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黒の陽炎
−2ndSeason−

著作 早坂由紀夫

序説、白痴美−nil adomirari−

第二話
「定められた星空の下」


 −冥典、序説第二編−
 争いと諍いを好む者。悲しみと憎しみを生み出す者。
 祖が持つ負の全ては正と対している。
 負の者よ、その去るべき定めに抗うのなら
 悪魔の数字をその躰に印すのが良い。
 理を超え異なる力が祖を照らすであろう。

***

 2009年、6月。
 夜の闇。暗闇。
 少年はそっと触れる様にガラス窓を開ける。
 外は鈴虫が鳴く様な夏の匂いを感じさせていた。
 季節は夏。
 どことなく春が抜けきっていない夏。
 瞬く様な満天の星空。
 静かな病院の中で少年は遠くを見つめていた。
 事故による下半身不随。
 彼の人生が8分の1辺りに差し掛かった時の悲劇だった。
 ニュースのネタになる程のリハビリもせず、
 ただ諦めた様に星空を見つめる。
 彼は身体を動かす事が好きだった。
 高瀬綾一と書かれた自転車も錆びる程乗り回した跡がある。
 それも全て過去の物の様に彼は認識していた。
 願い。
 今すぐにでも下半身が動きます様に。
 そんな力を持った誰かが窓から現れます様に。
 他力本願なその考えゆえに彼は
 リハビリをしようとしなかった。
 だがその晩、彼の願いは少しだけ叶う事になる。
 彼が閉めようとした窓から長い髪の女性が現れたのだ。
 薄い紫とピンクの色をした髪。
 綾一はその女性を凝視してしまう。
 彼の部屋は5階だったからだ。
 次にその無機質な瞳に無意識だが恐怖を覚える。
「お、お姉ちゃん・・・誰?」
「わたし? わたしは華月」
「華月・・・お姉ちゃん?」
「そう」
 そんな簡素な会話をかわしたかと思うと、
 華月は綾一のベッドに腰掛けて何かを取り出した。
 それは妙な機械。
 見た事のない金属で出来ているのに、
 どうしてかアンテナはラジオの物だった。
 するとその機械から奇妙な音が鳴り始める。
「なっ、なに?」
「この反応は天使か・・・な〜んだ」
 つまらなそうに声をあげる華月。
 近くに天使がいるという事実。
 それも華月にしてみれば興味のない出来事だった。
「所で何してるの?」
「・・・え、僕?」
 急に話しかけられて少し戸惑う綾一。
「僕は足が動かないんだ。だからここにずっといるの」
「ふ〜ん。暇そうだね」
「お姉ちゃんは・・・天使?」
「わたし? 知らな〜い」
 とぼけた顔でそう言うと部屋を出ようとする華月。
 だがそれを綾一が止めた。
「あっ・・・お姉ちゃん」
「なに?」
 止めたはいいものの、何を話せばいいのか解らない。
 綾一は困って俯いてしまった。
 そんな綾一に近づいていく華月。
 黙りこくっている綾一を見つめると覚めた顔で言った。
「つまんない。何か喋らないの?」
「えと・・・僕の足を治して欲しいんだ」
「足? あなたの足? なんで?」
 華月は不思議そうに綾一の足を見つめる。
 ギプスを付けたその足は痛々しかった。
 しかし気にせずに華月はそのギプスを取っていく。
「なっ、なにするんだよぉ!」
「だって解らないもん。ちゃんと見てみないと、
 あなたの足が使い物にならないのか解らない」
 華月は注意深くその足首を見ていた。
 急に綾一は怖くなってきてしまう。
 なぜならそうやって綾一の足を見る華月の表情には、
 何の感情も映ってはいなかったからだ。
 ただ事実を事実としてみている。
 そういう瞳。そういう顔色。
 それに月明かりのエッセンスが加われば、
 不気味にすら感じられた。
「この足は鈍っているだけで使えるよ」
 ぱんぱん、と綾一の足首を叩いて華月が言う。
 だが綾一はそんな言葉を信じようとはしなかった。
「嘘だねっ! お姉ちゃんが直せないからって、
 口から出任せ言ってんだ!」
 そんな綾一の言葉に呆れたのだろうか。
 華月はすっと立ちあがるとまた立ち去ろうとする。
 それを見て綾一は無性に孤独を感じていた。
 誰もが自分をそうやって見放すのだろうか。
 そう考えた時・・・彼はナースコールを押していた。
「すぐに看護婦さんが来て、
 お姉ちゃん警察に連れて行かれるよ」
「ふ〜ん。あなた、わたしの邪魔をするの?」
「・・・え?」
 そう言うとゆっくり綾一のベッドに戻っていく。
 彼女の目を見た時、思わず綾一はベッドを抜け出していた。
 なぜなら華月の目は感情のこもっていない、
 機械の様に冷たい瞳だったからだ。
 綾一は一刻も早く彼女から逃げたかった。
 しかし自分の足は使い物にならない。
 そう綾一が思いこんでいたせいで、
 思う様に逃げられなかった。
「逃げるって事はやっぱり私の邪魔する気なんだ。
 わたしの邪魔をするヒトは殺しちゃうよ、ぐしゃって」
「ひっ・・・ひぃいいいっ」
 情けない叫び声を上げる綾一。
 それもそのはず、華月は奇妙な棒状のモノを具現していた。
「これ、カルチャースティック。わたしが付けた名前だよ」
 華月は説明を入れてベッドにそれで触れる。
 するとベッドは奇妙な音を立てて粉々になった。
 それを見た綾一は無意識のうちに立ちあがる。
 両手で辺りのモノを掴みながら、
 その上で両足をあるべき形で使っていた。
「あ、やっぱりその足はまだ使えるね」
「え・・・お姉ちゃん・・・?」
 瞬間。
 看護婦が走ってくる音がした。
 恐らくナースコールのせいだろう。
「う〜ん、仕方ないから殺すのはまた今度ね」
 ゆっくりと華月は窓まで歩いていった。
 それを呆然と見送る綾一だったが、一言。
「華月お姉ちゃん・・・ありがとっ」
「よく解らないけど、どう致しまして。
 それとね、私は華月夢姫って言うんだよ。
 だから夢姫お姉ちゃんの方が良いな」
 それだけ言うとすぐに窓から飛び出していく華月。
 綾一はその姿を見送りながら窓へとなんとか歩いていく。
「夢姫お姉ちゃん・・・」



