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黒の陽炎
−3rdSeason−

著作 早坂由紀夫

Blue eye's Heritage

Chapter84
心因性吸血衝動/矛盾/圧迫感


12月23日(水) PM20:35 晴れ
学園前・校門

 え〜っと。
 私は頭を落ち着かせてみる。
 島。内地ではない。
 つまり私にその島へ来てくれ、って事なんだよね。
 普通に考えてみれば行くべきじゃない。
 そんな事は当たり前だ。
 でも何かがそう答えるのを邪魔する。
 そこへ行かなきゃいけないような気さえした。
 何故だろう。
 考えるとすぐに私は一つの答えへと導かれる。
 同属の待つ世界だから。
 本当に私が居るべき世界かもしれないから。
 自然と私は凪さんの方を向いていた。
 彼は私の視線に気付いて優しく微笑んでくれる。
 きっと私が決断するのを待ってくれる気なんだろう。
 私が、行かない事を決断するのを。
 こちらの迷いを見て取ったらしく、
 ルガトという人が私に話しかけてきた。
「我々は貴方に危害を加えるつもりはありませんよ。
 以前に先走ったフィメールの事は、
 正式な場で謝罪させて頂きたいくらいです」
「フィメール・・・彼の事を、どうして?」
 疑問が口をついて出る。
 それに答えたのはベバルランという人だった。
「奴はブラッド・アライアンスの者だった。
 吸血鬼を探す事を任務とする、
 ファウンドという部署で動いていたのだ」
 彼がその機関で働いていたという事実は、
 少なからず私を動揺させる。
 あの時に感じた恐怖を忘れられるはずがなかった。
 確かに同属という事でフィメールに対して思う所はある。
 けどそれよりも彼に対する怖れが何よりも勝っていた。
 もし、もう一度あんな目に遭ったら・・・。
 身体が自然と震えてしまう。
 外が寒い所為もあるけど、やっぱり怖い所為だ。
「無論、貴方にとっても悪い話ではありませんがね。
 なにしろこのベバルランという男は、前世の君を・・・」
「ルガト!」
 ベバルランさんが強い怒りの表情で、
 ルガトさんの事を睨みつける。
 それは一触即発と言ってもおかしくなかった。
 少し怖い。
 私の怯えに気付いたのか、彼は咳を一つした。
「・・・すまない」
 思ったよりも良い人なのかも知れない。
 どうしてかベバルランさんの目は、
 さっきより少しだけ優しく見えた。
 そして、少しだけ悲しそうにも見えた。
 何処か彼は私を複雑な表情で見ている様に感じる。
 自意識過剰なのかもしれないけど。
 それはそうと、今さっきルガトさんが言いかけた事・・・。
 ベバルランさんは前世の私を?
 その後になんて言うつもりだったのだろう。
「とにかく我々と食事でもして頂ければ、
 何かしら貴方にもプラスになるはず。
 貴方は悩んでいるのでしょう?」
「え?」
「人間と吸血鬼。その境は近いようで果てなく遠い。
 時々、血が欲しくて堪らなくなったりしませんか?」
「そんな事・・・ありません」
 無意識に私は凪さんの手を掴んでいた。
 深く考えた事もない。
 自分が血を吸う存在だって知ってからもずっと。
 凪さんの血を吸ってから、
 そんな衝動を感じた事はなかった。
 良く解らないけど二度とそんな事は起こらない気がする。
 今までだって私は、普通に・・・。
「大丈夫だよ。真白ちゃんは人間なんだから」
 隣にいる凪さんがそう言って私に笑いかけてくれた。
 誰よりも側にいて欲しい人が、隣にいてくれる。
 それだけで私は強くなれるはずだ。
 なのに。
 なのに、心の何処かで何かが疼き始めている。
「君は何か勘違いをしている様だな。
 我々吸血鬼にとって血を吸う事は呼吸と同じ。
 吸わなければ生命力が弱り、苦しむだけだ」
「う、嘘を・・・言わないで下さい」
 声が震えていた。
 どうしてかは解っている。
 私はよりによって凪さんの言葉よりも、
 同属であるルガトさんの言葉を信じてしまってるんだ。
 それも感情ではどうしようもない所で。
 言うなれば、本能。
 本能が人間よりも吸血鬼の方を
 信じるべきだと言っている。
 そんなのは違う。
 いつだって私が信じるのは凪さんだ。
 手から伝わる彼の温もりを信じればいい。
 でもそんな感情が戯れ言なんだという事を、
 すぐに知る事になってしまった。
 気付くまで大して時間はかからない。
 今、たった今まで凪さんの手の温もりを信じればいい。
 そう考えていたはずなのに。
 この瞬間には自然とその血流を感じようとしていた。
 血を吸いたいなんて事、考えた事無い。
 今までもこれからもずっと・・・そのはずだったのに。
 だって今の私は、人間のはずだよ?
 吸血鬼としての私じゃない、人間の私。
 境が曖昧になってるのは感じていたけど、
 だからって人間の私が血を吸いたいなんて・・・変だ。
「まあじっくり考えたまえ。
 明日の夜、また君の元へとやってくる。
 その時に答えを聞かせてくれればいい」
 ルガトさんはそう言うと踵を返して歩き出す。
 ベバルランさんは私の事を一瞥すると、
 ゆっくりとルガトさんと同じ方向へと歩いていった。
「私・・・」
 はっきりと今、自分の事が解った気がする。
 結局何処まで行っても私は私だ。
 逃げられない。
 吸血鬼の私と人間の私は重なっていくんだ。
 重なって、吸血鬼になってしまう。
 思わず私は凪さんの方を向いた。
 彼は私の顔を見ると、少し表情に影を落とす。
「真白ちゃん、気にしない方が良いよ。
 今の君を知らない奴に、君の事が解るはずない」
「・・・そう、ですね」
 でも凪さん。
 もし私が病気にかかっていたとしますよ。
 その場合に凪さんと同じ病気を患っている人のどっちが、
 私の事をより解ってくれるんでしょうか。
 そんな事を言えるはずはなく、私は静かに肯いた。

