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黒の陽炎
−2ndSeason−

著作 早坂由紀夫

色彩の無い筺庭
−Guia do Pecador−


第十四話
「纏う虚飾の羽衣」


***

 ラファエルは相変わらず凪を見守っていた。
 それはもはや仕事ではない。
 いわゆる有給休暇という奴だった。
 勿論、天使にそんなモノがあるはずはない。
 ミカエルに手を回してもらい、
 処分という形で現象世界に降りたっているのだ。
 天使の力を使う事を禁じられた上で。
 彼にとってそこはガブリエルの近くにいる気がした。
 なぜならそこは同じ現象世界なのだから。
 よくラファエルは学園の屋上でぼけ〜っと寝ころんでいる。
 時折その場を凪に見られる事もあったが、
 意外な事に一番多く来るのは黒澤だった。
「君と過ごす時間が多くなると言うのも特異ですね」
「う〜ん・・・僕も同感かなぁ」
「恐らく天使でそう言えるのは君だけですよ、ラファエル。
 いや、ここでは吉岡君と呼んだ方が良いですか」
 吉岡聖(よしおかひじり)というのが、
 ラファエルの借りている人間の名前だ。
 元は暗い少年で自殺しようとした経験もある。
 そのせいか殆どの時間をラファエルに渡していた。
 病的ではあるが今は仕方ない。
 そう考えてラファエルはそれに納得していた。
「現象世界の空って・・・いつのまにか汚くなった気がする」
「ふむ。まあ人間には解らないでしょうがね。
 ・・・所で吉岡君、君の幸せとは何ですか?」
「幸せ?」
「そうです。あなたが望む幸せとは何です?」
「いきなり言われても困るなぁ・・・。
 皆が幸せだったら、僕も幸せかな」
「ふっ・・・」
 黒澤は思わず笑みを零してしまう。
 その答えが凪の返答とほぼ同じだったからだ。
 しかもラファエルは天使。
 過去に黒澤、つまり悪魔と殺し合いをしている。
 そんな相手と相対してその様な返答が出来るのだ。
 つくづく黒澤はラファエルという天使が特異だと感じる。
「もし君は天使と悪魔の闘いが始まったらどうするんです?
 その時、あなたは悪魔を敵に闘うのでしょう?」
「・・・そうかもしれない。でも、出来れば防ぎたいな。
 悪魔というだけで悪魔が淘汰されるなんて良くないよ」
 淘汰。
 その言葉には天使が勝つという前提が含まれている。
 黒澤はラファエルという天使の
 純粋さを垣間見た気がした。
 彼が純粋であるが故に無意識の偽善が存在する。
 と、そこで昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
 すぐに黒澤は立ちあがる。
「有意義な時間でしたよ。君も午後の授業には出る様に」
「は〜い」
 黒澤はいつからか悪魔と人間の境が不安定になっていた。
 それほどに長い間、一人の人間と契約している。
 だがガブリエルの事を忘れた事はなかった。
 何よりも気高く美しいシンボリック・エンジェル。
 その姿を忘れた事はない。
 その瞳を、その歌声を。
 哀れな悪魔はその時から一人の天使に囚われてしまった。

  
「悪魔と天使に境があるとしたら、
   それは神が定めた正義と悪の分類においてだけよ」

 その言葉が彼にどれだけの意味を持って響いただろう。
 どれだけのコトを考えさせたのだろう。
 夢の終わりを知っていた彼を新しい場所へと連れてきた。
(貴方は今、どこで何をしているんです?)
 黒澤はラファエルが汚いと評した空を眺めてみる。
 この空の何処かに彼女はいるのか。
 或いはどこからも失われてしまったのか。
(どちらにせよ、ミカエル・・・彼が鍵のようですが・・・)
 そこで狡猾な男は考える。
 自分にはまだ駒と言える物が存在しない。
 それでミカエルが何かを話すなど、
 都合がよすぎるという物だ。
 ならば。
「・・・ならば、彼が交渉を持ちかける様にすればいい」
 すでに黒澤はミカエルが何を求めているのかは知っていた。
 先にそれを黒澤が手に入れれば、
 ミカエルは必ずコンタクトを取ってくる。
 そして、驚くべき事に黒澤は
 それの在処にも検討をつけていた。
 決してロフォケイルが彼に劣っているわけではない。
 黒澤が現象世界を知り尽くしているだけの事だ。
(だがあそこはそう簡単に侵入出来る場所ではない。
 仕方ない。彼女を利用するとしますか・・・)



