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黒の陽炎
−3rdSeason−

著作 早坂由紀夫

Blue eye's Heritage

Chapter92
「聖夜の儀式([)-内に潜む神-」


12月25日(金) PM18:25 晴れ
城内・最上階・廊下

 カシスは廊下をぐんぐん進んでいく。
 危なっかしくなる程にそれは遠慮ない歩き方だった。
 凪はカシスの肩を掴んで一旦立ち止まらせる。
「どうしたのよ、カシス。慌ててるの?」
「・・・なんとなく嫌な感じがしてきたの。
 これから始まる儀式、たぶん相当ヤバい物なの」
 先程よりもずっと張り詰めた表情でカシスは凪を見た。
 どんな儀式なのかは知る由も無い。
 それでもその儀式を成功させてはならないと感じていた。
 廊下の先から彼女の肌にじわじわと触れる、何か。
 ピリピリとしたどす黒い空気が流れてきている。
(キーワードは聖夜、吸血鬼。
 これだけじゃ儀式の系統を絞りきれないの)
 悪寒を堪えながらカシスは足を前へと進めた。
「凪、急いで儀式を止めなきゃヤバいの」
「う・・・うん」
 切羽詰った彼女の声で凪も小走りに歩き始める。
 目の前には幾つかの扉が並んでいた。
 それらを全て無視してカシスは先へと進んでいく。
 そんな時、不意に背後から物音が聞こえてきた。
「誰か来るみたい」
「とりあえずこの場は身を隠した方がよさそうなの」
「・・・そうだね」

