良かったかもしれない。
そうすればこんな悩んだりしなかったのに。
・・・違うだろ!
騙されるな、俺は高天原凪だ!
生まれてから今までずっと凪として生きてきたんだ!
今更・・・こんなくだらない罠にかかってたまるかよ・・・!
俺は俺だ。凪は女なんかじゃない。
今は自分を信じるんだ。
そうじゃないと・・・。

ぴーんぽーん

チャイムの音?
俺を知っている奴・・・か?
とりあえず俺はインターホンに出る。
「誰ですか?」
「黒澤です」
「え・・・!?」
ドアを開けてみるとそこには黒澤がいた。
この人も俺の事を凪だとは思っていないんだろうな。
やっぱりそういうのは凄く辛かった。
幾ら黒澤だとしても。
「君はええと・・・すまないね。二年生の男子かな?」
「俺は、二年の伊部です」
もう半分ヤケでその名前を使っていた。
黒澤はまったく疑う様子もない。
ただ、この人の態度は誰でもさほど変わらないのが救いだった。
「何か用でしょうか?」
「・・・伊部君はここの生徒ですよね。
 もう就業時間になるんですが」
「あっ・・・」
そうだ、男子寮の場合は見回りがあるんだった。
でも今は勉強どころじゃないんだよな。
「実は頭が凄く痛いんです」
「そうですか。早く・・・目を覚ますと良いですね」
「えっ?」
今なんて言ったんだ?
黒澤はどことなく俺の事を知っている気がする。
それを聞こうと思ったら、先生はあっという間に去っていった。
・・・まあいいか。
それよりも、あまりこの部屋に閉じこもっていてもしようがない。
校舎の方にでも行ってみよう。

***

暖かいというよりも暑い日差しが辺りを照らしていた。
クーラーの効いた部屋にでも入っているべきだったか。
歩き回っていても何の収穫もない。
いっその事この学園抜け出してみるか・・・。
そう思って学園の正門へ歩こうとした時だった。
「こら、そこの生徒っ」
「げっ」
誰かに見つかったらしい。
振り向くと・・・俺がいた。
「お前か」
慌てて損した。
俺、つまり高天原凪がいただけだ。
それにしてもこいつ、スカート短いぞ。
俺としてはあまり露出して欲しくないな。
男に目を付けられるのも嫌だが、欲情されるのはもっと嫌だ。
しかも段々それを見ても違和感なくなってるのが嫌だ。
俺ってもしかして女に生まれた方が良かったのか?
・・・いや、そんな恐ろしい事を考えるのはよせ!
「何ジロジロ見てるのよ」
「・・・ああ、いや、お前こんな所で何してんだ?」
今は授業中のはずだ。
俺はこの学園ではあまりサボった事がない。
だってここだと目立つからな。
「あんたと同じ。私も暇だからさぼりに来たの」
俺は別にサボりたくてサボってるワケじゃない。
ったく、暇を持て余してるって幸せだな。
まあ理由ならもう一つあるのは予測できそうだ。
「後、黒澤が苦手だからだろ」
「まあ、ね。あんたもなの?」
「だからっ・・・まあ、そんな、とこだ」
俺は疑問を抱きながらもそう答える。
自分に自分の事を質問されるとは・・・。
答えるまでもなく同じに決まってるだろ。
「なんか似てるわね、私達」
「・・・・・・」
同じなんだから当たり前だ。
でも黒澤が苦手だからってだけで似てるのか?
確かにあの先生を嫌ってる奴は少ないが・・・。
「まっ、あんたと似てても嬉しくないけど」
「・・・そうかい。じゃ、俺はもう行く」
「えっ、あ・・・」
あんまりこいつと話してると狂ってしまいそうだ。
違和感を感じるもののやっぱり俺と似てる。
確かに何かが似てるんだ。
だから俺は自身を喪失しかけてるんだから。

***

俺はどうする事も出来ずにただぼ〜っと歩き続けていた。
奇跡的に昼休みまで誰とも会わなかった。
見回りの教職員とかに見つかったら大変だったけど、
そんな心配ももうしばらくは必要ない。
とりあえず俺は1−3へと歩いていた。
他に何処へ行けばいいのかも解らないから。
だけどそこにはやはり凪がいた。
これから公園跡に行くんだろうか・・・。
と、そこにあいつが走ってきた。
俺はとりあえず教室に入らないで様子を見る。
「よう凪、お前のハートを奪いに来たぞ」
「・・・また出た」
凪はがっくりと肩を落としながらそう言っていた。
この時だけは、ホントにあの凪に同情する。
それを聞いた紅音が急いで凪と黄泉の間に立った。
「凪ちゃんは渡さないもんっ」
笑いながらそう言う紅音。
なんか・・・凄くその光景は遠くにあった。
俺が入っていく事の出来ない場所。
紅音はそんな所にいる気がした。
・・・別に、いいじゃないか。
そんな事より今は自分の事を知るのが先決だ。
俺がなんで凪じゃないのか、考えるんだ。
そう言えば昨日の夜・・・夢を見たな。
イヴと何かを話している夢。
黒澤先生と学園のエントランスで話している夢。
妙にリアルな夢だった。
考えてみれば、なんでこうなったのか・・・
その直前の記憶が俺から失われている。
そこがもしかして重要なんじゃないだろうか。
俺が男になった理由。
そして凪が俺以外にいる理由・・・。
「そんなもんあるかっ!」
そんな都合のいい世界があってたまるか。
でも・・・なんとなく気になっていた事があった。
俺が死んだと思っていた人達は、今・・・どうしてるんだ?
水連、愛依那、芽依ちゃん、そして夜殺。
夜殺はいないみたいだけど・・・他の人達は?
悪魔がいないとしたら、死ぬ理由がない。
馬鹿な、あり得ない。
人は生き返ったりしないんだ。
だけど・・・もしかしたら・・・。
一つ、男の俺が確かめる方法があった。
女子寮に入るとしたら少し手続きをふむ必要があるが、
凪と話すだけだったらそんな物は要らない。