 黒澤が去った後でラファエルはふと物思いに耽る。
 それはガブリエルとの遠い記憶だった。
 ラファエルは彼女と恋愛関係にあったわけではない。
 特に天使という種に置いては、
 そういった関係はあやふやだ。
 許されていないわけではない。
 ただ、処女性を重要視するが故に人間より慎重なのだ。
 だから天使はそういった感情とは遠くに位置している。

***

 思い起こす景色と言えばエウロパ宮殿前の丘の事。
「ら〜ふぁっ」
 背から彼を呼ぶのはガブリエル。
 その勢いでラファエルの背中に抱きつく。
 緩やかな丘を二人して転がっていった。
「い、痛いよがーちゃん」
「良いんだよ。あんたは落ち込むと、
 いつもここでウジウジしてるんだから」
「べ・・・別にいつもってワケじゃ」
「はいはい。じゃ久しぶりに私のポリシーを教えたげるっ」
 人差し指をぴしっと立ててガブリエルはそう言う。
「テキトーにラクショーにハラショー! はいっ」
「・・・え?」
「ラファも言うんだよっ。いい?」
「あ、うん」
 彼女の勢いに押されてラファエルはそう返事する。
 二人は丘の途中で座りながらそれを連呼していた。
「テキトーにラクショーにハラショー!」
「て、適当に楽勝にはらしょー」
「ちっが〜う! 固いよラファ」
 にこにこ笑顔でガブリエルはラファエルの肩を叩く。
 その笑顔が曇ったり翳ったりするのを、
 ラファエルは見た事がなかった。
 究極のポジティブシンキングさん。
 それがガブリエルだったからだ。
 いつもその笑顔にラファエルは勇気づけられる。
 色々な事を「大した事じゃない」と思えるのだった。
「がーちゃんって、いつも笑顔だよね〜」
「あったり前でしょ。私達は天使なんだよ」
「・・・天使、だね」
「天使って言うのはいつも笑ってなきゃ駄目。
 そんで皆が温かい気分で居られる様にしなきゃ」
 口で言うのは簡単だ、とラファエルは思う。
 実際、そんなに微笑ましい事ばかり起こるはずがない。
 二人とも涙する様な惨劇などは嫌と言うほど見ていた。
 だが彼女は涙した事も、笑顔を絶やした事もない。
(そうやっていられるのはがーちゃんだからなんだよね)
「さて、ココで一つ問題を出してあげましょー。
 あたしとラファ、どっちが強いでしょう?」
「う・・・がーちゃんはみっき〜と同じくらい強いじゃない」
「はいダメ〜」
 とん、と軽く頭を叩かれるラファエル。
「やってみなきゃ解んないでしょ? はいポリシー!」
「て、テキトーにラクショーにハラショー・・・」
「そう。深く考えないでドーンと構えなきゃ」
 肩に届かないくらいの髪を揺らせながら、
 ガブリエルはラファエルの背をぽんぽんと叩いた。
 軽く噎せ返りながら彼は苦笑いを浮かべる。
 その頃から少しずつラファエルは強くなっていった。
 気付かない内にミカエル達と肩を並べるほど。
 彼女はミカエルとは違い、ラファエルを信じた。
 例え世界の淀みに触れても彼は変わらない、と。

