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黒の陽炎
−4thSeason−

著作 早坂由紀夫

Ebony Visitor

Chapter127
「漆黒の来訪者-01-」
 


 白く透き通った場所に、二人の女性が立っていた。
 正確には、空に似た場所に浮遊していた。
 一人は巨大な艶の無い黒の翼を背に纏い、
 一人は穢れない白を称えた翼をはためかせながら。
 この空間は人間の認識できる次元を超えた場所にある。
 だから、その周りにあるものを認識することは不可能だった。
 見えるのは、二人が織り成す渦のような力場。
 片方は見覚えのある顔をした女性だ。
 黒翼の女性から放たれた光線の束が、
 僅かな隙間も無く彼女めがけ降り注ぐ。
 相殺することも敵わず、白い翼の女性は光に身体を撃ち抜かれた。
 二人が闘う下では翼の生えた者達の戦争が起きている。
 途方も無い規模で行われる殲滅戦争のように見えた。
 互いの存亡を賭け、互いを消し去るためだけに行われる幕劇。
 もはや彼らには互いが何故憎みあうのか、それさえも解らない。
 永遠のように思えるそんな戦争の終わりは、一つの決着だった。
 赤く染まった白を、黒が包み込んでいく。
 暗闇よりも黒きものが途方もない大きさへ変貌し、
 それは大地深くへと身体を沈めていった。
 世界は青から赤へと色彩を変え、全てが其処に呑み込まれていく。



 不思議と、目覚めは静かなものだった。
 身体中に汗をびっしりと欠いているせいもあり、動くこともしない。
 夢の内容は既に薄れかけていた。
 覚えているのは、黒と白という色と、血と、知人の最期。
 今まで彼女が見た夢の中でも、それは最も現実離れした光景だ。
(でも、何故あの中に・・・彼女がいたの?)
 額に手を当てて彼女は少し考える。
 天使みたいだった。そう思った後で馬鹿馬鹿しいと一人語ちる。
 かつてないほどの夢見悪さに、吐き気を覚えながら。
(現実に起こる筈がないわ。幾らなんでも、これはただの夢よ。
 そうじゃなきゃ・・・あんな光景、現実にあるわけがない。
 まるで学園で習った終末みたいじゃない・・・)

