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黒の陽炎
−3rdSeason−

著作 早坂由紀夫

Blue eye's Heritage

Chapter89
聖夜の儀式(X)


12月25日(金) PM17:53 晴れ
城内・最上階

 凪は呆然と扉の前に立ち尽くしていた。
 そんな凪とは対照的にカシスは床に腰を下ろす。
 彼女はいたって冷静な表情で凪に言った。
「差し当たって私達に危険はなさそうなの」
「・・・私達に無くても、真白ちゃんにはあるよ」
 振り返って凪はカシスの方を見た。
 カシスは不機嫌そうに凪を睨む。
「真白、真白、真白。この状況で赤の他人に対して、
 見上げた自己犠牲精神なの」
「他人じゃない、友達でしょ」
 当たり前という顔で凪はそうカシスに言った。
 カシスにすればそういう凪の態度が気に食わない。
 それに彼女と真白は親密になり始めているが、
 まだカシスは友達と呼ばれるには抵抗があった。
「私にとってはただの知人だから、
 助けに行く義理は無いの」
 誤魔化すようにカシスはそう言ってしまう。
 凪とカシスの間に数秒ほど気まずい沈黙が流れた。
 表情を探るように凪はカシスの事を見つめる。
「そんな事ない・・・少なくとも、
 私が知ってる二人は友達してたよ」
「それは・・・」
 困ったようにカシスは言葉を探した。
 だが真白を貶める事に躊躇いを覚えてしまう。
「お願いカシス、協力して。真白ちゃんを助けたいんだ」
 真摯な顔を覗かせ凪はカシスの手を取った。
 カシスは俯くとおもむろに左手を上げる。
 三本の指が凪の目の前で止まった。
 ピースサインだろうか、と考える凪にカシスは言う。
「えっち三回分。しかも凪は私の言う通りにするの。
 それで真白を助けてあげる」
「うぇ・・・?」
 顔を上げてカシスはにんまりと微笑んだ。
 これは所謂一つの照れ隠しなのだろう。
 自分を納得させるように凪はそう考えた。
「わ、解ったよ」
「約束なの」
(照れ隠し・・・だよなぁ)
 カシスの言葉に頷きながら凪は疑問を抱く。
 しかし残念ながらこの瞬間に、
 彼がカシスに弄ばれる事は決まったのだった。

12月25日(金) PM17:57 晴れ
城内・最上階

「ん・・・」
 気付くと奇妙な部屋に私は立っていた。
 立っているというより、立たされている。
 それも磔のような状態で。
 両手両足は縄か何かで縛られていた。
 どうやらこの部屋は私の場所を中心に、
 立体の正三角形みたいな構造になっているようだ。
 少しぼやけた私の視界の中に扉は見当たらない。
 見えるのは無機質な壁の模様だけだ。
 ふと、やけに体がだるい事に気付く。
 さっきまで何をしてたんだろう、私は。
 頭を働かせてみるけど考えがまとまらない。
 クリオネさんに変な事をされた。
 そんな曖昧な記憶しか残ってない。
 自分がどうしてここに磔にされてるかも解らなかった。
 ぼ〜っとした頭で、精一杯考えてみる。
「あ、あれ?」
 ドレスの胸元が破れていた。
 そういえばクリオネさんに破かれたような気がする。
 おまけに色々と大変な事をされたような・・・。
 とにかく今、私の胸が露出しているのは事実だ。
 しかも隠そうにも体が動かない。
 誰かに見られたら恥ずかしすぎる状況だった。
 幸い辺りに人影は無い。
 けれどそう思った矢先、誰かの声が聞こえてきた。
「儀式の前にあの女と二人で話をしておきたい」
 その声の後でベバルさんが私の前に現れる。
 扉が後ろにあるみたいで、彼はいきなり視界に映った。
 恥ずかしさで頬が赤く染まっていく。
「どうやら間に合ったようだな」
「え?」
 ベバルさんは冷静な顔で私を縛る縄を解き始めた。
「た、助けてくれるんですか?」
「ああ」
 最低限の言葉で彼は口を閉じる。
 なんでベバルさんは私にこんなにも優しいのだろう。
 好意というよりは、隷属してるような態度。
 両手足の縄を解くと彼は私にスーツの上着を渡した。
「これは?」
「それでは胸元が涼しすぎるだろう」
「え・・・」
 慌てて私は胸を上着で隠す。
 お礼を言おうと視線をベバルさんの顔に移そうとした。
 するといきなり彼は私の手を取る。
「急ぐぞ」
 なんだか流れが速すぎた。
 大体にして私はここにいる理由もよく解らないのに。
 彼の手は痛いくらいに強く私を掴んでいる。
「クリオネを信用するなと言ったはずだ」
「だって、あの人は・・・私に優しくしてくれたから」
 そう私が言うとベバルさんは私の方を向いた。
「そんなものは偽りだ」
 確かにクリオネさんは私を騙したのかもしれない。
 私がここにいるのは恐らく彼女の所為だろうから。
 その事を考えると落ち込んでしまいそうだ。
 けど私はそれでもクリオネさんを恨んだりできない。
 彼女があの時、私を助けてくれた事に間違いはないから。