12月23日(水) PM21:46 晴れ
市街

 二人の吸血鬼は車で街を流す。
 ベバルランは表情を強張らせ黙っていた。
 その逆でルガトは機嫌良さそうに車を運転する。
「彼女は今夜辺り、酷い吸血衝動に襲われるだろうな。
 なにしろ吸血という行為自体は心因的な要素が強い。
 転生した吸血鬼が衝動を感じにくいのは、
 吸血鬼の本能が薄れてしまうからだ」
「・・・あいつを巻き込みたくはなかった」
 ルガトが気分よく話す途中、
 ぼそっとベバルランがそう呟いた。
 それを鼻で笑うとルガトは車の速度を上げる。
「私は切欠を作ったに過ぎないさ。
 精神を揺さぶる切欠をね」
「その所為で彼女は自分が血を吸う存在だと強く思い込み、
 自ら血を吸いたいという衝動を生みだしてしまう」
 ベバルランは窓の方を向いた。
 少し窓を開けて、都会の夜景を眺める。
 それから足を組んで煙草を内ポケットから取り出した。
「煙草は止めたまえ。人間の下らん自虐行為だ」
 ルガトの言葉に耳も貸さず、
 ベバルランは煙草を口にくわえる。
 手に取ったジッポから乾いた音がして煙草に火が付いた。
 少しばかりルガトは渋い顔をしたが、
 構わずにベバルランは煙草を手に取り窓際へ持っていく。
「ベバル、君は彼女が今回のディナーを断ると思うかね?」
「少しは・・・黙って運転したらどうだ」

12月23日(水) PM22:23 晴れ
寮内・真白の部屋

 考えても頭には一つの事しか浮かばない。
 自分が誰かの血を吸ってしまう光景。
 唇から血を垂らして、いやらしく笑う私。
 凪さんには全然平気だと言ってあった。
 そういって凪さん達とは別れた。
 けど、そんなのは嘘。
 頭の中はそれで一杯だ。

 血を吸いたい。吸いたくない。吸いたい。吸いたくない?
 吸いたい。吸いたい。吸いたい。吸いたい。

  吸いたいっ・・・!

