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黒の陽炎
−3rdSeason−

著作 早坂由紀夫

Blue eye's Heritage

Chapter86
聖夜の儀式(U)


12月25日(金) AM07:28 晴れ
クルーザー

 気付くと周りは明るくなっている。
 どうやらいつの間にか眠ってたみたいだ。
 そういえば私、船に乗ってたんだっけ・・・。
 少し小型の船でクルーザーみたいなのだ。
 私達は皆、船内にある一室で寝ている。
 カシスさんと私がベッド、凪さんは床で寝ていた。
 ふと起きあがって辺りを見回してみると、
 自分の隣にカシスさんがいない事に気付く。
 また凪さんにくっついてるんだろうか。
 床を見てみる。
「・・・いない」
 そこには凪さんが一人で眠っていた。
 という事は甲板に出たのかもしれない。
 ベッドからそっと立ちあがると、ドアへと歩いていく。
 凪さんが起きる前に寝癖とか直さなきゃいけない。
 私はカシスさんを探すついでに外を見てみる事にした。

12月25日(金) AM07:35 晴れ
クルーザー・甲板

 船は動いていない。
 すでに目的地である吸血鬼の居る島に着いたみたいだ。
 ベバルさんやルガトさんの姿は見えない。
 甲板にやってくるとすぐカシスさんは見つかった。
 彼女は静かに海の方を眺めている。
 私は音を立てないように隣に歩いていった。
「海を見てるんですか?」
「・・・真白」
 つまらなさそうに私の方をちらっと見ると、
 それからまた彼女は海の方に視線を移す。
 何故だかその横顔が私には悲しげに見えた。
「海を見てると、抱きしめられてる様な気分になるの。
 優しくて懐かしくて・・・少し胸が締め付けられる」
「カシスさん?」
 失敗したという顔でカシスさんは一瞬私を見る。
 それから明後日の方向を向いてしまった。
「なんて、そんな殊勝な感情は私には無いの」
 誤魔化してるつもりだろうか。
 理由は解らないけど、何かに苦しんでる事は解った。
 それも私なんかじゃ想像つかないような苦しみだと思う。
 昨日までのイメージが全て変わってしまう程、
 今の表情は寂しそうで孤独に見えた。
「カシスさん、海で泳いだ事は?」
「まだ無いの」
「じゃあ今年は一緒に泳ぎましょうか」
 陳腐な台詞なのかも知れない。
 同情の言葉でもない、ただの世間話だ。
 それでも私は何かを言わなきゃと思った。
 いつもだったら毒づくカシスさんだけど、
 今回は珍しく微笑んで肯く。
「・・・それも悪くないの」

