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黒の陽炎
−3rdSeason−

著作 早坂由紀夫

Bitter Sweet Creamhearts

Chapter111
「薄れる罪悪感」



01月27日(木) PM19:02 晴れ
寮内・葉月の部屋

 窓の外は何も見えないくらいの暗闇に包まれていた。
 気付けばすでに夜の七時を回っている。
 ゲームというのは時間を忘れて熱中するから困るな。
「もう夕食の時間だし、続きは明日にしましょうか」
「そうだね」
 葉月と俺はそれで納得してネクロノミコンを中断した。
 紅音だけがかなり名残惜しそうな顔をしている。
「もうちょっとなのになぁ・・・後少しだけやろうよ〜」
「明日また来ればいいじゃない。ね、紅音」
 正直言うと俺も後少しやっていきたい気持ちはあった。
 ゲームの謎解き部分にさしかかってるし。
 けど紅音が駄々をこねているのを見ていると、
 自分がしっかりしなくちゃという気になる。
「うん・・・わかった」
 渋々ながら紅音はゲームを中断し、パソコンの電源を切った。
 どうにも紅音って態度がお子様なんだよなあ。
 しょげてるのが仕草とかから見てて解る辺り特にそう思う。
「元気だしなよ、もう。元気が紅音の取り柄じゃない」
「そ、そうかなぁ」
「当たり前でしょ。紅音から元気取ったら何も残らないよ」
「だよねぇ。元気だけだもんね私・・・ってそんなことないもんっ」
 可愛らしく紅音はぷんぷんと怒り始めた。
 久しぶりにこんなやり取りをしたような気がする。
 それでいて、毎日繰り返している様な錯覚を覚えた。
 前はこれが俺と紅音にとって普通の会話だったんだよな。
 また少しずつあの頃みたいに話せるのだろうか。
 無理じゃない気もするけど、俺は何処か不安を隠せなかった。
 そうすることで気持ちまであの頃に戻ってしまいそうで・・・。
「ふふ、冗談だよ」
 笑顔を浮かべながら俺は何を考えてるんだろう。
 立ち止まるんだ。これ以上、紅音に近づかないように。
 それが正しいかどうかなんて既に解らなかった。
 紅音にも、カシスにも・・・酷い事をしてるのかもしれない。
「凪さん・・・」
「えっ、なに?」
 何時の間にか葉月が目の前に立っていたので驚いてしまった。
「よかったら夕飯を一緒に食べませんか?」
「あ、うん。いいよ」
 ついでだからパソコンのことを色々聞いてみよう。
 俺は立ち上がって葉月と部屋を出ようとした。
 それに続いて紅音も一緒についてくる。
 この流れで行くと当然、紅音とも一緒ってことだよな。
 なんだかカシスに対して非常に罪悪感を感じる。
 葉月を交えて紅音と夕飯を食べるのは、
 女の子からすると浮気に該当するんだろうか。
 そうやって俺が悩んでいる内に、葉月が部屋のドアを開ける。
 すると葉月が、あっと小さい声を上げた。
 その理由に気付いた俺は身体を硬直させる。
 ドアの向こうにはカシスが笑顔で立っていたのだ。
 笑顔、と言っても目が全然笑ってない。
「や・・・や〜、ど、どしたの?」
「凪たちと一緒に夕飯を食べようと思ってたの」
 カシスを見た途端に紅音の表情が固まった。
 どうしよう・・・き、気まずい。飯が喉を通ってくれるかな。
 不安一杯の面子で俺たちは食堂へと歩いていく。

