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黒の陽炎
−3rdSeason−

著作 早坂由紀夫

Dark Brown Reunion

Chapter102
「心の在処」


01月13日(水) AM02:26 曇り
学校野外・開放エントランス

 深夜、学園を出歩く影は無い。
 あるのは一人の女性の姿だけだ。
 女性は何処かへ出かけていたらしく、
 エントランスのベンチで一休みしている。
 表情は酷く悲しそうで、何かを考えているようだった。
(手がかりが一つも無い以上、探しても無駄かもしれない。
 けど、じっとしてなんていられないの。
 クリアとクランベリーを殺した奴が現象世界にいるのに、
 私はのうのうと生きているワケにはいかない・・・)
 己の拳を強く、爪が食い込むほど握りしめる。
 彼女は自分が凪を好きになっている事に薄々気付いていた。
 学園での生活も彼女は気に入っている。
 一年前、全てを失ってから得たものは確かにあった。
 それでも彼女は思う。
 この生活を失ったとしても、仇を討たなければならない。
 例え刺し違える事になったとしても。
 辺りはまだ夜と言う事もあり、
 息が白くなるほどの寒さが女性の体温を奪っていく。
 女性は両の手を擦り合わせてベンチから腰を上げた。
 深蒼に彩られた闇は、心さえも冷やす様に女性を包み込む。
 こんな凍えるような夜に居心地のよさを感じる彼女は、
 ふと自分の心が冷え始めているのかもしれないと思った。
 そう、心が冷え切ってしまえば怖い物などはないだろう。
 ただ女性は知らなかった。
 冷え切った心のもとに、幸福は決して訪れない。

