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成人女性向の表現が含まれています。

黒の陽炎
−3rdSeason−

著作 早坂由紀夫

Blue eye's Heritage

Chapter91
「聖夜の儀式(Z)-告げられぬ想い-」



 リチャードは次の日の朝、街の広場に磔にされていた。
 人々は銀色の槍を幾つも用意している。
 どうやらそれで彼の事を刺し殺すつもりのようだ。
 僕とフリージアは少し遠くからそれを見ている。
 大丈夫さ。そう僕は彼女に言った。
 だってリチャードならこんな状況でもすぐ逃げ出せる。
 その気になれば街の人間全てを殺せる力を持ってるんだ。
 不安を消そうと空を眺めてみる。
 空は雲で覆われ、今にも雪が降りそうだ。
 嫌な天気・・・だな。
 彼は自分を取り囲む人々へ優しく語り掛ける。
 だがその言葉に耳を傾ける者はなかった。
 寛容に話を続けるリチャードに、罵声が浴びせられる。
 出て行ってそいつらを殺してやりたいくらい、
 リチャードへ酷い言葉が投げかけられていった。
 それでも彼は繭一つ動かさず、ただ微笑んでいる。
 隣のフリージアが口を抑えながら彼の名前を呟いた。
 恐らくリチャードの決意に気付いたのだろう。
 瞳からは大粒の涙が零れていた。
 目の前で銀色の槍が天を仰ぐ。
 わき腹に槍を指されたリチャードは呻き声をあげた。
 深く挿入されたその槍には血が滴っていく。
 続いて二つ目の槍が右腕を突き通した。
 思わず僕はフリージアを抱きしめて、
 その残酷な光景が見えないようにする。
 槍達は僕らに遠慮もせず次々と彼に刺さっていった。
 確実に幾つかは急所を貫いている。
 吸血種であるからこそ、彼は意識を保てていた。
 槍で串刺しにされてもリチャードは微笑んでいる。
 全ての人の罪を赦すように。
 だから僕は何も出来なかった。
 ただ、彼の最期を見守るしかない。
 男達がリチャードの足元に木の枝などをかき集めていく。
 うっすらと予測はついた。
 ふいにフリージアが僕の腕から離れる。
 彼女は愛する男の最期を見届けるつもりなのだ。
 どうする事も出来ずに、僕はリチャードを見つめる。
 一人の男が火を付ければ後は早いものだった。
 陽炎の様に全てが揺らめきながら、
 見る見る内に彼の姿は炎の中に消えていく。
 僕はその一部始終を眺めていた。
 幼い頃からの親友が自分の裏切りで死ぬ。
 何よりも変えがたい存在だった、リチャードが。
 耐え難い後悔と自分への怒りが溢れてきた。
 フリージアの異変にも気付かず。



 その夜、僕とフリージアはリビングに座っていた。
 動く事もはばかられるような重い沈黙の中で、
 静かに彼女は語り始める。
「ねぇ・・・私を殺して」
「なにを、馬鹿な・・・」
 取り乱しそうになる自分を危なく押さえ込む。
 落ち着け。
 フリージアは一時の感情でこんな事を言ってるんだ。
 少し時間を置けば、全て納得してくれる。
 今は彼女の支えになる事が重要なんだ。
 なぜなら、僕はリチャードを裏切ってまで
 この女性を選んでしまったのだから。
「落ち着くんだ。君は死ぬべきじゃない」
「ベバルさん・・・」
 強引に彼女の身体を抱きしめてキスをする。
 責められてもいい。
 それがフリージアの活力になってくれるのなら。
 けれど、そんな僕の考えは浅はかな物だった。
 全く彼女は反応しない。
 表情を暗くさせてぼうっと宙を見つめていた。
「・・・リチャード以外じゃ、感じないって事か?」
「明日の朝、丘のほうへ行きましょう。
 そこで私の事を・・・殺して」
 ゆっくりとそう言うと彼女は涙を零す。
 誰のためでもなく、ただリチャードの為だけに。
 幼い僕にもその意味は痛いほど解る。
 二人の間に僕が入り込む事なんて出来なかったのだ。
 邪魔をして、幸せを引き裂いてしまっただけだった。
 こんな・・・こんな事がしたかったんじゃない。
「僕に出来る事は、それだけなのかな・・・」
「うん」
 はっきり彼女はそう言った。
「・・・わかった」
 何の迷いも無い一言に僕は頷くしかない。
 今となってはそれだけしか、僕に出来る事は無いんだ。
 俯いたままの僕に彼女はそっと両手を伸ばす。
 その胸の中に抱かれて僕は彼女の言葉を聞いた。
「ありがとう、ベバル」
 どんな一言よりそれは嬉しくて、切なくて・・・。
 永遠に僕の罪が贖えぬものである事を告げる。



