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黒の陽炎
−3rdSeason−

著作 早坂由紀夫

Blue eye's Heritage

Chapter95
「欲望の終焉」


  ――――いつからだろうか。

 ルガトはふと過去を想起する。
 思い出すのは決して難しくなかった。
 常人よりも彼は記憶力が良い。
 それでも明確な時期までは思い出せなかった。

  ――――そう、いつからだろう。
       性と死を同一視するようになったのは。


 人間を凌ぐ圧倒的な力をルガトは持ちえていない。
 理由は始祖の血を殆ど受け継いでいない事だ。
 吸血鬼という種族において、
 能力は血の濃さが大きく左右する。
 だから彼は生まれた時から自分を呪いつづけた。
 純血種に比べ貧弱である自分が憎かった。
 それから力に執着するようになった彼は、
 自分なりの力を誇示する方法を見つける。
 それは性行為だ。
 セックスは暴力でもあり、圧倒的とも言える。
 目の前の相手を自分が掌握できた。
 或いは相手の全てを自らの手に握る事が出来る。
 即ちセックスは生命を掌握する事でもあるのだ。
 そうルガトは結論付け、性と死を関連付ける。
 彼にとって性行為は自らの力となった。
 しかし、それは彼の望む力ではない。
 他人を牛耳る力ではあるが欲するものではない。
 欲するのはある日、彼が見た純血種の力。
 始祖の直系が持つ圧倒的な吸血鬼としての力だ。
 若かりしルガトとベバルランの出会い。
 それは、力と言う狂気にルガトが魅せられた瞬間だった。

12月25日(金) PM19:13 晴れ
城内・最上階

 私は今まで自分が何をしていたかを克明に覚えている。
 自分がカーリーという存在に変異してしまった事。
 それに凪さんやカシスさんを襲ってしまった事。
 何を考える事もなく私はカーリーという存在だった。
 別人格の私というわけじゃないと思う。
 不思議な感覚だった。
 今までの行動に、その度私は納得していた気がする。
 狂っているとも思わなかった。
 今思えば全て異常だったと解る。
 けれどカーリーと変貌していた時、
 確かに私は自分の意志で行動していたのだ。
 あれが本当の私なのかな・・・。
 吸血種という世界に染まった私の姿なの?
 目の前にはベバルさんとルガトさんが対峙していた。
「確かにベバル、お前は強い。私より遥かにな。
 だから私は容赦なくクリオネと二人でいかせてもらおう」
 私の背後からクリオネさんがそこへ歩いていく。
 彼女は私の事など気にもしなかった。
 予想は出来ていたけど、やっぱり辛い。
 どうやらベバルさんとクリオネさん達は、
 一触即発状態っていうのらしかった。
 もしかしてベバルさんは私を護ろうとしてるんだろうか。
 胸の奥できゅっという音が聞こえた気がした。
 彼はフリージアさんの生まれ変わりだから、
 こうまでして私の事を護ってくれてるのかな。
 そう考えると、なんだか変な気持ちになった。
 嬉しいんだけど嬉しくない。凄く複雑な気持ちだ。
 だってその人とは関係ない私だったとしたら?
 そうだとしたら彼はここまでしてくれた?
 ううん、きっと見向きもしてくれないよ。
 最初からベバルさんの瞳は私を映してないんだ。
 私を通してフリージアさんを見つめている。
 立ち上がる気力も沸いてこなかった。
 どうしてなんだろう。
 ここに連れてこられるまでは、
 護られる事に申し訳ないっていう気持ちがあった。
 それだっていうのに今は少し違う。
 傲慢にも私はベバルさんの気持ちを考えていた。
 嫌な女だなあ、私って・・・。
「今の貴様に私達を相手にする力があるかな?」
 あざ笑うルガトさん。
 本当に楽しそうに相手を蔑んでいる。
 初めて会った時とは全く違う表情だ。
「諦めてルガト様に命乞いしては如何です?
 このままでは恐らく貴方の未来は死なのですから」
 クリオネさんは無表情にそう言う。
 ルガトさんの態度とは対照的だ。
 どんな感情がこもった言葉かさえも窺い知れない。
 それにしても二人とも余裕たっぷりだ。
 ベバルさんはさっきの毒がまだ抜けていないらしい。
 ふらつきながらベバルさんは立っていた。
 彼は特に二人の言葉へ何か言い返そうとはしない。
 右手の平を握ったり開いたりするだけだ。
 かと思うとぎゅっと握り締める。
 そしてベバルさんは二人に向けて言った。
「・・・出来たのか?」
「なに?」
 不可解な言葉にルガトさんが聞き返す。
 声が小さかったせいで聞き取れなかったんだろう。
 ベバルさんはもう一度、はっきりと言った。
「灰と化し、塵となる覚悟は出来たのかと聞いたんだ」
 それを聞いてルガトさんは何かを言おうとして、
 思い直したように口をつぐむ。
 それから鼻で笑い、大声で笑い出した。
「クック・・・それだ。お前はそうでなくてはな。
 どんな状況でも慌てず、冷静に気高く自分らしくある。
 それでこそ私が乗り越えるべきベバルランという男だ!」
 満足するまで笑うと彼は冷たい顔でベバルさんを見る。
 その表情はベバルさんが毒で倒れた時のようだ。
 背筋が凍りつくほどに暗い瞳。
 と、急に私の視界が真っ暗になる。
「フリージア。その服を着ていろ」
 ベバルさんが私の頭にYシャツを投げ渡したのだ。
「え? わ、わああっ!?」
 起きるなり目の前で大変なことが起きてた所為だろう。
 自分の姿に全然気を回していなかった。
 ドレスは殆ど肌を隠せていない。
 裸に近い状態で私は座っているのだ。
 慌ててYシャツに袖を通す。
 変な所が濡れているのは、気にしないようにしよう。
 ただ、顔が真っ赤になるのはどうしようもなかった。

