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黒の陽炎
−2ndSeason−

著作 早坂由紀夫

断章.持たざる者、その終幕
−Schwanengesang−


第二十六話・前半
「Someday My Prince Will Come」


11月16日(月) PM20:21 雨
マンション・三階・雪羽冬子の部屋

 雪羽冬子は気付くと総合病院のベッドに寝かされていた。
 どうにもそれまでの記憶が定かでない。
 まだ瀬村に襲われた事は覚えていた。
 黒澤が言った言葉も覚えている。
 それから先の記憶がなかった。
 軽い記憶障害と診断されたものの、目立つ外傷はない。
 おかげで冬子はすぐ自宅のマンションに帰ってきた。
 病院から借りてきた服を椅子へ投げ捨てると、
 膝ほどの大きさがある冷蔵庫からビールを取り出す。
 プシュッという音と共にプルタブを開いた。
「はぁ・・・」
 ビールを中程まであおると、
 そんなため息が口をついて出る。
 冬子は一本、二本とビールを飲みほしていった。
 テーブルに置かれたYVES SAINT LAURENTを手に取る。
 一本それを口にくわえるとライターで火を付けた。
 ため息に似た吐息と共に白い煙が吐き出される。
 煙草の煙は陰鬱さに拍車をかけていた。
「馬鹿だっ・・・私は、ホントに・・・」
 外ではいつの間にか小雨が降り始めている。
 その所為で憂鬱な気分が加速されるように感じた。
 何も考えまいとしても、考えは巡っていく。
 正直、冬子は自分と黒澤の関係を考えるのが怖かった。
 突き詰めればそれは、彼女が騙された事を指し示す。
 騙されたとは言えど金をたかられたわけでも、
 身体を弄ばれたワケでもなかった。
 ただスパコンのある地下まで案内させられただけだ。
 それでも彼女の中には彼の言葉が重くのしかかっていく。
 利用価値、という黒澤の言葉が彼女の涙を誘った。
 思わず冬子は右手で左腕を握りしめ、
 ぎゅっと悔しさに耐えようとする。
(あいつがはっきりと言わなかったら、
 私はずっと見て見ぬふりをしていたのかもしれない・・・)
 ふいに誰かが彼女の家のチャイムを鳴らす。
 目尻に浮かぶ涙を拭くと冬子はインターホンを取った。
「・・・どなたですか?」
「私、です」
 思わず冬子の表情が強張る。
 その声は忘れられるはずもなかった。
「出来れば、中に入れて頂きたいのですが・・・」
「今更・・・何の用があるんだ?
 私はもう用済みなんじゃなかったの?」
「ふっ」
 笑うだけで弁解の声は聞こえてこない。
 無論、それ以上黒澤の言葉を信用する気はなかった。
 それでも冬子は弁解の言葉が欲しい。
 黒澤をねじ伏せて、嘲笑ってやりたかった。
「謝りますよ。私は君を裏切りました」
 掠れた声で黒澤はそんな事を言う。
 はっきりと謝られる事は辛かった。
 誤魔化そうとすれば馬鹿にしようもある。
 それを素直に謝られては、心の中に芽生えてしまうのだ。
 もう一度だけ、信用したいという気持ちが。
(嫌だ・・・こいつに振り回されるのは、もう嫌・・・!)
「・・・帰ってよ」
「冬子・・・」
 これ以上黒澤の言葉を聞くのが怖かった。
 きっと彼と話をすれば、また冬子は信じようと努力する。
 また黒澤の事を愛してしまう。
 それが何処かで解っていた。
「帰って・・・! もう、私の前に現れないで!」
 気持ちを吐き出すように冬子は叫ぶ。
 インターホン越しに黒澤の苦笑いが見えた気がした。
 瞳からまた涙が零れていく。
 少しばかりの沈黙の後で、黒澤の声が聞こえてきた。
「・・・解りました。悪い事を・・・しましたね」
 どこかその声が苦しそうに聞こえる。
 冬子にとってそれは黒澤が後悔している様にも思えた。
 しかしそれが間違いだと冬子は気付かない。
 実際に黒澤が苦しい状況なのだと、気付かなかった。
「いつの間にか私がお前を名前で呼べなくなった事・・・
 お前は気付いて・・・くれなかったんだろうな。
 好きだから、怖くて・・・信じ切れなかったんだよ」
 立っている事が出来ずに、冬子は座り込んでしまう。
 気付くと口元にくわえていた煙草は床に落ちていた。

