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黒の陽炎
−2ndSeason−

著作 早坂由紀夫

祀られた蟲、毒を持った羊−relationship,incest−

第五話
「月隠」


 熔けていく――――――

 灼けつく様な色で見上げるもの全てを魅了し

 他に変わるモノのない唯一の存在

 

 湿った宵の空気。
 空に浮かぶ赤く映える月。
 その日、華月は夜の街を歩いていた。
 いつも通りの白い毛皮のコート、
 動きやすさを重視したブーツという格好ではない。
 7月という季節の為に彼女は軽装だった。
 茶色で半袖のカーディガンと、
 薄い黒のワンピースらしき物を着ている。
 さすがに彼女もこの季節にコートを着る気はなかった。
 彼女の胸に光るのは不思議な輝きをした指輪。
 それをペンダント代わりに付けていた。
 そのペンダントは華月が貰った唯一の宝物。
 彼女はそれを肌身離さず大事に持っている。

「これ、ゆめちゃんにあげる」
「・・・なあに?」
「お母さんの部屋から持って来ちゃった」
「わぁっ・・・キレーな指輪〜」
「えめらるど、とかいう宝石なんだって」

 そんな風に思い出に浸る華月。
 それだから今まで彼女は隣を
 ロフォケイルが歩いている事に気がつかなかった。
「いい加減気付いてくれたみたいですね」
「・・・なんだ、おじさんか。
 せっかくいい気分だったのにぶち壊し」
 多少頭に来た物のそれを堪えるロフォケイル。
「冥典がありそうな場所、特定できましたぜ」
「ホント?」
 ぱあっと顔を輝かせる華月。
 夜の街を歩きながらロフォケイルは声を潜めて続ける。
「セパードというグループの会長である、
 レイノス=フォル=ザールブルグという人物がいましてね。
 彼の家の何処かに冥典があるという
 情報が手に入ったんですよ」
「ふ〜ん。で、その人の家ってどこ?」
「静岡にある静かな郡ですよ。
 メチャ大きい屋敷ですがね」
「わかった。じゃ行ってくるよ」
「ちょっと・・・待って下さい」
「なぁに?」
 華月は不思議そうな顔でロフォケイルの事を見つめる。
 ロフォケイルは少し悩んだ末に喋り始めた。
「あまり無駄な殺しはしない方が良いですぜ」
「・・・無駄な、殺し」
「そう。どうしても相手が邪魔な時だけです。
 嫌な奴だからといって殺したりしてはいけません」
「でも、なぁ君に早く会いたい」
 ぶすっとした顔でロフォケイルを睨む華月。
「そのなぁ君とやらだって、あなたが
 無闇に人を殺すのは見たくないはずです」
「え・・・そう、なのかな」
「当たり前ですとも」
「わかった。じゃあ、なるべく我慢する」
「ええ」
「それと冥典を探している事も秘密にした方が良い。
 前の様に邪魔が入ると厄介ですからね」
「・・・めんどくさいけど、わかった」
 華月はその後すぐにどこかへと歩き出した。
 その後ろ姿を眺めながらロフォケイルは思う。
(これで少しは目立たなくなれば良いんだが・・・
 なにせあの子の存在は目立ちすぎるからな)



