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黒の陽炎
−3rdSeason−

著作 早坂由紀夫

閑話休題(Z)

Chapter106
「綻びる足跡」


 かなしいゆめをみた。
 懐かしい顔の二人が私の先を歩いていく。
 私の身体はどうしても前へと進まなかった。
 二人の名前を呼ぶのだけれど、彼女達は止まらない。
 どれほど呼びかけても、私に振り返ってはくれなかった。
 だけど、何故か二人の表情が私にはわかる。
 最初は酷く辛そうな顔をしていたのだけど、
 今は私に対して笑いかけてる・・・そんな気がした。
 決して振り返らないその背中。
 それなのに私は二人が笑っているのが解る。
 とても優しい顔で。何処か寂しそうな顔で。

 ――――ああ、やっと笑ってくれたね。

 私がそう呟くと、静かに夢は終わりを告げた。

01月24日(日) PM08:25 晴れ
寮内・凪とカシスの自室

 久方振りの満足な目醒め。
 充足感と共にカシスはゆっくりと瞼を開く。
 とうに起きている凪の姿が彼女の目に入ってきた。
「なぎ、おはようなの」
「・・・あ。やっと起きたね」
 凪はカシスを見てにこっと笑いかける。
 まだ気恥ずかしさが抜けずにカシスは頬を染めた。
 それに気付いた凪も照れ笑いを浮かべる。
 お互いの顔を見たまま、妙な沈黙が流れた。
「えっと・・・そ、掃除しなきゃ」
 手に持っていた掃除機を動かす凪。
 ブーンという音がして掃除機がゴミを吸い込んでいく。
 カシスは布団から出ると着替えを持って、
 そそくさと洗面所へと歩いていった。
 カーテンを閉めて彼女は着替えを始める。
 そういった出来事はここ一週間での変化だった。
 以前は着替えにそこまで気は使っていない。

