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黒の陽炎
−3rdSeason−

著作 早坂由紀夫

Bitter Sweet Creamhearts

Chapter109
「創造の書」


01月27日(木) PM17:24 晴れ
寮内・葉月の部屋

 葉月の部屋には二台のパソコンが置かれている。
 一つはデスクトップ型。もう一つはノート型だ。
 そこへ紅音が今年になって買ったノートパソコンを持ち寄り、
 凪達はネクロノミコンをプレイする。
 パソコンを持っていない凪は葉月のパソコンを借りていた。
 デスクトップ型で扱いやすいインターフェイス。
 CPUやグラフィックボードの点から見ても、
 ネクロノミコンをプレイする際に問題は無い。
 葉月と紅音が使っているノートパソコンも同様だ。
 ハイエンドなスペックを誇る近代のノートパソコン。
 すでにデスクトップと比べても見劣りなどは無い。
 寮という場所においてスペースを取らないそれは、
 パソコンを使う機会の多い葉月にとってありがたい事だ。
「それじゃ凪さん、今から会話はネット上でお願いしますね」
「わ、わかった。えっと・・・葉月がアッシュで、紅音は?」
「私はチャッキーだよ〜」
「チャ、チャッキー?」
 どこぞのホラー映画から取ったであろう紅音のHN。
 それを聞いた凪は改めてそのセンスに狼狽する。
「あれ? 凪ちゃんのHNは何だっけ?」
「凪さんのHNは昨日、紅音ちゃんが決めたでしょ。
 確か・・・ナザレだったかしら」
 紅音の疑問に答えたのは葉月だった。
 少しばかり残念そうに紅音は笑みを浮かべる。
 彼女は凪のHNを忘れたわけではなかった。
 会話のキッカケでその話題を出したに過ぎない。
 残念ながら、葉月にも凪にもそれは伝わっていなかったが。
「そ、そだね。じゃあ・・・今日も頑張ろっ」
 三人はネクロノミコンの世界へと接続を開始した。
 ゲーム再開地点のギルドがディスプレイに表示される。
 すぐさま三人はギルドを出て、魔法陣へと向かった。
 通常、ネクロノミコンにおいて旅立ちは魔法陣を使う。
 クエストと呼称するフィールド、或いはダンジョンへと、
 転送用の魔法陣を使って赴くのだ。
 旅立つクエストは様々な理由によって決定される。
 個々のレベルに応じたクエスト。
 現状で回線の重くないサーバーを使用しているクエスト。
 そして――――ゲームの目的である魔術書。
 グリモアと呼ばれるアイテムの存在するクエスト。
 凪たちが選んだのはハプストンの古城と呼ばれる場所だ。
 平均レベル20程度が到達目標とされるクエストで、
 すでに葉月や紅音にとっては過ぎた地点と言える。
 そんな場所へ行く目的は、凪のレベル上げだった。
 なにしろ三人のレベルはばらつきがある。
 レベルが40になる葉月と20後半の紅音。
 その二人に比べ、始めたばかりの凪は10にも満たない。
 手っ取り早くレベルを上げるには多少のリスクを背負い、
 強力なモンスターのいるクエストに行くのが最適なのだ。
 不意に魔法陣へと向かう三人の先頭を歩く紅音の足が止まる。
 一人のシーフが話し掛けてきたのだ。
「どうも初めまして。いきなりでなんですが、
 魔術書の情報買いませんか?」
 こういう手合いはネット上にも存在している。
 ゲーム世界の情報を集めてプレイヤーに教える情報屋。
 ガセネタを掴ませる者も多いが、
 中には希少な情報を持っている者もいた。
「いえ、結構です」
 流すように葉月は彼をかわそうとする。
 意外なことにシーフはあっさりと葉月たちに道を譲った。
 かと思えば、ぼそっと彼は何事かを呟く。
「グラン・グリモワールの情報なんだけどな・・・」
 その言葉に反応したのは紅音だった。
 そもそもゲームを始めた動機も、
 魔術や悪魔関連というのが大きい。
 故にそんな情報を聞き逃せるはずが無かった。
「それ、聞かせて下さいっ」
 気付けばそんな言葉をキーボードで打ち込んでいる紅音。
 こんな時に限ってタイピングは超人的なスピードだった。
 現実でため息をつく葉月に思わず凪も苦笑いを浮かべる。
 仕方なく葉月は金を渡して情報を得ることにした。
「で、どんな情報なんですかっ?」
 興味津々といった風で紅音が彼に尋ねる。
「まずグラン・グリモワールについて説明しましょう。
 ネクロノミコンにおけるそれはグリモアの一種のことでね。
 普通は幾つも手に入るグリモアと違い、
 一種類につきたった一つしか手に入らない。
 このゲームで最高のレア・アイテムなわけですよ。
 無論、魔術師に与える恩恵も普通のグリモアとは段違い。
 それ故にグラン・グリモワール――――つまり、
 『大いなる魔術書』と呼ばれるんですね」
「へぇ〜そうなんだぁ〜っ! このゲームだと、
 そんな意味で使われてるんですかぁ〜」
 瞳を輝かせて紅音は彼の話に聞き入っている。
 することが無い凪や葉月のキャラは、
 それぞれ所在無さげに座り込んでいた。
「さて、ここからが本題。グラン・グリモワールの情報です」
「えっ? 在処を知ってるんですか?」
 彼の一言に葉月も興味を示す。
 グラン・グリモワールがもたらす力は絶大なものだ。
 さらにはレア・アイテムとしても途轍もない価値がある。
 少しでもネクロノミコンの世界に浸かっている人間なら、
 喉から手が出てもおかしくないほど欲しいものなのだ。
「・・・実はグラン・グリモワールの一つ、創造の書。
 これが、とある場所に隠されてるって噂なんですよ」

