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黒の陽炎
−3rdSeason−

著作 早坂由紀夫

In The Crimson

Chapter121
「desperate struggle」


02月27日(土) PM14:07 曇り
郊外・廃工場入口

 重要なことは、揺るぎない覚悟だ。
 覚悟があれば動きは鈍ることなく、太刀筋に迷いも無くなる。
 やると決めたなら必ず実行すると言うこと。
 誰が何と言おうと、どんな障害があろうと諦めないこと。
 それが覚悟だ。
 マルコシアスは既に覚悟が出来ている。
 どんなことがあろうと、必ずルシードを倒すという覚悟だ。
 そのためなら人間をエイシェントの生贄にすることも厭わない。
 躊躇うことなく、自らが本来持つ姿を現象世界へと降臨させられた。
 蒼白の甲冑に身を包み、人間時より更に大柄な体格を奮い、
 彼はエイシェントの光からゆっくりと抜け出す。
「この姿で会うのは一年振りになるか。
 一撃で退かされた屈辱、この一年忘れたことは無いッ・・・」
 大きな手で彼は魔剣クレイドルオブフィルスを地面から抜いた。
 風格や威圧感、受ける感覚が先程とも以前の彼とも違う。
 凪は目の前に居る男が恐るべき大悪魔であることを、
 肌や全身で充分なほどに感じていた。
 右手で魔剣を空高く持ち上げると、
 マルコシアスは背中へと剣を横に下ろし構える。
 歌舞伎の舞にも似た、彼本来の独特な戦闘態勢だ。
 警戒する凪の目に、異常に緊張し始める彼の右腕が映る。
(・・・何か、やばい!)
 気づいたときにはマルコシアスの腕が、魔剣を真上へと掲げていた。
 クトゥルフ・ダウン。それは振り下ろしの一撃に重力を加え、
 速度と破壊力を高める必殺の一撃と言える。
 マルコシアスが悪魔本来の姿で放つのなら尚更だ。
 だが彼が狙ったのは凪ではなく、剣が刺さっていた地面。
 想像を絶する負荷を受けた地盤は、耐え切れずに陥没する。
 思わず凪は地面から跳躍して被害を受けないようにした。
 その瞬間、マルコシアスの姿が凪の視界から消える。
「えっ・・・?」
「重力の枷が、私と貴様の距離を・・・零にする」
 上から声が聞こえ、凪は飛び上がった状態で空を見上げた。
 そこには再び剣を振り上げるマルコシアスの姿がある。
 空中でどうにか攻撃を回避しようと試みる凪に、
 強力な重力場が発生して動きを絡め取った。
 凪はそのまま物凄い力で地面へと叩きつけられる。
 それだけでも凪にダメージはあったが、彼の攻撃はこれからだ。
 地面に倒れている凪を目掛けて、
 巨大なマルコシアスとその剣が狙いを定める。
 重力により動きが制限されているため、逃げることは不可能。
 更には彼が人間の姿だったときでさえ受け止めきれなかった一撃だ。
 今のマルコシアスが放つ一撃を凪が止めることは不可能に等しい。
 例え全力で重力の拘束を解いたとしても、
 動けるようになった頃に凪の身体は両断されているだろう。
「諦めて死ぬか、ルシード」
「諦める・・・もんか。私は、紅音を助けるんだっ!」