01月24日(日) PM09:39 晴れ
寮内・凪とカシスの自室

 あらかた掃除を終えると、凪は床に腰を下ろす。
 テーブルの上には用意した紅茶が置かれていた。
 そこへカシスもやってくる。
「ふぅ。仕事の後の紅茶は美味しいの」
「・・・あんたは何もしてないでしょうが」
「心の中で凪の応援をしてたの」
 そんなの意味ないじゃないか、と思いつつ
 深呼吸して凪は長いため息をついた。
 すでに凪がカシスに告白してから一週間が過ぎている。
 お互い意識するところはあった。
 とはいえ、日常的な会話等に大きな変化はない。
 変わった事といえば着替えの件が一つ。
 もう一つは夜の生活の変化だ。
 あれから一週間、一度もそれらしき事をしていない。
 理由は至極簡単なものだ。
 今までアプローチをかけていたのは常にカシス。
 九割九部九厘という率で彼女から誘っている。
 それが今は妙な恥ずかしさでカシスが積極的になれない。
 故に二人の夜は以前と比べ静かなものだった。
 そういった現状にカシスは相当な不満を抱いている。
 何しろ彼女からすれば、てっきり凪の方から
 自分にせまってくるものだと思っていたからだ。
「凪ってやっぱり心は女の子なの?」
 不思議そうな顔でカシスはそんな事を聞く。
 思わず凪は自分の頭をテーブルに叩きつけそうになった。
「あ、あのねぇっ・・・そんなはず無いでしょ!」
「だって女言葉だし、私に・・・その、何もしてこないの」
 恥ずかしさを堪えてそう訴えるカシス。
 返す言葉がないらしく、凪は黙って頬を染める。
 少ししてから彼は真面目な顔をして言った。
「俺だって、やる時はやるよ」
「やるの?」
「えあっ、いやそのっ・・・やるっていっても、
 あれの事じゃなくてなんていうかその・・・」
 素朴なカシスの疑問に凪はしどろもどろになってしまう。
 がっくりとカシスは肩を落とす。
 彼女に呆れられたと思った凪はそこで自分に鞭を入れた。
(こんな体たらくでどうするんだよ、俺!
 もっと自分からリードしてかなきゃ駄目だろっ・・・)
 心の中で凪はそう意気込んでみる。
 だがそのままの勢いを口にする事は出来なかった。
「出来る限り、頑張ってみる」
「頑張るの?」
 天然ボケ気味なカシスの返しになんとか凪は肯く。
 すると彼女は緊張した面持ちで凪を見つめてきた。
 何かを期待しているのだろう。今、現在。
 急に姿勢を良くして正座をしている。
 雰囲気とか関係無いのかよ、と思いながらも
 凪は知らず知らずの内に正座していた。
 これから囲碁か何かの試合を始めそうにも見える。
「な、なんか他人行儀じゃない?」
「ちょっと私も思ってたの」
 この微妙な雰囲気、どうしたものか。
 困った凪はまだ温かい紅茶に手を伸ばした。
 テーブルを見つめながら彼はゆっくりと紅茶を飲む。
 どうしても決心がつかず、凪は紅茶を飲みつづけた。
 如何にして自分からリードしたものか。
 雰囲気をまず作るべきだろうか。
 そんな事を考えに考え、気が付けば
 紅茶のカップは空になっていた。
 消極的すぎる凪の姿を見て、カシスは無言で睨む。
(うっ・・・やっぱり積極的に行かなきゃ駄目だよな)
 空のカップをテーブルに置くと、
 意を決して凪はカシスの手を取った。
 少しだけ彼女の手は冷たいが、すべすべしていて心地よい。
 手が触れ合っているだけで凪は満足しそうだった。
 恋人という関係だけでこうも違うものなのだろうか。
 まるで凪は初めて女性に触れるかのように緊張していた。
 身体を傾けて凪はカシスに口付けようとする。
 しかし彼女が目を閉じる様子はなかった。
(な、なんで目を閉じないんだよ・・・いつも閉じてるのに。
 あれ? 閉じてたよな。閉じてなかったっけ・・・?)
 妙な事に軽く混乱しながら凪は唇を重ねる。
 口付けを交わすと彼女の瞼はゆっくりと下りていった。
 出来るだけ凪は冷静に次の行動を考えようとする。
 だが、柔らかいカシスの唇が思考を麻痺させていた。
 硬直したまま考え込む凪。知恵熱を出しそうな程考え込む。
 そこで遂にタオルが投げ込まれた。
「ああもうっ・・・じれったいの!」
「うわっ」
 抱き合う体勢のままカシスは凪を押し倒す。
「やっぱり凪は虐められたい人みたいなの」
「そうじゃないんだけど、なんか照れくさくなっちゃって」
「・・・それは私も同じなの。でも私はやるの。
 何故なら其処にエッチがあるからなの」
 よく解らない理屈でカシスは吹っ切れたようだった。
 照れ臭さはまだ残っている様だが、
 先程までの消極的な姿勢はもはやない。
 横になっている凪の上着を脱がせると首筋にキスをした。
 このままじゃ以前と変わらない。
 そう思った凪は対抗してカシスの胸に手を添えた。
「おわ、凪がやる気になったの」
「カシスだけにこういう事させるのは、
 なんていうかさ・・・男として格好悪いだろ」
「ふ〜ん。変な所で男らしさを出すんだね」
「こ、この野郎っ」
 まだ残っていたらしい凪の男心に炎が灯る。
 胸を弄り乳頭の場所を探り当てると、
 人差し指と中指でこねくり回した。
「はうぅっ・・・ま、負けるもんか、なの」
 あえてカシスは凪の男根を剥き出しにしない。
 下着の上から擦るように撫で始めた。
「あっ・・・くっ」
 焦れる愛撫に悶えながらも、凪は根気強く乳頭を責める。
 マッサージするように胸を揉みながら。
 乳頭が固くなってくると次は手を下へずらしていく。
 無論ながら凪の指はカシスのクレヴァスへと到達した。
 手探りでその辺りから陰核を探り当てる。
「ひあっ、んんっ・・・」
 カシスが声を上げるのと凪が陰核を剥く動作はほぼ同時。
 すかさず凪は指を彼女の奥深くへと挿入する。
 そこから入り口にかけて膣内を指の腹でなぞった。
「っ・・・んっ、くうぅっ」
 身体の奥が痺れるような感覚がカシスを襲う。
 右手で凪を愛撫する事も忘れて快感に震えた。
「な、ぎぃ・・・」
 媚びるようでいて、誘っているような瞳。
 目をそらせずに凪はカシスの顔をじっと見つめる。
 気付けば二人は恥ずかしさなど何処かへ消え去り、
 行為へ没頭するようになっていた。
「どんどんカシスの中から溢れてくる。
 これじゃ・・・手がふやけちゃうよ」
「やだ、言わないで・・・なの」
 恥ずかしそうに顔を俯かせるカシスが可愛くて、
 ついつい凪は右手を彼女の眼前へと持っていく。
 恐らくどれ位愛液が出ているのか見せたかったのだろう。
「ほら。こんなに」
「見せなくていいのっ」