12月25日(金) AM07:51 晴れ
クルーザー・甲板

 しばらくして凪さんが甲板へとやってきた。
 見渡す限り、270度くらいは海で一杯。
 潮騒に耳を澄ましてみる。
 さあ、という音が爽やかな朝を感じさせてくれた。
 反対側は山と森に包まれた島がある。
 ここが吸血鬼の住む島なのだろうか。
 それにしては少しばかり雰囲気が違う気がした。
 気温も少し温かいし、明るいイメージが漂っている。
 そういえば、何時の間にか雨は止んでいた。
 或いはそれだけの距離を移動したのかもしれない。
「やあお嬢さん方、気分は如何ですかな」
 船の中からルガトさんとベバルさんが出てきた。
 二人は黒いコートのようなものを来ている。
 この気温だと少しばかり暑そうだ。
 けど二人ともそんな表情はしていない。
 私達の方は上着を一枚脱いでいるというのに。
「ここが目的地なんですか?」
「おおよそは間違いありません。
 少し歩けば我々の城がありますからね。
 さあ、ではそこまで荷物をお預かり致しましょう」
「え?」
「紳士たる者、女性に荷物を持たせてはならない。
 我々の世界では当然の事ですよ」
 そういうとルガトさんは凪さんの荷物を手に取った。
 怪しげに彼の目が凪さんを見つめている。
 うわ、凪さんあの人に気に入られちゃったのかな。
 けど考えてみれば失礼な話だ。
 女の子が二人居る中で、男の人を選ぶなんて。
 凪さんだから仕方ない気もするけど、なんだかなぁ。
「あの・・・?」
「いえいえ、貴方が一番我々に好まれそうだ」
 ルガトさんは凪さんの首筋を見ていた。
 それに気付いた凪さんはすぐさま、
 カシスさんの後ろへと隠れる。
「凪に色目使うな、変態吸血鬼」
 ずばっと彼女はルガトさんにそう毒を吐いた。
 彼は多少怒ってるみたいだけど何も言わない。
 堪えてるんだろう。
 そんな会話の間に私とカシスさんの荷物は、
 ベバルさんがしっかりと持ってくれていた。
「重くないですか?」
 思わず私は自分の荷物を持とうとする。
 するとベバルさんはそれを手で制した。
「必要ない」
 彼は二人分の荷物を軽々と持ち上げると歩き出す。
 本当に必要ないみたいだ。
 私達は船から下りて、砂浜を歩き始める。
 靴のままだと砂の上は実に歩きにくかった。
 少しすると森の中へとベバルさん達は入っていく。
 それに続こうとすると、カシスさんの足が止まっていた。
「カシスさん?」
「・・・なんでもないの」
 彼女は少しでも長い間、海を見ようとしてる。
 なんだかそんなカシスさんは単純に可愛かった。
 私は思わずくすっと笑ってしまう。
「何がおかしいの」
「海は逃げませんよ。いつだってそこにいてくれますから」
「いつだって、そこに・・・いてくれる」
 少し意外そうに彼女はその言葉を口に出した。
 反芻するみたいに。
 変な事を言ってしまったような気がして、
 私は段々恥ずかしくなってきてしまう。
 それとは別にカシスさんは爽やかな顔をしていた。

12月25日(金) AM08:03 晴れ
島・森の中

 前を歩くルガトさん達に遅れて私達も森に入っていく。
 森とは言ってもそんなに本格的な森じゃない。
 どちらかというと整備された、という感じだ。
 舗装道路のようなものもあるし公園みたい。
 それでも道路を外れれば自然はあるがままで残っていた。
 鳥の囀りなのか、奇妙な甲高い音が聞こえてくる。
 道路の先は延々と続いていた。
 どうやら山の方まで続いてるらしい。
 山の上にお城があるとかいうオチはないよね。
 それにしても、お城かぁ。
 どんな所かは解らないけど少し期待が膨らんできた。
 最初はディナーなんて、イメージが湧いてこなかった。
 今はお城の食堂みたいな所で蝋燭を灯しながら、
 ドレスを着て豪勢な食事っていうのが頭をもたげてる。
 良いかもしれない。
 私は不安と期待を半々に道路を歩いていった。
 少し先に妙な洞穴のようなものが見えてくる。
 大きさはおおよそ半径2mくらい。
 奥行きは真っ暗なので解らなかった。
 そこへとベバルさん達は迷わず突き進んでいく。
 さすがに私の中で不安が大きくなってきた。
 こんな所を通って何処へ行く気なんだろう。
「あれ、あそこに見えるのってまさか・・・」
 凪さんが指差したのはルガトさん達のいる場所だ。
 何故かそこには大きな扉が存在している。
 明らかに洞穴とはミスマッチというか、場違いだ。
 私達が扉の前にやってくるとルガトさんは言う。
「ようこそ。この先が、我らが城で御座います」
 丁寧な口調で彼は微笑んだ。
「もしかして、吸血鬼の城って山の中にあるの?」
「ええ。山にすっぽりと収まるように設計されています。
 島全体を目立たないようにする必要がありましてね、
 この手の技術が得意な某国の援助で作られたのですよ」
「某国・・・?」
「当然、国名はお教えできませんな。
 それより早く城の方へ向かいましょうか」
 そう言うとルガトさんは扉を思い切り開け放つ。
 扉の向こうは大きな広間になっていた。
 赤い絨毯が敷き詰められ、感覚としては
 高級ホテルのロビーみたいな感じがする。
 さらに奥には食堂と書かれた扉もあった。
 広い感じがするのは天井が高いからだろうか。
 とにかく私は辺りを見回して放心してしまう。
 こ、こんな所に私なんかが来たらまずいって。
 明らかに場違いな雰囲気が漂っている。
 理由は至極簡単なものだ。
 私は一般家庭に生まれた普通の高校生なのです。
「真白ちゃん、口が開いてるよ」
「あう・・・圧倒されちゃってました」
 凪さんとカシスさんは妙に自然体だった。
 入り口で気圧されちゃってる私とはレベルが違う。
 ルガトさんは壁際のテーブルにある呼び鈴を鳴らした。
 一分もしない内に数人の女の人達が歩いてくる。
 妙にえっちな雰囲気のする人達だ。
 皆さん一様に露出の凄いメイド服を身につけている。
 胸の辺りなんかギリギリまで空いちゃってるし、
 スカートもパンツが見えちゃいそうなミニだ。
「こ、この人達は?」
「人から吸血鬼になった者達ですよ。
 彼女達は使用人として我々純血種に仕えています」
 当然のようにそうルガトさんは言う。
 それって、彼女達が虐げられてるって事なのかな。
 私は使用人さん達に愛想笑いしてみた。
 誰一人反応してくれない。
 かと思うと一人の女性が歩み寄ってきた。
「お部屋へご案内致します」
 無表情な声でそう言うと、彼女は歩き出す。