02月27日(土) PM14:11 曇り
郊外・廃工場内

 流れるような動きで、二人の男が廃工場へと入っていく。
 工場内にはドラム缶を始めとする、無数の遮蔽物が転がっていた。
 すぐさまリベサルと黒澤は、近くの物陰へ姿を隠す。
 彼らは真っ向勝負というものにあまり興味はないのだ。
 それよりも、相手を出し抜くことに戦闘の楽しみを感じるタイプ。
(さて。久しぶりに全力で闘う必要がありそうですね)
 拳をぐっと握り締め、黒澤はほんの少し笑みを零す。
 積み上げられたダンボールの箱に背を向けると、
 ちらりとリベサルが消えた方向を覗き見た。
 視線の届く範囲に彼の姿は見えない。
 黒澤同様に身を隠し、奇襲を狙っているのだろう。
 そこで黒澤は、手鏡のようなものを自身の2mほど真上に具現した。
 鏡の角度をずらしながら、辺りをくまなく調べていく。
 意外なことにリベサルの姿はあっさりと見つかった。
 ちょうど工場を真上から見ると黒澤と反対側に位置する場所を、
 上手く黒澤の視界に入らないよう移動している。
 ある程度移動したかと思えば、今度は足がピタリと止まった。
 何か策を練ろうというつもりなのか。
 そう考える黒澤の意表を突くように、彼はそこで集中し始める。
「揺らいでるぜ、アシュタロス」
 リベサルは身体をよじり、黒澤の方向へ手を一閃した。
 言い知れぬ危険を感じ取った頃にはもう遅い。
 着ている服がぶわっと浮き上がり、黒澤の背中に縦の赤が滲んだ。
「ぐっ・・・!」
 背後を向くと、ダンボールが破壊されている様子はない。
 恐らくは風を具現し、遮蔽物の隙間を通って黒澤を攻撃したのだ。
 一瞬だけ床に膝を付くが、すぐに体勢を立て直してその場を離れる。
 距離があった所為か様子見だからなのか、傷は深くなかった。
 奇妙なのは的確に場所を察知され攻撃されたという事実。
 偶然、という言葉で片付けるべきか。
 或いは何らかの方法で黒澤の位置が気付かれたと見るか。
(どちらにせよ、リベサルの位置は掴んでいるんです。
 慌てることは無い。まだこちらの有利に変わりはありません)
 先手を打たれ手傷を負いながらも、黒澤は冷静に頭を働かせる。
 足音を立てないように、靴を脱ぎなおかつ小走りで移動した。
 こうすれば、音で居場所を察知される可能性はまずない。
 目でも耳でも黒澤の位置を知るすべは無いはずだった。
 正確な位置を把握できなければ、イメージも不安定になる。
 黒澤は再び頭上に鏡を具現し、今度は攻撃に移ることにした。
 鏡を介してリベサルの姿は見えている。
 後はその場所へ向かって、強力な光熱を浴びせればいいだけだ。
 とはいえ、高い熱を帯びる光は簡単に具現できるものではない。
 少しの時間と多大な集中力を要するのだ。
 黒澤は、頭上に具現した鏡を見つめながらイメージを浮かべる。
 明確な光の軌道や熱量、リベサルの位置などを。
 しかし集中を始めた矢先に、再び強風が黒澤を襲った。
「な、にっ・・・!」
 痛みと衝撃で前につんのめるが、どうにか膝をつくに留める。
 今度の一撃は先程よりも強力な風。
 その上、また正確に黒澤を攻撃してきた。
 さすがの黒澤も、これには驚きと焦りを隠せない。
(偶然ではないっ・・・これは、確実に私の位置を知った上での具現だ。
 どういう手段でかは解らないが、リベサルは私の位置を把握している)
 しかも一撃ごとに、具現による風の殺傷力も上がっている。
 このままでは、次の一撃が致命傷になりかねないほどだった。
 いっそのこと距離を詰めて接近戦に持ち込むか。
 そんな考えが頭を過ぎるが、すぐ黒澤はそれを打ち消した。
(私を出し抜くなど、面白いじゃあないですか。
 いいですよ、リベサル。この勝負、この距離で勝ってみせましょう)
 黒澤は、自らが闘いにおいて最も好んでいたことを思い返す。
 相手をやり込め、見下し、勝ち誇るということだ。
 そうすることで初めて、黒澤は闘いに価値を感じる。
(まずは私の位置を把握している方法を、見破る必要がありますね)
 眼鏡の位置を直しながら、黒澤はにやりと微笑んだ。
 背中を怪我しているというのに、その表情は余裕に満ちている。
 起死回生の策が浮かんだのかといえば、そういうわけではない。
 状況は非常に黒澤を追い込んでいた。
 それでも決して彼は青ざめた顔を見せたりしない。
 表情を崩さずに勝ってこそ、心から相手を見下ろせるからだ。
(視覚的に私の位置を察知しているとは思えませんね。
 最初の攻撃時、彼の瞳は閉じていたはず。
 更には辺りに私の位置を知らせるようなモノは存在しない。
 だとすれば、音? しかし私は足音を極力立てず移動している。
 こうも確実な攻撃が、音を頼りに放てるとは考えにくい)
 ダンボールを背にするのを止め、黒澤は向かいの壁にもたれた。
 それから目を閉じると、リベサルが放つ風を回避できるよう集中する。
 すると黒澤は、今まで感じなかったある違和感に気付く。
 それは極僅かな違和感だった。
 辺りの窓は固く閉ざされているし、今居る場所は入り口からも遠い。
 大体にして外でさえ、気になるほどではなかったのだ。
 疑問符を抱くより先に、それが答えなのだと頭が理解する。
 黒澤はなるほど、と呟き不敵な笑みを浮かべた。