04月03日(土) AM09:12 晴れ
寮内・凪とカシスの部屋改め、凪と紅音の部屋

 窓を開けてそよ風を受けてみる。
 春先の陽気も手伝って眠くなるような気持ちよさだ。
 顔が紅音みたく腑抜けた感じになってしまうのも仕方ない。
 久しぶりに何ヶ月の間か、静かな生活が続いていた。
 吸血鬼とか、天使とか、そういうのに関わることもない。
 悪魔がなんかしてきたりとか、そういうものもない。
 とはいえ、日常生活は以前と違う形にはなっていた。
 カシスと話し合い、このまま一緒の部屋には居られないということで、
 何故かカシスと紅音が部屋を交換することになった。
 俺としてはなんだか複雑な気分なのだが、疑問点も多々ある。
 だって、以前は女性同士のルームメイトとして普通に暮らしてたわけだ。
 今更、同じ部屋で暮らしてもいいのだろうか。
 幾ら恋人だと言っても・・・なんというか、いきなりすぎるというか。
 むしろ恋人という関係だからこそ、急に感じるのかもしれない。
 カシスと付き合ってた頃はこんな風に思わなかったんだけどな。
 そういった疑問は俺の頭の中だけらしく、
 紅音はそれほど気にしてないように見える。
「凪ちゃーんっ、ただいま〜」
「おかえり」
 自販で買ってきた飲み物片手に、紅音がこちらへやってきた。
 最近の紅音は髪を後ろで二つに縛っていて、
 少し大人っぽく見えるような気がする。
 かと思えば、ずざざーっと俺の隣へ走って滑り込んでくる。
 その姿はいつも通り、子供にしかみえない。
「ふふ〜、なんか一年生の頃を思い出すよねぇ〜」
「それは紅音が成長してないってことデスカ?」
「違うよぉっ。私少し成長したんだよっ、胸だってちょっとだけ・・・」
「・・・・・・」
 そんなこと言うもんだから、思わず紅音の胸に目が行ってしまう。
 うーん。成長したようには見えない。微々たるものだったのだろうか。
 そこで紅音が、恥ずかしそうに頬を染めて両腕で胸を隠した。
「凪ちゃん、目がえっちだよぉ〜?」
「これは・・・まあ、その・・・」
「えっと、触ってみる?」
 上目遣いでこちらをちらっと見て、紅音は目を伏せる。
「紅音?」
「私だってぜんぜん興味ないってわけじゃないんだよ」
 目を下へ向けたまま、紅音は俺のほうへ倒れかかってきた。
 なんて可愛いことをしてくれるんですか。
 だが悲しいかな、このパターンは何度も喰うわけにはいかないのだ。
「また表に出てきてるんだろ、リヴィーアサン」
「・・・あ、バレてた?」
 すぐさま俺から離れると紅音は艶やかな笑みを浮かべる。
 そう。リヴィーアサンはあれ以来、
 ある程度は自分の意思で紅音と交代できるようになったようなのだ。
 自由に表へ出てこれるわけではないらしいが、
 こういうときばかり出てくるのはどうだろうか。
 暴れるために出てくるわけじゃないだけマシ、と考えるべきだろうか。
「だってあんた達、延々と恋人ごっこ繰り返すばっかりだし、
 友達だった頃とぜんぜん変わんないじゃない」
「う・・・それはだって、段階ってものが・・・」
「・・・はぁ。カシスのときはあの子が積極的だったからよかったのかもね。
 お互い受身だと、糞つまんないラブコメみたいでイライラするのよ」
「もおっ、紅音の声で糞とか言わないでよ。
 ていうか、なんでカシスとのことを知ってるんですか」
「あの子は私の娘なのよ? どんなプレイしたとか、凪の性感帯とか、
 情報は全部こっちに筒抜けに決まってるじゃない」
 あんぐりと口を開けて固まってしまう俺。
 そりゃあカシスとのことを後悔してないとは言っても、
 内容的に思い出したくないものとかはあるわけだ。
「例えば、放課後の教室で凪を虐めたり・・・」
「わーわーっ! 口に出して言わないで、お願いだからっ」
 思わず俺は、恥ずかしさで耳まで真っ赤になってしまう。
 あれはなんというか、俺じゃなかったんだ。別の人だ。
 そう考えないと恥ずかしさで死んでしまいます。
「ふふふ・・・お願いねぇ。じゃあ、言うこと聞いてもらいましょうか」
「なんでそうなるのよ」
「常識からいって、口止め料ってものが発生するでしょう?」
 う〜、この堂々と見返りを要求するふてぶてしさ。
 親がこの人だからこそ、カシスが健やかに成長したわけだ。
 あの性格の根源みたいなものがわかったような気がする。
 と、急にリヴィーアサンがむすっとした顔で俺を睨んだ。
「残念だわ。今回は紅音の反発が強くてこれ以上表に居られない。
 凪のことになるとやけに強いんだから、腹立つわ」
 そんなことを言ったかと思うと、紅音の身体が壁にもたれかかる。
 どうやら意識を交代しているらしい。
 すぐに紅音はいつもと同じ、柔らかい表情で目を開けた。
「はぁ・・・あの人、私が油断するといきなり出てくるんだから」
「紅音も大変なんだね」
「え、そ、それほどでもぉ・・・」
 なぜ照れる。今の会話に照れる部分あったか?
「でもねぇ、私の中に悪魔さんが居るのは嬉しいな」
「いや、嬉しいとこじゃないから、それ」
 ルシエとの一件以来、紅音も天使と悪魔のことを知った。
 元々リヴィーアサンのこともあったし、
 紅音にはそれらのことを知る権利がある。
 とはいっても、やはり俺としては少し複雑な気分だ。
 知らないままでいてほしかったという気持ちがあるし、
 これ以上巻き込みたくないという気持ちもある。
 出来れば俺だって、血生臭い殺し合いに関わりたくなんてなかった。
「これからずっと凪ちゃんと一緒にいられるのかなあ?
 お婆ちゃんになっても、凪ちゃんの傍にいられるといいなあ」
「そうだね・・・って紅音、それどういう意味?」
「え? えぇ? べ、別に変な意味じゃないよっ?」
 俺と紅音は、そんな会話だけで顔を真っ赤にしてしまう。
 友達の期間が長いとこんなものなのかもしれないな。
 触れている肩が妙にくすぐったくなる。
 そっぽを向きながら、俺はこっそり紅音の手に触れてみた。
「凪ちゃん?」
「・・・うん」
 特に何かを話すわけでもなく、紅音は手を握り返してくる。
 お互い、どうにも恥ずかしくて顔はそっぽを向いたままだった。
 じっとしたまま、一言も話さず俺は掌の温もりを感じる。
 ちらっと隣を見てみると、紅音は顔を赤くしながら俯いていた。
「俺も・・・」
「え?」
「俺も紅音とずっと一緒にいられたらいいなって、そう思うよ」
 どうしてだか、自然と口調が男になっている。
 それを気にする様子はなく、紅音は手をぎゅっと握ってきた。
 しかも何故か顔が赤くなっている。
「えっと、それって凪ちゃん・・・電撃入籍?」
「あ・・・あのねぇ」