11月16日(月) PM20:35 雨
冬子のマンション前

 黒澤の姿は実に変わり果てている。
 コートで誤魔化してはいるが、
 彼の腹部はまだ出血していた。
 それに傘を差していないので身体中が濡れている。
(彼女を使ってこの傷を癒そうかと思いましたが・・・
 やはりそこまで都合良くはいきませんか)
 全てを放棄してしまいたい衝動にかられる。
 自分がそこまでしてこの身体に執着する必要はなかった。
 例えこの身体が死んだとしても、自分は死なない。
 そんな事を考えていた時、
 彼はもう一つだけ当てがある事を思い出した。
 あまり良い選択とは言えない。
 道徳的に言えばかなり下衆な選択ではあった。
(・・・この身体の持ち主との約束を違える事かもしれません。
 ですが、彼女を悲しませない為でもある)
 近くに駐車している車を見つけると、
 彼は迅速に鍵を開けて車の中へと入っていく。

11月16日(月) PM20:58 雨
白鴎学園・女子寮・黒澤美玖の部屋

 その時間に彼女はまだ起きていた。
 特に勉強などをしているわけではない。
 明かりを消してベッドの中で彼女は考えていた。
 ルームメイトはすでに熟睡している。
 雨の音を聞きながらふと彼女は昔の事を思い出した。
(初めてお兄さまと会ったのは、こんな雨の日だったなぁ。
 背が高くて優しくて眼鏡が似合う。
 周りは理想高すぎるって言ってたけど、
 お兄さまは私の理想の兄、そのままだった)
 美玖が生まれてすぐに両親は離婚している。
 元々仲の悪い両親だったが、決定的なのは美玖だった。
 母親の浮気が発覚した直後の妊娠であった為に、
 父親は彼女を自分の娘だと信じられなかったのだ。
 それから霧生は父親に引き取られている。
 生まれたばかりの美玖は母親に引き取られた。
 数年して美玖は自分の意志で父親の元へ行く事になる。
 癌で母親が亡くなった為だ。
 すぐに性を黒澤に戻し、その時に霧生と再会する。
 彼は当時、二十代前半の若者で美玖は中学生だった。
(お兄さまは最初私に言った。
 絶対に私を悲しませない、約束するって)
 うっとりした表情で美玖は過去を思い出す。
 彼女にとって兄以外の家族との記憶は殆ど無かった。
 家庭を省みない身勝手な母親。
 美玖に優しくはあったが、決して良い母親とは言えない。
 父親は美玖の事を毛嫌いしていた。
 自分の娘である事は間違いない。
 だがそれを信じる事が出来なかった。
 彼が美玖に与えたのは金以外には何もない。
 そんな中で霧生は唯一、家族でいてくれる存在だった。
 だから美玖は人一倍兄への愛情が強いのだ。
(この間は冬子さんを恋人だって紹介してた。
 私は、あの人を受け入れるべきなのかしら・・・いいえ!
 あんな人に取られるくらいならいっそ・・・!)
 自分で考えていて美玖は赤面しそうになる。
 そんな感情が自分の中にあるのは少しだけ知っていた。
 普段はそれを家族愛だとしている。
 しかし美玖は一人で居る時にふと思う。
 それは本当に家族に対するものなのか、と。
 何処かそれは曖昧なものだった。
 ふいに彼女の携帯が鳴り出す。
 曲名はスカボロフェアー。
 その着メロを登録しているのはただ一人、
 兄である黒澤霧生だけだった。
 急いで美玖は携帯を取る。
「お兄さま? こんな時間にどうしたのですか」
「・・・悪いのですが、保健室に来て頂けますか?」
「え、解りました。すぐに参りますわ」
 この時間に保健室というのは奇妙な話だった。
 だが兄の誘いを断るような妹ではない。
 支度をすると美玖はこっそり部屋を出ていった。