 丘にやってきた僕は、色んな事を考えていた。
 輪廻転生と言うものの存在。
 罪を犯した者だけが繰り返す罰の形。
 恐らくリチャードと交わったフリージアは、
 すでに眷属として吸血種になり始めている。
 それが合意の下である故に彼女は罰を受けるのだ。
 何度も転生し、この罪を償いつづける。
「綺麗な景色だね」
 フリージアの言う通り街の景色は美しい。
 白銀の世界、とでもいうべきだ。
 雪が降り積もり全てを白く染め上げている。
 まるで全ての罪を浄化してくれるかのように。
 笑顔のままでフリージアは僕の方を向いた。
 雰囲気で僕はそれが合図だと悟る。
「君が転生したら僕は君を守るよ。
 それからもう一度、ちゃんと謝りたい」
「・・・本当は私、別に死にたくなんてなかった」
「え?」
「ただ貴方を苦しめたいだけなの。それだけ」
「フリー・・・ジア」
 澄み切った笑顔で彼女はそう僕に告げた。
 リチャードが死んでしまったときから、
 すでに僕を許すつもりは無かったんだな。
 でも彼女はその後でこうも言った。
「だから消したい。こんな醜い感情は消して、
 この雪の様に真っ白になりたい」
「記憶が消えて、全て忘れても僕は傍に居る。
 君が思い出す事は無くても僕はずっと傍に居るから」
「うん、ありがとう。それから・・・さようなら」

――――――さよなら・・・フリージア。雪の様に繊細な人。

 彼女が苦しまないように、
 一瞬のうちに手刀で心臓を貫いた。
 血が口や傷口から溢れていく。
 微笑みは絶やさずに彼女は目を閉じた。
 その身体が冷たくなっても僕は彼女を抱きしめ続ける。
 涙が溢れてフリージアの事が見えなくなった。
 やがて僕も彼女も雪で埋もれていく。
 すでに事切れたフリージアの身体は、
 雪よりもずっと冷たくなっていた。
 ここへ僕は何をしに来たんだろう。
 結果として二人を死に追いやったのは僕だ。
 僕さえここに来なければ・・・或いは、
 二人は幸せに生きていられたのだろうか。
 死にたい気分にもなる。
 死ぬ事が償いになるのならそれでも構わなかった。
 けど唯一、僕を支える約束がある。
 転生したフリージアを守りつづけること。
 その傍で彼女を守りつづけること。
 多分たった一つ、僕が二人に償う方法だ。



 とはいえ一人の吸血種に過ぎない自分では、
 世界中から彼女を探す事など出来るはずも無い。
 数年後に俺は自分の無力さを痛感していた。
 一人では愛する人を探す事さえ出来やしない。
 そんな時に、俺の前に現れたのがルガトだった。
 奴は以前も一度、俺を組織に勧誘しに来た事がある。
 何かわからない胡散臭い組織だから、
 俺はそんなものに興味を示しはしなかったが。
 気持ちの悪い目つきをした眼鏡の青年。
 彼も年月を経て俺と同じように大人へと変貌していた。
「改めて君を勧誘しに来たよ。ベバル」
「そう呼んでいいのは親しい相手だけだ。貴様ではない」
「つれないな。君にとって素晴らしい使者だと言うのに」
「なに?」
 ルガトは近づいて俺の全身を値踏みするように見てくる。
「我らブラッド・アライアンスならば、
 転生した一人の人間を探す事も困難ではない」
「・・・どうしてそれを知っている!」
 チッチ、と舌打ちしてルガトは笑った。
「それは問題ではない。問題は君の心がけだよ」
 俺の顎に右手をつけると間近に迫ってくる。
 悪寒がしたが、黙って奴の言葉を待った。
「そう・・・君が、本気で探し物をする気があるのか。
 全ての問題を集約するならばそういう事ではないかね?」
「ふん、俺がその組織に入ればそれでいいのか?」
 そんな事はたやすい。
 幾ら嫌いな奴しか居ない場所だったとしても、
 フリージアの為ならばそれは問題などではなかった。
 だが奴の口ぶりは違う。
 それだけではないと言っている気がした。
 奴の顔を睨んでいると、不意に奴は俺の唇を奪ってくる。
「ぐっ・・・!?」
 突然の行為に驚いた俺は思わずルガトから離れていた。
 こっちの反応を楽しむかのように奴は余裕で笑っている。
「一体、何のつもりだ」
「私は君を大きく評価しているつもりなんだがね。
 性別さえ超越するほどに、君は魅力的な物を持っている。
 そう、欲しいのだよ。君という存在そのものが」
 唇を拭きながら俺は奴を殺そうと片方の拳を握った。
 しかし俺はそこでフリージアの事を考える。
 もしもルガトの組織が本当に彼女を見つけ出せるのなら、
 それなら俺は奴の組織に入るべきなんじゃないのか?
 何を犠牲にしても、守りたい約束があるんだ。
「いいだろう。本当に彼女を探し当てる事が出来るのなら、
 俺は貴様にプライドでもなんでもくれてやる」