04月03日(土) PM17:35 晴れ
白鳳学園・正門前

 時刻は五時を過ぎ、夕刻になろうかとしていた。
 華月夢姫は黒き羽根を携え、白鳳学園へとその翼を下ろす。
 何処へ向かっているのか本人は解らなかったが、
 その先にあるものだけは解っている。
 彼女は何かに導かれるようにそこへ降り立った。
 そう、最初から決められていたように。
 偶然だが、学園の正門付近には誰の姿も無い。
 誰も彼女の姿を見咎めるものはいなかった。
「長かったわ。ここに来るために、どれだけの時間を費やしたのかしら」
 少しだけ夢姫の表情が柔らかくなる。
 どれだけの知識を得ようと、再会の喜びは変わることなどないのだ。
 彼女は正門から敷地内へと足を踏み入れていく。
 苦しみは全て心の奥深くに押し込んでいた。
 今だけは、再会を喜ぶ普通の女性でいようと。
 身体の芯から溢れる力が、自信と勇気を夢姫に与えていた。
 足取りは軽く、少し興奮を覚えながら、
 彼女は女子寮へと歩いていく。
 そう、偶然だが彼女の姿を見咎める者は一人もいなかった。
 そんな彼女の前に、一人の少年が立ちはだかる。
「・・・なんのつもりだアザゼル」
 怪訝そうな顔で夢姫はアザゼルを睨みつけた。
 折角の再会に邪魔が入ったことに苛立っているのだろう。
「何をするつもりもないさ。ただ、今まで長い時間を耐えてきたんだ。
 どうせなら、もう少し待てば? 二人の時間に水を差すしね」
「なによ、それ・・・二人の時間? 言ってる意味が解らないわ」
「はっきりと君に言うのは辛い。だからこうして忠告しに来たんだよ」
 少し憂いを秘めた顔を覗かせるアザゼル。
 だが彼は欠片も夢姫のことを考えてはいない。
 全てが順調に進むため、それ以外に彼が時間を割きはしないからだ。
 漠然としたアザゼルの言葉だが、逆にそれが彼女の不安を煽る。
「誰と居ようと私が待つ必要なんてないわ。
 だってなぁ君と私は――――」
 夢姫の言葉は、そこから先が抜け落ちるように止まってしまった。
 代わりに彼女の頬を一筋の涙が伝う。
「無理はしないほうがいい。君は自分を知ってしまったんだから」
「私はッ・・・もう一度だけ、たった一度だけ」
「フフ、縋りたいんだよね。君はもうそんな資格すらないっていうのに」
 アザゼルの言葉に、彼女の身体が硬直した。
 汚れている。私の身体は汚れてしまっている。
 もう女性として、愛される資格などはない。
 頭の中で繰り返される問答は、夢姫を打ちのめす大槌だ。
 自分では反論することもできず、ただ立ち尽くすしかない。
 なまじ思考力がついたため、彼女は過去を思い出し吐き気を催した。
「う、ぐっ、うぅっ・・・」
「君がどうしてもルシードに会いたいなら、そうするのがいいと思うよ。
 或いは、彼ならば全てを受け入れてくれるかもしれない。
 理想として描き続けた君のルシードならね。
 容貌は確かにとても理想的だよ。ルシードの転生体に選ばれたがゆえに、
 誰よりも女性らしく育つように、運命付けられてるんだからね。
 でも・・・君のこと、彼は覚えてるかなあ?
 彼は君が思うほど君を思ってくれているのかな」
「・・・忘れるもんか、私は今まで一度もなぁ君を忘れたことはない。
 なぁ君だってそうに決まってる! 忘れる筈がないっ!」
 顔半分を手で押さえながら、夢姫はそう確信している。
 年齢ゆえ恋人ではなかったにせよ、強い絆があると信じていた。
 引き離せぬ運命、想いがあると信じていた。
「そうだね・・・君がそう信じるのなら、行くといい。
 どちらにせよ答えはすぐそこにあるんだから」
「――――言われなくても、そのつもりよ」
 気分の悪さは抜けないまま、引きずるように彼女は歩いていく。
 言葉どおりアザゼルは彼女を止めず、横を素通りさせる。
 しかし夢姫の後ろ姿を眺めながら、アザゼルはくすりと笑みを浮かべた。
「ディアボロス、君はアーカーシャのことを理解していない。
 そう、アレを仰々しい予言書か何かとでも思ってるんだろうね。
 大きな過ちだよ・・・アーカーシャはそもそも運命なんかじゃない。
 積み重ねられ開かれた結果なんだ」