***

俺は放課後になるのを見計らって1−3へと走った。
そう、それを知るだけでいいんだ。
この時ばっかりは凪に会いたくてしょうがなかった。
教室のドアを開けて凪の机へと歩いていく。
いつもの5人がいた。
「あれ・・・どうしたの?」
怪訝そうな顔で凪は俺にそう聞いた。
「あのさ、霧草月と呉山って言う子・・・知らないか?」
「愛依那と芽依ちゃんの、事?」
「ああ、そうだっ! 二人は元気か?」
もう変だろうが何だろうが構いはしない。
二人が無事であってくれたなら・・・。
「うん。元気してるけど、知り合いなの?」
「・・・そ、そうか」
俺は危なく泣きそうになってしまった。
最悪俺は男のまま戻れなくたっていい。
生きてるんだ、愛依那も芽依ちゃんも・・・。
「ねぇ、所でさあ・・・あんたは誰なワケ?」
紫齊が人の事を訝しんでいるがあまり気にならなかった。
ただ、その時凪が妙な事を言い出す。
「ごめん紫齊・・・あんた、ちょっと来てくれる?」
「え、俺?」
凪に腕を掴まれて俺は教室の外へと出ていった。
窓の向こうは淡い朱が夕日を作り出している。
そしてその夕日を隠すように凪が俺の方を向いた。
「あんた、もうここに来ない方が・・・いい」
「は?」
突然凪は突拍子もない事を言い出す。
結構俺って嫌われていたんだろうか。
「あんたは・・・ぁぐっ・・・」
何かを言おうとして頭を押さえ倒れかかる凪。
とりあえず俺はそれを受け止めた。
自分で自分を抱きしめるなんて・・・貴重な体験だ。
「どうしたんだ? 頭痛か?」
「ちがっ・・・私はっ」
なんか様子がおかしい事に気が付いた。
もしかすると意識が朦朧としているのかもしれない。
だからこんな言葉が喋れてないんじゃないか?
「おいっ、しっかりしろ!」
「・・・大丈夫。それより・・・私」
凪はそう言うと俺から無理矢理離れた。
まだ足下がふらついているが、俺には近寄ろうとしない。
なんかむかつくけど何か考えあっての事なのか?
「ごめん・・・やっぱりセキュリティがかかってるのね」
「セキュリティ?」
「なんでもない。とにかくもう・・・」
「ん?」
何かを言いかける凪。
けどそれは体調不良のせいではなく、
何かに戸惑っているだけに思えた。
「・・・それも、なんでもない。気にしないで」
結局何も解らない。
凪はそれ以上何も言わなかった。
俺もそうなってしまえばどうする事もできない。
何を聞き出せばいいのかすら解らないんだから。