12月25日(金) PM18:03 晴れ
城内・最上階・廊下

 部屋を出ると真白とベバルランは走り始める。
 ベバルランにとってそれは贖罪に近かった。
 真白を守り、助ける事が。
 どれだけの時を経ての再会なのだろうか。
 そんな事を覚えてはいなかった。
 ただ懐かしく、輝かしく真白はベバルランの瞳に映る。
 どんな手段を用いてでも見つけ出したかった。
 だから孤独を捨てブラッド・アライアンスへ来たのだ。
 彼は真白と廊下を走りながらふと昔を思い出す。
 遠い日へ置き忘れた遠い記憶。
 それが真白の手から仄かに伝わっている様な感じだった。
 色々な事を思い出し、ベバルランは目を細め微笑む。
「・・・人の心が持つ温もりというものは、
 どれだけの時を経ても変わらないんだな」
「え?」
「いや、なんでもない」
 廊下を凪達の居るであろう拷問部屋へと一直線に走った。
 だが途中で人影を見つけてベバルランは立ち止まる。
 そこには無表情で佇むクリオネの姿があった。
 身じろぎもせず彼女は真白とベバルランを見つめている。
「クリオネ、さん」
「真白様。先程の部屋にお戻りください」
「・・・嫌です。どうして、そんな」
「貴方は我々のアゲイティス・ビリュンに必要な存在。
 始祖に最も近い純血種が遺した遺産なのです」
 言うなり彼女は真白達に向かって歩いてきた。
 同時にベバルランは腰を落としやや前傾に構える。
 明らかな二人の戦闘態勢に真白は困惑するしかなかった。
「アゲイティス・ビリュン? それがルガトの計画か」
「全ての吸血種が迎える新しき良き始まり、
 それがアゲイティス・ビリュンです。
 ベバルラン様にはお解りにならないでしょうが」
 クリオネの瞳は冷たく真白達を睨みつける。
 気付けば彼女の右手には鈍く光るナイフが握られていた。
 一呼吸の内にクリオネはそれを真白めがけて投げつける。
 ある程度は予想できていたのか、
 冷静にベバルランは真白の手を引いた。
 真白は引っ張られて彼の方向へと倒れ掛かる。
「さすがですね。私は真白様に投げる素振りなど、
 微塵も見せませんでしたのに」
「貴様の性格を知っていれば容易い事だ」
「なるほど・・・参考にさせて頂きます」
 口元をつり上げてクリオネは静かに微笑んだ。
 そんな彼女の姿に真白は戸惑いを隠せない。
 何よりクリオネが自分を狙う事が衝撃的でならないのだ。
「ところでベバルラン様。
 私が何故ココにいると思いますか?」
「なに?」
 確かに妙な事ではある。
 彼女はベバルラン達に気付いたのではなく、
 ここに来るのを知っていたように見えるからだ。
「答えは簡単、貴方の裏切りなど予測済みなのですよ」
「・・・ルガトか。だがお前如きをよこすとはな」
 裏切りが知れたというのにベバルランは動じない。
 それは彼がクリオネとは違い純血種であり、
 自らの力に自信を持っているからだ。
 真白を守りながらでもそれは変わらない。
「ふふ、確かに私如きでは貴方の相手は務まりませんね」
 実力の差を知った上でのクリオネの自信。
 不可解なほどの余裕が彼女を包んでいた。
 クリオネが何かをする前に片をつけようと、
 辺りに気を張りながらベバルランは攻撃態勢に入る。
 そして彼が正に走り出そうという瞬間。
 不意に足元に何かが落ちてきた。
「っ・・・!」
 気付いた時にはすでに遅い。
 天井に潜んでいたルガトは落下しながらにして、
 ベバルランの身体に何本も銀のナイフを投げつけていた。
 ナイフは彼の太腿と鳩尾付近を貫く。
「ぐあっ!」
「ベバルさん!」
 思わず真白は倒れそうになるベバルランの身体を支えた。
「弱い者はそれなりに考え、縋るのだよベバル。
 そのナイフには即効性の毒が塗られている。
 しばらく身動きを取る事すらできまい」
 微笑みながらルガトはベバルランに近づいていく。
 彼は真白の手を強引に掴み、
 ベバルランから引き離した。
「皮肉だなベバル。あれだけ探し執着しても、
 結局お前は傍で護る事すらできない」
「ルガト・・・貴様ッ!」
 気力でベバルランは立ち上がろうとする。
 身体から力が抜けていくのを感じながら、
 必死に真白を助けようとしていた。
 感嘆の表情でルガトはそれを見守る。
 手を離そうとする真白を歯牙にもかけずに。
「そこまでして君がムキになる所は初めて見るな。
 贖罪のつもりか、それにかこつけた違う感情かね?」
「貴様には関係ない事だ」
「は・・・お前を一番知る私に、関係ないだと?
 こんな女との繋がりを女々しくいつまでもッ・・・!」
 力任せに真白は壁へと弾き飛ばされる。
 ルガトは打って変わって冷たい表情で真白を睨みつけた。
「かはっ・・・」
 壁に強く身体を打ちつけた真白は、
 立っている事ができずに倒れこんでしまう。
 苦悶の表情を浮かべる彼女にルガトは近づいていった。
「何故、貴様の様な女がベバルの心を掻き乱し惑わせる。
 汚らしい生にしがみつく雌豚め!」
 そう言うとルガトは真白の顔を踏みつける。
「止めろッ! フリージアに手を出すなっ!」
 渾身の力でベバルランは立ち上がりルガトを睨みつけた。
 拳を握り締め彼はルガトに殴りかかろうとする。
 するとベバルランの前にクリオネが立ちはだかった。
 彼女はあっさりと拳を受け止めると、
 ベバルランの腹部を強打する。
「ぐっ・・・」
「我々の力は護る為にあるのではありません。
 それを取り違えた事が貴方の敗因です」
 意識が途切れたのか彼はクリオネにもたれかかった。
 絶望の表情で真白はそれを床から見上げる。
(私の所為だ、私を助けようとしたから・・・)
 あまりにも無力な自身の情けなさに真白は瞳を潤ませた。
 震えながら彼女はベバルランに借りた上着を握り締める。

