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黒の陽炎
−2ndSeason−

著作 早坂由紀夫

白楽天.perspective

第九話
「Libido And Cure」


 平沢の駅で紅音と合流する。
 そこから彼女に進められるまま都心の方に出てきていた。
 紅音とは久しぶりに会う気がする。
 あっと言う間に仲良くなって、番号を交換して。
 その割にプライベートで会う事は少ないからだろう。
 それに夏休みに入ってからは殆ど会ってなかったし。
「うわぁ〜可愛い人だなぁ〜っ。
 私は如月紅音って言います。あなたは?」
「・・・私、華月夢姫」
「夢姫ちゃんかぁ。あっ、私は紅音で良いよっ」
「くおん」
「ゆめちゃんっ」
 紅音は適応力が異常に早かった。
 私の10倍くらい早く夢姫と仲良くなってる。
 羨ましいくらいだった。
 やはり紅音の笑顔が人懐っこいからだと思う。
 あの笑顔にかかったら誰も文句なんて言えないのだ。
 夢姫も紅音のキャラクターには勝てないらしい。
 というか珍しそうに紅音の事を見てた。
「そうだ、夢姫ちゃんに似合う服を探したいなぁっ」
「服・・・」
「良いよねっ。あ、あっちに良い店があるんだ〜」
 紅音が先導する先は路地裏だった。
 なんだかヤバそうな気配がするのは気のせい?
 私の不安を余所に紅音はニコニコ笑いながら歩いていた。
 しばらく奥へと進むとその店を紅音が指差す。
 それはゴスロリを専門に扱うと書いてある店だった。
 聞き覚えはあるのだけどゴスロリって・・・何?
 店頭に並ぶのは、フリフリした様なフワフワした様な・・・。
 私はどうにも感情の伴った顔を作れそうにない。
「紅音、これ・・・」
「可愛いよねぇ〜」
 筆舌に尽くしがたい代物だ。
 メイド服というわけでもない。
 何処かの貴族が着る様なタイプの服が並べられていた。
 店の中に入ると一人の女性が歩いてくる。
 年齢からバイトの女性だと見受けられた。
「あ・・・紅音先輩」
「久しぶりだね、維月ちゃん」
「そうですね。あの人の服を買いに来たんですか?」
 随分親しそうに言葉を交わす二人。
 維月ちゃんと呼ばれた子はあまり笑顔を作らずに応対する。
 どちらかというと笑顔を安売りしないという感じだった。
 でも特に嫌味だとか冷たい感じはしない。
「・・・えと、ごめん。自己紹介を先にするね。
 ここで店員さんをやってる、
 一年生の音古維月(ねこいつき)ちゃん」
 少し驚いてしまった。
 先輩という会話はさっきからあったが、一年生。
 どう考えても紅音の方が年下に見えてしまう。
 とりあえず私の方も自己紹介するコトにした。
「私は汐原ゆみなです」
「はい。紅音先輩と同じ高校ですよね」
「うん」
 長い髪に僅かな表情。
 彼女が夢姫と一緒にいるとなんだか場が凍りそうだ。
 だが夢姫はというとさっきから服を見てる。
 しばらくそのままにしておいて問題無いだろう。
 それに音古さんの方が表情は柔らかかった。
 薄く微笑んでる、という感じだと思う。
「高天原先輩に合う服、見立てましょうか?」
「えっと・・・今日は違うんだ」
「そういえば高天原先輩が居ませんね。
 あの人以外とここへ買い物に来るなんて珍しいです」
「・・・そう、かな。一人では良く来てるでしょ」
「まあ、そうですね」
 高天原先輩というと・・・やはりあの高天原さんだろうか。
 確かに彼女は紅音と仲が良いというのを聞いた事がある。
 実際、私も数回だけだけど見た事があった。
「私はあの人が来ない方が良いですけど」
「え? 維月ちゃんって凪ちゃんの事好きじゃなかったの?」
「まあ・・・あまり好きではないです。
 何処か胡散臭いというか、裏表がありそうというか」
 なるほど。
 言われてみればそうかもしれない。
 影で男に貢がせたりとか・・・あれだけ可愛ければ可能だ。
 まあ可能だと言うだけで、そんな人には全然見えない。
 でも音古さんがそう言うと紅音の表情が変わった。
 何処か拗ねた様な、困った様な顔に。
「そっかぁ〜。まあ好きずきだもんね。
 でも私は、私はそれでも・・・凪ちゃんの事・・・」
「はい?」
 音古さんが疑問の声を上げる。
 後の方が小声過ぎて聞き取れなかったのだ。
 私も同じで聞き取れなかった。
 けど・・・珍しいな、紅音がこんな表情するなんて。
 4月頃にエントランスで彼女が泣いて以来だと思う。
 ただあの時同様、私には全く理由は解らなかった。
 すぐに紅音は笑顔に戻る。
 だから、私も音古さんも何も聞けはしなかった。
「そ、そうそうっ。今日は夢姫ちゃんの服を見に来たんだよっ」
「夢姫・・・さんですか?」
「うん。あの子っ」
 その指差す方向には、服を手にとって
 不思議そうな顔をしてる夢姫がいる。
 どうやら鏡を見ながら服との相性を確かめてる様だ。
 するとそこへ紅音が小走りに寄っていく。
「おわぁ〜っ、やっぱり凄く似合うね〜」
「ありがとう」
「どうかな維月ちゃんっ」
「そうですね・・・この方でしたら、
 どちらかというとこういった配色の服の方が・・・」
 着せ替えを楽しむ紅音と音古さん。
 夢姫がオモチャにされてる気もするけど、
 まんざらでも無さそうなので放っておく事にした。
 私は辺りの服に目をやってみる。
 ・・・きっと私が着ても似合わないだろうなぁ。
 試着室で夢姫は黒と赤の大胆な服に着替えていた。
 無表情のせいか、まるで人形の様な美しさを讃えている。
「似合ってるよ夢姫ちゃん」
「ありがとう」
「この服が似合うのは高天原先輩とこの人くらいですね」
 驚きと微笑みの表情を添えて音古さんはそう言った。
 確かにこんな服が似合うのは、珍しい。
 他の人じゃ馬子にも衣装と言われるのがオチだろう。
 ふと、自分がそれを着てる姿を想像してしまった。
 想像の上ではあるけど、あまり似合ってない。
 おかげでほんの少しだけ恥ずかしくなってしまった。



