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黒の陽炎
−2ndSeason−

著作 早坂由紀夫

白楽天.perspective

第七話
「−境界−」


 私達が暮らしている世界の裏側。
 漂う様にして生きている私達とそれの境界。
 確率の上では凄く小さな接点だけれど、
 出会う場合に確率は関係なかったりする。
 いつしかそれが必然だとさえ思ってしまうからだ。
 私達が出している感情の裏側。
 そう、一皮むいてしまえば皆一様に耐え難く醜い。
 人を馬鹿に出来るのは自分にそんな部分があるからだ。
 自分の本質を嘘で塗りたくったから、
 そうしていない者に対して糾弾できる。
 けれど本来はその境界なんて曖昧なものだ。
 だからこそ、時に人は予想外の行動を起こしたりする。
 他人に理解できない自分の為だけの価値観による行動を。



 常に一定幅を超えようとしない知識達。
 知りすぎてしまった者へは目を塞ごうとする。
 不健康。それに理不尽。
 私達は私達の為の勉強をするべきなのに。
 一握りの『必要』はそのまま握り潰されていた。
 だからいつしか私はそれを解こうと乗り出していた。
 けれど東京の人は冷たくて怖い。
 知り合い以外とは口を利いては行けないと、
 ママに言われているに違いないのだ。
 外国や大阪から来る人はそれを不思議に思うらしい。
 当たり前だ。私もそう思う。
 この都市に住む人間は少しずつ蝕まれているのだ。
 消費税の様に、日に日に根本からすり替わっていく。
 それで気付くと自分ごと違う冷たい何かに変わってる。
 まあ、皆けっこうその点でフランクなんだ。
 変わってしまうまでは変わるなんて思わない。
 でも私は違った。
 変えられてしまう前に確立したい。
 誰とも違うパーソナリティを獲得するんだ。
 というわけで夏休みも半ば。
 二年生としての生活が後半に差し掛かる夏。
 多少急がないとそのアヴァンチュールは終わってしまう。
 やるなら今しかなかった。
 コンビニで買い物をしながらこんなコトを考えるのは、
 とりあえず私以外にはまず居ないだろう。
 おお・・・それは個性的。
 辺りの人達は私の事なんて気にも留めてなかった。
 そりゃあ私は芸能人じゃないし。
 注目を浴びないのは当たり前。
 ここはゲゼルシャフト、ゲゼルシャフト。
 それよりも何をしにきたのか。
 私はそれをおさらいしてやろうじゃないか。
 つまりは握りつぶされた知識を得る為だ。
 男女平等の真価を問う意味もある。
 今こそは女性天下の日本だと示してやるんだ。
 いつも通販で買ってばかりじゃ情けなさ過ぎる。
 深夜のコンビニ。幾つかの停まってる原付。
 ついでにジュースを買ってる似非ヤンキー。
 紛れる条件としては申し分ないじゃない。
 目の前に男性は一人。女性が一人。
 全然問題はない。
 後は行動力、瞬発力、積極性。
 手を伸ばすだけ。
 求めるんだ、さすれば得る事は出来る。
 そうやって私は本を手に取った。
 漸く、だ。
 こんな単純動作の為に私は手間取っている。
 幸先が悪すぎた。
 これじゃいつになったらレジへ行けるのだろう。
 なんでこんなコトに精神を削ってるのだろう。
 馬鹿馬鹿しい。
 さっさと買って仕舞えばいい。
 自分の家でゆっくり読めばいいじゃないか。
 わざわざ遠くのコンビニまで来てこのざまは何?
 それとも仮定が必要なの?
 よし、知り合いがこの雑誌に出ている事にしよう。
 ・・・駄目だ。
 私まで同類だと思われかねない。
 彼氏との罰ゲームで、という手もあるわ。
 でも彼氏居ないし・・・それ以前に女性が弱いのは嫌だ。
 勉強の為。
 嗚呼、一番それが矛盾と愚鈍さを物語りそう。
 最善であると考えられる手段は一つあった。
 手前にある女性誌と一緒に買う。
 それによってカムフラージュ効果が生まれる事請け合いだ。
 ただ店員の目は誤魔化せない。
 よりによってレジには男女一人ずつが立っていた。
 しかも両方とも歳が近い。
 下手すると後をひきそうで怖かった。