***

俺は何するわけでもなく公園跡のベンチに座っていた。
夕暮れも終わり、辺りは暗くなり始めている。
だからといって男子寮に戻る気にもなれなかった。
少しずつどうでも良くなっていたんだ。
愛依那と芽依ちゃんが生きている。
だったら俺が何かを求めるのは贅沢なんじゃないか?
そんな時だった。
近くで誰かの声が聞こえる。
・・・叫び声?
何か凄く嫌な予感がした。
俺は急いで声の方向へと走っていく。
廃校舎へ向かう途中の道で凪が男三人に囲まれていた。
まさか、自分が襲われてる現場を目撃するとは・・・。
でもあいつが襲われてるのは凄く気分が悪い。
自分が襲われてるようなもんだからな。
「やめてっ、やめてってば!」
「な〜んでこんな時間に外を彷徨いてるんでしょ〜か?」
「はいはいっ! 犯されたい願望が秘められているからですっ」
「だいせぇかい〜!」
その三人はかなり酒を飲んでいるみたいだった。
まあ当然だろうな。
こんな時間に堂々と人さらう奴が素面だったら怖い。
とりあえず近づいていって様子を見てみる事にした。
そのまま凪は仰向けに倒される。
両手をガッチリと二人に固定されていた。
「あんた達、何する気なのよっ」
「・・・ほうほうほう。凪さんは純情ですなぁ〜」
一人がズボンを脱ぎ始める。
・・・あ、今って凄く良いタイミングかもしれない。
俺はゆっくりと後ろから近づいていった。
「とりあえずこれを頬張ってみてくださいな」
「ひっ・・・!」
凪が目を逸らす。
だが凪を捕まえている二人に無理矢理真正面を向かせられた。
そして男根を剥き出しにした男が凪に近寄る。
瞬間、俺はその男を跳び蹴りで横倒しにした。
結構手応えがあったのでしばらく起きあがれないだろう。
「てっ、てめぇ・・・誰だよ!」
「人」
俺はそいつの頭を押さえるとそのまま力任せに地面に突き飛ばす。
ついでにだめ押しの蹴りも入れておいた。
そして・・・最後の一人はとっくに逃げていた。
俺は凪に駆け寄ると怪我が無いかどうか確かめる。
服は全然破かれていないし身体も無傷だった。
なんて言うか・・・あいつらの嗜好のおかげで助かったと言うべきか。
「・・・あ、ありがと」
「おう。まあ当然だ」
誰か知り合いが傷つけられるのは凄く気分が悪い。
というより自分の事だからなおさらだ。
「あんたが来なかったら、私どうなってたと思う?」
「まあ、来たんだから考える必要ないだろ」
「そうじゃなくて・・・ホントに感謝してるの」
自分に感謝されるのも貴重な体験だな。
とりあえず凪を立ち上がらせようとするが立ち上がらない。
「自分の意志で立てよ。俺、体重支えてないんだから」
「・・・こ、腰が抜けて立てないのよっ」
恥ずかしそうに俯いてそう言う凪。
仕方ないのでおんぶしてやる事にする。
自分をおんぶするなんて、滅多に出来ない経験だ。
「あの、さぁ・・・ありがとう」
「気にするな。お前だからサービスしてるんだよ」
「え・・・?」
自分をおんぶしてやるくらいどうって事はない。
いわゆる自分の為と言う奴だ。
・・・だが胸が当たっていた。
これは多分本物だ。
やっぱり凪は、女なんだな・・・。
凄く変な気分だった。
もう俺は凪じゃないような、そんな感覚。
俺は女子寮へ向かってただ歩き続けた。
だがその途中で凪は大丈夫だと言い出す。
「あのさ、もう歩けるから」
「・・・遠慮すんな」
「ホント遠慮とかじゃなくって、勘違いされるからっ」
「紅音に?」
「ま、まあ紅音とか紫齊とか」
言われてみればそうかもしれない。
俺はゆっくりと腰を下ろした。
「ありがと、ホント・・・ありがと」
「ああ、もう聞き飽きた」
「・・・そ、そう」
俺はもう凪と話していても他人と思えるようになってきた。
認識の上ではまだ凪は俺だ。
でも少しずつ・・・俺が別の人間だっていう気がしていた。
と、凪の顔が近づいてくる。
頭突きできる位置まで近づいてきた。

ちゅっ。

キスされた。
・・・・・・キス、されました。
自分にキスされました。
なんて貴重な体験だろう・・・。
「って、いきなり何するんだよっ」
「え、あの・・・サービスよ、サービス」
違う。
これはペナルティです。
自分にキスされるなんて・・・しかもあまり嫌じゃない。
嫌じゃないって言うのが一番危険な点だ。
俺って・・・ナルシスト?
そうやって悶絶している俺をよそに、
凪は女子寮へと歩き始めていた。
そして振り向きざま凪が投げやりな声で俺に言う。
「あんただから、サービスしたんだからねっ!」
うわ・・・今のって・・・あれ?
もしかして告白でしょうか?
いや、自分に告白なんて出来るかっ!
頭が滅茶苦茶に混乱していた。
これって恋愛の自己完結?
でも一応相手は別の人間って事になってるぞ。
つまりは俺自身のモラリティーにおける恋愛自己完結。
なんて解りづらいんだ・・・。
凪はとっくに女子寮の中に入って見えなくなっていた。
今の事はとりあえず忘れよう。
気にしても仕方ない。
っていうか、なんでこんなに動揺してるんだ?
・・・そりゃあ自分にキスされれば驚くか。
そう思い直すと俺は男子寮へ歩き始める。
ただ、一つだけ妙に気になる事があった。
この学園ってこんなに治安悪かったのか、という事だ。
そう・・・酒飲んで暴れるような奴らがいたか?
なんだか作為的な・・・そんなはずがないのに、
俺はその事が作為的な気がしていた。
それに誰かに見られていた気がする。
・・・見られていた? 今も?
俺は辺りを見回した。
気配は全く感じない。
誰かが潜んでいたならなんとなく解るはずだ。
でも全くそんな気はしない。
ただ・・・凪と会っている時に感じる違和感。
あれは自分との違いとか・・・そんなものじゃない気がしてきた。
今の俺の環境の、何かが狂ってきてる。
もうすぐそれがなんなのか、解るんだろうか・・・。
俺は空を仰ぎ見るとまた歩き始めた。

Chapter17へ続く