2009年
11月04日(水) PM16:47 晴れ
都内某所

 ある街の路地裏で一息つく二人の姿があった。
 片方はカマエル。
 もう一人は主天使(ドミニオンズ)を統括する、
 女の天使長ラグエルだった。
 ミカエルの命により二人は現象世界に降りている。
「うへぇ・・・現象世界に降りただけで疲れた」
「貴方がしょぼいからでしょう」
「・・・あんた、なかなか言うじゃないッスか」
「へぇ。貴方みたいな下っ端の能天使長如きが、
 中位天使最高格の私に向かって生意気な口を叩くわね」
 蔑む様な目つきでラグエルはカマエルを嘲笑する。
「下克上をナメちゃいけないんじゃないッスか?」
 カマエルにとって彼女は最大に苦手な天使だった。
 長く綺麗な髪をしているので後ろから見ると美人に見える。
 いや、実際に美人ではあった。
 だがカマエルはその高圧的な態度が苦手なのだ。
 人を小馬鹿にした様な瞳。
 常に余裕でつり上がっている唇。
 本当に天使なのかとカマエルは聞きたくなってしまう。
「私とやる気なら一つ教えておいてあげるわ。
 中位天使の最高格である主天使、
 その長である私には剣が与えられている」
「け、剣ってまさか」
「アプサズ。エストックに似た形状をしてる剣よ。
 言うまでもないけど、『黄昏の八神剣』の一振り」
 その一言でカマエルはたじろいでしまう。
 黄昏の八神剣。
 それは神が天使に与えたと言われる八本の剣の事だ。
 剣自体に不思議な力が宿っており、
 使用者の具現をより強い物にする力がある。
「や、や〜・・・俺、なんか体調が・・・」
「オゾン層に直撃させてあげましょうか?」
「か・・・勘弁。俺の負けですよ」
「宜しい」
 満足した様に微笑むラグエル。
 元々、彼女は現象世界に降りてくる様な天使ではない。
 それがわざわざカマエルと同じ仕事をする理由は二つ。
 彼女は椅子に座って何かをするのが苦手だったからだ。
 常に現場で仕事をしなければ気が済まない。 
 もう一つの理由はカマエルだった。
 ラグエルは彼で遊ぶ事を生き甲斐としているのだ。
「・・・それより、さっさと任務を遂行と行きたいんスけど」
「そうね。貴方で遊ぶのにも飽きたし」
「くっ・・・で、ブツの検討はついてるんスか?」
「さすがにミカエル様も、無意味に中位天使を
 現象世界に赴く様言ったりはしないわ。
 何故私達が高校生の身体を借りる事にしたか解る?」
「なるほど・・・この身体の持ち主が通ってる高校に、
 ブツがある可能性が高い、と」
「よく出来ました」
 ラグエルはカマエルの頭をからかい半分で撫でる。
「とりあえず今日は意識を解放して待機よ。
 明日から、本格的に探索に入るわ」
「りょーかい」
 一つだけカマエルには不思議な事があった。
 誰にも尊敬の念を抱いたりしないであろうラグエルが、
 唯一ミカエルにだけは敬意を払っている。
 それも本人が居ない場での事だ。
 彼の隣を歩くラグエルの表情をのぞき見てみる。
 その無機質な瞳からは何も感じ取れなかった。

