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黒の陽炎
−2ndSeason−

著作 早坂由紀夫

白楽天.perspective

第八話
「Day under the midnight sun」


 さて。
 しばらくして私は幾つか考え事をする必要があった。
 何故、私はエッチな本を音読しているのか。
 それはさっき持ってきてしまった本ではなかった。
 私の家にあるエッチな小説だ。
 別に特定のそういったフィリア系なワケではない。
 ごくごくノーマルなセクシュアル。
 声に出して淫語を読む事で、
 性欲を増幅させたいわけでもなかった。
 次に。
 これが前述した疑問に対する一つの答えではある。
 ただ全てに対する答えにはなっていない。
「ねーねー、次読んで」
「は、はいはい」
 さっき出会ったばかりの彼女が何故か私の部屋にいた。
 公園で少しお話しした程度の女の子。
 私が招いたのだろうか。
 そりゃあそうじゃなきゃおかしい。
 だってココは私の部屋なワケで、彼女の部屋ではない。
 自己紹介はさっきした。
 彼女の名前は華月夢姫ちゃん。
 私もちゃんと名乗った。
 汐原ゆみな、と。
 度の強い眼鏡をかけているちょっとオシャマな女の子。
 ついでに言うと口元の小さいホクロ、
 それは弱点じゃなくてチャーム・ポイント。
 まあ、それは素面では言えないけど。
「ええと・・・そんな所に触っちゃ駄目っ。
 へっへ〜、ここはもうバツグンに濡れそぼってるぜ!
 良平は真子の・・・ごめん、言えない」
「じゃあ私が読む。えっと・・・」
 私の持っている本が引ったくられる。
 彼女はそれを読もうとしてるみたいだけど、
 その幼い言動が普通よりもそれを官能的に見せていた。
「・・・読めない」
 どうやら彼女は陰核という字が読めないらしい。
 私はなんだか馬鹿らしくなってベッドに寝転がった。
 すると一緒になって華月さんも隣に転がってくる。
 ふむ・・・もう一度彼女がここに居る理由を考えようか?

「あなたはこの子をしばらく家に住ませなければいけない。
 そしてこの記憶はタンスの引き出しの、
 奥の方にでも仕舞って置いておくんなさいな」

 なんだろう。
 微妙に思い出せそうで思い出せない。
 タンスの奥にある服が上下に引っかかってる感じだ。
 華月さんは当然の様に私の隣でぱたぱたしてる。
 という事は・・・私はすでに納得してるんだろうか。
 何しろ新鮮な状況が好きだったりする。
 新しい、という言葉に弱かったりする。
 つまり私は華月さんが居ても嫌じゃないわけだ。
 ・・・なら一応は問題が一つ解決する。
 現状維持に異存無し、と。
 後は原因解明だけはしたいという欲求だ。
 自分が知らない以上華月さんに聴くのが筋だろう。
 だが彼女に聴いても解らない気もした。
「華月さん、どうしてあなたはここに・・・」
「違う」
「え?」
「華月さんじゃなくて夢姫が良い」
「・・・はぁ」
 思わず生返事を返す。
 名字ではなく下の名前で呼べと言う事か。
 原因の解明は出来そうになかった。
 彼女は如月紅音と同じくらいに不思議な子だ。
 偶然。
 本当に偶然の出会いではある。
 私が夏休み中に家に帰ってきていたから。
 寮を出て趣味の色本集めをしていたから出会った。
 ふと隣を見ると私の方を見つめる夢姫の姿が目に入る。
「ゆみなって落ち着いた人だね」
「・・・良く言われる」
 さっきからペースを乱されてはいた。
 だが私はよく人から冷静な性格と言われる。
 眼鏡のせいか、或いは本当に冷静なのか。
 まあどちらにせよ言われて悪い気はしなかった。