02月27日(土) PM14:13 曇り
郊外・廃工場入口

 重要なことはただ一つ、凪が持つ思いの強さだ。
 覚悟は学園を出る前から決まっている。
 マルコシアス同様、凪も腹を括ってこの場にいた。
 全身に重力負荷がかかっている現状で、
 先程のような剣撃を受け流すという芸当は出来ない。
 それでも負けられない。ルシエから紅音を救い出すまで、決して。
 紅音のためであり、自分のために。
(どうにかして重力の拘束から逃れなきゃ。
 何か方法はあるはずだ。絶対にあるっ・・・!)
 今までの闘いが彼の精神を鍛えていたのだろう。
 この状況下でも、凪はまだ考えを巡らせることが出来た。
(待てよ? 何か具現することを制限されてるわけじゃない。
 集中さえすればマルコシアスの魔剣を防ぐ何かを作り出せるかも・・・)
 そこで凪は、彼の魔剣よりも長い武器で先手を打とうと考える。
 次に考えるのは何処に、何をどういう向きで具現するか。
 凪が咄嗟に思い浮かんだ武器は巨大な槍だった。
 雄雄しく感覚が描き出すそれは、俗説でいうキリストを貫いた槍。
 名称は槍を手にしていた者の名がロンギヌスであったことに由来する。
 かつてイヴが解りやすく『神の槍』と呼称したロンギヌスだ。
 存外、武器や攻撃方法に名を冠することは重要な儀式に当たる。
 イメージを精神に固着させ、想像を容易にさせるからだ。
 槍を具現した凪の頭にも、ロンギヌスという言葉が浮かんでいた。
 空から斜めに地面へと突き刺さる。そんなイメージを描く。
 それは久しぶりとはいえ実に不思議な感覚だった。
 想像した物体が現実に反映され、形を為していく。
 以前よりもずっと早く、正確な形で槍は空に具現された。
 だが凪の視線を見たマルコシアスは、具現された槍の存在に気付く。
 同時に槍が彼目掛け高速で落下を開始した。
「ぐうぉおおおっ!」
 マルコシアスは身体をよじって回避を試みるが、
 後方からの一撃ということもあり避けきるのは不可能。
 致命傷を避けるだけで精一杯だった。
 彼の左上腕部を吹き飛ばし、槍は地面へと突き刺さる。
 身体から切り離されたマルコシアスの左腕が、凪の近くに落下した。
 さすがのマルコシアスといえど、激痛に集中を切らしたのだろう。
 その瞬間に、凪の身体を拘束する重力場が失われた。
 すかさず凪は場を離れ、後退してマルコシアスを見つめる。
 宙に浮いた状態で彼は歯を食いしばり、凪を睨みつけていた。
「まだ貴様に届かないというのか・・・!
 あれから一年鍛錬を重ね、この魔剣と出会い、
 それでもまだ・・・貴様と私にこれだけの差があるというのか!」
 右手で再び魔剣クレイドルオブフィルスを構えるマルコシアス。
 片腕を無くしたところで、彼の戦意は失われはしない。
 このまま闘えば、命を奪いかねない。そう凪は感じた。
(そりゃあ覚悟はしてきた。紅音を助けるって覚悟はしてきたんだ。
 けど、そのために・・・悪魔とはいえ、誰かを殺す・・・のか)
 躊躇いは身体を鈍らせる。
 闘志を剥き出しにして向かってくるマルコシアスに、
 手加減などという言葉は危険極まりないものだ。
 だというのに、凪は殺害という行為を恐れてしまう。
 偽善的な感情なのかもしれない。
