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黒の陽炎
−3rdSeason−

著作 早坂由紀夫

In The Crimson

Chapter120
「アフター・ザ・レイン」


02月27日(土) PM12:55 曇り
学園野外・公園跡

 雨は降っていない。零れ落ちるのは間違いなく、自分の涙だ。
 頬を伝い滑り落ちる涙は、焼けるように熱い。
 それは奇麗事のような形を為して、スカートへぽたりと落ちた。

 「此処に居て欲しいんだ。傷の舐めあいなんかじゃない。
  カシスが好きだから、一緒に居たいんだ」

 あのときの言葉は嘘なんかじゃない。本心から出た言葉だ。
 それなのに――――俺は、その気持ちを覆している。
 どうして、愛情は一所に留まることを許してくれないのだろう。
 俺は今だってカシスのことを愛してると、そう思ってる。
 だけど・・・違うんだ。それは、一番じゃないんだ。
 本当に大切な人を思い浮かべるとき、最初に頭を過ぎるのは・・・。
「そんなに悲しそうな顔で泣かなくてもいいの」
 顔を上げると、其処には戸惑った表情で笑うカシスの姿があった。
「私だって凪とずっと一緒に居られると思ってたわけじゃない。
 だから潮時だと思ってたの。気持ちだって・・・醒めかけてたし」
 その言葉が嘘なのは、カシスの表情を見ていればわかる。
 こいつは嘘をつくとき、相手を見て話そうとしないんだ。
「もとから凪みたいに女っぽい奴なんて、私の好みじゃなかったし、
 どうしても凪が一緒に居たいっていうから居てやっただけなの。
 別に・・・私は辛くなんてない。逆に清々してるくらいなの」
 彼女の言葉を否定しちゃいけない。嘘を見破っちゃいけない。
 精一杯、俺の気持ちを肯定しようとしてくれてるんだから。
 もう俺のことなんて必要ない。そう言ってくれることで、
 俺の気持ちを切り替えさせようとしてくれてるんだ。
 ぎゅって抱きしめてやりたいと思ってしまう。
 カシスの辛さが解るから、力強く抱いてあげたいと思う。
 けど――――それはもう俺には出来ないんだ。
 そんなことをしたら、全て台無しになってしまう。
 俺に出来ることは、黙ってカシスの話を聞くことだけだった。
「それじゃ、私はもう行くの。後悔したって遅いからね。
 凪となんて・・・二度と付き合ってあげないの」
 そう言うと、カシスは俺とすれ違い校舎側へと歩いていく。
 立ち上がって後ろを振り返ると、カシスの肩は震えていた。
 思わず俺はカシスの名前を呼びそうになって、それをぐっと堪える。
 駄目だ。今あいつを呼んだら、お互いに気持ちがぐらついてしまう。
 歯を食いしばって、俺はカシスの後ろ姿から目を逸らした。
 最初はカシスを好きになるなんて、ちっとも思ってなかったな。
 身体からの関係で始まって・・・あいつのことを少しずつ知って、
 なんだか放っておけない奴だって思って、気になって・・・。
 強がりで意地っ張りだけど、本当は人一倍繊細で。
 そういうところに俺は惹かれたんだよな。
 あいつと一緒に笑ったり悩んだりして、
 色んな時間を過ごせてきて凄く幸せだった。
 そう、思い返せば悲しい思い出なんて何処にも見当たらない。
 俺たちはきっと、恋人らしい幸せの中にいたんだと思う。
 今はもう取り戻せない時間だけど、俺は後悔なんてしない。
 どんな結果だとしても、これが俺の決めた答えなんだ。

