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黒の陽炎
−2ndSeason−

著作 早坂由紀夫

断章.持たざる者、その終幕
−Schwanengesang−


第二十四話(前半)
「明日、君が笑えるように」


――月――日(―) AM――:――
エリュシオン

「ねぇ神様。僕のイヴには嘘付かないでよね」
 神の隣で寝転がる少年。
 子供のような喋り方に幼く見える顔。
 酷く少年は抽象的で、中性的な魅力を持っている。
 その背中には眩いばかりの四枚の羽根が煌めいていた。
「嘘という原理は厳密には難しいものだよ、アダム。
 それに真理というものは不幸を告げる。
 憂き世事など、彼女には必要無いのだ」
「ふ〜ん。あの連中、知らないんだろうね。
 冥典に関しては神様は本当の事を何も話さないから。
 まあイヴには教えてたみたいだけど」
 アダムと呼ばれた少年は寝転がりながらくすくすと笑う。
 唯一、彼は神を恐れぬもの。
 至高であり絶対者である神と会話する事が出来る者だ。
 何がおかしいのかアダムは腹を抱えて笑う。
 端から見れば怖ろしいほどに彼は笑い続けた。
「くすっ・・・神様はホントに酷い人だよねぇ。
 全て、生誕祭の為に仕掛けた事象なんだから。
 エクスキューターという存在も」
「当たり前の事をしているだけさ。
 紛然とした運命に殉じるというのも、
 お前達にすれば美しいのだろう?」

11月16日(月) AM11:41 晴れ
丞相学園・職員室

 職員室へいち早くやってきたのはラグエル達だった。
 二人はすでに臨戦態勢で辺りを窺っている。
 黒澤達の姿は何処にも見えなかった。
 すぐ先にある地下への階段は開いたままになっている。
 悪魔の気配はまだ近くに感じられていた。
 逃げられてはいない。
「カマエル、あんたあの階段を調べなさい」
「・・・なんかそれって、やられる奴の役じゃないッスか?」
「だからよ。私にその役は似合わないわ」
「はぁ・・・了解ッス」
 はっきりとそう言われれば反論できなかった。
 仕方なくカマエルは階段の入り口に近づいてみる。
 注意深く、何処からの攻撃にも反応できるように。
「こ、これは・・・!」
「どうしたの、カマエル」
「いや・・・結構長いッスよ、この階段」
 ラグエルは無言でカマエルの方へ歩いていくと、
 容赦なく拳で頭を叩いた。
「ぐぇっ! な、何すんスか!」
「思わせぶりな事言ってんじゃないわよ」
 ため息をつくとラグエルは机に手をつく。
「どうやら敵さん、誘ってるみたいね」
 悪魔の気配が何処かへ動く感覚は無かった。
 彼女は考える素振りも見せずに階段へと歩き出す。
 それを見てカマエルは戸惑ってしまった。
「行くんスか!? 誘ってるってのに」
「あんた、ムカつかないの?
 悪魔如きが天使を迎え撃とうとしてるのよ?
 奥歯引っこ抜いて目の中突っ込んでやるわ」
「こ、こわ・・・」
 警戒もせずにラグエルは先へと進んでいく。
 中位天使最強の彼女だからこその自信だ。
 はんば呆れながらもカマエルはそれに続く。