01月27日(木) PM19:15 晴れ
寮内・食堂

 食堂へやってくると当然というか、カシスが俺の隣に座った。
 紅音と葉月も逆隣に座る。
「今日は楽しかったね、凪ちゃん」
 ニコッと笑って紅音はこっちを向いた。
 それに肯こうとするとカシスが俺の肩に頭を乗っけてくる。
「ふ〜ん。凪は紅音たちと楽しんだんだ」
「えあ、や、まあ・・・その・・・」
 意地悪な質問だ。肯定も否定も出来ない。
 困って弁解の言葉を考えていると、カシスは口元だけで笑った。
 完璧に俺の反応を見て遊んでる。
「そうだ、葉月っていつからパソコン始めたの?」
 多少強引だが話題を変えようと試みた。
 カシスに後で文句言われそうな話題は出来るだけ避けたい。
「えっと、パソコンを始めたのは・・・多分、
 中学生に上がる頃だったと思います」
「へぇ・・・そんなに前からやってるんだ」
 やはりそれだけ長いなら、葉月は相当な知識があるんだろう。
 ふと自分が中学生だった頃を少し思い出してみた。
 ううむ、全くパソコンとは縁遠い生活だった気がする。
「あの頃は、弟と手探りでパソコンを自作したりしたなあ・・・」
「え? 葉月って弟いるんだ」
「はい。今は実家から専門学校に通ってます」
「専門学校ってことは、歳は近いんだ?」
「・・・そう、ですね」
 少し葉月の表情が暗くなった。弟の話題はまずかったのだろうか。
 俯いて彼女は何かを考えるような仕草を見せる。
 気になるけど、あまり触れないでおいたほうがよさそうだ。
 そんな俺と葉月のやり取りをニコニコしながら紅音が見ている。
 ゲームしてるときは凄く頭よさそうに思えたけど、
 こうしてると馬鹿そうにしか見えなかった。
「紅音のほうばかり見てるの」
「うっ・・・」
 隣から鋭いツッコミと同時に肘鉄が脇に直撃する。
「どうしたの、凪ちゃん」
 小声だから紅音には聞こえてないみたいだ。
 呻き声を上げた俺に紅音が心配そうな顔を見せる。
「凪はちょっと気分が悪いらしいの」
 平然とした顔でカシスが代わりに大嘘をついた。
 気分は悪くないが、どうにも息苦しいのは確かだ。
 カシスの一言で紅音は視線をテーブルに落とす。
 この二人が醸し出す空気は不穏すぎる。
 四文字熟語で言うならば一触即発って感じがぴったりだ。

01月27日(木) PM19:40 晴れ
寮内・凪とカシスの部屋

 一年の様な三十分間が過ぎて、俺は部屋へと帰ってくる。
 悪魔に襲われたときより生きた心地のしない時間だった。
 室内へ入るなり、カシスは俺にもたれかかってくる。
「・・・凪は、私の恋人だよね」
「そう、だよ。当たり前でしょ」
「私が独り占めしても、いいんだよね」
 表現が物扱いみたいで微妙だが肯いた。
 短い言葉の中にカシスの気持ちがこもっていたからだと思う。
 空いてる手でカシスの肩に手を置くと、隙間なく抱き寄せた。
「じゃあ私も独り占めしていいかな、カシスのこと」
「な、凪にそんな度胸はないの」
 照れてるのか俯いてそんな強がりを言う。
 長く一緒にいるおかげで、それが強がりなのはわかっていた。
 だから今度は後ろからカシスを抱きしめる。
 肩に顔を乗せて、頬同士を合わせながら。
「むぐ・・・凪のくせに今日は随分男らしいの。
 こんなことしたって紅音と一緒にいるのは許さないよ」
 やはり付き合いが長い所為で俺の魂胆は知られている。
 とはいっても浮気してるワケじゃないし、
 今度の生徒会役員会議が終わるまでのことなんだけどな。
 それでもカシスにとっては嫌なことなんだろう。
「解って欲しいだけなんだよ。紅音のことは確かに好きだった。
 だけど――――もう過去形なんだ。あの頃とは違う」
「私だって凪のことを信じたいし、信じて大丈夫だと思うの。
 ただ、どうしても最後に考えるのは紅音が人間だってことなの。
 自分が悪魔なのを卑下してるワケじゃないけど、
 現実問題で私は人として、公野来栖としては生きられない。
 人間としてずっと凪の傍に居ることは出来ないの。
 けどあの子は人間だから・・・凪と一緒の時間を生きられる」
「何言ってるのよっ! そんなこと・・・」
「うん、わかってる。凪がそう思わないのはわかってるの。
 わかってるんだけど、今が幸せだから不安になるの。
 幸せな時間はいつか必ず壊れてしまうって、知ってるから」
 俺は何も言えず、ただカシスを強く抱きしめた。
 本当なら俺はカシスの不安を取り除くことが出来る。
 二度と紅音と会わないと約束すればいいんだ。
 だがそう言おうとして口を開いても、そこから言葉は出てこない。
 無理なんだ。自分からそんなこと言えるはずがない。
 なんて無様で汚い奴――――。
 そう、俺は何処かで紅音と繋がっていたいんだ。
 友達でいい。顔見知りでいい。疎遠だっていい。
 それを一言で表すなら未練って言うんだろう。
 今更ながら俺は自分の最低さに嫌気がさした。
 カシスのことを好きなのに、紅音を諦めきれてない。
 心の隅にまだ紅音を思う気持ちが残ってるんだ。
 捨てなくちゃいけない。この気持ちは忘れなきゃいけない。
 不意にカシスが俺の手に触れてきた。
「こうして凪と一緒に居る時間が、少しでも長く続いてほしいの」
「・・・私も、そう思う」
「ホント?」
 嬉しそうに聞き返されると返答に困る。
 こういうときに恥ずかしがらない奴が格好いいんだろうな。
 雰囲気もあるんだろうが、今はかなり恥ずかしかった。
「う、うん」
 なんとか答えてみるが恥ずかしさで顔が紅潮していく。
 近くで顔を向き合わせてるカシスには間違いなくバレていた。
 にやけた顔をしながら顔を胸に摺り寄せてくる。
 何故だろう。幸せな時間――――それが続いていくほどに、
 心の何処かで焦燥が募っていくような気がした。
 俺はこんな時間をいつまで続けていられるんだろう。
 理由なんてないのに、ふと俺は漠然とした不安に襲われた。