01月13日(水) PM12:53 曇り
学校野外・開放エントランス

 曇り空。いつもそれは不穏な感覚のする天気だ。
 気温も低くて制服だと肌寒い。
 なのに外で昼飯というのはどういう了見なのか。
 鴇斗の思いつきほど厄介なものはなかった。
「いやあ〜、今日はいい天気だねぇ紅音ちゃん」
「えと・・・いい天気なんですか?」
 空を見渡して紅音は首をかしげる。
 まだ紅音は鴇斗に慣れていないみたいだ。
 ぎこちない会話が見ていて少し面白い。
 とはいえ会話してる二人の事を考えるとそうでもなかった。
 何しろ鴇斗は紅音に告白している。
 返事は貰ってないみたいだが、普通に話せるだけマシだ。
「凪、あ〜んするの」
 学食で買ってきた弁当を持ってカシスはそんな事を言う。
 ちなみに箸で掴んでいるのはパセリだ。
 自分が食えないから俺に食わそうという魂胆だろう。
「それ食べられないんでしょ?」
「・・・仕方ないの。コレは人間の食べる物じゃないの」
 かわいそうなパセリ。なんて酷い言われよう。
 全国のパセリ業者が泣いているのが目に浮かぶな。
 それにカシスは人間じゃなくて悪魔だ。
 仕方なく俺がそれを口に入れようとすると、
 隣に座っている真白ちゃんが代わりに食べる。
「凪さんの為ですから」
「あ、ありがと」
 どんどん積極的になっている真白ちゃん。
 前よりその姿は可愛く見えるから困ったものだ。
 心なしか胸も積極的に成長している気がする。
 今の女性はこの位が当たり前かもしれないが、
 これ以上真白ちゃんは大きくならない方がいいと思った。
 なんていうか、今の大きさが理想的というか・・・。
 ああ、なんだか俺は今凄くアホになってる。
「凪さんてば〜っ。見つめられると照れますよぉ」
「ええっ? そ、そんなワケじゃ・・・」
「浮気者発見なの」
「うっ」
 カシスが隣で鋭いジャブを入れてきた。
 真綿で首を締めるようなカシスの視線が痛い。
 ところが何を思ったか真白ちゃんはそこで俺の腕を掴んだ。
「浮気じゃありませんっ。乗り換えです」
 何を思ってるんだ、真白ちゃん・・・。
 モビルスーツやパソコンじゃあるまいし、
 そう簡単に乗り換えるようなものじゃないだろう。
 何より、胸を見ていただけで俺の気持ち決定ですか。
 むすっとした顔でカシスは俺の腕をつねった。
「いたたっ」
「あんまりいい気にならないで欲しいの」
 真白ちゃんを睨みながらカシスは低い声でそう言う。
 それに対して真白ちゃんは、
 胸を当てるようにして俺の腕を強く掴んだ。
 おかげで俺の心は桃源郷へと誘われる。
 だがカシスがさらに強く腕をつねった。
「あいたっ」
「凪の幸せそうな顔が余計腹立つの」
 そんな事言ったって、どうしようもないのです。
 男はすべからくこの感触に弱いのだ。
「女の嫉妬は見苦しいですよ、カシスさん」
「それはこっちの台詞なの」
 目の前で激しい闘いが展開されている。
 バチバチと火花が飛ぶほどの睨み合いだ。
 お互いに笑顔を浮かべているが口元が引きつっている。
 こ、怖すぎる。下手なホラー映画より心臓に悪い。
 俺達がそうして馬鹿な事をしてる間にも、
 鴇斗と紅音はいい感じで話していた。
「へぇ〜、紅音ちゃんは悪魔が好きなんだ」
「あはは〜・・・あんまり詳しくないんですけどね〜」
「じゃあ天使も好きなの?」
「勿論ですよぉ。ミカエル様とか大好きだしぃ」
「あ、それ知ってる」
 さっきより紅音が楽しそうに笑ってる。
 鴇斗の話術もあるだろうけど話も弾んでるみたいだ。
 少しずつ紅音は鴇斗のペースにハマってる。
「っ――――」
 俺は鴇斗を応援しなくちゃいけないんだ。
 けど仲良さそうに話す二人を見ているのが辛い。
 紅音が男に心を開いていくのを見るのは耐えがたかった。
 胸の奥が疼く。紅音の笑顔が、視線が、声が、心に刺さる。
 思わず俺はゆっくりと目を閉じた。
 何も見えないように。何も解らないように。
「凪さん、どうかしたんですか?」
 真白ちゃんが俺を心配して声をかけてくれる。
「なんでもないよ。ちょっと目が疲れただけ」
「悩みがあったらいつでも私に相談して下さいね。
 私で良ければ、どんな時でも話し相手になりますから」
 嬉しい事を言ってくれるな。
 少し恥ずかしそうに真白ちゃんは笑っていた。
 彼女の顔を見て俺は微笑みながら言う。
「うん。頼りにしてる」
「凪、私も話し相手になってやるから相談するの」
 なんだか真白ちゃんに対抗したいみたいな発言だ。
 嬉しいは嬉しいのだが、何処か複雑な気分になる。
「ああ、うん。頼りにしてるよ」
 苦笑いを浮かべて俺はカシスにそう言った。

01月13日(水) PM14:32 曇り
学園前・校門

 校門の前に一人の少年と学園の生徒が立っている。
 奇妙なほどの風格を持つ少年は学生に言った。
「ね〜ディムエル。学園生活は楽しい?」
「はい。全てはアザゼル様の尽力によるものです」
「そうだね。ボクは君の為に色々してあげた。
 これは事実だよねえ。でも良いんだよ、楽しいからさ。
 ウリエル君がどうやら君を追ってきてくれるみたいだし」
「あ、あの男がですか?」
「ふふっ・・・怖れる事はないさ。四大熾天使の権限は、
 現象世界じゃかなり制限を受ける様になってるんだ。
 それにね、ウリエル君は弱虫だから・・・あははははっ」
 仮にも四大天使の一人であるウリエルを弱虫呼ばわり。
 底知れぬ恐怖を感じてディムエルは身震いした。
 当初は天使の中でも最高位の熾天使の一人が、
 自分を助けるなどにわかには信じられなかった。
 だが彼を知る内にディムエルは少しずつ納得していく。
 アザゼルという少年は、多くの天使と違い
 自らの内に正義を秘めていないのだ。
 彼は自分が楽しいかという一点に置いてのみ動く。
 そこに善悪の区別などは無い。
 改めてディムエルは自分が戻れない場所へ来たと知った。
「さてと。それじゃあさ、ルシード見たら今日は帰るね。
 でも彼があんまり可愛い事言うようならどうしよっかな。
 くくっ・・・まあ、それならそれで犯るだけだけど」
「ほ、本気ですか?」
「あはははっ、な〜んて。ボクが犯ってもいいけどねぇ。
 どうせならルシエにやらせようかなって思ってるんだ。
 その方がきっと面白いし・・・彼も喜ぶだろうしね」