 それから華月は新幹線を使って静岡へとやってきた。
 広大すぎる畑の先、彼女が瞳に映すのは大きな屋敷。
 お茶の名産地として有名な静岡県で、
 華月はその屋敷へと冥典を探し求める。
 屋敷には丁度大勢の人が向かっていた。
「今日は何があるの?」
 何気なく華月は近くを歩く女性にそう尋ねる。
「なんでも、ザールブルグ家当主の誕生日ですって」
「ふ〜ん・・・誰かの誕生日なんだ」
 誕生日。
 それは華月にとって懐かしい物だった。
 なぜなら誕生日を祝っていたのは、
 『なぁ君』と過ごしていた日々だけだったからだ。
 それから後の日々では祝って貰った事はない。
 華月はそんな『なぁ君』と
 離れた後の日々を思い出すのが嫌だった。
 空虚だというのもある。
 だが彼女が全てを失ったのはその日々のせいだったからだ。
「ねぇ、君・・・」
 考え事をしていた華月がその一言で我にかえる。
 目の前に立っていたのは何処かで見た事のある男性だった。
「おっひさ〜、やっぱり夢姫ちゃんじゃん」
「あなた誰?」
「うわ・・・俺は千李だよ。忘れるなんて酷いなぁ〜」
「なんとなく忘れた」
 興味なさそうに華月は屋敷へと歩いていく。
 それにくっつく様にして千李も同じ方向に歩いていた。
 大きな門の向こうに見える屋敷。
 屋敷は開放されていて庭が華月の視線に映る。
「所でさ、どうして俺がここに来てるとか聴かないの?」
「別に興味ない」
 千李の言葉に興味なさそうに答える華月。
 その瞳はすでに冥典を探し始めていた。
 チェッカーを出して冥典の場所を探ろうとする。
 だが反応は特に無かった。
 するとチェッカーに興味を持ったのか千李が近づいてくる。
「それ何? 夢姫ちゃん、面白いもの持ってるねぇ〜」
「秘密」
 一言そう答えると早足で華月は歩き始めた。
(邪魔だなぁ・・・殺しちゃおうかな)
 そんな考えを堪えると屋敷の中へと入ろうとする。
 華月が玄関へ入ろうとするとメイドの様な女性が現れた。
 薄い青の様な髪の色。
 長さはそれほどなく、肩に掛からないくらい。
 目は少しばかり人を見極める様なキツさがあった。
 或いは仕事に対する甘えのなさから来る物かも知れない。
 身体を包む衣服はメイド服と呼ばれるであろうものだった。
 白い前掛けの様なものやフリルの様な物がついている。
 ただ彼女の表情にはそれが仕事での正装だと、
 暗にそう聞こえてくる様な真摯さがあった。
 そのメイドの女性は華月を見るなり急に慌てる。
「あなたはリフィ・・・!?」
 しかしすぐに咳を一つつくと、静かな声で華月に言った。
「いえ、失礼致しました。
 いらっしゃいませ。どなたかのご紹介ですか?」
 そんな女性を無視して中へと侵入しようとする華月。
 女性は華月の手を掴んでそれを止める。
「誰かのご紹介かご主人様のお許しが無ければ、
 この屋敷の中には入れません」
 静ながら強い口調で女性は華月をいさめた。
 そこへ千李がのほほんと現れる。
「シュリアちゃん、この子は俺の紹介」
「あ、千李様」
 千李の顔を見るとシュリアは一歩後ずさる。
「失礼致しました。どうぞお通り下さい」
「ありがとう」
 言葉ばかりの礼を告げると華月は奥へと入っていった。
 それを横目に千李はぽつりとシュリアに言う。
「後でお礼はするからね」
「・・・それは遠慮しておきます」
 そんなシュリアの一言に苦笑いを浮かべながら、
 千李は華月の後を追った。
 華月はそんな千李の苦労も知らず、
 我が物顔で屋敷の中を徘徊していく。
 多くの部屋の中で彼女は一つのドアの前で足を止めた。
 そこのドアは僅かに開いている。
 中には大きく長いテーブルが見えていた。
 ゆっくりとそのドアを開ける。
 そこにいたのは車椅子に座った女性だった。
「・・・レイ?」
「レイってなに?」
「えっ・・・あの、あなた・・・」
「私は華月夢姫」
 そう自己紹介をする華月に習い女性も微笑んで言う。
「夢姫ちゃん・・・私はリフィリア。ここの当主の姉です。
 今日は誕生パーティーに出席する為に来られたの?」
「・・・うん」
 そんな風に話していると背後から誰かが華月の手を掴んだ。
 華月が振り向くと、そこにはシュリアと
 10代前半くらいの白人の少年が立っていた。
 少年は額を隠す様にバンドをして白いスーツを着ている。
 そのどこか気品すら漂う立ち振る舞いは、
 スーツ姿を違和感なくしていた。
 少年はにこやかに笑いながら華月に言う。
「すみません。この部屋は開放している場所じゃないんです」
「あなた誰?」
 屋敷にいる意味すら疑われかねないその一言。
 だがメイドが何か言うのを少年は止めた。
「僕はレイノス=フォル=ザールブルグ。
 この屋敷の主です」
「ふ〜ん。ねぇこの女の人、私に似てる」
「・・・その人は僕の姉です」
 そうレイノスが言うとリフィリアが興味深そうに口を開く。
「レイ、その人・・・私に似てるの?」
 するとレイノスはこれ以上ないくらいの優しい顔で言った。
「僕もびっくりしたよ。まるで双子みたいだ」
 華月にとってそれは不思議な光景だった。
 彼女は姉弟というものを目の当たりにして、
 何か不思議な感覚に囚われている。
 そんな華月の手をシュリアが取った。
「さあ、食堂へ参りましょう。華月様」
「うん」