02月27日(土) PM13:06 曇り
学園野外・校舎裏

 カシスは自分が思ったよりも冷静で居られたことに驚く。
 凪の前だから、別れ際は格好つけたかった。
 取り乱したり泣き喚いたりせず、彼と別れたかった。
 それが凪のためであり、自分のためでもあったから。
 だが彼を置いて歩き出した途端に、カシスは涙を堪えられなくなる。
 二人で話しているときには我慢する事が出来た。
 歩き出し一人になると別れが実感となって彼女を襲ったのだ。
 縋りついてでも凪の傍にいたい。
 酷い女に思われたとしても、凪と一緒にいたい。
 そんな思いが彼女の脳裏をぐるぐると回り始める。
 カシスが凪と過ごした一年という時間は、
 別れを簡単に割り切れるほど短くはなかった。
 二度と、彼の腕が自分の身体を抱きしめることは無い。
 二度と・・・凪の眼差しが自分だけを優しく包み込んではくれない。
 そう思った瞬間、カシスの瞳から大粒の涙が零れた。
 後ろを振り返って凪の胸に飛び込みたい。そんな衝動に駆られる。
 肩を震わせながら、カシスは早足で校舎へと歩いていった。
 一度だけ、ちらりと背後を振り返ってみる。
 もしも凪が自分を見てくれていたなら、
 全て捨てて凪と共に生きていこう。そう思った。
 凪は目を逸らし、宙を見つめている。
 すぐに視線を前へ戻すと、カシスはふっと薄く笑った。
(・・・今まで、ありがとう)
 姿を隠すように校舎の裏側へと入ると、カシスは壁にもたれて座る。
 座るというよりは、倒れこむような動きだった。
 もはや立っている気力もありはしない。
 凪から見えない場所だということもあり、
 彼女はか細い声を上げて泣いた。
 先程までの余裕は何処にも残っていない。
 涙でぐちゃぐちゃになった顔が、それを物語っていた。
 まるで子供の様な泣き声で、彼女は身体を丸めて泣きつづける。
「・・・カシス、さん?」
 不意にそんな声がして、慌ててカシスは涙を拭く。
 彼女に話しかけてきたのは真白だった。
「ま、真白・・・」
「どうしたんですか、そんな顔して」
「別に、なんでも・・・ないの」
「あのですねえ、嘘をつくときはもっと上手くついて下さい。
 泣きながら何でもないなんて、誰が信じるんですか」
「真白には関係無いの」
「・・・それでも話して下さい。辛いのが少しは楽になりますから。
 だって私たち、友達じゃないですか」
 友達。その言葉が意外でカシスは目を丸くする。
 それは涙が止まってしまうほど、
 なんだか不思議な響きを持つ言葉だった。
「あんた、ちょっと強引な奴になったの」
「おかげさまですよ」
「全く・・・変な奴なの」
 くすっと笑うとカシスは、真白に今あったことを掻い摘んで話す。
 話を聞くなり真白は、ぐっと拳を握って大袈裟な態度で言った。
「それは凪さんが悪いですね。女の敵ですよ」
「けど凪は・・・」
「けども何も無いんですっ。
 カシスさんを振るなんて、凪さんは見る目が無いんですよ」
「確かに、そうかもしれないの」
「そうだっ。これから紫齊さんを誘ってお酒とか飲みませんか?」
「・・・今はまだ昼なの」
「関係無いですっ。凪さんの悪口暴露しちゃう会を開くんです。
 大体、凪さんは綺麗な顔してるのにえっちなんですよ」
「しかも、少しむっつりなの」
 真白と話すうち、辛さが薄らいでいくような気分になる。
 これが友達なんだろうか。ふとカシスはそんなことを思った。
 家族だったクランベリーやクリア、ルージュとは少し違う。
 リヴィーアサン達と過ごした時とは違う種類の温かさだ。
 味わったことのない感覚だが、それが何処か心地よくもある。
(こういうのも・・・悪くないの)
 その場で凪の悪口を言い合いながら、カシスはそんな風に思った。