12月25日(金) PM19:15 晴れ
城内・最上階

 真白が気付いてないのは幸いかもしれない。
 ベバルラン達から少し離れた場所で、
 ゆっくりとカシスは死へと向かっていた。
 過ごした時間の数だけ二人から涙が零れていく。
「凪が泣くから・・・私の目に、涙が零れてるの」
 下手な強がりも凪の悲しみを深めるだけだ。
「私に力があったら・・・ルシードの力が、あったら」
 拳を強く握り締め凪はそう言う。
 するとカシスはふっと笑った。
「持ってるよ凪は・・・凄い力を」
「え?」
「・・・ううん、なんでもないの」
 カシスの心を包んでくれる優しさ。
 そう言おうとしてカシスは止めた。
 さすがにそれは恥ずかしいと感じたのだろう。
 目を閉じたままで凪にもたれかかり、
 口元を緩めてみせた。
「ルシードの力は無くなったわけじゃないと思うの。
 凪は優しすぎるんだよ、だから無意識でためらってる。
 人を傷つける力なんて使いたくないって思ってる」
「それは・・・」
「そろそろ、お別れ・・・みたいなの」
 弱弱しい声でそう言うと、カシスの体から強張りが消えた。
「カシ、ス?」
 息はまだある。
 しかしすでに声を出す事さえ出来ないようだった。
 目の前で死にゆくカシスを凪は強く抱きしめる。
(嫌だ、嫌だッ・・・ルシードの力が俺にあるってんなら、
 これっきりでいい! その力を使わせてくれよ!)
 凪がそう心から願った瞬間だ。
 聞き覚えの無い声が彼の耳に聞こえてくる。
 憂いを帯びた無表情な声が。

――――ようやく、君は私を認識しようとしているんだな。

「・・・え?」
 声は自らの内から聞こえていた。
 誰のものなのか凪には想像もつかない。
 解るのは相手が美しい声を持つ女性だという事だ。

――――私が君と話す機会などそうは無い。
    しかし、全ては決まっている事だ。
    これから私が何を話し、君がどうするかも。


「・・・貴方は一体?」
 声を出してみて凪はようやく気付く。
 相手の声が自分と殆ど同じものだという事に。
 感情が篭っていない所為で違うものに聞こえるだけだ。

――――私は世界を再生へと導くもの、ルシード。
    君と契約を結んだ故、私は君の中に存在している。


 ルシードという存在が自らの内にいる事に凪は驚く。
 軽い混乱で何も言えず唖然とするしかなかった。

――――細かい事など、いずれ解るだろう。
    それよりも君は力を欲しているんじゃないのか?