11月04日(水) PM17:27 晴れ
自宅・二階・大沢武人の部屋

 辺りはすっかり良い案配に暗くなっていた。
 冬が近づいてきたという証拠だな。
 手袋がないと寒くて外気に手を曝してられない。
 俺は帰ってくるとすぐさま自分の部屋にある暖房を入れた。
 部屋が暖まるまでの間がもどかしい。
 だがベッドの女の子は温かそうな顔で寝ていた。
 そう、昨日から知ってる限りで一日近くは寝ている。
 本当に大丈夫なんだろうなぁ・・・。
「マジにべっぴんさんやなぁ〜」
 さりげなく夏芽達も来てしまっていた。
 寝ている人間が居るのでひとまず騒ぎは起こしていない。
 あの禊もどうにか大人しくしてる様だった。
 茶くらいは出しているが早く帰って欲しいな。
 今日こそは彼女が目覚めてもおかしくない。
 まあ、何の確証もないが・・・。
 とにかく可愛い子との初対面で余計な奴らは要らない。
 特に淳弘は危険だった。
 俺よりも物語の主人公に向いている優しい性格してるし、
 大きなポイントとして美少年だから絵になる。
「お前らそろそろ時間ヤバくないか?」
「全然ヘーキや」
「あたしも」
「僕も」
 なんで今日に限って皆は暇なんだろう。
 人の恋路を邪魔しようとでもしてるかの様だ。
 そんな時に、目の前のベッドが揺れる。
 もぞもぞと女の子が寝返りをうっているみたいだ。
 ゆっくりと掛け布団が剥がされていく。
 まるで子供が生まれるのを見るかの様に、
 俺達はその光景に見入ってしまっていた。
「ん・・・ここどこ?」
 女の子はがばっと上半身を起こすと辺りを見回す。
 どうやら状況が理解できてないらしい。
 自分の身体やベッドを見て呆然としていた。
 こういう時、なんて言えば良いんだろう。
 とりあえず俺が誘拐魔でない事を話しておこう。
「あのさ・・・君は近くの道で倒れてたんだ。
 それで俺が見つけて運んできたんだよ」
「・・・っ」
 彼女は動こうとして苦痛に顔をゆがめる。
「そうか、私・・・あいつから逃げようとして・・・」
「大丈夫?」
 なんか腫れ物に触るみたいな話し方だが、
 まあこの場合仕方ないだろう。
 だが、しっかり夏芽の奴に失笑されていた。
「あなた誰?」
「俺は大沢武人、こいつらは俺の友達」
「助けてくれたの?」
「え、ああ・・・まあ、一応」
「ありがとう」
 少しだけ俺はその言葉に違和感を持った。
 何処か感情のこもってない感謝の言葉。
 表情も取り立てて驚いている様子はない。
「とにかく、まだ動くのは無理みたいだな。
 両親に連絡したいけど、家の番号教えてくれる?」
「無い」
「え?」
「両親はいない。それに家もない」
 次の言葉が出てこなかった。
 彼女の両親はいない? 家がない?
 表情に変化はないが嘘をついてる様には見えない。
 きっと表情に出せないくらい、
 感情の奥底に仕舞いたい出来事なんだろう。
「まだ動けないからココに居ても良い?」
 少し頼りなさげな表情に彼女の状態を考えれば、
 答えなんて二つも存在しなかった。
 気持ち悪いくらい優しい声で俺は言う。
「俺は全然構わないよ、うん」
「みそぎ〜、人間って変わるモンなんやなぁ〜」
 夏芽が禊の肩を抱く様にしてそんな事を言っていた。
 禊はふるふると小刻みに震えている。
 怒ってるみたいだが・・・いいや、放っておこう。
 どうせいつも怒ってる様な奴だし。
「あのさぁ、君の名前はなんて言うの?」
 人が少し目を逸らした隙に淳弘が彼女に近づいていた。
 危険だ。奴特有の空気を作り出そうとしている。
「わたしは・・・華月。華月夢姫」
「へぇ〜。珍しいけど、可愛い名前だね」
「ありがとう」
 無表情で淳弘の殺し文句をかわした。
 なかなかクールな子なのか?
 でも、さっきといい今といい・・・。
 彼女の『ありがとう』は何処か妙な気がした。
 他に言葉を知らなくて言ってる様な感じ。
 『ありがとう』がどういう意味なのか解らない様な・・・。
 さすがに大げさ、だよなぁ。
「せやけどたっつー、彼女をこの家に住ませる気なん?
 禊、それは彼女としてメチャ許されへんよなぁ」
「おうっ。あたしが泊まってたっつーを止めたるで〜」
「いやお前・・・そんな急に」
 俺はこれでも普通の男だ。
 無許可で女の子を襲う様な真似はしない。
 まず大前提として禊は彼女じゃない。
 それなのに、禊の奴は携帯を出すと家に電話していた。
 すると残り二人まで携帯を取り出す。
「な、なんのつもりだお前ら・・・」
「やっぱり面白い事は間近で見なあかん。
 死んだお婆ちゃんに顔向け出来へんやん」
「僕も久しぶりにタケの家に泊まりたいなぁ」
 そりゃ淳弘は慣れてるから良いさ。
 しかし禊も夏芽も一応女なんだぜ?
 平気で泊まったりって・・・そんな馬鹿な。
「たっつー。間違えて淳弘を襲うなよぉ?」
 禊の奴がそんな事を言うが、
 一体何と間違えれば淳弘を襲えるんだろうか。
 怖い事にそれを聞いた夏芽はそっぽを向いて笑っていた。
「くふぅ・・・それは、ええモンが見れるかもしれへんなぁ」
「た、たっつー、夏芽が怖いぞ・・・」
「大丈夫。俺も怖い」
 禊が怖がるのも仕方ない。
 まさか俺も奴がそっちに興味あるとは予測できなかった。
 淳弘は意味が解ってないのか、きょとんとしている。
「僕も久しぶりだから怖いなぁ」
「淳弘・・・てめぇ何を言ってる?」
「え? タケの家が久しぶりだから怖いなぁって」
「ま、紛らわしい事を言いやがって・・・」
 てっきり薔薇経験を済ませてる人かと思ったぜ。
 もしそうだったら、同じ部屋に泊められない所だった。
 この家が怖いという理由は敢えて聞かない。
 奴は霊感があるからな。
 下手な事を聞くと俺が住めなくなりそうだ。
「・・・お腹減った」
 急にお腹を押さえる華月さん。
 そういや彼女は1日以上寝てたんだよな。
 お腹をすかせるのが当然だ。
「よし、じゃあ皆で飯でも作るか?」
「た、たっつー! あんた御飯作れたん!?」
 異常な程の驚きで夏芽がそんな事を言う。
 完璧に俺がただのエロ人間だと思われてる証拠だな。
 大体、母親がいなくなってから数年、
 そんでもって妹がいなくなって二年近く。
 さすがに自炊なんて自然に身に付くっての。
「今まであの子が作ってたから、
 たっつーが料理できるイメージって無いんやなぁ〜」
「・・・あの子って誰だ!?」
 夏芽の不用意な発言に禊が飛びついた。
 しまった、という顔をして夏芽は苦笑いする。
 それで俺の方を見るとサインを送ってきた。
 話しても良いか、というサインだろう。
 俺はそれに黙って肯いた。
「まさか、たっつーに彼女が居たのかぁ!?
 どうしてあたしに話さなかったんだ、たっつー!」
「ちゃうちゃう、たっつーは彼女なんておらへん。
 彼女履歴ゼロ。ついでに言うと完璧に童貞や」
「余計な事まで言うんじゃねえ!」
 さりげなくとんでもない発言をしやがる。
 人を勝手に童貞呼ばわりしやがって・・・。
 大きくは外れてないのが切ないが。
「せやな、私が言ったあの子っちゅうんは、
 たっつーのプリンセス、大沢桜ちゃんの事や」
 勝手にプリンセス呼ばわりしてる。
 禊は名字が俺と同じ事に混乱してる様だった。
「まさか、母親か!?」
「違うよ。タケのお母さんは大沢妙子さん。
 ・・・桜ちゃんはタケの妹」
 俺や夏芽の変わりに淳弘がそう答える。
 2年になってから知り合った禊が知らないのは当たり前だ。
 なにしろ妹は高校生になる前に事故で死んだ。
 だから禊があいつの事を知ってるわけはない。
「もう随分前になるんやなぁ・・・。
 まあええわ、禊。この話はこれで仕舞いや」
「はぁ? なんでだっ」
「本当に知りたかったらなぁ、
 たっつーと二人きりの時に聞き〜や」
 なんだか夏芽の奴は禊をたきつけてる気もした。
 まあ、俺も出来れば人には話したくないので、
 そうやってこの場は打ち切ってくれると助かる。
 俺達は一階で飯を作る為に立ちあがった。
「武人、私も行く」
「え、ああ・・・じゃあ俺が背中でおぶるよ」
「うん」
 女の子に名前を呼ばれたくらいで、
 少しドキッとしてしまった。
 俺って不甲斐ないな。
 なるべく平然を装って彼女を背負った。
 ただ、背負った事により胸の感触が・・・!
 昨日は彼女の怪我でそれどころじゃなかったからな。
 この感触、忘れまい・・・。
「武人の背中って温かい」
 ふいに華月さんがそんな事を言ったモンだから、
 俺は不覚にも照れて赤くなってしまった。
「おうおう、たっつー幸せやなぁ」
「ふがぁ〜っ! 夢姫、あたしのたっつーだからなっ」
「武人は貴方の?」
「おうっ。ちなみにあたしは諏訪禊。夜露死苦っ!」
「うん。よろしく、禊」
 華月さんに間違った認識をされている。
 禊に蹴りを入れたいのを我慢して俺は言った。
「こいつはただの知り合い。恋人でもなんでもないから」
「でもたっつーはあたしのモンだ」
「ぐっ・・・」
 やっぱりモノ扱い・・・。