 部屋のベッドで横になっても眠れそうな気配がない。
 昨日まではこんな事全然無かった。
 悩む事はあっても、こんなになる事なんて無かった。
 身体中から脂汗が吹き出してくる。
 呼吸が荒くなっていた。
 何かをしてからじゃないと、寝れそうにない。
 でもそれは何? 何だっていうの?
「っ・・・」
 解ってるクセに。
 そう、答えは出ていた。
 頭がそれを行おうとする。
 ゆっくりと上半身を起こして、ベッドを抜け出した。
 誰でも良いんだ。この乾きを満たしてくれるなら。
 近くには人間の女の子が居る。
 結羅ちゃんだ。
 解ってる、彼女の血は絶対に美味しい。
 我慢できそうになかった。
 霧がかかった様に頭は働いてくれない。
 目の前のものを認識するのに時間がかかる。
 揺れる世界。感情を凌駕する衝動。
 頭の中は赤い血の色に染まり始めていた。
 二段ベッドを上がっていくと、結羅ちゃんを見つめる。
 すでに寝ている彼女は右を向いてる所為で、
 こっちに首筋がよく見える状態だった。
 美味しそうに見える。
 彼女の首筋に少しずつ顔を近づけた。
 もう少し。
 大丈夫、彼女はこんな事じゃ起きない。
 確実にその白い柔肌へ歯を突き立てるんだ。
 そうやって私が彼女の首に噛み付こうとした時だった。
 急に結羅ちゃんが寝返りをうって、
 私の方に顔を向けてしまう。
 瞬間、私は自分が何しようとしたかに気付いた。
 転がるように二段ベッドを降りると床に座り込む。
 馬鹿だ。なんて事をしようとしたのよ、私は。
 友人の血を吸って、そんなコトまでして満足したい?
 最低・・・。
 それって、最低な考えだよ。
 もう結羅ちゃんの血を吸おうとは思わなかった。
 ただ、衝動は収まってくれない。
 酷く私の身体は血を欲していた。
 心臓の呼吸が速まっていく。
 このまま私は死んでしまうかもしれない。
 そう思うくらい身体は変調をきたしていた。
 軽い眩暈が私を襲う。
 無性に怖くなって目元に涙が滲んできた。
 大丈夫、落ち着いてよ真白。
 貴方は血を吸わなくたって平気だよ。
 そう考えて自分を落ち着かせようとする。
 だけど私自身がそれを軽く一蹴した。
 確証は? 平気だという根拠は?
 今解っているのは私が吸血鬼だっていう事。
 それ故に血を吸いたいと思ってるって事。
 他には何もない。
 押しつぶされそうな孤独を感じた。
 誰も私の辛さを解ってくれない。
 こんな時間に、自分の部屋で、私は苦しんでいる。
 結羅ちゃんを頼るのも気が引けた。
 だって彼女は何も知らない。
 下手をすれば病院に連れて行かれるかもしれなかった。
 頼れるのは凪さんしかいない。
 そう考えた時、急いで私は服を着替え始めた。
 頼る?
「ははっ・・・」
 掠れた声で自嘲の笑みが零れた。
 違うよね。頼りに行くワケじゃない。
 そんな事は解っていた。