 しかし湧き上がってくるそれは、凪の動きを鈍らせていた。
 振り下ろしの一撃をかわすと、凪は更に後退する。
 そこへマルコシアスは横から魔剣を一閃した。
「クトゥルフ・ダウン・スライド――――!」
 マルコシアスは魔剣にかかる重力の向きを横にして、
 振り下ろし同様に速度と威力を上げる。
 思わず凪は剣を具現し受け止めようとした。
 剣を地面に突き立て、固定した上でだ。
 それでも魔剣の勢いは止まらず、凪は後方へと吹き飛ばされる。
「ぐっ・・・」
「どうした。動きが先程と比べ鈍っているぞ」
 気付けばマルコシアスは立ち上がろうとする凪の眼前に立っていた。
 片腕を失った程度で彼が動じるはずもない。
 なぜなら彼は今、心から闘いを楽しんでいるのだから。
 喜びの中で痛みなど小さな燻りに過ぎない。
 純粋に魔剣と己の力でマルコシアスは凪に斬りかかった。
 それを凪は膝をつきながら具現した剣で受け止める。
 重力の負荷がなくとも、その一撃は充分に重く速い。
 巨大な魔剣クレイドルオブフィルスを、
 マルコシアスはまるで普通の剣を使うように片手で振り回す。
 剣の扱いに慣れていない凪では、それを受け止めることも難しかった。
 更には剣を握る手が一撃ごとに痺れていく。
 力で押されれば凪が不利なのは明らかだった。
 そこで凪は彼の左側へと走りこむ。
「やはりそう来るか・・・!」
 左腕を失っているマルコシアスに攻め入る為には、
 単純に考えて左へ回り込むのが最良の策だ。
 無論、それは彼自身も理解している。
 故に凪の行動に対する反応も素早いものだった。
 走る速度よりも速く魔剣が斜めに左側へと振り下ろされる。
 そうやってマルコシアスの魔剣が、
 凪の身体を両断すると思われた瞬間だった。
 意外な凪の動きに彼は驚かされることになる。
 左に回りこむという行動を見せた直後だ。
 なぜかマルコシアスの懐に凪の姿はあった。
(定石通りに見えた左への動きはフェイント・・・!
 ルシードの狙いは、左へ迂回して私の懐へ潜り込むこと――――)
 魔剣が長大であるがゆえに、近接されては攻撃が難しくなる。
 逆に凪からすれば其処は絶好の位置だった。
 マルコシアスが後退するより早く、凪の掌底が鳩尾を捉える。
「がっ・・・!」
 あまりの衝撃に、彼の巨体が大きく揺れて後退した。
 どうにか魔剣を地面に突き刺して寄りかかる。
「ふ、ふふっ・・・これが、貴様の・・・ルシードの力か。
 確かに強力だが・・・全く歯が立たないわけでも、ない。
 面白い、実に愉快な気分だ・・・こうも心躍る闘いは久しい」
「楽しい? 闘い、殺し合いが楽しいっていうの?」
「これは下らぬ闘いではない。完全なる私闘。完全なる自己の充足。
 故に愉悦であり、我が心を満たすに足るのだ。
 さあルシード。闘いは、これからだ。私を殺して見せろ。
 でなければ私が貴様を殺す。決着はどちらかの死以外には無い」
「本気で・・・言ってるの?」
「この期に及んで本気か、だと? 下らん問いは止めろ。
 これは私闘であり、死を賭けた文字通り死闘と呼ぶべきものだ。
 情けや感傷など私の誇りを汚すだけに過ぎん。
 貴様が何かを守ろうと欲するならば、先へと進むべく闘うならば、
 私の屍を越え、私の死を踏み台にする程の気概を見せてみろ!」