「また来てくださいね」
 そんな音古さんの言葉を聞きながら、
 私達はその店を出る。
 次は何処へ行くかという考えが頭を掠めた。
 けど紅音がすぐに次の店へと歩き始める。
 彼女に任せておけばあまり考える必要は無さそうだった。
 そうやって幾つかの店を回った後、
 昼食を取る為に適当なファーストフード店に入る。
「ゆみなちゃんと学園以外で会うのって初めてだよねぇ〜」
「言われてみればそうかも」
「それが・・・普通なのかなぁ?」
 少し紅音は寂しそうな顔でそんな事を呟いた。
 なんとなくそれは私との事じゃない気がする。
 どちらかというと、紅音と私の関係を
 何かに当てはめている様だった。
 深くは考えない。
 彼女が話したければ話してくれるだろうから。
 逆に話したくないのなら、私が詮索するべきでもない。
「今日、夢姫は楽しかった?」
「うん。けっこう」
 彼女は首を縦に振って肯定を示した。
「でも夢姫ちゃんって不思議な子だよねぇ。
 私も一緒に住んでみたいなぁ〜」
「う・・・ん。そうかもね」
 紅音に不思議だと言われる子がいるとは思わなかった。
 私からすると、どっちも同じくらい不思議なんだけど・・・。
 特に紅音の言葉に反応する様子もなく、
 夢姫はジュースに付いてるストローで遊んでいた。
 子供の様、というより子供そのものに思える。
「なぁ君に会いたいなぁ・・・」
「え?」
 ふいに夢姫の口から聞き慣れない言葉が零れ出た。
 誰かの名前の様だけど、初めて聞く。
「誰それ・・・好きな人?」
 私の質問に夢姫は首を傾げた。
「解らない。でも、なぁ君は大切な人」
「なぁ君?」
 不思議そうに紅音がそう言った。
 多分、紅音はそのニュアンスを疑問に思ったんだと思う。
 明らかに本名じゃなくて、あだ名だ。
「知ってるのっ?」
 飛びつく様な顔で夢姫は紅音を見つめる。
 紅音は苦笑いしながら両手の人差し指同士を合わせた。
「う〜ん。ごめんね、ちょっと解らないかなぁ〜」



