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黒の陽炎
−3rdSeason−

著作 早坂由紀夫

Dark Brown Reunion

Chapter100
「Algol」



  2010年――――――――

 現象世界のデンデインと呼ばれる砂漠に、洞窟がある。
 人目につかない場所に隠された洞窟が。
 そこは人の目では認識できない結界が張られていた。
 結界、と言っても大仰なものではない。
 視覚効果と物理的なループを用いた簡易的なものだ。
 洞窟の先には常に一定数の天使が見張りを行っている。
 下位天使クラスの天使が数人、
 歩哨に似た役割で常に洞窟に駐在していた。
 何故ならその洞窟には一匹の悪魔が封印されているからだ。
 それも恐ろしく強大な力を持った上位の悪魔。
 故に封印自体の効力は凄まじく、誰も近寄る事が出来ない。
 誰が封印したのか、一体封印されているのはどんな悪魔か。
 見張りをする天使達は知る由もなかった。
 ただ、強力な悪魔であるという事だけが感覚で解る。
 彼らは一日ごとにアルカデイアと通信を行っていた。
 現象世界で言う元旦でもそれは同じ事。
 一月一日も滞りなく連絡は行われる。
 所属階位と名を告げ、状況を報告して指示を待つ。
 そうしてアルカデイアに報告があってから、
 一日経った一月二日。通信は唐突に途絶えた。
 数時間後、不信に思った天使達はすぐさま洞窟に急行する。
 現場についた天使達は警戒しながら洞窟内へと進入した。
 結界の失せた洞窟内に封印された悪魔の姿は無い。
 そこには喰い散らかされた天使達の死骸だけが散乱していた。

01月05日(火) AM02:05 晴れ
寮内・凪とカシスの自室

「ん・・・」
 寝苦しさで何度目かの寝返りを打つ。
 夜中、凪の隣で横になりながらカシスは眠れずにいた。
 行為の後で疲れているというのにも関わらず眠れない。
 頭の中をまたあの時の光景が駆け巡っていた。
 忘れたいのだろうか。それとも忘れたくないのだろうか。
 大切な二人の友人の死。
 それをカシスは今でもくっきりと思い出せる。
 顔をしかめるような臭いと真っ赤な血の色。
 苦痛と屈辱に顔を歪めていた二人の表情。
 彼女は凪の身体にぎゅっと抱きついた。
 目を閉じて彼の温もりを感じる。
 そうすると、少しだけ苦しさは薄れた。
 何も考えないようにしてカシスは眠ろうとする。
 凪のことだけ考えて。凪の笑顔だけ浮かべて。

01月05日(火) AM08:00 晴れ
寮内・凪とカシスの自室

「うぅ〜、眠い」
 ゆっくりと瞼を擦りながら辺りを見回す。
 隣にカシスが眠っている事以外はいたって普通の朝だ。
 その光景も今では少しだけ慣れてしまってるけど。
 俺は上半身を起こすと時間を確かめる。
「・・・うわ。学校があったら遅刻だよ」
 冬休みもそろそろ終わりの時期に差し掛かっていた。
 いい加減に生活のリズムを戻さないといけない。
 ちぇ。カシスの奴、幸せそうに眠ってやがる。
 頬をぷにっと押してみる。ちょっと引っ張ってみる。
「んぅ〜」
 起きる気配はなかった。
 う〜ん、可愛いには可愛いんだよな。
 ベッドから立ち上がると俺は着替えを始めた。
 まだ寒い日は続いてるけど比較的今日はぽかぽかしてる。
 カーテンを開けると朝の日差しが眩しく顔を照らした。
「ふゅ・・・眩しいの」
 窓側から顔を背けるカシス。
 ったく、朝が弱い所は誰かさんにそっくりだな。
 くすっと笑みを漏らすと俺は言った。
「もう8時だよ、カシス」
「じゃあ全員集合してくればいいの」
「何を意味解らない事を・・・」

