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黒の陽炎
−4thSeason−

著作 早坂由紀夫

Arcadia Inside

Chapter133
「天使裁判-02-」
 

  感情とは――――斯様にして、その複雑系を得るに至ったか。
 喜怒哀楽とは、感情の一部分を指した熟語に過ぎない。
 全てをこの熟語に当てはめようとするのなら、
 私の今抱いている感情は何なのだろうか。
 怒りがあり、悲しみが、喜びが、楽しみが、全てが私を包んでいる。
 悲しいのに嬉しいのだ。愉悦のときでありながら、怒りを覚えるのだ。
 実に感情は不思議だ。
 戻れないことを理解してから、私は余計にそう思う。
 人の感情とは、複雑に発達したのちに今へ至った。
 つまり、過渡期であり、衰退期であり・・・末期。
 心の病が生まれた頃、私たちは気づくべきだったのかもしれない。
 自らを構成する一つの要素が、ある種の帰結を望んでいるということに。
 真っ赤な世界が目の前にあって、尚私はそんなことを考える。
 逃避ではない。やはり不思議なのだ。
 どうして、悲しみの涙を流しながら――――唇を吊り上げているのか。
 アイツならば、この疑問に答えを与えてくれるだろうか?
 人でなくして人であろうとするアイツならば。
 そして――――私を、どう定義づけてくれるだろうか。
 楽しみで、不安で、でも・・・苦しいほど胸が疼く。

04月07日(火) PM18:05 雨
寮内・自室

 紅音が帰ってきて三十分ほどが経っただろうか。
 遅れてカシスがやってきて、三人が揃った。
「正直、私たちでイヴを助けるにしても・・・心許ないわね」
 そう口にしたのは紅音と交代したリヴィーアサンだ。
 凪はその言葉に、黙って頷く。
 以前インフィニティへ凪とイヴが赴いたことがあったが、
 この面子でイヴを助けるのはそれ以上に無謀なことだった。
 何しろ悪魔には仲間意識が薄く、規律も無いに等しい。
 天使と闘う際には当然共闘するが、それ以外では本能にのみ従う。
 一方、天使は規律と仲間意識が非常に強い。
 大体にして、インフィニティでリヴィーアサンと闘った際も、
 リヴィーアサンが凪と闘おうという意思を持っていたから実現した。
 仮に彼女が本気で凪とイヴを始末しようと思っていれば、
 まず間違いなく凪は今ここに居ないだろう。
 以前のような、真っ向から敵地へ向かう方法などは下の下。
 如何に気づかれず侵入し、イヴを助け脱出路を確保できるか。
 今回は、恐らくそこが最も重要になる。
 そのことを三人は理解していた。
「とりあえず凪はアルカデイアを探すの。
 その間に、私とリヴィ様で作戦を練るの」
「・・・作戦ね。正直、現状でアルカデイアへ辿り着けたとして、
 私たち三人がルージュを助けられる可能性はゼロに等しいわ。
 運良く上位天使クラスに出会わなくても、一桁がいいところね。
 何しろ、私たちは一人もあっちのことを良く知らない」
「確かに・・・私も一度だけ行ったことはあるけど、
 殆どイヴに連れ回されただけで、全然解らないや」
 そう凪が口にすると、カシスがぶーぶーと文句を言う。
「まったく少しも役に立たないの。これだから浮気者は駄目なの」
「うぐ・・・で、でもラファエルに手を借りればいいんじゃないかな」
「まあ、そうするしかなさそうね。
 彼ならアルカデイアに詳しそうだし、凪やルージュにも友好的だし。
 問題はその本人が不在だってことだけど」
「ラファエルが居ればアルカデイアへ行く方法も解るんじゃないかな」
「そうすると、凪は益々役立たずなの」
「うっ・・・」
 にこにこ笑みを浮かべて、カシスは凪の髪をくいっと軽く引っ張った。
 彼女は、不満げな顔の凪を見ると尚更嬉しそうな顔を見せる。
 生まれつきのサド気質なのだろう、と諦めをこめて凪はそう思った。