豊穣の日 PM23:20
アルカデイア・エウロパ宮殿・大天使長室前の廊下

 薄暗い明かりの灯った廊下を、一人の天使が歩く。
 すでに他の天使は活動を止め休息に入っていた。
 その中で大天使長室へと足を進めるのはウリエル。
 彼はつい先程、エウロパ宮殿に帰ってきたところだった。
 胸中には決意の炎が静かに灯っている。
 ミカエルに全てを問いただそうという決意だ。
 性格上、ウリエルは隠し事が好きではない。
 隠している相手が良く知った天使ならば尚更だ。
「・・・む?」
 大天使長室の近くまでやってきてウリエルはあることに気付く。
 室内から何やら話し声が聞こえてくるのだ。
(こんな時間に誰かがミカエルと話しているのか?)
 覗きや聞き耳という行為は好きではないが、
 気になってウリエルは大天使長室の近くで足を止める。
「いつまでも隠しておけると思ってるのかい?」
「貴様こそ、現象世界でまた何か画策しているようだな」
「ああ。ボクの信者を使って、ルシードと遊ぼうと思ってね。
 上手い具合に悪魔もおびき出せそうだし、一石二鳥でしょ?」
 ウリエルはすぐに声の主が誰だかわかった。
 隠遁する熾天使の一人、アザゼル=アルバンティン。
 敬うべき相手ではあるがウリエルは彼が好きではない。
「とかいって、話をすり替えようとしても駄目だよ。
 大体ラファエル君に可哀想だと思わないの、キミは。
 いい加減に――――現実を見せてあげようよ」
「黙れ・・・その話はするな」
(その話、だと? それにラファエルに可哀想とは・・・)
 顔をしかめてウリエルは会話の意味を読み取ろうとした。
 とはいえ、それだけの情報では何も解らない。
 ミカエルたちの会話はなおも続いた。
「まあいいさ。隠し事っていうのはね、隠しつづければいつか
 最悪の形でその姿を晒してしまうものなんだ」
「ふん。さっさとルシードを苦しめにいけよ」
「わかってないなぁ。彼を苦しめるのはボクじゃない。
 前回は天使、そして今回は悪魔と・・・人間だよ」
(なに・・・? アザゼルは、ルシードに何かをするつもりなのか?)
 事実ならばウリエルはここでじっとしているわけにはいかない。
 すぐにでもラファエルにそれを知らせなければ、そう考えた。
 足音を立てないように彼は大天使長室から離れていく。
 それから少しして、アザゼルは室内に響き渡るほどに笑い出した。
「あの生真面目君が聞き耳を立てるなんてねぇ・・・。
 成長したって誉めてあげるべきなのかなあ?」
「気付いてやがったのか」
 少し驚いた顔でミカエルはアザゼルの顔を見る。
 アザゼルは目を細めてにこにこと笑っていた。
「当たり前でしょ。ボクを誰だと思ってるのかな〜」
「けっ、いやらしさでお前の右に出る奴はいねぇな」
「あれ? キミ、自分をカウントしてないよ?」
 そんな発言に思わずミカエルは顔をしかめる。
 それを見てアザゼルは満足げに笑いながら踵を返した。
 部屋を出て行こうとドアを開けるアザゼルだが、
 何かを思い出したようにミカエルのほうを振り返る。
「そうそう。もう此処に来るのは止めておくよ。
 ボクも色々と忙しくなるし・・・君もそうなるだろうからね」
「ふむ、それは助かるぜ。お前の顔を見なくて済む」
「あはははっ。傷付くこというんだなぁ」