01月05日(火) AM09:15 晴れ
学校野外・開放エントランス

 休みにもかかわらず学園に居るのはなんか虚しい。
 とはいえ、特に出かける用事も無かった。
 遊びに行くってのも女装してると大変だし・・・。
 結局、学園で時間を潰してしまうのが日課になっている。
 そうやって俺がベンチに座りながらカシスと話していると、
 遠くから一人の男子生徒がやってきた。
「やあ・・・久しぶりだね、凪君」
「・・・ラファエル」
 隣のカシスはぷい、と顔を逸らす。
 まあ彼の正体を知っているから仕方ない。
 無造作ヘアに軽くパーマのかかった髪型。
 爽やかで笑顔の似合う彼はラファエルだ。
 彼とはリヴィーアサンの件があってから、
 何かと話をしたりしている。
 この学園で唯一、俺が気兼ねせずにすむ男友達だ。
 最近、姿を見ないと思っていたら・・・神出鬼没な奴。
 ラファエルは真剣な顔で俺の隣に座る。
 つまりカシスとは逆側だ。
「いきなりでアレなんだけど、
 この間天使の上層部からある通達が降りてきてね。
 僕もその際に会議に出席してきたんだ」
「ある通達?」
 なんだか妙な予感のする言葉だ。
 はやる気持ちを押さえて俺はラファエルの言葉を待った。
「今、アルカデイアで厄介な事が幾つか起きてるんだよ。
 それを解決する為に動こうっていう通達さ。
 個人的に、君達には話しておかなきゃいけないと思ったんだ。
 まず一つ目は、以前に天使がインフィニティに侵攻した際、
 非道な行為を行ったディムエルという天使が逃亡した事」
「え・・・非道な行為、って・・・それ」
「うん。インフィニティ第一階層プロミネンティで起きた
 二人の悪魔を辱め殺したって事件だよ」
 それを聞いてカシスの顔色が僅かに変わる。
 何か言うのかと思ったが、カシスは何も言わなかった。
 ただ、ぎゅっと俺の腕を掴んでいる。
 俺と同じで何を言っているのかが解ったんだろう。
「あの事件を首謀したと思われるディムエルは、
 自分の罪が露呈する寸前にアルカデイアから逃げたんだ。
 それも、よりによってこの現象世界にね」
「こ、この世界に? なんで・・・」
「解らない。でも中位天使の包囲網をくぐって逃亡するなんて、
 熾天使クラスが手引きでもしなきゃありえないハズなんだ」
「何言ってるのよ。それってつまり同じ天使が、
 それも偉い天使が犯罪の手助けをしたって事なの?」
「残念だけど・・・そういう事になるね」
 口から何も言葉が出てこなかった。
 俯いてラファエルは暗い顔をしている。
 カシスは何を考えているのか、黙ったままだ。
「もう一つ、君に話しておかないといけない事があるんだ。
 今年、現象世界での一月一日に・・・世界を支える獣、
 バハムートが長い封印から解き放たれてしまった」
「・・・ルシエが?」
 意味が解らない俺の代わりにカシスが反応する。
 何処かカシスの言葉は怖れを含んでいた。
「うん。あ、凪君に説明した方が良いかな。
 ルシエ=オメガ=バハムート。かつて君が闘った、
 あのリヴィーアサンと対を為す悪魔の事だよ。
 彼はずっとデンデインっていう場所に封じられてたんだ。
 どうして彼の封印が解けたのかはまだ調査中だけど、
 蘇った目的は解っているんだよ。
 彼の目的は・・・フィスティア=アルバ=リヴィーアサン」
「リヴィーアサンが・・・目的?」
「そう。彼女を喰い殺す事が彼の目的なんだ」
「喰い・・・?」
 恐ろしい想像が頭に浮かんでくる。
 喰われるって事はどういう事だ?
 それで、紅音はどうなるんだ?
 背筋を冷たいものが駆け抜ける。
 俺は頭を左右に振って考えを無理矢理かき消した。
「だから、君に伝えておきたかった。
 きっとバハムートはリヴィーアサンごと、
 紅音君も喰い殺すつもりだろうから」
「そ、そんな事・・・させないよっ!」
 思わず俺は立ち上がってしまう。
 もう二度と紅音を危険な目にはあわせたくなかった。
 一瞬複雑な顔をしてからカシスも立ち上がる。
「うん。例えあのルシエが相手でも、
 リヴィ様には指一本触れさせないの」
 こういう時にカシスの言葉は心強かった。
 カシスは安心しろという具合に俺の方へ微笑みかける。
「ふう。後、イヴの事なんだけど・・・まずい状況になってる」
「え?」
「一年以上もアルカデイアと音信を絶っている所為で、
 老賢者の人達から彼女を裁判にかけようっていう声が
 徐々に高まってきてるんだ」
 老賢者に、裁判。
 ラファエルは俺にそれらの事を説明してくれる。
 どうやら老賢者というのは天使では相当偉い存在らしい。
 そんな奴らがイヴを裁判にかけようと話している、と。
 一体イヴの奴は何をしてるんだろう。
 このままじゃ折角帰ってきたアルカデイアにも、
 居場所がなくなってしまうんじゃないか?
「天使の裁判は基本的に無罪は無いんだ。
 裁判にかけられてしまえば、罰は逃れられない」
「どうして無罪が無いの? そんな裁判、聞いた事無いよ」
「裁判を取り仕切る老賢者達はメンツを重んじる。
 平たく言えば、間違いを認めたくないんだろうね。
 無罪の人でも裁判に立ってしまえば殆どの場合罰を受ける」
「それが普通なの? 天使って、そんな人達ばかりなの?」
 俺はラファエルにそんな事を聞いてしまう。
 聞いていれば酷い話ばかりだ。
 どんどん天使を信じられなくなる。
 思い描いていた天使のイメージは、
 もっと正義の名の元にって感じだった。
 それなのに今はまるで違う。
 天使のやる事って、まるで悪魔だ。そう思う。
「みっき〜が変えてくれるよ、きっと。
 彼はこの状況を変えようと頑張ってるんだから」
「ミカエル? あいつが?」
 う〜む。そんな事をあいつがやるのだろうか。
 踏ん反り返ってかったるそうにしてるイメージしか無い。
 とてもそんな改革をしそうには見えないが・・・。
「みっき〜は凄く強いし、優しいし、
 なんだかんだ言って頼りになるんだよ」
「ふ〜ん。そうは見えないけど」
「あはは・・・みっき〜は、照れ屋さんだからさ〜」
 て、照れ屋?
 あの男に最も似合わない言葉じゃないか。
 照れてるミカエルなんて、かなり嫌な感じだ。
 それにしてもラファエルは相当あいつを信用してるんだな。
 聞いてるとミカエルの事をベタ褒めだ。
「その内、友達のうりっちもこっちに来るハズだからさ。
 どの件も心配要らないと思うけど、
 やっぱり凪君には話しておきたかったんだ」
「・・・うん。ありがと。私、ラファエルの事は信じてるよ」
「そっか・・・信じてくれてる分も頑張らなきゃね」
 そう言うとラファエルは去っていった。
 彼が教えてくれた二つの事件は、
 どちらも俺に無関係とは言えない。
 ディムエルという天使の事。バハムートの事。
 早鐘を打つ心臓を抑え、俺とカシスは部屋へと歩き出した。
 紅音に何かあったとしたら俺はどうすればいい?
 だって、あいつを護るなんて今更・・・。
 ついこの間にも維月ちゃんに言われたばかりだ。
 俺はもう紅音の事、護る資格なんて無い。
 解っていた。俺達が違う道を歩き始めてるって事くらい。
 すでに俺と紅音の距離は遠く離れてるって事くらい。