01月13日(水) PM16:52 曇り
学校野外・開放エントランス

 授業が終わり、生徒会役員会議が終わった。
 ようやく自由になったものの、大してやる事も無い。
 いつもはこの時間、カシスと一緒のはずだった。
 奇妙な事に最近あいつは放課後になると姿が見えなくなる。
 本人に聞いても要領を得ないと言うか、なんというか。
 そんなワケで俺はエントランスのベンチに座って、
 久しぶりにぼけっと一人で本を読んでいた。
 こういう時間も悪くない。
 風は冷たいけど寒すぎるって程じゃないし。
 夕焼けが空に映えているがまだ暗くも無かった。
 のんびりするには丁度いい時間と言える。
 と、俺の隣に一人の少年が座った。
 ぱっと見た感じだと、年齢は12歳くらいに見える。
「君・・・どうしたの?」
 この学園に兄か姉がいるのだろうか。
 それとも勝手に入ってきた?
 少年はにこりと笑うと俺の質問に答える。
「ボクは君に会いに来たんだよ、ルシード」
「・・・え?」
 今、ルシードって言ったのか?
 困惑する俺にくすくす笑いながら少年は言った。
「ふふっ・・・一応これでもボクは天使なんだ。びっくりした?」
「え、ええ」
 無邪気そうな顔で少年は自分を天使だと名乗る。
 普通なら笑ってかわすが、そうもいかなかった。
 彼の物腰や雰囲気からして言ってる事は嘘じゃない。
 それにルシードという言葉。決定的だ。
「ねえ、ディムエルの居所を知りたくない?」
 確かディムエルって、あの事件に関わってる奴の名前だ。
 突然の彼からのそんな申し出に俺は少し戸惑ってしまう。
 俺がそれを知ったとして何が出来るのだろうか。
 そいつを俺が捕まえる事なんて出来そうに無かった。
 でも知っていれば何かの手助けが出来るかもしれない。
「うん。知ってるなら教えて欲しい」
「・・・彼はこの学園に生徒として生活してるよ」
「えっ? ココにいるの?」
「そうだよ。それじゃ、御褒美」
「は?」
 いきなり御褒美と言われて俺は困ってしまった。
 上げるようなものは今持ってない。
 本当の子供なら飴玉でも買ってくるが、相手は天使だ。
 一体、何を上げればいいのだろうか。
「大した事じゃないよ。ちょっと耳を貸して」
「う、うん」
 素直に俺は少年に顔を近づける。
 すると少年はがしっと俺の顔を掴んで、彼の方を向かせた。
「美味しそうな顔してるね」
 言葉の後、急に彼は俺にキスをしてくる。
 突然すぎて反応出来ず、かわせなかった。
 子供の外見の所為で油断していたというのもある。
 思わず俺は身体を引いて少年から離れようとした。
 少年はそのまま俺の口内に舌を入れてくる。
 舌と舌が触れ合った瞬間、さすがに背筋がゾッとした。
「ん、んっ〜〜!」
 慌てて少年を引き剥がすと俺は辺りを確認してみる。
 不幸中の幸いか、生徒の姿は殆ど無かった。
 多分、誰にも見られてはいないだろう。
 俺の動揺をよそに少年の顔は喜びに満ち溢れていた。
 こっちは大切なものを一つ無くした気分なんだけどな。
 おまけにお互いの唇から唾液が糸を引いている。
 幾ら相手が少年とは言え、こんな光景は嫌だ。
 男とディープキスなんて罰ゲーム以外の何者でもない。
「御馳走様。ボクはココまでにしておくね」
「あのねえ・・・いきなりこんな事しちゃ駄目だよ」
「えへへっ、ごめんなさい」
 にこにこと笑う少年を見ていると怒る気にもなれなかった。
 何の意図でキスしたかもさっぱり解らないし。
 俺が男だって知らないのか?
 まあ、そうじゃなきゃこんな事しないだろう。
「お詫びにもう一つ、教えてあげる。
 ディムエルが身体を借りている生徒は転校生だよ」
「転校生? それじゃあ・・・」
 そいつは俺が出会った転校生の中に居るかもしれないのか?
 真実は思ったよりもずっと近くに潜んでいた。
 これなら調べればその天使を見つけられるかもしれない。
「ふふっ、じゃあボクはもう帰るね」
「あ、ちょっと待って。君の名前は?」
「・・・ボク? そうだな、アゼルとでも呼んでくれるかな。
 また会う事があればそう呼んでくれると嬉しいよ」
 アゼル、か。何処かの会社を思い浮かべそうな名前だな。
 少年は愛くるしい笑顔を浮かべて去っていく。
 う〜ん。不思議な雰囲気を持ってる天使だなあ・・・。
 つられて俺までにこっと笑ってしまった。