 次の日。
 大事な夏休みの一日。
 夢姫は私と一緒に昼食を食べている。
 私のお母さんとお父さんは共働きなので外食だ。
 一人っ子なので外食は慣れている。
 少し寂れた感じの定食屋で私達は適当なメニューを頼んだ。
 『焼き魚ほんのり醤油定食』を待つ私達。
 その間、暇なので私は夢姫と話をしようとする。
 いつもなら電撃文庫でも読んでいるのだが、
 人と来ていて本を読むのはさすがに無礼だ。
「夢姫はどこから来たの?」
 考えてみればそれは最初に聴くべき質問の様な気がする。
 だが何故か私はそれを一度も聞いては居なかった。
 彼女は私の質問を不思議そうに聞いている。
 軽く欠伸をしながら。
 退屈なのだろうか?
 ちょっと酷いなぁ・・・。
 少しして夢姫の唇が開いた。
「知らない」
「は・・・?」
 考えた末の答えがコレなのだろうか。
 まともじゃないとは解ってたけど、
 仮にも私の家に棲んでる子なのだ。
 どこに両親がいるかとか聞く権利はある。
 あまりにも陳腐なその嘘にちょっと頭に来た。
 嘘というものは時と場合には許される。
 ただ、今は駄目な時だ。
「じゃあ両親は何処にいるの?」
 聞く質問がさっきとあまり変わってない気はする。
 けど私だって簡単に引き下がるわけにはいかないのだ。
 もしも何か悪い事をして逃げてるとかなら、
 これ以上家に置いておくわけには行かない。
 そう、私は可愛い子に飢えたオトコノコでは無いのだ。
 危険があるのだとすれば、好きこのんで
 女の子を自分の部屋に住まわせたくはない。
 彼女は少し考え込んでいる様だった。
「お父さんとお母さんの事は知らない」
「知らないって・・・どういう事?」
「うん。どんな顔だったか、どんな性格だったのか。
 そういうの何も覚えてない」
「な、何それ・・・」
 幾ら何でも嘘をつくにはシュールすぎる。
 何より彼女の表情からは悲しみの欠片も見えなかった。
 嘘をついているのだろうか。
 それとも・・・。
「私がそれを覚えていちゃいけないんだって。
 でも、きっとお母さん達の事は悪魔の王様が知ってるよ」
「悪魔の王様?」
「そう。ルシファーって人。人じゃないけど」
 確かに私はミッション系の学園に通っている。
 周りには天使や悪魔を信じてる人も居た。
 でも私は間違ってもそんなサイコ系じゃない。
 むしろそれらを強く否定するタイプだった。
 おかげで一瞬覚えた彼女への同情が音を立てずに崩れる。
 逆に違う意味での同情は生まれていた。
 きっと彼女は精神障害者なのだ。
 それも凄く重度の。
 記憶が散漫にはなっているけど、
 私はそれに同情したに違いない。



 その定食屋さんで私達は本当に奇妙な会話をしていた。
 彼女は実に奇妙な性格をしてる。
 その所為か思いのほか時間は早く過ぎ去った。
 気付くとすでに辺りは仄かに薄暗い。
 遠くの空に雲と太陽が鈍く光を集めていた。
 まだ何処にも行ってないのに、一日が終わりそう。
「夢姫、本屋さんに行っても良い?」
「うん」
 今月の新刊をまだ買っていなかった。
 私達は商店街の端にある本屋へと歩き出す。
 やはり地元というだけあって勝手に足が進んでいた。
 こういう時に自分の足と脳が不思議に思えて仕方ない。
 意識したりすると道を間違えたりしてしまうから。
 自然の行動というのは意識すると不自然になるのだ。
 うん、人間って不思議な生き物だ。
 いつもそんな風に考え事をする私が不思議なのだろうか?
 おお・・・それこそが個性。
「ゆみな」
「・・・どうしたの?」
 急に夢姫が私の名前を呼んでくる。
「本とか詳しい?」
「ええ、まあ・・・そこそこにね」
 珍しく彼女が私に何かを聞いてきた気がした。
 彼女はふ〜ん、と肯きながら私に尋ねてくる。
「冥典って知ってる?」
「めい・・・何それ」
「知らない?」
「知らないよ」
「そう」
 あっと言う間に私への質問タイムは終わった。
 でも私の方に疑問が残る。
 冥典ってなんだろう。辞典?
 彼女の言う事だから気にする必要はないかも知れない。
 それに多分聞いたとしても、
 また知らないと言われてお終いだ。
 ただ、彼女が興味深い存在だと言うのは確かだと思う。
 隣にいるのに存在が希薄に見えた。
 それでいて存在感というか・・・個性は強い。
 不思議な女の子だ。
 まあ不思議系の女の子だとも言える。
 私達はそうやって書店へと歩いていった。