01月27日(木) PM17:24 晴れ
ネクロノミコン・ヘプタメロン神殿

 ヘプタメロン神殿、推奨レベルは35程度。
 ここは水を象徴とする神秘的な神殿だ。
 神殿内部にも水が流れ、プレイヤーの行く手を阻む。
 広大なフィールドと幾つもの袋小路や何も無い部屋。
 石楠花とベリアスが会話をするにはうってつけの場所だ。
 そこにデビルサモナーが召喚する悪魔の姿がある。
 正確にはそのグラフィックを拝借している何かだ。
「――――お前たちは実に面白い方法を考えたもんだ。
 俺たちが最も問題とする魔動力を得るということが、
 こうも容易く、こうも天使の目を盗んで行える。
 だが疑問だな・・・人である身で、俺たちに荷担するとは」
 悪魔のそんな質問に石楠花が画面の向こうで微笑む。
「ただ単純に、人間がこの上なく嫌いなんです。
 他と違うものを徹底的に排除し、腫れ物の様に扱う。
 差別は人間だけが行うものではないけれど、
 最も醜い差別を行うのは人間なんですから」
 基本的にベリアスや石楠花の口調は特徴が無かった。
 メッセージだけで見分ける方法は無いと言えるだろう。
 性格上では石楠花の方にはとある特徴が見られた。
 差別、という単語への執着だ。
 その言葉に対する憎悪はただのメッセージとはいえ、
 充分すぎるほどの感情を伝えている。
「人間が好むチカラは多数決、というものらしいからな。
 多いほうが正義という考えは俺には理解不能だ」
「私もですよ」
 ベリアスは即座にレスポンスを返した。
「だから貴方の力を必要としているんです。
 正義とは言葉で説明しても意味が無いし、
 多数の賛同があるから正しいとは限らない。
 望みどおりの結果だけが正義なんですよ」
「気紛れで召喚に応じたが、正解だったようだ。
 もっとこの俺を――――リベサル様を楽しませてくれよ。
 どうやらベルゼーの奴もこっちに来てるみたいだしな、
 このゲームのプレイヤーどもを地獄へ招待してやるぜ」
「頼もしいことです。それでは、移動しましょうか」
「ハプストンの古城って言ってたな。
 そこに人間が集まるのか?」
「ええ。あそこにはグラン・グリモワールがある。
 そんな噂が流れたものですから、
 かなりの人が集まっています」
 ベリアスとリベサルの会話を石楠花は黙って聞きつづける。
 これから起こるであろう出来事に身体を震わせているのだ。
 怯えているわけではない。
 武者震いに相当する、喜びに満ちたものだった。