04月03日(土) PM17:51 晴れ
学園内・外庭

 足取りは徐々に重くなっていく。
 誰よりも自分が、凪と会うことを恐れていた。
 期待が大きければ大きいほど、もしもの可能性が重くのしかかる。
 もしも、凪が自分を拒否したら。
 それは昔の夢姫には存在しなかった不安だった。
 知恵がつき、様々な思案を巡らせるがゆえに、
 再会だけを夢見ていたころには戻れない。
 迷わず進んでいた自分には帰れない。
 禁断の果実は既に喉を通ってしまったのだから。
「ふ、フフッ・・・どんな奴が隣に座ってようと、構うもんか。
 私を邪魔するなら、全部踏み潰してやるッ・・・!」
 そのとき、彼女の視界に二人の人間が映った。
 女子寮から外へと出てきた凪と紅音だ。
 無論、成長した凪の姿を夢姫が見たことなどないのだが、
 すぐさま彼女はそれが凪だと直感する。
(こんなにも、簡単に・・・)
 拍子抜けするほどあっさりと凪を見つけることが出来た。
 それは瞬間的な余裕による、戸惑いと緊張を彼女に与える。
 黙っていれば二人はそのまま、校舎側へと歩いていってしまう。
「ちょ、ちょっと・・・待って」
 か細い声ではあったが、凪と紅音はその声に気づき彼女の方を向いた。
 二人とも夢姫をきょとんとした顔で見るが、
 はたと気づいたように紅音が声を上げる。
「あれ・・・夢姫ちゃん?」
「貴方は、確か・・・あのときの」
 凪の隣に立っている少女を、夢姫は微かに覚えていた。
 彼女が凪の知り合いだったという事実は、少しの疑いを抱かせる。
 無論、夢姫が紅音に話した内容から凪に辿り着くのは難しかった。
 それでも先ほどのアザゼルの言葉が脳裏をよぎる。
 だがそんなことは、凪を目の前にすれば些細な疑問に過ぎなかった。
 遠い過去の記憶とはかけ離れている。
 背は夢姫よりもずっと高く、前と比べ顔は別人のように大人びている。
 何もかもが変わっていた。しかし、それは自身も同じだ。
「なぁ君・・・っ」
 口を開いて出るのは彼の愛称だけ。
 動くこともできず、ただ嬉し涙だけがその頬を伝う。
「君は、えっと・・・」
 ふいに、戸惑うような声が夢姫の耳に入った。
 それは聞きたくない言葉へ続く予感を孕んでいる。
 夢姫は全身の毛が逆立つような緊張を覚えた。
 涙はすぐに止まり、表情は怯えるようなものに変わる。
「わ、私は華月夢姫っ・・・なぁ君と、その・・・や、約束・・・した」
「やく・・・そく?」
 不安で胸の鼓動が大きな音を立てた。
 この再会には決定的な温度差があると、
 夢姫は薄々気づき始めたのだ。
 目の前で疑問符を浮かべる凪を、恐れを抱き夢姫は見つめる。
 状況は彼女に答えを提示していた。
 だが、それを認めるわけにはいかない。
 認めれば、全てが――――彼女を形成する全てが崩れる。
「ごめん、私・・・君を」
「なぁ君っ!」
 凪の言葉を途中で遮って、夢姫はそう叫んだ。
「何年も経ってるから・・・だから、少し驚いてるだけだよね?
 だってなぁ君が、私のことを忘れるはずない」
 彼女の言葉に対し、凪の返答は沈黙。
 突然すぎる出来事のうえに、心当たりが全くないのだ。
 その割に夢姫の態度が切迫していて、凪は困惑するしかない。
 凪が何も言おうとしないことが、何より夢姫には絶望的だった。
(ほんのかけらも? 少しの記憶さえ無いって・・・こと?)
「どうやら予想は当たってしまったみたいだねぇ、ディアボロス」
「・・・アザゼル!」
 先ほどと同じ様子で彼は夢姫の前に現れる。
 どうだった、やっぱり駄目だっただろう。
 彼の瞳は無言で夢姫にそう語りかけていた。
「気をつけてね、ルシード。彼女はルシードと対になる者。
 浄化と再生を司る君と対照的に、破壊を司る存在さ。
 いずれ、君と全てを賭して殺しあう定めにある」
「なッ・・・そんなことするものかっ!」
「女心は移ろいやすくってね。本当はルシードに忘れられてたことで、
 沸々と憎しみが湧き上がってるんじゃない?」
「き、さまァ・・・!」
 あえてアザゼルは夢姫を煽り立てる。
 怒れば怒るほど論理的思考が難しくなり、
 行動予測もそれだけ容易になるからだ。
 更にアザゼルが彼女を挑発する目的はもう一つある。
「最初から君がどうしようと、結果は同じだったのさ。
 君の苦しむ過程が変わるだけだったんだよ。
 ああ――――報われないねぇ」
「・・・殺してやる!」
 激昂した夢姫は背中の黒い翼を大きく広げ、
 幾重にも束ねられた光線をアザゼルめがけて放った。