12月25日(金) PM18:23 晴れ
城内・最上階

 メイドの人達が花を隙間なく敷き詰めていく。
 私の周りはあっという間に真っ赤な花で埋め尽くされた。
 花の赤は毒々しく辺りに彩りを添えていく。
 不安になってちらっとベバルさんの方を見てみた。
 彼は俯いたままでじっとしている。
 また意識を失ってしまったみたいだ。
 さっきの言葉の意味、教えて欲しかったな。
 いきなり謝られても全然意味が解らないよ。
 皆が示し合わせたように黙って準備を整えていく。
 私もそんな雰囲気の中で口を開く事が出来なかった。
 静まりきった部屋に扉の開く音が響く。
 迷わず足音が私の方に近づいてくるのが解った。
「真白様、気分はいかがですか?」
「く、クリオネさんっ・・・」
 蔑みに満ちた笑みを浮かべ、
 クリオネさんは私の頬に触れる。
「私・・・貴方の事、信じてたのに」
 視線を彼女に当てて私はそう言った。
 そんな私の視線を気にかけるでもなく、
 くすくすとクリオネさんは笑い始める。
「生贄へ情が移るとでも思ったのですか?」
「い、生贄?」
「そう。貴方はアゲイティス・ビリュンの為の生贄。
 言わば、あれと同じ様なものですよ」
 そう言って彼女は扉を指差した。
 ゆっくりと指差されたそれは私の横を通り過ぎていく。
 何人かのメイドの人達が台に乗せてそれを運んでいた。
 思わず私はひっ、と呻き声を上げてしまう。
 それは山羊の頭部だった。
 首筋の辺りが痺れる様な悪寒を訴える。
 両手両足を縛る縄なんて無くたって動けやしなかった。
 こんな風に私もされてしまうのだろうか。
 心の何処かでそんなハズは無いと自分を安心させる。
 そうする事で辛うじて私は平静を保っていた。
「器となるヴァンパイアは始祖の眷属でなければならない。
 それでこそ、神を受諾する事が出来るのです」
「ど、どういう意味ですか?」
「クリオネ。お喋りはその程度にしろ」
 何処かからルガトさんの声が聞こえてきた。
 一瞬、彼女は口元をつり上げて私に微笑む。
 だけどすぐに無表情になって何処かへ歩いていった。
 山羊の頭は私の目の前でゆっくりと台から下ろされる。
 冷たくなったそれは不気味な表情で固まっていた。
 見ているだけで怖くて目を閉じてしまう。
 ああ、夢に出てきそうな光景だ。
 真っ赤な花が散りばめられる中で佇む山羊の頭。
 どうか夢の中にまで侵食してきませんように。
 メイドの人達は準備を終えたらしく、
 何処かへと居なくなってしまった。
 どうにかしてココから逃げないと・・・。
 とはいえそう簡単に逃げる事なんて出来なさそうだ。
 両手両足を縛られた状態で、周りには沢山の吸血鬼。
 私に出来る事なんて何もあるはずがない。
 ただじっと助けを待つだけだ。
 いつも、いつもそうだよ。
 私は何時だって誰かの助けを待っている。
 ベバルさんは私を助けようとして傷つけられてしまった。
 それなのに私自身は平気な顔でココにいていいの?
 そんな事を考えていた時、急に視界が暗くなる。
 電気の明かりが消えたんだ。
 幾つかの蝋燭の灯りだけが周りを認識させる。
 ふと、どこかから妙な言葉が聞こえてきた。
 何かの呪文か祈りの言葉のようなものだと思う。
 不気味な物が耳の中へと駆け抜けていく感じがした。
 意味がわからないのにその不気味さは充分伝わる。
 少しして一人のメイドの人が、
 小さな杯とナイフを持って歩いてきた。
 その人は短いショートヘアの女性でぼうっと私を見ている。
「我らが新しき始まりに血の祝福を・・・」
 ぼそっとそう言ったかと思うと、
 彼女はナイフを振りかぶり山羊の頭を突き刺した。
 おぞましい光景に私の身体は無意識に震え始める。
 ナイフから零れる山羊の血を、彼女は杯へと注いでいく。
 それからメイドの人はあろう事かそれを私に差し出した。
「神の意識を受諾する聖なる鮮血です。さあ」
 私はそっぽを向いて拒否の意志を示す。
 すると彼女はため息をつき、私の顎を掴んできた。
「器の分際で・・・」
 女性は杯の血を口に含むと私に顔を近づけてくる。
「ん、んっ・・・!」
 無理やりにキスで唇をこじ開けられ、
 山羊の血を口腔に流し込まれた。
 どうする事も出来ずに私は固まってしまう。
 何故だかこの血を飲んではいけない気がしたからだ。
 焼け付くような味が舌に広がる。
 それでも飲み込むことだけはしなかった。
 そんな私の行為にいらだったのか、
 彼女は舌を絡めてキスをしてくる。
「んぐっ・・・ふっ・・・」
 私の顎を上へ向かせ、鼻を押さえてきた。
 そうされると私はもう飲み込むしかない。
 喉を鳴らして血が私のお腹へと落ちていく。
 それを確認すると彼女はようやく私の唇から離れた。
 メイドの人と私の唇の間に、真っ赤な色の糸が垂れる。
 どこかそれはいやらしいというよりも不気味に思えた。
 それからメイドの人は何処かへと去っていく。
「っ・・・あぁっ!?」
 お腹が熱くなっていく気がした。
 今飲んだ血の所為なのかな。
 身体中を痒みとも快感とも付かない感覚が支配していく。
 異常な感覚で頭がぼ〜っとしてきてしまう。
「ベバルさ・・・んっ・・・」
 彼は意識を失ったままで俯いていた。
 何か嫌な物が身体を駆け巡っていく。
 自分が自分でなくなっていくような・・・そんな感じ。
 もう一人の自分と交代するとかいう感覚じゃない。
 私というパーソナリティが失われていくイメージだった。
 気持ち悪い。出来るならば吐いてしまいたい。
 針で刺される様な痺れが思考回路を麻痺させていく。
 そうやって朦朧とする意識を、一片の言葉が突き抜けた。

   ――――解放しろ。お前というエゴを。

「・・・わたしの、エゴ?」
 意味が解らず私は誰かに向かってそう尋ねる。
 周りには誰も居ない。
 それでも私には声が聞こえていた。
 内側から聞こえてる・・・?
 優しげで、どこか恐ろしい女性の声。
 目の前がはっきりと見えなくなってきた。
 寝起きのぼ〜っとした眼みたい。
「あ、う・・・」
 身体が震えるように寒くなってきた。
 それでも身体の芯はどこか熱い。
 怖くて私は思わず一人の男性を思い浮かべた。
 はっきりと彼を思い出す前に、
 私の意識は遠のいていく。