01月27日(木) PM17:45 晴れ
寮内・葉月の部屋

 凪たちは何処へ行くでもなく、
 ネクロノミコン内で街中をうろついていた。
 先程のシーフの姿はどこにもない。
 情報に聞き入っている凪たちの油断をついて、
 彼はアイテムを幾つか盗んでいったのだ。
 ため息をついて葉月はテーブルから立ち上がる。
「私、ちょっとトイレに行ってきます」
 そこで三人は一旦、ネクロノミコンを中断した。
 残された凪と紅音はちらっとお互いを見る。
「ごめんね凪ちゃん。私の所為でアイテム取られちゃって」
「気にしなくて良いよ、ゲームなんだから」
「うん」
 控えめに紅音は凪に笑ってみせた。
 それが遠慮したものだという事が凪には解る。
 良くも悪くも、二人は一年間を共に過ごしているのだ。
「そーいえば鴇斗さんと凪ちゃんって凄い仲良しなんだね。
 あの人ねぇ、凪ちゃんの話ばっかりするんだよ〜?」
「え、そうなんだ」
 意外な言葉に軽く凪は驚かされる。
 友人に自分のことを話されるのは照れ臭いものだ。
 とはいっても相手が紅音だけに、内容が気になる。
「そうだよ〜。鴇斗さんと凪ちゃんで出かけたら、
 カップルに見られて大変だったとかぁ」
「・・・ま、まあそんなこともあったかもしれない」
 ほぼ予想通りの内容に凪はがっくりと肩を落とした。
「二人がどうして仲良くなったかも少し聞いたよ」
「えっ・・・」
 当時のことを思い出して凪は思わず視線を逸らす。
 やはりそういう話は何処か照れ臭いのだ。
「ね〜凪ちゃん。詳しく聞いてもいい?」
「い、いいけどさあ・・・」
 興味があるのは凪の過去だからなのだろうか。
 それとも、鴇斗の過去に興味があるのだろうか。
 どちらにしても関係無いと考えながらも、
 凪としては複雑な気持ちだった。
(これじゃカシスが怒るのも無理ないよな。
 なんだかんだで俺は、紅音の言葉に一喜一憂してるんだから)
 紅音の瞳は興味津々といった様子で凪を見ている。
 仕方ないと思いながら、凪は中学生の頃の話を始めた。

***

 出会った頃の凪と鴇斗の関係は、
 お世辞にも仲が良いといえるものではない。
 それも全ては鴇斗が転校して来た時のことが原因だ。
 初対面でキスされた凪は鴇斗を敵視していたし、
 対する鴇斗は凪が男だったことにショックを受けていた。
 会う度に喧嘩腰でまともな会話などは皆無といえる。
 その日の休み時間も凪と鴇斗は些細なことで口論をしていた。
「俺が男子トイレにいて何が悪いんだよ」
「お前が隣で用足してると落ちつかねえ」
「なんだとこの野郎っ」
 原因は実に下らない。
 二人がたまたまトイレで鉢合わせた。
 そこで鴇斗が凪に女子トイレに行けよ、と文句を言う。
 彼にしてみれば軽い冗談だったが、
 それを受け流せるほど凪は大人ではなかった。
 長い髪をなびかせ凪は鴇斗に嫌味を言い始める。
「こっちだってなあ、お前が隣にいると嫌だよ。
 男女構わず手を出すような奴だもんな〜」
「そ、それは・・・お前が悪いんだろ」
 歯切れ悪くそう言うと鴇斗は視線を背けた。
「はぁ? 随分と安価で喧嘩売ってるじゃねーか」
「大体なあ、お前の顔が女みたいなのが悪いんだよ!
 その顔でチ○ポついてるなんて想像つかねえぞ」
「げ・・・下品なこと言うんじゃねぇっ」
 卑猥な言葉に免疫の無い凪は顔を赤らめて怒り出す。
 怒った凪はトイレから逃げる鴇斗を追いかけた。
 逃げながらも鴇斗は凪と口論しつづける。
「このくらいで下品なんて、お前チェリーボーイだな。
 俺なんてこの間、女子高生ナンパしてさあ・・・」
「うるせぇ! お前の話なんて聞きたくないっ」
「じゃあ追いかけてくるな」
「そっちこそ止まれよっ」
 やがて授業開始の鐘がなり、鴇斗は教室へ走っていった。
 追いかける凪もそのまま教室へ入っていく。
 ようやく追い詰めたと思う凪だが、
 教師がやってきたので鴇斗を殴るわけにもいかくなった。
「バーカ」
 凪は苦し紛れに鴇斗にそんなことを言って机に座る。
 それでも鴇斗はニヤニヤと笑うだけなので、
 余計に凪は怒りを抑えなければならなくなった。