11月04日(水) PM21:42 晴れ
自宅・二階・大沢武人の部屋

 食事を取った後で三人を強制的に帰らせた。
 それでようやく俺は華月さんと二人きりという寸法だ。
 いや、別にそこで何かが発生するワケじゃない。
 俺はベッドに華月さんを横たわらせた。
「ベッドで寝るのって久しぶり」
 解るか解らないか微妙な位の所で彼女の顔が綻ぶ。
「それじゃ、今までどこで寝てたの?」
「寝る場所はその場で決めてた」
「・・・すげぇな」
「ありがとう」
 また、ありがとう。
 複雑な気分にさせられる感謝のされ方だな。
 ベッドから少し距離をおいて俺は自分の布団を敷く。
 そして布団を被ると俺は眠る為に電気を消した。
 横になりながら外の風の音を聞く。
 時折、樹のざわめく音が聞こえるくらい強い風だった。
 ふと俺は背中の温度が奪われる感覚に陥る。
 振り向くと華月さんが俺の布団を剥がしていた。
「な、なに・・・!?」
「ベッドはちょっと寒かったから、一緒に寝よ?」
「はい!? でも俺、男なんだけど・・・」
「おやすみ」
 人の話なんて聞かずに隣に寝てしまう華月さん。
 彼女の手と額が俺の背中に張り付いていた。
 おいおい、このシチュエーションはなんだ?
 けどそれほどドキドキしないのは何故だろう。
 子供の頃に桜と寝てた事を思い出すからなんだろうか。
 今更どうにもならないので俺も寝ようとする。
 しかし上手く寝付けず、余計な事を考えてしまった。
 桜の事。
 懐かしむだけの時間が過ぎていた。
 だから今は、優しい顔で思い出せる。