04月07日(火) PM18:20 雨
寮内・一階廊下

 とりあえず凪は気分転換がてら、部屋から廊下に出てくる。
 ラファエルが居ない今、凪に出来るのはアルカデイアを探すことだけだ。
 それも、現状で難航している。
(今まで以上にルシードの力が高まってる気はするんだけどな・・・。
 なんでだろう、やっぱり・・・凄く遠いところにあるってことか)
 アルカデイアとインフィニティは、似て非なる場所である。
 イヴを初めとして、多くの者たちがそう凪に言っていた。
 つまり、セフィロトの樹に支えられ高きにあるのがアルカデイア。
 その庇護から離れ、遠く暗き場所にあるのがインフィニティ。
 そう考えて凪は一つの答えに行き着いた。
(もしかして、俺が感じているのは・・・
 此処でのセフィロトの樹がある場所なのか?)
 凪が此処、と呼ぶのは無論ながら現象世界のことである。
 移動手段として現象世界とアルカデイアを結ぶセフィロトの樹。
 それが現象世界に存在していると考えるのは、
 与えられた情報からの推測としては妥当な線だ。
(けど、あんな大きな樹が、しかも天上高くそびえてるってレベル・・・。
 存在するなら、衛星とか何かでとっくに見つかってるはずだよな)
 常識的に考えるならば、そんなものが地球上に存在する痕跡はない。
 セフィロトの樹ほど途方もない大きさの樹が存在すれば、
 とうの昔に世界的なニュースになっているだろう。
(いや・・・待てよ。不思議な力で存在自体が見えないとか、
 そういうのがあってもおかしくないよな)
 衛星から見て、そこに陸地や樹があったとして、
 それを巧妙に隠し続けることが可能だとしたら。
 付近に人間を近寄らせない力が働いていたなら。
 セフィロトの樹は、現象世界の何処かに存在するのかもしれない。
 そうやって歩いていると、凪の肩を誰かがぽんと叩いた。
「よっ」
 声をかけてきたのは古雪紫齊。
 いつも通り。そう、いつも通りの笑顔で後ろに立っている。
 名前を呼ぶと凪は少し顔をほころばせた。
「相変わらず元気そうだね」
「まあね〜。凪はなんか、考え事してたみたいだけど」
「あ、うん・・・ちょっとね」
 咄嗟に適当を話すことも出来ず、凪ははぐらかすようなことを言う。
「なんだよ、気を揉ませる言い方だなぁ。ま、私でよければ相談に乗るよ」
「本当? 勉強のことでも?」
「・・・あーっと、そういうのはナシで」
 普段どおりのやり取りに、思わず二人はくすっと笑みを漏らした。
 二年という時間があるから、こんなやり取りも自然に出てくる。
「ま、まあ私は人生相談専門だからさ」
「そういえば、ずっと話し損ねてたけど・・・
 例の、卒業後の話ってどうなったの?」
 何気なく凪はそんなことを聞いた。
 聞いた後で少し迂闊だったかと考えたが、紫齊の顔を見て驚かされる。
 彼女は何もないかのような笑顔で、凪を見ていたからだ。
「ん、もう大丈夫だよ。そのことはちゃんと上手く行ったから」
「ホント? 両親を納得させたの?」
「・・・まあ、そういうことになるのかな」
 かつて見たことのないほど穏やかな顔でそう言う紫齊。
 その顔を見ていると、本当に上手く行ったのだと感じる。
 凪は彼女が羨ましくもあり、又祝福したくもなる心境だった。