 ファーストフード店を出ると私達は適当に歩き始める。
 線路沿いを歩いていくと少しずつ人が疎らになってきた。
 空は少しだけ夕焼けに変わろうとしているだけで、
 まだ昼間であろうとしている。
 カラスの間延びした声だけが辺りの雰囲気を変えていた。
 情緒的、とでも言うのが正しいだろうか。
 薬屋を過ぎアパートを過ぎスナックを過ぎていく。
 そこにアンバランスな人影が歩いてきた。
 真っ黒な服に身を包んだ髪の長い女性。
 女性は顔が見えない様にフードを被っている。
 この季節にしてはあまりに異常な服装だ。
 そのフードの奥からは鋭い瞳がチラッと覗いていた。
 見る者を恐怖に陥れる様な、そんな冷たい瞳。
 訝しんでいると女性は手前の通りを右に逸れていく。
 すぐにその姿を確認する事は出来なくなった。
 身体が震えている事に気付く。
 私は何か・・・得体の知れない恐怖に怯えている。
「ゆみなちゃん、どうしたのっ?」
「大丈夫。ちょっと・・・」
 何かを言いかけて私は言葉を失った。
 今、私は紅音に何を言おうとしたのだろう。
 ちょっと、既視感に襲われたとでも?
 得体の知れない恐怖であるハズなのに・・・それはおかしい。
 知っている気がしていた。
 黒い何かが自分を襲ってくる。
 視界が霧に包まれる様に霞んでいく気がした。
 けど、すぐにそれは払われていく。
 夢姫が私達を置いて前へと走り出したからだ。
「ゆっ・・・夢姫!」
 何故だろう。
 彼女を行かせてはならない。
 そんな予感がしていた。
 隣では紅音がどうすればいいのか困っている。
「えと、えとぉ・・・夢姫ちゃんを追いかけなきゃ」
「私も・・・行かなきゃ」
「え? でもゆみなちゃん、さっきからなんか変だよ?」
「良いの。気にしないで」
「う、うん・・・」
 軽く頭痛がするけれど大したことはなかった。
 ただ意識の何処かで先へ進む事を拒否しようとしている。
 足が、前に、進みたがらない。
 一体どんな感情が渦巻いてるのか解らないけど、
 こんな風に夢姫と別れるのだけは嫌だった。
 何も知らないまま、何も得られないまま。
 そんなのは絶対に嫌だ・・・。
 私は彼女の事、まだ何も知らないっ・・・!
 確かめる様に足を動かす。
 劇的な変化はないものの、確かに足は動き始めていた。
 黒いローブを着た女性と夢姫が入っていった道。
 そこへと私と紅音は走っていく。
「・・・え?」
 素っ頓狂な声を上げてしまった。
 つるり。
 そんな音が聞こえた様な気がする。
 目の前では背中から血を流している夢姫の姿があった。
 何か、見た事がある光景。
 がくっと膝をついて眼前を見据える。
 夢姫の前には黒いローブ姿の女性がいた。
「か弱いな。闘いというものを知らなさすぎる」
「ずるいよ、後ろから斬りつけるなんて」
「ふん。殺し合いに感情などはない」
 フードから覗く口元をつり上げる女性。