 だが、次の瞬間彼女はアザゼルの恐ろしさを目の当たりにする。
「逃げるんだルシード!」
 あたかも彼は凪たちを庇うかのような素振りで、
 全ての光線を自らの身体で受け止めた。
 恐るべきは鉄壁の具現による防御膜。
 どれだけ挑発を繰り返そうとも夢姫の実力を見誤ることなどなく、
 出しうる限りのフルパワーで身を守る。
「うああぁっ・・・」
「アザゼルッ!」
 思わず凪はアザゼルのもとに駆け寄った。
 流石にアザゼルと言えど、ディアボロスの力に無傷では済まない。
 だが、むしろそれこそが彼の狙いだった。
 それだけで、凪の夢姫を見る目は先ほどより厳しいものに変わる。
「なによ、その目・・・私を信じようともしないの?」
 彼女の言葉に、凪は返す言葉を持たなかった。
 解るのは彼女が自分の知人かもしれないということと、
 今アザゼルという知人を傷つけたという事実。
 凪は混乱するばかりで、状況が計りきれない。
「解らないよ、この状況で私に解るのは、
 君がアザゼルを傷つけたことだけなんだから」
 欠片も自分のことが伝わらない。
 十数年間、夢姫が持ち続けた気持ちは行き場を失った。
 それに加え凪の言葉は、夢姫を責めているようにも取れる。
 今まで彼が見せたことなど無い冷たい態度も、
 彼女の絶望する要因の一つだった。
「はっ・・・なんだよ、それ・・・どうしてそんな態度取るんだよ!
 私のことを忘れた? ふざけないでっ!」
「夢姫ちゃん・・・」
「紅音、お前もだッ・・・お前、なぁ君のことを私に隠してたんだなッ・・・!」
「違うよ、私あのときは本当に解らなかったんだよっ」
「黙れッ・・・下らない問答をする気なんてないんだよ!」
 びくっと紅音の顔が引きつる。
 かつて出会った夢姫と、あまりにも違っていた所為もあった。
 当時の浮世離れした感じは消え、今はあまりに人間らしく見える。
 それ故に、彼女の憎悪に満ちた表情が恐ろしく映るのだ。
「あの頃の私は馬鹿だったよね、疑うことも知らなかったんだから」
 氷よりも冷たい瞳で夢姫は紅音を睨み付ける。
 その瞳からは凍えそうなほど美しい涙が零れ落ちた。
 彼女は背に開かれたままの巨大な翼で、ばさばさを音を立てて羽ばたく。
「・・・酷い話ね。折角なぁ君に会えると思っていたら、
 賢しい女がなぁ君の周りをうろちょろとしていて・・・
 おまけになぁ君は私のことを、覚えてない・・・」
 凪はその瞬間、凄まじいまでの圧迫感に襲われる。
 手先が震え、身体中の毛が逆立っていた。
(駄目だ・・・身体が金縛りにあったみたいに動かない)
 夢姫が羽ばたいた瞬間、彼女の力量を垣間見たのだろう。
 そして悟った。闘えば間違いなく殺される、と。
「どうしたの、なぁ君。手が震えてるわよ?」
「こ、れは・・・」
「恐怖してるのか。いいわね、私を認識してるってことじゃない。
 大丈夫、今は何もしないから安心していいわ。
 私の中のディアボロスが、今は手を貸さないって言ってる」
「どういう、ことよ・・・それ」
「紅音をなぁ君の前から消してやりたくても、
 まだ時期尚早だって言いたいのよ、ディアボロスは。
 なぁ君が邪魔しなければ・・・今すぐにでもそいつを消してやるけど」
 射抜くような夢姫の瞳は、ただ一人紅音だけに対して向けられている。
 憎悪に包まれた様々な感情が、彼女の眼から語られていた。
「そんなことは・・・絶対にさせない!」
「ならば、そうね・・・なぁ君が私を思い出してくれるのを待ちましょうか。
 時間はまだある。出来れば自分の力で思い出して欲しいから。
 紅音のことはそれからでも遅くないわ」
 ふと、凪はそんな彼女の顔を見ていて胸の痛みを覚える。
(なんでだろう・・・あの子に、こんな表情似合わないって、そう思う。
 会ったことないはず。見覚えもないのに、どうして・・・)
 封じられている記憶の欠片が、凪の感情を揺さぶっていた。
 わけも解らず、悲しく辛い気持ちで一杯になる。
「また・・・逢いましょう。いつかなぁ君のこと、強く抱きしめてあげるわ。
 なぁ君の身体が軋んで無くなってしまうくらい、つよく・・・」
 凪も紅音も言葉を発することが出来なかった。
 そう口にする夢姫の顔から、暗い笑みが零れたからだ。
 唇を噛んで夢姫はぎゅっと目を閉じた。
 彼女の身体がふわっと浮かび上がり、激しい風が巻き起こる。
 二人が思わず目を閉じて手をかざすと、
 次の瞬間には夢姫の姿はすでになくなっていた。