12月23日(水) PM23:45 晴れ
寮内・凪の部屋

 彼の部屋に誰かが起きてる気配はない。
 もう二人とも寝てしまったようだ。
 こんな風に夜に会いに来るのは久しぶりかも。
 私はそっと凪さんのベッドへと歩いていった。
 今回ばかりは彼を起こすわけにはいかない。
 凪さんは私を信じてくれてるんだから。
 人間の私を信じてるんだから。
 そう考えながら、私は軽い眩暈に襲われた。
 身体中の体温が冷めていく様な感じ。
 両手はびっくりするほどに冷たい。
 段々立っているのが辛くなってきた。
 心の奥から恐怖を感じる。
 本当に死に直面した事がない私が、
 怯えて逃げたくなるには充分過ぎる程の恐怖だ。
 この苦しみから逃れる方法はある。
 それも目の前にある。
「・・・凪さん」
 ごめんなさい。
 やっぱり私は吸血鬼みたいです。
 我慢しようと頑張ったけど、耐えられませんでした。
 凪さんの事を見てると血を吸いたいと感じる。
 それはすでに抗う事が出来ないほど強い本能だった。
 こうも簡単に人間で居られなくなるなんて、
 今までの自分はなんだったのだろう。
 人間としての私。全てのものが崩れていく気がした。
 全てが空虚で、何もない。
 私は目の前でぐっすりと熟睡している凪さんの上に乗った。
 性的欲求も無いというわけじゃない。
 けどそれよりも強く血を吸いたいと感じた。
 一緒に寝るように凪さんの首筋へと顔を持っていく。
 起きる気配はあまりなかった。
 まず私は彼の唇に軽くキスをする。
 そこから位置をずらすようにして、首筋へ。
 何の躊躇いもなく、私はそこへ歯を突き立てた。
「んんっ・・・」
 彼が目を覚まそうとしてるけど関係ない。
 それは絶頂とも言える程の快楽だった。
 以前に凪さんの血を吸った時よりも気持ちいい。
 血が喉を鳴らすたびに、身体全体が歓喜に震えた。
 動けなくなりそうな程に満たされている。
「真白、ちゃんっ!」
 目を覚ました凪さんが私の事をどかそうとした。
 折角気持ちよく血を吸っていたのに。
 何かを言おうとしたけど、言葉が出てこなかった。
 それほど身体中が快感で満たされてる。
 凪さんは私の事をやるせなさそうに見つめていた。
 どうしてそんな目で、私を見るんですか?
「なんでこんな事っ・・・」
 私の肩を掴んで凪さんはそう言った。
 そんな事を言われるのは凄く辛い。
 悩んだ末に苦しんで、どうしようもなくて。
 凪さんなんて私の苦しみを少しも知らないクセに。
 散々考え抜いて凪さんの所へ来たのに。
 なんだか無性に悔しくて、私は泣き出してしまった。
 凪さんの胸へと飛び込むように抱きつく。
 かなり彼は戸惑っていたけど、
 私にそれを気にする余裕は無かった。
「真白ちゃん・・・もしかして、
 あのルガトって奴が言ってた事で悩んでたの?」
 凪さんは首筋の血を気にも留めずに私を心配してくれる。
 情けないけど私は肯く事しかできなかった。
 すると凪さんは私の頭をぽんぽん、と叩く。
「安心して。わた、俺は君の味方だよ」
「凪さん・・・ありがとう」
 俺と言おうとして私と言いかけた凪さんが、
 妙におかしく思えた。
 私は涙を拭きながらくすくすと笑ってしまう。
 凪さんの血を飲んだ所為なのか、随分落ち着いてきた。
 ただそれは良い事じゃないような気がする。
 以前は全く感じなかったのに、
 今は凪さんに対してある欲求が生まれていた。
 その首筋にもう一度かぶりつきたい。
 優しく血液を舌で舐めとってあげたい。
 私は凪さんと一緒に上半身を起こすと、
 彼の身体に抱きついた。
 それから私は首筋に顔を埋めて凪さんに言う。