 放課後、凪は下駄箱を見て紙が張ってあることに気付く。
 それは校舎裏への呼び出しが書かれた手紙だった。
 またかと思いながら凪は紙を丸めてゴミ箱に捨てる。
 中学生の頃、凪は上級生の男子から目の仇にされていた。
 その容姿から女子に好かれていたことが理由と言える。
 恋に発展する好かれ方ではなかったが、
 女子に騒がれる男子という所為で生意気だとされたのだ。
 黙って帰るという手もある。
 しかしそれは問題の先延ばしとも言えた。
 相手が大勢ではないと予想した凪は、
 靴を履き替えて校舎裏へと歩いていく。
 するとそこに上級生たちの姿は無かった。
 あったのは、壁に寄り掛かって倒れている男子の姿。
 それも予想だにしていなかった男子の姿だった。
「鴇斗・・・お前、こんなトコで何やってるんだよ」
「ああ。ちょっと上級生をボコボコにしてやってた」
 どう考えてもボコボコなのは鴇斗のほうに間違いない。
 唇は切れているし、鼻血は出ているし、顔はあざだらけだ。
 顔から下も酷くやられた形跡がある。
 困惑しながら凪は鴇斗に聞いた。
「もしかして俺の代わりとかじゃ、無いよな」
 この光景を見て当然そんな想像がつく。
 とはいえ凪は少々信じられなかった。
 何しろ鴇斗は喧嘩ばかりしていた相手。
 代わりに袋叩きを受けに来る理由など全くない。
「お前さ、呼び出しの手紙って読んだか?」
「え・・・まあ一応な」
「なんていうか、あれ・・・すっげームカついたんだ。
 別に凪は誰かに好かれたくて、
 そういう顔してるわけじゃないだろ?
 生まれつきなんだからどうしようもないことだよ。
 気持ち悪い嫉妬してるだけじゃねえか、そういうの。
 で、気付いたら此処で先輩たちと殴り合ってた」
 思いもかけない言葉だった。
 驚きのあまり、凪はかける言葉を失ってしまう。
 誰より自分を莫迦にしているのだと思っていた。
 人の気持ちなんて考えないような男だと思っていた。
 それが大きな誤解だったのだと凪は気付かされる。
「・・・濡れたタオルでも持ってきてやろうか」
「いや大丈夫。それより、お前が女だったらな・・・。
 ヤらせてくれたら一発で元気になるとか言えたのに」
「へ、変なこと言うんじゃねえよ!」
「冗談だって・・・今お前と喧嘩したら、死んじまうだろ」

***

「――――それからかな、普通に仲良くなったのは」
「な、なんか・・・恋人の馴れ初めみたいだね」
「・・・く、紅音?」
 ひくひくと苦笑いを浮かべる凪だが、
 紅音はただ感心した様子でうんうんと肯いていた。
 話さなきゃよかったと思いつつ、凪はふと隣を見てみる。
 すると何時の間にか葉月が座っていることに気が付いた。
「葉月っ! い、何時の間に?」
「え・・・私、さっきから戻ってきてましたけど」
「そ、そうなんだ・・・」
 バクバクと凪の胸が早鐘を打つ。
 よく考えれば危険なことを話していたわけではなかった。
 自らを男だと話したわけではないし、
 ただ鴇斗と仲良くなったということを話しただけ。
 そうして凪が心を落ち着かせていると葉月が言った。
「じゃあ当初の予定通り、ハプストンの古城へ行きましょう」
「うんっ。私、迷惑かけた分も頑張る」
 三人はネクロノミコンを再開し、魔法陣の上に乗る。
 足元から淡い青色の光が漏れ出して選択画面が現れた。
 数多く存在するクエストから葉月は一つを選択する。
 当然行き先はハプストンの古城だ。
「TEAMの認証――――カタトニア」
 最後に葉月は三人で動く上のチーム名を入力する。
 カタトニアとは紅音の提案した名前で、
 緊張型分裂症という意味合いを持つ。
 何処から彼女がそんな単語を引っ張ってきたかは不明だ。
 ともかく、三人は認証を終えてクエストへと移動する。