02月27日(土) PM12:34 曇り
郊外・廃工場

 重苦しい静寂の中、一人の男が咆哮を上げる。
 辺りのものを構わず破壊し、周囲を瓦礫の山へと変貌させる。
 其処は白鳳学園から十kmほど離れたところにある、
 会社の赤字で取り壊しが決まった廃工場だった。
 残っている作業員の姿は無い。あるのは真っ赤な血の跡だけだ。
 怒り狂う獣は、中心で倒れる女性へと襲い掛かろうとする。
 すると四枚の羽根を持つ天使が、その眼前に現れた。
「まだだよ。まだ獲物がかかってないのに、餌を食べちゃ駄目」
「ふざけるんじゃあねえ! その女は俺のモンだ!
 いつ俺が食べようが殺そうが犯そうが、テメエの指図は受けねえ!」
「ルシードがもうすぐ此処に来る。
 それまで彼女は生きてなくちゃあいけない」
「面白いじゃねえか。そんなのクソ喰らえだ!」
 勢いをつけて獣は天使に襲い掛かる。
 だが、すかさず彼と天使の間に三人の男女が立ちはだかった。
 中心に立った体格の良い男性が、獣が振るう一撃を両手で受け止める。
「我等がアザゼル様に牙を向くとは、下賎な獣め・・・!」
「ほお・・・確か、テメエ等はアザゼルに心酔してる七人の馬鹿どもか」
「貴様ッ! 悪魔の分際で我等ヘプドマスを愚弄するか!」
 二mを超える巨躯にモノを言わせ、
 男性は力を込めてルシエの拳を握り締める。
 彼の身体は火花を散らせ、ルシエへの怒りを露わにしていた。
「止めないか、ヤオ。君一人でバハムートと闘った場合、
 残念だが勝てる公算は非常に低い」
 隣に立つ小柄な男性が大柄な男性、ヤオにそう忠告する。
 反対側に居る女性は、無言のまま成り行きを見守っていた。
 すると、アザゼルは笑いながらルシエと大柄な男性に言う。
「まあ仲違いは止めようよ。現状でボク達の目的は同じなんだから。
 それよりもヤオ、サバタイオス、アドーニ。
 君たちが此処に居るってことは・・・状況は予定通りだったのかい?」
 三人はアザゼルのほうを向きなおすと、膝をつき下を向く。
 それを馬鹿馬鹿しい、という顔でルシエは見ていた。
(こいつらヘプドマスの忠誠は何処から来るんだかな。
 アザゼルのカリスマ性って奴は、実に理解の範疇を超えてやがる)
「我々が確認に赴きました所、ルシードは確実に覚醒を始めています。
 予定通り、ルシードは此処でバハムートと闘うことになるでしょう」
 小柄な男性は下を向いたまま、はっきりとした口調でそう告げる。
 彼は三人の中でリーダーの役割を為す中心的存在だ。
 故に報告は必ず彼の口から発せられる。
「ふふっ・・・そっか。それじゃ君達、此処でそれを見届けてくれる?
 勿論、表には決して出ないように・・・ね」
「承知いたしました」
「ところでアドーニ、君は相変わらず無口だねぇ。
 まあ其処が可愛いところではあるんだけど」
「恐縮です」
 そう一言。アドーニは下を向いたままで返答する。
 後ろで一つに束ねたポニーテールが、ほんの僅かに揺れた。
 彼女は洞察を象徴する第六のヘプドマス。
 ヤオとは違い、感情を表面に出すことが殆どない。
 必要がなければ口を開くことさえあまり無かった。
「ちっ・・・興醒めだぜ。目の前の食事をお預け喰らって、
 その上、アザゼルのお遊戯に付き合わなきゃならねえなんてな」
 それを聞いたヤオは、思わず振り返ってルシエを睨みつける。
 くすくすと笑いながらアザゼルはまたヤオのことを制止した。
「いいんだよヤオ。彼はやる気になってくれたみたいだからね」
「ああ、やってやるよ。ルシードをまた半殺しにして、
 無様に這いつくばる奴の前でリヴィーアサンを喰ってやる」