12月25日(金) PM18:15 晴れ
城内・最上階

「このクソ扉、全力でぶっ壊してやるのっ!」
「・・・少し落ち着きなって」
 さっきとは態度を豹変させ憤激しているカシス。
 理由は単純なもので、扉を破壊する事が出来ないからだ。
 凪はカシスの頭を撫でてどうにか落ち着かせようとする。
「壊すっていう考えは捨てた方がいいかもね」
 先程から凪はずっとある事を考えていた。
 それが成功すればすぐさまこの部屋を脱出できる。
 ただそれにはカシスの協力が必要だった。
「ねえカシス。この扉、鍵は普通だと思うんだ。
 そこでさ、水を具現して鍵穴に通せないかな」
 凪の提案にカシスは扉の方を見つめ考える。
 少しして彼女はまじめな表情で凪に言った。
「・・・名案かもしれないの。
 でもかなり集中力が必要だと思う」
「やってくれる?」
 念を押すように凪はそうカシスに言う。
 悩む様子も無くカシスはにこり、と微笑んだ。
「ここで私が頑張った分、凪には後で頑張ってもらうの」
「はい?」
 その微笑みが凪には随分と邪悪なものに見えてくる。
(俺に何を頑張らせる気なんだ?
 なんか、深く考えないほうが良いような・・・)
 凪がそんな事を考えている間に、
 カシスは扉と向き合っていた。
 彼女は両手を顔の前で交差させゆっくりと息を吐き出す。
 それは精神集中する際、カシスが必ず行うある種の儀式だ。
 目を閉じカシスは鍵穴に水を通す光景を想起する。
 実にイメージしにくいものではあるが、
 集中しているカシスならば不可能ではない。
 現象として水が具現され鍵穴を覆い始めた。
 少しでも集中を切らせばすぐに水は消えてしまう。
 決して焦らないようカシスは精神を保っていた。
 まるで空き巣が使う針金の様に、
 具現した水は鍵穴へと入り込んでいく。
「ふう・・・」
 カシスは一息つくと凪へと振り向いた。
「終わったよ。鍵穴を回して扉を開けてやったの」
「よし、これで真白ちゃんを助けに行けるね」
 凪の言葉など上の空でカシスはぶつぶつ言っている。
 どうやら凪に何をさせるかを考えているようだった。
「・・・真白を助けたら凪には私をネタに一人Hさせたり、
 足でイカせたりコスプレさせたり・・・今から楽しみなの」
(聞こえない、聞こえない)
 何も聞かなかった事にして凪は部屋を出て行く。
 それも微妙に足早に。