「あの子、あんな顔してあんな本買ってったぜ・・・」
「しかも女性誌の間に隠す様に入れてんのね。
 マジでウケるんだけど〜」

 勘弁こうむりたい会話。
 私の居ない所でもそんな会話は生まれて欲しくない。
 むしろ度胸がある所をアピールして、
 見える様にこの本を出すっていう手もあった。
 店員の圧力に負けないという意思表示代わりだ。
 でも私にそんなグレートな一面はない。
 最終手段として、盗んでしまうという手もあるなぁ。
 ただもしも捕まったら末代の恥になるのは必至だ。
 私一人の為に末代までの名を汚すわけにはいかない。
 やはり堂々と?
 いや・・・こそこそと?
 解らない。葛藤。苦悩。
 末に私は答えを絞る事にした。
 よし。買おう。
 そこで私は声を聴いた。
「ねぇ、何してるの?」
「・・・ひっ!?」
 喉がつり上がっていきそうな声が出る。
 そんな声が私に出せたのがまず驚きだった。
 私を呼んだ声の主が隣の女性である事も驚きだ。
 なるべく平静なフリをして彼女に答える。
「そんなコトを答える必要が・・・」
「女の人の裸、見ててもつまんないよ?」
 くすくす。くすくす。
 そんな嘲笑の声が聞こえてきそうな気がした。
 その子、多分中学か高校生くらいの子。
 まあどちらでも構わない。
 とにかく私はその子の手を取ると、
 一目散にコンビニを出て走っていった。
 全速力で数百mダッシュ。
 運動部じゃない私にしてみればかなりの運動量だった。
 しばらくすると私は馬鹿馬鹿しくなって走るのを止める。
 走った意味が解らなくなったのが一つ。
 なぜ彼女を連れてきたのかが二つ目。
 その少女はつぶらな瞳で私を見つめていた。
 どこか子供を連想させる様な瞳。
 でも容貌はどう見ても10代半ばだ。
 不思議な子・・・。
 私と同い年くらいに見えるのに、
 凄く子供の様にも感じる。
 まだ一言二言しか話してないのに私はそう思っていた。
 とかくそれほど感想の付けやすい少女なのだろう。
 その容貌と相まって素敵な女の子に見えるし。
 多分、私とは比べるだけ惨めだからやめておいた。
 無論ながら私が惨めになるのだろうが。
「あ〜あ。御飯食べようと思ってたのに。
 それにその本勝手に持って来ちゃったね。
 駄目なんだよ、お店のもの勝手に持って来ちゃ」
「・・・ホントだ。何時の間に持ってきたんだろ」
 選択肢の一つとして窃盗は考慮していた。
 けれど私が一番やらないであろうという選択肢でもあった。
 罪悪感が少しある。
 かといって戻って返すわけにもいかない。
 今夜は冴え渡る十六夜の月。
 少し経つとそれを眺める余裕さえ生まれて来ていた。
 この本の事は思わぬ天慮があったと思う事にしよう。
 私達は近くの公園へと向かうとそこのベンチへと座った。
 そう・・・どれくらい座っていたのだろう。
「ねぇ、何か話してくれないとつまんない」
 娯楽を私に望まれても困るなぁ・・・。
 日本人が映画で小さな奇跡しか起こせないのと同じ。
 私が面白い事を言うのは無理なのだ。
 そんな時。
 彼女が急にベンチから立ちあがる。
 同時に前方の暗がりから足音がした。
 何かが歩いてくる。
 人・・・それは当たり前だ。
 けれど自然と鳥肌が立ってしまう。
 それは黒いローブで身を包んだ男の人だった。
 右目には黒い眼帯をしている。
 男性は歩きながらその眼帯を外した。
 私達に何か用なのだろうか・・・。
 それとも不審者?
 彼は明らかに私達へと目線を向けると、
 当たり前の事だが・・・唇を動かして喋り始めた。
「警告は済んでいたな。もう、お前に生きる道はない」
「ふ〜ん。私を殺す気なんだ」
 華月が彼に対してそう答える。
 お互いにはっきりと物凄い事を言っていた。
 なんか殺すとか、生かさないとか。
「あなた達一体・・・」
 次の瞬間に二人の姿がお互いめがけて走り出す。
 彼女の手から何かが見えた。
 長細い・・・棒?
 今までそんな物手に持ってなかったのに、どうして?
 生み出したとでもいうのだろうか。
 それはそのまま男性の右肩から左脇にかけて、
 なんの迷いもない太刀筋で振り下ろされる。
 だけど目の前には異常な光景があった。
 確かに彼女は男性にそれを振り下ろしてるはず。
 でもまるですり抜けた様にさえ見えた。
 質のいい殺陣でも見せられた様に感じてしまう。
 そして男は彼女が振り返る前に先に彼女へと振り返った。
「これが神の裁定だ」
 直後、何故か巨大な光が二人を包んだ。
 あまりの光の強さに私は少しの間目を閉じてしまう。
 すると目を開けた時に女の子は私の側で膝をついていた。
 頭から血を流し、右の腕はぶらんと垂れ下がっている。
 衣服もぼろぼろになって肌が露出されていた。
 それはあまりにも艶やかだったが、
 先に痛々しい血と傷痕が目に入る。
 右腕の方は肉が見えるほどの酷い怪我だった。
「痛い、なぁ・・・絶対許さない」
 私は彼女にかける言葉が見あたらない。
 近づく事さえもはばかられた。
 そんな彼女へとゆっくり男が近寄る。
 それは何処か斬首人の様に私の目に映った。
 何故か解らないけど、このままだと彼女は殺される。
 止めなきゃ・・・。
 けど私に何が出来る?
 程なくして男の目が光った時だった。