02月27日(土) PM14:15 曇り
郊外・廃工場内

 工場は奥へ入るにつれ、段々と薄暗くなっていく。
 リベサルはため息をつきたくなる気持ちを堪え、奥へと足を滑らせた。
(ったく、ガラじゃねえぜ。誰かの闘いを手助けするなんざ・・・)
 マルコシアスに借りがあるわけではない。
 特別仲の良い同士というわけでもない。
 理由を尋ねられても、リベサルは返答に困るだろう。
 なんとなく。それが彼の頭を過ぎる言葉だった。
 そう、なんとなくリベサルはマルコシアスの生き様に興味を持った。
 闘いを楽しみ、その中で死んでも構わないと考える。
 リベサルからすれば、それはネジの外れた考えにしか思えなかった。
 だから彼は親しみも友愛もなく、ただ興味だけで此処に居る。
 ここでマルコシアスがルシードと一対一で闘えるよう、
 アシュタロスという悪魔と殺しあっているのだ。
(・・・死ぬなよ、マルコ。お前が死んでも、誰も悲しまねえぜ)
 傍から見ればリベサルは、隙だらけで考え事をしているように見える。
 だが彼は考え事をしながらも、常に黒澤の位置を把握していた。
 次の一撃を放つために、リベサルは最適な場所へと移動を始める。
 障害物を挟み、彼と黒澤の位置が直線状になる場所へと。
 物理的なものと比べ、風を具現するということは非常に難しい。
 実体がなく、イメージを捉えにくいからだ。
 感覚を研ぎ澄まし、心の中で明確な映像を描く必要がある。
 ゆっくりと息を吐き、リベサルは精神を集中させていく。
 そうすれば黒澤の位置は手にとるように察知できた。
(左右を不規則に動いてフェイントをかけてるな。
 俺が奴の位置を把握してることにもう気付きやがったか。
 まあ、それだけじゃ何の意味もねえよ。俺には・・・)
 そんなことを考えていると、不意に彼の集中を乱す出来事が起きる。
 把握していたはずの黒澤の姿が分散したのだ。
 似た動きをした者が、二人に増えている。
(いや・・・三人、よ・・・馬鹿な! 六人だと?
 どういうことだ! 奴の身体が分裂したとでも言うのか?)
 おまけにそれは同じ動きでリベサルの方へと走り出す。
 困惑を隠せないリベサルだが、すぐにそれが何を意味するか気付いた。
(そうか、任意具現だ! 五体は奴と同じ動きをするフェイク――――!)
 瞬間、彼の背後にあるダンボールから飛び降りる人影。
 反射的にリベサルはその人影へと風を具現する。
 確かに姿は黒澤。だがそれは明らかな具現だ。
 何が明らかかといえば、その具現された黒澤の姿をした者は、
 全身が鏡のような物質で構築されていたのだ。
「こいつは、ただのフェイクじゃあねえっ・・・!」
「そう。それはフェイクというより・・・」
 太陽の光が、外に近い位置のフェイクから反射されていく。
 五体居るフェイクは全て、光の反射する方向へと移動していた。
「貴方への攻撃方法、ですね」
 遠くから黒澤の声が聞こえてくる。
 振り向こうとするが、目の前を物凄い質量の光が覆い尽くした。
 凄まじい熱量を持った光がリベサルに襲いかかる。
「ぐああぁっ!」
 立っていることさえ許さぬ、致命的な一撃だ。
 ばた、と倒れたリベサルの身体は全身焼け爛れている。
 それを見下ろすと黒澤は、嘲るような笑みを見せた。
 同時に黒澤が任意に具現した者達は、割れるように砕け散る。
 役目を果たした時点で負荷限界を超えたのだろう。
「・・・さすがは、アシュタロス・・・見事だ、ぜ」
「君が私の距離を把握していた方法、実に巧妙でしたよ。
 ですが、屋内のここで微弱な風が吹いていることに気付きましてね。
 しかも一方に流れているわけではない。
 意志を持っているように、彷徨うような流れで風が吹いている。
 それが貴方が具現した偵察の役目を負った風で、
 私の動きを感知してることはすぐに解りました。
 ただ、もし同じ条件で戦場が野外だったならば・・・。
 或いは、私が負けていたかもしれません」
「チッ・・・てめぇがそんなこと言っても、皮肉にしか・・・聞こえねえ」
「ふっ、鋭いですねぇ。その通りです」

