Back

黒の陽炎
−2ndSeason−

著作 早坂由紀夫

色彩の無い筺庭
−Guia do Pecador−


第十六話
「リミット(U)」


11月05日(木) PM16:52 晴れ
自宅・一階・リビング

「くはぁ〜。あの子、酷く衰弱してるぞ」
「マジか?」
 禊はやってくるなりすぐに夢姫の容態を見てくれた。
 すると一階に降りてきてそんな事を言い出す。
 衰弱って・・・思い当たる節がない。
 だが禊はとんでもない睨みを聞かせていた。
「まさか貴様ぁっ、不埒な事を〜!」
「ちげ、ちげぇよ!」
 漫画とかゲームじゃないんだから・・・。
 弱ってる女の子に何かしたりするはずがない。
 洒落にならないからな。
 それにしても妙なくらいに禊は怒っていた。
「あの子、あのままじゃ危ないぞ」
「・・・は? 危ないって・・・どういう事だ?」
「ちゃんとした病院に連れて行った方が良い。
 言いたかないけど、命の危険がある」
 怒っているという認識は少し違うらしい。
 禊は泣きそうな顔でそう呟いた。
 そりゃ、この歳で死に直面させられたら仕方無い。
 俺だって動揺してしまっていた。
「たっつー・・・救急車を呼ぶぞ」
「その前に夢姫と話してくる」

11月05日(木) PM17:03 晴れ
自宅・二階・大沢武人の部屋

 一応あいつの意志も聞いておかなきゃいけない。
 結果的に病院に連れては行くが、
 出来れば彼女の同意があった方がいいからな。
 夢姫は少し苦しそうな顔で眠っていた。
 脂汗の様なモノが彼女の額を伝っている。
「んっ・・・なぁ君」
「は?」
 今何か凄く卑猥な感じの声が聞こえた気がするが・・・。
 俺の考えすぎだな、うん。
 それにしても彼女が名を呼ぶなぁ君。
 一体、誰なんだ?
 彼女が寝言でまで呟く様な相手。
 よほど大事な相手に違いない。
「なあ夢姫、起きてくれ」
「うぅん・・・」
 悩ましげな声を上げる。
 苦しそうな表情は変わらなかった。
 だが俺の声が切欠となって目を覚ましたらしい。
「ぐっ・・・ここは、そっか・・・」
 一瞬その表情が酷く寂しそうなものに変わった。
 何かとても良い夢を見てたのだろうか?
「どんな夢を・・・見てたの?」
「・・・なぁ君と一緒に遊んでる夢。
 凄い楽しかった。ずっと見てたかったなぁ・・・」
 彼女が見せた表情は嬉しそうでもあり寂しそうでもある。
「その、なぁ君っていう人とは会ってないの?」
「うん。子供の頃に少しだけ一緒だったの。
 私はなぁ君にもう一度会う為に生きてるんだよ」
「そう・・・なんだ」
 一人の男を生き甲斐にしてるのかよ。
 でも顔に似合わず一途な所もまた良い。
 その一途さが俺に向けられてないのが虚しいけど。
 落ち込むなよ、俺。
 どっぷりハマる直前に解ってよかったじゃないか。
 彼女にはそこまで思う大切な男がいる。
 それなら祝福してやるのが筋ってもんだ。
 ・・・あれ?
 なにか趣旨を間違えてる様な気がする。
「そうだった。夢姫、君を病院に連れて行く事になった」
「嫌だよ」
「仕方ないんだ。君の身体、結構笑えない状態らしい」
「大丈夫」
 吐き捨てる様に彼女は言った。
 どこからどうみたって大丈夫って感じじゃない。
 今すぐ倒れたっておかしくなさそうな顔をしてる。
「それに多分、この痛いのは病院じゃ駄目だと思う」
「え?」
「なんかそんな気がする」
 逃げ口上にも聞こえるな・・・。
 とにかく彼女を病院に連れて行くのが重要だ。
「一度病院で診てもらうくらいなら良いだろ?」
「やだ。病院嫌い」
 くそ・・・なんでこんな拒否するんだろう。
 子供じゃないんだから。
 ・・・待てよ、子供?
「病院行けばあめ玉貰えるぜ」
「え、ホント?」
「勿論。良い子だったらキャラメル味をゲットだぜ?」
「キャラメル味ならキャラメルの方が良い」
 ツメを誤ったか・・・。
「きゃ、キャラメルも貰えるかも」
「でも行かない」
「ぐっ・・・」
 俺の説得は下手くそらしい。
 そうやって困っていると階段を上がってくる音がした。
 すぐに扉が開いて禊が入ってくる。
「夢姫、行くぞ」
「やだ」
「だだこねるなっ」
「そんな事いう禊、嫌い」
 お互いに一歩も譲らなかった。
 むぅ、これじゃ埒があかない。
「・・・はぁ。夢姫、君はどうしたいんだ?
 君だってこのままじゃヤバいって解ってるだろ」
「うん」
「なぁ君って奴に会えなくなっちまうぞ」
「それは・・・やだ」
 悔しいがなぁ君という奴は彼女の生き甲斐だ。
 その為なら、病院だって行ってくれるはず。
 しかしそんな時に家のチャイムが鳴り響いた。
「こんな時に誰だよ・・・」
 シカトするわけにもいかないので、
 俺は一階へと下りていく。