 地面には夢姫のモノと思われる鮮血が飛び散っている。
 隣の紅音は当然と言うべきか動揺して固まっていた。
 女性は右手を軽く前へと伸ばす。
 するとその右手の平から、
 ゆっくりと黒いモノが出現し始めた。
 揺らめきながら少しずつ形を為していく。
 日本刀の様な形状をしたそれは、
 彼女の手にすっぽりと収まった。
 抜き身の刀身からはおぞましい黒が滲む様に光っている。
 その黒い刀を女性は風を切る様に振り上げた。
 夢姫は立ちあがろうとするが足に力が入っていない。
 私は無から生まれた刀など、どうでもよかった。
 そんな不可思議な現象よりも、
 目の前で倒れている夢姫が気がかりで仕方ない。
 走って側に駆け寄りたかった。
 だが女性の放つ殺気が私をそれ以上前へ進ませない。
「あぐっ・・・身体が動かないし、痛い」
「お前を神の名において裁く。
 恨むのならば、その愚かな探求心を恨むのだな」
「私は、まだ死なないよ」
「・・・試してみるか」
 あまりにもそれはあっと言う間の出来事だった。
 そう、目を瞑っていればすぐに終わってしまうほどに。
 音なんて殆どしない。
 刀の風切音も大して聞こえない。
 すり抜ける様に女性の持つ刀が向きを変え、
 突き刺す様にして夢姫の身体を通り過ぎた。
 腹部の少し上、鳩尾の辺りから背中へと突き抜ける。
 刀の色は赤黒く変わっていた。
 時が止まった様にその光景が頭の中に焼き付いていく。
 夢姫の身体から吹き出す様に鮮血が飛び散った。
 彼女を貫いた刀の刃先から赤い雫がぽたぽたと零れる。
「いや・・・いやぁあぁああぁっ!」
 思わず私は身体の底から絞り出した様な声を出していた。
 黒い刀がそっと彼女の身体から離れる。
 恐ろしさを含んだ赤が全てを塗りつぶしていった。
 何もしなければ体中の力が抜けてしまう気がする。
 だから私は膝をつくより先に夢姫の側へと駆け寄っていた。
 倒れるのと抱きしめるのは、ほぼ同時。
 服が赤く染まるのも気にせずに私は夢姫を抱きしめた。
 女性は無言で私達の事を見ている。
 何かをしてくる気配はなかった。
 軽く吐血すると夢姫は朧気な瞳で私を見る。
「大丈夫だよ。なんで、泣いてる・・・の?」
「え?」
 いつの間にか私は涙を流していたみたいだった。
 眼鏡と、手に付いた血の所為でそれを拭く事も出来ない。
 大丈夫なんてホントに凄い事が言えるものだ。
 彼女の身体が負った傷は明らかな致命傷。
 素人の私が見たって助かりそうにない事はすぐ解った。
 程なくして夢姫の瞳が閉じていく。
「ゆめっ! しっかりして!」
 ふいに夢姫を刺した女性が私達を睨みつけてきた。
 何かをするつもり?
 幾ら悔しくたって私は闘う力なんて無い。
 だから女性がその気なら、
 私が殺されるのは目に見えていた。
 でもその時に紅音が私達の所に走ってくる。
「救急車呼ぶからね、ちょっと待っててっ」