12月25日(金) AM08:36 晴れ
城内・二階客室

 一人ずつ別々の部屋に通されて、私は一息ついていた。
 おっきなベッドに横になってみる。
 ほわほわしてふかふかだ〜。
 寝転がりながら伸びをする。
「ふわぁ〜」
 まだ8時半なのに少し疲れちゃった。
 俯せになってドアの方を向くと、
 何故かそこには使用人の女性が立っている。
 自分のぼけっと姿を見られてたみたいだ。
 赤面しながら私はベッドから立ちあがる。
「あの、どうしたんですか?」
「朝食の方は如何致しましょうか」
 そうか。朝食をまだ食べてなかったんだ。
 言われてみるとお腹は空いている気がする。
「じゃあ頂きます」
「かしこまりました」
 静かに頭を垂れると彼女は私の方に歩いてきた。
 なんでこっちに歩いてくるんだろう。
 もしかしてすでに朝食はこの部屋にあるとか?
 私の予想は大きく外れていた。
 彼女は私の前で跪くと黙って上着を脱ぎ始める。
「どうぞ」
「え、あの・・・」
 意味が解らず戸惑う私に対して、
 彼女は自分の髪を後ろへ持っていった。
 ようやく意図が飲み込めてくる。
 つまり彼女は自分の血を朝食にしろという事なんだ。
「私、折角ですけど血を吸う事はしません」
「・・・それでは通常の朝食に致しますか?」
「お願いします」
 そう答えると彼女は少し残念そうな顔で立ちあがる。
 彼女はクローゼットの方に歩いていくと、
 ドレスを幾つかベッドの上へ置き始めた。
「ではドレスに着替えて頂きます」
「ど、ドレスですかっ?」
「はい。お食事の際は正装が基本となっております」
 私はベッドに並べられたドレスを、
 一つ一つじっくり目を通していく。
 どれも綺麗で素敵なドレスばかりだ。
 中でも一つ、ピンクのドレスに目がいく。
 それは数あるドレスの中でも一番目を引いた。
 ただ、胸の所に大きい縦のスリットが入っている。
「このドレスに致しますか?」
「あの、でもちょっと胸元が空き過ぎかな〜って」
「それは女性らしさをアピールする為ですから」
「女性らしさを、アピール?」
「はい」
 ある意味で冒険だ。位置によってはかなりギリギリだし。
 しかも縦にスリットが入ってるので、
 ブラを付けられない。
 下手したら胸が見えてしまう可能性もあった。
 どうしよう。
 悩んだ末に私は使用人の女性に聞いてみる。
「これ来ていったら、男の子はイチコロだと思いますか?」
「イチコロです」
 うわ。きっぱり断言してくれた。
 意外にはっきりした人なんだろうか。
「じゃあこれにします。あの、貴方のお名前は?」
「私ですか? 私はクリオネと申します」
「ありがとうございます、クリオネさん」
 彼女は微かに口元を綻ばせると、
 一礼して部屋を出ていった。
 さてと、それじゃ私はこのドレスに着替えますか。