11月16日(月) AM11:40 晴れ
丞相学園・学園地下

 一方その頃。
 黒澤はある準備を行っていた。
 バッグから出てきた何かの部品を組み立てる。
 銅線や時計等という不思議な部品群。
 ただ、それを見た時に冬子は怖ろしい事に気が付いた。
「まさか・・・それ、爆弾なのか?」
「・・・陳腐ではありますが、その表現で構わないでしょう。
 まあ威力はこの学園全体には及びませんよ。
 職員室から半径100mほど・・・という所ですか」
 その距離は現在いる棟が半壊するほどのものだ。
 たかが建造物とは言え、
 冬子にとっては多くの想い出が詰まっている。
 ふいに彼女は決定的に何かを裏切ってしまった気がした。
 黒澤という男を選んだ事で、何かを。
 それは酷く冬子の心を締め付ける。
「そんな事・・・しなくたって、良いじゃないか。
 どうしてそんな事が出来るんだ・・・お前、教師だろ!?」
「私のしている事は全て冬子。君の為ですよ。
 君と暮らす生活の為に私はここでこうしている。
 それが理解されないとは・・・残念です」
 冬子を見る黒澤の目が瞬間冷たいものに変わった。
 ぞっとする様な瞳だが、それを見て彼女は昔を思い出す。
 自分が捨てられた時の苦い記憶を。
(そういえば、あの時もこんな目を・・・してた)
「大丈夫。誰も傷つけないよう計算してあります。
 それに全てはじき終わります。安心しなさい」
 セッティングを終えると黒澤は立ちあがり、
 優しく冬子を抱きしめた。
 その優しさとは裏腹に彼の感情は冬子へ向かってはいない。
(そう。君との戯れも・・・じきに終わりですよ)
 彼らの抱擁の途中でベリアルが声をかけてきた。
「この感覚は、天使か。どうする気だ?
 奴らをおびき寄せた所で、その爆薬を使う気なのか」
「そうですね・・・どうやら相手は二人。中位天使の様ですが、
 正攻法でやっても消耗戦になるだけです。
 ならば、天使の建前という奴を見せて貰いましょうか」

11月16日(月) AM11:41 晴れ
丞相学園・校門前

 レイノスと千李。彼ら二人は丞相学園へやってきていた。
 すでにイヴとオフェリーの姿はそこにない。
 彼女達は先に学園へ侵入しているからだ。
 インサニティに関しては、この件自体に関わっていない。
 千李は太陽の光に手をやると学園を見つめた。
「ったくよ、俺らが何の役に立てるんだか」
「とにかく行きましょう。僕らは、やるしかない」
「・・・まあ、そうなんだよな」
 不意に千李は奇妙なものを感じた。
 この先へと進んではいけない。
 直感的に彼はそう感じていた。
 そんな彼の態度に気付かず、レイノスは歩いていく。
「さっさと終わらせましょう。こんなコトは」
「あ、ああ」
「どうしたんですか?」
「いや・・・なんでも、ない」

11月16日(月) AM11:42 晴れ
丞相学園・学園地下

 ラグエルは堂々とパソコンルームの扉を開け放つ。
 目の前には黒澤らが悠然と立っていた。
 殺伐とした室内で唯一稼働するスパコンの音が、
 不気味に唸りをあげている。
 先手を取って攻撃を開始しようとするラグエル。
 だが右足が出た所で黒澤は手を前に出した。
 それだけの仕草でラグエルは躊躇する。
 相手がどういう悪魔か解っているからだ。
 アシュタロスという悪魔は、一筋縄ではいかない。
 天使ならばその事は大体の者が知っていた。
「私達と闘っている時間などあるのですか?」
「なに?」
「これをご覧頂きましょう」
 黒澤が手でさしたのは先に組み立てた時限装置。
 時間は正午に設定されている。
「ふん。そんなチャチな爆弾でビビると思った?」
 見下したような目で黒澤を睨みつけた。
 ただ、それは次の瞬間に取って代わる。
「天使様は平気でしょう。ですが、この学園の人間は?
 正義を行使する天使が人間を見捨てるつもりですか?」
「それはっ・・・!」
 決して人命を優先しているわけではない。
 重要なのは天使という存在の在り方。体裁だ。
 冥典を奪取する事は確かに任務ではある。
(けど・・・もしここで人間を見捨てれば、私とカマエルが
 老賢者どもから何を言われるか解らないわ。
 下手をすれば天使裁判にかけられる事もありうる。
 ひいては・・・ミカエル様の責任問題にさえ発展しかねない)
 彼女の性格ならば本来、黒澤達を倒して時限装置を
 止めるという選択も考えられた。
 しかしそこで黒澤は駄目押しに言葉を加える。
「ちなみにコレを止める事はほぼ不可能です。
 チャレンジするのも良いですが、
 ここの人間を避難させる方が確実ではありませんか?」
「貴様ッ・・・」
 確かに彼の言っている事は正しかった。
 その間に間違いなく黒澤達は逃げ出すだろう。
 カマエルかラグエルのどちらかが避難を促す事も出来た。
 代わりに残った方は二対一、間違いなく殺される。
 本体ならばそれでも構わなかった。
 ただ彼女達は今、人間の身体を借りている。
 あまり無茶をするわけにはいかなかった。
「仕方ない・・・カマエル、放送室へ行くわよ」
「こりゃ、完璧にやられたわけッスね」
 来た道を急いで走っていくラグエル。
 それを追う前に黒澤達にカマエルは一言告げた。
「この借りは結構大きいっすねー。
 ・・・後で、俺がキッチリ返させてもらうぜ」
 黒澤らに一瞥をくれると彼も急いで走っていく。
 二人が去っていったパソコンルームで、
 ゆっくりと黒澤はバッグを手に持った。
「さて。ここまでは万事上手くいきましたね」
「ふん・・・お前は怖ろしい男だよ、アシュタロス」