01月27日(木) PM18:15 晴れ
ネクロノミコン・ハプストンの古城

 現れたのは万里の長城を思わせる長大な城だ。
 それが円を組むように巨大なオブジェクトとなっている。
 中心には丸く細長い三階建ての建物が存在し、
 内部は外周よりも凶悪なモンスターが跋扈していた。
 そんな城の外周にやってきたアッシュは驚きを光景を目にする。
「どうしたの、葉月」
「いえ、いつもより・・・人の数が多いような気がして」
 彼女の言う通り、ハプストンの古城は人で溢れかえっていた。
 モンスター狩りをしているかと言えばそうでもない。
 皆が一様に、何かを探しているようだった。
 それは葉月も見たことが無い異様な光景だ。
 思わず三人は少しの間、動かずにそれを眺める。
 不思議そうに見ている紅音に、凪は素朴な疑問を口にした。
「一体・・・何探してるんだろうね」
「ここまで必死に探すものって・・・もしかして、魔術書かな」
 先程のことがあったせいで三人は一様に同じことを考える。
 グラン・グリモワールが隠されているという、とある場所。
 それがこのハプストンの古城なのかもしれない。
 考えるだけで紅音は好奇心を抑えられそうに無かった。
 何しろ『創造の書』はカバラ思想の根本教典とされる書物。
 セフェール・イエツィラーと呼称され、
 ゴーレムの製造さえ可能にするという奥義書である。
 当然、葉月も探したいという気持ちは抱いていた。
 しかしそこであえて彼女はそれを戒める。
「私たちはレベル上げに来たんだから、
 気にするのはやめませんか?」
「・・・倍率高そうだし、そうしよっか」
 葉月のほうを見て微笑むと凪はその提案に賛成した。
 少し考え込んでいた紅音もこの状況では諦めざるを得ない。
「よ、よぉ〜しっ。じゃあ頑張ってアッシュの援護する」
 がっかりした顔をする紅音だが努めて明るい声を出した。
 彼女に答えようと凪は微笑んでみせる。
 すると紅音は慌てて顔をパソコンに移してしまった。
(あ、あれ?)
 怪訝そうな顔をしながら凪はパソコン画面へ視線を移す。
 そのあとで、紅音はこっそりと凪の方を見てみた。
 彼は椅子に座ってパソコンを弄っている。
(び・・・吃驚したぁ。凪ちゃんは普通に笑ってるだけなのに、
 なんか恥ずかしくて目も合わせられなかった・・・)
 パソコンのディスプレイから覗き見る凪の顔は、
 頬杖をつきながらデスクトップ型パソコンへ視線を向けていた。
 そんな絵になる凪の姿を、紅音はぼけっと見つめ続ける。
 少しすると不意に彼女は自分のしていることに気付き、
 慌てて目線をパソコンへと逸らした。
(駄目だよ、凪ちゃんには・・・公野さんがいるんだから。
 あの人は凪ちゃんの大切な人で、付き合ってて、
 き、キスとかも・・・しちゃったり・・・してたり、して)
 自分を咎めようと、紅音は凪とカシスのことを考える。
 浮かぶのはキスまででそれ以上は想像もつかなかった。
 それでも紅音にとってキスをするという行為は、
 考えるだけで泣きそうになるほどラブラブなことなのだ。
(一年生だったときの私と凪ちゃんより仲良いのかな。
 ううん、そんなハズ・・・ないよね。だってあの頃は、
 あの頃は私たち、すっごく仲良かったもん。
 絶対それだけは自信ある・・・って、
 なんかそれはそれでミジメかも・・・)
 落ち込むと解っていても考えてしまう。
 気付けば数分間も紅音はぼけっと考えごとをしていた。
 その間に始まっていた戦闘の所為で、
 紅音のキャラは何時の間にかボコボコにされている。