04月07日(火) PM18:45 雨
寮内・自室

 凪と紫齊がそんな会話をしている、ほぼ同刻。
 リヴィーアサンとカシスは凪の部屋で、まだ色々と策を考えていた。
 段々と内容も尽きてきたらしく、テレビを見ながら会話は続いている。
 会話内容は既にイヴ救出の案が出尽くしたせいか、
 凪のことをああだこうだと言っているようだった。
「ルージュとはどういうことをしたのか、気にならない?」
「気になるの! 特にどっち主導かは凄く気になるの!」
「それは解るわ。多分ルージュが主導権握ってたわよ。
 カシスのときだって、そうだったんでしょ?」
「・・・やっぱり、もう少し私が上手くやれば凪を心まで女に出来たの」
「そうねぇ〜・・・って私たちは何を話してるのよ」
「はっ・・・そういえばルージュを助ける良い案を練ってたの」
「そうよ、ルージュと凪のことは後でいいのよ」
 良い案が出ない所為か、所々で会話が脱線する。
 切迫してはいるが、アルカデイアの情報が解らない所為もあった。
 対策を練ろうにも情報が少なすぎるのだ。
 そこで、ふとカシスはテレビのニュースに目を止める。
「あれ? この名前って・・・」
 どうやら速報で入ってきた情報のようだ。
 出来たばかりの原稿を、女性のキャスターが読み上げる。
 左下には現場中継が映っていた。
 現場付近は騒然としており、事件の大きさを物語っている。



 夜半前、と呼べるだろうか。恐らくは11時を回る時刻。
 遅く帰ってきた一家の主である父は、ビールを片手に飯を食べていた。
 母は、まだ小さい息子の食事を片付けている。
 何度も話したことではあったが、母は何度も同じことを父に言った。
「貴方。やっぱり、大学くらいは出してあげたいんです。
 あの子だって、きっとやりたいことはその内見つかるはずですから」
「何度も話しただろう。あいつが今、その見つける気持ちを
 強く持たない限り意味がない。なあなあでは、あいつのためにもならん。
 俺だって、厳しくしたくてこう言ってるわけじゃないんだ。
 甘やかしたいさ。一人娘だ。もっと可愛がりたいし、慕って欲しい。
 だけどな・・・それで、本当にあいつのためになるのか?
 親なら、ときには子を谷に落とさなきゃならんことだってある」
 父はビールをあおりそのまま飲み干す。
 次を手際よく注ぐと、母は意を決し父の考えに文句を言った。
「でも高校卒業してすぐ結婚だなんて、あんまりじゃありませんか?」
 沈黙。
 数年間、父の決定ということで押し通されてきたことだ。
 今更どうにもならないと感じてもいる。
 だが、娘のために母は勇気を出してそれを口にした。
 すると、意外な答えが彼女に返って来る。
「・・・本当は、お前は顔に出るからギリギリまで言うつもりはなかったが、
 結婚なんて話はでまかせだよ。嘘に決まってるだろう」
「は? 本当に?」
 口をあんぐりと開けて、ぽかーんと母は父を見ていた。
 呆れているのか、それとも動揺しすぎて何も考えていないのか。
 それを尻目に、ビールをまたあおり、父は言った。
「当たり前だ。娘が愛してもいない奴に、娘を取られてたまるものか。
 家柄に文句をつけたくらいで引き下がるような奴や、
 収入であいつを幸せに出来ると勘違いしてる奴なんかは要らん」
「まったく。よく平気な顔して嫁も騙す嘘がつけますね。
 結局、何より子供が一番なんだから」
 ため息をついて、ようやく母は父の真意を理解する。