12月25日(金) PM18:28 晴れ
城内・最上階・廊下

 凪達は適当な部屋に姿を潜め、廊下の物音に気を配る。
 やってきたのはクリオネと数人のメイドたちだ。
 それも山羊の頭を台に乗せている。
 さらに台には赤い花が飾られていた。
「・・・まさか」
 少ししてクリオネ達が居なくなると、
 カシスは凪の手を引っつかんで廊下へと出てくる。
 その表情は先程より張り詰めた物になっていた。
「どうしたのよカシス。何か解ったの?」
「私の予想が正しければ・・・吸血鬼どもは、
 真白を生贄にして儀式召喚を行うつもりなの」
「い、生贄っ?」
「それも儀式の形式から該当するのは、神。
 破壊と殺戮を司る女神なの」
 クリオネ達の進んだ方向へと足を進める二人。
 気付けば凪は嫌な汗をかいていた。
「で・・・でも神を呼び出すなんて、そんな事出来るの?」
 全知全能にして人間とは異なる存在である神。
 幾ら吸血鬼だからと言って、
 それを召喚する事など出来るのだろうか。
 当然の質問に凪は頭を巡らせた。
「凪、神は自らの内に潜んでいるの」
 謎掛けの様な言葉をカシスは呟く。
「それ、どういう事?」
「下手すると私達は真白と殺しあう事になるかもしれない。
 だから今は一刻も早く真白を見つけるの」
 カシスは何か言おうとする凪の手を引っ張る。
 謎掛けの答えはとりあえず諦め、
 凪はカシスと共に廊下を走り始めた。

12月25日(金) PM18:30 晴れ
城内・最上階

 廊下の先には一つ、とりわけ大きな扉がある。
 凪とカシスはそれが儀式用の部屋であるとすぐに気付いた。
 勇んで入って行こうとするカシスを凪は止める。
「カシス、どうする気?」
「決まってるの。片っ端からバラバラ死体にしてやるの」
「あのねえ・・・相手が真白ちゃんを人質に取ったら?」
 こちらが正義の味方の様に部屋の中へ駆け込めば、
 そういった手段を取られる可能性は充分にあった。
 そんな凪の話にカシスはぽん、と手を叩く。
「なるほど、なの。そこまでは考えてなかったの」
「・・・私達の目的は真白ちゃんを助ける事だよ。
 吸血鬼を殺す事なんかじゃない」
 口には出さないがその言葉にカシスは疑問を抱いた。
 過酷な世界を生きてきた彼女にとって、
 敵対する相手を殺さないという選択は存在しない。
 殺さなければ殺されるのは自分だからだ。
 凪の甘さがいつか命取りになるかもしれない。
 そう考えながら、カシスは凪の手をそっと握った。
「カシス?」
「何があっても、凪だけは私が守ってあげるの」
「・・・本当なら私が言う台詞なんだろうね、それ」
 そう言って凪はカシスにやるせなさそうな表情で微笑む。
 無力だという事が情けなかった。
 ルシードの力を使えない自分が苛立たしい。
 だが今の凪にそれを悔やむ時間は無かった。
 その時間は真白を助ける為に使わなければならないのだ。
 凪は軽くカシスの頭を撫でると気持ちを切り替える。
 そっと扉を開けて、凪は儀式の行われている室内を覗いた。