02月27日(土) PM13:52 曇り
郊外・廃工場内、駐車場

「さて。着きましたよ」
「・・・はい」
 俺は黒澤やラファエルたちと共に、ある工場の前に来ていた。
 ラファエルの話が確かなら、この工場に紅音は居る。
 学園からかなり離れた場所だったため、
 黒澤の車に乗って俺たちは工場までやってきた。
 四人で来たとはいえ、ラファエルとウリエルは戦えない。
 さっき合流したときから、二人とも凄い傷を負っていた。
 どうやらベルゼーブブとの闘いで負った傷らしい。
 そういうわけで戦力となるのは黒澤と、ルシードである俺だけだ。
 気分は何処か欠けたような感覚。
 カシスとのことで、俺の心はどうにかなってしまったんだろうか。
 これから殺し合いをするってのに、妙に落ち着いている自分がいた。
 大切だった人との別れが、何かを吹っ切ってくれたのかもしれない。
 今の俺には紅音を助ける事。それしか考えられなかった。
 付き合いたいとかより、ただ紅音を助けたいと思う。
 前にルシードの力を使えてた頃に近い気分だ。
「やれやれ、よりによって天使と悪魔が共闘するとは」
「私が望んだことではない。出来れば我々だけでケリをつけたかった。
 ただ、バハムートを止めねばならないのはお前とて同じだろう」
「確かに彼とリヴィーアサンは厄介な存在ですよ。
 悪魔でありながら、必ずしも悪魔のルールで動くわけではない。
 特にルシエはルシファーと折り合いが悪かったですしねぇ」
 言葉に含まれていたある単語にラファエルが反応する。
「ルシファー・・・か。あの人が居た頃は、もう遠い昔なんだね」
「止めろラファエル。奴の話など・・・我々を裏切った男の話などするな」
「・・・ごめん」
 寂しそうにラファエルはそう言って笑った。
 確かルシファーって言う奴は、悪魔で一番偉いんだよな。
 今の会話、そいつと面識があるような口調だった。
 そういえば前に紅音が、ルシファーのことを堕天使って言ってたな。
 悪魔のことを堕落した天使なんだとも言ってた。
 だとすればルシファーとラファエルたちが、
 かつて顔見知りだったとしてもおかしくはない。
 そんなことを考えている内に、俺たちは工場の入り口に着いていた。
 入り口の大きなシャッターが開きっぱなしになっている。
 辺りには人間の血みたいな赤がこびり付いていた。
 それが紅音のものかもしれないという不安が頭を過ぎる。
 いや・・・そんなことあるはずない。
 あいつはまだ生きている。そうに決まってる。
 俺は不安を打ち消すと、ルシエを探すことにした。
 紅音はきっとあいつと一緒にいる。
 そう考えて俺が工場内へ入ろうとしたときだった。
 工場の奥から人影が二つ。ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
 こいつら・・・今朝、体育館前にいた二人の男だ。
 つまり、どちらかがリベサルで、どちらかがマルコシアス。
 左手に立っている髪の長い細身の男が、
 足をトントンと鳴らしてこっちを見てくる。
「よおアシュタロス。今度こそ、お前と闘れそうだな」
「・・・リベサルにマルコシアス。まだ現象世界に、
 それもルシエの側についていましたか」
「私は奴の為に此処で貴公らを待っていたわけではない。
 ルシード、貴様と闘う為に此処へ来たのだ」
 背に巨大な剣を背負った大柄な男、マルコシアスがそう告げた。
 万魔殿での一戦を根に持ってるらしいな。
 出来れば闘いは避けたいけど、
 そんなことを言える状況じゃなかった。
 既に相手二人は臨戦体制で構えている。
 其処を掻い潜って奥に進むのは非常に難しい。
 こっちの戦力は二人、相手も二人。
 つまり黒澤達に任せて俺は先へ、とはいかない状況だ。
 なるべく早く決着をつけるしかないな。
 そう思った矢先、マルコシアスが剣を鞘から抜いた。
 凄まじい気迫が彼とその剣から伝わってくる。
 焦ったり油断して闘える相手じゃなさそうだ。
「前回は失態を見せたゆえ、今回は全力で闘わせてもらう。
 貴様の前で、二度と恥ずべき姿は見せられんのでな」
 言い終えるか否かの瞬間。
 マルコシアスは物凄い勢いで俺との距離を詰め、
 背負っていた巨大な剣を振り下ろす。
「それは・・・どうも!」
 すんでのところでそれをかわすと、俺は右拳を思い切り振った。
 当たる寸前で、マルコシアスは剣の背後に隠れ拳撃を防ぐ。
 具現によって強化されていたかどうかの確認のつもりだった。
 それでもマルコシアスは俺の拳に押され、少し後退する。
 よし・・・どうやら、ルシードの力は戻ってるみたいだ。