12月25日(金) AM08:51 晴れ
城内・二階廊下

 着替えを終えると私は廊下に出てきた。
 初めてこんなに胸を強調した服を着る気がする。
 この恥ずかしさは馴れるのだろうか。
 そういえば、靴はどうすればいいんだろう。
 幾らなんでも普段着に合わせた靴じゃまずいよ。
 部屋を出るとそこにはクリオネさんが立っている。
 彼女は黙って懐からハイヒールを床に置いた。
 こ、これは所謂、懐にて温めるという・・・?
 私は何度も頭を下げながらその靴を履かせて貰った。
 さらに彼女は綺麗な十字架のネックレスを渡してくれる。
 吸血鬼なのに十字架とはまた奇妙な気がした。
「あのぉ〜、私達って十字架は平気なんですか?」
「ええ。そんなパブリックイメージを皮肉ってか、
 私共の間では十字架が最近のトレンドなのです」
 そ、そうなんだ・・・。
 考えてみれば陽の光も全然平気だし、
 伝承とかとは大きな違いがある。
 クリオネさんの話だとそれは誇張が大半だそうだ。
 それとか精神的なものだったり、
 単に光に触れられない病気だったり。
 つまり基本は人間と変わらないらしい。
「所でブラッド・アライアンスって何なんですか?」
 私はふとクリオネさんにそう質問していた。
 彼女は無表情のままで言う。
「純血種の為に存在する救済機関、とでも言いましょうか。
 1000人程の純血種から組織される機関で、
 主に天使の理不尽な虐殺を阻止する為に動いています」
「天使が吸血鬼を理不尽に殺してるんですか?」
「ご存じないとは驚きですね。
 悪魔は人間を平気で殺しますが、私共は違います。
 余程の事がなければ他種の生命を奪ったりはしません」
 血を吸っても、殺しはしない。
 そういう事なんだ。
 言われてみればそんな気もする。
 いつだって先に仕掛けてくるのは人間だ。
 吸血鬼だという理由で怖れ、虐げ、殺そうとする。
 異なる生物と言うだけで相容れようとはしない。
 こっちはただ生きる為にしてるだけなんだ。
「っ・・・!?」
 私、今なにを考えてたんだろう。
 クリオネさんの顔を見つめながら、
 ただ私は呆然とするしかなかった。
 人間としてじゃなくて、吸血鬼としてものを考えてる。
 背筋を悪寒が走った。
 違う。私は吸血鬼じゃない。
 こんな考え方しちゃ駄目だ。
「それでは、私はこれで失礼します」
「あ、はい・・・」
 私に一礼するとクリオネさんは何処かへ歩いていく。
 急な不安に駆られて、私は自分の身体を抱きすくめた。
 こんな時は凪さんの顔を見れば落ち着くと思う。
 いても立ってもいられず、凪さんの部屋へ行く事にした。