01月05日(火) AM09:32 晴れ
学生寮前

 学生寮の前まで来て俺は途方にくれていた。
 紅音にしてやれる事を考えたけど、一つも浮かばない。
 唯一出来るのは紅音から遠ざかっている事だけだ。
 つまり、何もしない。
 気付けばカシスは先に寮の中へ消えていた。
 俺もとりあえず部屋に戻るか。
 そう思って歩き出そうとすると、
 誰かが俺の肩を後ろから叩いた。
 振り返るとそこには黒澤が立っている。
「黒澤・・・先生」
「お久しぶりですね、高天原君」
 軽く身構える俺に黒澤は微笑んだ。
「別に何かしようなどと思っては居ませんよ。
 私もそれほど暇ではないのでね」
 なるほど。暇潰しなら俺に何かする気はあるのか。
 担任じゃなくなってから黒澤とは疎遠になっていた。
 とはいえこの男が悪魔だという事は忘れるはずがない。
「実は現一年、二年生に転入生が入る事になりましてね。
 君にその人達を案内して頂こうとお願いに来たんです」
 転入生か。一年生はまだしも、
 この季節に二年生とはまた奇妙だな。
 まあそれよりもなんで俺が案内するかの方が気になる。
 あ。俺が生徒会長だからか。
「う〜ん。どうしようかなあ」
「承諾していただければ、
 今度お礼に冥福堂のお汁粉を奢りますが」
「やります」
 思わぬ申し出に俺は少し顔を綻ばせる。
 冥福堂と言えば近所で有名な甘味処の老舗だ。
 特にお汁粉。創業25年の熟練された味は伊達じゃない。
 あの上品で清楚な甘さを思い出しただけで涎が出そうだ。
「転入生達が待っているので、宜しいのでしたら
 今から職員室へ同行してもらえますか?」
「はいっ。喜んで」
 俺は校舎へ歩き出す黒澤の後をついて行く。
 それにしても俺の好みを何時の間に知ったのだろう。
 侮れないな、黒澤。