 驚きと、やはり呆れの混じった顔だった。
「子供を一番に考えない親は親と呼ばん。血の繋がった他人だ。
 俺は、たとえ何があろうと子供たちが幸せになれるようサポートする。
 それが俺たち親の義務であり至福だろう」
「そうですね。私たちはもう充分幸せですものね」
 そんなときガチャッとドアの開く音がした。
 この家には、もう誰も帰ってくるものはいない。
 二人は思わず不審そうに、ドアの方へと顔を向けた。
 少しして現れたのは、一家の一人娘の姿である。
 奇妙なのは、背中から赤い何かがはみ出していることだ。
 それに、寮暮らしの彼女が今帰ってきていること。
「どうしたのこんな時間に」
 最初に声をかけたのは母だ。
 続けて父が夜遅く外を出歩くのは娘として良くない、と叱り付ける。
 瞬間――――娘の頭に、ノイズが走った。
 彼女の弟が食事を終えたあとしばらく遊んでいたゲーム機器が、
 テレビにそのゲーム画面を映し出さなくなる。
 画面上に映っているのは、いわゆる砂嵐だけだ。
 それを疑問に思った弟が立ち上がって電源を確認した。
 コンセント、アダプター類に異常は見られない。
 ただ、それらの周囲を奇妙な光が無数に漂っていた。
 よく見るとそれらは、テレビに映るのと同じ砂嵐。
 正確な形を認識することの難しい形状を成している。
「私はもうあるべき物語の中へとやってきたんだよ。
 見ているだけの傍観者ではなく、こちら側へと来ることが出来た。
 本来、私が居るべき本当の現実――――本当の居場所に」
 娘の瞳に宿っているのは狂気ではない。
 純然たる期待、湧き上がる興奮、そのようなものだ。
 それが傍から見ると異様に見えるだけのことで、
 特別彼女が狂気を孕んでいるというわけではない。
 何も知らぬ両親にすれば、それは異様。まるで狂人の口ぶり。
 本人は心のうちを正直に聞かせたいだけだった。
 そう――――最期となるこの機会に。
 彼女の弟が、紙を切るように左腕から身体ごと千切れ飛んでいく。
 それに気づいたのとほぼ同時に、父と母の身体も骨ごと削れていた。
 果たして、どれほどの痛みが彼らを襲ったのだろうか。
 時間にすればほんの数十秒だ。
 気づけば辺りは鮮やかな血が埋め尽くし、彼女に彩りを与えている。
 先ほどまで家族だった肉片がこま切れになって散乱し、
 ねじれて原型をとどめないほど醜く形を変えてしまっていた。
「これで・・・私を束縛するものは何も無くなった。
 すごく自由な気分。久しぶりだな・・・こういうの」
 清々しさと罪悪感がない混ぜになって、彼女の心拍数は跳ね上がる。
 煮え切らない気分は残っているが、その表情に陰りはなかった。
 もう卒業したあとで、親の敷いたレールに乗る必要はない。
 親の煩わしい言葉や束縛が消え、残ったのは彼女の自由だけだ。
 瞳に滲む涙は、戻れないところまで来たことを告げているに過ぎない。
「うん、わたしはこれで私の人生を生きるんだ。これで、いいんだ」
 本当の人生、その言葉にある真意は、幻想。
 故に何が起ころうと、どんな罪を犯そうとも、
 それを受け入れることが出来るのだ。
 彼女にとって本当の物語とは、幻想的な遊戯にも等しい世界。
 間違いがあったらやり直せてしまいそうな、そんな世界だ。
 そんな世界へ来たのだと信じて、彼女は自ら足を踏み入れた。
 その決断すら確定されていたレールの上へと。