02月27日(土) PM14:01 曇り
郊外・廃工場入口

「さて、我々も始めるとしましょうか」
「今回はやる気じゃねえか、アシュタロス」
「ええ。勝ち目のある闘いですから」
 ぴくりとリベサルの眉がつりあがる。
 挑発という点では、黒澤に敵うものは無いだろう。
 そう思わせるような笑みを浮かべ、黒澤は斜に構えた。
 基本的に黒澤は、相手の出方に合わせ戦闘スタイルを変える。
 数ある戦闘方法の中でも『待ち』を主体とするタイプだ。
 ゆえに相手の一手目がどう来ようと、
 きちんと対応できる構えを取る。
 相手から見て打撃面が少ない構えだ。
 だが相手は自由を象徴する悪魔リベサル。
 そんなことはお構いなしと言わんばかりに、
 真正面から風を具現し真空の刃を飛ばしてくる。
 飛び上がってかわせば格好の的になるのは目に見えていた。
 無論、目で風の形を見ることも不可能に近い。
 そこで黒澤は地面に思い切り拳を振り下ろした。
 力任せに地面を叩きつけ、その爆風でリベサルの風を相殺する。
 粉塵が舞い上がる中、二人はすぐさま互いの距離を詰めた。
「殴りに来るとは意外だな」
「ふっ・・・それは勘違いですよ」
 黒澤はリベサルの眼前で小さな鏡を具現する。
 そこから放たれた光は、粉塵で乱反射してリベサルに襲い掛かった。
「ぐおおっ・・・!」
 瞬間的に具現した光ゆえに殺傷力は殆どないとはいえ、
 リベサルは乱反射の所為で凄まじい量を連続して浴び続ける。
 一撃は蚊に刺された程度だ。
 それでも何千何万という回数を重ねれば、ある程度の手傷は負う。
「まずは私から一撃ですね」
「くっ・・・だがこの距離で俺に近づいたのはまずかったな」
 カッと目を見開くと、リベサルは身体中から風の刃を放った。
 彼が得意とする風の具現の中でも、それは最も素早く発動出来る。
 黒澤が飛び退くより一瞬早く、風の刃が周囲を舞った。
「ぐっ!」
 とっさに両手で防いだものの、黒澤は軽い切り傷を負う。
 そんな二人の瞬きを許さぬ攻防を、
 ラファエル達は離れたところで見ていた。
「さすがは爵位を持つ悪魔同士の闘いだな・・・。
 一手ごとの攻撃と防御が高次元で行われている」
「歯痒いね・・・うりっち」
「・・・ああ」
 リベサルらが目まぐるしい攻防を繰り広げる一方。
 凪はマルコシアスと睨みあったまま、ぴくりとも動かない。
 以前と比べ、凪がマルコシアスを責めあぐねているのだ。
 魔剣クレイドルオブフィルスの射程距離が長いこともあり、
 迂闊に懐へ飛び込むことが出来ない。
 マルコシアスは剣を背に構えたまま、凪を睨みつけていた。
 大剣を起点とする彼の動きは、凪にとって脅威の一言。
 剣の射程距離から離れての遠距離攻撃が突破口となる。
 だが、そんな凪の考えを見越してかマルコシアスは剣を振り上げた。
「行くぞルシード。我が魔剣の威力、見せてやろう!」
 振り上げた剣から紫と黒の光が放たれる。
 凪に向かって振り下ろされた剣は距離が足らず、空を掠めた。
 かと思うと、急速に辺りの重力場がゆがみ始める。
「なっ・・・こ、これは・・・」