01月05日(火) AM09:37 晴れ
新館校舎・職員室

 職員室に入ると、黒澤の机の前に数人の男女が立っていた。
 正確には女子が一人。男子が二人。
 もう三人ともこの学園の制服を着ていた。
 彼らは黒澤に気付くと軽く礼をする。
「お待たせしましたね。この子は高天原さん。
 現二年生で私の代わりに校舎の案内をしてくれる子です」
「はい。宜しくお願いしますね、先輩。
 私は柚和蓮未(ゆわ はすみ)。一年です」
「あ、うん」
 最初に紹介してきたのは女の子だ。
 ショートの茶髪に大人っぽい顔立ちをしている。
 一年の割には落ち着いた雰囲気のある子だ。
「俺は上埜葛(うえの かずら)。宜しくな、高天原さん」
 ふんわりとした笑顔を浮かべて話し掛けてきたのは、
 活発そうな感じのする男だった。
 坊主に近い髪型をしていてスポーツをやってそうに見える。
 肌も少し焼けているようで黒くなっていた。
「あ、僕は・・・姫菱圭太(ひめびし けいた)。
 まあ、その、覚えなくてもいいですけど」
 最後の一人はやけに謙虚というか、卑屈な奴だな。
 おどおどしているというワケじゃ無さそうだ。
 こういうキャラなんだろうか。
 少し長めに伸びた黒髪に死んだ魚の様な目。
 妙に彼だけが不穏な空気を醸し出していた。
 口元は微妙に笑ってる気もする。不思議系、なのか?
「それでは宜しくお願いしますよ、高天原君」
「はい」
 素直に返事してみたものの、なんか違和感。
 考えてみれば悪魔の教師だもんなあ。
 そんな相手に普通に対応してる俺って変なのか?
 ま、深く考えた所でお汁粉の誘惑には勝てるはずもない。
 一旦、俺は三人を引き連れて職員室を後にする。

01月05日(火) AM09:55 晴れ
学校野外・開放エントランス

 色々と校内を案内してから俺はここにやってきた。
 一息つくにはエントランスが丁度いい。
 近くのベンチに座って彼らと話をする事にした。
 冥福堂のお汁粉分はキチンと働かなきゃな。
「あの・・・せんぱい。先輩って部活とかやってるんですか?」
「え? 私はやってないなあ。
 でも、この学園は結構沢山部活があるよ」
「へぇ〜」
 隣に座っている蓮未ちゃんが俺を見てにっこりと笑った。
 何処となく妖艶な雰囲気がするのは気のせいか?
 位置的にも少し近すぎる気がした。
 座っている俺と彼女の間は殆ど隙間がない。
 残りの二人は喋る様子もなくただ座っているだけだ。
 俺が彼らに話し掛けようとすると、
 それを遮るように蓮未ちゃんが話し始める。
 妙に彼女の視線が熱いのはもしかして・・・。
 いや、気のせいだよな。はは、俺って自意識過剰。
「それにしても、俺以外にも転校生がいるなんてなあ。
 この時期だから他に居ると思ってなかったぜ」
 上埜は笑いながら姫菱の肩を叩いた。
 すると彼は俯きながら暗い表情で言う。
「ふふふ。僕もそう思ってましたよ。
 え? 聞いてないって? それは失礼しましたね」
「あははっ、お前面白いヤツだな」
 にこやかに笑う上埜とは対照的に、
 姫菱は喉を鳴らすようにクククと笑っていた。
 なんか姫菱って不気味なヤツだな。
「皆さんとは良い友達になれそうですよ」
 表情は変わっていないが笑いが口から漏れてる。
 上埜や蓮未ちゃんは気付いてないのか一緒に笑ってた。
 姫菱みたいなタイプって、ちょっと対応に困るな。
 軽く頭を抱えていると蓮未ちゃんが俺の方を向いた。
「先輩ってパソコンとか興味ありますか?」
「パソコン?」
 質問の後で急に三人の表情が変わる。
 いきなりの事で俺は面食らってしまった。
 ある種の何かを期待しているような六の瞳。
 彼らに押されるようにして俺は口を開いた。
「・・・あんまりやった事は無いなあ」
「そうなんですか。残念です」
 俺がそう答えると彼女は心底残念そうな顔をする。
 奇妙な雰囲気もそれで払拭された。