 華月とシュリアが出ていった後にレイノスは言う。
「ホントに姉さんとそっくりだったよ」
「ふ〜ん・・・レイ、ちょっと気になるんだ」
「姉さんってば・・・妬いてるの?」
「そ、そんな事無いよ」
 少し俯くリフィリア。
 確かに嫉妬心もある。
 だがそれより華月に興味を持って欲しいと思っていた。
 レイノスが愛しているのは実の姉であるリフィリア。
 だから姉である彼女に似ているという華月ならば、
 そんな二人を包む鎖を断ち切ってくれる気がした。
 けれどそう考えながらも少し寂しい気持ちがある。
 そうしてリフィリアは久しぶりに嫉妬を感じた気がした。
「心配しなくても僕は、姉さん以外の女性を
 好きになったりはしないよ」
 すぐに消えていく嫉妬心。
 それをリフィリアは少し物悲しく思う。
 彼女にとって軽い嫉妬は、
 久しく心弾むものでもあったからだ。
「レイの事、信じてるよ」
「ありがとう。だから姉さんの事、大好き」
 後ろからレイノスは包む様にリフィリアを抱きしめる。
 腕を首筋に回して頬と頬をすり寄せた。
 そうすると目を閉じて彼はリフィリアをじっと感じる。



 華月達は一同に食堂へと集められていた。
 そこでレイノスの誕生パーティーが始まる。
 どこか厳かに、かつにぎやかにそれは行われた。
 気付けば外はすでに夜のとばりが降りようとしている。
 夕焼けを暗闇が包み始める、そんな時間帯だった。
 田舎という場所の所為なのか蝉が都会よりも耳に響く。
 まるで自然のオーケストラとでも言う様に。
「夢姫ちゃん、楽しいかい?」
 千李が黙々と食事する華月に話しかける。
 過剰なほどのにこやかさで千李は華月に微笑みかけた。
 華月にしてみれば不思議な男ではある。
 だが敵ではないという理由から捨ておいていた。
「私、こういうの・・・よく解んない」
「そうかぁ〜。じゃあ俺と一緒に寝室の方にでもいかない?」
「まだ眠くない」
「ん〜そうじゃなくて・・・ま、いいか。
 君の顔を見てるだけで良しとしよう」
 それは千李にしてみれば極上の殺し文句だ。
 しかし華月はそれに動じもしない。
 ただ受け流す様に言った。
「ありがとう」
 彼女はその言葉の本来の意味などは考えていない。
 使うべきタイミングを知っているだけだ。
 豪華絢爛な辺りの雰囲気に流されもせずに、
 華月は近くのテーブルにある食事に手を伸ばす。
 必要である行動だから取っているかの様に。
 だが千李もそう簡単には諦めない。
「夢姫ちゃんはさ、この間あのビルで何してたの?」
「秘密」
「・・・じゃあここへは何しに来たの」
「それも秘密」
 明らかに不自然な受け答えではあった。
 それでも華月は気に留めもしない。
 要は冥典を探しているという事がバレなければいいのだ。
 そう華月は考える。
 そしてパーティーが一段落した頃、
 辺りが妙にざわつきはじめた。
 雲行きが怪しくなってきたせいだ。
 廊下へと出てくるレイノスとシュリア。
「レイノス様、明日は雨が降るかも知れませんね」
「そうだね・・・」
 そんな会話をかわす二人。
 決してシュリアはレイノスには触れない。
 彼女は長年仕えているメイド。
 だからレイノスの気に障る事は決してしなかった。
 それに、彼女は知っている。
 もしも彼に触れたのなら・・・。
「レイノスちゃ〜ん」
 軽い声とともに廊下へと女性が出てきた。
 少し露出の強い服装をした20代後半の女性だ。
 彼女はセパード・グループの投資によって、
 新しく事業を展開している。
 名前を小矢戸美野里(こやとみのり)と言った。
「あ、美野里さん。事業の方、上手くいってる様ですね」
「あなたのおかげよ、もうホント愛してる〜」
 そう言って美野里はレイノスに抱きついた。
 親しい間柄ではないので、
 美野里はレイノスをよく知らない。
 自分の才能に投資してくれた少年。
 そんな認識だった。
「僕に触るな・・・」
「え?」
 恐ろしく低い声が美野里の耳に入る。
 それは身の毛のよだつ、と言う様な声質だった。
「僕に触ったら・・・殺す」
「な、何を言ってるのよ」
 急にレイノスの目つきが変わる。
 まるで美野里の事を、仇敵を見る様に睨んでいた。
 レイノスは額のバンドをゆっくりと外す。
 するとそこには奇妙な刻印が刻まれていた。
「それ、なによ」
「これから醜く死に絶える貴方には、
 説明する必要もありません」
「なっ・・・」
 さすがに美野里はその言葉に恐怖と怒りを感じた。
 だがそれも僅かな瞬間に過ぎない。
 すぐさま、彼女は自分の身体が膨らんでいる事に気付いた。
「こ、これはっ・・・な、なんなのっ?」
「仕方ないな、説明しましょう。
 この能力を僕はコーラル・フラワーと呼んでます。
 なぜなら貴方の様に身体が膨らんでいき・・・」
 美しいプロポーションが見る影もなく消えていく。
 代わりに空気を入れた様に膨らんだ身体がそこにはあった。
 それは際限なく膨らんでいき、
 肉体のキャパシティーを超える。
「いっ、いや・・・なんなのよぉっ!?」

    パァアアンッ!