 テレビには、一家惨殺事件と題されたテロップが右上に表示されていた。
 マスコミの記者たちは、迷惑という単語を知らぬために、
 近隣住民への聞き込みや被害者の実名を公表する。
 今日発覚したばかりの事件らしく、報道には若干の混乱が見られた。
 その中で、聞きなれた名前がカシスとリヴィーアサンの耳に入ってくる。
「えー、長女の紫齊さんですが、彼女は寮生活を送っているそうで、
 事件当時家には居なかったという話です」
 その発言を聞いて、カシスがばっと立ち上がった。
「やっぱり! 紫齊の家で起きた事件だったの!」
「そうね・・・それもかなり大きな事件ね」
「リヴィ様、こ、こういうときは・・・どうすればいいの?」
「どうすればって言ってもねぇ。どうにもならないわね。
 こっち側の者が関わってればいざ知らず、
 人間の事件じゃ私たちの出る幕じゃないわ。
 それに、私たちだって暇を持て余してなんていないでしょう」
「あっ・・・そ、そうだったの」
 しゅんとなってカシスは大人しく座り込む。
 そんなカシスの様子に、リヴィーアサンは優しげな笑みを浮かべた。
(昔に比べて、随分と人間臭い子になったわね・・・。
 現象世界に長く居るせいか、凪や周りの人間の影響かしらね)