 ぽかっ。

 普通ならもっと照れる所なのに。
 そう思いながら凪は気を取り直して、男根を取り出した。
 すでに彼の相棒は暴発しそうなほどに張り詰めている。
「カシス、行くよ」
「・・・うん」
 直後、ゆっくりと男根はカシスの膣内へ挿入された。

 それは気持ちの確かめ合い。それは不確かな重なり合い。

 相手の鼓動さえもが感じ取れる距離で互いを見つめ合う。
 目の前にいるのは一人の異性。愛おしい、ただ一人の異性。
 言葉はもはや邪魔でしかなかった。
 瞳が語る。鼓動が語る。身体の全てが雄弁になっていく。
 この行為が相手を受け入れ、理解する為のものなのだと。
 一旦離れるとカシスは壁に手をついいた。
 そして今度は後ろから凪を受け入れる。
「くふぅううぅっ――――」
 身をよじりながらカシスは快感に悶えた。
 激しく律動を繰り返し凪は彼女を悦ばせようとした。
 高まっていく快感の中、二人は不思議な感覚に囚われる。

  ――――私は、凪が好き。

  ――――俺は、カシスが好きだ。

 言葉になっていないのに、聞こえてくるのだ。
 違いない一つの真実を奏でる調べとして。
 酷く不器用で表面に出てこない旋律ではあるが、
 だからこそ確かな想いが互いの身体へ溶けていく。
 そうして感情の波が昇り詰めた時、二人に限界が訪れた。
 ためらう余裕も無く凪はカシスの膣内へと射精する。
 それを引金にしてカシスも震えながら達した。
「あ、あっ・・・い、あ・・・あぁあぁっ――――!」

01月24日(日) PM10:25 晴れ
寮内・凪とカシスの自室

 冬本番だというのに室内は熱気が充満している。
 二人は肩を寄せ合いながら壁に持たれかかっていた。
「はぁ・・・朝から何やってんだろ」
「文句は言わないの。気持ち良かったくせに」
「う、それは・・・まあ」
 カシスは凪に身体を預けながらくすくすと笑う。
 つられるようにして凪も笑みを浮かべた。
 先程までのぎこちなさはすでに無い。
 それどころか以前より関係は深まったようだった。
「凪はやっぱり私がリードしなきゃ駄目みたいなの。
 これからは、沢山甘えてやるから楽しみにしておくの」
「・・・覚悟しておくよ」
 苦笑いを浮かべると凪はカシスの頬に口づける。
 するとカシスは頬を赤く染めながら凪を睨んだ。
「な、凪は甘えなくていいのっ」
「え〜? ホントにいいの?」
「うっ・・・す、少しくらいなら構わないの」
 恥ずかしそうにそっぽを向きながらカシスはそう答える。
 甘えられるのが嫌なワケではなく、
 単純に彼女は凪の行為に照れているだけだった。
 お返しとばかりにカシスは凪の首筋に顔を埋める。
 二人は見詰め合うと名前を呼び合い、キスを交わした。
 今にも第二ラウンドが始まりかねないその雰囲気を、
 来客を告げるチャイムの音が台無しにする。
 唇を離すと凪は軽く咳をして立ち上がった。