「もう少しだけ、良いですか?」
「だ、駄目だよ真白ちゃん」
「良いじゃないですかぁ。ここでお預けは酷いですよ」
 ぺろぺろと舌で彼の首筋を舐めてみた。
 いつもだったら恥ずかしいと思うけど今は別。
 夜という時間は私を大胆にさせてくれる。
 ビクッとして凪さんは震えるような仕草を見せた。
「ちょっ・・・駄目だって、んっ・・・」
 私の事を止めようにも彼の腕には力が入っていない。
 それに可愛らしい声を出しちゃってる。
 ゆっくりと身体を離して凪さんを見つめてみた。
 凪さんは息を荒くしてぐったりしている。
 貧血を起こしているみたいだった。
 これ以上はさすがに危険かもしれない。
 そんな私の心配に気付いたのか、彼は私に笑いかけた。
 大丈夫だっていう意味だと思う。
 それにしても凪さんの格好、ちょっと卑猥だなぁ。
 きっと男の子が見たら無条件で襲いかかっちゃうと思う。
「なんだか日増しに可愛くなっていきますね、凪さんって」
「そ、そう?」
 ノーマルな女の子の心情としては、
 あまり女らしくなって欲しくはない。
 うん。そんなのは気持ち悪い。
 なのに・・・凪さんだと似合うんだもんなぁ。
 凪さんと一緒に居ると、男女の違いみたいなのが
 曖昧になっていく様な気がした。
「所で真白ちゃん、例のクリスマスの話・・・どうするの?」
「え、それは・・・」
 私の中で答えは出ている。
 恐らくは凪さんの予想とは違うであろう答えだ。
 だから私は話す事を躊躇ってしまう。
「・・・行く気なんだね」
「え?」
「あの二人、俺も連れて行ってくれるかな」
「そ、それって凪さん!?」
 逆だ。全然逆。
 私が想像していた凪さんの反応とは違って、
 彼は私の答えを先に言ってしまった。
 しかも凪さんも一緒に来るって、そんな・・・。
「あれ? もしかして行く気は無かった?」
「い、いえっ」
「そっか。じゃあ、二人で行こう」
 言葉が出てこなかった。
 どうしてこの人は自分の事を二の次に考えるんだろう。
 私の為にそこまでしてくれるんだろう。
 こんなの、私じゃなくたって勘違いしちゃうよ。
 そっか。
 こういう人だから、私は好きになったんだっけ。
 無性に嬉しくなって口元が緩んでしまう。
 その時、口元に血が付いてる事に気付いた。
 唇を手で拭くとそこには真っ赤な血がこびりついている。
 なに私は和んで笑ったりしてるんだろう。
 酷い罪悪感を感じた。
 たった今、私は凪さんの血を吸ったんだよ。
 その行為は人間じゃない。
 間違いなく吸血鬼のものだ。
 それなのに平然と凪さんと話してていいの?
 私は人間じゃなくて吸血鬼だっていうのに。
「どうしたの?」
「あ、いえ・・・」
 なんとなく解っていた。
 この衝動はこれで終わりじゃない。
 寧ろこれが始まり。
 これからずっとこの衝動に苛まれていくんだ。
 目の前が真っ暗になったような気がする。
 毎日か、それとも数日おきなのか、一ヶ月に一度か。
 どれくらいのペースかは解らないけど、
 確実に私は血を吸わなければ生きていけない。
「私、一人で行きます」
「真白ちゃん?」
「血を吸わなきゃ生きていけないなんて、
 これじゃ今まで通りなんて無理じゃないですか」
 出来る限りの笑顔を作ってみた。
 油断するとまた涙が出てくるかもしれない。
「まさか、吸血鬼達と生きていく気?」
 凪さんの表情が訝しむようなものに変わった。
 その瞳は少し悲しみの色も混じっている。
 気付くと私は縋るように凪さんの両腕を掴んでいた。
「・・・解るんです。最初に凪さんの血を吸った時とは違う。
 もう私は血を吸わないと生きていけないんですっ」
「そんな事、ないよ」