11月16日(月) AM11:45 晴れ
丞相学園・エントランス

 夢姫の足はメチャメチャ速かった。
 おかげでいつもの半分くらいしか時間が掛かってない。
 俺達は改札をくぐるとエントランスまでやってきた。
 右に行けば生物室やらがあって、左には職員室がある。
 目の前には二階へ上がる階段があった。
「確か、職員室から地下に降りれるって聞いたな・・・」
 でも無理に行けば犯罪になる。
 そんな事を悩んでいる時に校内放送が流れてきた。
「皆さん。今から話す事柄は全て事実です。
 私は1年B組の梶原瀬那。良いですか、皆さん。
 この学園内に小型の時限爆弾が仕掛けられました。
 爆発はちょうど正午。落ち着いて、避難してください」
 淡々とした放送。
 おかげで意味を掴むのに少しばかり時間が掛かる。
 もう一度同じ言葉を繰り返すと、放送は終わりを告げた。
 時限爆弾・・・爆発・・・正午。
「嘘、だよな」
 とりあえず真実味は殆ど無かった。
 一年の子の悪戯だろう。
「どうやらコレは本当っぽいですよ、お二人さん」
 ロフォケイル老は俺と夢姫に向かってそう言った。
「どうしてそんな事が解るんですか?」
 今の放送、どう考えても悪戯にしか聞こえない。
 それとも今話した女の子の事を知ってるのか?
 待てよ?
 梶原瀬那。確かそんな子がいたような気がする。
 そうだ・・・あの、夏芽が突っかかってた子だ。
 あの子はこういう冗談を言うようなタイプじゃない。
 大して仲が良いわけでもないので、
 どうともいえないが・・・マジ話なのか?
 さり気なく隣にいるロフォケイル老が、
 ゆっくりとした仕草で俺の方を向いた。
「・・・あんたはもう帰った方が良い。
 君の立場が危うくなるかも知れんし、
 生き死にの問題になるかも知れやせん」
「い、生き死に・・・っすか?」
 さすがにそんな話が出てくるとは思わなかったせいで、
 俺は思わず情けない声を上げてしまう。
 現実に考えてここは慣れ親しんだ学園だ。
 ここでそんな事が起きるなんて想像が付かない。
 けど爆弾っていう話がマジだったら可能性はある。
 俺はどうすればいいんだ。
 出来るなら夢姫を守ってやりたい。
 友達として、男として本気でそう思った。
「大沢君。君の考えてる事は解りますよ。
 ですがね。現実問題として君はただの人間だ。
 特別な力があるわけでも、武術経験があるわけでもない。
 正直を言わせて貰うとね・・・邪魔なんです」
 邪魔か・・・それを言われると反論できない。
 前々から何となく気付いてはいた。
 このロフォケイルって人と夢姫は普通の人達じゃない。
 俺が住んでる世界とは違う所で生きてるんだ。
 ホントは邪魔って言われても付いていきたい。
 けど、それは夢姫にも危険を及ぶかもしれないって事だ。
 それはしたくない。
 ふと俺は夏芽達の事を思い出した。
 あいつら・・・さすがに梶原さんの事を知ってるんだから、
 一応逃げる方向で考えをまとめてるとは思う。
 でも現実感のなさからシカトするって可能性もあった。
 さすがにこのまま逃げるってのは格好悪すぎるよな。
 せめてギリギリまでは男らしくいきたかった。
 或いはいまいち状況が掴めてないのかも知れない。
「俺、ちょっと友達のトコに行ってきます。
 だから・・・その間は夢姫の事、お願いします」
 ロフォケイル老には一言断っておく事にした。
 この人なら夢姫を任せてもいいと思ったからだ。
 そう。この人の言葉を借りれば、味方だと信じる。
「・・・ええ。正午までには逃げてくださいよ」
 不敵ににやっと笑うロフォケイル老。
 ちょっと信じて良いのか考え直したくなる笑顔だった。