  その女性の表情が、瞬間的に動揺の色を見せた。

「お前は・・・く、おん・・・?」
 ・・・紅音の事を知っている?
 女性は見る見るうちに表情を怯えへと変えていた。
 何かに急かされる様に女性は後ずさる。
 飛び去る様にして女性はその姿を消してしまった。
 そうやって彼女が去った後に残されたのは、
 血だらけの夢姫と、私と、紅音だった。



 どういう経緯でそうなったのかは解らない。
 唐突に私の意識は途切れていた。
 紅音がどうなったのか、夢姫がどうなったのか。
 気付くと私は何処かの部屋に寝かされていた。
 暗くて何があるのかはよく解らない。
 自分の姿さえも不確かだけど、裸だという事は解った。
 近くに誰かの呼吸を感じる。
 辺りを見回してみた。
 すると右隣に腹部を応急処置された状態で夢姫が寝ている。
 彼女も同じく裸だった。
 一体、何がどうなったのだろうか。
 思考が上手く働かないけど、
 何故か・・・何をすべきかは解っていた。
「そう。生命線の一部を共有したあなた達は、
 リビドーによる性治療が一番有効なんですよ」
 私達が寝てるベッドの隣に男性が立っている。
 何処かで見た事のあるそのホームレス風の男性は、
 訳知り顔で微笑むと部屋から去っていった。
「秘め事を見物する様な野暮はしませんよ」
 男性がいなくなると私は夢姫の方を見つめる。
 いやらしい事をするという認識はなかった。
 必要だからそうせざるをえない。
 彼女を助ける為にしなきゃいけない。
 それに一度、私はこうやって助けて貰ったのだ。
 今更になってそんな大事な事を思い出す。
 いや、あれは意図的に思い出せなかったんだ。
「今度は私の番だね、夢姫」
 唇で腹部を覆っている包帯を剥がしていく。
 包帯に滲んでいる血の味が口の中に広がった。
「んっ・・・」
 限りなく純粋な声。
 夢姫の声には恥じらいも、戸惑いも、何もない。
 ただ起こった状況を説明するかの様な声だった。
 耐え難いほどに痛いのだろう。
 その手は強くベッドのシーツを掴んでいた。
 傷口を舐めたまま、私は左手を伸ばす。
 彼女の女性である部分へと。
「はぁっ・・・はぁ・・・」
 指の腹で優しくそこを撫でる。
 少しずつ彼女の息が荒くなっていた。
 苦しいのか、或いは感じているのかは解らない。
 私は熱に浮かされた様にその部分を弄び続けた。
 彼女は目を覚ましかけている。
 でも私を止めようとはせず、身を任せてくれていた。
 暗がりになれてきたのか夢姫の表情が何となく解る。
 困った様な顔をして口をきゅっと閉じていた。
「っ・・・ん、くっ・・・」
 やはり彼女も声を出す事が恥ずかしいと思うのだろうか。
 当たり前に思えるその事柄が、私は少しおかしかった。
 私はそんな風に愛撫を続けながら、
 唇を腹部より上へと這わせる。
 柔らかな乳房を経由すると乳首を軽く噛んだ。
「ふあぁっ・・・ゆみな、気持ち・・・良いよ」
 多分、彼女はそれがどういう事なのか解っていない。
 純粋に快感を真っ直ぐ捉えただけだ。
 夢姫にかかるとこの行為は、
 どこまでも神聖な儀式に思えてしまう。
 私はそのまま身体を伸ばして彼女の首筋を舐めていた。
 反応を楽しみながら夢姫の下唇にキスをする。
 それから押し入る様に唇を奪った。
「んふ・・・ちゅ、ふぅ・・・」
 ふいに彼女の手が私の下半身へと伸びる。
 キスをしたままなので声は漏れなかった。
 何時の間に敏感な身体になったのだろう。
 両足は夢姫の手を挟む様に押さえ込んでいた。
 それでも彼女の指は艶めかしく動き回る。
「くぅ・・・あはぁっ・・・!」
 あっと言う間に腰から崩れ落ちそうになってしまった。
 甘美な悦楽が身体を駆けめぐっている。
 彼女の指は私の弱点を巧みに刺激し続けた。

     どうして?

 こんなに愛おしいのは、どうして?
「目を覚ました時にはっ・・・んっ・・・私、
 またこの気持ちを忘れてしまうの?」
「そうじゃ、ないよ。薄れるだけ」
「折角、あなたの事を思い出せたのに・・・」
「安心して。もう、忘れないよ。
 ただその気持ちはかりそめ・・・だから薄れるの」
 そうか。そうなんだ。
 これは夢姫の傷を治す為に生まれた感情。
 つかの間の感情なんだ。
 どうしてだか、私はそれで良い様な気がする。
 本当は彼女に特別な感情は持ってなかった。
 ただ、今はそんな不自然な愛情でも必要だから・・・。
「それなら・・・今だけはっ・・・」
「うん。今だけは壊れた歪みに身を浸していられるよ」
「あくっ・・・夢姫、ゆめぇっ」
 それは正しくもなく間違いでもなく幻でもない。
 どこまでも虚構に沈んだ・・・現実だった。
 私達はただ求め合うだけ。
 その先に、また普遍があるのだから。