「ちから・・・」
 抱きしめたままのカシスはもうじき死ぬ。
 一刻の猶予もなかった。
(ああ! 俺に力を貸してくれ!)

――――貸すも何も、君が願えばそれは叶うよ。
    本来ルシードの力とは始まりを告げるもの。
    以前に君が使っていたような力ではないんだ。

「始まりを告げる・・・力」
 意味が解らずとも凪はひたすらに願う。
 カシスを助けたい。この命を失わせたくない、と。

  ――――そう。ソフィアが私に与えた力は願いと共鳴する。
       それは君たちが言う所の、奇跡という力だ。

 奇跡。今の凪にとっては願ってもない言葉だ。
 凪の祈り、願いは奇跡へと変貌していく。
 まるで神がそれを聞き入れたとでも言うように。
 冷たくなったカシスの身体を抱きしめていると、
 彼女の頬に少しずつ赤みが指していった。
(頼む、眼を覚ましてくれ・・・カシス)
 祈りと呼応するように傷から流れていた血が止まる。
 それは凪にとって現実感の無い光景ではあった。
 自己治癒を早送りで見ているようなもの。
 正に奇跡と呼ぶに相応しい光景だった。
「ん・・・あれ、凪の幻が見えるの」
「カシスッ!」
 九死に一生を得たというべきなのか。
 或いは死の淵から生還したというべきなのか。
 とにかくカシスは眼を覚ました。
 彼女の傷はまだ残っている。
 痛々しいものではあるが、先程と比べればマシに見えた。
 ぼけっとしている彼女を凪は抱きしめなおす。
「おわ、いきなり大胆な幻なの」
「馬鹿」
 状況が理解できていないカシス。
 構わず凪は笑って見せた。
 心からの笑顔で彼女を迎える。
 その笑顔、その温もり、全てが現実なのだ。
 それに気付くとカシスは急に頬を染める。
「な、なんで私・・・」
「よく解らないけど、ルシードの力みたい」
「ルシードの、ちから?」
 喜びを露わにする凪だったが、
 それを聞いたカシスは疑問符を抱いた。
 確かに死を感じていたカシスを再生させた力、
 死に瀕した生物を蘇らせたルシードの力とは何なのか。
 明らかに悪魔とも天使とも違う異質のものだ。
 さらに疑問なのがその力の行方。
 カシスが知っているルシードとは、
 アルカデイアとインフィニティを繋ぐ標である存在。
 それが何故、こんな力を持っているのか?
 奇跡にも等しい超常の力を。
 神の半身と呼ばれるが故なのか。
 思考を中断するように凪の声が聞こえてくる。
「私、少しだけルシードの事が解った気がする。
 この力はきっと誰かを傷つける為じゃなくて、
 誰かを護る為だけに使う力なんだよ」
 今はそういう認識でいいのかもしれない。
 そうカシスは思った。
 どうしてそんな力があるのか、なんてどうでもいい。
 大切なのは自分が生きているという事だ。
 それ以上は、今考えても仕方がない。
 ルシードへの疑問をカシスは一旦打ち切る事にした。