11月05日(木) PM17:18 晴れ
自宅・一階・玄関

 玄関に来てみるとそこには紳士風の老人が立っていた。
 顔見知りじゃない。
 セールスマンか何かか?
 ドア越しにこっちに話しかけてくる。
「すみませんが、ここに華月さんはいますかね?」
「えっ・・・!?」
 夢姫の事だろうか。
 まさか、彼女を殺そうとしてる奴ってこいつ?
「わたしゃ怪しいもんじゃありません。彼女の味方です」
 怪しくないって言ってる奴に限って、
 実は悪い奴だったりするんだよな。
 自分は味方だって言ってる奴も然り。
 伊達に家なき子を見てるワケじゃないぜ。
「帰ってください」
「居るのか? ココにいるなら、彼女に会わせてくれ。
 彼女にこれ以上能力を使わせるわけにはいかないんだ」
 能力を使わせる?
 何の話をしてるのか解らないが、
 どっちにしろそう簡単に家に入れはしない。
 RPGじゃないからな。
「お引き取り下さい」
 さっきよりもキツイ言い方で追い払おうとした。
 すると向こう側から大きなため息が聞こえてくる。
「やれやれ、まあ当然か。だがね、
 はいそうですかというわけにもいかんのだよ」
 老人がそんな事を言ったかと思うと、
 急に目の前のドアノブが回り始めた。
 がちゃ。
 かけたはずの鍵が外れて老人が玄関に入ってくる。
 意味が解らなかった。
 一体、どうやって・・・?
「さてと。華月さんは二階ですかい?」
「おい、あんた」
 俺が老人を止めようとすると物凄い力で逆に掴まれる。
「兄ちゃんよ。敵と味方の区別ぐらい付けられる様にしな。
 でなきゃいざって時にあんた、一生後悔するぜ」
「うっ・・・」
 凄味のある目つきだった。
 思わず俺は心臓を鷲掴みにされた様に感じてしまう。
 けどそれはすぐにのっぺりとした表情に変わった。
「なんてね、格好良さ気だったでしょう?」
 老人は丁寧に靴を脱ぐと二階の階段を歩き始める。
 良く解らんけど、信用して良いんだろうか。
 まあ・・・そうじゃなきゃ説教され損だもんな。
 何かある様なら俺が絶対に夢姫を守ればいい。