12月25日(金) PM18:32 晴れ
城内・最上階

 室内は三角柱を逆さにしたような形をしている。
 部屋に入るなり凪達の耳に轟音の念仏が聞こえてきた。
 正確には念仏とも、祝詞ともつかないものではある。
 ただ、大勢でそれを唱えている声が漠然と聞こえるのだ。
 中心には真っ赤な花が隙間無く敷き詰められ、
 大きな十字架がその花に埋まる様にして立っていた。
 すぐさまカシスは真白が十字架に磔にされていると気付く。
(儀式の進行具合は解らないけど、きっと今がチャンスなの)
 凪に合図するとカシスは十字架に向かって走っていった。
 遅れて凪も全速力で走り始める。
 項を垂れたままで真白はぐったりしていた。
 奇妙な事に彼女は戒めから解き放たれている。
 それも、誰かが助けたという状況ではなかった。
 真白が自分で逃げ出そうとしたかのような様子、
 その割に彼女は目を閉じたまま十字架から動かない。
 周りに吸血鬼が居ない間にカシスは真白に近づこうとした。
 だがカシスの足は一歩も前へと進まない。
「え・・・?」
 意味も解らずカシスの足は動こうとしなかった。
 いや、動かないわけではない。
 真白へ近づく事を拒否しているのだ。
(足が震えてる。本能が警鐘を鳴らしてる・・・の?)
 カシスの異変に気付かず凪は真白の元へ駆け寄っていく。
 眼前まで近づくと彼女の衣服が乱れている事に慌てるが、
 気にしないようにして凪は真白の肩を揺らした。
「真白ちゃん、助けに来たよっ」
 返答は無く彼女の頭が左右に揺れる。
 その様子を見ていたカシスが、辺りの気配に気がついた。
 自分達が居る場所の上の階というべきなのだろうか。
 視線を上へと向けるとそこにはルガト達の姿があった。
 彼らはどこか期待に満ちた目で真白の事を見つめている。
 凪とカシスの存在など予定調和であるかのように、
 驚きも何もその表情には表れていなかった。
 ルガトの脇にはベバルランの姿もある。
 彼は身動きの取れない状態で、
 やるせなさそうに真白を見つめていた。
「・・・真白ちゃん?」
 先程からの凪の呼びかけに真白はゆっくりと瞳を開ける。
 彼女の瞳は虚ろで凪の事を見ている様子は無かった。
 宙を見つめたままで、確かめるように辺りを見回す。
 瞬間、上に居る吸血鬼達からざわめきが起こった。
 吸血鬼たちを代表するように大声でルガトは言う。
「ドゥルガーの激昂より生まれし神は、その器を得た!
 ベシェールンクの儀は此れを以て完遂となるッ・・・!」
 辺りを見回していた真白の瞳が凪に視点を合わせた。
 妙な様子ではあるが、意識がはっきりしていないのだろう。
 そう考えた凪は真白の手を掴んだ。
「さあ、早くこんな所は出ようっ」
「・・・なんだキサマは」
「え?」
 真白の顔つきが睨むようなものに変わる。
 流れるように彼女は手を凪へと突き出した。
 力の抜けた動作だったが、込められた念は恐ろしく強い。
 まるで大型台風に巻き込まれたかの様な圧力で、
 凪は入り口付近の壁まで弾き飛ばされた。
「あぐっ・・・あ・・・」
 激しく鳩尾付近を打って凪は床にうずくまる。
 それを見てもカシスは身動き一つ出来なかった。
 普段なら凪を傷つけた相手をただではおかないだろう。
 だが身体が動かなかった。
 恐れの感情に心を支配され、カシスは動けない。
(・・・相手は、真白じゃない。解るの。
 喧嘩を売っていい相手じゃないの)
 うずくまる凪を助ける事さえも出来なかった。
 誤魔化しようもない。
 目の前の相手にカシスは恐怖し、震えているのだ。
(けど、これじゃ格好悪すぎるよ・・・私は口だけじゃない。
 凪の事を守るって言ったのは、嘘なんかじゃないっ・・・!)
 唇を血が出るほどに噛み締める。
 恐怖を押し殺して真白を見据えた。
 いや、正確には真白の姿をした異質の存在を。
「出来れば無傷で助けてあげたかったけど仕方ないの。
 神だろうが何だろうが、凪を傷つける奴はぶっ殺すの!」
「ほう。このオレに対して対等な口を利く割に、
 ククッ・・・愛い娘め、膝が震えているぞ。
 その様子だと、オレの事を少しは知っているのか?」
「あんたは真白なの。いつものオドオドした真白に戻るのっ」
 破れかぶれに近いノリでカシスは真白に飛び掛った。
 そんなカシスに対し、真白は冷たい笑みを浮かべる。
「オドオドしてるのはお前の方だろう」
 カシスは真白の身体を拘束しようと水の鎖を具現した。
 円を描くように水の鎖は真白の身体を包もうとする。
 鬱陶しそうに真白は手で目の前を一閃した。
 すると水は形を失い、消えてしまう。
「え、あ・・・」
「オレに刃を向ける事の愚かさが解ったか?
 もう遅いがな。切り刻んで淫らに殺してやる」
 露出したままの乳房を揺らしながら真白は歩き出した。
 彼女がふっと手を挙げると、
 カシスの周りを黒い靄が包み込む。
 何が起こるか解らずにカシスは腰を落として構えた。
「カーラ・ノウラトナの刃を味わうが良い」