11月16日(月) PM21:08 雨
白鴎学園・校舎内・保健室

 彼女は10分程で保健室へとやってくる。
 なぜか保健室の電気はついていなかった。
 仕方なく美玖は手探りで進んでいく。
 真っ暗なままで霧生はベッドに座っていた。
 表情は暗くて見えないが、息が荒い。
「お兄・・・さま?」
 近づくと彼が上半身裸でいる事に気付いた。
 美玖は照れるより先に、その腹部の傷に驚かされる。
「こ、この傷・・・一体どうされたのですか!?」
「ええ。まあ、色々とありましてね」
 駆け寄って処置しようにも、
 その傷は素人ではどうしようもない物だった。
 どうしようか霧生の腹を手で触ろうとする。
 だがそれもまずいと思い、手が止まってしまった。
「病院へ行きましょう!」
「待ってください」
 霧生の手が美玖の手を握りしめる。
「お兄さま・・・?」
「美玖。君の力が必要なのです」
「何を・・・言って」
 身体を引き寄せられ不意打ちのように抱きしめられた。
 どこか美玖に縋るような抱擁にも見える。
「いき、いきなり何をなさるのですかっ・・・!?」
「・・・嫌でしたか?」
 抱きしめた腕の力を霧生は軽く弱めた。
 返事が出来ず美玖は俯いてしまう。
 どうにも心の準備が追いついていなかった。
 何故、自分が抱きしめられているのか。
 自分の心音が早くなっているのか。
 何も解らない。
「私、あの・・・と、とにかく動いてはいけませんわ」
「良いんですよ。気に留めないで下さい」
 彼女の身体を保健室のベッドへと押し倒した。
 ベッドが軋む音と共に美玖は身を竦める。
 霧生はそのまま覆い被さるように彼女の上へ乗ると、
 優しい微笑みを美玖へと浮かべた。
「私に全てを捧げてくれますか?」
「・・・すべてを、捧げ・・・る? ええっ!?」
 意味を理解した美玖は困惑する。
 今までの霧生からは到底考えられない発言だった。
 霧生はその美玖の強張った頬に触れてみる。
 びくっと震えて彼女は表情を硬くした。
「お兄さま、あの、怪我は・・・大丈夫なのですか?」
「これが終われば随分良くなるはずです」
「こ、これって・・・んうぅっ!?」
 いきなりのキスで反射的に美玖は拒絶しようとする。
 彼女の両手を強く押さえると、唇をゆっくりと離した。
「きょ、兄妹でこんな事・・・はしたないですわ」
「私は君を兄妹だと思った事はありません。
 よく考えてください、君の気持ちはどうですか?」
「・・・私、私は・・・解りませんわ。
 お兄さまの事を好きなのは、確かですけど・・・」
「その気持ちが貴方にある事が重要なのです。
 後はプリテンダーズになればどうにでもなります」
 美玖の両耳に触れると目を閉じて、
 もう一度そっとキスをする。
 その時、美玖の中で奇妙な感情が込み上げてきた。
(お兄さまを助ける為には、しなきゃいけない・・・気がする。
 こんなの変だわ・・・こんな気持ちが溢れてくるなんて)
 聞こえてくるのは外で降る雨の音。
 それだけが二人の耳へと鳴り響く。
 離れた唇はまだ美玖の目の前にあった。
 キスするわけでも、それ以上を求めるでもなく、
 二人はじっとその距離で見つめ合う。
 美玖は喋ろうとしたが、唇を動かす事が躊躇われた。
 緊張の為か自然と彼女の身体が震え出す。
 そんな美玖の着ているタートルネックを、
 両手を上にして脱がせていった。
「あの・・・お兄さま、ほ、本気なのですか?」
「言ったでしょう。私は君を妹だと思った事はない」
「・・・はい」
 お互いの頭にはすでに相手の事しか考えられない。
 その時ばかりは霧生も美玖を女性として愛しく思った。
 美玖の中からも戸惑いが少しずつ薄れていく。
 それがリビドーによる性治療の効力だ。
 性行為を行う事により、傷を癒す治療法。
 立場的な矛盾などを無くす為に、
 お互いが恋愛の最上級対象として認識される。
 故に今、霧生と美玖はお互いを強く求めているのだ。
「私、どうすれば宜しいの・・・ですか?」
「君は安心して全てを任せてくれれば良いんですよ」
 とはいえ霧生自身の身体はすでに限界を超えている。
 人間であれば死んでいてもおかしくない程に。
 息も少しずつ弱まっているのが彼には解っていた。
(ここまで来て・・・死ぬわけには、いきませんよ)
 服を脱がせ、美玖の下着を脱がせると、
 馴れた仕草で霧生は女陰へと手を伸ばす。
 恥ずかしさを堪えながら美玖は手でシーツを掴んだ。
 自分で触れるよりもくすぐったいその感じに、
 理解しがたい快感が生まれてくる。
「っ・・・」
 陰核が霧生の手で形を変えていく。
 思わず掠れるような声が美玖から漏れた。
(少し早いですが、そうせざるを得ませんね・・・)
 薄暗い保健室で霧生は美玖にそっと囁く。