11月05日(木) PM17:26 晴れ
自宅・二階・大沢武人の部屋

「華月さん・・・無事でしたか」
「・・・なんだ、おじさんか」
 老人は夢姫を見つけると側に寄って片膝をつく。
 も、もしかして夢姫って令嬢か何かなのか?
 禊は状況が解らないみたいで呆然としていた。
 っていうか俺も呆然としてる。
「たっつー、あの爺さん誰だ?」
「俺もよく解らん」
 そんな俺達の会話が聞こえたのか、
 老人が座ったまま俺達に向き直る。
「私の事はロフォケイルとでも呼んで貰いましょうか。
 華月さんをサポートする様に、
 ある方から仰せつかっているんですよ」
 サポート? なんのサポートだろう。
 でも今はそんな事より夢姫の事が先だ。
 ロフォケイル老の隣に座ると俺は言う。
「で、彼女を助ける事は出来るんですかっ?」
「・・・まあそう慌てずに落ち着きな。
 彼女は今、人間の肉体の限界にいるんですよ」
「人間の身体の・・・限界?」
 言っている意味がイマイチ現実感を帯びてこなかった。
 限界って事はそこまで夢姫の身体が傷ついてるって事か?
 けど、それならさっきまで歩けてたのは・・・一体。
 そもそも限界の定義自体が曖昧だ。
 なにをして限界と言うべきか。
「そう。人の身で人ならざる力を使えば、
 いつしかそれは身体への負担となっていく」
「あんた、何を・・・言ってるんだ?」
「簡単に言えば彼女の衰弱は怪我や病気が原因ではなく、
 彼女自身の身体に欠損が生じた為だと言う事でさぁ」
 あんまり簡単には聞こえない。
 要は彼女が病院じゃ直らないと言いたいみたいだ。
「怪我をしているというのが実にまずいな・・・。
 華月さん、最後に力を使ったのはいつですかい?」
「えっと・・・ついさっき、
 自動車にぶつかりそうになった時」
「もう能力を使うのは避けてください。命に関わる」
「なるべく頑張る」
 その老人の来訪で急展開を見せるかと思ったが、
 状況は大して変わったわけでは無さそうだ。
 それに老人の言う様に病院じゃ直らないとなると・・・。
「仕方ないな。禊、夢姫を病院に連れて行くのは諦める」
「なに? そこの爺さんの言う事を聞くのか!?」
「・・・なんていうか俺の勘。ごめんな、禊」
 素直に謝ったせいか禊は文句をそれ以上言わなかった。
 ただ、所在なさげにしていた手で俺の服の裾を掴む。
「あたしは・・・夢姫が良くなれば気にしないぞ」
「そっか。と、夕飯そろそろだな」
「おおっ!? さっさと作れたっつー!」
 潮らしい態度を取ったかの様に見えた禊だったが、
 それは数秒持たず元に戻ってしまった。
 にしても禊の奴って意外と良い所あるんだな。
 ここ数日であいつの多面性を垣間見た気がした。
 ちょっと可愛いなどと思ったりして・・・。

11月05日(木) PM20:14 晴れ
マンション・三階・雪羽冬子の部屋

「それ、本気で言ってるの・・・!?」
 冬子の動揺に満ちた声が部屋に響く。
 フローリングの冷たい床を歩いて、
 彼女はテーブルに瓶ビールを置いた。
 普段着より格好は下着に近い。
 使っていない椅子にスーツは脱ぎ捨てられていた。
「ええ」
 返事をしたのは黒澤。
 あくまで平然と、笑み一つ零さずに言う。
「幾ら私があの学園の教師でもそれは難しいし・・・
 おいそれと肯ける事でもないな」
「私もそんな事をしたくはありません。
 ですがあの学園の地下にあるスパコンには、
 ある機密書類のデータの在処が書かれている可能性が高い」
「それを手に入れてどうする・・・
 いや、そもそも何のデータなんだ?」
「・・・それは言えません。冬子は知らない方が良い」
(というより、私も詳しくは知りませんがね)
 黒澤はそれが冥典と呼ばれる巨大データである事。
 そのデータをミカエルが狙っている事くらいしか知らない。
 さらにはそのデータが天使と悪魔にとって、
 途轍もなく重要なモノである事も知っていた。
 だが彼にとってはガブリエルの方が重要だった。
 ガブリエルに辿り着く為なら何をも厭わない覚悟がある。
 過去に酔狂で付き合っていた冬子を利用する事も、だ。
「間違いなくそれは犯罪だ。そして私は教師だ。
 霧生が何をしたいのかは知らないが、私は協力できない」
「実は、そのデータを取ってこなければ私は・・・」
「・・・どういう事だ?」
「いえ・・・やはり、冬子にそんな事を頼むべきではない。
 私だけではなく貴方も危険に曝す事になるのだから」
「まさか霧生・・・お前何かヤバい事に関わってるのか?」
「良いんです、忘れましょう。
 折角お互い再びこうして出会えたのだから。
 それに私は貴方の事を利用する様な真似はしたくない」
「・・・霧生」
 押した後にそうやって冬子の為だと言って引けば、
 黒澤は悪くないままで彼女に興味を引く事が出来る。
 案の定、冬子は迷う様にビールをついでいた。
「そうだ。最近、私の妹と会っていませんでしたね」
「あ、ああ・・・」
 歯切れの悪い冬子の返事。
 全て黒澤の計算通りだった。
 後は勝手に気になって止まらなくなる。
 聞かずには居られなくなる。
 それを、黒澤はベッドで話せばいいだけだ。