04月07日(火) PM19:15
アルカデイア・エウロパ宮殿・一階広場

 ミカエル率いる特殊作業班、対ルシード部隊は既に召集を受けていた。
 彼が信用できる者だけを揃え、選りすぐった部隊だ。
 まず、ミカエルはリスク回避のために任務を二つのタスクに分ける。
 実質上のラファエル確保を行うタスクと、待機し迎撃するタスクだ。
 エウロパ宮殿の広場に召集された面子を前に、
 声を張りミカエルは詳細を語り始める。
「いいか! 基本的な任務はラファエル、ルシードの身柄確保!
 場合によって、その抹殺も任務の範囲内とする!
 無論、相手が四大熾天使であろうと容赦はしないでいい!
 ラファエルと同行していた場合、ルシードの意思を確認する必要もない!
 相手はラファエルとルシード、一瞬の躊躇い、油断も死に繋がるぞ!
 なお、捕獲部隊の指揮はザドキエルに一任、
 迎撃部隊の指揮はラグエルに一任するものとする!」
 全員はそれに対し敬礼と了承の声をあげた。
 捕獲隊の人数は三人で、迎撃隊は二人となる。
 基本的にラグエルの迎撃隊は、ラグエルとカマエルの二人だけだ。
 だが、宮殿内にはミカエル自身も待機している。
 捕獲隊には主天使長であるザドキエルを筆頭に、
 幻視の天使と呼ばれる大天使レミエル、
 力天使長でありながら権天使長も兼任するアニエルの三人が居る。
 それぞれミカエルが選んだだけあり、確かな実力の持ち主だ。
 この面子で、大軍ならまだしも数人の相手に仕損じるはずがない。
「ザドキエル、一先ずお前らの報告を待つ。くれぐれもぬかるなよ」
「了解。殺すか殺されるかなんて素敵な状況、滅多にない機会です。
 感謝しますよサー・ミカエル。私に悦びをお与えくださったことを」
 低く温かみのある声でザドキエルはそう返答した。
 彼を含め、ここに居る天使は全て、多くのものに実力を認められている。
 ただし、その素性、本質を知る者はごく僅かしかいなかった。
 当人同士ですら、今回の任務で初対面という者がいる。
 ラグエルはそんな面子を呼び出したミカエルに、
 疑問を抱かずにはいられなかった。
(確かにザドキエルたちは相当な手練れ。それは認めるわ。
 でも任務に同行させるにはチーム経験もなければ、
 協調性も無い・・・何よりこの三人を組ませるのは不安定すぎる。
 ミカエル様は解っていてこの面子で行くつもりなのかしら)
「では、解散」
 そうミカエルが口にすると、捕獲部隊三人は即座に宮殿を出て行く。
 それを見送りながら、ミカエルは胸元のポケットから煙草を取り出した。
「あの・・・ミカエル様。宮殿内は禁煙です」
「解ってる。それより例の件だが、経過はどうだ」
「はい、大凡の目星は付き始めています。ただ・・・これ以上は、
 私の権限で調査することは難しいかと思われます」
 ラグエルの言葉をきかず、ミカエルは煙草に火をつける。
 まるで苦虫を噛み潰したような顔で。
「お前は充分やった。後はウリエルに引き継いでこの任務に集中しろ」
「ウリエル、様・・・ですか?」
「そうだ。あいつは天使というものを美化しすぎてる。
 天使って組織が今どうなってるのか、ウリエルは知らなきゃいけねえ」
 目を背けないということは、背負うということに近い。
 ミカエルの命令は、ラグエルにはまるで自傷行為のようにも映っていた。
 他人を傷つけるようでいて、その実本当は自分が傷ついている。
 何故、そこまでミカエルは自分を追い込もうとするのか。
 彼の持つ踏み入れぬ闇を、ラグエルは感じずにはいられなかった。
 そこで不意に、ミカエルの持つ通信装置がメロディを鳴らし始める。
 相手の名前を確認して、彼の顔色は少しだけ変化を見せた。
「貴方が俺に連絡とは珍しいじゃないですか、智天使長殿」
「先刻、お前に任せたラファエルの事態だったが、少し状況が変わってな」
「ほう・・・なんです?」
「実はゾフィエルとケルビエルの二人が、既に昨日天使を派遣したそうだ。
 それも、よりにもよってあの堕天疑惑のある厄介者二人をな。
 任務の目的はラファエルの確保、又は抹殺でな」
「な、に・・・っ」
「無論今から止める理由もない。
 奴らに任せるのは不安もあるが、これはゾフィエルたちの判断だ。
 お前に頼んだ件は依然変わらず続行、それで構わんだろう」
「・・・いいでしょう。ラファエルにはそれくらいで丁度いい」
「そうか、ならいい。以上だ」
 そう言うとジョフは連絡を切断する。
 ゾフィエルとケルビエル。その二人はジョフと同じ智天使長だ。
 老賢者としても名を連ねてはいるが、多忙で顔を見せる機会は少ない。
 ジョフの言葉に恐らく嘘は無く、本当に手違いが起きたのだろう。
 ただ、それはミカエルにとっては大きな誤算となった。
 特に彼らの派遣した天使二人というのが、大きなイレギュラー要素。
 場合によっては彼の計算が狂うという目も出てくる。
 表面上はその焦りを見せず、目を閉じたままミカエルは煙を吐き出した。
「ミカエル様?」
「何でもねぇ・・・どうせ運命だ。そう、結果に変わりはない」