 声が聞こえる――――――。

「もう傷は癒えましたかい?」
「うん。もう大丈夫」
「次は少し相手の出方に気を付ける事ですな」
「わかった」

 自分でやったのか。
 私はいつの間にか服を着ていた。
 ベッドの前には夢姫と男性が立っている。
 何故か彼女の傷は完治してる様だった。
「さて、また記憶を引き出しに入れて貰いましょうか」
「・・・嫌だ」
「ほう・・・まだ意識が続いてるんですか」
「忘れたくないっ・・・」
「そうですか・・・まあそれも一興。構いませんよ。
 私、お役所仕事って嫌いでしてね」
 ふと自分が眼鏡をかけていない事に気付く。
 その所為で視界がぼやけていた。
 手探りで辺りを探すと枕元に眼鏡はある。
 眼鏡をかけているのに私の視界はぼやけていた。
 どうしてだろうか・・・意識も遠い気がする。
 このままだと眠ってしまう。
 それは嫌だ。
 薄れつつある夢姫への気持ち、少しでも残しておきたい。
 ほんの少しで良い。
 かりそめだって事は解ってる。
 別に彼女が好きだってワケでもない。
 ただ、大切なひとだと言う事を・・・覚えていたかった。
 それすら薄れてしまうのは解っていたのに。
 ゆっくりと瞼が降りていく。
 真っ黒。黒い瞼の裏側が私の視線を塞いだ。
 その内に、私は眠りへと落ちてゆく。
「それじゃ、ゆみなの家に帰ろ」
「私はとりあえず冥典探しを続行しますぜ」
「うん。私も後で行くよ。
 でもその前にゆみなを運ぶの手伝って」



 真実とはこうも脆く儚いモノなのだろうか。

 陽の光が差し込むと思ったら、
 私は自分の部屋のベッドで寝ていた。
 時間帯はどうやら朝の様だ。
 全ての事象は省略されている。
 紅音は一体何処へ行ったのか・・・。
 電話してみると、彼女はちゃんと電話に出た。
 だけど一部の記憶が抜けている。
 昨日は普通に遊んで別れたという事になっていた。
 夢姫が刺された事や黒い女性の事は覚えていない。
 と、そこで私は違和感に気が付いた。
 部屋の中に夢姫が居ない。
「・・・夢姫、どこ!?」
 ベッドの中、クローゼットの中、カーテンの裏。
 自分の部屋を狂った様に探し回るけど彼女の姿はない。
 まさか彼女は出ていってしまった?
 そんな・・・こんな形でっ!
 私は愕然と両膝を床に着いていた。
 人のペースをこれだけ狂わせておいて・・・なんて酷い奴。
 両の拳をぎゅっと握りしめる。
 涙なんてお洒落なモノは出てこなかった。
 代わりに私の中で何かが燻っている。
 彼女はただの友達。
 いや、下手をすれば友達ですらなかったのかも知れない。
 同居していた見ず知らずの女の子だ。
 居なくなったくらいで、どうしてこんなに胸が痛いの?
 私の常識では計りきれない。
 全ての出来事は私の中でオールクリーンになっていた。
 男の人に襲われて、私が死にかけた事。
 それを夢姫が助けてくれた事・・・覚えてる。
 でも何か伴っていない気がした。
 こんな中途半端なままで、彼女は消えてしまった。
 せめて一言くらい・・・言ってくれても良いのに。
 まあ、あの子はそう言う子なのかも知れない。
 酷いコトを平気でしたりするのに、
 なんでか放っておけない子なんだ。
「夢姫・・・」
「なに?」

「え?」

 開いたドアの前に女性が佇んでいる。
 お互いにお互いの目を見つめ合って数十秒。
 目の前の女性が誰かを認識するのにまた数十秒。
 多分、人生に置いて一番情けない顔をしてたと思う。
 半泣きで目と口をぽかんと開けた状態だった。
「ど・・・ど、どうして?」
「今、朝シャンしてきた」
 全く噛み合っていない。
 でも今はそれで充分解る気がした。
 彼女はまだしばらく、この部屋に居る。
「ったくもう・・・驚いて損した」
 どうやら涙は出ていない様だ。
 さすがに夢姫が居なくなったからといって、
 そう簡単に泣いてしまうわけにはいかない。
 なぜなら私達は知り合って数日しか経ってないのだ。
「ゆみなって、結構面白い人なんだね」
「はは・・・それはきっと、夢姫と一緒にいる所為よ」

第十話へ続く