11月05日(木) PM20:26 晴れ
自宅・一階・リビング

 夕飯を取った後で俺達はリビングで話をする事にした。
 リビングと言ってもそれほど大きくはない。
 食事用のテーブルがあって、手前にTVを置いている。
 そうすると後は一人が寝ころべる程のスペースしかない。
 掃除は俺がしてるので、あまり綺麗ではなかった。
 なにしろ家事と学校の両立は意外に難しい。
 これでバイトとかやってたら死んでるだろう。
 漫画とかなら全部こなせるだろうが、
 現実でそれをやると洒落にならなかった。
 俺が慣れてないだけなのか?
「たっつー、今日の魚は上手かったぞ〜」
 すんごい満足げな表情をする禊。
「まあ今日はスーパーで良い鱈を見つけたからな」
「ふぃ〜。私までごちになっちまって悪いねえ」
「いや・・・こいつが来る事になってたから、
 多めに作っといたんで丁度良かったですよ」
 なんとなく自分の発言が主婦みたいで嫌だな。
 という世間話はここらにしておいて本題に入る事にした。
「で、夢姫を助ける事は出来るんですか?」
「全ては彼女自身の問題でしてね。
 他人が手助けは出来ないんですよ」
「じゃあ現状維持って事か・・・」
 夢姫が苦しんでるのを端で見てるのは辛い。
 怪我だって直ってはいなかった。
 待つしかない、のか・・・。
 すると禊が立ちあがった。
「一旦、ウチに帰る」
「ああ・・・あ?」
 禊は上着を着ると玄関へと歩き出そうとした。
「待て。一旦ってのどういう事だよ」
「今日はたっつーの家に泊まるって事だっ」
「なにぃ!? 駄目に決まってるだろ!」
「あたしに逆らうなっ」
「逆らうっての、このボケ!」
「ボ、ボケだぁ・・・!?」
 まずい。これじゃいつもみたく喧嘩になるだけだ。
 とりあえず禊が泊まるのは宜しくない。
 どうにかして意見を変えさせなければまずい。
「じゃあ、あたしはもう行くぞ」
「あ、ちょっと、おいっ」
 シカトで玄関へと行ってしまった。