01月28日(金) AM07:24 晴れ
寮内・凪とカシスの部屋

 厳密に考えて、間違いというものは存在するだろうか。
 多くのものが選ぶであろう選択は正解と呼べるのだろうか。
 逆に、利益があればそれは正解なのだろうか。
 俺は目を覚ましてすぐ、そんなことを考えさせられていた。
 何故そんなワケ解らないことを考えなきゃならないのか。
 問題はただ一つ。寝ているカシスが体操着姿で寝ていることだ。
 しかも明らかに授業で使わないブルマタイプ。
 それを見て俺は酷く落ち込みそうになって頭を押さえる。
 一体、彼女は何処をどう間違えてしまったんだろう。
 現象世界のことを教えた俺に責任の一旦はある。
 だが俺はこんなマニアックな男性の趣味を教えたことなどなかった。
 ていうか、少なくとも俺が好きなわけじゃあない。
 予想外の事態が目の前にあったせいで、
 掛け布団を剥がしたまま俺は固まっていた。
「ふに・・・寒いの」
 どうして体操着なんか着てるのか聞こうとして止める。
 そんなの聞くまでも無かった。それに聞いたら脱力しそうだ。
「カシス、そろそろ起きて準備するよ」
「トルネコが追いかけてくるの・・・」
「わけわかんないこと言ってないで起きるっ」
 活を入れるとカシスはびくんとして上半身を起こす。
 それから寝ぼけた顔でこっちを向いて、こくこくと肯いた。
 言ってることを理解してくれたのだろう。
 俺はベッドから下りて制服に着替えることにした。
 そこへ突然、訪問者の鳴らすチャイムが聞こえてくる。
「・・・あの、私です」
 声の主は葉月ちゃんだ。朝に彼女が来るなんて珍しいな。
 急いで着替えを済ませると俺は部屋のドアを開けた。
「おはよう」
「あ、その・・・おはよう、ございます」
 相変わらず控えめな態度で葉月ちゃんは俺に会釈する。
 昨日と違うのはその不安そうな表情だった。
 何か話したいことがあるらしいので、彼女を部屋に招きいれる。
 振り返るとちょうどカシスが寝ぼけ眼で着替えていた。
 それを横目に俺と葉月ちゃんはテーブルの周りに座る。
「朝からどうしたの?」
「今朝方、弟からメールが着たんです」
「そうなんだ」
「おかしいんですっ・・・だって、私、弟にアドレス教えてないのに」
「・・・え?」
 彼女は小刻みに震えながら怯えた顔をしていた。
 確かに教えてない相手からメールが来て驚くのは解る。
 とはいえこの動揺は幾らなんでも異常だ。
「ずっと、私のことを憎んでたって・・・そう書いてあったんです。
 文章を読んだだけでお腹が痛くなるくらい、酷い言葉で・・・」
「憎んでた・・・って、弟さんが、葉月を?」
 今にも泣きそうな顔で葉月は肯く。
「はい。それでメールの最後に、
 リベサルが私の全てを奪うって・・・書いてありました」
「――リベサル?」
「土霊の王、リベサル=アパ=ステイエト。
 風と自由を象徴する大悪魔の一人なの」
 横からそう口を挟んできたのはカシスだった。
 カシスはベッドから下りて、興味なさそうな顔で
 葉月を一瞥すると制服に着替え始める。
「何かの比喩だとは思うんですけど、なんだか怖くて・・・」
 リベサル、か。今の時点では確かに比喩と考えるのが妥当。
 それよりも気になるのは葉月の怯えかたのほうだ。
「どうして弟さんは葉月を憎むなんて言い出したのかな」
「っ・・・それは、その・・・」
 何かを言おうとして葉月は口篭もる。
 心当たりがあるが人には言えない、そんな態度だ。
「言いにくいなら言わなくていいよ。ごめんね、葉月」
「いえっ・・・謝るのは、私の方です。すみません」
 そのあと、少しの沈黙があって俺はふと時計を見る。
 すると時刻はすでに八時を回っていた。葉月もそれに気付く。
「あ、私ったら朝から長々とすいませんでした」
 ぺこりと頭を下げて、葉月は部屋に戻っていった。
 振り返ればカシスはほぼ支度を終えている。
 慌てて俺は洗面台に駆け込むと髪をとかし始めた。
 時間を考えると、いつもの二倍は急がなければならない。