02月27日(土) PM14:18 曇り
郊外・廃工場入口

 心に入り込む迷い。相手が人ではなくとも、人の形をしていたもの。
 悪魔とはいえ、感情を持つ生命体。それを殺さねばならない。
 単純に、人ではないからと割り切れるものではなかった。
 相手が化物の形をしていても、害悪と言い切れる存在ではない。
 出来ることなら、凪はマルコシアスを殺さずに退けたかった。
 そんな甘えた考えで闘える相手ではないと、解っていたというのに。
 戸惑う凪に対して、マルコシアスは変わらぬ意志で斬りかかる。
 左腕を失い、鳩尾に打撃を受けた為か、
 彼は苦悶の表情で息を切らせていた。
 それでもマルコシアスの瞳に諦めの色は無い。
(悩んじゃ駄目だ。俺は紅音が一番大切だって解ったんだから。
 紅音のため、いや・・・俺自身のために、マルコシアスを――――)
 初めて能動的に誰かを殺さねばならない。
 そう、紅音を助けるため、自分のために。
 相手と殺し合いをしている状況とはいえ、
 いざ人間に似た存在を殺すとなればためらってしまう。
 殺害という行為は、身体中の毛が逆立つような悪寒を伴うことだ。
 凪でなくとも、大概は誰しもが迷いためらう。
 だが凪は身体を震わせながら、それを決意した。
「その眼、強き意志を持つ者が放つものだ。
 どうやらこの悦楽のときも、じき終幕か・・・良いだろう。
 ならば我が力の全てを次の一撃に込める」
 淡々とした言葉だが、マルコシアスの気迫が伝わってくる。
 それを凪はひしひしと感じていた。
 殺してしまう、などと言う考えでは倒せない。
 手負いとはいえ、マルコシアスの一撃は必殺の殺傷力を持つのだ。
 明確な殺意で挑まねば、逆に殺されてもおかしくはない。
 以前の感覚を頼りに、凪は鮮やかな緑の光を両手に集めていく。
 集約されていく光の量は、以前より眩い輝きを放っていた。
(なんだ、これ・・・何か、違う)
 対するマルコシアスは右手で魔剣を構え、体勢を低くとる。
 その姿は、今までと少し異なる威圧感を持っていた。
「私とこの魔剣が放つ最強の一撃、ドーン・オブ・エタニティ。
 我が身体自身に横の重力を加え突撃する剣突。
 直撃を受ければ、貴様の身体を粉々にするだけの威力はある」
「もし、私がそれをかわしたら?」
「避けられる危険を孕んでいるならば、わざわざ説明などするものか。
 私自身への負担は大きいが、この一撃を回避することは不可能だ。
 それに・・・もとより貴様にそのつもりはあるまい」
 言葉のとおり、凪はマルコシアスの一撃を
 真っ向から受け止める気でいる。
 奇妙だが、凪にとってそれは当然の礼儀に思えた。
「猛れ、クレイドルオブフィルス――――」
 地面すれすれの低い体勢から、マルコシアスは凪へと疾走する。
 あまりの速度で辺りに風が巻き起こり、地面が抉れていった。
 確かにその突撃を回避することは不可能。
 一瞬でも反応が遅れれば、迎撃する間さえもないほどの高速攻撃だ。
 決意と殺意、必要な全てを込めた一撃に、
 意を決して凪は両手を前に突き出す。
 しかしマルコシアスと魔剣の突進力を抑えきれなかった。
「く、うぅっ・・・!」