 躊躇いがちに凪さんはそう言った。
 その言葉に私はつい口を滑らせてしまう。
「知らないクセに・・・」
「え?」
 言わなくてもいい事を口走っていた。
 普段だったら絶対に言わなかったと思う。
 余裕がない今だから、口をついて出てしまっていた。
 私はいつも人を罵倒するような言葉だけは、
 決して言わないようにしている。
 思っていても口に出した事はなかった。
 特に相手は凪さん。
 酷い事なんてどんな時でも言うはずないと思っていた。
 それなのに、口から彼を傷つける言葉を発してしまう。
「凪さんがどれだけ私の事を知ってるって言うんですか!?
 私の辛さも何も知らないクセに、
 安易な言葉をかけないで下さいっ!」
 彼の腕を掴む力が自然と強くなる。
 ほとほと私は自分が馬鹿だと思った。
 普通の人なら呆れてしまうだろう。
 私という人間がどれだけ矮小なのかに気付いて。
 それでも凪さんは困ったように笑うと、
 ゆっくりと顔を近づけてきた。
 な、何をする気なんだろう・・・。
 こんな時だっていうのに淡い期待が頭をもたげる。
 彼は熱を計るみたいに前髪をかき上げて、
 私と額をくっつけると目を閉じた。
「ごめん、真白ちゃん。確かに俺は君の辛さは解らない。
 君の事を何も知らない。それは間違いないと思う。
 だから・・・話して欲しいんだ。君の辛さを教えて欲しい。
 そうすれば、一緒に悩む事くらいは出来るから」
 私も彼に習って瞳を閉じてみる。
 いつも凪さんは私を大きく包み込んでくれていた。
 悩んだり苦しんでる時は、凪さんが隣にいてくれる。
「・・・私の方こそ、ごめんなさい。
 凪さんに酷い事言ったりしちゃって、
 ホントはこんなに優しくされちゃいけないのに・・・」
「ふふ、素直だね」
「え? あ・・・あのぉっ」
「冗談だよ」
 そっと薄目を開けてみると、
 凪さんは瞳を閉じたままで微笑んでいた。
 自然と頬の辺りが熱くなってしまう。
 それに油断すると口元が緩んでしまいそうだ。
 こういう時は反撃しなきゃ、だよね。
「今日は一緒に寝ましょうね」
「・・・ど、どうしてそういう事になるのかな」
「だって一人じゃ寝るのが怖いんです。
 あ、腕枕とかして貰って良いですかっ?」
 ちょっと卑怯だけど今の状況を逆手に取る事にした。
 ため息をつくと凪さんは横になって腕を伸ばす。
 そこへ私は丸くなるようにして寄り添った。
 これってかなり幸せな状況かもしれない。
 それから少しして、私は自分の悩みを彼にうち明けた。
 吸血鬼と人間の境で悩んでいる事。
 血を吸いたいという衝動の事。
 凪さんは静かに相づちを打ちながら、
 ずっと私の話を聞いてくれた。
 心のしこりみたいなものが無くなっていく。
 一時的なのかもしれないけど、そんな気がした。
 そして私は一つの決意をする。
 吸血鬼の主催するディナーに出席するという決意だ。
 どうなるかは解らない。
 けど私は勇気を出して行くべきだと、そう思った。
 そこには私にとって大事な事が待っている気がする。
 根拠はないけど不思議と確信みたいなものがあった。

12月24日(木) AM01:22 曇り
寮内・凪の部屋

「・・・もう少し、小さい声で問答してほしいの」
 カシスは目を覚まして二人の会話に聞き入っている。
 彼女は睡眠を邪魔された所為で怒っていた。
 それだけではない。
 彼女自身は気付いていないが、
 そこまで真白に親身になる凪にも怒っていた。
 下で二人が良い雰囲気になっている事も気にくわない。
 むすっとした顔でカシスは指の爪を噛んだ。
(絶対に、二人きりでディナーなんて行かせないの)

Chapter85へ続く