11月05日(木) PM20:42 晴れ
自宅・一階・リビング

 しばらくして玄関のチャイムが鳴り響く。
 今更チャイムなんか鳴らしやがって憎たらしい。
 俺はだるい身体を起こすと玄関へと歩いていった。
「さっさと入れよ禊」
「なんやて?」
 あれ? 今、なんか関西弁が聞こえた様な・・・。
 ドアが開いて入ってきたのは、
 スポーツバッグを持った夏芽だった。
「や」
「や、じゃねえよ。どうしたんだ?」
「ウチが夢姫の事を放ったらかすと思っとったんか?
 あんな可愛い子、絶対に逃さへんで〜」
「・・・まさかそのバッグは」
「お泊まりセットや〜」
 ふらふらと身体が壁にもたれかかっていた。
 禊に続いてよりによって夏芽まで・・・。
「所で、さっきの台詞はなんや?
 禊とマジにデキとったんか?」
「ち、ちげえよ。気にするな・・・」
 そう言いかけて夏芽の後ろに居る禊に気が付いた。
 なんてタイミング。
 夏芽は振り返って禊の姿を確認する。
 うわ・・・禊の表情がいつになく怒りに染まってやがる。
「あたしに内緒で、夏芽とらぶらぶか〜〜〜〜!」
「ど、どなるなっ」
「バレてもうたか〜。しゃあないな〜」
 にやけ顔で夏芽が禊の事をアオリ始めた。
 禊が両手で持っていたバッグが落ちる。
 どさっと音がするのと同時に禊が走ってきた。
「いいか、たっつーはあたしのモンだからなっ」
「そんな怒った顔せんでも冗談やて」
「・・・冗談なのか?」
「こんな汚いモンぶら下がっとる奴は嫌や」
 それは俺に限った事じゃなく、男全員に言える事だ。
 だがそんな夏芽の説得に禊はほっと胸をなで下ろす。
 まさか今ので納得したのか?
「そっか。たっつーは汚いからな」
「違うっ! 俺が汚いんじゃなくて・・・」
 説明するのもなんだか馬鹿らしい気がした。
 しかし念入りに洗ってるのに酷い言われ様だよなぁ。
 かといってそんな事を言えば馬鹿扱いは免れないだろう。
 男尊女卑だった日本帝国は一体何処へ行ったんだ?
 なんだか無性に悲しくなってくる。 
「さて、じゃあ痴話喧嘩も終わった事やし、上がるで〜」
「同じくあたしも上がるで〜」
 気付けば二人は家に入ってきていた。
 してやられたと思うのは、俺だけだろうか。

11月05日(木) PM21:04 晴れ
自宅・二階・大沢武人の部屋

 今年もかなり寒くなりそうな予感。
 窓越しに見る外はかなり寒そうだった。
 コタツにはまだ早いが、出したくなる。
 毎回前年を超える寒さになってるからな。
 その内、零下とかになってくんじゃないだろうか。
 洒落にならねえ・・・。
 天気予報によると明日は雨。
 それも気温は最低で6度まで落ち込むそうだ。
 はぁ、真冬並みの寒さらしい。
 夢姫は温かい布団の中でぐっすりと眠っていた。
「や〜可愛いなぁ〜。おっちゃん、この子って処女なん?」
「さあねぇ。あっしには解りませんよ」
 しれっとした顔でそう言うロフォケイル老。
「じゃあ調べたるわっ」
 布団に潜り込もうとする夏芽。
 その首根っこを掴んでなんとかそれを阻止した。
「この野郎、この子の状態解ってんのか?」
「解っとるがな。せやから今なんや!」
「て、てめぇ・・・妙な切実さを訴えやがって」
 そんな風に俺と夏芽が言い合っていると、
 急に夢姫の身体がびくっと跳ねる。
 それは明らかに異常な姿だった。
 意識が戻ってるわけではない。
 それなのに彼女の身体が独りでに跳ねたのだ。
 一度ではない。
 ゆっくりと何度も跳ねている。
 見ている内に心配になってきた。
 痙攣している・・・のか?
 その光景に呆然とする俺達の前に、
 ロフォケイル老が遮る様に立ちあがった。
「なんという力の放出・・・これが、盟主様の・・・?
 いや・・・違う、もっと禍々しい何かだ」
 ワケの解らない事を呟くと俺達の方に向き直る。
「いいですかい。今からしばらくの間、
 この子の身体に触れては行けない」
「え?」
「もし触れたらあんたらが死んでもおかしくないからな。
 納得いかないかも知れんが、とにかく触れんでくれ」
 彼の言っている事は確かに意味が解らない。
 だが、俺は素直に従うべきだと思った。
 それは彼の夢姫への目つきがそう思わせるのだろう。
 ロフォケイル老は、真剣に彼女の事を
 気遣っている目をしていた。
 不意に夢姫の身体から何か黒いモノが生じ始める。
「爺さん、これはなんだっ!?」
 禊が驚きに目を見開いてそう訪ねた。
 その黒い何かはゆっくり上へと消えていく。
「まさか・・・いや、そんな馬鹿な事が・・・」
 一番動揺しているのはロフォケイル老だった。
 時折びくっと跳ねる夢姫の身体を見つめている。
「あの、彼女は平気なんですか?」
「・・・これはある意味、良い傾向なのかも知れない。
 彼女の身体が限界を超える前に、
 限界に耐えうる身体に造り変わっているのだ」
「な、なんですか? その造り変わるって」
「いや・・・だがこれは、まさかあの方はこの事を知っていて?
 そうか、だから能力を授け冥典を捜索させたのか・・・!
 大体にしておかしい事だったんだ、
 普通の人間の事など冥典に載っているはずがない」
「さっきから何を言ってるんですか」
 俺の話なんてちっとも聞いてないみたいだ。
 一人でワケの解らない事を言っている。
 それも愕然とした表情で。
 勝手に一人で盛り上がられてもなぁ・・・。