「あ〜あ、あの子を殺し損ねちゃったな。でも、まいっか」
 華月は夜の街を飛ぶ様に走っていた。
 人には見つからぬ様に屋上から屋上を移動する。
 そんな彼女だが不意に気配を感じて立ち止まった。
(なんだろう・・・チェッカーには反応してない。
 っていう事は天使でも悪魔でもないんだ)
 気配がする方向を見やる。
 感覚ではそれは二つ。
 一方は毒々しい感情をまき散らし、
 片一方は無感情に華月へと向かってきていた。
 近づくに連れてそれは認識される。
 どちらも彼女の知らない者だった。
 女性の方は真っ黒な羽根を生やしている。
 男性の方は黒ずくめのローブに身を包んでいた。
 華月はあるビルの屋上へと彼らを誘い出す。
「あなた達は、だれ?」
「我々はエクスキューター。断罪人だ。
 お前、冥典を探している様だな」
 男の方がそう淡々と答えた。
 フライングで女性の方が攻撃しようと飛び出す。
 だが男が手でけん制するとその攻撃を止めた。
「良いか。どういう経路でその情報を得たのかは知らん。
 しかし二度と下らん探し物などはしない事だ。
 冥典とは神のみが見る事を許された書物なのだからな」
「やだよ。わたしの事が書いてあるんだもん。
 わたしだって見る・・・えっと・・・権利はあるよ」
 権利という言葉が出てこなかった華月。
 彼女の緊張感の無さが二人にも伝わる。
 だが女性の方は全く攻撃姿勢を崩さなかった。
 女性は華月に対して一言口にする。
「神に仇なす者よ・・・断罪しろっ・・・」
 その女性の目つきは尋常ではなかった。
 美しい容姿ではあったがそれを崩す様な怒りの表情。
 鎖に繋がれていない狂犬というイメージが強い。
「おい、いい加減にしろ。
 今日はエリュシオンに戻るんだぜ」
 そう男が言うとさっきまでとは打って変わって、
 女性は天使の様な微笑みを浮かべる。
「・・・ああ、解ってる。あの人に会えるんだ」
 その恍惚とした表情は異常にすら思えるものだった。
 華月はカルチャースティックを具現しようと構える。
 しかし男性は人差し指と中指を華月へと伸ばして言った。
「確か・・・天使や悪魔は具現とか呼んでいる力だな。
 マテリアライズされてない攻撃は俺達には通用しないぜ」
 構わず攻撃しようとする華月だったが、
 男性は自らカルチャースティックに触れていた。
 だが華月にとって奇妙な光景がそこにはある。
 彼はぐちゃぐちゃに弾け飛んで死んではいなかった。
 それどころか華月が具現したカルチャースティックは、
 男性の身体をすり抜けている。
「解るか? イメージは所詮、イメージでしかない。
 ただの妄想と変わらないんだよ。
 マテリアライズしていない力なんて、そんなもんさ」
 華月に対して明らかな力の違いを男は見せつけたかった。
 無駄な処刑は彼にとって気味の良い物ではないから。
 男はさらに言った。
「良いか、これは警告だ。冥典を探し続けるなら、
 その時は俺達がお前を処刑する」
 そう言うと二人は静かに上空へと飛び立つ。
 やがて華月の目からは見えなくなっていった。
「・・・変なヒトたち」
 華月はそう呟くと夜の闇へと消えていく。
 どんな障害があったとしても諦める気はなかった。
 ただ一つ、彼女が生きる理由がそれなのだから。
 家族も友人も彼女にはもう存在していなかった。
 だが求めるものは一つだけある。
 唯一、彼女の感情を呼び起こしてくれる存在。
 彼女にとって生きている意味とも言える想い人。

(なぁ君に・・・会いたいなぁ)

第三話へ続く