 地面に突き刺した剣の周囲に、強大な重力が形成され始めた。
 凪は立っていられずに膝をついてしまう。
(まずい、これじゃ動くことが出来ない!)
 背中に何人もの人間が乗っているような感覚だった。
 遂には両手をついて、四つん這いになる。
 重力は更に加速しているようだった。
「このまま圧殺されるつもりか、ルシード。
 私が見込んだのだ。この程度で死んで貰っては許さぬぞ」
「い、われなくたって・・・」
 凪は重力を緩和する膜を形成し、どうにか立ち上がる。
 そこで後退することは容易だった。
 だが後退しても、この状況を打破しなければ意味が無い。
 また同じ状況に追い込まれるだけだ。
「それでこそルシード、私が見込んだ強者よ!」
 不意に凪を拘束していた重力が緩和される。
 マルコシアスは重力場を、剣に集中させているのだ。
「この一撃、見事受け止めてみせろ。クトゥルフ・ダウン――――!」
 剣を振り下ろす瞬間にマルコシアスは重力を発生させる。
 それによって、数倍の威力と速度を得ることが出来た。
 即ち、かわすことは困難を極める。
 一瞬早く反応した凪だったが、それでも剣は凪を捉えていた。
(くっ・・・間に合わない!)
 思わず凪は長剣を具現し、クレイドルオブフィルスを受け止める。
 だが、あまりの重さに凪は膝をついてしまった。
 こればかりは凪がどうしようと、重力を緩和することはできない。
 押され始め地面にめり込みそうになる凪だが、
 ふと剣の重力が直線的に真下へ向かっていると気付いた。
 そこを利用して、凪は長剣の向きを少し斜めにずらす。
 凪はそのまま長剣を縦にして、
 クレイドルオブフィルスをわざと地面へ直撃させた。
「むっ?」
(今だ――――!)
 一瞬の隙を逃さず、凪は長剣でマルコシアスに斬りかかる。
 マルコシアスは長剣の剣突から逃れようと身をよじったが、
 体勢を崩されたこともあり、凪の剣は見事彼の右肩を貫いた。
「ぐ、ぬうっ・・・!」
 肩口を剣で貫かれたマルコシアスは、呻き声を上げる。
 それでいて、なぜか苦くも嬉しそうな表情をしていた。
「剣をスライドさせることで・・・重力の影響は無意味となる、か。
 単純だが咄嗟に行うには難しい、見事な一撃だ。
 正直、今の一撃は予想外だった・・・やはり、お前は強者。
 フッ・・・フフ、人間の姿で相手出来ると思っていた私は、
 まだ奢りを捨てきれていなかったようだな」
「っ・・・!」
 今までとは違う雰囲気に、思わず凪はマルコシアスから距離を取る。
 急に彼の周囲を奇妙な霧が包み始めた。
 それが何を意味するか、その場にいる全員が知っている。
 人間という殻を破り、内に潜む悪魔が真の姿を表す瞬間だ。
 エイシェントの詠唱が聞こえ、マルコシアスの身体が変形を始める。
 かたわらでは、少しの間無防備になる彼を守るようにして、
 魔剣クレイドルオブフィルスが地面に突き刺さっていた。
「さあ、ルシード・・・今より私は全力を持って貴様と闘う。
 今度は最後まで私の自己満足に付き合ってもらうぞ」

Chapter121へ続く