「駄目っ・・・!」

 私はきっと愚かな人間だと思う。
 見ず知らずの女の子。
 彼女の為に可愛い自分の身を投げ出そうというのだから。
 反射的なものだった。
 頭が損得勘定を始めるより先に身体が動いていた。
 女の子の前に立って両手を広げる。
 出来るだけその女の子が傷つかない様に。
 すると目の前が光って、唐突に激しい痛みが襲った。
 感覚があっと言う間に朦朧としていく。
 解ったのは私がその場で倒れてしまったと言う事だ。
「なんだと・・・!?」
「具現した力が効かないなら・・・これならどうかな」
 女の子の左腕が真っ直ぐに伸びる。
 手の先からはナイフの様な物が飛んでいた。
 風切り音がしてそれは真っ直ぐに男へ向かっていく。
「ぐっ・・・!」
「利き腕じゃないから失敗しちゃった」
 どうやら彼の右肩口辺りにそれは刺さったらしい。
 うめき声を上げると、男は刺さったナイフを抜いた。
「ちっ、油断した・・・」
 彼女を殺す予定を見送ったのだろうか。
 男性はゆっくりと何処かへと去っていく。
 その代償と言うべきか・・・私の身体は凄く冷たかった。
 地面にキスしているというのもある。
 けど血が流れすぎたというのが一番大きな要因だった。
 手の平を見てみると赤い色で塗りたくられてる。
 質が悪い冗談の様な色。
 ベトベトして地面の砂や小石がくっついていた。
「はぁ、疲れたし痛いなぁ。まあいいや。
 じゃあね、女の人。さっきはありがとう」
「え・・・ちょ、ちょっ・・・ゴフッ・・・!」
 声と共に口から大量の血が流れていく。
 女の子はもう私に目もくれず歩こうとしていた。
 これって助け損じゃないか。
 普通なら救急車を呼ぶなりしてくれるはずだ。
 それなのに・・・。
 私は助けた子に見捨てられて、死ぬの?
 悔しくて涙が出そうになる。
 目の前はもう認識できないほどに暗かった。
 ああ・・・こんな馬鹿な死に方するなんて・・・。
 そんな時、浮浪者らしき男性が
 私を見下ろしてるのが見えた。
 まさか死姦・・・って、死ぬ前にそんな事考えるのは嫌・・・。

「華月さん、この人放っていくんですかい?」
「うん。お礼は言ったよ」
「・・・このままじゃ死にますぜ。
 体組織の損傷が著しい。出血もおびただしい」
「へぇ・・・それは可哀相。じゃ、私もう行くね」
「まだお互いに得する方法があるんですが・・・」
「なにそれ?」

 薄れる意識の向こう。
 不思議な事に私は快感という物を感じていた。
 それも甘美で下世話な快感。
 体中が痺れて動けなくなるほどの快感。
 死ぬっていう事はこんなに心地良い事なのだろうか?
 これだったら・・・死ぬのも悪くないなぁ・・・。

第八話へ続く