 家に帰ってきてしばらくすると私は風呂を使おうと考える。
 私の家は大きくはないので、
 二人入ってしまうと結構狭かった。
「夢姫、先に身体洗って良いよ」
「私はお風呂に入りたい」
 勝手に夢姫は風呂へと入ってしまう。
 私が先に入ろうと思ってたのに。
 仕方なく私は身体を洗い始めた。
 風呂の大きさの問題で、順番に入る必要があるからだ。
 だが・・・何故、私と夢姫は一緒に入ってるのだろう。
 不思議でならなかった。
 一緒が良い。そう言われたんだっけ。
 そうやって彼女にお願いされると断れなかった。
 夢姫のわがままぶりに辟易としながらも、
 何故か私はそれを容認してしまう。
 恐らく彼女が可愛いからだ。
 可愛い子が寂しそうな目で言う事には誰も逆らえない。
 私は結局、彼女のペースに乗せられてるって事だろうな。
 でも・・・それも悪くない気がした。
 少なくとも、今の内は。
 それにしても夢姫は美しい肢体をしていた。
 胸が大きいとかじゃないけれど、すらっとしてる。
 後ろから胸でも揉みほぐしてやろうか・・・。
「腕が赤くなってるよ」
「え?」
 夢姫にそう言われて自分の二の腕を見てみた。
 一ヶ所ばかり洗ってたものだから、確かに赤くなってる。
 ・・・なんか私、ペース狂わされてるみたいだ。



 風呂から上がると私達は黙ってベッドへと入っていく。
 この生活のリズムを繰り返していると、
 ダメ人間への一歩を歩き出しそうだった。
 幾ら夏休みと言えど何かやる事を見つけないとなぁ。
 そうだ。紅音に電話してみよう。
 遊び相手を見つけるだけでも違うはずだ。
 友達は何人かいるが、あの子が一番電話しやすい。
 今一番仲の良い友達でもあった。
 携帯を片手に持って通話ボタンを押す。
 4コール目で彼女は電話に出た。
「もしもし」
「ふゅ〜・・・おはよう?」
 何故に疑問形なのだろう。
 それに今は夜。おはようは適切な挨拶じゃなかった。
 ・・・寝起きなのかな。
 紅音への興味は尽きないが、
 気にしても仕方ない事ばかりではあった。
「私だけど、明日とか暇ある?」
「ん〜っとぉ・・・明日・・・明日は・・・うん、暇だよ」
「そっか。じゃあお互いの家の中間にある、
 平沢の駅に待ち合わせしましょ」
「うんっ。わぁ〜楽しみだなぁ〜」
 それがあまり楽しそうに聞こえないのは、
 彼女が抑揚のない声で喋るからだろう。
 その後しばらく雑談すると電話を切る。
 夢姫はとっくにベッドで横になっていた。
 人のベッドでここまで早く寝れるのも凄い特技だと思う。
 けれどそれは私のベッド以外で試して欲しかった。
 ベッドに入ると思いのほか狭い。
 こんな窮屈な思いまでして、
 何故私は彼女を置いてるのか?
 答えは出なかった。
 ただ一つ、新しい解が私の脳裏に浮かぶ。
「これも何かの縁・・・」



 これは夢じゃない。
 記憶の片隅にある事実だ。
 言うなれば虚構に近い真実だろうか。
 形容するなら、それは夢と取る事も出来た。
 けれどその言葉が内包する意味とは、
 あまりに事象がかけ離れている。
 遠くに青白い何かが淡く輝いていた。
 壁の向こう。
 見てはいけない、触れてはいけないもの。
 でもこれ自体は私の記憶にはなかった。
 そう、この記憶は彼女のもの。
 リンクした時にお互いに残留した思念の一部。
 今となっては彼女自身記憶していない思い出の一つ。
 二度と私にも、彼女にも還らない。
 それで良いのだ。
 今更それが何かをもたらす事はないし、
 彼女は生きる目的をしっかりと持っている。
 充実しているのだ。
 ふと、私の瞳から涙が零れていく。
 イメージの上で。柔らかい毛布の様な涙。
 誰にも理由の解らない涙が私の頬を伝っていた。
 目が覚めたら私は謝らなきゃ。
 そして彼女をアツク抱きしめてあげなくちゃ。
 ・・・でもきっと目を覚ませば忘れている。
 忘れる?
 違う。それは正確じゃない。
 正確には、元ある場所へと還るのだ。
 私ではなく彼女の記憶なのだから。
 そして彼女の表層には現れない記憶なのだから。
 彼女と私がリンクした時に、
 たまたまそれが重なってしまっただけ。