01月24日(日) PM10:40 晴れ
学園内・開放エントランス

 冬の吐息が寂寥を乗せて落ち葉を舞い上げる。
 幾つかあるベンチの内、一つに凪たちは座っていた。
「落ち着いて話すの、結構久しぶりだよな」
「ああ」
 別段、鴇斗は大した用件があるワケではない。
 あれから彼はディムエルの件に関して何も言わなかった。
 何故ならディムエルがウリエルに拘束された後、
 黒澤によって鴇斗は気絶させられている。
 その為、事件前後の記憶が酷く曖昧になっているのだ。
 彼自身は気付くと保健室のベッドに寝ていたし、
 部屋が爆発した理由は原因不明となっている。
 若干の記憶は残っているがそれも心もとない。
 下手にその話題を振るワケにもいかなかった。
 だから凪と話す内容もそこへは向かわない。
「他の奴らに教えてぇな〜。姫って呼ばれて怒ってた凪が、
 今では本物のお姫様として学園生活送ってるんだって」
「絶対止めて・・・もし今、姫って呼ばれても反論できないよ」
 頭に手を当てて凪はため息をついた。
 親友と話していても自然と女言葉が出てくるのが悲しい。
 しかし、それもまた学園内だからこその自衛行動。
 そう凪は考えるが、男言葉より馴染んだ証拠とも取れた。
「ま、女子用の制服が似合う時点で反論なんか無理だ」
「今じゃ私のタンスには殆ど女物の洋服しか無いしなあ」
「・・・お前以外の男が言ったら寒気がする発言だぞ、それ」
「そりゃ、どーも」
 嬉しいのか悲しいのかもはや凪には判別できない。
 そんな話をする二人の間にずいっとカシスは割り込んだ。
「凪はお姫様だけじゃなくて、夜は狼にもなるのっ」
「わ、わ、わあ〜〜っ!」
 慌てて凪はカシスの口を塞ぐ。
 彼はそういう話題を友人とした事が無かった。
 どちらかといえば恥ずかしがるタイプでさえある。
 当然そんな反応をした凪を鴇斗は訝しく思った。
「いきなりなんだよ、凪」
「う・・・その、肩に蜘蛛が止まってたのよ」
 明らかな動揺を見せながら、凪は話を誤魔化そうとする。
 ぽかーんとした顔をする鴇斗。直後、彼は笑い出した。
「なんだよ、吃驚させやがって・・・何かと思ったぜ。
 でもお前って蜘蛛嫌いだったっけ?」
「まあ、ね。沢山足があるのは苦手なんだ」
 肩に蜘蛛が止まっていたという発言は嘘だが、
 蜘蛛が苦手だというのは嘘ではない。
 子供の頃から凪は足が沢山ある生き物が苦手なのだ。
「確かに俺も好きじゃあねえな」
「でしょ。女子寮は綺麗だからあんまり出ないけどね」
「男子寮は酷いぜぇ。掃除しない奴の部屋とかさ、
 それはそれは恐ろしい秘境になってるんだよ」
「うわぁ〜・・・」
 秘境を想像した凪は青ざめてしまう。
 その一方で秘境を掃除してみたいとも思っていた。
 綺麗好きの性とも言うべきだろう。
「そういやあ話は変わるけどさ、
 凪はなんでこの学園に入学したんだ?」
「え?」
「だってお前、もっと上の高校狙えるって言われてただろ。
 中学の先生とかだって滅茶苦茶プッシュしてたし、
 お前自身も自分の家から近くの所が良いって言ってたのに。
 大体、県立の入試があった日からお前何してたんだ?」
 一瞬の間。
 それから少し困ったような顔をして凪は空を見上げる。
「何してたって・・・学校、行ってなかったっけ」
「卒業するまで殆ど休んでたじゃねーか」
「そんな・・・あれ、そう・・・だった?」
「おいおい、どうしたんだよ凪。なんか変だぜ」
 鴇斗がそう思うのも無理はなかった。
 何故なら凪自身もそう思っているのだ。
(おれ、なんか変だ・・・今まで思い返した事も無かった。
 考えてみれば、中学三年の三学期の記憶が殆ど無い)
 心臓の鼓動が早くなっていくのを感じる。
 不快な速度で動く脈が凪を軽い混乱に陥らせた。
「そ、そうだ。私は風邪引いて受験できなかったんだよ!」
「・・・風邪ねぇ。それにしても変だな」
 すでに鴇斗の言葉は殆ど凪には聞こえていない。
 両手で頭を押さえ、必死になって考えを巡らせていた。
 奇妙な事に高校入試を受けていない事だけは覚えている。
 だが、その理由が思い出せなかった。
 思い出そうとすると、酷く鼓動が不安定になる。
 脳が頭に鈍い痛みを与える。
(なんだよ、この感じ。何か、気持ち悪くて・・・怖い。
 凄く大切な何かを思い出せそうな・・・)

「――――お忘れになって下さい」

「うっ・・・ぐ、あぁっ・・・!」
 頭を押さえたまま凪は苦痛を訴え始めた。
 尋常でないその様子にカシスと鴇斗は戸惑いを抱く。
「なぎ、どうしたのっ?」
「おいっ・・・頭が痛いのか?」
 二人の質問に答える余裕も無さそうだった。

「貴方の為なら、この杵築は鬼にもなりましょう・・・」

(杵築さん? どういう・・・事だ?)
 心の奥へと追いやられていたものが、鎌首をもたげる。
 暗闇から現れたそれは、ある形を取り始めた。
 焼付くような感触と共に凪の網膜に映し出される。

  「なぁ君」

 凪の眼前にピンクと薄い紫の髪をした女の子が立っていた。
 考えるまでもなく、凪はそれがまぼろしだと解る。
 問題は其処ではなかった。その少女の正体だ。
(君は――――そうだ、君は――――)

Chapter107へ続く