11月05日(木) PM21:15 晴れ
自宅・二階・大沢武人の部屋

 ここは何処だろう。
 誰かのお家?
 そうだ・・・武人とか言う人のお家だ。
 何故か自分の身体が浮き立っている様な感じがする。
 さっきまで苦しかったのに、今は何も感じない。
 変わりに何かが目の前で動き始めていた。
 それは記憶。
 思い出したくないものより前の記憶。
 大好きだった日々の記録。
 思い出。繋がり。
 昔の映画を見るよりも鮮明にそれは重なっていく。

−−月−−日(−) PM−−:−−
高天原邸・離れの庭

「ねぇ、ゆめちゃん。ウチに変な扉があるんだ」
「ふぅん。どんなの?」
「縦についてるの。変だよね」
 興味を示した私。
 私達はなぁ君の家のお庭で遊んでいた。
 探検ごっこもちょっと飽きてきた頃。
 そんな事をなぁ君が言った。
「面白そうだね・・・行って見ようよ」
「えっ、でも」
「ね?」
 その頃、なぁ君は私の言う事を何でも聞いてくれた。
 私もそれが当たり前だと思ってた。
 だって私もなぁ君の言う事だけは聞いてたから。

−−月−−日(−) PM−−:−−
高天原邸・地下一階・隠し階段

「でもホントに危ないかも知れないよ?」
「いいよ。なぁ君と一緒なら怖くないもん」
「・・・じゃあ、僕も怖くない」
 なぁ君が怖がりなのは知っていた。
 でも縦についてる扉を開ける事なんて、
 ちっとも怖い事じゃないと思う。
 きっとなぁ君が怖かったのはママが怒る事。
 彼のママは笑顔でほっぺたをつねるから。
 扉の向こうにはぐるぐるって廻る様な階段が付いていた。
 周りには色々な紙のお札が張ってある。
 私となぁ君はドキドキしながら、
 ゆっくりとその階段を下りていった。
 しばらくすると周りの壁が無くなる。
 代わりに周りには真っ暗な空間があった。
 そこからそっと下を見てみる。
 見えないけれど落ちたら痛いだろうな、と思った。
 ちょっと怖いけどなぁ君が居るから平気。
 そしてさらに歩いていくと縦の扉があった。
 扉には鍵の代わりにお札みたいのが張ってある。
「なんでお札が張ってあるんだろうね」
 不思議そうに私の方を見てくるなぁ君。
「わかんない。でも開けられそう」
 私はそう言った。
「うん。開くよ」
 なぁ君は私の方を少し見てから扉に力を入れる。
 少しずつなぁ君も興味が湧いてきたみたいだった。
 頑張って彼は一人で扉を開ける。
 私はそれを見ていただけだった。
 その扉の先にはまた階段が続いている。
 ちょっと私達はがっかりした。
 でもその奥から少しだけ零れる光を見つけた。
 だから私達はその光へと進んでいく。
 先に進むに連れてその光は大きく私達を照らしていった。
 ふいに扉に張られた札が破れている事に気付く。
 扉を開けたから当たり前。
 ただそこには不思議な文字で、何かが書かれていた。
 ほんの少しだけ気味の悪い文字。
 日本語じゃないのか、私もなぁ君も読めない。
 私はそれでちょっぴり帰りたくなっていた。

  ――――――この先、エデンのふもと

第十七話へ続く