 ・・・そんな夢を見た。
 全体としては凄く何かを示唆している。
 だが結局それが何を意味するのかは解らなかった。
 『彼女』という存在が誰かも解らない。
 どんな思い出を見たのかも解らない。
 とにかく目を覚ますと私はベッドに寝ていた。
 寝返りを打とうとして誰かと頭をぶつける。
 誰か。問うまでもない。
「夢姫・・・」
「頭、痛い」
「私も痛い」
 ちょっとふてくされてる様だった。
 寝起きは悪いのかもしれない。
 とりあえず私は夢姫に今日の事を聞いてみた。
「今日、私は友達と会うんだけど・・・夢姫も来る?」
「うん」
 無表情にそう返答されたものだから私は困ってしまう。
 どういう意図で彼女はそんな表情をしてるのだろうか?
 もしかしてあまり乗り気ではない?
 でもそれならば性格上、
 彼女が良いと言うはずがなかった。
 う〜ん。
 それに関しては彼女がニルアドミラリなのだと推測する。
 個人的に夢姫と紅音がどんな話をするのか興味深かった。
 だからなのか少し心拍数が上がっている。
 世間一般で言う所のドキドキしてるという奴だ。
 私と夢姫は着替えを済ませると家を出る。
 ちなみに彼女は来た時から毎日服が違った。
 どこから持ってくるかは不明だが、私の服じゃない。
「ねぇ、ゆみな。友達って楽しい?」
「・・・まあこれから会う子は楽しいかもね」
「ふ〜ん」



 暗い路地裏で男女が座り込む格好で何かをしていた。
 辺りに人影は少ない。
 先にインサニティが傷つけられた肩口を、
 イヴが舌を這わせて治療しようとしていた。
「つっ・・・止めろ!」
 インサニティは自分の傷口を舐めるイヴを制止する。
 だがそれのおかげで彼の傷はもう修復し始めていた。
「あの人の命令だ。お前に止める権利はない」
「・・・ちっ、反吐が出る」
 そう言って立ちあがるインサニティに睨むイヴ。
 その瞳は恐ろしいほどの憎悪が込められていた。
「お前が神を冒涜するというなら私は止めない。
 代わりに喜んでお前を処刑してやろう」
 かつての優しさなどは何処にも無い。
 とは言えインサニティが知っているのは、
 初めて会った時の彼女だけだった。
 あれから彼はイヴが哀れで仕方ない。
 あっと言う間にエクスキューターの中で
 一番残虐な存在に変わった女性。
 インサニティが知っているのはイヴという名前だけ。
 だがそれもすでに誰も呼びはしなかった。
 故に彼女にもう名前はない。
 神の意に添わぬ者を狩り、神に抱かれるだけの存在。
 その命令とあれば誰にでも抱かれ、
 神の為ならばどんな事だろうと実行した。
 そのせいか彼を睨むその瞳から哀れさが感じられる。
「お前には捨てられない過去は無いのか?
 大切な人は居なかったの・・・か」
「黙れっ・・・」
 瞬きする速さで、女性が手を
 インサニティの首元に突きつけた。
 それで思わず彼は黙るしかなくなってしまう。
 彼女は凍る様な表情でインサニティを睨みつけていた。
 それなのに何故か泣き出しそうな表情にも見える。
「お前に何が解るっ・・・! 私はあの人だけで良いんだ!
 もう良いんだ・・・思い出さなくて良いんだっ・・・!」
 彼はため息を一つついた。
 イヴの張りつめた表情は何を訪ねる事も許さない。
 一点を見つめ、彼女は虚ろに呟き続けるだけだった。
 結局はインサニティが彼女にしてやれる事などない。
 だから彼は黙っている事にした。
(いつかこの女を解き放つ者が現れる事を・・・祈っていよう)
 そんな思考は彼女の言葉に止められた。
「私が行く」
「・・・なに? なんの事だ」
「お前に任せておいてはあの女の処刑が遅れるばかりだ。
 私が神の代行者として粛正を行う」
 恐ろしく冷たい瞳がその意志の強さを彼に伝える。
 久しくインサニティは背筋が凍る気がした。
「馬鹿な事を言うなっ!
 あれはお前が行く件じゃ・・・」
「黙れと言っただろうっ!」
「・・・・・・」
 インサニティはその強い口調に押されてしまう。
 彼はそれ以上反論した所で無駄だと言う事を理解した。
 無駄だとは解っている。
 だが彼はこれ以上、女性に誰かを殺して欲しくなかった。
 ただ単純に、彼女が狂っていくのが解るからだ。
「ふっ・・・ふふっ・・・今は、何かを壊したい気分なんだよ」
 狂気に染まったその笑顔は見る者を恐怖に陥れる。
 女性は踵を返すとあっと言う間に去っていった。
 どうする事も出来ずにインサニティは後ろの壁にもたれる。
(本当にアレを救える奴がいれば・・・良いけどな)

第九話へ続く