 そうやって俺は吸血種の島へとやってくる。
 確かに奴の言う通りではあった。
 ブラッド・アライアンスは純血種のみで構成され、
 何処かに吸血種が存在するならばほぼ把握できる。
 幾つかの確認を済ませると、俺はある部屋へと赴いた。
 部屋には蝋燭の頼りない明かりだけが静かに揺れている。
 時間はすでに深夜を回っていた。
 俺が奴の事をじっと睨みつけていると、奴は歪んだ笑みを浮かべる。
「その反抗的な目つき、堪らないな」
 ベッドに座っていた奴はすくっと立ち上がった。
 これから何が起こるかなんて想像はついている。
 目の前のルガトを殺してやりたいとも思った。
 両手をぎゅっと握り締め、奴の口付けを受ける。
 頬を掴むと奴は舌を口腔に入れてきた。
「んっ・・・ぐ・・・」
 快感などはなく、嫌悪感だけが身体を支配する。
 当たり前の様に唾液を流し込んでくるが、
 それも甘んじて受け入れる事にした。
 喉を通り過ぎる不快な感覚で気が狂いそうになる。
 不意に唇同士の接続が途切れた。
 瞬間、奴は俺の首筋に向けて歯を突き立てる。
「うああぁっ・・・な、何を・・・!?」
 困惑したが明らかな快感を俺は感じ始めていた。
 それは恐ろしく禍禍しいもので、
 思わず両手で奴の身体を突き飛ばそうともがく。
「愛しい女を二度と見れなくて構わないのならば、
 その調子で抵抗したまえ」
「貴様っ・・・」
「生憎、欲しい物は力ずくで手に入れる主義でね」
 必死で嫌悪感を押し切って、両手を下げた。
 奴はそんな俺を堪らないという表情で眺める。
「ところで知っているか? 転生を経験した者は、
 決して死の記憶を持たずに生まれ変わるのだ。
 さて、何故だと思う」
「し・・・知らん」
 言葉を出す事さえ辛くなっていた。
 血を吸われすぎたらしく、力がまるで入らない。
 ベッドに押し倒されても抵抗する事さえ出来なかった。
 俺の服を脱がしながらルガトは言う。
「死の記憶というものは持ってはならない記憶なのだよ。
 それを知れば発狂してもおかしくない恐怖だからな。
 故に、君をフリージアが思い出す事は無い。
 また君自身が彼女に全てを話す事も出来ない。
 君が狂った女性に興味があるのなら別だがね」
 彼女は俺の事を思い出さない?
 もう二度とあの頃みたいに話す事は出来ないのか?
 俺は別に転生した彼女と愛し合いたいと願ってはいない。
 それでも、俺の目から涙が零れていくのが解った。
 この期に及んできっと俺は何処かで信じてたんだと思う。
 いつかこの罪が償われる日が来て、
 フリージアやリチャードが俺を許してくれると。
 幻想に似た世迷い事は夜の情事の中へと消えていった。
 うつ伏せにされた状態で、考えたくない痛みが襲う。
「くっ・・・あ・・・」
「お前は罪を背負い生きていくしかないのだよ。
 それでもベバル、お前は私に従うしかない。
 もう一度、愛した女の残影に触れたいと願うのならな」
「う、ふっ・・・俺は・・・俺はっ・・・」
 構わない。例え、そうだとしても。
 これからの俺の人生は彼女だけの為にあるんだ。
 彼女が忘れても俺が覚えていればいい。
 それがフリージアじゃなくても、
 遠くから見守る事が出来ればそれでいい。
「私の物だという証を注ぎ込んでやる・・・!
 貴様が私を求めるようになるまで、何度でもな!」
「はっ、くあぁああぁあっ・・・」
 この罪は永遠に贖えないのかもしれない。
 そうだとしたら、俺は死ぬまで彼女を探しつづける。
 身体が朽ち果て終わりを迎えるまで、
 何度も転生した君の傍で生き続けてやる。
 リチャードとフリージア。
 俺が心から謝らなきゃいけない人達のために。

Chapter92へ続く