01月27日(木) PM23:04 晴れ
某所

 少々時間はさかのぼり、昨夜の二十三時ごろ。
 とある部屋でキーボードの音カタカタと鳴り響いていた。
 無機質なそれをバックに一人の青年がパソコンに向かっている。
 室内は非常に簡素なもので、本棚とベッドとパソコンだけだ。
 彼はパソコンに悪いからと煙草も吸わない。
 暇潰しに使うのは近くに置いてある心理学の辞典だ。
 といっても、別段そういったジャンルを好いているわけではない。
 辞典という言葉の引き出しが好きなのだ。
 また年頃の青年にしては部屋にテレビは置かれていない。
 それも当然の話で、彼はパソコンでテレビを見ているのだ。
 立ち上げていたネクロノミコンを終了させると、
 ディスプレイ画面をテレビへと切り替える。
 ちょうどテレビでは今日のニュースを流していた。
「先日未明に自宅で遺体となって発見された山瀬真治さん(20)
 ですが、部屋のパソコンに電源が入っていたことや、
 現場の状況などから長時間のゲームプレイによる過労死と・・・」
 キャスターの女性がそう言うとコメンテーターが隣で口を出す。
「今の子は部屋から出ないで遊ぶことを覚えちゃってるでしょ。
 昔は決められた時間で身体を使って遊ぶのが普通だったのに、
 甘やかして部屋なんて与えるから子供は其処に閉じこもる。
 テレビゲームの功罪ってものを考えなきゃいけないですね」
 中身の無いコメンテーターの言葉を青年は失笑しながら聞く。
「思想の自由とはよく言ったもんだぜ」
 世の中におけるマスコミの役割を青年は知っていた。
 集団心理や権威への依存を使った稚拙なコミュニケーション。
 テレビで放送される事実は30%にも満たない。
 そのくせ、人々は実際に会ったことのない政治家を疑うのだ。
 青年はそれらに反発しようと考えたことはない。
 ただ、大人の作り出した体制を目にしていくうち、
 少しずつ彼は何もかもが嫌いになった。
 気が付けば、どうにかしてこんな世界を揺るがしてやりたい。
 そう思うようになっていた。
 無論、それを行うための手段は実に限られている。
 法律を逸脱した行為で世界を揺るがすことは非常に困難といえた。
 現実におけるテロリズムは宗教によって危険視されている。
 それならば法律が裁けない力で改革すればいいと青年は考えた。
 しかし、そんな手段は容易に思いつくものではない。
 そして最後に選んだのは、人知を超えたものに縋る事だった。
 部屋に一つある窓を開けて青年は夜空を眺める。
「久しぶりに姉貴を虐めるかな・・・こそこそ覗いてるのも飽きたし」
 その顔は禍禍しく、気味の悪い笑みを浮かべていた。
 それは罪悪感を持たない自身への盲信がもたらす微笑み。
 彼はパソコンのディスプレイ画面を切り替えると、
 再度ネクロノミコンを立ち上げる。
 実際のところ、彼は大きなことをするつもりはなかった。
 細々とプレイヤー狩りを続けるだけでいい。
 しばらくはそれだけで青年の心は充足感に満たされるのだから。