 気付くとカシスの背は浅く斬り付けられている。
 痛みも無く、音も無い一撃だった。
 彼女自身もすぐには攻撃された事に気付かない。
 次に狙われたのは両足の太腿だ。
 天性の勘で避けようとしたが身体が追いつかない。
「あぐっ・・・!」
 両の腿に浅い線が引かれた。
 何がどうやって自分を傷つけているのか。
 カシスには全く想像がつかなかった。
 一つ解るのは、黒い靄が関係しているという事。
 考えている間にも肩を斬りつけられる。
「半径2m、360度の広域展開。
 圧縮率は低でアーカイブなのっ・・・!」
 焦りや恐怖と闘いながらカシスは自らを集中させた。
 そうでなければまともな具現などは出来ない。
 特に恐怖という感情はイメージを不安定にさせ、
 あまつさえ何も考えられない状態を引き起こすからだ。
 具現された水はカシスを中心に円を作り始める。
 円は高速回転しながら靄を振り払っていった。
「面白い事を考える娘だ・・・が、オレと互角などという、
 下らん錯覚を起こさせるわけにはいかんな。さて・・・」
 具現なのかそれ以外の何かなのか。
 真白は肩口から二本の腕をカシスへと伸ばした。
 カシスが避けるより速く、腕は彼女の首と腕を掴む。
 そのままカシスは空中に持ち上げられた。
「あが、うっ・・・」
「カシスッ!」
 渾身の力を振り絞って凪が立ち上がる。
 予想していなかった事態に困惑しながら、
 彼はカシスの元へと走り出した。
 そんな凪の行動の所為か真白の表情が曇る。
「お前、どうしてその娘を助けるっ・・・!」
「え?」
「いや・・・違う、オレの感情じゃない!
 オレはお前なんか知らないんだっ!」
 意味不明の事を呟く真白。
 彼女が混乱している隙に凪はカシスを助け出した。
「げほっげほっ・・・」
 首には締められた後が残っている。
 ぼうっとした表情でカシスは凪に寄りかかった。
「大丈夫?」
「そこの娘! オレは誰だ? 言ってみろ!」
 強烈な威圧感で真白は叫ぶ。
「何言ってるの? 君は真白ちゃんでしょ・・・」
「違うよ、凪」
 首を振ってカシスは真白を見た。
「あれはカーリー。山羊の頭と真っ赤な花を捧げるのは、
 ヒンドゥー教の女神カーリーなの」
「め、女神?」
 その言葉のリアリティの無さに凪は驚くしかない。
 そんな凪にカシスは説明を加えた。
「勿論モノホンの神が降臨したワケじゃないの。
 真白の深淵から生まれた、言わば偽の神」
「深淵が生み出した偽の神・・・?」
 繰り返してみるものの凪には想像がつかない。
 理解できていない凪を見てカシスはこつん、と頭を叩いた。
「人間は神の生み出した命って言われてるの。
 という事は一人一人が神の欠片とも言えるの。
 儀式の系統や本人が前世で吸血鬼だった事が因子になって、
 真白の場合は吸血鬼の女神カーリーになったの」
「でも、それでこんな力が出せるものなの?」
 催眠術や洗脳に近いそれで人間が神に変わるのだろうか。
 そこが凪には一番の疑問に思えてならなかった。
「・・・そこが一番厄介な所なの。
 人間は無限の可能性を秘めた生命体。
 だから今みたいに神の一部分として、
 異常な能力を行使する事も出来てしまうの」
「その通りですよ」
 カシスの話にルガトが横槍を入れてくる。
 何処から現れたのか、いつのまにか彼は凪たちの傍にいた。
「未来への可能性を秘めたヒトという肉体に、
 吸血鬼であった前世が重なってカーリーが生み出された。
 我々が新しい場所へ向かうためにね」
 真白と言う器を得たカーリー。
 或いはカーリーと言う意識を得た真白。
 彼女はカシスやルガトの言葉を聞いて満足げに笑った。
「そうだ、オレは血と虐殺の女神・・・それでいい」
 あまりに変貌した真白に凪は呆然とするしかない。
 口調から態度から何もかもが変わってしまっていた。
 或いは全くの他人なのか。
 呆けたように真白を見つめる凪を我に返したのは、
 ルガトの打った癇に障る拍手だった。
「ククク・・・お二人は拷問部屋を抜けられたようですな。
 お二人の脱出は些か予想外でしたが、
 釈迦の手から出てはいなかったのですよ。
 何しろカーリーは召喚されたのだから」
「おい、そこの吸血鬼」
「は? 如何されました」
 真白にいきなり呼ばれたルガトは、
 多少戸惑いながら冷静に振舞った。
 鋭い瞳で彼女は射抜くようにルガトを睨む。
「血が見たい。生贄はいないのか?」
「・・・なるほど」
 血に飢えた真白を見てルガトはある事を思いついた。
 彼らしい、えげつない考えを。
「それならばそこにいる二人の女性から、
 一人を選んでお好きなようにされては?」
 ルガトが生贄に捧げたのは凪とカシスだった。
 それも、どちらか一人という選択肢を付け加える。
 カシスも凪も相手の顔を見つめた。
「なかなか面白い事を考えるな。
 それなら、そこにいる二人に選ばせてやる。
 どっちがオレの手で八つ裂きにされたい?」

Chapter93へ続く