12月25日(金) AM08:51 晴れ
城内・二階廊下

 凪さんの部屋は二つ隣にある。
 すぐ隣はカシスさんの部屋だ。
 あの子、まさか凪さんの所に行ったりしてないよね。
 彼女の部屋を覗いてみようか。
 いや、さすがにそれは失礼だよ。
 考え直して私は凪さんの部屋へと歩き出した。
 それにしてもこの格好は歩きにくい。
 朝食の為にドレスを着るというのもなんか変だ。
 まさか一日中この格好で過ごすとか?
 そ、それはかなり厳しい気がする。
 ドアをノックしながら自分の服を確認してみた。
 やっぱり露出しすぎかもしれない。
 スリットの部分を手で隠してみるけど、
 明らかに手の位置は不自然だった。
 う〜ん。どうしよう。
 そういえば髪型もちゃんとチェックしてない。
 船を下りる前に一応寝癖は直したけど、
 変な髪型になってないかなぁ。
 私が色々と確認をしているとドアが開いた。
「あれ・・・あ、えと」
 凪さんはドアを開けるなりぽけーっとした顔で私を見る。
 やけにじっと私の事を見てる様な気がした。
 それも胸元の辺りとかを。
「凪さん?」
「あ、うん。ドレス、似合ってるよ」
 スリット効果だろうか。
 妙に凪さんが私を意識してる。
 これは女性らしさをアピールできてるみたいだ。
 でも見た目でアピールするのって、
 虚しい気がしないでもない。
「ホントに似合ってるって思ってますか〜?」
「勿論だよ。ドレス着ただけで本当にお姫様みたいで、
 その、いつもより可愛くなってたから驚いちゃった」
「え・・・」
 私は滅茶苦茶に照れて俯いてしまった。
 頭の中で今の言葉が何回も響いてくる。
 凪さんも自分が言った事に気付いて照れてるみたいだ。
 この様子だと今のはお世辞じゃなくて本音っぽい。
「朝御飯を食べに行きませんか?」
「あ、うん」
 良い雰囲気の中で私達は歩き出した。
 見る人によっては恋人に見えたりするかも。
 まあここで私達を見る人っていうと吸血鬼だけど・・・。
「な〜ぎ〜」
 ふいに後ろから妙に優しげな声が聞こえてきた。
 カシスさんが満面の笑みで近づいてくる。
 彼女はいきなり凪さんに抱きついて何かを耳打ちした。
「浮気者」
「えっ・・・そ、そういうワケじゃ」
 何を聞かされたのか慌てて凪さんは何かの弁明をする。
 それを妙に余裕の笑みでカシスさんが見ていた。
 すぐに彼女は私の方を見てぼそっと呟く。
「やっぱり泥棒ネコなの」
「む・・・」
 仇敵。犬猿。そんな言葉が頭を過ぎった。
 いつもいつも私を目の敵にしてくれちゃって。
 今度という今度は許さないんだから。
 私と彼女はある程度の距離を取ると睨み合う。
 そんな時、さりげなく凪さんは先へ行こうとしていた。

12月25日(金) AM10:15 晴れ
城内・二階客室

 朝食を取り終えた私は自分の部屋に戻ってくる。
 なんだか落ち着かない食事だった。
 ベバルさんとルガトさんを始めとする、
 数人の吸血鬼達との食事。
 彼らはどこか私の事を変な目で見てる気がした。
 自意識過剰で済む問題なのだろうか。
 襲われた前例だってある。
 安心なんてしちゃ駄目だ。
 部屋のベッドに座りながら私はそんな事を考える。
 それにしてもドレスを着てると気を使うなぁ。
 部屋で休んでる時くらい普段着を着よっと。
 私は立ちあがって服を着替えようとした。
「あれ・・・」
 立ちくらみなのか、軽く眩暈がする。
 気にせず私はドレスを脱ごうとした。
 なんとなく心臓の鼓動が早くなってくる。
 まさか、衝動が?
 そう考えると私は急に恐怖を感じ始めた。
 あんな苦しい思いは二度としたくない。
 けど安易に血を吸うという結論は出せなかった。
 人間で居る為に私は血を吸っちゃいけない。
 凪さんと一緒にいる為に、私は人間でいなくちゃ駄目だ。
 私は凪さんの部屋へ行くというのを考慮して、
 ドレスを着たままで部屋を出る。