「わ、わ、やられてるよぉ〜っ」
「紅音ちゃん・・・お願いだから一緒に闘って」
 被害を受けているのは紅音だけではなかった。
 思ったより多勢のモンスターに凪と葉月も、
 相当のダメージを受けている。
 何もせずに生きていた紅音が不思議なくらいだった。
 凪の弓は味方を攻撃することは無くなったものの、
 高確率で標的から外れて何処かへと飛んでいく。
「うぅ・・・全然役に立ってない」
「大丈夫。その内慣れますよ」
 葉月は遠慮がちに笑って凪に慰めの言葉をかけた。
 モンスターの大半は葉月が倒している。
 その周りをバタバタしていただけの凪は、
 なんだか返事をする気力もなくなりそうだった。
(RPGって他人とやると凄くやりづらいなあ・・・)
 広範囲に渡る戦闘区域の所為でターゲットの補足が難しい。
 その上、凪のキャラと比較するとモンスター自体が強く、
 一度や二度くらいのヒットでは倒せる見込みすらなかった。
 そこで凪の眼前に迫ってきたのはジェネラル・ボーン。
 骸骨剣士の姿をした素早い動きをするモンスターだ。
 狙いを定めて放たれる矢を右へ左へとかわしていく。
 あっという間に距離を詰められた凪は、
 矢を射る動作と同時にジェネラル・ボーンの突撃を受けた。
 レベル差を考えてナザレにそれを受ける体力は無い。
 咄嗟に紅音のチャッキーはナザレのもとへと走り出していた。
「雨術、アシッド・レイン!」
 ナザレへの攻撃が決定される直前で、
 チャッキーの魔法がジェネラル・ボーンを襲う。
 魔法で生じたタイムラグを利用し、凪はナザレを後退させた。
「ありがとう、助かったよ紅音」
「いいんだよぉ。困ったときはお互い様だもん」
 そう言って紅音はにこっと笑う。
 するとナザレとチャッキーのもとへアッシュがやってきた。
「凪さん、紅音ちゃん・・・一旦街まで戻りましょう」
「え?」
 葉月はそう二人に告げるとアッシュを移動させる。
 突然の彼女の行動に二人は首をかしげた。
「どうしたの、葉月」
「少し先でプレイヤー同士が争いを始めてるんです。
 下手して巻き込まれたりしたら危険ですから」
「・・・そんなこともあるんだ」
「利害関係から戦いを始める人も居ます。
 けど・・・あれは多分、PKです」
「PK?」
「ひらたくいえば強盗みたいなものですよ。
 プレイヤーを殺してアイテムを奪ったりするんです」
 何処の世界にもそういう輩はいるのか。
 凪は感心しながらアッシュの後にナザレを続かせた。
 するとアッシュの前に男性シーフが一人、走ってくる。
「助けて下さい!」
 いきなり送られてきたメッセージに三人は驚かされた。
 だがさらに驚くべき出来事が起こる。
 追走してきたらしき男性ダークマージが、
 彼に対して攻撃魔法を唱えたのだ。
「闇術、デッドフル・シャドウズ!」
 画面に黒い球体が現れシーフを包み込む。
 凪たちが助ける間もなく、一瞬で彼のHPは尽きた。
 すぐにダークマージの背後からその仲間たちがやってくる。
 彼らは計四人のパーティを組んでおり、
 一人一人が葉月たちを大きく超える能力を有していた。
 ゲームとはいえ、殺されることは気分の良いものではない。
 相手が心を持った人間であるならば尚更のことだ。
(そう・・・人間相手だからこそ、説得は恐らく無駄。
 現実の話し合いだって互いを理解するのは難しいのに、
 文章でやり取りしたところでPKに伝わるハズが無い)
 思考を巡らせながら葉月は額に手を当てる。
(闘うしかないわ・・・)

Chapter110へ続く