11月16日(月) AM11:47 晴れ
丞相学園・職員室前の廊下

 夢姫達はすぐさま職員室へと歩いていく。
 廊下の端にある職員室だが、その前に人影があった。
 上背で彫りの深い顔立ちをした外国人。
 髪は長く、色はメッシュに近い灰色。
 彼は夢姫の顔を見るなり表情を綻ばせた。
「YAHYAHYAH! その美しい赤紫の髪。
 もしかすると貴方は華月夢姫さんデスか?」
「ねえ、邪魔」
 自分達の進路を塞ぐように男は夢姫と向かい合う。
「傷は完治しているみたいデスねー。
 良かった。傷ついた女の子を殺すのは嫌なものデス」
 そういうと彼は手の平が見えるように腕を上げた。
 手の平には666の刻印が刻まれている。
「貴方、私を殺すの?」
「ええ。タイヘン心ぐるしいデスが」
「じゃ・・・私も貴方を殺すよ」
 右手からカルチャースティックを具現する。
 だがそれを見てロフォケイル老が言った。
「夢姫さん、多分ですがこいつには
 具現したものは通用しないですぜ」
「・・・そうなんだ」
 そう言われて夢姫が代わりに出したのはナイフだ。
 腰の辺りに10本弱を備えている。
 利き手である右手にナイフを持つと、
 男に向かってそれを構えた。
「OH! 女性にナイフとは、また美しいデスね。
 美しいものは永遠でなければならない。
 故に私は貴方を美しく殺して差し上げましょう」
 歪んだ笑みを浮かべると男はさらに言った。
「そういえば私の名を告げていませんでしたね。
 本名をブライアン=テイストと言いマス。
 そして今の私はファサード。エクスキューターの一人、
 神に仕えし悠久数多の憂いを誘う貴公子で」
「話、長い」
 ファサードが頭上を仰ぎながら話している最中に、
 夢姫は彼の眼前まで歩いていた。
 手に持ったナイフで彼の胸元を狙う。
 すぐさまファサードは左手でそれを払った。
 攻撃をかわされ、一旦夢姫は距離をおく。
「いけませんねー。悪役の喋りは長く無意味にが基本デス。
 ですが、そのおかげで手傷を負って仕舞いましたよ。
 ジャパニーズ所謂文化は難しく高尚デース」
 彼の左手には夢姫のナイフで切った傷が付いていた。
 そこから出てくる血をふき取ろうともせず、
 ファサードはそれをうっとりしながら見ている。
 かと思えばそれを掻きむしり始めた。
 右手の指の爪を使い、傷の内部をえぐるように。
「痛くないデスね・・・痛く無いデスよっ・・・!
 これが神の与えし力! ダンディな男の証デース!!」
 彼の左手の傷を起点として腕が変形していく。
 スーツの左手部分が破け、それは形を作っていった。
 血管や骨格の原型は残っているものの、
 それはすでに人間の腕とは認識されない。
 奇形種の様な不気味な形をしていた。
 肌は気味の悪い紫色に変色し、
 全体をぶよぶよした脂肪が覆っていく。
 さらに細長い管のようなものが形成されていった。
「気持ち悪い」
 夢姫は素朴な感想を付ける。
「美しい者と醜い物の対比・・・サア、死になサーイ!」
 思い切りファサードは左腕を振るう。
 付いている管がそれに合わせて所構わずぶつかっていった。
 ガラスに当たると、壁ごとガラスを破壊する。
 そこから飛び散った赤黒い液体は、
 触れた夢姫の服を軽く焦がした。
「服に付いちゃった。この人、最悪」
「・・・あの腕、厄介ですな」
 夢姫を守ろうとロフォケイルは飛び出していく。
 すると夢姫は不満げに彼に言った。
「おじさん。邪魔」
「了解しやした・・・」

第二十四話後半へ続く