***

「タケ、日曜だからって寝てばっかいたら駄目だよ」
「う・・・さく、ら?」
「ほら起きて」
 桜は昔から俺の事をタケと呼んでいた。
 それに日曜に限って起こしに来る。
 俺は起きあがると桜の頭に手刀を入れた。
「いたっ。せっかく起こしてあげたのに・・・」
「兄貴の事をあだ名で呼び捨てにするな」
「だって・・・」
 なんとなく何が言いたいのかは解っている。
 俺と桜は5歳の頃、家族になった。
 つまり義理の兄妹という奴だ。
 多分、桜はそれをどうにかしたいんだと思う。
 お互いその兄妹という形式に縛られていた。
 義理の兄妹。
 小説とかなら踏み外してもOKなラインのはずだった。
 でも実際の所、どうしても踏みとどまってしまう。
 家族だから。兄妹だから。
 そうやって俺達は暗黙の了解を得ていた。
 母親が死んで親父が単身赴任に行ってからも、
 そんな俺達の関係に変化はない。
 好きなのに、好きじゃないフリをする。
 本当の家族だなんて思ってないくせに、
 仲の良い兄妹のフリをする。
 いつかそれが本当のものに変わるはずだった。
「御飯作っておいたから」
「そっか。今日はどうするんだ?」
「別に・・・」
 昔から桜は友達を作らない。
 理由は解らなかった。
 イジメとかにあってるわけじゃない。
 明るい性格ではなかったけど、
 友達なんて幾らでも出来るはずだった。
「暇だからタケと過ごす事にしようかな」
「俺は彼女とデートです」
「・・・あ、そうなんだ」
 あからさまに暗い表情をする桜。
 彼女がいるのを知ってて、こんな顔をする。
 そんな桜のいじらしい態度に胸が少し痛んだ。
「妹を少しは大事にしようよ」
 そう言って微笑んでみせるが何処か寂しそうに見える。
 無理してるのが見て取れた。
 出来る事なら俺だって気持ちに従ってしまいたい。
 だが、俺達は兄妹だ。
 それだから俺は半ば無理矢理に彼女役を仕立てた。
 夏芽に借りまで作って。
「お前が早起きさせたおかげで少しは時間あるけど」
「あ、じゃあ早く御飯食べてっ。
 色々話したい事があるんだ」
「話? 例えば?」
「例えば・・・いろいろ、だよ」
「具体例を出せって」
「・・・ふぇ?」
「ふぇ? じゃねえよ」
「えっと、なんだろねー」
 要は何も考えてないという事らしい。
 それでも話し始めれば桜は流暢に話すタイプだった。
 俺は食事の為に一階へ下りていく。
 すると桜はこっちがうんざりするくらいに話しまくった。
 あっという間に午後。
 偽装用のデートの為に、桜の話を止めようとする。
「桜、俺もう行か・・・」
「そういえばね、今日の朝に占いやってたんだけど」
 俺の言葉を遮る様に桜は世間話を続ける。
 時計を見る。そろそろだ。
「悪いけど俺・・・」
「タケ、この間ね」
「桜っ」
 声を荒げて桜の話を止めさせた。
 桜は困った様に俯いてしまう。
 お互いに解っているはずだった。
 義理とはいえ兄妹は兄妹。
 俺達は俺達を阻む壁を超える事は出来ない。
 それなのに、どうして・・・。
「ごめんなさい・・・私、部屋に戻ってる。彼女と仲良くね」
「・・・ああ」

11月04日(水) PM21:57 晴れ
自宅・二階・大沢武人の部屋

 瞼を閉じると、風の音が強く感じられた。
 ざわざわという音が夜の冷たさを伝えてくる気がする。
 それを子守歌にして俺は眠りに就いた。

第十五話へ続く