12月25日(金) PM19:18 晴れ
城内・最上階

 ベバルランとルガトの間にまだ動きは無かった。
 お互いにお互いを睨んで構えている。
 その緊張は真白にもクリオネにも伝わっていた。
 一言もなく、口を開く様子も無い。
 攻撃を仕掛ける前にルガトは考えていた。
 遠い日。二人の出会い。
 今では靄がかかったように薄れてしまっているが、
 ルガトの全てを変えてしまうほどの出来事だった。
 思えばルガトに対してベバルランが笑った事は無い。
 本来ならその笑顔を見る術もあったのだろうか。
 そんな事を考え、ルガトは声を出さず笑った。
「クリオネ!」
 大きな声でルガトはクリオネの名を呼ぶ。
 彼女はその意味を理解し、
 ベバルランへとナイフを投げつけた。
 紙一重で彼はナイフをかわす。
 そのままクリオネは彼の元へと走りこんだ。
 手には先程と形状の似たナイフを持っている。
 最小限の動きで彼女はそれをベバルランに振り下ろした。
 すかさずベバルランは右手でクリオネの腕を掴もうとする。
 だが毒の所為か体勢を崩し床に右手をついてしまった。
 それを見たクリオネは追撃とばかりに、
 片手をついた彼の頭へとナイフの軌道を変える。
 その瞬間、ルガトもクリオネも勝利を確信していた。
 右腕を曲げて身体を右へと回転させるまでは。
「なっ・・・」
 予想外の行動にクリオネは困惑した。
 ベバルランは転がった身体をすぐさま立て直し、
 一直線にクリオネへと飛び掛る。
 彼女は反射的にナイフをベバルランに投げつけた。
 確かにその行動は的確ではある。
 ただ、ベバルランという男に対しては安易過ぎた。
 造作もなく彼は左手でそのナイフを掴み取る。
 それをクリオネに投げようとした瞬間、
 違う方向からの殺気をベバルランは感じ取った。
 ちょうど彼の死角となる位置からルガトが襲い来る。
「ベバル――――ッ!」
 ルガトは針の様に細い剣状の凶器を手にしていた。
 弓を引くような動作から、彼は直線に突きかかって来る。
 ナイフで受けず左へと身体を逸らすベバルラン。
 彼が攻撃態勢に入る間もなく、
 クリオネが新しいナイフで斬りかかってきた。
 それをベバルランは手に持ったナイフで受け止める。
 つばぜり合いを続けるつもりなどは無かった。
 身体を引いてルガトの突きを紙一重でかわす。
「さすがは・・・純血種ッ! 素晴らしい動きだ!
 私とクリオネの二人がかりですら、
 手負いのお前を仕留めきれないとはな」
 一旦距離を置いてルガトはそう言った。
 表情は何処か嬉しそうでさえある。
「ベバルさんっ」
 ルガトを睨んだままでよろけるベバルランに、
 真白が手を貸そうと立ち上がった。
 それを見たルガトは愕然とする。
「よせ、下がっていろ」
「でもっ・・・」
 二人の様子を見ていたルガトの様子が変わった。
 明らかな怒りと落胆の表情で、
 彼は隣のクリオネに言う。
「・・・クリオネ。この城を爆破しろ」
「は?」
 唐突なルガトの言葉にクリオネは生返事を返した。
 彼女は勿論、ベバルランも訝しむ様な顔をする。
 殺し合いの最中だ。
 それも吸血種の牙城とも言えるこの場所を、
 爆破するというルガトの言葉。
 明らかに常軌を逸していた。
「そこの女を見ろ。すでに神は去ってしまった。
 もはや、吸血種に・・・私に、始まりなどは無い」
 先程から薄々は気付いていたのだろう。
 真白がもうカーリーではなくなっているという事に。
 ただルガトはその事実を信じたくなかった。
 だから出来るだけ真白の存在を見ないようにしていたのだ。
「そんな・・・ならばもう一度儀式を」
「愚か者が! 二度目は無い! 内なる神の降臨は今日、
 この時で無ければならなかったのだ!
 何故、私がこの女を今まで捨て置いたと思っている!」
 かつてクリオネが見た事ないほどにルガトは激昂する。
 それほどに彼は憤っていた。
 長い間この日の為に彼は生きてきたのだ。
 始祖となり純血種となる為に。
 全ては喪われていく。
 本来なら容易く完遂できる算段だった。
「貴様らが邪魔さえしなければ・・・!
 私は悪くない、貴様らが全て狂わせたんだ!」
「ルガト、様・・・」
「クリオネ! 何をやっている!」
 思い切り頬を叩かれるクリオネ。