04月03日(土) PM18:12 晴れ
学園内・外庭

 気づけば辺りは陽が落ち、心細い明かりが灯っている。
 冷たい春風が二人に吹き付けていた。
 青白い空は不気味に佇み、凪に不安を抱かせる。
「紅音、これ着てなよ」
「・・・うん」
 凪は上着を紅音に羽織らせると、あることに気づいて辺りを見回した。
 アザゼルがいつのまにか居なくなっている。
 一体いつの間に、と思いながら凪は紅音を連れ寮へと歩き出した。
「夢姫ちゃんも・・・凪ちゃんが関わってる大変なことに関係あるのかな」
「解らないけど、多分・・・そうだと思う」
「なんか、夢姫ちゃん・・・全然違うひとになってた。
 怖かったけど・・・でも、それより・・・悲しそうだった」
「紅音・・・」
 詳しいことは何も解らない。ただ不気味さと不安だけがある。
 この先何が起こるのか、彼にはまだ見当もつかない。
 だから、言葉の代わりに凪は紅音の肩をぎゅっと抱きしめていた。
 この手の中にあるものだけは、失いたくない。
 紅音だけはどんなことをしても守りたい。
 例え自分の全てを犠牲にしなければならないとしても。
 そんな決意が凪の鼓動を揺さぶる。
「凪ちゃん・・・私、凪ちゃんも夢姫ちゃんも、傷ついて欲しくない。
 私のせいでこじれちゃったのかもしれないけど、
 きっと・・・仲直り出来るよね。大丈夫、だよね・・・」
「うん、解ってくれるよ・・・きっと」
 落ち込んだ紅音に対し、凪はたいした言葉をかけられなかった。
 紅音のせいではないと言うのも、どこか間が抜けている気がしたし、
 何より紅音は自分より凪や夢姫のことを心配している。
 今も、自分が凪の側にいていいのかと不安に思っていた。
(私は出来る限り凪ちゃんの一番近くにいたい。
 けど、夢姫ちゃんだって・・・夢姫ちゃんのほうが、そう思ってたのかも)
 紅音は自分が凪を取ってしまった、という考えを抱く。
 それでも、凪の側を離れるという選択肢は選びたくなかった。
 傷ついたとしても、凪の側にいたい。
 ルシエとの一件で彼女はそう決めたのだから。



 やがて二人が寮に入り、夜の帳が下りると、
 暗闇の世界に漆黒の来訪者がやってくる。
 来訪者の名は無いが、かつてイヴと呼ばれていた者だ。
 便宜上、今もそう呼ばれることもある。
 彼女は人気の無い白鳳学園の正門前に立っていた。
(やはり、今日は疲弊している。任務のためには、休息が必要だ)
 まだ、彼女が何事かを行う気は無い。
 身を翻すと、彼女は暗い闇夜へと姿を消した。
 

Chapter128へ続く