01月13日(水) PM17:24 曇り
学校野外・開放エントランス

 しばらくの時間が経ち、
 校舎の明かりが闇の訪れを知らせる。
 冬本番の寒さはスカートの俺には辛かった。
 こういう時は、やっぱり男の方がいい気がする。
 そんな事を思いながら俺は寮へ帰ろうと立ち上がった。
 すると校舎の方からラファエルが歩いてくる。
「やあ、凪君。寒いねー」
「ラファエルは男だからまだ良いよ。
 私なんかスカートだから寒くて寒くて。
 その内にジャージを重ねて着ちゃおっかな」
「え〜。凪君は面白い事考えるなあ」
 少し驚いた素振りでラファエルがくすっと笑った。
 そういえばアゼルって、ラファエルにちょっと似てるかも。
 笑った時に目がなくなる所とか。
 と、そこで俺は気付いた。
 さっき聞いた話、ラファエルは知ってるのだろうか。
 大体にしてラファエルはアゼルが来た事を知ってるのか?
「ねえラファエル、私の所にさっき天使が来たんだけど」
「え?」
 先程より不審そうな顔でラファエルは驚いた。
 どうやらラファエルは関わってないみたいだな。
 今までラファエルが重要だって思えることを、
 わざわざ人づてに教えてきた事はなかった。
 下手したらディムエルの事も知らない可能性がある。
「その天使は私にディムエルがこの学園に居るって言ったの。
 それってもしかしてラファエルも知らない事?」
「・・・うん。そんな情報は初耳だよ。
 天使が君の所に来るなんて話も聞いてないし、
 その情報だってアルカデイアからの情報なら、
 まず僕が君より先に聞かされてるはずだよ。
 一体その天使ってなんて名前だったの?」
「確か本人はアゼルって言ってた」
「アゼル?」
「そう」
「聞いた事ないよ。僕の知ってる天使じゃ、ない」
 急に俺の背筋を冷たいものが走った。
 話が段々おかしい方向へと進んでる。
 少年の姿をしたあの天使は一体、何者だったんだ?
 風邪がひゅう、と音を立てて俺の髪をすり抜けていく。
 なんだかちぐはぐなパズルを見せられたように、
 言いようのない気味の悪さが身体を襲った。
「じゃあ、あの天使は・・・一体」
「解らない。とりあえずみっき〜に聞いてみるよ」
「うん。宜しくね」
 そのままラファエルは男子の寮へと走っていく。
 考えてみれば、アゼルとの会話は不自然すぎた。
 確かに俺はルシードで天使と無関係じゃない。
 とはいえ天使であるラファエルさえ知らない情報を、
 関連性の低い俺にいち早く聞かせたのは何故なんだ。
 答えは勿論、解らない。解るはずがない。
 ただ、それには得体の知れない不気味さが渦巻いていた。