12月25日(金) AM10:28 晴れ
城内・二階廊下

 頭の中には凪さんの事ばかりが浮かんでいた。
 きっと彼が私を抱きしめてくれれば、なんとかなる。
 きっと彼が私に手を差し伸べてくれれば、頑張れる。
 眩暈のする身体を支え壁に手を着きながら、
 なんとか私は彼の部屋へと向かった。
 呼吸が少し苦しい。
 すぐに全部なんとかなるはずだ。
(そう、いつも凪さんは私を助けてくれる。
 申し訳ないなって思っちゃうくらいに・・・)
 私はノックする事も忘れドアをゆっくりと開ける。
 音を立てずにそっとドアが開いていった。
 そこで私は先へ進む事を躊躇ってしまう。
 目の前に凪さんとカシスさんの抱き合う姿があったから。
 思わず私は両手を口に当ててしまう。
 カシスさんは目を閉じて凪さんと軽くキスを交わした。
 そのまま彼女は体重を乗せて、
 凪さんをベッドに押し倒す。
 二人は私が見た事ない様な表情をしていた。
「あの〜、まだ朝だし真白ちゃんも居るんだし、止めとこ」
「クリスマスは恋人達がラブラブする日なの」
「う、そ・・・そりゃまあ、そうかもしれないけど」
 困りながらも凪さんは拒絶しない。
 恋人という言葉にも否定をしない。
 言葉が無くなると二人はベッドの上で抱き合い、
 舌を絡めながらの熱い口づけと共に手を握り合った。
 それ以上の光景を見ていられずに私はドアを閉める。

12月25日(金) AM10:33 晴れ
城内・二階客室

 私は重い体を引きずって自分の部屋に戻ってきた。
 妄想だね、きっと。
 なんでかなぁ。私ったら白昼夢を見てたんだ。
 そうに決まってる。
 血を吸いたいっていう衝動の所為で酷い夢を見たんだ。
 洗面所で顔を洗って落ち着こう。
 立ちあがると私は洗面所へと足を向けた。
 洗面所の鏡は変な顔を映している。
 ぱしゃって音を立てて顔を洗ってみた。
 顔をタオルで拭いてから、もう一度鏡を見てみる。
 変な顔だ。
 唇は震えてるし、瞳から涙は零れてる。
 私は散々な顔をしていた。
 タオルを手に取るとそれを顔に当てる。
 立ってられずに私はしゃがんでうずくまった。

 全て、崩れ落ちてしまった。そんな気分。

 こんなに苦しいのに。
 吸血衝動を貴方の為に我慢しようとしたのに。
 どうして、こうなるの?
 ずっと私は道化だったんだ。邪魔者だったんだ。
 あの二人にとって、私は・・・。
 理不尽すぎるよ。
 出会ったのも仲良くなったのも、
 好きになったのだって私の方が先だよ?
「凪さん・・・」
 今頃あの二人は私が考えたくもない事をしてるんだろう。
 あんな風に見た事もない顔で。
 吸血衝動に苦しんでる私とは大違いだ。
 凪さんの手を離したくなかった。
 どんな事があっても、離したくなんてなかったよ。
 でも、それは貴方にとって迷惑だったんですね。
 貴方はずっと離そうとしていたんですか?
 タオルを強く顔に当てる。
 気を引きたくてドレスなんか着て、
 しかも頑張ってスリット入った奴なんか着ちゃって。
 自分の馬鹿さ加減に腹が立つ。
 涙が止む事はなかった。
 もう二度と止まない、そんな気さえする。
 ふいに私は衝動が強くなっていくのを感じた。
 拠り所がないから、耐える事なんて出来ない。
 私が頼れるのは凪さんだけだった。
 今はもう、何もない。

Chapter87へ続く