 体勢を崩しそうになりながら、必死で凪は緑色の光を放つ。
 その最中、凪はエメラルド・グリーンの光を包むように、
 僅かだが違う色が浮き上がっていることに気付いた。
(これは・・・朱色? 凄く、鮮やかな・・・朱だ)
 放たれた美しい緑の光に、力強い朱色が混じり始めていた。
 するとそれが力を与えているのか、
 緑と朱の光がマルコシアスを押し始める。
「ぬ・・・ぐうっ・・・私とクレイドルオブフィルスが、押し負ける・・・!?」
「う、ああああぁっ――――――!」
 凪はさらに光の出力を上げ、一気にマルコシアスを吹き飛ばした。
 勢いに押されマルコシアスの巨躯が後方へとのけぞり、
 そのまま大きな音を上げて地面に倒れる。
 かなり消耗したのだろう。
 肩で息をしながら凪は彼の傍へと歩いていく。
 既に致命傷を受けたマルコシアスは死を待つのみだ。
 むしろ、光にかき消されなかったことが奇跡に近い。
「あんた・・・その右腕」
 見ればマルコシアスの右腕は、
 酷い凍傷で動かすのも難しいような状態だった。
 恐らくは凪と闘っている最中も、魔剣が彼を蝕んでいたのだろう。
「言うな。これが、私の全力・・・悔いは無い」
「・・・マルコ、シアス」
「短くも、満ち足りた時間だったぞ、ルシード。
 私は貴様に負けた。だから・・・満足して死ねるのだ。
 負けるなよ、ルシード。お前は、私に勝ったの・・・だから、な」
 そう言い終えるとマルコシアスは目を閉じ、笑みを浮かべ事切れた。
 初めて自らの意思で誰かを殺してしまったということに、
 酷く凪は嫌悪感と恐怖と罪悪感を覚える。
(死んだ・・・のか? 俺が、殺した、のか・・・)
 殺さなくてもよかったのではないか?
 何か他に方法があったのではないか?
 そんな考えが浮かび、凪は身体を震わせ硬直する。
 命を奪うという行為の恐ろしさが凪の心を支配していた。
 すぐにその場を立ち去れない凪のもとへ、
 ラファエルとウリエルがやってくる。
「行こう、凪君」
 言葉は帰ってこない。凪はぎこちなく肯くだけ。
 複雑な気持ちを抱きながらも、
 ここで立ち止まるわけにはいかなった。
 この工場へ凪がやってきたのは、紅音を救うためなのだから。
(俺は・・・進むんだ。それ以外、出来ることはない)
 拳を握り締めると、崩れ始めるマルコシアスの身体を一瞥する。
 覚悟するということは、立ち止まらないということだ。
 改めて凪は、自分自身に気合を入れなおした。



 アルカデイアのエウロパ宮殿。
 そこから少し離れたところにある小高い丘の上に、
 一人の老人が立って景色を眺めていた。
「ウリエルとラファエルへの妨害、タイミングが良すぎるのぉ。
 やはり老賢者の中に、奴と通じている者がおるか。
 そうでなければ今回の件、説明が付くまい」
 隣には煙草を咥えたミカエルが、地面に腰をおろしている。
 彼もまた、景色を眺めながら口を開いた。
「俺、とは言わねえんだな」
「お主は同じ四大天使を売りはしないじゃろ」
「さあ・・・どうかね」
 白い煙がミカエルの唇から空へと放たれ、すぐに消えていく。
 煙草の煙を吐き出すと、気だるい顔で彼は目をゆっくりと閉じた。

Chapter122へ続く