01月13日(水) PM17:36 曇り
寮内・一階

 結局変なモヤモヤが残ったまま俺は寮内に帰ってくる。
 靴を脱いで廊下を歩くと両手が痺れるような感覚になった。
 いわゆる寒い所から温かい所に来た事による状態変化。
 感覚が少し鈍いが、まあその内治るから気にしない。
 そうやって寮内の廊下を歩いていると、
 向こう側から紅音がやってきた。
 紅音は俺の顔を見ると少し固い雰囲気になる。
「凪ちゃん、何処か行くの?」
「ううん。これから部屋に戻るところ」
 意外にも話し掛けてきたのは紅音だが、
 残念ながらそれ以上会話が続かなかった。
 何故、こういう時に俺は何も言えないんだろう。
 話題を探していると、不意に俺は昼間の事を思い出した。
 鴇斗の事を紅音はどう思ってるんだろう。
 気になるけど聞く事が出来なかった。
 未練がましい態度で紅音を困らせたくない。
 代わりに俺はさっき会った天使について聞く事にした。
「そういえば紅音って天使も詳しいんだよね」
「え・・・うん、一応」
「アゼルって天使、知ってる?」
「あぜる?」
 専門分野に話題を振られた所為か紅音の顔が少し緩む。
 まあ、緩むといっても首をかしげながらだったが。
 首を捻ったかと思うと紅音は廊下を回り始める。
 ここまでオカルト系の事で悩む紅音は久しぶりに見るな。
「アゼル・・・アザトース? ラジエル? アイオロス・・・違う。
 アザリアは天使だけど人間の時に使った名前だし。
 あ、そういえばトビト書って私何処にしまったっけ?」
 一人でブツブツと何かを呟きながら、
 かと思えば一人であいずちを打ってみせる。
 ややあってから紅音は、ぽんと手を叩いた。
「解った! ヘブライ語で『神の強者』を指す
 アザゼル様の別名だよっ。アザゼル様はねえ、
 アザエル、アゼルなんて呼ばれる事もあるんだぁ」
「じゃあ本当の名前はアザゼルなの?」
「う〜ん。本当、ほんとぉ・・・そこは難しいんだよねぇ」
「え・・・えっと〜・・・じゃ、いいや」
 あまり詳しく講義を聞きたくはない。
 残念そうな顔をする紅音だったが、
 何か言おうとして「あっ」と小さく声を上げた。
 それから急に態度がまた余所余所しくなってしまう。
 こうも露骨だとその内にツッコミ入れそうだ。
 久しぶりにこうやって話したのに、
 中身は宗教じみた話で浪漫の欠片もない。
 って・・・俺は何かを期待してるのか、今更。
「じゃ、じゃあまた・・・今度ね」
「うん。またね、凪ちゃん」
 俺達はなんだか微妙な雰囲気で別れを告げた。
 紅音の後ろ姿を見送ると俺は自室へと歩き出す。