「行きますよ」
「お兄さま、私の事・・・本気なんですよね」
「ええ」
「冬子さんよりも、私を選んだという事ですよねっ・・・」
「ええ」
 そんなやりとりの後すぐ、
 美玖の中にそれは突き立てられた。
 軽い痛みを感じる程度。
 それでも少し美玖は表情を強張らせる。
「ぜんぜん・・・痛くなんて、無いですわ」
「・・・そうですか」
「痛くない、ですけど・・・」
 そう言って美玖は頬を赤らめた。
「苦しいくらいに、お兄さまを感じますわ」
 彼女は手を回すとそのまま霧生の事を抱きしめる。
 軽く笑い、霧生は再び最奥まで美玖を貫いた。
「あっ・・・」
 火傷のような痛みを感じて美玖の表情が歪む。
 霧生の方も身体が限界に来ていた。
 動くだけで何かがズレる様に軋む。
 それ以上動く事も苦痛だった。
 なんとか美玖と位置を入れ替えるとベッドに倒れ込む。
「・・・美玖。どういう意味かは解りますね」
「え、そ、そんな・・・無理ですわ」
「私を助ける為だと思って、お願いします」
 思考を巡らせる美玖。
 彼女自身もそれが最良なのだと感じている。
 だから美玖は両手をシーツに乗せて身体を浮かせた。
 そこからゆっくりと霧生のものを、
 自分の膣口へと挿入しようとする。
「う、上手く入りません・・・」
「手を使って、案内すれば良いでしょう」
「あの・・・やれるだけ、やってみますわ」
 恐る恐る美玖は男根に手を触れようとした。
 握るまで躊躇してはいたが、
 触れてしまえば握るのは難しくない。
 後は自分の身体を降ろすだけだ。
「くぅっ・・・」
 少しずつ美玖は身体を降ろしていく。
 異物感が強くはあるが、どうにか挿入する事が出来た。
 顔を赤く染めながら美玖は腰をゆっくりと動かす。
「可愛いですよ、美玖」
「んっ・・・う、嬉しい・・・あうっ」
 急に霧生が男根を打ち付けてきたので、
 驚きと痛みで美玖は動きを止めてしまった。
「どうして、いつもよりこんな・・・
 お兄さまが愛しいのでしょう」
 倒れ込むように美玖は霧生の身体に寄り添う。
 その状態で美玖はまた動き始めた。
 本来の彼女なら考えられない程大胆な行動ではある。
 それも全て、仮初めの恋愛現象が成せる業だった。
「偽りだからですよ。全てが偽りだから、
 こうして嘘のような事が出来る」
「それなら、この気持ちよさも・・・偽りですのね」
「・・・美玖。そろそろ、出しますよ」
「えっ・・・な、中は駄目ですわっ」
 その言葉に笑顔を向ける霧生。
 下から突き上げるように彼は美玖を責め始める。
「い、痛っ・・・お兄、さま?」
 ふいに霧生の頭に何かがよぎっていた。
 自分のしている事の背徳感。
 強くそれを感じる。
(そう、まるで本当の兄妹のように・・・馬鹿な。
 目の前に居るのは、ただの人間の娘です)
 感情の揺れを払拭するように、
 霧生は座るようにして美玖を抱きしめる。
「ぐっ・・・お、兄さまっ・・・」
 奇妙な感情が彼を困惑させた。
 何も考えずに無心で動き続ける。
 限界が来ても美玖の中から、
 自分のモノを出そうとはしなかった。
「あっ、うぁあああっ」
 少しずつ霧生の身体は傷を癒そうとしている。
 すでに出血は止まっていた。
 行為の後、二人はベッドで横になる。
 すると美玖はふてくされた顔で霧生の胸に倒れてきた。
「これは、責任を取って頂けると思って宜しいんですか?」
「・・・妊娠の心配は要りませんよ」
「え?」
 仮初めの恋愛感情はすでに消えている。
 それでも霧生は美玖に対して、
 家族愛のようなものを抱いていた。
(まさか・・・あの時にこの身体の思念だと思ったモノは、
 私の感情だったとでもいうのか?
 黒澤霧生の思念が、私に憑依している・・・とでも?)
 酷いくらいの後悔が霧生を襲う。
 どうして美玖を抱いてしまったのか。
 自分が生きる為に彼女を犠牲にしてしまったのか。
 そう考える事自体が、霧生には怖ろしかった。
 悪魔らしくない。寧ろ人間らしい。
(この身体に長く居すぎたという事か?
 それならば、美玖を殺せば・・・)
「お兄さま?」
「っ・・・どうしました」
「いえ、怖い顔でいらっしゃったものですから・・・」
 思わず霧生は笑顔で美玖に言った。
「なんでもありません。さあ、もう帰りなさい。
 長くここにいるとお互いにまずい事になります」
「あ、そうでしたわ」
 急いで美玖は服を着始める、
 はにかんだ笑顔で、彼女は部屋を出ていった。
「・・・潮時、なのかもしれませんね」
 霧生は考える。
 この身体が回復したら、学園を出ようと。
 すると彼の脳裏に美玖の顔が浮かんできた。
(冥典を奪取する事も出来ず、人間に馴染み・・・
 私は一体、何をしているのだろうか)

最終話後半へ続く