12月25日(金) PM18:22 晴れ
城内・最上階・廊下

 部屋を出ると二人は廊下を歩き始めた。
 当ては無いものの、凪はこの階に真白が居ると考える。
 どこかでそれはベバルランを信じた上での考えだった。
 右手にある階段を通り過ぎ廊下を突き進んでいく。
 廊下は灯りが少なく数m先さえ見えない。
 暗がりに誰かが隠れていても不思議ではなかった。
 緊張感を高めながら凪は足元や背後に気を配る。
 不意に凪は床に赤いものが落ちている事に気付いた。
「これは・・・血?」
 誰かの血が転々と先へ続いている。
 それが何を指し示すのかは解らないが、
 凪達の進路の先へと血痕は続いていた。

12月25日(金) PM18:19 晴れ
城内・最上階

 メイド達はいそいそと準備を整える。
 まもなく行われる儀式の為に。
 真白は再び磔にされ中央に立たされていた。
 遠くでルガトは一人、用意された椅子に座る。
 ベバルランは気絶したまま真白同様縛り付けられていた。
 それを眺めながらルガトはワインを口にする。
(私がお前をこの組織に引き入れてから、
 もうどれだけの時間が経つのか。
 お前は昔からずっと一人の女に固執しつづけていたな。
 その女を探す様に取り計らえると言えば、
 惜しげも無くお前は私に全てを捧げた。
 ベバル、確かに目の前にいる女にその価値はあったよ。
 我々が追い求める真の目的に必要な女なのだからな)
 今までルガトは欲しい物を必ず手に入れてきた。
 幾らの犠牲を払おうとも、良心を捨ててでも。
 いつしか、どんな手を使おうと心は痛まなくなっていた。
 望みの為ならば外道に成り下がろうとも構わない。
 そう思っていた。
 だが彼にも得られなかった物がある。
 知略を使い、あらゆる手段を使っても得られなかった。
 ルガトは忌々しげに真白を見つめる。
 彼女はベバルランの姿をじっと見つめていた。
 痛々しげに彼の鳩尾と太腿の辺りには血が滲んでいる。
(どうしてこんなに傷ついてまで私を護ってくれるの?
 それに貴方の事を、どうして思い出せないんですか?
 前世の記憶は全て取り戻したと思ったのに・・・)
 不意にベバルランの頭がぴくりと動いた。
 ゆっくりと頭が上がって、真白の事を見つめる。
「ベバルさんっ・・・」
「フリー、ジア」
 彼は目の前の女性に言うべき事があった。
 今を逃せばもう二度と言えないのかもしれない。
 だからベバルランは消え入りそうな声で呟いた。
「ずっと・・・謝りたかった。
 今のお前では理解できないかもしれないが、
 俺はずっとお前に詫びたかったんだ」
「謝るって、一体何をですか?」
 ベバルランは俯いたまま何も答えない。
 いや、答える事が出来なかった。
 言葉にするにはあまりにも時を経てしまっていたし、
 彼女が知るべき事実でもない。



 あの日、全ては狂ってしまった。
 それはリチャードという吸血鬼が死んだ日。
 雪が深々と降り積もる夜に僕は彼女を抱きしめた。
 フリージアの涙は止まらなくて、堪らなく悲しくなる。
 けれど僕に泣く事は許されていなかった。
 そんな資格は僕にありはしない。
 手に入れたもの、失ったもの。
 天秤の両極に置かれたのはとても大切なものだった。
 選んではいけない選択肢だったのだと思う。
 後悔した頃には全て手遅れで、
 僕は重い十字架を背負うことになった。
「私、もう・・・生きていてもしょうがないよ」
 一時の感情で彼女はそう僕に言う。
 少し時間が経てばきっと彼女は思い直してくれていた。
 それなのに、フリージアは言う。
「でも自殺じゃ、あの人と同じ所にいけないかもしれない」
 何を意図した言葉なのか最初は解らなかった。
 彼女は僕をじっと見て、僕の手を握り締める。
 その手は冷たくてすべすべしていた。
 表情は暗く絶望の色に染まっている。
 彼女の瞳に僕は映っているのだろうか。
 縋るような声で彼女は僕に語りかける。
「ねぇ・・・私を殺して」
 歪んだ形で得たものは、歪んだ形で僕の手に残った。

――――あたかも、僕がそう望んだかのように。

Chapter90へ続く