01月13日(水) PM17:50 曇り
寮内・高天原凪とカシスの部屋

 自室の前まで来て、俺は立ち止まった。
 中からなにやら声が聞こえているからだ。
 それも、一人じゃない。
「いや〜公野って、酒強いんだなあ」
「あんたこそ中々やるの。気に入ったの」
 なんか・・・部屋の中へ入りたくなくなってきた。
 とはいえ制服を着替えないといけないしな。
 仕方なく俺はドアを開けて部屋に入った。
「おっ、来たなあ〜」
 紫齊がにこにこ顔で立ち上がる。すんげー酒臭い。
 辺りには飲み散らかした酒が散乱していた。
 こいつ、多分酒を止める事なんて絶対に出来ない。
「ふぅ。遅いの、凪」
 カシスまで酒を飲んでいた。
 少し頬が紅潮しているが、言動は普通に見える。
 俺はそそくさとバスルームで着替えようと試みた。
「ん〜? 凪の着替えショーだぞぉ、公野ぉ」
「覗かない手は無いの」
「さんせぇ〜っ」
 カーテンに隠れて俺が上着を脱ごうとした瞬間。
 二人してカーテンを払って俺に突っ込んでくる。
「わ、わぁああぁ〜〜〜っ」
 慌てて上着で肌を隠すものの、しっかり見られた。
 間違いなく見られてしまった。
 その証拠に紫齊は複雑な顔で俺の胸を見ている。
「負けた・・・凪って、結構胸あるんだ」
「紫齊が落ち込む事は無いの。
 今は胸が小さい方がいいらしいの」
 幸い偽物の胸だという事はバレてないらしい。
 こっちは事情が事情なだけに顔色真っ青だ。
 二人を追い出すと改めて俺は私服に着替える。
 最近は時期的にジーンズをよく履いていた。
 ちゃんと秋のセールでカシスと色々買ったからな。
 着替えが済むと二人と一緒に床に座った。
 どうやらまだ飲んでいる最中らしく、
 酒の肴がテーブルの上に並んでいる。
「よしっ、凪も来た事だし改めてかんぱーい」
「乾杯なの」
「か、乾杯」
 適当な酒を掴まされて俺も乾杯させられた。
 二人とも飲むペースが尋常じゃない。
 水曜だっていうのに大丈夫なのか?
 おまけに紫齊は日本酒、カシスはウィスキーだ。
 明日の心配というものがこいつらには欠落している。
「ぷはぁ〜、ウィスキーはキツイの」
 明らかにダブルより量の多いウィスキーを一気かよ。
 いきなり倒れないだろうなあ・・・。
「私も負けてらんないな、これは」
 勢いにのって紫齊も並々注がれた日本酒を一気飲み。
 馬鹿みたいなペースだ。
 しかも久々に会ったと思えば、こういう場だもんな。
 その内、紫齊とは酒飲んでる記憶しかなくなりそうだ。
「うあ〜。暑いなあっ! 暑いよねえ、来栖」
「確かに暑いの。脱げば涼しいの」
「おぉっ、良いアイデアだなぁ〜」
「ちょ・・・ちょっと待ってよ!」
 俺の制止も聞かず二人は上着を脱ぎ始める。
 完璧に出来上がってしまってるみたいだ。
 カシスの下着はある意味で見慣れてるわけだから、
 それほどこっちが恥ずかしいと言う事は無い。
 けど紫齊は見慣れてるはずが無かった。
 視線を下へ落とすと俺は紫齊に言う。
「し、紫齊っ・・・みっともないから、服着なよっ」
「だって暑いしさあ〜。凪は飲んでないから服着てるんだよ」
「紫齊の言う通りなのっ。凪はとっとと飲むの」
 この展開、やばい。俺が飲まされる展開だ。
 前ならまだ良かった。前はある程度の耐性があったしな。
 全然酒を飲まなくなった今、多量の酒を飲むのはヤバイ。
「飲ませて欲しいなんて甘えん坊だな、凪はぁ」
「わぁっ、ちょっと待って、お願いだからっ!
 ウィスキーのロックは勘弁してぇえぇえっ――――」
「却下なの」
 ぐい。ごきゅごきゅごきゅっ。
 ボトルごと俺は口にくわえられて無理矢理飲まされる。
 どうする事も出来ず、少し零しながらも飲んでしまった。
 頭がカーッとしてきて急に暑くなってくる。
 こ、これはやばすぎる。目の焦点が合わない。
「じゃあ次は日本酒行こっか〜」
「うっ・・・ちょ、ちょっと休ませて」
「却下なの」
 ぐい。ごきゅごきゅごきゅっ。
 またもやグラスに並々注がれた日本酒を一気に飲まされた。
 目の前に居る紫齊が五人くらいに見える。
 カシスとあわせてサッカーが出来るくらいの人数に見えた。
「ふにゅうぅ〜〜」
 奇声を上げながら俺はなんとか意識を保つ。
 でもそろそろ限界だ。もう、ワケ解んねえ・・・。

Chapter103へ続く