 彼女は頬を押さえながら、何処かへと歩き出した。
 その頬は赤く腫れるほど強く叩かれている。
 それを見た真白は明らかな怒りを抱いた。
「ルガトさん、貴方・・・自分勝手すぎます!」
 真白はクリオネに裏切られた事など解っている。
 そもそも信用させるつもりで近づいてきたという事も。
 けれど、真白の脳裏にはクリオネの微笑があった。
(私は馬鹿なのかな? でも信じたい。
 クリオネさんが私にしてくれた事は、
 確かにあの時の私を救ってくれたんだって・・・)
 そんな真白の言葉にルガトはじろりと視線を向ける。
 怒りに歪んだ彼の表情に真白は気圧されそうになった。
「自分勝手、だと? 貴様が・・・貴様が私に言うのか?
 ベバルの全てを縛り付け、
 あげく罪さえも背負わせた貴様が!」
「・・・え?」
 不意にガタ、という音がして部屋全体が震え始める。
 それが崩壊の合図だとベバルランは気付いた。
 この城は元々自爆装置に似たものを兼ね備えている。
 何故なら彼らの存在は常に隠匿される必要があるからだ。
 人目を忍んだ場所に配置されてはいるが、
 いつ天使や人間に所在が知れるかもしれない。
 その際の証拠隠滅がそれに当たるのだ。
 つまり、今の音は一つ目の爆薬が作動したという事。
「クク・・・幕引きだな。コレはまだ合図代わりに過ぎない。
 10分で全ては無へと還る。
 良かったなベバル、貴様の罪を話す時間はなさそうだ」
「ベバル・・・さん?」
 不安そうな顔で真白はベバルランを見つめる。
 彼女の肩に手をぽん、と置くと彼は言った。
「お前は知らなくていいんだ。お前はフリージアじゃない」
「で、でも」
「未来を見ていくんだ、お前が生み出す無限の未来を。
 それはきっと俺の希望で・・・吸血種の可能性なんだ」
 少しずつ揺れは大きなものへと変わっていく。
 その時、真白達の元へ凪とカシスがやってきた。
「この揺れは一体・・・」
「もうじきこの城は消えてなくなる。
 急いでこの島から離れるんだ」
 凪の言葉にすかさずベバルランが答える。
 無論、簡単に部屋から出られるはずはなかった。
 狂ったように笑いながらルガトが言う。
「馬鹿な事を言うな。みすみす貴様らを逃がすと思うか?
 皆、この城と運命を共にするんだよっ!
 所詮・・・始祖の存在しない我々は滅びるんだからなァ!」
 カシスや凪が何か言おうとするが、
 それらをベバルランが制した。
 彼は敢えて一歩進んだまま話し始める。
「奴と闘っている時間はすでにない。
 お前達は先にクルーザーに乗っていろ」
「・・・あんたは、どうする気なの?」
 凪に身体を預けながらカシスが言った。
 当然の疑問。それは聞くまでも無い事だろう。
 誰もが解っていた。
 ベバルランが何を考えているのか。
「俺は、奴を片付けてから行く」
 振り向かずに彼は言った。
 その瞳はルガトを睨みつけたまま動かない。
「そんな・・・だって、時間が無いって・・・!」
 真白は悲痛な表情でベバルランに告げた。
 ルガトは何も言わず、そのやり取りを見ている。
 しかし、その表情は下らない茶番だとでも言いたげだ。
「真白。行くの」
「か、カシスさん? 何言ってるんですか!」
「いいから行くの」
「どうして・・・そんな事言えるんですかっ」
「簡単なの。真白がここに残って死んだ時、
 誰が悲しむか私は知ってる」
 それを聞いた真白は何も言い返せない。
 解っている事だからだ。
 真白を守るのがベバルランなのだと。
 その事を解ってはいるが納得できなかった。
 ベバルランに背を向けられない真白に凪が言う。
「真白ちゃん。今は・・・彼を信じよう」
「なぎ、さん・・・」
 何処か悲痛な顔で凪は真白の手を取った。
 少し俯いて、真白はベバルランの背を見つめる。
「信じてますから・・・ベバルさんが、来るって」
 彼女はそう言って凪達と共に部屋の出口へ走ろうとした。
 足が床を蹴り上げ、一歩目を踏み込む瞬間。
「真白」
 耳にベバルランの声が聞こえてきた。
(今、私の事をフリージアじゃなくて真白って・・・)
 それもはっきりとした力強い声。
 信じる事が出来るように優しい声で彼は告げる。
「俺は死なないさ。それがお前の願いならな・・・」

 

Chapter96へ続く