01月05日(火) AM10:21 晴れ
寮内・凪とカシスの自室

 しばらくして俺は自分の部屋に帰ってくる。
 彼らもすでに部屋を与えられているようで、
 それぞれ寮の中へと入っていったみたいだ。
 部屋の中に入ると俺は不意に聞きなれた声を聞く。

「――――おかえり、凪ちゃん」

 紅音の声だ。凄く聞きなれてるのに、懐かしい声。
 勿論、これは本当の紅音じゃない。ただの幻聴だ。
 目の前のテーブルに座っているのはあいつじゃない。
「おかえりなの」
「うん。ただいま」
 カシスは愛らしい笑顔で俺を迎えた。
 今はこれが俺の日常。そんなのは解ってる。
 もう紅音の事を考えたって仕方ないんだ。
 これ以上紅音を思っていても、
 お互いを傷つけるだけなんだから。
 俺はお茶を冷蔵庫から出すとカシスの隣に座った。
「これから何しようかなあ」
「する事がないならエッチでもいいの」
「いや、それはちょっと・・・あはは」
 さっきのラファエルが言っていた事には触れない。
 その話題は今の俺達にはタブーみたいなものだ。
 出来るなら率先して話し合いたくはない。
 だから下らない話でよかった。
 何も考えず、笑っていられるなら。
「まあ私と話してるだけでも凪には幸せな事なの」
「そですねー」
 適当に受け答えするとカシスはむっとした顔をする。
 こういう所はガキっぽいと言うか、可愛いんだよな。
「奴隷の分際で生意気な態度なの」
「わ、わあっ」
 薄笑いを浮かべながらカシスは俺の脇をくすぐってきた。
 いきなりの事に俺はビクッとして脇を締める。
 負けじと俺はカシスの脇を手で突っついてやった。
「ひゃうっ」
 どちらかというとカシスはくすぐりに弱い。
 びっくりしてカシスは身体をちぢこめた。
 俺が得意げな顔をしていると、カシスは頬を染める。
 照れているというより怒ってるみたいだ。
 そうやって怒るカシスの表情に俺はくすっと笑ってしまう。
 こうしてるとやっぱり傍からは恋人に見えるんだろうな。
 俺達の中では期限付きの恋人関係なワケだけど、
 そんなの大した意味はないのかもしれない。
 考えれば考えるほどそれはおかしく思えた。
 結局、俺は逃げようとしてるだけなんだ。
 俺とカシスがちゃんとした恋人関係にあると思いたくない。
 それを認める事で紅音との何かが壊れてしまう気がして。
「何笑ってるのっ。なんか無性に腹が立つの」
「うん・・・俺、もうすぐ紅音の事を
 吹っ切れそうだなって思ったんだ」
「え? それ・・・ホントなの?」
「あのねえ。こういう嘘はつかないよ」
 少し驚いた顔でカシスは俺の事を見ていた。
 気持ちは解る。俺も自分の気持ちが意外に感じる。
 だって俺はいつもの様にカシスと話していただけだ。
 それだけで吹っ切れそうな気がするなんて変かもしれない。
 だけど大切な事に気付くのって、きっとこういう時なんだ。
 何でもない話をしてる時。下らない事をしている時。
 不意に何か大切なものの欠片に触れる。
 絡み合った糸が唐突に解れていく。
 後ろ髪引かれる思いはあるけど、
 少しずつゆっくりとなら前に進める気がした。
「それじゃあ・・・もう私は必要ないの?」
「え、なに?」
 小さな声だったせいでよく聞き取れない。
 俺はもう一度聞こうとカシスに聞きなおしてみた。
「・・・なんでもないの」
 妙に神妙な声でカシスはそう答える。
 いきなりどうしたんだろうか。
 首を傾げてみるもののカシスは教えてくれなかった。

Chapter101へ続く