04月07日(火) PM20:42
アルカデイア・悠久の風、セフィロトの樹側

 悠久の風システムは、まだ何事も無く稼動を続けている。
 システムの停止はラファエルがルシードを連れてきてから、ということだ。
 監視員として働く天使たちが、ラファエルの到着は既に観測している。
 つまり、まだしばらくの時間はあるというわけだ。
 そこへ何人かの天使たちが、システムを利用してやってくる。
 ゾフィエルとケルビエルが送り出した天使たちだ。
 男性天使が二人、格下の天使を数人連れている。
「ラファエルを確保するのが任務だったよなぁ?
 つっても、ぶっ殺したら任務失敗ってわけでもねえんだよな?」
 先に口を開いたのは、エピツォーネ=カジノ=バルビエルだ。
 少し嬉しそうな顔つきで隣の天使にそう話す。
 ツンツンに立てた赤い髪と、崩したスーツ、茶のサングラス。
 それらの特徴が、無言で彼の荒く奔放な性格を物語っている。
 背はそれほど低くないが、隣の天使と比べるとかなり小さく見えた。
「うるせぇ・・・質問ばかりするんじゃねーよ。
 俺とお前に出番が回ってきたってことは、智天使長も相当慌ててンだろ。
 何しろ、俺らは堕天疑惑っつーでけぇマイナスを持ってンだ。
 丁度いい汚名挽回のチャンス、もう一度駆け上がるチャンスだぜ」
 そう話すのはサマエル=アディス=ウォリナーク。
 癖毛と鋭い目つき、神経質そうな顔つきが特徴で、
 バルビエルと違いスーツはきちんと着こなしている。
 チャンスと口にしながら、顔を綻ばせる様子はなかった。
 実に冷静な表情を保ったまま、前へと歩いている。
「あんたはそうかもしんねぇけどよぉ、俺は一時期
 熾天使長の座も夢じゃないって言われたくらいだったんだぜ?
 今じゃ力天使と大天使の長を兼任なんてふざけんなっての。
 正直言って、クソ智天使どもの下で働かされるのはムカつくぜ。
 あとな、挽回するのは名誉じゃなかったっけ?
 汚名を挽回してどうすんだよ。汚名は返上じゃねーの?」
 そんなことをバルビエルが口にすると、サマエルは語気を荒げて言った。
「うるせぇ! そんなのどうでもいいんだよ!
 それにな、俺だって熾天使になるかもしれないくらいまでいったんだぞ!
 今大事なのは、ラファエルが老賢者への手土産になるってことだ。
 それで、俺たちはクソうざってぇ疑惑を晴らし、
 ついでに老賢者どもをまとめて汚え宮殿の地下牢に放り込んでやる!」
「んふーっ、なかなかソソる近未来のビジョンだねぇ。
 特にあのシウダードとジョフは、ゼッテーだ」
 狂気を滲ませた目つきで、バルビエルは自分の首をトントンと叩く。
 異様な二人の空気に、付き従う天使たちも動揺を隠せなかった。
 すると、そこでサマエルが後ろをちらりと見る。
「あ、すっかり忘れてたぜ」
「あん?」
「周りに俺たちのオフレコ話聞いてるカスどもがいるじゃねえか」
「おー、これはうっかりしてた」
 二人は立ち止まると、下位天使たちのほうへと振り返った。
 その殺気混じりの表情に気おされながら、一人の天使が言う。
「あ、あの・・・サマエル様、バルビエル様っ・・・!
 私たち、決して今の話を他言などしませんから」
「そうかそうか。どっちでもいいよ、そんなの」
「え?」
 意外なサマエルの答えに、下位天使らは困惑したまま二人を見ている。
 だが、すぐさまその顔は絶望的なものに変わっていった。
 見下すような、冷たい瞳でバルビエルが彼らを見ていたからだ。
「そうそう、だってお前らどっちにしろ弾除けにも使えねーし。
 いても邪魔なだけじゃ、役立たずで終わりだからなー。
 折角だから、ラファエルの弾除けで死にましたって名誉をやるぜ」
「ひ、ひぃっ・・・」
 一人の天使が逃げようと振り返り走ろうとする。
 それを逃さず、バルビエルが片手を床につけた。
「どれ、このバルビエル様がお前らの運を試してやるぜ。
 出でよ運命の回転盤――――ヤクタ・アーレア・エスト」
 彼が触れた床から、奇妙な形をした円盤状のものが現れる。
 円盤は宙にぴたりと静止して、中心にある何かの印が縦に回り出した。
 横一列に三つの印が縦に回転している中心部。
 それはまるで、スロットマシーンのように見えた。
 実際、その動きは正にスロット。一つ一つ、バルビエルが印を止めていく。
 最後に三つの印が揃うと盤は高く舞い上がった。
「倍率三か、安いな・・・まあお前らの運はそんなもんか」
 円盤から数人の天使めがけ、高速で何かが打ち出された。
 まず、逃げようとしていた天使の背にそれが直撃する。
「がっ・・・!」
 天使の背には、思念で作られた巨大な針が突き刺さっていた。
 他の天使全員にも確実に、急所目掛けて針が打ち出されていく。
 一人一人、断末魔を上げながらバルビエルの前に倒れていった。
「アド・マイオーラ(幸運あれ)」
 バルビエルがそう口にすると、円盤はすっと消えうせる。
 一方的な殺戮が終わったあとで、サマエルは薄く笑みを浮かべた。
「こいつらはラファエルの奴が殺った・・・そういうことにするか。
 となると、既に交渉の余地は無いと見るしかない・・・そうなるな」
「そうだよな? もう話し合いとかそういうレベルじゃねえよなァ?」
 嬉しそうな顔でバルビエルはサマエルの肩をちょんちょんと触る。
 サマエルはそれをイライラした顔つきで払いのけて言った。
「一々俺に確認するなッ・・・最初からそのつもりだろうが。
 俺たちはラファエルがルシードと接触したら仕掛けりゃいい」
「ルシードごとぶっ殺すわけか。楽でいいねぇ、俺ら」
「これでようやく俺たちも汚名挽回だ」
 自信満々の顔でそう言うと、サマエルはセフィロトの樹へと歩いていく。
 それを追いかける仕草も見せず、バルビエルは両手を頭の後ろに回す。
「・・・だからさ。それ、汚名は返上するもんじゃねーの?」
「うるせえんだよ・・・意味が通じりゃそれでいいだろうが」
「餓鬼かよ、あんたは」

Chapter134へ続く