「最後に身体が弾けて死ぬ。
 ふぅ、やっぱり説明しても意味はありませんでしたね」
 女性の物とは思えない断末魔を発した後、
 美野里の身体はポップコーンの様に弾けた。
 臓器が幾つか飛び散って廊下を汚す。
 彼女はまくれ上がった自分の腹部や胸部を見る事もなく、
 あっと言う間に絶命した。
 辺りにはおびただしい量の鮮血が飛び散っている。
 まるで爆発物が体内で爆発した様な状態だった。
 それを一瞥するとレイノスはシュリアに微笑む。
「シュリアさん、ごめんなさい。また汚してしまいました。
 後かたづけ・・・お願いできるかな」
「かしこまりました。お客様が廊下に出られる前に、
 全て元通りにしておきます」
「ありがとう、シュリアさん」
 シュリアはなるべく平静を装って受け答えをする。
 だが何度見てもその光景は彼女を震え上がらせた。
 それでも前よりはマシになっている。
 最初は訓練されたメイドである彼女ですら、
 その場に食べた物を戻してしまったのだから。
 彼女はそんな光景を見る度にレイノスを怖れていた。
(私は・・・こんなにも簡単に人間を殺せる人を他に知らない。
 人を殺した後で、こんなに優しく微笑む事の出来る人も)
 レイノスの冷たい目を見るたびに彼女はぞっとする。
 その後の微笑みを見るたびに安堵する。
 彼女には解っていた。
 このレイノスという少年にとって姉以外は全て他人。
 長く付き合いのある自分でさえも、
 彼に触れたとしたら殺されるだろうと。



 華月はその日、ザールブルグの屋敷に泊まる事になった。
 運良く千李がそれを頼んでくれたのと、
 リフィリアから直に呼ばれていたおかげだ。
 なんの気兼ねもなく華月はリフィリアの部屋に入る。
 そして彼女とシュリアの三人で部屋の椅子に座っていた。
「シュリア、夢姫ちゃんってそんなに私と似てる?」
「そうですね・・・顔の作りは非常に酷似してますが」
「へぇ、そうなんだ。じゃあ姉妹みたいかな」
「いえ・・・どちらかといえば、双子かと」
「そっか。なんかそういうのって良いなぁ・・・」
 リフィリアは微笑みながら華月のいる方向を見る。
 華月はつい先ほどシュリアから、
 彼女の足と目が不自由だという事を聞いていた。
 だが華月は容赦なく疑問を口にする。
「目が見えないってどんな感じ?」
 その瞬間、シュリアが凄い形相で華月を見た。
 でも全くと言っていいほど華月は気にしない。
 当のリフィリアもさほど気にした様子はなかった。
「一言で言うと、当たり前じゃないって感じかな。
 当たり前の事が当たり前じゃないって感じ。
 私にとってはこれが当たり前なんだけどね・・・」
「なんか嫌な感じ」
「・・・夢姫ちゃんって結構物をはっきり言うタイプだね。
 ふふっ・・・私、そういう子って好きだよ」
「ふ〜ん」
 窓からは射す様に月明かりが零れていた。
 それを見た華月はふいに窓辺へと歩いていく。
 すると急に彼女を包んだ明かりは色を潜めた。
「月が・・・雲に隠れちゃった」
 華月は心底残念そうな声でそんな事を言う。
 リフィリアもシュリアも、その関連性のない会話には
 さすがに少しばかりの戸惑いを隠せない。
 だがリフィリアは戸惑いよりも先に笑ってしまっていた。
 恐らく気配からその行動を推測した為だろう。
 実際に見たシュリアよりも、
 それが可笑しい行動に思えたのだ。
「ふっ、ふふふ・・・夢姫ちゃんって、変な子だね」
 椅子へと戻ってくると華月は不思議そうな顔をする。
「私が変? そうなの?」
「うん・・・でも可愛いよ」
「・・・ありがとう」
 雲の切れ間から再び顔を表す月。
 満月ではなく半月。
 だからこそ、その姿はさらに隠れやすい。
 雲の多い夜空。
 どこからか弦楽の調べが聞こえてきそうな月夜。
 雲は薄く青色を帯び、月はその輝かしい色を保つ。
 それらを包むとばりは黒を示す様に佇んでいた。
 まるで月を主軸としてそれ以外は装飾である様に。
 窓から漏れる光がまた元の明度へと変わっていく。

 ――――それは神秘的で、何か新しい夜だった。

第六話へ続く