01月28日(金) AM06:36 晴れ
某所

 それから数時間。
 朝方になるまで彼はネクロノミコンに興じていた。
 窓からは薄明かりが差し込み、鳥の鳴く声が聞こえてくる。
 それを気にもせずに青年はキーボードを叩いていた。
「もう朝だよ〜。マジで学校かったるいな」
 仲間のベリアスにそうやってメッセージを送る。
「学校から帰ってきたらすぐ寝ればいいのよ。
 私なんか大体夕方に寝て夜中に起きてるんだから」
 夜中から朝方にかけてネットやゲームをする。
 彼らにとってそれは至極普通のサイクルだった。
「生憎と俺は大脳皮質の感受性が豊かだから、
 寝たいときに寝れねえんだよ。知ってんだろ」
「インソムニアでしょ? 薬飲めばいいじゃない」
「ったく、これだから健康な奴は」
 キーボードを叩きながら青年は苦笑いする。
 薬とは本来、出来るだけ飲まないほうがよいものだ。
 どんな薬にも副作用と慣れというものが存在する。
 青年も睡眠薬を所持しているが、あまり服用していなかった。
 薬を使わず目を閉じて、数時間かけて眠るほうを選んでいる。
 ちなみに今日は寝ること自体を諦めていた。
 身体はだるさを訴え寝ようとしているが、
 いかんせん脳のほうにその気がない。
「朝はいつもだるい。お前が羨ましいぜ」
「ふふ、私は寝付きも寝起きもいいからね〜」
「ちぇ・・・学校行く前に数人狩りたい気分だ」
 プレイヤーを狩ることが相手の死に繋がることを、
 ベリアスも青年もよく解っていた。
 そのうえで彼らに罪の意識は殆ど感じられない。
 何故なら、青年達はゲーム上でプレイヤーを狩るだけだからだ。
 直接的に誰かを殺害するというわけではない。
 ネクロノミコンと現実を混同しているかといえば、むしろ逆だ。
 現実と切り離しているからこそ、ゲームで殺害に興じている。
「なあ、愛情に本物と偽物ってあると思うか?」
 不意に青年はそんなことをベリアスに聞いた。
 大して考えた様子もなくベリアスは答える。
「無いわね。敢えて言うなら、都合のいい方が本物で、
 都合の悪い方が偽物よ。それは現実でも物語でも同じ」
「じゃあ俺の姉弟愛に本当も嘘もないってことだな」
「そうなるわ」
「オーケー。お前が肯定してくれると自信が湧いてくるぜ。
 正直言うと少し俺の愛情は歪なのかと思ってたんだ」
「愛情に形は無いし、大小というのも価値観の問題でしかない。
 仮に貴方の愛が歪だとしても――――それが法に触れるかしら?」
 ディスプレイを見て青年は笑みを零した。
 ベリアスは彼よりも一般常識というものを知っている。
 それでいてベリアスは非常に独特な考えを持っていた。
 宗教という文化が好きだということもあるのだろう。
 なにしろ悪魔の召喚を提案したのはベリアスだった。
 ただ、不安というには小さい感情の燻りが青年にはある。
 それはベリアスに頼りすぎているということだ。
 あまりに上手く物事が運んでいて、それほど気にはならない。
 だが青年は時折、ベリアスの掌で踊っているような気分になる。
 果たしてその感覚が気のせいなのか、或いは予感なのか。
 その一日が始まってみるまで青年はわからなかった。


Chapter112へ続く